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猫目石が囁く夜
真帆が一日を終え自宅へと帰る頃、既に外は真っ暗になっていた。今夜はどうやら満月らしく、力のある満ちた月が浮かんでいる。
「……?」
トン、と何かが足先に当たり真帆は足を止める。
拾い上げてみると、つるりとした冷たい石の手触り。蜂蜜色をしていて、猫のような目の文様が出ている。どこから転がってきたのだろうと前方に視線を向けると、その先にいたのは……猫。
それも一匹や二匹ではない。古今東西、色や種を問わず様々な猫が集まり、何やら蚤の市でも開かれているような雰囲気だ。物々交換に情報交換と、実に様々なものが取引されている。
「これなんてどうでしょう。職人が丹精込めて作った鰹節ですよ」
「良いじゃーないか。月の鈴二つと交換しようじゃねぇか」
「最近荒れてるぞ。東の縄張りは今誰が守ってンだ?」
「あぁ、それならあっちの灰爺に聞きな。今機嫌が良いから、甘酒一瓶で何だって教えてくれるぜ」
「おや……迷い込んじまったかい。珍しいね、お客人とは」
戸惑う真帆に声をかけてきたのは、艶やかな毛並みを持つ黒猫だ。
飼い主の存在を示す首輪は無い。野良猫だろうか。
「まぁ、見てお行き。もしかしたら欲しいものが見つかるかもしれないよ。……代価さえ払えば譲ってくれるだろうさ。此処はそういう場所だからね」
そう言って、黒猫は紫色の目を細めて笑った。
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「今日はお祭りでもあるんですか」
声をかけてきた黒猫の目線に合わせ、真帆は身を屈める。
辺りにいるのは猫ばかり、辺りに視線を巡らせてみても同じ人間は一人もいない。軽く頬を抓ってみる。鈍い痛み。それは確かに此処が現実なのだと教えてくれるが、どうにも信じがたい。
今夜は満月、空には力のある月が浮かんでいる。
「あぁ。月が満ちた夜に集まって市を開くのさ。飲み食いして大騒ぎしたりね。……おや、お前さん。良いものを持っているじゃないか。ちょいと見せてご覧」
ふと気がつくと、ポケットに入れていた星くず金平糖が仄かな熱を持っている。取り出してみると、淡い光に包まれ輝いていた。
「なるほど。猫目石と、その菓子の力が……お前さんを此処へ導いてくれたってわけだ。場を荒そうっていう人間なら追い返してやるところだけど、これなら話は別だ。歓迎するよ、真帆」
お祭りといえば浴衣。自分が着ている制服と金平糖を見比べ、真帆は思い切って金平糖を口の中に放り込んだ。甘い味が舌の上に広がり、熱でゆっくりと溶けていく。待ち切れなくなって噛み砕くと、しゃり、と独特の食感。
真帆は願う。一夜の夢を。祭りをもっともっと楽しく過ごしたい、制服より可愛い浴衣。こく、と金平糖の欠片を飲み込み、目を閉じて握った手を胸に当てる。道具や呪文の助けも無しに、想いだけで魔法を使うのは決して簡単なことではない。並の人間なら、服装を変える為にも魔法具と呪文の詠唱、そして精神の集中を必要とするだろう。けれど真帆は酷く楽しそうに、数秒後に起こる奇跡を信じて疑わない。この程度の小さな魔法なら、言霊さえ必要無いらしい。
「――……まだ小さくても魔女だねぇ。信じる心が奇跡を起こす。……何とまあ、良い顔をするじゃないか」
ぽつり、と場を眺めていた黒猫が感慨深く独り言を零す。
真帆が目を開けると、水色の布地に淡い紅色の花が描かれた浴衣に身を包まれていた。手には梅鼠色の巾着、すっかり夏の装いだ。
一人と一匹は、連れ立って市を見てまわることにした。
何処かで見たことがあるような猫もいて、そんな猫が威勢良く品物を売る姿は微笑ましくもある。いつもは屋根の上でのんびり昼寝しているだけなのに、と。
定番の白くふわふわした綿飴、薄荷水、スルメに林檎飴。駄菓子屋で売っているような一昔前の食べ物が多く、まだ二十年と生きていない真帆にとっては新鮮に感じた。
「おや、真帆。ちょっと待っておくれ。……泣いているようだね。声が聞こえないかい」
真帆について歩いていた黒猫がふと足を止め、ぴくりと耳を動かす。
何処からだろう。耳を澄ませて意識を集中させてみると、確かにそんな声がする。か細くて今にも途切れてしまいそうな、必死に誰かを呼ぶ声。
「うん、……そうですね。子供みたい。――ここあ、すふれ。お願い」
主の呼び声に応え、黒と白のうさぎが姿を現す。こく、と頷くとそれぞれ違う方向に走っていく。この場所は広く、人々や笛の音に紛れて泣き声が良く聞こえない。使い魔である彼らなら、きっと探し出してくれるだろうと真帆は信じ、少しの間待つことにした。
「……ありがとう、あっちの方ですね。私、ちょっと行ってみます……!」
祭りはとても賑やかだけど、独りでいたらきっと心細くなってしまう。それが子供なら尚更。幼い頃、真帆にも似たような記憶があった。逸れてしまって、広い世界に一人ぼっち。何処から来たのかも分からず、一緒に来た優しい両親を探す。あの時の不安を覚えているからこそ、迷い子を放ってはおけなかった。
ここあとすふれに導かれ、真帆と黒猫は祭りの片隅にある大きな木の下にたどり着いた。
雪のような白く小さな猫が、木の下で泣いていた。母猫と逸れたのだろう、真帆が近付いていくと怖がるように身を竦ませた。
「あらら、猫さんの世界も一緒なんですね。……だいじょうぶ? 泣かないで、ね?」
そっと差し出された指先と真帆の顔を見比べていた子猫は、しばらくするとその指に擦り寄ってきた。敵意がないことを感じ取ったのだろう。
「お前さんの使い魔は優秀だねぇ。アタシでさえ、この喧騒が邪魔して正確な方向を知るのに手間取ったってのに。……やれやれ、年には勝てないか。それで、どうするつもりだい」
黒猫は意味ありげな顔で真帆を見上げる。どうするつもりなのか、と。
「お母さんを探します。きっと、心配してるでしょうから。……あの、手伝って……貰えませんか。この子も早くお母さんに会いたいと思うんです。だから、」
「アタシはそんなに意地悪じゃーないよ。お前さんならそうするだろうって思ってた。一応聞いてみただけ。……お人よしだって言われないかい」
真帆がそうすると、最初から分かっていたような言い方だった。黒猫は先に立って歩き出し、母親らしい影を探し始める。子猫はといえば、真帆の腕の中がすっかり気に入った様子で、すやすやと眠り始めた。泣き疲れていたのかもしれない。
母親を見つけるのは考えていたより難しくはなかった。
市で店を開いている主人たちに尋ねてみると、その行方を掴むことが出来た。
一緒に見てまわっていたは良いものの、子猫があちらこちらへと興味津々で走り回るものだから、いつしか逸れてしまったらしい。
「本当に、ありがとうございました。市が終わるまでに見つからなかったらどうしようかと。……魔女様の未来に幸運がありますように。これはほんのお礼にございます。お役に立てば幸い」
「いえいえ。見つかって何よりです。そんな、嬉しいですがまだ見習いで……」
「生まれながらの魔女など何処にいましょうか。この子もいつか大人になるように、貴方様もいつかご立派に成長されるでしょう」
母親は何度もお礼を言って、目を覚ました子猫と一緒に人込みに紛れていった。
礼にと渡されたのはブリキで出来たらしい小さな缶。見た目は缶ジュースのようで、上に引き抜けるようなピンが一つ。そして表面にはファンシーな猫の絵が描かれていて、極めつけに「猫騙し」と小さく刻印がある。
「おやおや、面白いモノじゃないか。俗にいう閃光弾さ。機会があったら使ってみると良いよ」
猫騙し、と刻まれた缶を見て黒猫は一瞬驚いたような顔をするが、それ以上は何もいわなかった。
■
月が高く昇り、賑やかだった店も幾つか帰り支度を始めた。夜明けには皆帰ってしまうのだと真帆はぼんやりと思う。
たこ焼きにカキ氷。くじは外れてしまったけれど、金魚すくいは上手くできた。
黒猫に連れられて、来た時と同じ場所まで戻ってくる。真帆には、此処が境界線だろうと見当がついた。あちらと此方と、言葉では上手くいえないまでも空気が違うと肌で感じる。
「此処は現実と夢の狭間、猫の他はそう簡単に入れる場所じゃない。……また会えるといいね、真帆。今夜はとても楽しかったよ」
「私も。……そうですね。またいつか。今度は射的、負けませんから」
別れの挨拶は短く、しかし互いの間に流れる優しい夜風が寂しく思う心をそっと撫でていく。
次に真帆が目覚めると、そこは自室のベッドの中。
傍らには市で見たのと同じ、濃灰色の缶。デフォルメされた猫が、楽しそうに笑っていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【6458/樋口・真帆/女性/17歳/高校生/見習い魔女】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。
長くお待たせして申し訳ございません。
黒猫との邂逅、如何でしたでしょうか。職業に見習い魔女とありましたので、その設定も織り込ませて頂きました。
真帆様が一人前の可愛らしい魔女になることを祈りつつ、失礼致します。
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