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<東京怪談・PCゲームノベル>


警笛緩和 - 血が滲む傷 -



 大空が赤く染まって、その中心は燃え盛る炎が朧気に浮かんでいた。

 休日、資料調べに図書館へ行った帰りの楷巽は太陽の方へと足を運ぶ。左手には幅三十メートルの川が海へと緩やかに流れていた。日に照らされて小さく波打つたび、星のように輝く。それを遠目に土手を歩いていると、連続した水音が耳に入ってくる。音を辿れば、十代の少年が黒い学生服を身に纏い、小石を川へ投げていた。
 水面を小さな欠片が五回も飛び跳ねていき、そして沈む。
 赤く陰るその後姿。悲哀に満ちて、瞳に映る。
 おもむろに巽の足は少年へと引き寄せられていた。何かに導かれるように。

 私服の巽は少年の背中に声をかける。
「きみ、ここで何をしているんだい?」
 びくっと震えて少年は素早く振り返る。突然の気配に全身が強張った。じっと巽を見つめ出方を窺う。獲物を狙う獣のように息を殺して。
「驚かせてしまったみたいだね。ごめんな。一人で川に石を投げてるから話しかけてみたくなったんだ」
 それでも少年、魄地祐は一歩も引かず、巽の動向を一ミリたりとも逃さない。

 巽は胸中で少年の瞳の色に驚いていた。だが表情はぴくりとも動かなかった。いや、動けなかった。
 銀の瞳に、脳裏で狼を思い描く。銀の毛並みと警戒心の強さはそっくりだ。今にも飛びかりそう。
 何者も通さない厳重な警戒は過去に何かあったのかもしれない、巽のように。精神科の研修医として気になってくる。
「きみはいつもここにいるのかい? もしかすると特等席かな。隣に邪魔してもいいかな?」
 訝しげに見つめる祐は何も言わない。それを肯定として、少年と距離をとり並んだ。
 深呼吸すると、瑞々しい水の香りが肺を満たす。この川は都会にあるにも関わらず汚れてない。その珍しさから全国で有名だった。
「川に映る太陽は綺麗だね。きみはいつも独り占めしてるんだな。羨ましいよ」
 目を細めて夕焼けを心に刻む。
「……は? うらやしい……?」
 祐は首をかしげる。変な者を見る疑わしき目で。
「羨ましいよ。堤からは分からないけど、ここに来ると一段と綺麗に映る。それを知ってるのはここに来た者だけだ」
 太陽という大輪が空いっぱいに真っ赤に咲いて、川面へ溶け込んでいた。
 祐は青年から初めて目をそらし、水面に輝く花火を見つめる。ほとんど毎日訪れているから分からなかった、気づかなかった。
「景色は刻一刻と移り変わる。絶え間ないこの一瞬も今日この時だけだよ」
 同じ花は咲かない、同じ空もない。
 その言葉に祐の心で鈴が柔らかく鳴り響く。一瞬の時間も大事なのだと、祐の存在も必要なのだと言われた気がして。


「きみの名前は? 俺は楷巽っていうんだ」
 突然、名前を聞かれ巽と視線を合わせる。氷のように何も感じ取れない表情には僅かに笑みがこぼれていた。
 少し困惑して、それでも口を開く。
「……魄地、祐……」
「祐君か……。宜しく」
 銀の瞳に怯えも縁を断ち切ることもせず、よろしくと言った巽に目を見開く。そう言われたのは初めてだった。そして、初対面の人間に下の名前で呼ばれたことも含め。
「ん? 俺、変なことを言った?」
 祐ははっとして顔を背ける。耳までなぜか真っ赤になって。
 巽は何の理由からかは分からないが、十代の少年らしい行動に微笑ましく思えた。

   *

「何かにイラついているようだけど……」
 少年の肩がピクッと反応する。
「良ければ、俺に事情を話してくれないかな? 時間はあるから、じっくり聞くよ」
 なぜだ、と祐の瞳が、全身が、巽に向けて鋭くぶつかる。初対面なのになぜ境遇を明かさなければいけない? と言外ににおわせた。
「初対面だからこそ話せることもあるよ。第三者だから偏見も先入観もない。対立もね。秘密は守る。俺は精神科医だ。力になれるかもしれない。もし嫌だったら強制はしないし、きみが決めてくれていい」

 窓から白いレースがふわりと舞うように風が少年の中に吹き込む。
 優雅に、懇切な声で手を差し伸べる巽。これまで少年に光をもたらした人はあまりいない。
 暗闇に一条の光が心の水面へと差し込んでいた。底から頭をもたげて水面を見上げる。すぐにでもその光へ走っていきたかった。けれど今まで培ってきた人間不信はそうやすやすと檻から出してくれない。ましてや光の恐怖も徐々に染み始めていた。

「祐君は――」
 うつむいていた顔がはっと仰ぎ見る。
「今のままでいたい? それとも、変わりたい?」
 その言葉にドクンと鼓動が全身を揺らす。
「変わ、……い」
「え?」

「変わりたい! 変わりたいんだ!」

 堰を切ったかのようにほとばしる声。辺りいっぱいに響いた。川で泳ぐ魚たちが石に隠れて二人の人間をそっと覗き見る。
 本音をもらした祐はあわてて巽から目をそらす。内に秘める叫びを人前で、しかも大声で言ったことなどなかった。それでも、一度出てしまえば芋づる式につらつらと勝手に話し始める。自分を止める方法はなかった。
「オレはこの目のせいで一族の者たちから、やっかい者扱いされてるんだ。会えば後ろ指をさされ、悪口を叩かれる。だけど、それはもう慣れた。いや、慣れたと思い込んでるだけかもしれない。何も理解されないことがつらい」
 ぎゅっと拳を作って、震わせる。
「一人、一族の中で仲良くしてもらってる人がいる。だが、いつ一族の者に知れるか分からない。その人も離れていくかもしれない。何より、その人に危害がいくことだけは避けなければいけない……」

 全てではないが、祐自身がためていたものを吐き出し終えた。少しだけ楽になったことに頭の隅で意外に思った。


「そうなんだ……辛い思いをしたんだね。その間、寂しい思いをしながら泣いてたりしてたんだろうね」
 その一言が、祐の心にじんわりと人の温かさが染み込んできた。思わず、涙腺が緩む。人前では泣いたことがない祐はかろうじて流れそうになる涙を塞き止める。本家を追い出されたあの日から、大声で思いっきり泣くことはない。
 そっと祐の肩に手を置いて。
「俺は精神科医だけど、すぐにきみの心を癒してあげることはできない。心の傷は、時間をかけてゆっくりと癒すしかないんだ」
 人の心は繊細で壊れやすいものだから、と付け加えた。

「……どう……、て」
 か細い声に「ん?」と問いかける。
「どう、してだ?」
 捻り出した声は疑問。
「何がだい?」
「どうして、そんなに親身になってくれるんだ?」
 巽は薄く微笑み、少年と一歩分離れる。
「そうだね、そう思うのも無理はないかもしれない」
 もう一度、沈む夕日に思いをはせて。
「精神科医だからっていうのもあるけど……。俺も過去にトラウマを持ってる。今でさえ、あの頃の悪夢を見てしまう。けれど、ある人のおかげで、今こうして立っていられるんだ。きみもそうだろ?」
 巽の横顔は赤く照らされ、表情は穏やかだった。氷が溶けて春が訪れたように。
「祐君が苦しんでいるのを見過ごせない。これ以上、傷つくことはないようにしたいんだ」
 祐とゆっくり視線をあわせ、そのまましばらく見つめあった。
 決して嘘ではないことが少年に伝わるように。受け取ってもらえるように。

   *

 病院の場所をメモに記して。
「ここが俺が勤務している病院だから、気が向いたら来るといいよ」
 少年に渡す。
 その場所は現在いるところから、それほど遠く離れてなく一駅分の距離だ。
「来るのに抵抗があるなら、携帯に電話してもいいよ。勤務時間帯は出られないけど」
 いつのまに書いたのか、再び携帯番号のメモも渡す。
 名前と共に、丁寧な文字が二つのメモに書きつづられていた。


 そうして帰って行く巽は。
 祐のことを思い、見えない傷を少しでも取り除ければ、と願う。
(傷を負った者同士、出会ったのは偶然ではないかもしれない……。縁の糸が切れてなければ、また出会えるはずだ)
 巽の記憶から、最初に見かけた小さな少年の背中が頭にこびりついて離れなかった。あの年で大きなものを背負っている、そう敏感に感じて素通りできなかったのだ。

 そして――。
 祐自身の激情を羨ましく思った。素直に自分の想いを表現している。
 いつか巽自身も感情をいとも簡単に出せる日が来れば、と目を伏せた。左腕の古傷を一度さすって。



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■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 2793 // 楷・巽 / 男 / 27 / 精神科研修医

 NPC // 魄地・祐 / 男 / 15 / 公立中三年

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■             ライター通信               ■
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楷巽様、はじめまして。発注ありがとうございます。
この度は当異界のゲーノベ「警笛緩和」にご参加くださり、ありがとうございました!

ある一言を巽さまに言って頂きたかったのですが、まだ早かったので書きませんでした。


少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝