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<東京怪談ノベル(シングル)>


鋼鉄の刻

 ぴたん。
 ぴとん―――雨音が響く。
 錆びた鉄の塊の上に、一定のリズムを刻んで降り注ぐ、雨の滴。
 ぴとん、ぴたたん。
 身体中の熱を奪っていくような、冷たい滴に、みなもはひっそりと心が冷えていくのを感じていた。

―――あたし、このまま固まってしまうのかな?

 心の中で、考える。
 もはやその事へ対する恐怖すら冷え切って、今は心すら震わせない。

 ぴたたん、とんとん、ぴとん。

 雨はそれでも無情にみなもの上に落ちてくる。
 錆び付いた、鉄の身体に。

***
 
 梅雨が招いた土砂崩れが、思わぬ海中の沈没者の存在を顕わにしたのは、ほんの一昨日の事だ。
 くず鉄と化した戦車の残骸。
 まだ梅雨は明けない。
 マスコミや軍事兵器に目がない趣味人達の二次災害を防ぐためにも、早く処分しなければならないと、みなもに回ってきた仕事はその鉄屑の処分であった。
 一時的に雨の止んでいる時を狙い、再び崖が崩れるのではないかという不安を胸に抱きながらも、やってきた海岸沿い。
 確かにその鉄の塊は、褐色の肌を覗かせて海に眠っていた。
「思った以上に量が多いんだ……」
 みなもが最初に思ったのはまずその事だった。
 そもそも戦車一台分の鉄屑の量というのもが、どれくらいのものなのかは知らなかったのだが、想像以上の鉄塊が、海中から突き出すようにして顔を覗かせている。
 血の香りに似た、海水で錆び付いた金属の香りが鼻についた。
「とにかく、側に行かなくちゃ」
 崩れた岩場の上を慎重に足場を選んで進む。
 濁った水と岩場に張り付いた藻のせいで、歩くのは容易ではない。
「きゃっ」
 けして気を抜いたわけではなかったのだが、踏み込んだ場所が悪く足場が崩れ、気がついたときには海に落ちていた。
「……まぁ、いいか」
 若干不本意ではあったものの、落ちてしまっては仕方がない。
 むしろ話しが早いと覚悟を決めると、みなもは滑るように海中を進む。
 やがてヘドロのように海藻と錆を纏った、鉄屑がみなもを待っていた。
「さて、どうしよう」
 改めて見ても大量な残骸。
 いくらみなもの異能力を持ってしても、一度に処理をするのは困難な量だ。
 これは時間がかなるのを覚悟して、少しずつ、確実に仕事を進めて行った方が懸命だろう。
 しばらくぼうっと鉄屑と向かい合っていたみなもだったが、そう決心を固めると「よし!」と自分を奮い立たせるように呟いた。
 
***

 作業自体は単純だ。
 まずは海中から、持ち上げられそうな分だけでも、海中から鉄屑を引き上げる。
 みなもの細腕で、金属の塊を海中から引き上げるというのはかなりの重労働ではあるが、実際にはそういった力のいる作業は操る水に任せるので、実際に自分が行うよりはずっと苦にならないはずだ。
 人魚の姿になれば、このくらいなら容易に持ち上げられそうだが、万が一人目についてはまずいという事で、多少面倒だがこちらの方法をとることにした。
 一度に大量の処理は無理でも、少量ずつであれば海中で分子分解し、浄化するのは困難ではない。
 そのまま波で沖まで運んでも良いが、海をそういった形で汚すのは気に入らなかった。
 だから多少時間が掛かって面倒でも、この方法が一番だろう。
 そう考えて1時間。
「はぁ……」
 思わず溜息を溢した瞬間に不安定な岩場から、苦労して積み上げた鉄屑が大きな音をたてて海中に崩れ落ちた。 
 これで何度目だろう?自分がさながら巨岩を山頂に押し上げ続けている、哀れなシジフォス神になったような気分になる。
 みなもは本日一番の溜息を、肺が空っぽになるまで吐き出すと、そのままずるずると鉄屑の上に腰を下ろした。
「……作った時は、こんな風に扱われるなんて思われてなかったんだろうな」
 実際に兵器として使用されたのかは不明だそうだが、鉱産資源に乏しい日本は戦時中深刻な金属不足に見舞われたのだと、以前学校の授業で聞いた覚えがある。
 日本中の子供達のブリキの玩具ですら、溶かされて兵器になった。
 この戦車も、きっとそういうものから作られたのだろう。
「寂しいね。大事だった物で作られたはずなのに、今はもう、誰にも望まれていないなんて」
 鉄屑に囁きかけてから、しばらくみなもはそのまま岩場で休憩をする事にした。
 波風が少し冷えてきたせいか、妙に身体が冷たくなっている気がする。
 それでも腿の上に両肘を乗せて頬杖をつき、灰色の波と波間に揺れる褐色の遺物をぼんやりと眺めていると、不意にじんわりと痺れるような痛みが走った。
 海水と泥と藻でぐちゃぐちゃのスニーカーを見下ろしながら、靴の中で足の指をふにふにと動かしてみる。
 なんとなく思うように動かない気がして、暖めた方がいいかな?とスニーカーを、そして次いで靴下を脱ぎ、みなもは凍り付いた。
「……え?」
 足の指が、褐色に染まっている。
 もしかしたら泥で汚れているのかも知れない、そう思って慌てて脱いだ靴下で拭いてみる。
 だがいくら拭いても指は綺麗になるどころか、鈍い金属のような風合いを増すだけだった。
 みなもは恐ろしくなって一度爪先を両手で包み隠した。
「何?なんなの……?」
 手の中に包まれた足の指が、妙に硬く、また触られている足の指の方の感覚がない。
 自分の身体の変化を受け入れられず、見るのも怖くてみなもは再び爪先を靴下で覆った。
「大丈夫、何かの、間違い……少し冷えてるだけ、そうに違いない……」
 ぶつぶつと自分に呪文のように言い聞かせ、跳ね上がった心拍数に呼応するように激しくなった呼吸を鎮めようと、己の口元を両手で包んで目を閉じる。
 そして再びうっすらと目を開け、おそるおそる右手で右足の靴下をずり下ろすと、みなもの祈りをあざ笑うかのように、指だけではなく爪先の半ばまでが同じように褐色に変化していた。
「ひっ」
 息をのんで右足を岩場に放りだすと、ごぉん、と思い音がして、鈍い衝撃が膝まで走った。
 体重をかけていた左足も重い。
 見れば膝下まで、変質していた。
 今、自分のすぐ足下に転がる鉄屑と、同じ色。
「いや!何!何なのっ!?」
 自分の中の異質な存在を追い出そうとするように、みなもは拳で己の足を叩いた。
 ヒステリックに、何度も、何度も。
 がぁん!がぁん!―――ガツッ!
 拳の当たる音が不意に変わる。
 まるで硬い物が当たったような音。
 がくがくと震えながら、己の拳を見る。
 それは足と同じに、金属の様相を呈していた。
「いや……」
 少しずつ呼吸が苦しくなり、体中の痛みが増す。
 体中が冷たいのは、血も金属に変わってきたからなのかも知れない。
「いや、いたい……たすけ……」
 力なく吐き出す呟きは、まるで凍り付くように末端から体中に広がる金属に飲み込まれ、やがて―――消えた。
   
***

 雨が降っている。
 一定のリズムを刻んで繰り返される水音は、まるで時計の秒針のようだ。
 緩慢に、けれど確実に、時間が流れていく。

―――こうやって、あなたも錆び付いてしまったの?

 戦車のように丸く身体を折り曲げ、薄れていく自我でそれを想う。
 ゆっくりと訪れようとする滅びは、夕日が沈むのに似ているのかもしれない。
 それは静かで、寂しい。

―――あたしを、道連れにしたいのね。

 いったいどれだけ時間が経っただろう。
 不意に雨で緩んだ土砂が再び崩れ、鉄屑とみなもは共に海中へと沈んだ。
 海の水を得て、全身に血が通うように、再び力が涌いてくる。

―――ごめんね、一緒には行けないの。

 静かに目を閉じる。
 みなもの身体が柔らかな人魚の身体に変ずるのと同時に、強い光に包まれて長い刻を生きた命は海に還った。
 


 fin
 
***
ありがとうございました、Siddalです。
もっと恐怖と苦痛が激しい内容をご希望でしたら、申し訳ありません……。
リテイクやご意見、ご希望が御座いましたら遠慮なく仰ってくださいませ。
また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。