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<東京怪談・PCゲームノベル>


Spring of the Love



 向坂・嵐は息を切らせながら興信所に走りこむと、落ち着かない様子でデスクの前をうろうろとしていた草間・武彦と目が合った。部屋の隅で大人しく立っている零の表情もどこか虚ろで、嵐は大きく息を吐くとまだ整いきっていない呼吸を無理に飲み込んだ。
「それで、状況は?」
「さっぱりだ。 夜神でも動いているらしいんだが、行方はまだ分からない」
「そうか‥‥‥」
 魔月が攫われたようだとの報告を受け、無理を言ってバイトを知人に代わってもらい、興信所に駆けつけた。
「それにしても、妙だな」
「妙?」
「魔にとっての敵である魔狩人をわざわざ“攫った”? ‥‥‥それは夜神の何を狙ってだよ‥‥‥?」
「確かに、殺す方が早いな」
 あっさりと武彦の口から出た言葉に、嵐は危うく息を詰まらせそうになった。 確かにそうなのだが、そこまで直球で言わなくても良い気がする。
「でもな、殺さずに攫った方が、色々と活用できるんだ、夜神は」
「活用?」
「魔狩人は夜神と昼神の2つの家が守っている。 ‥‥‥夜神の次期当主候補を潰せば、次は昼神の次期当主候補を潰せば良い。一つ一つを潰すより、一気に潰した方が早いし楽だろ?」
「もしかして、魔は夜神を使って‥‥‥昼神聖陽を‥‥‥」
「恐らくそうだろう。 夜神が消えたと言う連絡は昼神にも入っている。今頃、昼神は聖陽の身辺警護を強化しているだろうな。 魔がいくら集まったところで、術に長けた者が何人も昼神の警護をしていれば、負けることは目に見えている。 けれど夜神がいれば、全てをひっくり返せる」
「その言い方からすると、聖陽ってやつと夜神では、夜神の方が強いように聞こえるんだが」
「その通りだ。 純粋な腕で見れば、夜神の方が強い。昼神の術者が束になって守っても、夜神にとっては小さな障害にしかならない」
「魔月さんが、以前言ってました。“力は夜神、知恵は昼神。どんな暗闇の中でも2つが合わされば光りは必ず見える”」
「夜神にしては、前向きな台詞だな」
 武彦が口の端に笑みを浮かべながらそう言い、煙草に手を伸ばす。
 嵐も武彦に続き、煙草を口に挟むと火をつけた。 零が気を利かせて灰皿に溜まっていた吸殻を捨て、綺麗な状態のものをデスクに戻す。
「ま、その点はいいや。 今、あいつが危険である事に変わりは無いんだろ」
「そうだな」
「協力する。 ‥‥‥一応聞くけど、夜神の携帯にGPS機能とかってついてないのか? 立場上とか仕事柄そういう可能性もあるかと思っただけだけど」
「勿論ついてるさ」
「それなら‥‥‥」
「その携帯はここにある」
 武彦が書類に埋もれていた携帯を取り上げると嵐に差し出した。 確かにそれは見たことのあるもので、手にとって見ずとも誰のものか分かった。
「どうしてこれがここに?」
「扉の前に置いてあった。 零が止めなければ、踏むところだった。 中を見てみろ」
 二つ折りの携帯を開けば、メールの機能が選択されていた。宛名の指定がないメールはまるで日記のようで、内容は意味が分からないものだった。
「何だよコレ‥‥‥」
「少なくとも、夜神の打ったものじゃない。夜神にそんな詩的な文章を書く才能は無いな」
「それじゃぁ、コレは‥‥‥」
「夜神を攫ったヤツが打ち込んだんだろうな。それで、ご丁寧にわざわざウチまで持ってきてくれたって訳だ」
「今日、来客は?」
「あったさ。依頼人が3人、それからここをよく出入りしている連中」
「それに、新聞屋さんと宅急便屋さんが来ました。あと‥‥‥誰もいない時間が少しだけありました」
 なんとも無防備な興信所の状況に聞いて呆れるが、万年金欠の草間興信所のこと、盗まれそうな高価なものは何もない。そもそも、零がいくら掃除をしようとも直ぐにゴミ溜めのようになってしまうここは、何かを盗みに入ろうとした泥棒も玄関口で足を止めてしまうだろう。自分よりも先に何者かが“仕事”をした後だと勘違いしてしまうほどにグチャグチャなのだ。
 今だってソファーには先ほど脱いだばかりと思しきスプリングコートがクシャリと丸めて置かれており、あのまま放置しておけば明日にはクッキリと皺がついていることだろう。本棚からは本が溢れ、床に山を形成している。今はせいぜい富士山くらいだが、2日か3日放置しておけばエベレスト級の山になることは目に見えている。
 デスクの上には薄いお茶の入った飲みかけのコップに丸められたティッシュ ――― それが使用済みなのか、もしそうであれば何のために使用されたのかは深く考えない事にする ――― 部屋の隅に置かれたゴミ箱に視線を移せば、ゴミ箱は満杯状態、入りそびれた紙くずが周囲に散らばっている。
 嵐は部屋の惨状に改めて呆れると、メールの内容を読み返してみた。
 件名は無題、宛名の指定はなし。本文の出だしは“今日と言う日を神に感謝します”となっていた。

 今日と言う日を神に感謝します。
 僕の後ろで前方を照らしてくれる神に感謝します。
 魔法をかけてくださった神に感謝します。
 魔法が切れる前までに城に運ばなくては、目を覚ます前に城に着かなくては。
 共に歩む道が消えぬよう、神の言う事を聞かなくては。
 以下長い間空白‥‥‥
 夜神と昼神、そしてその両家に加担する者どもへ。
 夜神家次期当主の命は日が没する前には消える。
 方翼を失った鳥は飛べない。昼夜神の時代もコレまで。
 これから世を制すは魔なり。魔に染まり、魔に従い、魔に滅ぼされるが人の定め。

 メールはそこでプツリと途切れていた。
「これ、夜神家と昼神家には見せたのか?」
「いや、見せてない。‥‥‥見せるべきだと思うか?」
 武彦の言葉に、嵐は一瞬詰まった。 メールの文面を読むに、これは昼夜神以上に嵐や武彦に宛てられたものだろう。 夜神家にしてみれば、魔月の力が夜に復活する事は分かりきっている。その前までに魔が何らかの形で動いてくるだろうと言う事も見当がついているだろう。夜神とセットで呼ばれる昼神も勿論、そのことについては分かっているだろう。
 まるで挑戦状みたいだと、嵐は思った。 日が没する前に見つけられるものなら見つけてみろ。そう言っているような気がした。
 奥歯を噛み締め、携帯を畳んでテーブルの上に置くとポケットから煙草を出す。武彦がライターをつけ、火を嵐の口元に持っていく。
「‥‥‥いなくなった具体的な時間帯とか場所とか分かるか? 登下校途中だったとか何とか、色々。それによって探し始める場所も変わってくるし」
「下校途中だった。 門のところで見かけた言う女生徒を見つけたが、その先は分かってない」
「そうか。 どちらにしても、幾ら能力が使えない時間帯だとしてもあいつが簡単に攫われたっつーのがな‥‥‥」
「向坂もその点が気になるか?」
「あぁ。 知らない相手なら警戒するだろ、あいつなら」
「そうだろな。自分の置かれている状況はよく分かっているはずだから、能力が封じられているこの時間帯は神経質になっているはずなんだ。‥‥‥普通なら」
「夜神の身辺で今日に限って姿を見ないって奴の線からも探してみようと思う」
「俺もこっちで調査を続けるつもりだ。 あぁ、そうだ向坂」
 興信所から出ようと扉に手をかけた時、武彦が呼びかけた。
 一旦ドアノブから手を放し、振り返る。 整理整頓能力0と言ったデスクの上を引っ掻き回してメモ帳を発掘した武彦が、そこにサラサラと何かを書くと嵐に手渡した。開いて見れば、誰かの携帯の番号が書かれていた。
「夜神の世話人だ。夜神のことなら、その人に聞けば大体の事は分かるはずだ」
「俺がいきなり電話をかけても怪しまれないか?」
「名前を言えば怪しまれない。 言っただろ、夜神のことなら大体のことは分かる人だって。向坂が去年の冬に夜神と魔を滅した事は、その人の耳にも入ってる」
「そうか。分かった、電話してみる」
「向坂さん、どうか魔月さんのこと、宜しくお願いします」
 深々と頭を下げる零に軽く頷いた後で、嵐は興信所を後にした。


* * *


 嵐は一旦アパートに帰ると、バイトのために持って来ていた荷物を部屋にポンと投げ置き、ポケットから携帯を取り出すと武彦から教えてもらった電話番号にかけてみた。
 呼び出し音が鳴る間に、嵐は相手の名前を聞いておかなかった事を思い出し、軽く舌打ちをした。急いでいたために忘れていたが、相手の名前くらい聞いておけば良かった。むしろ、聞いておくのが普通だろう。
 普段はこんなミスなんてしないはずなのにと考えていた時、呼び出し音がプツリと途切れ、「はい」と言う低い声が聞こえた。 腰に直接響く声は低いながらも甘い音を纏っており、想像していた声とのギャップに嵐は一瞬言葉を失った。
(夜神の世話人だって言うから、もっとこう‥‥‥厳つい感じの声かと思ったんだが‥‥‥)
「もしもし?」
「草間から電話番号を聞いた。向坂・嵐と言う」
「あぁ、以前魔月お嬢様を助けていただいた」
 魔月が聞いたら目くじらを立てて怒りそうな台詞だ。
『助けたなんて、そんな立派な役をコイツがしたと思うか!?そもそも、あたしがコイツなんかに助けてもらわなくちゃいけないようなヘボい力しか持ってねぇとでも言うのか!?』
 以下略で、延々と文句を言い続けそうだ。 何様俺様魔月様な魔月は、絶対に嵐の事を認めはしないだろう。まして、足手纏いでしかなかったとまで言い捨てそうだ。
 数ヶ月前のあの時、2度会っただけの魔月だが、インパクトは抜群だった。あんな俺様な年下はなかなかいない。
「夜神が攫われたと聞いた。‥‥‥幾ら能力が使えない時間帯だとしても、夜神が簡単に攫われたと言うのが納得がいかない」
 武彦にしたのと同じ見解を繰り返し、相手の言葉を待つ。
「私どもでも、魔月お嬢様の交友関係を中心に調べています」
「夜神の身辺で、今日に限って姿を見ない奴っているか?」
「いいえ、そのような者はおりません。 そもそも、魔月お嬢様に男性の知り合いはあまりいないのです」
「どうして男と絞っているんだ?」
「魔月お嬢様の靴箱から魔月お嬢様宛の恋文が見つかったんです。‥‥‥今手元にありますが、内容をお読みいたしましょうか?」
「いや‥‥‥必要ない」
「魔月お嬢様は現在通われている女子大学付属の幼稚舎に入っていました」
「とすると、小学校も中学校も女子大付属のところに通っていたのか?」
「えぇ、そうです。そのため、魔月お嬢様の交友関係で男性を探すとなると、ある程度限定されて来ます」
「その男たちと夜神とは、どういう繋がりなんだ?」
「魔狩人討伐人として出会った方々が大半です。それ以外ですと、ご友人のご兄弟やそのお友達関係です」
 嵐は瞬時に、前者の可能性を排除した。 昼の夜神・魔月と夜の夜神・魔月は違う人物だ。嵐は実際に昼の魔月には会った事がないのだが、武彦の口ぶりから察するに夜とは似ても似つかない人物らしい。 魔狩人討伐人としての力を取り戻す夜に出会った人々に対し、ただの女子高生である昼の夜神・魔月が警戒しないはずがない。
 昼にしか出会わない人だからこそ、昼の魔月は警戒しなかった。それが一番しっくり来る気がした。
「夜神の友人の兄弟やその友人関係で、行方の分からなくなっている人はいるのか?」
「何人かは。現在、私どもも全力を上げて捜しております」
「そうか‥‥‥。もし、怪しい人がいたら教えてくれ」
「かしこまりました。 それではまた、後ほど」
 男性との通話を終えて暫く、嵐は次に取るべき行動を見失っていた。
 嵐は、魔月のことをよく知らない。両親や兄弟がいたこと、何らかの事情によって亡くしていること、昼と夜とで性格が違うらしいと言うこと、夜神の次期当主候補だと言うこと ――― 魔月の交友関係など、知らなかった。 自分よりよっぽど、武彦や零の方が知ってるだろう。
(どうする? 戻るか、それとも何か連絡が来るまでここで待つか)
 考え込んでいた時、テーブルの上に放り投げていた携帯が振動した。最近の若者らしく、嵐もマナーモードにしている事が多い。 液晶を見れば、知らない番号だった。一瞬ワン切りかと思うが、携帯は嵐を呼び続けている。
「はい?」
 やや緊張した声で電話に出れば、聞いた事のある声が弾けた。
「あ!向坂さんですよね? 覚えてますか?千里です、美影・千里です!」
「あぁ〜!」
 魔月と出会う事になったあの事件の関係者の1人、美影千里の明るい声に、嵐は思わず立ち上がった。
「元気だったか? 正也は?」
「実は私、あれから正也君と付き合う事になったんです。これも向坂さんや夜神さんのお陰ですね」
「そっか、良かったな」
 そう言いつつ、魔月の名前に溜息をつく。正也と千里の事は素直に心から良かったと思うが、魔月が行方不明の今、あまり喜べない。
「それで、何で俺の携帯に電話なんて? どうかしたのか?」
「携帯の番号は草間さんから教えてもらったんですけど‥‥‥。実は少し、気になる光景を目撃して」
「気になる光景?」
「私じゃなくて正也君が見たらしいんですけど、何でも知らない男の人と夜神さんに似た人が一緒にいたって」
「え?」
「あっ!安心してください、私、正也君に夜神さんのことは何も言ってませんから。夜神さんは美人だしお嬢様だし、ここら辺で有名なんです。だから正也君も知ってるってだけで‥‥‥」
 正也に魔憑き人だった時の記憶がないことは武彦から聞いて知っていたが、嵐の興味はその点ではなかった。
「それで、ただ知らない人と夜神さんが一緒にいただけだったら、正也君も大して気に留めはしなかったと思うんです。でもその時、夜神さん具合が悪かったのかグッタリしてて、その人に抱きかかえられてたって言うんですよ。私、心配になっちゃって‥‥‥向坂さんなら何か知らないかなって思ったんです」
 その男が魔月を攫ったやつに違いない ――― 嵐は瞬時にそう思うと、やや口調を硬くした。
「千里は、その男が誰だか分かるか?」
「 ? どうしてそんなこと訊くんです?」
 千里の口調が一瞬にして警戒したものになる。 電話越しに伝わってくるピリピリとした雰囲気に、嵐は素早く次の言葉を探した。
(千里に事情を話す? それとも、適当に言いくるめるか?)
 魔月の能力を知っているらしい千里だが、やはり事情を話すのには抵抗がある。何しろ、魔月は千里が自分の事を知っている事を知らない。 けれど適当に言いくるめるにしても、千里は勘の良い少女だ、嵐の嘘など直ぐに見破ってしまうだろう。
 前もこんな事があった。この沈黙が雄弁に真実を語っているのだと言う事を、嵐は分かっていた。
「夜神さんに、何かあったんですね?」
「‥‥‥あぁ」
「ちょっと待っててください、正也君に聞いてみます。正也君は知らなくても、私が知ってる可能性がありますし、私の友達が知ってるかもしれません。一旦電話を切りますけど、何か分かりましたら直ぐにかけなおします」
「宜しく頼む」
 プツンと切れた電話をテーブルの上に置き、嵐は目を閉じた。瞼の裏に千里の顔を思い浮かべ、肩の力を抜く。
 魔月に何があったのか、千里は知ろうとはしなかった。ただ何かがあった、それだけで動いてくれる、頼もしい存在だった。
(もし夜神が千里の存在を知ったら‥‥‥)
 どう思うのだろうか。 魔月の口ぶりから察するに、同じ歳くらいで彼女の昼と夜を知っている人はいないだろう。夜だけの知り合い、昼だけの友人、それは魔月にとって良いことなのだろうか。
 そんな事を考えているうちに携帯が振動した。急いで液晶を見れば、先ほどと同じ番号が点滅していた。
「もしもし、向坂さん?」
「どうだった?」
「夜神さんと一緒にいた人、多分ウチの学校の生徒です!」
 興奮した様子で喋る千里の言葉を要約すると、こう言う事だった。
 千里はまず、正也に電話をかけて男の背格好や容姿を聞きだすと、自分の知り合いではないと判断した。次に友人に電話をかけ、男の容姿を詳細に伝えて行った結果、ある友人から戸田・渉(とだ・わたる)と言う名前を聞きだした。戸田・渉は千里が通う学校の1年生で、どうやら夜神・魔月に思いを寄せていたらしい。1度告白をして断られたと言う話も聞いた。 千里は次に、戸田渉についての情報を集めた。今日、どこかで戸田渉を見なかったかと思いつく限りの友人に電話をかけ、渉が今は使われていない工場に入って行くのを見たと言う情報を得た。
「そこは霊が出るって言われてる工場で、少し前までは肝試しをする人がたくさんいたみたいです」
「そっか。教えてくれて有難う」
「いえ、私にはこのくらいしか出来ませんから。 夜神さんには私、助けられっぱなしですから、このくらいのお手伝いはさせてください」
「夜神に会ったら、千里と正也のこと伝えとくよ。きっと喜ぶだろうから」
 嵐はそう言うと、電話を切った。千里から聞き出した工場はここからそう遠くなく、バイクで行けば10分とかからないだろう。 アドレス帳から興信所の番号を引っ張り出し、通話ボタンを押す。呼び出し音が鳴るばかりで誰かが出る様子はない。 嵐は一旦電話を切ると、魔月の世話人の男性にかけなおした。数度の呼び出し音の後に聞こえてきたのは素っ気無いアナウンスだけだった。
(魔が相手となると、俺にはどうする事も出来ない‥‥‥)
 武彦か魔月の世話人の男性がつかまるまで待っているべきだろう。丸腰で行ったところで、魔月を助け出せるとは思えない。
(でも‥‥‥)
 腕時計に視線を落とす。 魔月の力が解放されるまで、あと20分もない。
(魔なら、夜神の力が解放される前に何か手を打ってくるはずだ)
“純粋な腕で見れば、夜神の方が強い。昼神の術者が束になって守っても、夜神にとっては何の障害にもならないんだ”
 武彦の言葉が脳裏を過ぎる。 もし、魔月が魔に操られてしまえば ―――“力は夜神、知恵は昼神。どんな暗闇の中でも2つが合わされば光りは必ず見える”その光が消えてしまう。
 ヘルメットを被り、バイクに跨る。 何が出来るのか、どうすれば良いのかも分からないまま、嵐はグングン速度を上げて行った。


* * *


 魔月にとって今日一番驚いた事は、能力の使えない非力な時間にうっかり油断して攫われてしまった事でも、探し出して助けに来てくれた人がいた事でもなかった。数ヶ月前にたった2度会っただけの嵐が駆けつけてきたと言う事だった。
 どうして助けに来たのか、何で攫われていると分かったのか、そもそも嵐には何か力があったのか、色々な情報が複雑に絡み合いながら魔月の頭の中に広がって行くが、一番欲しい情報は抜け落ちていた。 元々人の名前を覚えない魔月だったが、今日ばかりは嵐の名前を覚えていない事を後悔した。
 唐突にドアをぶち破って入って来た嵐は、腕と足を縛られて椅子に座らされていた魔月とその前で気味の悪い笑いを浮かべる渉を見るとサっと顔色を変えた。
「夜神、怪我は!?」
「ありませんわ」
「魔月さんの知り合いですか? イヤだなぁ、もう直ぐで魔月さんと僕は結ばれるのに、邪魔なんて」
「あんた‥‥‥こんな風に体だけ手に入れただけで良いのか!?あんたが好きになったのは夜神の何だよ!!外見か?形だけか?自分の気持ちばっかりで!夜神の心置き去りで!!こんなの‥‥‥結局あんたの手の中には何もないだろ!?」
 一気にそこまで言い切った嵐は、肩で息をしながら渉を睨みつけた。
「‥‥‥君は良い男だね。きっと、誰かに本気で恋をしたり、振られたりしたことはないんだろうね」
「そんなこと‥‥‥」
「本気で好きになった人を手に入れたいと、心が手に入らないならせめて体だけでもって。例え死んでいたとしても、それでも手に入れたいって、そう思ったことはないの?」
「そんな相手の人格を否定するようなことは思わない。体だけあっても、意味がない」
「君みたいに背が高くてカッコ良い人になんか、僕の気持ちは分からない。悪魔に魂を売ってでも欲しい人がいるなんて、君には分からないだろうね。 最初は一目見られるだけで満足だったんだ。でも、毎日見たくなって、いつでも見ていたくて、写真を撮った。でも、写真は喋らないから、僕だけに喋りかけてもくれないから、僕だけを見てもくれないから、僕だけのものになって欲しくて告白した。ダメだって分かってたけど、諦められなかった」
「あんたは、夜神の何を好きになったんだよ。夜神のことが本気で好きなら、こんなことしないだろ!?」
「全てを好きになったからこそ、手に入れたくなった。どんな手段を使ったとしても‥‥‥」
 渉の背中から黒い靄が立ち込める。それはゆっくりと広がって行き、魔月の傍へと伸びて行く。
「夜神!」
 足に力を入れ、思い切り駆け寄る。渉が制止するのを掻い潜り魔月の隣まで来た瞬間、息が詰まった。 見えない力によって体中を四方八方から押さえつけられているかのような感覚に、膝を折る。
「わたくしの鞄があそこにあります。その中に、御札があるはずです」
 歯を食いしばりながら紡がれた苦しげな声に顔を上げれば、魔月と目が合った。 おそらく嵐と同じ感覚を味わっているであろう魔月は、苦痛に唇を噛み締めながらゆっくりと視線を壁際に滑らせた。
「その御札を握り締めて、心の中で剣でも銃でも良いですから、武器の姿を思い描いてください。わたくしが本来の力を取り戻すまで、あと5分足らずです。それまで時間を稼いでください」
「分かった。 ‥‥‥何か、夜神がそう言う喋り方すると不自然だな。全然違う人みたいだ」
「夜と昼とでは、わたくしは全く別の人間ですわ」
 瞳だけが夜の魔月の面影を残している。 目が語る言葉をあえて口に出すならば、“そんなことは良いからさっさと行けボケ”だろう。アイコンタクトだけで分かってしまうのが虚しい。
 深く息を吐き、一旦全身の力を抜いてからすぐに力を入れる。 見えない重力によって立ち上がる事は出来ず、半ば這うようにして魔月の鞄に近付くと開いていた中に手を入れた。ノートやペンケースが手に当たり、指先でどけて行く。暫くゴソゴソと漁った後、指先に1枚の紙が触れた。
 その紙が指先に当たった瞬間、嵐の体を押さえつけていた力がふっと無くなった。 呼吸も楽になり、体が軽くなった。
「戸田様は魔と心を通わせています。魔の囁きを受け入れた、魔受人となっています。 戸田様を元に戻すためには、魔を滅さなくてはなりません」
 御札を握り、心の中に武器を思い浮かべる。 苦しげに言葉を紡ぐ魔月を見ながら、嵐はポツリと気になった事を口に出した。
「渉の名前は覚えてるんだな」
 魔月がなんとも言えない複雑な顔をし、視線を宙に泳がせる。 そうこうしている間に嵐の手の中では着々と御札がある物へと変化して行った。
 出来上がった物を胸の前に掲げる。魔月が一瞬だけ顔を崩し、何かを言おうとして口を開くと慌てて噤む。 嵐はソレを持ったまま魔月の前に走ると、黒い靄を消すようにソレを振った。
「あの‥‥‥えっと‥‥‥」
 背後で魔月が遠慮がちに声をかけてくる。その声には苦痛の色は無く、ただ戸惑いだけが含まれていた。
「もしかして夜神、俺の名前忘れてるとか?」
 魔月は人の名前を覚えないと言う事を思い出した嵐が、手に持ったものを振り回しながら魔月を振り返る。 コクンと頷いた彼女を見れば、漆黒の髪がダラリと背に流れている。夜はポニーテールに結ばれているが、どうやら昼はそのまま背に流しているらしい。
「向坂嵐。 向かうって言う字に坂道の坂、それに嵐はそのまま」
「向坂様ですね、覚えましたわ。 それで向坂様‥‥‥何故盾なのですか?」
 嵐の手の中にあるのは、剣でも銃でもない。相手を倒すものではなく、自身を守るためのものだった。
「渉を倒すためのものを作るより、夜神を守るための物を作った方が良いかと思って。 俺に魔が倒せるかどうかも分からなかったし、なによりもう直ぐで夜神の力が解放されるんだろ?」
「本当に向坂様はお兄様にそっくりですわ。 ‥‥‥でもまぁ、顔はお兄ちゃんの方がカッコ良いけどな」
 ガラリと口調が変わり、表情も生き生きとしたものに変わる。 腕時計に視線を落とせば、魔狩人討伐人である夜神魔月の時間が始まっていた。
「しまった‥‥‥!」
 魔月が不自由な両手を動かせば、地面から対の巨大な刀が現れ、器用に縄を切ると彼女の両手にスッポリと納まった。
「あたしを誘拐した罪は重いぜ。しかも、あたしのキレーな肌に傷付けやがって‥‥‥覚悟は出来てんだろうな? あんた如きの低級な魔なんて、一瞬で消し去ってやらぁっ!!」
 どう見ても怒りに燃えている魔月を止められる者は誰もいない。 いくら昼間で力が封じられていたとは言え、簡単に攫われてしまうと言う失態は夜神家次期当主候補のプライドをズタズタにした。しかも、魔月は自分が美しいと言う事を十分に分かっている。若干ナルシストな気がないでもない彼女の肌に傷を作るなんて、それこそ恐ろしい。
(夜神の場合、主に後者に怒ってるように見えるのは気のせいか?)
 多分気のせいだろう。と言うより、気のせいであって欲しい。
 魔によって身体能力は高められている渉だったが、魔狩人討伐人として幼い頃から仕込まれている魔月とは比べ物にならない。 彼の背中にしがみ付いていた魔もまた、魔月の力の前では抵抗らしい抵抗も出来ないまま刀に貫かれた。
「ったく、最近の魔は妙な知恵をつけてきやがって。ま、油断してたあたしが悪いんだけどな。 それより、あたしの携帯が見つからないんだけど何でだ?」
「あぁ、それなら草間興信所にあった。魔か渉かは知らないが、どうやら投げ込んだらしい」
「マジかよ!?ウッゼー! ウチの連中に連絡出来ねぇじゃねぇか」
「俺ので良かったら使うか?」
「あー、使う使う。 あぁ、でも、あたしウチの連中の電話番号覚えてないや」
「夜神の世話人だと言う人の連絡先なら知ってる」
「世話人? あー、荻窪のことか? 何で嵐が荻窪の連絡先知ってるんだ?」
「夜神が攫われたと聞いて興信所に行った後で、草間が彼なら何か知ってるかも知れない‥‥‥って、は?」
 唐突に呼ばれた名前に戸惑う嵐を他所に、魔月は荻窪へ電話をかけていた。
「えぇ、無事です。魔は滅しました。魔受人も無事です。 彼の体を引き取りに来てもらいたいのですが。ここは‥‥‥えっと、少しお待ちなさい。 おい、ここどこだ?」
「あ、あぁ、ここか?」
「そうだよ!早く言えよ嵐!」
 急かされて、嵐は駅からここまでの道を簡単に説明した。ここがどこかと訊かれても、住所など知らなかった。
「今ウチの連中が来てるから、渉のことはそいつらに任せよう。 まぁ、今回は世話になったから礼を言ってやろう」
 言ってやろうときた。礼を言うにしてはあまりにも上から目線だ。
「で、何でわざわざ助けに来たんだ?」
「何となく‥‥‥困ったときはお互い様だろ?」
「あたしは嵐が困ってても助けには行かないと思うけどな」
 サラリ。人情の欠片も無い事を言い捨てると、スカートのポケットから真紅のリボンを取り出し、長い髪を束ね始めた。
「それより、どうして急に名前を呼び始めたんだ?」
「嵐が夜神の力の一部を受けたからだ」
「力の一部って、もしかしてコレか?」
 いつの間にか盾はなくなっており、代わりに掌に小さな三日月の赤いマークがあった。
「そう。 体に害はないし、嵐が力を使いたいと思わなければ出てこないから安心しな。そのくらいの力なら、魔から狙われる事も無いだろうしな。 次期当主が決まり次第その能力は回収される。それまでは我慢しろ」
「まぁ、目立たないから良いが‥‥‥」
 夜神の力の一部を受けたと言われても、いまいち反応に困る。
「あの時は御札を使わせる以外に切り抜ける方法が思いつかなかったからな。まぁ、不運な事故だと思って諦めろ」
 そもそも、魔月が攫われなければこんな事にはなっていないはずなのだが、その事に突っ込んだらそれこそ何を言い返されるか知れたものではない。
「嵐も一応夜神の仲間入りをしたって事で、あたしのことを名前で呼んでも良いぞ。 魔月様でも魔月お嬢様でも、魔月はナシでお嬢様でも良いけど」
「は? 何で様付けなんだ?」
「当たり前だろ!あたしの事呼び捨てにするのは、今の当主くらいのもんだ。 当主の次に選んだよあたしは」
 魔月は不意ににっこりと ――― 嵐が初めて見るような無邪気な笑顔で ――― 微笑むと、ガシっと嵐の腕を掴んだ。
「嵐、お腹空いてないか?って言うか、あたしがお腹空いた。ちょっと付き合え」
「付き合えって、どこにだよ」
「ファミレスとか何かあんだろこの辺」
 お腹空いた、お腹空いたと馬鹿の一つ覚えのように繰り返す魔月。以前とのギャップに戸惑いつつも小さく溜息をついた時、魔月が微かに震えているのが分かった。 魔月はこれでも一応女の子だ。よく知らない男に攫われて、怖くなかったはずなどない。
(でも、ここで労わりの言葉でもかけたら何を言い返されるか‥‥‥)
「嵐? 早くしないとあたし、空腹で倒れるけど‥‥‥」
「‥‥‥分かった。駅の方に行けば何かあるはずだ」
「よし、そうとなればすぐ行くぞ! ウチの連中ももう直ぐでつくだろうから、渉はこのままでも良いだろ」
 その心は、あまり長い間この場にいたくない、だろう。 魔月に急きたてられるようにして工場を出た嵐は、ふとある事を思い出して口を開いた。
「千里、正也と付き合う事になったみたいだぞ」
「千里って、美影千里? 嵐、まだ交友があったのか?」
「ちょっとした縁でな」
「そうか。 それは良かったな。あたしも心配してたんだぜ。やっぱ、1度助けたやつには幸せになっててもらいたいしな」
「‥‥‥そうだな」
 魔月の言葉に頷くと、右掌についた小さな赤い三日月をそっと撫ぜた。



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 2380 / 向坂・嵐 / 男性 / 19歳 / バイク便ライダー


 NPC / 夜神・魔月