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メザニーンの闇ノ中 Part.7
通りかかった私は、保健室を覗いた。
大好きな先生。私を抱いてくれたあの人。あの人も私を好きだと言った。願いは叶った。
何してるのかなと好奇心で、ドアの隙間を凝視する。いきなり入るよりは、こうして様子見をして驚かせてやろうかと思ったのだ。
だが。
裏切りに彼女は思わずのけぞってドアから離れた。
見えた。直接ではないが、足が。女生徒の足と、先生の白衣。
きびすを返して走り出す私に、彼は玄関でいつものように待っていた。鬱陶しいとどこかで思っていたのに、その時は嬉しくて涙が流れた。優しくしないで欲しかった。
彼と付き合うことにしても、先生を忘れられなかった。調べていくうちに先生は様々な女生徒と関係を持っていることに気づいた。
問い詰めると先生は平然として言った。これは「治療だ」と。
私の心の奥底にあるどろどろした感情が爆発した。その日、先生を待ち伏せして、殺した。大きなスコップを両手で振り上げて、後ろから側頭部を殴った。
先生は横転し、うめいた。私はそれを見下ろした。
――裏切りもの。
許さない。
私はスコップを何度も先生の頭に振り下ろした。
うらぎりもの。
スコップから伝わる鈍い音。
先生がなにか言っていた。でも聞こえない。私は笑っていた。泣いていた。
気づけば私の制服や顔には先生の血が点々とついていた。あぁ、やっちゃった。
どうしよう。このまま放置して帰るわけにはいかない。女の私の力では、先生を運ぶにはちょっと重い。
突然肩に手を置かれて私は驚きと恐怖でその場に凍りついた。誰かに見られた……。
声をかけられてゆっくり振り向く。彼が立っていた。心配そうな目でこちらを見ている。
私の終わりは唐突だった。
先生を殺しても私の心は晴れず、いつまでも先生を好きだった。どうかしていると思う。
そんな私の首を彼が絞めた。
彼は泣いていた。
ごめんね。
そんなに辛かったんだね。
でも、私…………先生が好きなの。
*
「というのが、ことの全貌だ」
「いや、それ俺のセリフだっての……」
堂々と言い放った欠月に梧北斗は思わずツッコむ。
北斗が経験したものは全て、その少女のものだ。目の前に立つこの男にあの少女は殺された。
少女が保健医を殺し、遺体を二人で隠した。処分したと言ったほうが正しいだろう。そして青年はその後で少女を殺した。
「いいじゃん。どっちが言っても同じことだし」
「だからなんでおまえってそんな偉そうなの……?」
もうやだ。がっくりと肩を落とした北斗は正面に居る青年を見据える。
「気持ちは、わかるぜ。だからもうやめよう、こんなこと」
「そういうこと言うなって前も言ったような気がするんだけど。同情するのってよくないよ」
「なんでそうやって気持ちが挫けるようなこと言うんだよ、欠月は!」
「現実的と言ってほしいな」
肩をすくめる欠月は動かない青年を見遣った。
「というわけで、悪いけどキミの彼女を始末させてもらおうかな」
<……許さない>
「だってさ、北斗」
「こっちに話を振るな!」
「ボク、北斗を助けるので疲れちゃったんだよね〜。あ〜、肩凝った〜」
そう言って欠月はのろのろときびすを返して歩き出した。彼は手をひらひらと振ってくる。
「あとは任せた。がんばって」
「お、おい……!」
「この仕事、北斗のなんでしょ?」
その言葉に北斗は伸ばしかけた手を引っ込めた。そうだ。この仕事は自分のものなのだ。
だったら――。
(俺がやるしかない)
向き直った先にはスコップを持つ男。あぁ、そうだ。夢の中の彼女もこういう目をしていた。
自分の気持ちが伝わらなくて、辛くて。それでも甲斐甲斐しく献身的に一緒に居てくれた。
(……うぅ、やだなぁ)
仕事は仕事と割り切れるが、夢の中での出来事が強く北斗に響く。だって、俺だって人間だもん。
(好きな子がずっと別の男をみてたら、キツいってわかっちゃうもんな)
さらにあんな衝撃的なシーンを……知っていたら。知っているだけでもかなり堪える。
でもこんな役目を欠月に押し付けるわけにはいかない。欠月任せではいけない。
「悪いな。おまえたちが居ると、まずいんだ」
*
校舎の玄関では先ほど見た女生徒のほうが居た。不安げな眼差しで欠月を見ている。
「……そんな目で見られてもね。ボク、恋心とかそういうのわかんないし、同情誘ったってムダだよ」
冷たい欠月の言葉に彼女は首を横に振った。
「あ、そ。わかってんなら別にいいけど。しかし厄介だね、あの彼氏も。あの男のせいでキミもここに居るんだろ?」
縛り付けられている。ずっと。
少女は俯くがそれでも何も言わずにいた。後頭部を軽く掻く欠月は渋い顔をする。
(しまったな。こっちのほうが北斗向きだ。あっちにすりゃよかった)
「……あの男の子はさ、入ってきたヤツを外に出さないだけだ。取り込み、外に出さないのが彼の役目。取り込んだ人間はキミに同調しちゃう。だってキミも一部だから」
ちがう?
という問いかけに少女は首を横に振った。欠月の意見を肯定したのだ。
そう、彼女もこの学校にずっとこびりついている。悪影響を及ぼす要因のひとつとして、成り下がっているのだ。
「キミは一途だった。一途に想った。悪いことじゃないさ」
慰めではない。ただの事実を欠月は告げる。だが、面倒そうに右手を振り上げた。手には漆黒の刀が握られている。
「でも相手を殺そうなんて、北斗はしないよ。だから、やっぱ消えて」
振り下ろした刀によって、少女は両断された。悲鳴もあげられずに強制的に消滅させられた。
ひとは欠月の行動を冷酷と言うだろう。だが欠月には罪悪感など欠片もない。
「さーてと、北斗が終わるまで外で待っててやるか」
*
北斗は弓をおろした。
襲ってきた青年の胸には何もない。だが、穿たれた痕跡がある。
青年はそのまま消滅した。
手に持つ氷月が重く感じる。
「…………はぁ」
息を吐き出して北斗は玄関に向けて歩き出した。
自分もいつかああなってしまうのだろうか。大好きな人に裏切られたら……。
「なるわけないじゃん」
さらりと言う欠月と、電車を待っている。朝一番の始発で帰ることにしたのだ。
なんだかんだと時間がかかった。無人の駅のベンチに座る北斗は、隣の欠月に問いかけたのだ。そして、この答え。
「わかんねーだろ? 俺だってすっげーショックなことがあったらなるかもしれないし」
「ないない。北斗って単純単細胞で、意外に繊細だからさ」
「……それ、褒めてないだろ」
「褒めてるなんて一言も言ってないけど」
北斗は嘆息した。どうしてこう、こいつは口が悪いんだろう。思いやりをもっと持て。顔が良くてもやっぱダメだ。
「北斗だったらさ、たぶん身を引くんじゃない?」
「ん?」
「だからぁ、相手のことを考えるでしょ。幸せになって欲しいって。でも自分の気持ちも誤魔化せなくて葛藤しちゃうわけだ。
あ〜、俺も好きなのに〜。でも仕方ねーよな。う〜、でも辛い〜。
その繰り返しだと思うけど」
「……やだなぁ、それ」
でもやりそう。
欠月の素っ気無さに小さく笑った。彼がこちらを見てくる。
「ん? いや、おまえって俺のことよくみてんだなぁって」
「そりゃ、面白いからね」
なんだか嘘くさい口調だったので、もしかして照れてるのかなと北斗は思った。
男二人でこんな駅で待つなんて、なんか青春、だよな。うん。
夜明けまでまだかなりあるので、北斗はきょろきょろと周囲を見回す。
「朝一番て何時? って寝るなよ欠月!」
「いいじゃん。ボク疲れた。誰かさんのせいですげー労働したし」
「え〜?」
静かな駅に、北斗の情けない声が響いたが、欠月は聞き入れずに瞼を閉じてしまった。
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