コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


己を失う夢に、沈む

ぐにゃり、と視界が歪んだ。
「あ」と声をあげる間もなく、あたしは、全身を走る悪寒に目を見開いた。
自分と、肌に纏う重力との間に歪みが生まれる。
その中に引き込まれそうになる。周りの歪みは、妖しくゆらゆらと光り出す。
それを払おうと振り上げた右手は、光の中に絡め取られた。
分子レベルで、誰かがあたしに干渉している。そう思った。
それは確信に変わる。光に捕らわれていた手が、ゆっくりと形を変えたのだ。
指と指の隙間に光が入り込むと、やがて掌全体が硬質なそれに姿を変える。
蹄、だ。
戸惑いと恐れに、鼓動ばかりが速くなる。
そんなあたしに構わず、身体は変化を続けていった。
薄桃色の毛が上から下へ、走るように生え揃う。
身動きの取れないあたしは、それをただ見つめることしかできない。
光は左手や足にまで伸びていく。
するとすぐに、光に包まれた辺りがじくじくと、内から外から熱くなる。
「人としての感覚」が切り離され、異質な個体に押し込められていくのだ。
そう、それはどこか他人ごとのように思えた。
違和感・嫌悪感・そして恐怖の全て、確かに自分で感じているはずなのに。
それから徐々に感覚が狂い、開いているはずの目に何も映らなくなった。
何も聞こえなく、何も感じなくなった。
五感全てがリセットされるこの感覚に、あたしは覚えがある。

「まただ」

あの時は、「それ」があってすぐ気を失っていたので、
こうして変化する――子豚に姿を変える瞬間を、あたしは忘れていたのだ。
けれど確かに、その感覚は記憶に焼き付いていた。
覚えていたくなどないのだけれど。
一方で、あたしは別の違和感も感じていた。
あの時のように、人としてのあたしは子豚の身体へと押し込められ、自由は封じられた。
そしてそれを今、あたしは何故か客観的に見つめている。
全身を包む違和感が大分と落ち着いたころで目を開けると、そこにはあたしがいた。
子豚になった、あたし。
ショーウインドウに映る、変わり果てた自分の姿に戸惑うあたしの姿を、あたしは少し上から見下ろしている。
雑踏の中、人の膝丈よりも小さな子豚の身体は、時折蹴り飛ばされそうになったりして、慌ただしくちょこまか動いて逃げている。
「あ」と思って、手を伸ばそうとしたあたしの身体は、子豚に届く寸前に空に溶けた。
え、とあたしは息をのむ。子豚のあたしは、何も気づかない。
あれは過去のあたし? 
おじいさんに呪いをかけられ、子豚になったあたし。
さっき感じた感覚はそのリプレイだったのか、するとこれは、ただの夢? 
あれほどまでに鮮明に、蘇った悪夢が全て夢だったとは思い難い。
だけどあの日、おじいさんは死んでしまったのだ。
呪いであたしを縛るひとはもういない。
それではこの違和感は誰の仕業。

「こんなところにいたのか!」

男の野太い声が響き渡った。
瞬間、あの時感じた恐怖が蘇り、あたしは身を縮こませる。
見ると、子豚も同じように、もしくはそれ以上に怯えた様子でぶるぶると震えている。
そして男が近づくと、子豚は一目散に逃げ出した。
あたしは慌てて追いかける。
男はすごいスピードで子豚を追っていた。
危ない、駄目、捕まったら……。


その時、風が吹いて、宙に漂うあたしの意識体は一気に舞上げられる。
視界が白く霞み、耳の奥からあたしを呼ぶ声がする。
お母さんの声だ。
もう朝なんだ。夢が覚める瞬間なんだ。
やっぱりこれはただの夢なのだろうか。

「こっちだ!」

あたしがそう思った瞬間、脳に声が響く。
おじいさんの声だ。
そう気づいたとき、あたしの視界は完全に白く閉ざされる。
そして、気づいた。
あたしは、悔やんでいるのだ。
もっとちゃんと、救えたはずの魂。
何もしなかった、出来なかった自分。
助けてくれた優しさに、あたしはどれだけ応えられたというのだろう。


呼び声に引き寄せられるようにして目を覚ます、その瞬間、あたしは全てを理解した。
この悪夢を見せたのは、あたし自身だ。