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<東京怪談・PCゲームノベル>


神隠し






 そこは夏の時期になると、神隠しが起こるらしい。
 場所は、昭和の終わりごろ作られた白落ダム。
 なぜ神隠しか―――……
 それは、ダムの近くの山林でも、ダムの水源にも居なくなった人の遺体が見つかったことがなかったから。
 ダムでありながら澄んでいるその水は、沈んだ村をほぼ当時そのままで見ることが出来る。そのため、この場所は一種の観光地となっていた。
 ただの神隠しという噂が立つ程度ならば、警察沙汰で終わるはずだった。
 だが、何故そうならなかったのか。
 それは神隠しから帰ってきた人が―――居たから。
 彼は失踪した…神隠しにあった10年前と、何ら変わらぬ姿でダムの近くに倒れていた。
 ただ失踪していた10年間の記憶を一切無くして。
 一時はワイドショーでも話題になるほどだったが、どれだけ取材陣や特設番組が白落ダムへ訪れても、神隠しなど一切起こらず、彼はただ若作りしているだけの人として、廃れるのも早かった。
 時は、それから3年。
「えーっと、あんたはなんで今、白落ダムに行こうなんて思ったんだ?」
 彼はそろそろ事件が忘れ去られただろうと踏んで、草間興信所に来ていた。
「10年間の記憶を取り戻したいんです」
 彼にとっては一瞬のことだったのに、気がつけば外の世界は10年の歳月が過ぎていたのだ。まるで浦島太郎。
 お土産の玉手箱もなく、その10年間を彼が取り戻すことは出来ない。
「精神鑑定でも、逆行催眠でも、その10年間は“無かった”んです」
 記憶さえも存在しない10年間。
 ただ覚えているのは、花火の音に混じる大きな雷鳴のみ。
 白落ダムで、一体何が起こったのか。
 草間は調査に向かってくれそうな面々を思い浮かべた。







「流石に日差しが強いわね」
 山間のダムと言えど、夏ともなれば地上よりも太陽に近いせいか日差しが強い。ただ、都会よりも涼しいと感じるのは、近場の水の気配と、照り返しが無いという事実だからだろうか。
 シュライン・エマはつば広の帽子に手をかけて、辺りを見回す。
「こんな日に出歩くことはあまりないのですが……」
 仕方ありませんね。とビーチパラソル級のパラソルを持った側近が、セレスティ・カーニンガムの上に影が出来るように苦心している。
「綺麗……」
 観光地と化しているダムの手すりに手をかけて、初瀬・日和はその水の底を覗き込む。
 確かにガイドブックにも乗っているとおり、水の底が濁ることなく透き通り、当時のままの村の姿が底にはあった。
「あんまり乗り出すと危ないぞ」
 羽角・悠宇は、すっと手を出して日和の身を庇うように横から手を伸ばす。
「大丈夫よ」
 水はこんなにも穏やかで、何かが起こるようには思えなし、ましてや人を引きずりこむような悪意も感じられない。
「確かにな」
 神隠しという噂はたったが、ここはいい景勝地であり避暑地だ。
 日和の言葉に納得するように、悠宇もダムの先を見る。
「今まで帰ってきた行方不明者は、草間さんのところへ依頼に来た彼一人……これで、事件の解決になればいいんですが」
 一人ビシッとスーツを着込んでいる葉月・政人は、草間の調査員ではなく、解決のために同行した警察関係者だ。
 恥ずかしいことに、この白落ダム失踪事件は未解決のままもう何十年も経ってしまっている。
 草間が警察の捜査状況を聞きにきたときに、これ幸いにと同行したのだった。
 シュラインは鞄からファイルを取り出し、この辺り――と言ってもだいぶ離れているのだが――で仕入れることが出来た情報を伝える。
「調べたのだけど、このダムに沈んだ白落村では、この時期に夏祭りが行われていたらしいの」
 それが何に関係してくるかは分からないけれど、ダムに沈まず残っている近隣の村に聞いたところ、年配の住人が大きくて楽しいお祭りだったと楽しそうに語っていたのがとても印象的だったのだ。
 祭りの名は『霹靂祭り』。
 白落村の記憶を聞けば、必ずといっていいほどその祭りの名が出た。
「それほど印象的なお祭りだったのですね」
 村が沈む前に来てみたかったものですとセレスティはしみじみと頷く。地元で有名なだけのお祭りなのだから、知らなかったとしても仕方はないのだが。
「祭りと神隠し…無関係でしょうか」
 日和はダムを見つめ呟く。
 祭りが神を慰める儀式だというのなら、それがなくなってしまった神様は、悲しんだだろうか。
 それは、分からない。分からないけれど、これだけは分かる。
「本当に綺麗なところ……」
 まさに神の息吹が込められているかのように。
 神隠しという噂が立っていなければ、もっと観光客でいっぱいになっていてもいいはずだ。
 しかし、その神隠しがスパイスになって訪れている観光客もいるようだが。
「もう! どういうことよー!!」
 静寂を楽しむはずの場所で、叫び声が響く。
 一同はこの罰当たりな声に何事かと視線を向けた。
「あら、草間ご一行様じゃない」
 偶然ね。としれっとした顔で長い髪をかきあげて歩み寄ってきたのは藤田・あやこだ。
「もう聞いてよ!」
 だれもどうしたと聞いていないのに、あやこはここへ来た経緯を豪語し始める。
 正直どうでもいいので右から左に聞き流しつつ、本題は依頼人が神隠しにあった10年間の記憶の切れ端を探すこと。
 本当ならばこのダムの周りの山々も国有林として立ち入り禁止なのだが、政人とセレスティの計らいで林の中へも調査へ入れるようになっていた。
 一人心優しくも律儀な日和があやこに捕まり、自分のことが書かれている三面記事を見せられながら、普通の人が聞いたら妄想炸裂と言われても仕方がない生い立ちを聞くも涙、語るも涙という口調で言い聞かされていた。
「それにしても、帰ってきたのは彼一人、彼も余り覚えていないとなりますと、神隠しが起こる切欠等も分かりませんね」
 一人涼しい顔でセレスティは辺りを見回す。
 空は突き抜けるまでの快晴だ。
「当時の調書にも記録が残っていますが、やはり現場100回ですからね」
 現場ではなくキャリアの人間が自らの足で調査を行うことを見るなんて、某大人気港刑事ドラマ並のレア度だ。
 まずはダムとその周辺の調査。洗い出し。
 それぞれが何か妖しいものはないかと調査を始める。
 ぐにゃり。
 ぐにゃり。
「汗、かいてないのに……」
 日和の目の前に広がる陽炎。
「熱射病に体感温度は関係ないわ。何か飲む?」
 乾きを感じたタイミングでの水分補給は遅すぎるのだ。
 シュラインは大き目のウェストポーチから保冷ケースに包んだペットボトルを取り出した。
「ありがとうございます」
 日和は素直にペットボトルを受け取り、喉を潤した。
 ぐにゃり。
 ぐにゃり。
 暑いわけでもないのに、悠宇はつい視覚情報という名の暑さから額をぬぐう。
 特定の誰かだけに起きている現象ではないのか。
「凄い陽炎だな」
 つい感嘆してしまうほどに景色はゆらゆらと揺れている。
 そんな中で、セレスティは一人、軽く瞳を閉じた。ダムの水に働きかけてみる。
 霧でも作れば多少暑さも和らぐだろう。ビバマナスイオン。
 しかし返ってくるのは静寂。
 操れる…ような水ではない。
 もう誰かの支配下に置かれた水。
 幻覚と現実の狭間にたゆたう―――水。
 ぐにゃり。
 ぐにゃり。
「皆何してるの?」
 遊びや酔狂で観光地に着てまで仕事着な人などいやしない。
 あやこは眼をぱちくりとさせてその様を見ていた。

















 タンタタン。
 軽いスキップのステップでシュラインは通りを歩く。
 少し日本人場慣れした顔のシュラインでも、浴衣という衣装は良く似合っている。可愛らしい蝶がプリントされたその浴衣は、軽やかに歩くシュラインのようだ。
「あーもぅ、迷っちゃうなぁ」
 何の出店や露店があるか殆ど理解しているはずなのに、内を食べるかとか何して遊ぶかとかつい迷ってしまうのは、お祭りというものの特性なのかもしれない。
「…でも」
 パタパタと風に遊ばれている『霹靂祭り』とかかれたのぼりが目に入る。
 今日ってお祭りだったっけ…?
 ふと足を止めてシュラインは首を傾げる。
「まぁ…いいか!」
 深く考えることはせずシュラインは走り出す。
 んーと顎に指を一本当てて、空を見つめながら考える。
 さあ何処へ行こう。
 動物頭の店員さんたちが、露店で一生懸命店の商品を作っている姿を目に留めて、走っていた足の速度を緩める。
 そうか、最初から目的を持って歩かなくても、こうして露店をまず見てから決めたっていいのだ。
 シュラインはそう気がつくと、ニコニコ笑顔で露店を眺めながら歩き始める。
 ジュージューと焦げるソースの匂いが美味しそうなお好み焼き。
 クルクルと職人技とも言える動作でくしを操って作るたこ焼き。
 あぁ、表と裏の衣という名の鱗に挟まれたたい焼き。
 どれもほかほかで美味しそうだ。
 どれもこれも食べたいと思いつつ、シュラインははっとして両手を見た。
 浴衣姿なだけで、シュラインは何も持っていない。
 袖の中も合わせた襟の中にも何も無い。
 そう、ハンカチさえも持っていないのだ。
 これでは手が汚れたら綺麗にすることができないではないか。
 手を洗えるような水場の場所も心当たりが無いため、今のところは手が汚れないたい焼きで我慢しておこうと、一度通り過ぎたたい焼きの露店にシュラインは引き返した。
「たい焼き1つ下さいな」
「はいよー」
 そこでシュラインは初めてはっとした。
 ハンカチだけではなく、お金も持っていなかったのだ。
「ご、ごめんなさい。今のは……」
 冷やかしでもなんでもなく、本当にたい焼きが欲しいのだが、先立つものが無い。
 どうしてお祭りだと分かっていたのに、お小遣いを持ってこなかったのだろう。
 シュンと肩を落としたシュラインだったが、熊頭の店員さんはぬいぐるみの熊のように穏やかに微笑んでシュラインにたい焼きをすっと差し出した。
「え?」
 デジャブ。
 こんなこと前にも無かっただろうか。
「御代はいらないんだよ。お祭りだからね」
 シュラインが何に悩んでいたのか分かったのだろう。店員はそう優しく語り掛けるとシュラインの手にたい焼きを手渡した。
「あ…ありがとう」
 手の中にほかほかと広がるぬくもり。
 たい焼きだけではなく、熊頭の店員さんの優しさも加わって尚更ほかほかと感じる。
 ぱくり。と一口頬張る。
 甘すぎないあんこが程よく美味しい。
 シュラインはもう一度店員さんにお礼を言って、別の露店へと駆け出した。
 さすが熊頭の店員さんが作っただけに、その大きさもけっこうなものだったが、食べ盛りのシュラインにしてみればそんなことどうとでもない。
 程なくペロリと平らげて、次はどこへ行こうかとふわりふらり。
「あ…」
 キラキラまるで宝石みたいに輝く露店が見える。
 引き寄せられるようにシュラインはその露店の前に立った。
 長方形のボールの中にザラメがついたまん丸の宝石。
「いらっしゃい」
 声をかけられシュラインははっとしたように顔を上げる。
 目の前のまん丸の宝石のように、まん丸の瞳の店員さんがシュラインに向かって笑っている。
「どんぐり飴だよ。どれが欲しい?」
 コーラ、ラムネ、イチゴ、メロン……。
 いろんな色でいろんな味のどんぐり飴。
 たくさん貰っても食べきれないし、少ないと少ないで後悔しそう。シュラインは考える。
 導き出した答えは、1種類1つずつ。
 まず1つぱくりと口に頬張る。そして、残りをビニール袋に入れてもらって、シュラインはどんぐり飴露店から、またスキップで歩き始めた。
 大きなどんぐり飴はシュラインのほっぺをぽこっと膨らませる。
 シュラインの足がふと止まった。
 視線の先、風鈴の露店の前で立っていたのはシュラインと同い年くらい、13歳くらいの少年。
(あの子……)
 視線を感じ、少年が振り返る。
 きょとんとしていた視線が、シュラインを視界に入れたとたん一瞬強張ったような気がした。
(え、何?)
 が、
「やぁ、シュー」
 少年はにっこりと微笑み、シュラインに近付く。
 シューという呼び名は、されたことがある。
「……ねぇ、元気?」
 誰が、ということはまだ出てこないけれど。おかっぱ頭の女の子の顔が過ぎる。
「うん。元気だよ」
「今日は一緒にいないの?」
「いつも一緒なわけじゃないさ」
 完全に主語が抜けているのに会話が成立する不思議。
「寂しくない?」
「今日はお祭りだよ?」
「そういう意味じゃないの」
「何が言いたいの?」
「何が……」
 喉元まで出掛かっているのに、最後の一押しが出てこない。
 少年はにっこりと笑う。
「楽しんでね、シュー。ずっと―――」
「うん。ありがとう、神時」
 そう言葉を交わして、二人は行き交う。
 不思議に思うけれど、そんな必要はないと思ったから、振り返って確かめることはしなかった。
 少しだけ心の霧が晴れたような気がして、シュラインは気持ちも新たに歩く。
 ピシャン。
 はねる水音。視線を向ければ金魚すくいの露店があった。
 シュラインはにっと笑うと金魚の水槽に近付く。
 黒出目金がひらひらとしっぽを揺らして、まるでシュラインに挑戦するかのように優雅に泳いでいる。そんなひらひら泳ぎが可愛くて、シュラインはくすっと笑ってしまった。
(あの子…すくえるかな)
 よし! と、気合充分。シュラインは顔を上げた。
「すいま―――……」
 言いかけて、止める。
「ん?」
 店員さんが怪訝そうに首を傾げる。
 シュラインは何でもないと、わざと過ぎるほど大きく首を振った。
「………」
 やりたいと思ったけど、このまま持ち帰っても折角の金魚蜂に煙草のヤニがついてしまって台無しになってしまいそうだ。
 流石にそれは見た目も良くないし、なにより金魚の体調にもよくない。
 それ以前に、毎月の生活だってカツカツの状態なのに、金魚のための機材が買えるはずもなく、生殺し状態にしてしまいそうで怖い。
「あれ…?」
 別にそんな家に持って帰ればヤニなんて付かないはずなのに、どうしてそんなヤニが付くような場所が思い浮かんでしまったのか。
 しかもどこか妙に生活くさい。
 お祭りを楽しんでいるはずなのに、ずっとお祭りを楽しめるはずなのに、どうしてこんな事を思ってしまったのだろう。
 金魚はすくって持ち歩いても、死にはしないのに。
 ―――死にはしないのに
「え、待って…」
 どうして自分は今そんなこと思ったの?
 生き物ならば、分け隔てなく命の終わりが訪れるのに。
 金魚蜂にヤニが付いてかわいそうだと思ったから、やめたのに、心に浮かんだ理由は別のもの。
 金魚をすくったって問題ないと認識している自分と、金魚すくいを行った後の金魚の生活を考えている自分と。
 シュラインは頭を抱える。
 思いが、記憶が、感覚が、何故だかぐにゅぐにゅ回っている。
 ヤニが着くような場所に懐かしさを感じるのに、頭の中で誰かが強く叫ぶのだ。
 少女の声音で『遊ぼう』と。
 それはまるで何かを思い出すことを邪魔するように。
 シュラインはただその場に立ち尽くしてしまった。

















 完全とは言い難くとも、それなりに記憶を取り戻した悠宇と政人は、あの時一緒にいた他の3人がいるかもしれないと祭りの中を駆け抜けていた。
「悠宇!」
 聞き知った声が、悠宇の名を呼ぶ。
 少し高い声音だったが、それが誰のものなのか直ぐに分かった。
「日和! やっぱり居たのか」
 元々同年代の悠宇と日和は、この場所でも仲良く同じ年齢の見た目になっていた。
「他に誰か見ませんでしたか?」
 一人高位置にある視線を降ろして、政人は日和に問いかける。
 だが、日和は首をふるふると振って、ごめんなさいと瞳を伏せた。
「後は……」
「シュラインさんとセレスティさんです」
 自分たちが思い出せたのなら、二人が例え思い出していなくても、本当のことを伝えることができる。
「探しましょう」
 政人は身長を活かして辺りを見回す。ほどほどに広い祭りで、特定の誰かを探すのは困難を極める上に、手分けして探しては合流できない可能性も出てくるし、また忘れてしまうかもしれない。
 できるだけ3人一緒に行動したほうがいいだろう。
 二人のうちどちらが探しやすいかといえば、銀の髪のセレスティだ。
 悠宇とは色の質が少々違っているが、同じ銀髪の――現象を思うに――少年を見なかったかと聞けばいい。
 そうと決まれば実行だ。店員さんや、行き交う人を捕まえて、セレスティのような子供を見なかったかと尋ねる。
 すると、
「そんなような子が、歩いてったような気がするなぁ」
 と、それなりに有用そうな情報を手に入れて、教えてくれた方向へと駆け出した。
 道すがら、政人は難しい顔で口を開く。
「ここはダムで沈んだ村の記憶みたいな世界、と考えるべきなのでしょうか」
「どうして沈んだ村って思うんだ?」
 このお祭りがどこで行われていたお祭りかだって分からないのに、政人が確認するように言った言葉に、悠宇は首を傾げる。
「あれですよ」
 そして政人が指を刺したのは、『霹靂祭り』とプリントされたのぼり。
「シュラインさんが言ってましたね。ダムで沈んだ白落村では毎年『霹靂祭り』が行われていたって」
「そうです」
 思い出すように情報を捕捉した日和に、政人は頷いた。
 考えるように口元に手を当てて、
「村人なら他の土地で新しい人生を送れる。だけど、この村自体は同じ時間を繰り返さなければ存在が終わる。だからこの世界を作った。そして我々はそこに迷い込んだ。そういうことなのかもしれません」
「この現象を引き起こしてる本人に聞かなきゃそれは分からないけど、お祭りである必要性ってあるか?」
「それに、神隠しが起こる理由も説明が付きません……」
 政人の予想に正誤を示してくれる声がないため、確かなことは悠宇や日和にも言えないが、それを正解としてしまうにはかみ合わないことがある。
「迷い込むだけにしては、人が多すぎるというのは確かですね…」
 政人は、迷いこんだ人が戻るためには、未来へ生きる決意を固める必要があると思っていた。だが、それには少しずれがありそうにも思う。
「あ、あれ!」
 人の波の隙間。銀色のおかっぱ頭が見える。
「セレスティさん!」
 悠宇が叫んだ。
 銀髪の少年は振り返る。
 息を切らしている3人を見るなり、少年はきょとんと小首をかしげた。
 やはり、忘れたままなのかもしれない。
「帰らないと、いけないのです」
 少年はずっと感じていた気持ちを口にする。それは、3人が自分を知っていると感じたから。
「そうですよ。僕たちは帰らないといけません。セレスティさん」
 政人はセレスティの言葉を肯定するように強く言い放つ。
「あ……」
 何か、声のようなものが邪魔をする。
 帰りたいと思い出せたのに、その続きを別の何かが邪魔をしているのだ。
「とりあえず、シュラインさんも居るはずだ。探そう」
 このままここに固まっていても埒が明かないと踏んだのか、悠宇は険しい顔つきで同意を求める。
 政人は頷き、二人は日和を見た。
「はい」
 勿論日和に他意はない。けれど、
「歩けますか?」
 現実のセレスティは車椅子なため、日和は頭を抱えているセレスティに手を添えて心配そうに覗き込んで尋ねる。
「……大丈夫、です」
 早くは走ったりできないけれど、歩くことに問題はない。
 セレスティは日和に手を引かれ、シュラインを探すため歩きだした。











 一人の少女が人ごみの真中で、不安そうに眼を見開き、頭を抱えて立っていた。
「シュラインさん?」
 声に、少女は顔を上げる。
 綺麗な青色の瞳が微かに濡れていた。
「帰ろうぜ。草間さんも待ってるだろうし」
「くさ…ま……」
 諭すように尋ねた悠宇の声に、少女は小さく繰り返す。
「草間さんですよ? 本当に思い出せませんか」
「分かるわ。ううん、分からない!」
 政人の言葉に、一瞬本来のシュラインらしさのようなものを垣間見たが、すぐさま頭を抱えて首を振る。
「金魚……」
 シュラインの眼が、日和の腕にかかっている金魚に向けられる。
「そうよ……」
 金魚すくいで出目金をすくいたと思ったが、金魚蜂にヤニが付いてしまったり、温度調節が満足に出来なさそうだと諦めたのだ。
 諦めたのだけれど、どうしてヤニが付いてしまうのかが思い出せなくて、どうして金魚がこの祭りでは死なないのかが疑問で。
「ダメ。分からない、分からない!」
 シュラインは頭を抱えて首を振る。
 日和と悠宇は顔を見合わせた。
 本当は分かっている。だが、分かってしまったことを何かに邪魔をされて、混乱ばかりが募る。
 セレスティと同じようにシュラインも頭を抱えてしまった。
 どうして、悠宇・政人・日和の三人と、セレスティ・シュラインの二人ではこんなにも差が出ているのか。
 他に何か原因があるのではないだろうか。
「集まって、何してるの?」
 少年の声音。
 今ならばよく知っているけれど、本当は知らないはずの声音。
「神時くん……」
 神社で政人に声をかけてきた少年。
 何故彼がここに居るのか。いや、彼だってお祭りを楽しんでいるのだから、自分たちを見つけて話しかけてきたとしても不思議ではないのに。
「あなたとの記憶は僕の中で不確定が多すぎます」
 なぜですか?
 元々は警察だという記憶と、神時という友が居る記憶が同等に存在している。
 けれど、友達のはずなのに、彼が何処の誰で、何時知り合ってという、存在しているはずの記憶がないのだ。
 ただ、行き成り神時という名の友達が居たという記憶だけで。
 神時は政人の問いかけににっこりと微笑んだ。
「やっぱり思い出したんだね」
 まだ何かの影響なのか、はっきりとしていないセレスティとシュラインに向けて神時が薄く微笑んで問いかける。
「捨ててしまえば、その頭痛は止むよ」
 びくっと二人の肩が震えた気がした。
「二人をこんなにしたのは、お前か!」
 悠宇は奥歯を噛み締める。
 だが、そんな悠宇の剣幕などしれっと受け流して、神時は微笑んだ。
「だって、二度目なんだよ?」
 きっと、心の奥底でここに来たいと――ここに居たいと、思っていたから、もう一度来たはずだ。
 穏やかな口調ながらも有無を言わせぬ声音で続ける。
「もっと強く埋め込むべきだったね」
 この世界の記憶を。もう二度と元の世界のことを掘り起こせないほどに。
 神時の表情は微笑みのまま崩れない。
 頭の横につけていた狐のお面を正面につける。神時の表情が全く分からない。
「神時!」
 たったと神時の姿を見つけかけてきた女の子。
「…白楽ちゃん」
 日和の口から出た女の子の名前。
「あれ? 皆何してるの?」
 白楽はきょとんと小首をかしげ、何故こんなところに集まっているのか分からずに皆の顔を順に見る。
 困惑している瞳を返されて、白楽は微笑もうとして失敗したような表情で微かに俯く。
「……あ…そっか……」
 白楽はぎゅっと両手で浴衣のはしを握り締める。
「…さよなら、なんだね……」
「いいのかい? 白楽」
「うん。居てほしいけど、苦しいのはダメだもん。だって、お祭りなんだだから」
 白楽の視線が頭を抱えるセレスティとシュラインに向けられる。
 じわりと目じりが潤み、ぐずっと鼻水の音がたてて、白楽はポロポロと大粒の涙を零して泣き出した。
「だから、いいよ……ごめんね、神時。ありがとう」
 彼女と彼が覚えていなくても、神時と白楽は覚えている。
 彼らがこの祭りに来たという記憶を。
 だからこそ、誰よりも強い記憶を植えつけたはずなのに。
 神時はそっと白楽を包み込んで、寂しそうに眉根を寄せると、小さくささやいた。
「……君がそう、望むなら」

 ドン!

 急に暗くなった空に、大輪の花が咲く。
 弾かれるように顔を上げる。
 花火の音と同時に、セレスティとシュラインは頭痛から解放された。
「あ……」
 シュラインは白楽と神時の姿を見て、泣きそうに口元を押さえた。
「白楽ちゃん!」
 自分は一度その手を振り払ったのだ。
 二度も、そんな事をしなければならないなんて。
 また、泣かせてしまうなんて――――
「ごめんなさい。ごめんなさい! それでも私は、あなたと一緒には居られない……」
 白楽はたったとシュラインに駆け寄って、精一杯笑う。
「大丈夫。寂しいけど、お友達はいっぱいいるから」
「それは現実を思い出さなかった人たちですか?」
 どこか引き締まった声音で政人が問いかける。
「違うよ。このお祭りが大好きな人たちだよ」
 白楽は小首を傾げ、きょとんとしたような瞳で答えた。
「あなたは―――」
 尚言い募ろうとした政人を、セレスティが浴衣を引っ張って止める。
「ですが……」
 困惑した瞳で見下ろしたセレスティは、ゆっくりと左右に首を振った。
「前回以上に少し強引でしたね」
 神時はお面をずらし、肩をすくめるようにして微笑んだ。
「君は…ううん。いいや」
 そのまま瞳を伏せ、言いかけた言葉を止める。
「あの……」
 口を開いたのは日和だ。
 神時は首を傾げる。
 神隠しなんてなってしまったけれど、お祭りは確かに楽しくて、元の世界に戻った時覚えていたって構わないような気がして。
「どうしてお祭りなんですか?」
 本当はどうして神隠しなんて起こしているんですかと問いたい。
 この場に訪れたときの神時の言葉は、それを故意に起こしていると読み取れた。
「それが、一番楽しかった記憶だから」
 それに…と、微笑んだ顔が切ない。
「誰だって楽しいほうがいいでしょ?」
 牙をむいたのは悠宇だ。
「だからって、こんなこと許されないだろ。ここへ来た人は、現実じゃ行方不明ってことになってるんだぞ!」
 どんな理由があったとしても、その人が持っているはずの未来を奪うようなことをしてはいけない。
「僕は引き止めなかった。君と、君と…君を」
 示されたのは、悠宇と日和と政人。
 それは思い出したから。
 “本当の自分”を思い出したのならば、これ以上ここには居られない。
「だから僕は…僕たちは、これ以上君たちを引き止めない」
 神時の言葉の中には、思い出したのなら現実に帰ればいいという色が込められている。
 ただ、シュラインとセレスティは二度目だったために、少し強く細工をしてしまったけれど。
 おずおずと日和は尋ねる。
「他の人たちは、帰れないんですか?」
 思い出していない子供たちは。
「帰れるよ。思い出せば」
 全ての答えと道は自分の中にある。
 現実を思い出していない人に帰ろうといったって、帰る場所は“ここ”なのだから意味が通じない。
 それに、現実に何か強い思いがあれば思い出すことは容易なのだ。
 それが起こらないということは、現実にそこまでの思い入れがないということ。
「長話をしちゃったね。白楽」
 名を呼ばれ、白楽は頷く。
「さよなら」
 またね。という言葉はもう言わない。
 背後では大きな花火が夜空を彩っている。

ドーン! ドドーン!

 足元が揺らいだ気がした。
















 なぜか頭が朦朧として、その場に倒れそうになる。
 膝を崩した日和を、同じように崩れそうになりながらも踏ん張って支える悠宇。
 車椅子のままダムを見つめるセレスティや、必要以上にどこか切ない表情のシュライン。
 そして、しばし呆然とした政人が立っていた。
「お前たち何時からそこに!」
 草間の声に全員がはっとして視線を向ける。
 一気に5つの視線を受けた草間は、うっとたたらを踏む。
「何言ってんだよ、最初からここにいただろ」
 余りの草間の対応に悠宇は笑って答える。
「そういえば、陽炎が見えなくなりましたね」
 あんなにも景色が揺らいでいたのに、今はその兆候がまったくない。
「草間さんのほうは進展ありましたか?」
 政人は何気なく問いかける。
「あ…あぁ、さっぱりだ」
 あまりにナチュラルな問われ方だったため、逆に草間がたじろいで、言葉がどもる。
 誰も自分が神隠しにあいましたなんて言うはずがない。
 なぜならば、依頼に来た彼でさえも10年という歳月が過ぎていなければ、神隠しにあったと分からなかったのだ。
「やはり、そうですか」
 その会話を背後で聞きながら、セレスティはダムの水に働きかける。
 ピシャン。
 微かに跳ねる水音。
「……………」
 さっきもここの水は操れただろうか。
 それに、この水はもっと澄んでいたように思える。
「そういえばお前たち昼はどうした?」
 草間の問いかけにシュラインは自分の腕時計を急いで見る。
「いけない! もうこんな時間」
 ダムの周りは店がなにもないため、お弁当を作ってきていたのだ。
 もう殆どおやつ過ぎという時間になりかけているが、まだお弁当は大丈夫だろうか。
「皆、食べる?」
 おずおずと問いかける。
 夏の日の下、放って置かれた弁当を食べるというのは勇気が……
「依頼人は申し訳ないが、帰るぞ」
 現地へ来ては見たものの、何の収穫も手に入れられなかった。
「待ってください草間さん」
「何だ葉月。まだ警察は隠してる情報でも持ってるのか?」
「い…いえ……」
 政人自身もなぜ引き止めてしまったのか分からない。
 けれど、何かあったのだ。
「もしかして、俺たちも神隠しにあってたとか?」
 悠宇は冗談のつもりで口にしたのだが、日和の真剣な眼差しに、あれ? と冷や汗を流す。
「そうかもしれません」
 すっと車椅子を動かしてセレスティは近付き、同意する。
 それは、操れなかったはずの水が操れるようになっていたから。
「でも、その状況を覚えていないのですから、同じですね」
 何も情報が得られていないということと。
「それだったのなら、覚えていたかったわ。とても」
 この切なさの理由が分からなくてシュラインは小さく微笑む。
 すっぽり抜けている数時間の記憶。
 草間は一同の反応にどうしたものかと頭をかく。
「悠宇はけろっとしてるんだな」
 行き成り矢面に立たされ、悠宇はポリポリと頬をかいた。
「だって、一瞬のことっぽいじゃん」
 余りにも一瞬の感覚過ぎて実感が湧かないのだ。
 しんみりとしてしまった空気を感じ、草間は少しだけ声を大きくして宣言する。
「よし、帰るぞ! お前たちが仮に神隠しにあっていたとしても、収穫はゼロだったわけだからな」
 ダムに背を向けて歩き出す。
 陽炎は、見えない場所で揺らめき、澄んだダムの水は1つのさえも波紋も描いていなかった。






























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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳(13歳)/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳(12歳)/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【7061/藤田・あやこ(ふじた・−)/女性/24歳(11歳)/IO2オカルティックサイエンティスト】
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/女性/16歳(10歳)/高校生】
【3525/羽角・悠宇(はすみ・ゆう)/男性/16歳(10歳)/高校生】
【1855/葉月・政人(はづき・まさと)/男性/25歳(15歳)/警視庁超常現象対策本部 対超常現象一課】

※()内は『霹靂祭り』参加年齢です。


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■         ライター通信          ■
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 神隠しにご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 夏祭り部分よりも多少考察系の部分が多くなってしまったような気がしますが、楽しんでいただれれば嬉しいです。
 霹靂祭りと胡蝶でのことを考えまして、ちょっと最後にナイーブな感じになってしまいました。
 霹靂祭りに訪れたのが二度目ということで、他の方よりも思い出すことに対してストッパーが強く働いています。
 それだけ手放したくなくなると考えていただけるとよいかと思います(笑)

 一週間後あたりに胡間絵師の異界ピンの受注が行われます。あわせてよろしくお願いします。

 それではまた、シュライン様に出会えることを祈って……