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<東京怪談ノベル(シングル)>


月齢28.8

―――今夜は月が明るいのかな?

 明りを落とした室内がやけに明るく感じられ、海原みなもはベットに横になったまま、今日の月齢は何だったろうかと考えた。
 ぼんやりと思い出すのは、昨日見た筈の華奢な爪痕を思わせる細い月。
 下弦だったのか、上弦だったのかは思い出せないが、おそらく今夜は三日月か、新月なのではないかと思う。
 だったら今夜はどうして部屋の中がこんなにもはっきりと見えるんだろう。
 机の上に放りだしたままのお気に入りのCD、本棚に並んだコミックス。
 書かれた文字もイラストもはっきりと見ることが出来るのに。
 そもそもカーテンを引いているのに、どうして月の光が入ってくるんだろうか?
 変なの、そう心の中で呟いて、みなもは自分の掌を見た。
 ぷにぷにとした桃色の肉球と、ちくちくとした体毛がびっしりと目に入る。
 少し力を入れると、指の先からニュっと細い爪が突きだした。
 昨夜の月のような、湾曲した鋭利な爪。
 

***

 演劇部で使う衣装求めて、フリーマーケットを彷徨い歩いた今日の午前中。
 我が目を疑う程の良品中の良品とも言える立派な『猫の着ぐるみ』を見つけ、手頃な値段にロクに値切るのも忘れて即購入してしまった。
 シュールな程のリアルに作り込まれた、そのクォリティの高さに惚れ惚れしつつ、自宅に戻って早速試着をしてみたのだが。
 着ぐるみとは思えないほどのフィット感に感動し、姿見の前でしばらく悦に入っていたまでは良かったが、さて脱ごう!と思った時にはもう遅かった。
 どこを捜してもファスナーが見あたらず、引っ張ってももがいても脱ぐことが出来ない。
 それどころか引っ張れば肌が痛いくらいだし、時間を追う事に着ぐるみは肌に吸い付くように違和感を無くしていく様だった。
 最初に感じていたはずの息苦しさも、今ではもう感じない。
 じわりと胸に恐怖が芽生え、どうしたら?と苛立ちを感じていると、気がつけばお尻のしっぽがそんな気持ちを表すように勝手に動いていた。

―――何これ?

 ふつふつと湧き上がるおぞましさに身体が震える。
 再び姿見を見ると、そこには着ぐるみというには妙にバランスのいい猫が2本足で立っていた。
 着てすぐの時はもっと頭でっかちで、ふっくらとして、所々皮が余ったようにだぶついていた筈なのに。
 今では頭も小さく、ふっくらというよりはしなやかで、余分な部分などどこにもありはしなかった。
「……どうして?」
 思わず声を上げると、声に合わせるように鏡の中の猫が口を開いた。
 みなもの瞬きに合わせて、猫も目をぱちぱちと瞬かせる。
「いやああああ!」
 叫び声を上げると、ぐらり、目眩がして足から力が抜けた。
 寄りかかった鏡の表面を、鋭い爪がキィイイイ、と甲高い音をたてて擦る。
 意識が沈んでいく中で、みなもは鏡の向こうの猫の緑金色の瞳を見ていた。 

   
***

 時計を見ると、間もなく日付が変わろうとする頃だった。
 そのままぼんやりと時計を眺めている内に、時間は5分、10分と過ぎていき、1時を回る頃には家中が静まるのを感じた。
 遠く、家族の寝息が聞こえる。
 これで家族と顔を合わせる心配は無くなった。
 こんな姿をみんなに見せる訳にはいかないし、説明のしようも無いのでずっと部屋に籠もっていた。
 考えてみればこれを着てから何も食べていなければ、飲んでもいない。
 このまま部屋に籠もっている訳にはいかないし、まずは食料を調達しなければ。
 意を決して階段を下ると、自分でも驚くほど足音がしなかった。
 真っ直ぐキッチンに向かい冷蔵庫を開けると、自分の分の夕食とヨーグルト、フルーツがあったので、まとめて胸に抱え込んで部屋に戻る。
 どうやって食べたらいいだろうかと思ったが、おずおずそのまま口元に運ぶと、問題なく食べる事が出来た。
 とはいえ猫の手なので物は掴みにくく、ぽろぽろと落としてしまうので、結局テーブルの上に覆い被さるようにして食べた―――本物の猫のように。
 もっと食べにくいかと思ったが、案外そうでもなかった。
 それより気になったのは舌だ。
 なんだかいつもよりザラザラしている気がして、食べ物や飲み物が舌を滑る感触が気持ち悪い。
 もしかしたら何か病気なのかも知れないと思いつつ、奇妙な晩餐を終えてみなもは空いた食器を手に再び下の部屋に降りる。
 リビングを通り抜けようとしたみなもの目に、窓辺のカナリアが映った。
 

***

 気がついた時には鳥籠の中に手を突っ込んで、その小さな可憐な生き物を手で弄んでいた。
 キーキーと甲高い悲鳴を上げ、行き場のない籠の中でそれでも懸命に逃げようと、羽根をばたつかせる黄色い小鳥。
 その仕草が可笑しくて、楽しくて、たまらなかった。
 伸ばした爪で羽根を引っかけ、丸い腹を小突き、撫で回す度、小鳥は暴れた。
 逃げられない小さな命を弄ぶ優越感、支配感、そして加虐者だけが得られる背徳的な愉悦。
 手の内に捕らえると小鳥はより一層手の中で激しく暴れ、黄色い羽根を辺りにばらまいた。
 その光景すらも楽しくて、みなもはくすくすと忍び笑いを洩す。
 籠から床に小鳥を放つと、小鳥は最後の力を振り絞るように羽根をバタつかせ、不格好にカーペットの上を這い回った。
 それに、ぴょん、と飛びつく。
 そのまま一気に噛みついて、小鳥の首の骨をへし折ってやった。
 ポキンという、弱々しくも愛らしい音に、みなもは満足げに微笑む。
 そしてそのまま小さな身体に顔を埋め『食べ』た。
 ささやかな狩りを楽しんだ後の、『喉の渇き』と『餓え』を満たす為に。
 満足げに顔を上げると、階段を下る家族の気配を感じた。


―――私、何をしてるの!?

 咄嗟に我に返り、自分の姿と、今自分が興じていた行為を知られてしまう恐怖と、犯してしまった行為への罪悪感に体中が震えた。
 隠れなきゃ!咄嗟に思い、周囲を見渡してふと気がつく。

 どうして天井があんなにも高く見えるんだろう。
 どうしてソファがこんなにも大きいの?
 スリッパが、カーペットがとても近く見える。
 どうして―――?

 一度に沢山の疑問が頭を駆け抜ける。
 けれど今は、とにかく今身を隠さなければ。 
 そこで換気の為に開けている洗面所の窓が、暑い日はそのままよく閉め忘れている事を思いだし、さっとリビングを抜け、洗面所に向かう。
 案の定、窓は少しだけ開いていた。
 どうやったのかは思いだせないが、無我夢中で洗濯機の上に上がり、網戸を爪で引っかけるようにして無理矢理開けながら、ふと背後の鏡を振り返る。
 鏡の中から、1匹の猫が不思議そうにこちらを見ていた。

―――嘘でしょう?
 
 けれどその呟きが口から洩れた時、それは「ニャアア」になっていた。

 慌てて喉元を爪で引っかき回す。
 けれど爪が触れるのは、作り物の毛皮ではなく、まさに自分の肌だった。
 赤い血が毛皮をじんわりと染め、疼痛が細い傷痕から湧き上がる。

―――どうして?どうして!?

 何故こんな事になってしまったんだろう。
 ただ着ぐるみを着ただけなのに?
 みなもは洗濯機の上で身を捩り、嗚咽するように喉を低く鳴らした。
 まだ夢の続きを見ているんだろうか?
 
―――じゃあ、なんでこんなに喉の傷が痛むの……?

 リビングの惨状を気がついたのか、誰かがこちらに向かう気配を感じた。
 逃げなければ……でも、何処へ?
 行き場所は思いつかない、頼るべき相手も。
 けれどこのまま家にはいられない。
 みなもは溢れそうになる涙を堪えながら、悪夢より暗い夜の空に飛び出した。




 fin
 
***
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また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。