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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


とおりゃんせ ―後編―



 振り返ってはいけない。
 振り返ってはいけない。
 そっと手をさすった。
 これは……わたしの………………。

***

 一通りラジオからの音が鳴り響いた今、草間興信所は静まり返っていた。
 寒気がして菊坂静はぶるりと体を震わせる。ラジオに憑いている感情は、なんだろう?
「あの、すみません草間さん」
 武彦はもう関わりたくないと言わんばかりの顔を静に向ける。
「このラジオを持って来られた方、人間関係でなにか問題があったとか……言われてませんでしたか?」
「いや? 特に何も言ってなかったぞ。このラジオのせいで睡眠不足だくらいしか」
「なにか女性と別れたとか、つきまとわれていたとか……。
 もしかして、ラジオじゃなくて依頼人になにか憑いていて、ラジオはその影響を受けて受信したのかも」
「…………」
「もしもそうなら、依頼者の方が僕たちより危ないです。行ったほうがいいんじゃ……」
「だったらなにもラジオがなくてもいいじゃないか」
 武彦は視線をゆらゆらと揺らして言う。
「ラジオを買ってから夢を見始めたんだろ? それに依頼者の周囲のものを受信するなら、ここで鳴ったのはおかしいじゃないか」
 依頼者の家からは随分と離れている。
「そうねぇ。ラジオ以外には悩んでる様子はなかったし、他に変化はって訊いても後ろめたいことなんてなさそうだったわよ?」
 シュラインの言葉に静は「そうですか」と肩を落とした。そうじゃないかなと思ったのだが、二人は違うと考えているようだ。
「零さんはどう思います?」
「……菊坂さんの案だと、なんで『とおりゃんせ』なのか説明がつきません。女絡みのものなら、もっと相応しい歌を歌うような気がします」
「…………」
 そう言われればそうだ。
 とおりゃんせ。
 行くときはいいけど、帰り道には気をつけなさい。けれどもこれは。
(子供の歌だ)
 歌詞の一部に「この子の七つのお祝いに」とある。依頼人には子供はいない。
(逆算しても……七年前か八年前。二十代前半の依頼者さんだから、ちょっと無理あるかな……やっぱり)
 女の怨みと推測したが、これは空振りのようだ。
 シュラインはパンと掌を打ち合わせた。
「ねえ、眠る直前に聞こえるってことは、夢にこそ見極める情報があるんじゃないのかしら?」
「……俺は寝ない」
 武彦はさらに顔を険しくして言う。嘆息したのは零だ。
「もー。
 わかったわ。じゃあ私だけでもやってみる」
「ええっ!?」
 仰天する静を一瞥し、シュラインは少し視線を伏せた。
「実際に夢が見られるかわからないけど、やってみる価値はあると思うの」



 ごとごととシュラインが用意をしていくのを、武彦も静も零も黙って眺めている。
 テーブルの上には紙人形。それに土地神の御札。お神酒で清められた手鏡もある。
 パンパンと掌を叩き、「ふぅ」とシュラインが洩らす。
「……す、すごいですね」
 静の言葉にシュラインは胸を張った。
「もしかしたら夢の中に持ち込めるものもあるかもしれないし。鏡があれば背後を確認できるじゃない?」
「そ、そりゃそうですけど……」
 そっと鏡を持ち上げる静は全員を見回した。
「とりあえず寝てみるだけみましょう、みなさんで。全員一緒、というわけにはいかないかもしれませんけど」
「それは同感です」
 零もこくんと小さく頷く。
 シュラインはじっとラジオを見つめた。このラジオには念が取り付いている。
(何か大事なものを守りたいのかしら……それとも罪悪感? 何かを持ち出したとか)
 持ち出して背後を気にする、というのも考えられる。バレないだろうか? バレて叱られやしないだろうか?
「あのね」
 武彦を見つめてシュラインは言う。もしも失敗したら……。
「夢で手がかりとかなかったら、やっぱり購入したアンティークのお店にまた行ってみようと思うの。ダメかしら?」
「いや? 構わないが」
「前の持ち主の性別とか外見の特徴も知りたいし。もっと地道に、もっとたくさん聞き込みしたいの」
「あ。じゃあ僕もお手伝いしますよ」
「ありがとう、菊坂君」

 深夜過ぎ……全員が寝静まる頃にラジオからは小さく「とおりゃんせ」が流れ始めた。



 こわい。
 振り向くのがこわい。
 恐怖感に支配される。
 なぜ怖いの。
 どうして怖いの。
 とおりゃんせとおりゃんせ。
 シュラインは振り向くのが怖い。
 なぜって。
(だって。振り向くと)
 そっと誰かが手を掴む。小さな掌にゾッとするしかない。
 ねえどうして「とおりゃんせ」が怖いうたなの?
 誰かが遠くで訊いている。それは幼い時の誰か。今は成長している誰か。
 それはね、とその人は言う。人差し指を唇に当てて。
 こどもをね――――。

 小さな手を繋いで歩く。
 鳥居がみえた。
 参りました。用があるので参りました。どうぞお通しください。
 邪魔などあろうもないのに、なぜかそう思う。
 一緒に参る。両手を合わせる。
 そして……。

 あぁ、なんてことをしたんだろう。
 後ろ髪をひかれる。
 どうかどうか。
 無事に七つまで育ったその子をよろしくお願いします。神様。
 もう喋ることもない子供の視線を感じている。これは己の罪悪感か否か。
 仕方ないことなの。これ以上は無理なの。
 貧乏なことを恨んで。
 仕方のないことだと思って。
 ここならば神様があなたを導いてくれる。迷わないはずよ。
 でも。
 振り向いたらついて来てしまう。
 ついて来ないで。
 振り向かないからついて来てはいけないわ。
 とおりゃんせとおりゃんせ。帰りは怖い。ついて来ないことを祈るばかり。
 天神様。お願いです。どうかその子をお願いします。
 だってお母さんが言っていた。
 振り向くと、子供はわたしが呼んでいると勘違いをしてしまうって。だから。だから。振り向いてはいけないの。

 でも。
 つい。

 振り向いてしまった。
 腕にすがりついている青白い手。
 先ほどまでは体温があった手。
 絞めた喉には痕が残り、うっすらと笑う我が子。
 埋めたはずなのに。
「ひいぃっ!」
 悲鳴をあげて逃げ出した。
 とおりゃんせとおりゃんせ……。



 目覚めた全員は顔を見合わせた。
 夢はみた。
 けれど、シュライン以外の全員は背後に何かがいるというプレッシャーを感じ続けたものだったという。
「じゃあ、もしかして私だけ?」
 驚いたことにシュラインだけが詳細な夢をみたというのだ……。

「そういえばギリシャ神話にも、日本神話にもあるわよね。振り返っちゃいけないっていうの」
 しみじみと言うシュラインに、コーヒーを飲みつつ武彦は「うーん」と洩らした。静もコーヒーを飲みながら頷く。
「ギリシャ神話って、あのオルフェウスのですよね。竪琴の」
 死んだ妻を連れ戻しに冥界へ行き、振り返ってはならないという条件で現世へと戻って来るのだ。
 日本神話にも酷似したものがある。イザナギがイザナミを連れ戻しに行くというものだ。
 どちらも背後の恐怖を語っている。
「用意したもの、あまり意味がなかったわね」
 紙人形を身代わりにするというのもあまり意味がなかったようだ。お神酒まで用意したのに……。
 シュラインは嘆息するが、零が首を横に振った。
「そんなことはないんじゃないでしょうか。
 だって……あのラジオの声は女性のものですから……」
「子供を悼んでるってこと、よね」
 シュラインに続けられて零は「たぶん」と応える。
「依頼人が男性だったから、恐怖心ばっかり募ったってことなんですかね」
「そうだろうなぁ。母親の情念がこもってるなら、未婚の男なんて対象外だろ」
「零さんも年齢的には確かに」
 静の言葉にシュラインがしらっとした目で見遣る。三人が硬直した。
「いや、あの、若いお母さんだったと思うんですよ、僕は」
「ふぅん?」
 にやっと笑うシュラインに、静は困ってしまう。武彦は視線を逸らした。
 テーブルの上にあるラジオに全員が目を遣る。
「すごく古い時代のものってわけじゃないけど……やっぱり貧困で殺しちゃったのね」
「シュラインさんの夢だと、お参りに行った時に、ってことですよね?」
「ええ。でもその前に、とおりゃんせの歌について聞いていたみたいなの」
「誰がだ?」と、武彦。
 シュラインは夢を思い出そうと眉根を寄せる。
「えぇっとぉ……殺した母親が、たぶん小さな頃に自分の親か祖母から聞いていたみたい。声が遠くてちゃんと聞こえなかったけど。
 たぶんそれを元に実行したんじゃないかしら?」
 興信所の中は完全に静まり返る。
 ラジオは沈黙したまま。
 だがそこにこもっている念は祓われることはないだろう。
 今も子供を悼み、後悔した感情がこびりついているのだ。
 何も聞こえてはこないが……それでも耳にまだ残っている。
 子供の霊が恋しがってついて来ないかと心配する母親の、寂しい歌声が。
 ごめんなさい。殺してしまってごめんなさい。そんな気持ちが含まれているのではないだろうか?



「帰りにおはぎを買って帰るので、それでは失礼します」
 ぺこっと頭をさげて静は背を向ける。
「またね」
 と、興信所前で手を振ったシュラインは、ハッとした。静は今、振り向くのをためらっている。それは……そうだろう。
 ついさっきのことだ。
 静が完全に見えなくなってから、シュラインは武彦に相談した。
「あのラジオ、その母親か親族の持ち物だったんじゃないかしらね……」
「貧乏じゃないのか?」
「貧乏になっちゃってラジオを売ったっていうことも考えられるし」
「……そうだな。しかしどうする? ラジオが」
「そうね。供養したほうがいいんじゃない? 依頼人には悪いけど」
 それが一番妥当だろう。
 武彦は「そうだなあ」とぼんやり呟いたのだった。そして小さく。
「……とおりゃんせとおりゃんせ……か。
 七つのお祝いに神様のところにお参りするのに、帰り道だけ怖いっていうのは……よくよく考えれば変だものな」
 天神様のところへ行こうとするのなら、行きも帰りも邪魔をする輩がいてもおかしくはない。それとも、行きは御札の効力でもあるからか? いいや、それもなんだか妙だ。

 とおりゃんせ、とおりゃんせ。
 いきはよいよい、かえりはこわい。
 かえりは……こわい。
 振り向いては、いけない。
 いけないよ……?



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5566/菊坂・静(きっさか・しずか)/男/15/高校生、「気狂い屋」】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございました、シュライン様。ライターのともやいずみです。
 夢の中に答えが……。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。