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<東京怪談ノベル(シングル)>


血は赫く燃えそぼり

 その眼差しに気がついたのは、行きつけの書店での事だった。
 誰かからの視線を浴びて、首の後ろがちりちりと焼けるようにむず痒い。
振り返ると、夕日の沈みかけた薄暗い通りに一人の男が立っているのが見えた。
 サングラスをしているので顔立ちははっきりしないが、赤褐色の髪をした背の高い男だ。
 ぱっと見、日本人ではないように思えるが定かではない。
 男が黒いレンズの奥から自分を見ている気がしたが、赤羽根円は気にせず再び雑誌に視線を落とした。

『……まただ』
 
 やはり男が自分を見ているのを感じる。
不愉快を通り越して気味が悪い。
 円は読んでいた雑誌を棚に戻すと、手早く目当ての雑誌だけ購入して店を後にした。
「………」
 しかしあれほど執拗な視線を向けていたというのに、会計を済ませている間に男の姿は消えてしまっていた。
 これではなんの為に急いだのかわからない。
 円は街灯を見上げながら眉間の皺を深めると、鞄と雑誌を手に歩き出した。
―――筈だった。
「落としまシタよ、お嬢サン」
「え?」
 突然声をかけられて振り向くと、真後ろに先ほどの男が立っていた。
 男の手には先ほど円が購入したと思われる、雑誌の入った紙袋が握られている。
「……そうですか。それは、親切にどうも」 
 袋を手渡されて一応礼は述べたものの、円は誓って本を落としたりなどしてはいない。
 しかし鞄と一緒に持っていた筈の袋が、一瞬にして男の手の移っていたのは事実だった。
 得体の知れない長身の男。
 白い肌と体型、そして片言の口調からして日本人ではないだろう。
 黒いレンズ越しではその瞳の色など見えはしないが、円にはそれがウロのように闇を湛えているとすぐにわかった。
 近くにいるだけでも気分が悪いのは、男の身体から血の臭いがするからだ。
「他にも何か用が?」
 目の前に立ったまま動かない男に痺れを切らして円が問うと、男は「ゴメンナサイ」と笑い声を上げた。
「私のオバアサン、日本人デース。アナタ若い頃の彼女にソックリでス」
 身振りを付けてややオーバーに話しをする様は、何も知らない人間が見れば、気の良い外国人に見えるかも知れない。
 けれど円は残念ながら、それに騙されるような平穏な生活を送っている訳ではなかった。
 男の声と笑顔の下に見える、闇。
 その邪悪な香りに、今すぐ相手を叩きのめしたい程の衝動に駆られた。
「そうですか、じゃあお祖母さんに会いに日本にいらっしゃったんですか?」
「そうデス、でも道に迷ってシマいましタ。アナタ、道案内、デキますか?」
 さも困ったという表情で告げる男を見上げ、円はひっそりと口の端を苛立つように噛んでから「いいですよ」と答えた。
 ここ数ヶ月、年齢15歳から30歳くらいまでの女性の行方不明事件が多発している。
 囮になるつもりがあったわけではないが、どうやら犯人の方からこちらに近づいてきたらしい。
 実際にこの男が犯人であるかどうかは定かではないが、どちらにせよ人通りの多いこの場所で、常人で無いこの得体の知れない男と対峙する訳にはいかない。
「この近くの住所にお住まいなら、多分そちらの住宅街の方でしょう。そこの路地を抜ければすぐです」
 そう言って円が指を差したのは、入り組んだ暗い路地だった。


***

「すっかリ、暗クなってしまイましたネ」
 完全に日が暮れてしまった為に、街灯の無い路地は真っ暗だった。
 天候に恵まれた日であったお陰で空には満月と星が出ているが、繁華街からそう遠くない為に星はさほど光ってはいない。
 月の明りだけで、飲食店の裏口と思われる少し汚れた路地を歩いていると、不意に男が円の肩を掴んだ。
「気をツけて下サイ、そこニ、空き缶がアリマース」
 どうやら夜道を歩くのに不自由のないらしい男は、この暗い中サングラスしたまま円の足下を指差した。
「あ……」
 確かに足下には空き缶が転がっている。
 男が「大丈夫デすか?」と円の顔を覗き込んできた。
 今は路地の中程だ。
 飲食店はまだ営業時間ではないのか、それとも休みなのか幸い明りはついていない。
 チャンス、と円は思った。
 しかしそれは男も同じだったようだ。
 男が円の両腕を掴んで、そのまま路地の壁に押しつけるようにして顔を寄せると、口からタンパク質が腐ったような、激しい悪臭が漂った。   
「怖くはないデスよ……」
 男は低い声で言うと、円の黒いセーラー服の隙間から覗く鎖骨辺りに唇を寄せた。
「………」
 しかし円は何も答えないどころか、身じろぎ一つしない。
「怖くなどないさ」
 静かに答えると、円は押しつけられた男の身体を、己の持つ最大の気で一気に吹き飛ばした。
「ガハァッ!?」
 男の身体が、向かい合ったブロック塀にミシリとめり込む。
 反撃する間も無く暗闇の中から鴉が数羽現れて、一斉に男をついばんだ。
「お前ハ……、何者……ダ?」
「それはこっちの台詞だ」
 冷徹に答え、使役している鴉たちを解放すると、円は力なく地面に膝を着く男に歩み寄る。
「……ワタシ、か?」
 おそらく肋骨が数本折れているだろう。ゲホゲホと咳き込みながら地面にのたうつ男の答えを待つように見下ろす。
「―――私ハ、血ヲ糧ニ闇ヲ支配スル者ダ」
 不意に男が笑い声を上げた。
 そして深呼吸を一つすると、サングラスを外してまるで何事もなかったように立ち上がる。
 真紅の瞳が、円を見つめていた。

***

 男の声が酷く遠くに聞こえ、身体に力が入らない。
 円はぼやけた意識の中で、赤々と燃えるような瞳の輝きを見たことを思い出していた。
 男は再び円の身体を抱きすくめると、その首筋に唇を寄せる。
 冷たい、氷のような感触と共に、喉元に今度は燃えるような熱い痛みが走った。
 ズ……ゴボボ、ゴク……ズズ……。
 耳のすぐ側で、男が円の血を吸い上げる不気味な音が響いているが、身動きが出来ない。
 男の瞳が持つ暗示能力―――そう頭では思いつくのに、円には抵抗する事は出来なかった。 
「嗚呼……何トイウ甘サ、コンナ血ハ初メテダ……」
 男が傷口から口を離し、うっとりと喜びに打ち震えながら言った。
 飲み干してしまうには惜しい、そう言わんばかりに円の喉を舐め、舌先で流れ落ちた赤い筋を掬い上げる。
 円は少しずつ指先から熱が奪われていくのと同時に、冷たい負の力が流れ込んでくるのを覚えた。
 ここで朽ち果ててしまうのか?確実に死が歩み寄っているというのに。
 何も出来ない自分が口惜しい。
そう思って瞳を閉じた刹那、円を抱く男の身体が震えた。
「ナ……!?ナンダ……!?喉ガ……私ノ身体ガッ!?」
 最後の方は、半ば悲鳴のようだった。
 男の身体から、ぶわりと真紅の炎が燃え上がる。
「朱雀の力だ」
 暗示の薄れた円はゆっくりと身を起こすと、目の前で男を火種に燃え上がる火柱を見ながら首筋を押さえた。
 血はかなり失ってしまったようだが、幸い命に別状は無いだろう。欲望の果てに自ら己を滅ぼした異形が苦しみながら、朱雀の炎に浄化されていくのをぼんやりと眺める。
 やがてフっと火が消えると、男の形をした黒い塊が、一筋の風に吹かれて灰になった。
 円はほっと溜息を洩すと、疲労感漂う身体を休めるように、地面に寝転がった。
 金色の月が、円を見下ろしている。

「―――全く。雑誌まで、燃やすなよな」

 満月を見上げたまま、円は忌々しげに呟いた。



 fin

***
ありがとうございました、Siddalです。
吸血鬼の詳細についての指定が御座いませんので、こういった形になってしまいましたが、お気に召していただけましたでしょうか?
リテイクやご意見、ご希望が御座いましたら遠慮なく仰ってくださいませ。
また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。