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<東京怪談・PCゲームノベル>


Dice Bible 2nd ―兌―



 嘉手那蒼衣は静かに首を横に振った。
「さっきも言ったはずよ。本は渡さない」
「へぇ〜」
 湯川は感心したように返す。
(だって、手放したらフェイとの絆が切れてしまう)
 それが嫌だ。
「あなたは確かに人を助けたんだろうけど、だからってあなたが正しいとも従おうとも思わない。
 あたしが主になったのは、フェイと一緒にいたかったから。殺されていいと、死にたくないと思ったのもフェイのこと……好きだからよ。本を手放すってことは、その気持ちを手放すことなの」
 はっきりと言い放った蒼衣を見つめ、彼は肩をすくめた。
「そっかぁ。じゃあ、残念だ」
 目配せすると、彼に所持されているメイシンが前に出てきた。特徴的な黒のチャイナドレスからは長い脚が覗いている。
「待って」
 蒼衣の制止の声に彼は「ん?」と首を傾げた。
「人殺しの記憶を持ったまま、ダイスの役目を失ったフェイたちはどうなるの?」
「どうって?」
「少なくとも、あなたがダイスを癒してあげるとは思えない」
「癒す?」
「……あたしたちを観察して楽しんだのなら、その見物料よ。ダイスがダイスでなくなっても、普通の人間としてちゃんと生きていけるようにして」
 なにかをしたいとか、好きになるとか……そういう気持ちが、こんなに大変なものだったなんて。
(思い出させてくれたフェイのために、あたしにはこれが最期でも、ワガママを言う)
 本当はフェイと一緒に生きたい。
 湯川はきょとんとしていたが、それからくすくすと笑う。
「そんな願いを叶えるとは、本気で思ってないんでしょう?」
「…………」
「ていうか、お門違いっていうかな。そもそもキミたち、なんにもしてないじゃん。キスもセックスもさ。なんにもしてないのに見物料をとるってのは、ちょっと図々しいと思わないか?」
「な……!」
 思わず頬が熱くなる。なんてことを言うんだこの男は。
「たったあれだけのことが、ダイスを人間にする料金に匹敵するとでも? キミだけの命でも、足りないくらいだ」
 そもそも、と彼は続けた。
「人間だったものを別のものにしたのに、元に戻せるわけないじゃない。
 普通の人間としてちゃんと生きるって、なに? 言っておくけど、苦しい記憶を背負ったまま生きさせるのはかなり辛いよ?」
「それは……そうかもしれないけど」
「キミって発言の後先を考えないよね。まぁ、仕方ないことなんだろうけど。
 いいとも。じゃあさ、ダイスを人間に戻せたとして、キミ、その責任を負えるんだね?」
「責、任?」
「彼らが生きていく助力をしていけるか。それとも生活面を支えられるか。面倒をみるってことだね。できるから言ってるんだよね?」
 無邪気な笑顔で言う湯川はその後に冷たい目を蒼衣に向けた。
「オレはね、彼らが望んだから手を貸しただけ。望んだ願いを叶えただけ。
 人間を捨てる選択をしたのは彼らさ」
「それはそうだけど……。でも、それじゃあダイスたちは……!」
「一度破壊されて蘇ったダイスもいるけど……あれは本当に、稀だ。でも……うん、幸せそうでオレは嬉しかったね。
 大事にされて生きるダイスを見るのは嫌いじゃないよ。子供ができたら、見に行こうと思う」
「?」
 なんなのだろう、こいつは。
 つかめない。
「あれは彼らの愛の奇跡だと思う。いいね、そういうのは嫌いじゃないんだ。
 選ぶのはそれぞれだ。オレは何もしない。ただ選択肢を提示しただけ」
「湯川君……」
「べつに自分が正しいなんて思ってないけど、キミが本を手放さないなら仕方ない」
 ざっ、とメイシンがさらに一歩前に出た。なんの感情も浮かんでいない黄緑の瞳が、怖い。
「ダイスの弱点は、相手を一瞬で殺せてしまう破壊力なんだよね。オレとしては、キミみたいなタイプは屈服させたいんだけど」
「く、屈服ですって!」
「そう。まず耳をそぐ。次に指を一本ずつ切り落とす。舌を切断して、両手両足を使い物にできなくする。鞭打ちにしてもいい。
 どれだけ強情でも、痛みには勝てないからさ」
「……あたしは屈服なんてしない」
「キミはなんの訓練もしてない一般人だよ。すぐに悲鳴をあげて泣いちゃうよ。やってみようか?」
 湯川が手を差し伸べる。つん、と鼻をつく芳香がした。
 途端、蒼衣の脳裏に拷問される自分の姿が浮かぶ。痛みに悲鳴をあげる自分。その痛感は本物で、蒼衣がハッと我に返った時には腰から力が抜けて座り込んだ。
(あ……あぁ……あ)
 ひどい……。
「ほらね。考えるよりも実体験はひどいもんだ。
 実際にやったらもっと痛くて気絶しちゃうと思う」
「ゆ、湯川君……」
「キミは自分でフェイを助けるとは言わないんだね」
 湯川はそう小さく呟いた。
「オレに訴えるのは簡単だけど、それって、結局キミはなんにもしないってことじゃん。怠惰なことだ。
 嘉手那さん、オレはね、フェイが選ぶなら別にいいんだ。訊いてみようか」
 まっすぐに彼の視線がフェイをとらえる。
「オレのところに戻るもよし、それともこの女の子の元にとどまるもよし……。フェイ、選択だ」
「…………」
 呆然とするフェイは戸惑ったように視線を伏せる。
「こんな状態のフェイを、キミはどうするつもりだったの嘉手那さん。連れて帰って、困るのはキミだよ。保護者に説明なんてできないしね。
 フェイがずっとこのままで……困るんじゃない?」
「そんなことない……!」
「じゃあ養っていくんだ。偉いね。成長もしないそんな存在を、キミはよぼよぼのおばあちゃんになっても支えられるんだね」
 不安定なままのフェイ。自分が老いても彼はそのままだ。それを考えて、蒼衣はフェイを見遣った。
 彼のおかげで自分は思い出せた。彼を大事に想う心に嘘はない。でも現実は甘くない。
 湯川はフェイを人間には戻す気はない。彼はずっとこのままだ。蒼衣が死んだら彼はどうなる……? たった一人ぼっちで、罪悪感と共に生き続けることになるのではないか?
 そんな……そんな……。
 蒼衣はフェイの衣服の袖に手を伸ばす。すがるような目で見ると、彼はこちらを見返してきた。
「あたし……フェイの本を手放したくない。フェイ……」
「…………」
 彼は困ったような瞳をしたが、すぐに視線を湯川に向ける。
「俺は……おまえとは行かない」
「へぇ」
「妹たちをどうするんだ」
「……どうするかを決めるのは彼女たちが選ぶことだ。記憶を封じたほうがいいならそうしてあげるけど?」
「…………いや」
 フェイは首を緩く左右に振った。
「……いい。このままで」
 一度きつく瞼を閉じ、それから開く。青空の瞳が蒼衣をとらえた。
「俺は……残る。選ぶのは俺だ」
「…………そう。じゃあね」
 湯川はそう言って薄く笑った。最後に蒼衣を見つめる。
 何か言いたそうだったけど、彼は苦笑して背を向けて歩き出した。それを見送ったフェイは蒼衣に手を差し出す。
「大丈夫……か?」
 手を掴んで立たせられた。冷たい手だ。
「フェイ……」
 そっとうかがうけど、彼は首を横に振った。
「まだ、混乱して……る……から。あぁ、でも、うん」
 泣きそうな顔で彼は笑う。
「自分は、もう、ダメだ。ご主人」
「フェイ……?」
「もう、イヤだ。ダイスとして……も、生きていたくない……」
 辛そうな顔をするフェイは顔を伏せた。
「すまないご主人……。俺の本は、処分して欲しい……」
「いや……そんなの嫌!」
 叫んで腕を掴む。けれど、フェイは蒼衣のか弱い力ではびくともしなかった。
「…………」
 フェイは、完全に心が折れていた。彼は彼の背負っているものに完全に押し潰されてしまったのだ。
 それを蒼衣ではどうにもできない。自分は一人だ。フェイに支えられたけれど、彼を支えるためにどうすればいいのかわからないのだ。
 慰めの言葉も、なにもかも、出てこない。
 フェイは儚く笑った。
「気持ちに応えられなくてすまない、ご主人」
「フェイ……」
 もう何も、言えなかった。そんな悲しそうな顔をされたら、何も……。



 家の外で待つフェイのもとへ、本を持って戻ってきた蒼衣は、彼を見上げる。
 この本を渡すことはできない。そうすれば……フェイとの関係は終わる。まだ何も始まってないのに。
「……あたしを殺すんじゃなかったの……?」
「……感染していない者を殺しはしない」
 低く言うフェイは手を差し出した。蒼衣は戸惑ったようにその手を見た。
 湯川から守ったのに。いや、見逃してもらったと言ったほうが正しい。
 震える手で持つ本。渡したくない気持ちが出てしまい、フェイに差し出せずにいた。
 蒼衣から奪い取るようにして、フェイは本を持つ。蒼衣は「あ」と小さく洩らした。
「契約、解除だ」
 フェイは自分の本を攻撃した。目の前で破壊される。本に亀裂が走り、粉々に砕け散った。
「…………」
 蒼衣は視線をフェイに走らせる。彼は薄く笑った。
「フェ……!」
 伸ばした手は、止まる。蒼衣はそのまま意識が闇の呑まれ、その場に崩れ落ちた。
 彼女を抱きとめたフェイは苦い顔で呟く。
「ご主人、あなたには未来がある。俺にはない未来が。だから、俺の分まで生きて欲しい」
 彼は蒼衣を抱き上げて玄関まで連れて行き、そこに横たえた。
 ざらざらと指先が崩れていく。
 自分はなんだろう? ダイス? それとも人間? もう、わからない。



 崩れていくフェイを屋根の上から眺めていた湯川は嘆息した。
「……やっぱりそういう結論になったか」
 頬杖をつく彼は蒼衣のほうを見る。もう彼女はフェイの記憶がないはずだ。
 完全に崩れ去ったのを見届けて立ち上がった。
「フェイを救うことはできなかったようだね。残念だ。
 嘉手那さん……キミはオレに問うたね? 癒してやれるのかって」
 その答えは、いま、ここにある。
 癒すのではない。相手の闇を一緒に抱えることができなければならないのだ。
 ポケットに片手を突っ込み、湯川は空いた手で髪を掻きあげた。
「普通の人間に戻すことが癒せるなんて本気で思ったのなら…………」
 冷たく見遣り、湯川はそこから姿を消した。

***

 蒼衣は空を見上げた。今日の空はなんだか澄んでいるような気がする。
 なにか忘れているような気も、する……。
「…………」
 でも、思い出せない。
 軽く首を傾げ、蒼衣は歩き出した。いつもと変わらない日常へと――――。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【7347/嘉手那・蒼衣(かでな・あおい)/女/17/高校2年生】

NPC
【フェイ=シュサク(ふぇい=しゅさく)/男/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 最後までご参加ありがとうございます、嘉手那様。ライターのともやいずみです。
 これでフェイとの物語も終わりとなりますが、少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。