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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


子供達は夜ごと、妖精を殺す





「なるほど。じゃあ、調査方法を変える必要がある訳ね」
 ――消えた子供を探してほしい、悲痛な両親の訴えを聞いて、久方ぶりに怪奇事件以外の調査資料を作っていたはずだったのだが。シュライン・エマはそう呟いて、それまでの調査内容をファイルに綴じ込んだ。
「これだけ広範囲で立て続けに失踪が起きてるんだ。まさか、とは思ってたがな…俺はどうも、この手の事件と縁が切れないようだ」
 嫌な腐れ縁だよ、と肩を竦める草間だが、口ぶりに反してさほど落ち込んだ様子は見えない。彼の心情を代弁するかのように、シュラインは微笑んだ。
「何にせよ、子供達の手掛かりが見つかったのだもの、良かったわね。武彦さん、心配していたんでしょ?」
 草間からの返答はない。彼は椅子の上に立って、ストライキ中のクーラーを説得しようと試みていたのだった。要するにフィルターを掃除していたのである。その程度で、この年季の入った頑固者のクーラーが曲げたヘソを直すものとは思えなかったが、そんな無為な抵抗でもしたくなる気持ちは分からないでもなかったので、シュラインはあえてその点については何も言わなかった。
 彼岸の頃に増えるのは何も怪奇事件だけではない。温度計の目盛りだって増える。
「さて、それじゃあ…私はちょっと図書館へ行ってみようかしら。それと、秋野君の連絡先、武彦さん知ってる?」
「あ?ああ、その辺に携帯の番号を置いていったはずだが…ちょっと待ってくれ。なんか詰まってる」
「…。いいわ、自分で探すから」
 草間の机の上には、依頼人からの聞き取り調書やら彼自身のメモやら伝票やらが乱雑に散らばっている。傍目には何がどこにあるか分かりづらいが、シュラインは慣れたもので、素早く目的のものを見つけ出した。コーヒーの染みがついた紙切れに草間のものではない筆跡で、携帯のものらしき番号が書かれている。
 これね、とつまみあげて少し思案し、自分の手帳に書き写すと、シュラインはそれを元の場所に戻しておいた。
「そうだ、シュライン」
 ――しかしこうも室内が暑くては調査にも集中できない。これまでの調査結果をまとめたファイルを手に、調べ物ついでに図書館へでも行こうかと立ち去ろうとしたシュラインを、相変わらずクーラーに向かう格好のままの草間が呼び止めた。
「秋野に会うつもりなら、ひとつ気になってることがあるんで、ついでに聞いといてもらえるか」
 本腰を入れて掃除を始めるつもりなのだろうか。ワイシャツの袖をまくりながら言う草間に、いいわよ、と頷いて見せる。そして草間の告げた言葉に、シュラインはいよいよ不審を強めて整った眉をひそめた。
「…妖精?また何だか、神隠しと縁があるのかないのか…よく分からない単語が出て来たわね」
「だろ。妖精と言えば、子供とは確かに親和性が高そうだが…なぁ」
 そもそも「妖精」という言葉、概念自体が日本ではそう馴染みのあるものではない。首を捻りつつも、シュラインは頭にしっかりとその単語を刻みつけておいた。もののついでだ、余裕があれば図書館で調べておくとしようか。そんなことを考える。
「呼び止めて悪いな。あー…事件の資料はもう全部渡してあるんだよな?」
「誰がここの資料を整理してると思ってるの?大丈夫よ。武彦さんは…えーと、お掃除、頑張って。何か分かったら知らせてね」
 おう、とあまり気乗りしない調子で草間は手を振った。鼻先に埃がついているのをシュラインは手を伸ばして取ってやり、来た時と似たような苦笑を浮かべると、ひらりと手を振って興信所を後にした。


**

 凧市が開かれることでも全国的に有名な、都内随一の稲荷神社も、さすがに夏の昼日中となると参拝者も疎らであった。夏の日差しと降り注ぐ蝉の声、木蔭を通る風もじっとりと湿って重たい。
 稲荷神社の特徴のひとつである、「狛狐」――狛犬の狐版のそれは、その日差しと熱気の下、微動だにせず参拝者を見守っている。
 かつて、この神社には、大晦日になると江戸中の狐が集まったと言われている。江戸が東京に変わり、野生のキツネが姿を消した現在でさえ、地域の人々に愛され大切にされている場所だ。小奇麗で、稲荷神社らしく朱塗りの鮮やかな本殿を眺め、夜神は次いで本殿の屋根の上へ視線を向けた。
 ――暑い日差しの下でそうやって屋根を仰ぐ青年の姿は、青年本人の知名度はさて置いても目立つものである。まして、唯人であれば、彼が屋根の上に何を見ているかなどと知れようはずもなく。
(声をかけていいものかな、これは)
 軽く眉根を寄せ――日差しが眩しかった、というのも一因ではあったが――夜神はわずかに躊躇した。
 彼の視線の先では、境内を守っていた一対の狛狐とそっくりの白狐が二匹、興味深そうに彼を見下ろしている。少なくとも、夜神にはそれが見えた。この神社の祭神の遣いか、はたまた祀られている当事者達か、いずれにしても「神」と称される存在であろう。一風変わった参拝者の気配を察しているのか、警戒するように二匹は無言でただ彼を見下ろしている。
 やはりこちらから声をかけるべきか。そう判断して息を吸い込んだ夜神だったが、言葉は発されることはなかった。
「夜神くんよね?」
 境内に、人の気配がしたのだ。振り返ってみれば知らぬ相手ではない。すらりとした長身と切れ長の瞳が日差しの下でも涼しげなその人物は、草間興信所でよく見かける、興信所の事務担当、所長の相棒のような立場の女性である。
「シュライン?どうしてこんな所に」
「それはこちらの台詞。…どうしたの、稲荷ずしなんて持って」
 まさか神頼み?と尋ねるシュラインは口元に思わず、といった風な笑みを浮かべている。青年と稲荷ずし、という取り合わせが不似合いだと――さすがに口に出すと失礼な気もしたが、そう思ってしまったのだった。
「ここの神様とやらに話を聞きたくてな。手土産くらいは持ってくるのが道理だと思ったんだが…何か変か?」
「いいえ、…言われてみると確かにお供えくらいは必要だったかしら」
 冗談めいた調子で言ってから、彼女はぐるりと境内を見渡した。参拝者と思しき人影は彼らのほかにはなく、寄贈された狛狐がいくつかでんと構え、旗が幾つも並んでいるのが見えるばかりである。何を探しているのだろうか、少し気に掛ったが、それよりも彼女の訪問の目的の方が引っかかったので、夜神は屋根の上を気にしながらもシュラインに問いかけた。
「もしかして、『ウカノサマ』のことを尋ねに来たんじゃないのか、シュライン」
 その単語に、境内を見渡していたシュラインの視線が夜神へ戻る。一度だけその青い瞳を軽く瞠ったものの、すぐに思い至ったのだろう。
「そう、夜神くんも調べてたのね。武彦さんに頼まれでもした?」
「頼まれたと言うか、俺としても興味があったから、ついでだ。…成程、草間のところで受けた仕事だ、あんたが絡んでない方が珍しいな。…しかし…」
 汗で張り付いた、ひとつに纏めた黒髪を背中の方へ流しながら、シュラインは夜神の言わんとすることを察して苦笑して見せる。
「そうね。私は神様と交渉する方法なんか持ってないわ。だから、ここで通訳してくれる子と待ち合わせてた訳」
「通訳?」
「武彦さんのところで聞いてない?秋野くん、って、神社の子よ。神様と話が出来るらしいわ」
 そこまで彼女が言ったところで、夜神はふいと入口の方へ顔を向けた。近づいてくる人の気配を察したのだ。
「あ、ごめんシュラインさん。待った?って…誰?」
 果たして。現れたのは、一人の少年であった。高校生くらいだろう、特にどうということもない普通の少年に見える。通学用のものらしい鞄と、空いた片手にはビニール袋を携えていた。鞄から少しだけ、祓え串が顔を出しているのが何とも不似合いである。
 彼は怪訝そうな顔で夜神を無遠慮にじろじろと見て、うーん、と小さく唸った。
「どっかで会ったことある?」
 不躾な問いかけだが、どうやら彼が常日頃からテレビに映っている人物そのものであるとは気付いていないらしい。騒がれずに済んだことに内心少しばかり安堵しながら、夜神は首を振った。
「いや、初対面だ」
「そか?うーん、どっかで見たような気がするんだけど」
 一人事情を解しているシュラインが、苦笑しつつ間に入る。
「急に呼び出してごめんなさいね、秋野くん。遅かったけど、補習でもあったの?」
「んにゃ。なんか草間さんトコの協力者って人に呼び出されてた。セレスティさん、だったっけな」
「セレスティ…セレスティ・カーニンガム?」
 シュラインが知った名前に思わず口をさしはさむと、少年はうん、と頷いた。
「そうそう、そんな名前だった。夏の昼間に外出るのは辛いから、代わりに神社で話聞いてきてくれって」
「それはそうでしょうねぇ」
 古い付き合いのある友人のことを思い出してシュラインも腕を組む。強い日差しが身体に障る彼の体質を考えると、彼が草間の調査を手伝っているのが意外なような気もした。
(こんな暑い日に武彦さんのところに行くとも思えないし…。武彦さん、どうやって頼んだのかしら)
 だが、疑問については今考えるべきではない。シュラインはすぐに思考を切り替え、目の前の少年へ意識を戻した。
「秋野くん、彼は夜神くん。調査を手伝ってくれている人よ」
 夜神が軽く会釈すると、少年はにこりと人懐こい笑顔を浮かべてそれに答えた。それからあれ、と小さく呟いて忙しく辺りを見渡す。
「ねぇ、ところで何でセレスティさんもシュラインさんも、夜神さん?あんたも、みんな揃って稲荷神社を気にしてる訳?」
「…例の夢の噂、あるでしょう。ウカノサマの夢の話。あれをね、見た子供に話を聞いたの」
 それは夜神にも初耳の話だった。耳を傾ける二人の男に、シュラインは噛んで含めるように、
「夢に出てきた『ウカノさま』は、どういう姿だったのかってね。そうしたら、どうも…そうね、近いものを挙げるとしたら、キツネ…それもダキニ天とか、あとは玉女ね。そういった姿のような印象を受けたのよ」
「ダキニ天というと、白狐に乗った女神か。玉女、というのは…」
 しばし記憶を探るために沈黙した夜神にとって代って、藤が口を開く。
「知ってる知ってる。最近じゃ珍しいけどな、ダキニ天とか弁財天とか、色んな神様がごっちゃに混ざってる神様だろ。稲荷神社の神様で、福を招くって言われて一時はすげぇ信仰されてたけど…」
 そこまで言ってやっと得心が言ったのだろう、藤がああ、と小さく声をあげた。
「そうかー。それで稲荷神社か。『ウカノさま』も稲荷さんの親戚かもしれないって訳だ。…ここの稲荷さんは、関東一帯の元締めやってるしなぁ。情報聞くならここが一番手っ取り早いか」
 ぽん、と手を打って、彼はそれなら、と夜神も眺めていた屋根の上へと視線を移した。片手に持ったビニール袋をぶんぶん振って、
「おーい。いつもの奴持って来たぜ、ちょっとツラ貸せよー」
 ――まるで、近所の友人を酒飲みにでも誘い出そうかというほどに気楽な調子で声を張り上げる。夜神とシュラインは同時に顔を見合わせた。
「……軽いな」
「………軽いわね。そんなんでいいの?」
 後半の問いかけは藤に対してだが、藤は平然としたものだ。その彼の足元に、先程まで屋根の上に居た白狐の一匹がいつの間にやら出現していたことに気付いたのは夜神だけだったが。
 その白狐はフンと鼻を鳴らし、夜神の視線に気づいてそっぽを向いて見せる。
<勝手をぬかすでない、小僧が>
 不機嫌そうに放たれた一言――シュラインには聞こえなかったが――に、けれども動じた様子もなく藤はにへら、と気の抜けた笑みを浮かべた。
<しかも貴様、また卵焼きを買ってきおったな。我らをバカにしてるのか>
「してないよ、だってあそこの卵焼き、美味しいじゃん」
「…ねぇ、卵焼きってまさか、あの卵焼き…?」
 稲荷ずしの方がどれだけ手土産としてマシだろうか、とシュラインは天を仰いだ。もしかすると人選失敗したのかしら、そんなことまで脳裏をよぎる。そんな彼女にも構わず、更に続けて藤はいかにも無邪気そうな様子で付け加えた。
「あ、ぼた餅の方が良かった?」
 この一言で夜神もピンときて、そして呆れた。仮にも相手は関東一帯の稲荷神社の総元締め――それは藤自身も承知しているはずだ。だと言うのに、この悪ふざけ振り。礼を失するどころの話ではない。
(…天然でやってるのかと思ったが、確信犯かコイツは)
 だが狐はしばし沈黙してから、溜息らしきものを吐き出しただけだった。
<ったく、貴様という奴は…もういい、先に用件を言え。ただでさえ訳の分からぬのが境内に入り込んだんで、ウチの若い衆がピリピリしておると言うのに>
 もしかしてその「訳の分からぬ」ものというのは自分のことだろうか、と夜神は当たりをつけて、白狐に軽く頭を下げた。
「警戒させてしまったのならすまない。俺も、こちらの二人と同じで話を聞きに来ただけだ。何か仕出かそうなんて思っちゃいない」
 言いながら、手土産の稲荷ずしを差し出すと、白狐は――狐なだけに表情は分からないのだが――ふさふさの尻尾をゆらりと一度揺らし、ふぅむと唸り声をあげた。満更でもない様子である。
<そうか、なら構わぬさ。その旨そうな土産は裏の狐穴にでも供えて行ってくれ>
「あ、何それ旨そう」
「…供え物を食おうとするんじゃない」
 かみさまが見える、という能力を備えているはずのこの少年に、神を敬う気持ちはあまり無いものらしい。


 表は暑かろう、という狐――神の遣いなのか、はたまた神社の神様とやらなのかは分からないが、とにかく白狐の案内で、三人は本宮の裏、狐穴跡などと称される場所へ移動した。昼間だと言うのにこの辺りは影が濃く薄暗い。その分、日差しが遮られ、いくらか過ごしやすいようだった。
「で、何が訊きてぇの?」
 何でもどうぞ、と答えた藤はちゃっかり卵焼きを頬張っている。「一個食べる?」と差し出されたがシュラインは丁重にお断りしておいた。
「そうね。まず、『ウカノさま』…子供達を攫っている神様について、何かご存知かどうか」
<知っておるともよ>
 白狐は即答し、藤とシュラインと夜神とを順繰りに見やった。
<あれはもう滅びを待つばかりの、弱きモノじゃ。信仰を失った時点で神ですら無い。――しかもあの『噂』じゃ、放っておいても何れ自滅するじゃろうて>
 そう伝えると、シュラインは腕組みをしたまま、思案げに呟いた。
「…その場合、行方知れずの子供達はどうなるかしら」
<一緒に消えるじゃろうな。彼岸の向こうへ道連れにでもする積りじゃろ>
 あっさりした返答にまず夜神が眉根を寄せ、藤の通訳にシュラインも同じように困惑を露わにした。口を開いたのは夜神の方である。
「それでは困る。行方不明の子供を見つけてほしい、というのがこちらの依頼だ」
 次いで卵焼きを飲み込んで、藤。
「そうだな。それに、妙な噂をまき散らされたままっつーのも迷惑だよ…あ、そういえば」
 彼はそこまで言ってはたと思いだしたように白狐へ目を向けた。
「爺ちゃんトコは、被害出てない?」
(…被害?)
<ちらほらとな。だが騒ぐほどの被害でもない>
 なら良かった、と、藤は肩をすくめてシュラインへ向き直った。
「何か他に尋ねておくこと、あるか?」
「そうね、『ウカノサマ』の居場所を…」
 地図を開いて詳細な場所を尋ねると、白狐は無造作に尻尾を振った。瞬くほどの間もなく、地図の上には印がつけられている。夜神がそれを覗き込み、頷いた。
「…ここか」
 白狐はその反応を確認するより早く、もう人間達には興味を失ったようだった。長く太い尻尾をくねらせ、背を向けている。言うべきことは全て言った、という風情だったので、夜神も特に引きとめはしなかった。卵焼きの最後のひとかけを口に放り込んだ藤も引きとめる様子はなく、地図を覗き込んでいる。
「シュラインさん、爺ちゃん消えちゃったよ。他に訊きたいことがあった?」
「あら、もう少し色々尋ねてみたかったんだけど」
 シュラインは口元に手をあてて少しばかり不満そうにしていたが、すぐに気を取り直して地図の印をじっと確認した。ふぅと細い息を吐いて、それを畳む。
 慣れた所作でそれをファイルに挟みながら、彼女は夜神に視線をやった。
「夜神くんはこれから、どうする?」
 問われた青年は胸ポケットにあった色眼鏡をかけ直している。
「そうだな…シュライン、すまないが、居なくなった子供に関するものを持っていないか?写真か…なければ住所だけでも構わない」
 彼の奇妙な申し出に、シュラインは疑問を差し挟んだりはしなかった。きびきびとファイルを開き、一枚の写真を取り出している。
「これでいいかしら。――あ、後で返して頂戴ね」
 勿論、と夜神が頷いたのに微笑み返して、シュラインは踵を返す。
「シュラインは、どうするんだ?」
「そうね。現地で訊き込みと、それから周辺の調査をしようと思ってるわ」
 ファイルを鞄に仕舞い込みながらそう告げたシュラインはふと顔をあげた。ひと仕事終えた、と言わんばかりに伸びをしている呑気な高校生がそこに居る。彼はシュラインの視線に気づいて、首を傾げた。
「ん?俺、これからセレスティさんに経過報告しないといけないんだけど。何かまだ用事?」
 言葉だけなら面倒そうに聞こえるが、不思議とにこにこ笑う少年の顔はそれを嫌がっている訳ではなさそうだ。
「…そういえば、あなたにも訊きたいことがあったんだった。『妖精殺し』って、武彦さんにそう言ったのよね。あれ、どういう意味?」
 しかし、その笑みはシュラインの言葉にすぐさま引っ込んでしまった。幼い子供がそうするように口を尖らせて、藤は呟く。
「ティンクが言ってただろ。『妖精なんか居ない』って子供が言うたんびに、どっかで一人、妖精が消えるんだって」
 童話と馴染みが薄いのか、夜神が僅かに訝しげな顔をする横で、シュラインは即座に言葉を返した。確かそんな一節を、何かの絵本で読んだ気がする――
「…ああ、ピーター・パンね」
「あれと同じだよ。…七つ以下の子供は、神様の側の生き物だから、言葉にだってそれくらいの力が宿っちまうんだ」
 彼はそれだけしか言わず、それきり、急ぎ足で境内を出て行ってしまったので、シュラインもそれ以上何かを問うことはできなかった。余程触れたくない話題なのだろうか。
 その隣で、夜神が考え深げに眼を細めていた。
「何と言うか…、気味の悪い符丁だな」
「…妖精殺し、という言葉が?」
「異教の神が最早敬われず供物も捧げられず、小さくなったのが妖精だ――なんて言葉を思い出してな」
「それは確かアイルランドの伝説ね。…全く、どうして二人して私の知識を図るような言い方をするのかしら。もっと親切に教えてくれてもバチは当たらないわよ」
 溜息交じりにシュラインは額に手をあてた。それでも冗談では済まされない響きを感じ取ったか、青い瞳は驚くほど真剣だ。
 ――敬われなくなった、信仰を失った神は小さくなって、妖精になった。その妖精は、子供の言葉によって否定されると、死ぬと言う。
 そしてあの噂。夢の中に現れた「ウカノさま」を、「かみさま」を否定しなければ、子供達は浚われる。ゆえに、子供達は口々に言う――「かみさまなんか、居ない」と。
 だから、秋野藤は動いたのだろう。町内の子供達がそんなことをこぞって口にすれば、彼の祀っている神々にも影響しかねないから。そしてそれは、彼の住む町に限らない。噂は東京全体に広まりつつある。
(ああ、成程――本当に)
「厭な符丁ね」
 彼女は呟くように言って、かつて祀られた狐の住んでいた場所を眺めた。稲荷ずしと、食べ残しの卵焼きが並んで供えられている。供物は腐りはしないのだろうかと不穏な想像が頭を掠めたが、彼女は何も口にはしなかった。
 少なくともこの場には信仰が宿っている。ならば供物は腐っても意味はあるのだ。



 シュラインと夜神が神社へ向かった、その翌日。一行はそろって地図にあった土地を訪れていた。
 東京都内と言っても、かなりの奥地の方である。ある程度予想はしていたが、電車とバスを乗り継いでようやく現地に到着したシュラインが見たのは小さな集落、と言うよりも「元集落」だった。
 彼女が到着したのは――朝出発したにも関わらず――既に昼下がりだったのだが、夏の日差しの下には更地が広がっていたのだ。点々と、空き地と民家が残っている場所もあったが、ほとんどの土地が重機によってまっ平らに均され、工事予定の看板が立っている。
 ――近くこの辺りに新しい路線が出来るとか言う話を、事前に調査していたシュラインは知っていた。この辺りを都心で働く人々のベッドタウンとして再開発しようということなのかもしれない。
 眉根を寄せてシュラインは呻いた。
「神社も無くなってるんじゃないかしら、これじゃあ」
 地元の図書館で参考にした資料には、かろうじてここに稲荷神社があったことが記されていた。それ以上の記述は何一つない。どんな信仰があったのか、どんな習俗があったのか。
 シュラインが懸念していたのは、明治期の神社の一大再編成で、辺り一帯の信仰が緩やかに消えて行ったのではないか――という点だ。
 子供達が「夢で見た」と証言している「ウカノさま」の姿は、既に指摘されている通り、「玉女信仰」と呼ばれるものと合致する部分が多い。この「玉女信仰」、いわゆる神仏習合と呼ばれるもので、仏教と神道がごちゃ混ぜになったものなのだ。こうしたものは当時、廃仏毀釈の対象になりやすかった。加えて、この開発の波。
 恐らく、こうして更地にされるまでは、この辺りはちょっとした山間の集落だったのに違いない。だが、地肌をむきだしにされ、すっかり見晴らしの良くなった山の様子に、自然豊かだった頃の面影を見出すのは難しかった。シュラインのそんな感想に、呟いたのは彼女に同行してきたもう一人の助っ人である。優しげな風貌の少女、真帆は、理知的なシュラインと対照的に柔らかな優しげな瞳を伏せている。
「確かにここです。夢であの『ウカノさま』を追いかけ時に、見た光景」
 彼女は淋しげにひとつ付け加えた。
「…元は森や田んぼが沢山あったんでしょうね」
 彼女は夢を渡る力を持つ魔女である。シュライン達とは別ルートで、夢を手繰ってこの一件の調査をしていたらしい。
 更にもう一人、そんな彼女と夢の中で鉢合わせたのが夜神だった。この青年の方は、彼女ほどには感傷的になれなかったらしく、淡々と辺りを見渡してシュラインと、シュラインが手を貸していた人物に向けてぽつりとこぼした。
「確かに、『視た』光景と大体同じだ。この辺りで間違いないんだろう。…だがこれだけ更地になっていると、目印も何もあったものじゃないな」
「となると、残る頼りは地域の方の証言と、元神様の残した気配だけ、ということになりますね」
 四人目は、杖を持った青年だった。夜神もそうだが、こちらも端正な顔立ちに、どこか儚げな印象があるのは彼が杖に頼って歩いていたせいだろうか。その彼がふと、空き地の一つへ視線を移したので、自然他の面子も倣ってそちらを見ることになる。
 更地の中に一か所、まだ整地もされていないのだろう。雑草が伸び放題に伸びている場所があった。恐らく元々田圃だったに違いないと青年、セレスティがそう思ったのは、用水路だったらしき跡が残っているのを見たためだ。僅かに水の気配を遺しているその場所に、夜神がすぅと目を細めた。
「あれは…もしかすると、あの場所が?」
「でも、神社じゃないですね」
 真帆は、どこか落ち着かない様子だ。
「どうしたの?」
「…いえ。あの場所、妙な力というか、気配のようなものがあるので」
 セレスティの言葉にシュラインはそう、と頷いて思案するように腕を組んだ。彼女の中に引っかかっていた、幾つかの言葉が浮かんでくる。
「……真帆さん、確か、『ウカノさま』は、こう言ってたのよね。『ここから出せ』って」
「え?あ、はい。言ってました。出せって、帰してくれって…」
 言いながら夢の内容を思い出した真帆は、暑気にも関わらず鳥肌立った腕を抱え込んだ。あの暗闇は、今思い出してもいい心地はしない。だが、確かに目の前のあの空き地からは、僅かながらあの時の、夢で接した獣染みた気配が漂っている。
 一度夢で接していなければ、真帆は見過ごしていたかもしれないくらいの、本当に幽かな気配。
「…サノボリ…」
 シュラインはそう呟いて、今度はセレスティを見遣る。意図を察して、セレスティが頷いた。この近隣の風習について、彼はシュライン達に先んじて調査を済ませていたのだ。
「この近くの地域には、最近まで確かにサノボリの風習が残っていたようです。最近、といっても、二十年ほど前から水田が無くなってしまい、今では忘れ去られていますが…それがどうかしたのですか」
「あの、さのぼり、って何ですか?」
 真帆の問いかけに、シュラインが腕組みしたまま応じる。
「水田を守る神様、田の神はね、元々山の神と同じものだと、信じられていたの。山の神が里に――田んぼに降りて、田の神になる。田植えが終わると、作業を見守ってくれた田の神に感謝して、山へ送り返す。――その送り返しの儀式が、サノボリ」
 もしかすると、とシュラインは空き地をみやる。

「…出せ、帰せ、という言葉は…サノボリが行われず、しかも帰るべき山を壊されて、『ウカノさま』は元々水田だった場所から出られなくなってしまったのかもしれない」
 
 

***




 シュラインが、三人を空き地に置いて訪れたのはこの辺りに残っていた二件の民家だった。どちらか一方にくらい人が住んでいるのではないかと思ったが、近付いてみると思いのほかに荒れているのが分かる。
「どなたかいらっしゃいますか?…」
 誰何の声に応じる気配も、物音ひとつさえなく、シュラインは溜息をこぼした。やれやれ、忘れ去られた神様には、最早信仰するべき人さえ無かったのだ。
 誰も住んでいないことを確認して、シュラインはそっと門扉を開いた。錆びた扉が軋んだ音をたてて開いた。
 台所、風呂場、居間とのぞいて回り、改めてここは廃屋なのだとシュラインは確信した。恐らく引っ越したか、住んでいた人が亡くなって放置されているのか。部屋には家具のひとつさえ残っていない。畳も剥がされ、床はむき出しになっていた。
 ただひとつだけ。床の間に、不思議なものを見てシュラインはおやと首を傾いだ。
「…これは、…苗、かしら」
 床の間に箱が置かれ、そこに何かが植えられていたような形跡がある。最初は観葉植物の類かとも思ったが、枯れて原形を留めないそれは、稲の苗のようにも思われた。
 ―――サオリ、という儀式がある。
 田植えの終わりに行う「サノボリ」とは逆に、田に神を迎える為の儀式だ。調査の過程で調べたことを淡々と、シュラインは思い出した。「サオリ」の一般的な形式としては、床の間や神棚など家の中に、三把の苗を植える、というものがある。
 これがそうだ、と断定することはできないが、可能性としてはあり得ることに思われた。
「……サオリの儀式が、残っていたのね…」

 これは単なる推測である。
 ――サオリの儀式によって田圃に招かれた「ウカノさま」は、その後何らかの事情で「サノボリ」が行われないまま、田圃に残されてしまった。加えて開発の波で、帰るべき山をも失ってしまった。
 出せ、帰せ、という真帆が夢で聞いた言葉はこれに合致している。
 加えて、あの夢の噂。「かみさまなんて居ないよ」と子供に答えさせている、あの噂は。
(…まさか。あの神は、自殺しようとしていた…いいえ、違う。子供達に『かみさまは居る』と答えさせることで、自分の延命を図っている…これも違う)
 最後に思いついた可能性は、いくらか突拍子もなく、そして気持のよいものでもなかった。
(…他の弱くなった、『信仰を失って小さくなった』神様を、道連れに殺そうとしている?)
「まさか。…それだけのことをする理由も無いし、誰の得にもならないわ」
 自分で自分の想像を、そう呟いてばっさりと切り捨てると、シュラインは再び床の間を見やった。
 ――そうして、その場を後にした。



***



「それで――」
 草間興信所は、相変わらず暑い。クーラーのストライキは結局まだ続いているらしい。零の出してくれた冷たい麦茶にほっと一息つきながら、集まった面々はそっと顔を見合わせあい、それぞれ苦い表情を浮かべた。
「…子供達はどうにか連れ出せたよ」
 真帆がまずそう切り出し、シュラインが繋ぐ。
「もしもの為にと思って病院を手配しておいて正解だったわね、夜神くん。脱水症状を起こしている子も少なくなかったから」
「そうだな。とはいえ…」
「いや、待て、お前ら。俺が訊きたいことはそこじゃない」
 分かってますよ、と涼しい顔でセレスティが草間を遮った。
「…助け出せた子供は二十二人でした」
 真帆が俯いたところを見ると、いくらか責任を感じてしまっているのだろうか。彼女のせいではあるまいに、とセレスティは少々気の毒になった。
 最後の一人は、――あの影が渦巻いていた、遥かずっと奥の方に居た。
「ご、ごめんなさいっ…助け出せなくって…!」
「いや。真帆のせいじゃない。…無理に押し通して攻撃することも出来ただろうが、あの様子ではな」
 さすがに夜神の表情も苦いものになった。
 ――最後の一人は、「ウカノさま」に取り込まれていたのだ。恐らく、消えかけている瀕死の神にとって、「かみさまはいる」と答えてくれる幼い子供は、延命装置として丁度良かったのだろう。渡してなるものか、と必死に攻撃を仕掛けて来る「ウカノさま」に、彼らとしては不本意ながら一度撤退せざるを得なかったのだ。背後に弱りきった二十二人の子供を抱えて戦うには、いささかならず分が悪い状況だった。
「……そしてその最後の一人が、よりによって、俺の依頼人の子供だと、そう言う訳か…」
 そう。
 たった一人、救いだせなかったその一人が、偶然にも草間興信所に最初に依頼された対象だったのである。
「――もういっぺん、今度は救出作戦を練る必要があるだろうな、こりゃあ」
 草間の溜息は深く深く、興信所に落ちる。重たい空気を振り払うように――ちりん、と窓辺で、いつの間にかぶら下がっていた風鈴が揺れた。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
7038/夜神・潤/男性/200歳/禁忌の存在
6458/樋口・真帆/17歳/高校生・見習い魔女
1883/セレスティ・カーニンガム/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。夜狐です。納品が遅れて申し訳ありません…。
リテイク等ございましたらお気軽に申しつけてください。