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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『アムリタ浴衣着付教室』


『アムリタ』の扉を開けた常連客は驚いて入り口で立ち止まった。いつもは赤いサリーをまとうインド娘・ウエイトレスのシャクティが、藍地の浴衣を着ていたからだ。
 ほおずきの朱の効いたその浴衣は、シャクティの華やかな顔立ちによく似合った。
「いらっしゃいませなの〜」
「カレー屋に浴衣?」と常連が首を傾げると、シャクティは「キャンペーンなの〜」と壁のポスターを指さした。浴衣姿の若い男女のイラストの上に、『夏だ!浴衣だ!』という大きな文字が走り、その横に明らかに手で書き加えた『カレーだ!』という文字が連なっていた。
 浴衣で来店の客には飲物がサービスになるそうだ。

「浴衣を自分で着られないヒトには、シャクティが教えてあげるのなの!」
 日本で生まれ育ったシャクティ。下手な日本人ギャルより和に通じた娘であった。
「やってみると、意外に簡単なの〜。
 定休日に、集まって着る練習するなの。いかが?」

 * * *

 野菜をザルに並べて売る八百屋の店先からは、トウモロコシを焼くいい香りがした。コロッケを揚げる肉屋、窓を全開にして炭火で焼く焼きとり屋。この通りは美味しい匂いで満ちている。泰山府君・−(たいざんふくん・−)は鼻孔を広げて商店街の匂いを感じ取った。
 だが、戸に板を打ちつけた店も見かけた。店を辞めてしまったのだ。買い物をするのも売る方の人も、老人や年配の者が多い。『さびれた商店街』と、カレー屋のシャクティが言っていた。浴衣キャンペーンは、町おこしの意味合いもあるのだとか。
 泰山府君とすれ違う老人らは、あんぐり口を開けて立ち止まったり、目をしばたかせたりという大袈裟な反応を見せた。中華風の服に甲冑をまとうその姿は、確かに商店街でそう見かけるファッションではない。だが、彼らが立ち止まる理由はそれだけではない。泰山府君の気高く凛とした美しさに驚くからだ。きりりと頭の上で縛られた黒髪は柳の枝のようになびき、緑の瞳は闇も光も見透かす深さを持つ。

「御免。参った」
 泰山府君がドアを押して挨拶する声と同時に、扉の鈴の音がカラカラと鳴った。今日は定休日だがシャッターが上がり、「アムリタ浴衣着付教室」のボードが掛かっていた。
「いらっしゃいなの〜」
 シャクティが笑顔で出迎えた。今日の彼女は浴衣ではなく、Tシャツにショートパンツという動きやすそうな格好だ。既に床にはゴザが敷かれ、姿見が準備されていた。
「あのね、一つ謝ることがあるなの。お教室、人が集まらなくて。泰山府君ちゃんだけだと寂しいと思って、うちのバクティ姉ちゃんも参加することになったなの。この機会に覚えたいって言うから」
「我は構わんぞ」
 バクティは上の姉でこの店のコックだそうだ。
「では、宜しく頼む。おお、これが我の為の浴衣か」
 ゴザの上に畳んで置かれた藍地の布に歩み寄ろうとして、「ダメなのっ!」とシャクティに叱られた。
「履物はゴザに上がる前に脱いでなの!」
「これは失礼した」
 泰山府君は履物と臑当てを外し、ついでに甲冑も外して楽な姿になった。
「泰山府君ちゃんはボーイッシュだから、男物の浴衣を用意したなの!きっと似合うなの」
 シャクティが広げて見せたそれは、藍色に白抜きで鎖のような模様が描かれている。
「これは『吉原つなぎ』って言う文様なの。粋でしょ?」
 バクティの物は白地に黒で柳の枝と燕が描かれてある。どちらの浴衣も、街でよく見かける、ピンクや黄色の花柄の物とは雰囲気が全く違っていた。
「バクティ殿の浴衣は女物なのか?我の物に似て、地味に見えるのだが」
「男物と女物は、柄で見分けるんじゃなくて、形が違うんだよ」と、バクティが女物を広げて見せてくれた。泰山府君にあてがわれた男物浴衣は袖が身頃にくっついている。女物は袖が離れていて、脇が開いていた。

 泰山府君は下着だけは用意するよう言われ、浴衣下なるものを購入してきた。
「ほんとは和装ブラをした方が着姿は綺麗なんだけど。スポーツブラでも大丈夫なの。ワイヤー入りブラはNGなの」
「・・・ブラとは、何だ?」
 ということで、泰山府君は手拭いの両端に紐を付けたもので胸を巻くことになった。汗取りと帯の滑り止めも兼ね、ウエストにもタオルを巻いた。薄手のスポーツタオルで腰下までタオルが覆う。男浴衣は腰で帯を結ぶので、腰にタオルがあると帯が決まるのだと言う。
「女性の場合は、ウエストにフェイスタオルなの」
 タオルにも紐がついていた。結び目は作らず、当たっても痛くないよう二重に交差させるだけだ。
「解けぬのか?」
「二回絡めたでしょ」
 バクティの方は、鎧のような下着を装着していた(これが和装ブラらしい)。その上から浴衣下を着用した。泰山府君もそれを真似て、肩から布をかけるようにしてまとう。
「そうそう、上手。肩から着るの。肩に羽織ってから下向きに腕を通す。これは浴衣も同じなの〜」
 かぶりタイプの浴衣下もあるが、これは打合せ式で、脇を紐で縛る。
 そして、いよいよ浴衣を着る。
「姉ちゃんは女物だから、掛け襟に襟芯を入れるなの。綺麗に衣紋が抜けるなのよ」
 バクティは襟の途中の縫い目のような部分から、細長いセルロイドの板を差し込んだ。これは和紙やカレンダーの紙を折って代用もできる。元々は着物を着る時に長襦袢の襟に入れる小物なのだとか。
「我は良いのか?」
「男物は襟を抜かないなの」
「襟を抜く?」
「首の後ろを広く開けるコトよなの。女性は拳一つ分開けるの。これをしていないと、女性の浴衣姿は美しくも何ともないなのね。そして男物は襟は首にきっちりつける。凛々しくてステキなの」
 女物でも、髪を上げていない場合や、男っぽい色柄の場合、抜く量を減らした方がお洒落な場合もあるとか。

 浴衣の真ん中、襟の中心を右手で持ち、左手で両方の掛け襟をなぞり、下着の時と同じように肩から羽織って腕を通す。両手を伸ばして袖先を摘んで引くと、背中心がきちんと背中の真ん中へと来る。
「バクティ殿の浴衣は長すぎないか?」
 バクティの方は、ゴザに裾がついて20センチ程も引きずる長さだ。泰山府君の方は裾が踝位までなのだが。
「女性はおはしょりを作るなの。おはしょりがあるから、浴衣の丈が多少長くても短くても調整できるなの。
 男物の方は、対丈と言っておはしょり無しで着るなの。身長にきちんと合ってないとダメなの。だから事前に身長を聞いたなの」
「そうか。男物は簡単でよかった」と泰山府君が裾線を合わせて腰紐で縛り終わった瞬間、隣のバクティに向かって「左前は死人なのっ!」とシャクティの叱咤が飛ぶ。
「これが左前?だが右側の布が前にきちんと出ているよ?」
 姉は不服そうに眉を寄せた。
「自分の体に対して『右が手前』なの。右側の部分が体に近いなの。右手が懐に入るようにと覚えるといいなの。
 左前は死んだ人に着せる着物なの。洋服は男女で前合わせが違うけど、着物は男女とも同じ。これも結構知らない人がいるなの。
 左前に着るなんて、日本人として恥ずかしいなのよっ」
「あたしらは日本人じゃなくてインド人だけどね」
 バクティは唇を尖らせてやり直しをした。
 泰山府君の方は驚くほど簡単だ。シャクティの前で三度やって見せて合格を貰った。
 女性は紐はウエストで結ぶが、男物は腰で縛る。女性が男物浴衣を着る場合、胸元がはだけることがあるので、「衿留め」というピンを使う。
「これはホントは着物で男性が長襦袢に使う物なの。でも浴衣にも使えるなのよ」
 S字形のピンを衿の裏側から差し込み、衿合わせを固定させる。
「まこと、これで胸元は開かぬ。小さいのにあっぱれなピンよのう」
 泰山府君はスレンダーな体型で、巨乳でないのも幸いした。最初にきちんとバストを抑え、ウエストにタオルを巻いて寸胴を作ったので、きっちりと綺麗な着姿となった。
 バクティの方はおはしょりを着物の中で畳んで処理するのに苦戦している。腹周りの布がくしゃくしゃになる。
「お姉ちゃん。腹が出てるのを、おはしょりのせいにしようとしてるなの?」
「だまれーーーっ!」
 
 男物浴衣は角帯か兵児帯になる。
「柔らかい雰囲気も残したいし、兵児帯にするなの。後ろで蝶々結びするだけで簡単なのね」
 成人男性用の兵児帯は、泰山府君のウエストでは3周りしてしまう。兵児帯だけは女性用、シャクティの私物だ。赤みのある茶に白いドットの入った布はオーガンジー。藍地の浴衣に茶の帯は渋くて地味だが、泰山府君の顔立ちが美形なので、かえってその美しさが際立った。鏡に映る姿は、若き美剣士の風情があった。
 帯は市販のものでなく、シャクティが作ったのだそうだ。
「作った?なんと!」
「帯は真っ直ぐ縫うだけだから、簡単なの。姉に貸した半巾帯も自作なの」
 バクティは何とかおはしょりを整え、胸紐を結んで伊達締めをきりりと結んだ。女性は帯板を挟んで帯を結ぶ。帯は紺と浅葱色のデニムのリバーシブルだった。
「洋服生地屋さんで買って、切ってミシンで縫っただけなの。デニムだと芯も入れなくていいなの」
 バクティは貝の口結びを教わった。
「なんか可愛くない。文庫結びがいいんだけど」
「若い子ならともかく、お姉ちゃんの歳ならこっちの方がいいなの」
「・・・若くなくて悪かったわね」
 
 着付けが完成したところを、シャクティがデジカメで写真に撮ってくれた。
「体、少し斜めに向くなの。ああ、手が硬いなの。コレでも握ってみて」
 雷神の絵の団扇を渡された。なるほど、これなら自然なポーズになる。
 正面の姿を一枚撮ると、「後ろを向くなの」と言われ、泰山府君は首を傾げた。
「写真という物は知っておるぞ。後ろを向けとは解せぬ」
「着物や浴衣は帯も撮るなの。後ろ姿も残しておくといいなのよ」
「そういうものか」
 浴衣のあれこれについては驚くことも多かった。そして、手首まで覆い、裾もドレス並に長いこの衣服が、さらりと肌に心地よくて涼しく感じることも意外だった。
「2ポーズを編集して一枚にしてプレゼントするなのね。カレーを食べに来た時に渡すなの。その時は今日習ったのを生かして、自分で着て来るなのよ」
 ・・・そうだった。目的は『浴衣でカレー』なのだ。ドリンクがサービスなのだった。
「他に応募者もいなかったし、その浴衣と帯は、ひと夏、泰山府君ちゃんに貸すなのよ。下駄も貸すから、着て帰っていいの。がんばって練習してね」

「今日は店は定休日だから、三人で焼鳥屋にでも行こうか?」
 バクティの提案に、先刻の炭火焼きの煙の香ばしさが思い出された。ぐうと腹が鳴り、「了解した」と頷く。
「待って、だったらあたしも浴衣で行くなの!」
 シャクティも夏の間のユニフォームとなっている藍地のほおずき柄の浴衣に着替える。Tシャツは首周りの広いカットソーなのでそのまま羽織り、三分ほどで着てしまった。あまりの早業に泰山府君は唖然とする。朱色の帯を前で姉様結びにすると、しゅっと後ろへ回して瞬時に形を整えた。
「こんなに早く着れるものなのか」
「慣れなの〜。泰山府君ちゃんも、練習すれば早くなるなの。特に男浴衣は早く着れるなのよ」
「そうか」と、拳を握りしめる。練習する気満々である。

 そして十日後。みごとに自力で浴衣を着た泰山府君が『アムリタ』を訪れ、シャクティや他の客達からも喝采を浴びた。
 サービスのソルトラッシーと先日の写真もゲットした。
 だが、チキンカレーよりラッシーより、『浴衣には焼き鳥と生ビールであろう』と思う泰山府君だった。
『シャクティ殿には口が裂けても言えぬが』と、ストローをくわえて苦笑した。


< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

3415/泰山府君・−(たざんふくん−)/女性/999/退魔宝刀守護神
NPC
シャクティ・ヨーギー
バクティ・ヨーギー

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
私の力不足で他に参加者がいらっしゃらなかったので、お一人での記念写真となってしまいました。すみません。
着付けや浴衣周りのあれこれ、楽しんでいただけたでしょうか。
私も、浴衣を着てこの作品を執筆しました。夏は浴衣が落ち着きます。