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とおりゃんせ ―前編―
じじじ、というノイズ音の後に響いてくるのは『通りゃんせ』。
流れてくるのはあるラジオからだ。古めかしいレトロなラジオから、勝手に流れてくる童謡。
気味が悪くなって、買ってきた男は枕をかぶって布団の中に潜り込んだ。あぁ、今日も聞こえる。
*
お気に入りの、せっかく手に入れたラジオの薄気味悪さに男は寝不足に陥っていた。
手放せばいいことなのだろうか? それで難を逃れられるのだろうか?
そう思っていたら今度は妙な夢をみるようになった。背後を気にしてばかりの夢だ。
何かを恐れて何度も振り向く。いや、振り向くのが怖いからそうしないように心がけている夢だった。
怖くなった男は知人から聞いた草間興信所へと足を運んだ。
入ってすぐに「大丈夫だろうか」と不安になる。繁盛しているようには見えない。
まぁいい。なるようにしかならないだろう。
***
とおりゃんせ、とおりゃんせ。
ここはどこの細道じゃ。
*
スイカを持って草間興信所に訪れた菊坂静は妙な空気に怪訝そうにした。
ソファの間に挟まれたテーブルの上には、古いラジオがある。インテリアに向きそうな、レトロな代物だ。
「あ、あのぉ?」
現れた静のほうを見遣り、シュライン・エマが立ち上がる。
「あら。菊坂君、いらっしゃい」
「こんにちは。あの、スイカのおすそ分けに……」
「スイカ?」
シュラインが嬉しそうに顔をほころばせた。
静は腕組みして微動だにしない草間武彦を一瞥し、シュラインを見遣った。
「あの……どうかしたんですか?」
「え? いえ、ちょっと依頼でね」
「依頼、ですか」
もしかしてあのラジオ? と動作で示すとシュラインは頷いた。
*
依頼者がやって来て、帰ったのは静が来る一時間ほど前だ。
現れたのは20代前半の男で、会社員らしい。彼は事情を説明した。
とおりゃんせ、という童謡は大抵の人間が知っている。作詞者、作曲者は不明だが日本の童謡の中でも有名だ。
「通りゃんせか。守ってくれてたお札を氏神様に返すって内容だったかしらね、武彦さん」
「まぁそんなもんだな」
武彦はあまり乗り気ではない。彼はそもそもこういう心霊的な依頼は嫌う傾向にあるのだ。
シュラインは頬杖をつく。視線はテーブルの上に鎮座しているラジオに向けている。
『通りゃんせ』の童謡のメロディは物悲しいもので、シュラインは嫌いではない。けれど夜な夜なラジオから流れてくるというなら不気味でしょうがないだろう。
「あの、購入先はどちらですか?」
シュラインの質問に男は応えてくる。場所はちょっと遠いが、行けないこともない。
「童謡が聞こえてくる時間帯は決まっていますか?」
「いや、決まってない。眠ろうとすると流れてくるみたい、です」
途中で口調を改めた依頼人はこちらをうかがっている。怪しげな依頼を引き受けてくれるなんて、なんなんだここ、というのが顔に出ていた。
(ふぅん。曜日や天気によって変わる、とか?)
しかしそういうわけでもなさそうだ。
法則がわかれば言うことがないが、男はもう立ち去りたい気分でいっぱいのようだった。
訊きたいことを訊き、シュラインたちは依頼人に手を振って送り出した。
以上のことを静に話すと彼は「なるほど」と頷いた。
「それで、なにかわかったんですか?」
「アンテナは壊れてるし、このラジオ、それほど珍しいものじゃないらしいのよ。あまり価値は高くないみたい」
写真まで撮って知り合いの専門家に調べてもらったのだが、値打ちものではないらしい。
嘆息して腰に手を当てたシュラインはラジオを見据えた。
「このラジオを買ったっていうお店に行ってみなくちゃね」
「あ、じゃあ僕もお供をしますよ」
「え? で、でも菊坂君はスイカを持ってきてくれただけじゃない」
驚くシュラインに静は軽く笑う。
「だって気になりますし。人数が多いほうがきっと早く解決しますよ」
*
静とシュラインは込み入った細い道を見回しながら進んだ。
「本当にこの先にお店があるんですか?」
「住所はここだし……」
シュラインはメモに書かれた住所を見て、首を傾げた。
かなり細い道を歩いていると、看板を見つけた。道に出された手書きの看板には「2Fへ」とあった。視線を左上にあげると建物の二階にその店があるようだった。
階段をあがって二階に行くと狭い店内でアンティークが飾られていた。店主は老人のようで、入ってきた静とシュラインのほうをぼんやり見て数秒かけ、「いらっしゃい」と笑顔で言ってきた。
シュラインは肩にかけているバッグから写真を取り出す。依頼人から購入日時を聞いていたので、それを告げてから話を始めた。
静のほうはシュラインに任せたほうが無難だと店内を物色している。
「このラジオなんですけど、これに関してなにか曰くとかありますか?」
直球すぎるかとシュラインは思ってしまうが、写真を受け取った店主が老眼鏡を押し上げてそれを凝視している。
「ええっとね、これは……持ってきた人からタダで譲り受けたんだよ」
「タダで?」
「知り合いからもらったんだけどって言っててね。興味ないからって置いてったんだよ」
「その方に連絡はとれますか?」
「難しいねぇ」
老人の声音に、連絡の取りようがないのがうかがえる。
落胆するシュラインは話題を変えた。
「このラジオに関して、その人は何か言っていましたか?」
「特にないねぇ」
「ご主人は、このラジオをお店に置かれたんですよね?」
「捨てるのは勿体無いし、可哀想だからね。これを買ったのは若い子だったけど、二束三文で売ったよ?」
その話は知っている。かなり安値で買ったと言っていた、依頼人は。
なにかあって安い値で売っていたというわけではなさそうだ。店主の心音からもそれがわかる。
この店主は何も知らないのだろう。あのラジオから童謡が流れてくることも、妙な夢をみることも。
(てことは、あのラジオを買ったのは依頼人が初めてってことなのね)
これでは判断がしにくい。
依頼人の家でだけで怪異が起こっているのなら、聞こえる原因はラジオだけではない。ラジオが波長の合うなにかを拾ったためだろう。そうなれば、依頼人の住居周辺にも原因が潜んでいる可能性が高くなる。
一通り話を聞いて、シュラインは礼を言って頭をさげた。
「菊坂君、帰りましょ」
「あ、はい」
静はぱたぱたとこちらに駆けてくる。
帰り道、静は提案した。
「あの、預かったラジオ、聞かせてもらってもいいですか?」
「いいけど。どうかした? どこか気になる?」
「ラジオになにかが憑いているなら、わかるかなと思って」
「あぁ、なるほど」
シュラインは納得して頷いた。静はちょっと戸惑っていた。危険なことをするつもりはないが、それでも不安にはなる。
怖いことが起きませんように。
*
草間興信所に戻った頃にはすでに夕暮れだった。
武彦はラジオから興味をなくしたようで、煙草をくわえたまま「おかえり」と言ってきた。
「なにかわかったか、シュライン」
「それがあまり収穫なくて。でも」
そこで言葉を区切る。無償でラジオを置いていった人物は、もしや厄介払いをしたかったのではないだろうか? 明確な理由がわからないので想像するしかないのが悔しい。
「菊坂君の提案で、実際に例の童謡を聞いてみようって話になったの」
「ふぅん」
「ふぅん、じゃないわよ。
えっと、依頼者の話だと寝る時にラジオから流れるのよね……。ちょっとやってみましょう?」
というわけで、全員で興信所の電気を消し、寝る素振りをしてラジオを眺めた。しかし流れてこない。
興信所のブラインドの隙間からは夕暮れの赤色の光がぼんやりと入ってきており、とてもうとうとと船をこぐ雰囲気ではなかった。
「……ダメですね」
静の声に、武彦とシュラインが同時に溜息を吐き出した。
電気をつけた興信所の中で、静はラジオをそっと手に取り、スイッチをつけてみる。だがラジオはうんともすんとも言わない。やはり壊れている。
「つきませんね」
「そうね」
相槌をうつシュラインに視線は遣らず、静はラジオをひっくり返してみる。だがおかしなところはないようだ。
霊的なものは今は感じない。
結局静は泊まることになった。気になってしょうがなかったからだ。
家にいる留守番人に連絡をして「大丈夫ですから」と念を押して携帯電話の通話を切った。
ちらり、と草間零がこちらを見てくる。零は瀬名雫にかり出されていたらしく、先ほど戻ってきたばかりだった。
「みんなで泊まりとは、なんだか夜の合宿のようですね」
「はは。そうですね」
微笑む静はラジオとにらめっこをしている武彦とシュラインを見比べる。
さて、どうなるか……?
*
夕食はそうめん。それを全員で食べた後、色々と全員で話し合った。
だが、実際に聞かなければやはりだめだという結論に至った。
最初にうとうととし始めたのはシュラインだ。
電気を消し、タオルケットをそれぞれ持っている。夏風邪などをひかないためだ。
暗闇の中でシュラインが瞼を擦り、なんとか起きていようと何度か目をしばたたかせた。
その時だ。
ジジ、という雑音が興信所内に響いた。
静はすぐさま息をひそめ、ラジオをうかがう。スイッチが入っているようには見えない。だが、確かに妙なノイズがそこから聞こえていた。
雑音に混じって、女の歌声が聞こえる。
途切れ途切れに響く歌声。
とおりゃんせとおりゃんせ。
武彦が口元を引きつらせる。これは結構怖い。なにか仕掛けがあるイタズラと思ったほうが気が楽だ。
ここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ。
雑音混じりのその声は、聞き取りにくい。
ちっと通してくだしゃんせ。ご用のないもの通しゃせぬ。
切ないメロディに乗って、女が歌う。
この子の七つのお祝いに、御札をおさめに参ります。
静が眉をひそめた。霊の気配はするといえば、するけれど、それほどはっきりしたものではない。
行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ。
一回で終わるかと思ったが、そうではなかった。雑音混じりのとおりゃんせの歌はびりびりと音を響かせて続いた。怖い。
雑音がひどくなると聞き取りも難しくなる。徐々に音が小さくなる時もあれば、大きくなる時もある。だがそれは、興信所内が静まっているから感じる感想であった。静寂の中でこれが流れ続ければ神経が磨り減る。
唐突に歌が途切れ、ラジオからの音が消えた。しーんと静まり返った。
静はきょろきょろと見回し、そっと口を開く。
「お、終わり……でしょうか?」
「お、終わり、よね?」
シュラインは武彦にそう問いかける。武彦は視線をそのまま零に向けた。零は「さあ?」と首を傾げた。
「菊坂君、なにかわかった?」
「あ、いえ……」
わかったことといえば、歌が流れている時は寒気がしたことだけだ。霊というよりは……強い、情念のようなものが。
興信所の中は相変わらず静まったままだ。このまま眠ればあの夢がみられるのだろうか……?
行く時はいいが、帰り道は怖い。
か細い女の歌声がまだ全員の耳の奥に残っていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【5566/菊坂・静(きっさか・しずか)/男/15/高校生、「気狂い屋」】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました、シュライン様。ライターのともやいずみです。
全員でラジオからの歌を聴いていただきました。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
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