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<東京怪談ノベル(シングル)>


悪は便利だ


 どうにか夕日を打ち滅ぼしたく、槍をその手で放ったのだが、98m48cmの時点で、思いは地球へ墜落した。
 けれどそれは肉の所為だから。寧ろ人間の肉体の素晴らしさを証明してくれたじゃないか、偉大だよ君は、と、千の声で、万の声で、百億の声で称賛されてしかるべきで。
 だけれども、
 ――どうにか悪を打ち滅ぼしたく
 日本刀を構えたのだけれど――
 一歩も動けなかった事は、
 心の、所為になる。
 手と手が届く距離なのに、唇と唇を繋げる距離なのに、思いが届く距離なのに、殺意を刃に込めて斬れない事は。
 肉の所為より、心の所為。
 戦場では死。
 ……、
 まぁいいじゃない、刺せなくて。
 ここ戦場じゃなくて一般社会だし、刺してしまったら、侮蔑されるよ。
 人殺しは嫌われるから。それはルール、多数決、人類のオーソドックス。ダメだダメだよ例えどんな理由があれ、人は人を殺しちゃいけないのは当然じゃないか。憎しみは何も生み出さないだろ。ともかく、法の下に我らは居るんだ。人殺しは悪い事だ、悪い事は捕まるし、ええい、とにもかくにも、
 斬っちゃいけない。
 ……、
 ……でも、
 それでも、
 それが、
 悪なら、
 、
 いかがですか?


◇◆◇


「なぁなぁなぁ、キョウぴょんキョウぴょん」
 蝿のように鬱陶しい
「ちょ、私こっちよ!? もーキョウぴょんは透明の彼氏でも居る訳ぇ?」
 糞のように煩わしい。
「むぅけぇ! よし、向いた! ……笑ってないなぁ」
 死のように拒否したい。
「わーらーえー!」
 生のように面倒くさい。
 ……帰り道、自分の隣で騒ぎたて、視線をそらしたらその前に来て、顔を背けたら無理矢理両手で視線を変えられ、表情について文句を言われ、両手をあげた少女に命令される状況。ああ全くに、
 東雲鏡子は辟易していた。
 いや正確には東雲鏡子ではないのだが。とかくともかくいやなのだ。真実本当、この状況、……学校から二人並んで帰っているという状況が。下校を同じ学校の同じクラスの同じ性別の人間と帰る事を嫌がるなんて、珍しい類ではあるのだけど、理由を聞けばまぁわからんでもない。単純、うっとおしかった。今だって、目前で、はあと溜息ついてみせるのに、
「んー?」
 気にせんとばかりに浮かべるこの笑顔と来たら。砂漠に咲いた向日葵なくらい、空気を読んで欲しくなる。
 苦手だった、こういう子が。性格が暗い自分に対し、前述の通り底抜けに明るい。容姿だって、眼鏡をかけて地味な自分に対し、ショートカットを金に染めて、片耳にピアスをつけたプチ不良。
 こういう水と油の間柄がつるむという事は、通常、あるケースに分類される。
 虐める者と虐められる者。
 かつての東雲鏡子は後者だった。なら、今も、そういう事か? 否、どっこい否。果たしてどういう思惑か、この少女が鏡子に近付く理由と来たら、「スッマイルースッマイルー」どうにも仲良しさんになりたいとしか思えないのである。
「っと、そろそろ早足で行こうよ、その方が遊べっじゃんさあ」
 解らない。どうしてか。誰かに命令されたとでもいうのか、まさか彼女はレズで自分を狙ってるのか、あるいは自分の秘密を知って、もしくは例の件で同情されてか、と、何度も何度も考えた事ではあるけれど、
 最近は、思わなくもない。
「さって、何作ってもらっかなー。キョウぴょん好き嫌いある? 言え!」
 そんな事に、いちいち理由を詮索しなくてもいいかもしれぬと、だから、
「大丈夫大丈夫アポ無しでも! 望むんだったらフカのヒレでも用意させてやる!」
 鬱陶しくても、煩わしくても、拒否したくても、面倒くさくても、
 最近は、
「……ところで、フカのヒレってうまいん?」
 諦められる――
 、
「美味しい、けど」
「マジでマジで!? うわ、何、キョウぴょんブルジョア!? 毎日のように三大珍味!?」
「そ、そんなに食べたことはないですよ。あの、……今日本当に大丈夫なんですか?」
「遠慮なし! 私とキョウぴょんの仲ッ!」
「は、はい」
 諦めて、仲良しさんになっている。ウザいテンションに付き合える。少女との距離はとても近い、虐められていたあの頃は、人と、鏡子は、近くても遠かったのに、
 仲良くなると、遠くたって近い。
 ……近くて、近い方が、楽しいけれど。
 今みたいに。
「よし、着いたー!」
 玄関、
「えっと、お邪魔します」
 廊下、
「はいはい遠慮なし! 母さん、おかあさーんッ!」
 部屋の前、
「今帰ったよー!」
 部屋の中、
「……」
 首吊死体、
「……」
 首吊死体、
「……」
 ――、

 両親が首を吊って死んでいたから、
 少女のあらゆるはそれなりに止まった。
 呼吸はしてるけど、呼吸はしてるけど、
 心のあらゆるがそれなりに止まった。
 呆然を、している。


◇◆◇

 悪は便利だ。
「お、来た来た」
 虐められているという現在進行形を、虐められていたという過去形に変えられる。
 ……悪は便利だ。
「四葉ちゃんだっけ、AV女優みたいな名前だねぇ。ひっどい名前つけるねぇ君の親も。バカ親だね」
 お金を、稼げる。
「いやーびっくりしたよ、おじちゃんね、お父さんとお母さんにお金貸してたんだけど、今日来たらこの様だよ」
 勝手に家に入れるし、冷蔵庫のビールを勝手に飲めるし、死体を前に胡坐をかいて待っていられるし、
「しょうがないねー、あのさ、お父さんとお母さんこうなっちゃったら、お嬢ちゃんがね」
 あらゆる制約を振り切ったり、誤魔化したり、他人に迷惑をかけたり、他人の物を奪ったり、揺り篭から墓場の権利までどうにかこうにか出来たりして、それに、
「なんとか言えやこら」
 女の腹を殴れた。
「おっ、おっ、こら、聞けよ、お前なあ、借りた金返さない方が悪いんだぞ、お前の親が、何勝手に死んでんだよ」
 うずくまった女の腹を蹴れた、何度も繰り返し蹴れた、顔は蹴らない、奪う物だから。
「売るからなお前、タイがいいか、他は……いいやタイで、タイで日本人に股広げろ、労働して返せ、一生かけて償え、おら、ほら、ああ?」
 悪は、便利だ。悪は、
「いっつまで親見てんだよ行くぞおら、こら、ん?」
 私だ。
「やべ別に居たのか」
「ありがとう」
「ああ?」
「優しさを、」
「え、あ?」

 ――ありがとう
 悪は便利だ。
「助けて助け嫌ひいいなまんだぶなむやあああああぎやああああああッ! ……お、おえぇッ! おぼ、えげぇ! ぎ」
 ぎ。


◇◆◇

 肉を引き連れ影が行く。

◇◆◇


 酷く、高く、聳える、ビル。
 最近のヤクザもサラリーマンみたいな所が増えてきて、義理と人情より効率性が求められて、大学を出てから入る人も居るらしくて、酷く、高く、聳える、ビル、
 四階、一室、
「清水は電話出ねぇの?」声、一人、人相悪い、「はい、いくらかけても」声、小指短い、舎弟っぽい、「ったく何してんだか」壁、もたれかかる、煙草、「夜ワゴン使うんすけどねぇ、ほら、ジュクの」ライター、「あああのだるまへデリバリー? うんなもん、電車でいいだろ」一服、「嫌っすよ、ほら、この前の奴電車に飛び込んだじゃねぇっすか」諦め顔、「あーだなー、全く生きてりゃいい事もあんのによぉ」煙草を吸う、壁にもたれかかる、「全くっすね」同意、「根性ねぇよな若いもんはよお、ああそうだこん前五十のおばはんくすねただろそいつを」壁、
 煙草を吸っていた男が浮遊した。
「おへ?」
 壁にぴったりついたまま、そしたら、首が曲がる、右へ傾く、「お……いいいいいいいいいいいいっ!」
 宙に浮いた状態で――
 ――身体はまるで、ジャイロのようにぐるぐると
 悲鳴と共にぐるぐると、ぐるぐると――
 ぶちりと。
 、
 音がした。

 首が浮いてる、
 首無し死体が、転がっている。
 二つの事実を一つに結べば、そう、
 壁から出た馬鹿でかい左手で、首を捉れて、人形みたいに千切れただけだという。
 人間が。

 左の掌から落とされた首は、弾む事無く転がる事無く。。
 残った一人、
 何が、起きたか、解らない。いいや、目の前にあるのは確認できる、壁を突き破って、馬鹿でかい左手があって、それが自分の“上司”の首をもぎりとって。でも解らない、現実なのに瞳が、否、身体中が目前を認めようとしない。
 解らない、解りたくない、そりゃそうだ、
 解ってしまえばそれは、
「ひ」
 自分が死ぬ事も、
「ひい」
 解るんだから。
「ひいいいいいいいいいいい」
 やがて左手は怪物になる。壁を突き破って現れるからだ。なんとも不恰好な、なんとも醜い、勧悪懲悪という歪をその侭形にしたような形だった。全身銀色硬度も銀、竜のドタマを乗っけてる、土人形のようにでかい図体、左腕は丸太のように太く、普通の右腕にゃ日本刀、
 ぶちぶち殺す為のピースを、接着剤でひっつけたような酷い姿は、その様からして対象を恐怖させられた。子供が無邪気に描いた絵が、大人の脳を冷やすようなものだった。
 実際、それの嗚咽は止まらない、
「ひい、ひいいい、ひいいいいいい」
 腰は砕けて、小便も止まらない。二十四になって、股間を濡らす自分を、訳の解らない物が近付いて、
 どうなったかを、
 語る必要は、あるか?
 ……。
 ……想像出来るだろうさだってこれは、
 悪に対する行使――
 、
 皆殺しだもの。
「あ、お、俺の骨、骨ぇええ!?あ、ぬ、抜くな、抜くなあああげぇあ!? いぎゃ、あああやだややだやだあだだだやだああああああ!」

◇◆◇

 五階、七階、「食うなぁ、食うなあ!」十階、(聞こえない聞こえない聞こえない助け助けて助けて)十七階、「こ、殺せよ、殺してくれよお!? いやだあ、いやだああああ!」二十二階、二十三階、二十四階、「、」三十五階、「おべ、溺れる、息、でき、」三十九階、「おぽげ」四十六階、「……何これ? ……な、に、こ」四十八階、「お、おい運べ! 俺を運べぇ、逃げんな俺をおい、おい!? あ、な、なんなんだてめぇはぁ!? ……待ってください許してください心入れ替えますから真面目にやりますから神様神様神様神様神さ」四十九階、「エ、エレベーター動きません、階段も、ぶちぬかれて、……え、え――」

◇◆◇

 七十七キロあった人間を、右手の日本刀で五分割くらいにして、
 左腕で投擲したなら、それなりの武器にはなりはした。ああ、人間の腹の中に顔がある、男は仰向けに倒れている。
 左《手》で踏み潰したら、口から血をごぽりと吐いて死んだ。
 こうして四十九階を皆殺せば、
 五十階が生き残ってる。
 悪は便利だ。
 五十階も殺せる。
 扉を、
 開けたら、
 ……、
 ……白髪で、体躯のそれなりにいい、紫のスーツに身をつつんだ男が、全面ガラス張りの壁まで寄り、座って、透明な部分を猫のようにひっかいていた。
 防弾という事が仇になったか、いや、そもそも人間の爪じゃぶちやぶれないものだ。……猫のようにひっかいている、逃げる為、何から、
 殺される事から逃げる為、
 せめて自分で死ぬ為に。
 殺されたくない。
 ……、悪は、便利だと思う。
「ひ」
 こんな大きなビルを建てる事が出来るし、
「や、やめろ」
 こんなに大勢を皆殺しにも出来るし、
「やめて」
 今だって、

 顔面の半分を殴り壊せば脳の一部に損傷をきたし右半身が瞬間で不随になれば字体を横に真っ二つに切断してそれでもまだ生きているから馬乗りになって殴る殴る殴る斬る斬る殴る殴る殴る斬る殴る、
 、
 滅ぼす事が出来る。

◇◆◇


 屋上で、吠える。
 屍が住む塔の上で。
 地下に並べられた商品にも、届くような声で。天に向かって叫んでるのに、上へ上へと放っているのに、下にまで届く程、雄たけびは大きくて。
 何故叫ぶのか、
 獣なのか、
 涙代わりか、
 解りやしない、
 解っている事は、
 ただ一つ、

 セカイに悪は唯一人
 滅ぼすタメに


◇◆◇

 悪は便利だ。
 けれど、万能じゃない。
 例えば揺れる両親の前で、放心し続けている少女に、
 笑みを浮かべさせる事はない。