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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Power makes crazy 〜前編〜



 岩手県北上山地早池峰山。標高1917m。その山頂には山岳信仰の象徴ともいえる早池峰神社奥宮が置かれ、日本有数の山岳修験地であり、修験道を修めた山伏の集う山である。全体が岩石山であるため、固有の高山植物が多く見られる一方、登るとなると急な斜面に険しい岩場が続く、正に修験地らしい風貌の山だった。
 だが、そんな中を危なげなく歩いていく二人の少年の姿があった。どちらも登山者とは程遠い軽装で、持っているものはといえば、少年が一人黒い羽団扇を握っているだけだ。
 二人ともこのご時勢には珍しい和服姿である。ただし、足元だけ履き慣れた風のスニーカー。
 疲れも知らぬげに右手に持っている羽団扇の自慢話を披露し続けるのが天波慎霰。それに内心で舌を出しながらその足を止めたのが和田京太郎という。
 京太郎の足に自らの足も止めて慎霰が目の前に立ちはだかる崖を見上げた。
 二人がこれまで歩いてきたのは登山者向けの登山道ではなく、道なき獣道である。当然、崖を登るためのロープなども張られているわけがない。
 その崖を見上げて一つ溜息。
 京太郎が口を開いた。
「―――で、その試練とやらを、部外者に手伝ってもらっていいわけ?」
 目の前の崖の事には一切触れず、慎霰の自慢話を一応聞いていたらしい相槌。
「当たり前だろ」
 慎霰も別段崖については言及しない。
 どころか、小さく屈伸したかと思うとロッククライミングもそこそこに軽々と崖を登り始めた。三点確保も何もあったものではない。岩場を軽快に駆け上がっていく。
「これじゃァ、まるで試験のカンニングと変わんないじャん」
 要するにズルだろ。とぶつぶつ呟きながら、京太郎がついて行く。こちらも大した事ではないように。事実彼らには大した事ではなかったのだが。
「うるさい」
 京太郎のやれやれといった呆れ顔に慎霰が唇を尖らせながら持っていた羽団扇を振るった。
 突然、重力の方向を捻じ曲げられて、京太郎はバランスを崩す。
「わッ!? ちょッ……」
 術の詠唱も省略する羽団扇の力に翻弄されながら、何とか体勢を保って京太郎は崖にしがみついた。
「なにすんだよ」
 睨み上げる京太郎に、一足先に到着の慎霰が崖の上から見下ろして言う。
「お前が嫌な事言うからだ」
「その羽団扇があれば、俺の助けなんていらないくせに」
 溜息を吐く京太郎ににやりと笑みを返す。
「まァ、な」
「じゃァ、なんで」
「そりャ、お前」
 崖の上に到着した京太郎の肩を宥めるような調子でポンポン叩いて、うん? とばかりに振り返る京太郎に。
「決まってんじャん」
 素早くその背後に回りこんで背中から急襲。抱きしめたかと思うとおもむろに着物の合わせに手を滑りこませる。
「わッ!? なッ…何すんだよ」
 慌てふためく彼の耳にふっと息を吹きかけると、ほんのり顔を赤らめてもがく京太郎が、どうにも可笑しくてたまらず噴出してしまう。
「ぶッはッはッはッはッはッ」
 大爆笑する慎霰に、京太郎がムッとしてそっぽを向いた。
「だってこんな何もねェとこ、一人で来たって退屈なだけじゃねェか」
 だから退屈しのぎに連れてきたと言わんばかりだ。
「……俺は玩具じゃない」
 自分を離して歩き出す彼の背に京太郎は不貞腐れたように呟いた。
 天狗の羽団扇。妖怪を語る上での定番アイテム。とはいえ、全ての天狗が皆同一のものを所持するわけではない。その実力に見合った羽団扇が与えられるのだ。慎霰が彼の属する天狗の隠れ里で、実力がそれなりに認められ、上位羽団扇を授与されたのは数日前。ただしライバル関係にある修験者たちに験比べで勝ったら、という条件付だ。羽団扇が使いこなせなければお話にならない。だから羽団扇が使える事を証明する。そのために二人はこの地にやって来たというわけだ。とはいえまったく無関係である京太郎が半ば以上強制的に連れてこられたのは―――。
 彼の背中を見やりながら京太郎は、慎霰が自分を誘った理由をぼんやり考えた。きっと本人が聞いたら全否定するだろう【理由】を思う。
 前を歩く慎霰が辟易とした口調で吐き捨てた。
「ッたく、何が面白くてこんな何にもねェとこで修行なんかしてんだろうな」
「何もなく…ないだろ?」
 京太郎は崖の下を振り返る。岩場に時折見られる緑。そこに、エーデルワイスにも似た花が風に揺れていた。
「かーッ、相変わらず暗い奴だな」
 慎霰は辛気臭そうな顔をして、京太郎の肩をばしばし叩いた。
「悪かったな」
「お前さ。封印、解いてやろうか」
 耳打ちでもするように囁く。
「は?」
「角生やしてさ。俺の翼みたいに」
「いらない」
 慎霰の誘いに京太郎のそれは即答だ。
「何でさ。必要ない時は隠してればいいだけじゃん。それに、封印解いたら今よりはるかに強くなれるぜ」
「別に今のままでいいから」
「その根暗も治るし」
「うるさいな。俺は人間のままがいいんだよ」
「ちェッ。俺は人間じゃないぜ」
 肩に置かれていた慎霰の腕が離れ、かと思えばつまらなさそうに離れていく。
「…………」
 京太郎は自分が慎霰についていく理由をぼんやり考えた。たぶんそれは【同じ】なのだ。

 ―――“人じゃない”。

 それを受け入れてしまったら、楽になれるだろうか。



 ◆◆◆



「たーのーもー」
 人目に触れぬようカムフラージュされたその大扉を開け放って慎霰が大音声を発した。清々しいまでの正面突破。
「道場破りかよ」
 傍らにいた京太郎が思わず耳を押さえながら突っ込んだ。しかしそんな突っ込みは届かなかったらしい。
何奴だ!? と慌てふためく修験者に満足して、ふふんなどと得意げに鼻を鳴らしている。
「こいつは、人ではない」
 上位らしい錫杖を持った修験者らが進み出た。修験者にも細かい階級がある。錫杖を持てるのは『先達』以上でもほんの一部。それ以外が持つのは金剛杖。
 慎霰は品定めでもするように出てきた修験者らを見渡して、最も験力の高そうな壮年の修験者に向かって、両手を腰にあて胸をそらせながら言い放った。
「おうよ。天知る地知る俺様が知る。天上天下唯我独尊!」
 両手を広げていざ翼を開き名乗らんとした時。横からボソリと茶々が入る。
「長老方には頭があがらないけどな」
 独尊って言葉の意味知ってる? と言外に付け加えられた京太郎の突っ込みに出端を挫かれた。
「うるさいよ、お前。んな事言う奴はこうだ」
 慎霰がムスッとしながら羽団扇を振るう。
「わ!?」
 ふわりとそよぐ風に煽られて思わず京太郎はバランスを崩しかけて足踏みした。ズキンと頭頂部に軽い鈍痛と続く違和感。何かが避けるような感覚に咄嗟に両手を頭の上へ。指の先に突起物を感じて目を見開く。
「慎霰……」
「ふん」
 してやったり顔の慎霰に、珍しく頭に血を昇らせてつかみかかろうとした京太郎だったが、すんでのところで踏みとどまった。修験者たちから殺気のようなものを感じたからだ。そんな状況でもない。
「くそッ。後で戻せよ」
 仕方なく引き下がる。
 慎霰は舌を出しつつ修験者たちに向き直り、台無しになった出端を取り繕うようにバサリと黒い翼を広げて言った。
「ッつーわけで、今から天狗の俺様と、験比べといこうじゃねェか」
「なにぃ!?」
「天狗だと!?」
 それぞれは驚きと畏怖をもって身構える。ただ、錫杖を持った修験者らだけが、無言で慎霰を見返していた。
 その内の壮年の修験者がゆっくりと一つ瞬きをする。心得たように、錫杖を持った数人が気配もなく動いた。
「…………」
 それに合わせてやれやれといった面持ちの京太郎が動くのを視界の片隅におさめて慎霰が言う。
「ま、あれだ。君たちの修行の成果を俺様が直々にみてやろうッてこッた。ありがたく思え」
 壮年の修験者が一歩前へ進み出た。
「いいだろう。で、どのような方法で験比べをする」
「そうだなァ……」
 羽団扇を優雅に振るいながら余裕綽々の慎霰。
「ハンディやらないと大人げないよな。うん。お前らに選ばせてやるよ」
「貴様!?」
 慎霰の挑発に声をあらげる下っ端ども。だがやはりというべきか、壮年の修験者は動じた風もない。
 待て、と一喝。
「ならば。薬師岳の杉の木をお互い取ってきて、そこに植え替えるというのはどうだ」
「いいぜ」
 慎霰がニヤリと笑う。壮年の修験者が印を結んだ。
「へェー」
 修験者の飛行術にちょっと驚く。こんな事も出来るのか、と。何だかワクワクしてきた。
「よーい……ドン!!」
 なんて合図と共に空を舞う。
「運動会ッてのも、悪くないな」
 とはいえスポーツマンシップに則る決まりはどこにもない。
 目隠し代わりに手ぬぐいを投げてみせる。無造作にかわされた。かといって、別段それが勝敗を分かつようなものでもないのは承知の上。つまりは、いたずらの範疇。相手もそれをわかっているのか、こちらの挑発にさらさら乗る気がないだけなのか。何も仕返してはこない。ちょっとつまらなくもある。
 薬師岳に着いたのは二者ともほぼ同時か。しかし杉の木を引っこ抜く怪力は慎霰の方が勝ったようで。
 戻ってくると元の場所に杉の木をどんと付きたてる。
「ん?」
 刹那、眉を顰めた。
 その違和感に首を傾げようとして失敗。
 体が動かない。
「……かかったな、天狗」
 修験者の笑み。
「結界かァ」
 感嘆の声。
 視線だけを動かし、自分の五方で印を結ぶ修験者らを睨んだ。
「このまま貴様を我らの使いとする」
 詠唱を始める修験者たち。修験者の験力は時に鬼や天狗を使役する。かつて役小角は前鬼・後鬼を従え、神をも封じ、久米の岩橋を作らせたといわれるほどだ。
「ふざけるな。誰が貴様らの奴隷なんかになるかよ」
「…………」
「くそッ。多勢に無勢は卑怯だぞ」
「何とでも言え。飛んで火にいる夏の虫とは―――何!?」
「あー、はいはい」
 問答に飽いた、というよりは、掴まっている振りをするのに疲れたような顔で慎霰が肩を揉みながら腕を回した。
「どういう事だ……」
「残念でした」
 ペロリと舌を出してみせる。
「お前、わかッててわざとやってるだろ」
 呆れ口調の京太郎が、結界を張る修験者の一人の背後から顔を出した。その足元に二人の修験者倒れている。ともすれば対角線上にいたはずの修験者が消える。借り物競争が始まる前に羽団扇を一閃しておいた彼らは幻影だったのだ。
「うん。まァ、でも。こいつらの験力ッてこんなもんなんでしョ」
「くっ……臨・兵・闘……」
 九字の印を結ぶ修験者に。
「遅いッ」
 慎霰が羽団扇を振るう。
「な…なにぃ!?」
 螺緒と呼ばれる法螺貝を腰に結び付けるための麻紐は、階級によって長さが違うが先達に至っては37尺(1110m)もある。それが突然彼らの両手をぐるぐる巻きにした。
 九字がきれずに焦る修験者。
「へへーん」
 慎霰が舌を出していたずらっ子のような笑みを返す。
「ば…馬鹿にしおってー!!」
 いきり立つが何も出来ない。
「先に謀ッたのはそッちじゃん」
 笑顔で羽団扇を振るう。
 慎霰の術の前に修験者らは服を脱がされ右往左往。間抜けな格好でらっせらーらっせらー。
 それを少し離れた場所で傍観しながら、相変わらずの友人に京太郎が肩を竦める。
「……派手好きめ」
 その姿が隙だらけに見えたのか。
「たぁーっ」
 金剛杖を振り上げて、一人の修験者が京太郎を急襲する。
「俺にはあいつみたいな事は出来ないぞ」
 小さく呟きながら相手の攻撃を紙一重で躱して、京太郎はいつもと同じ感覚の右ストレートを叩き込む。
 しかし。
 威力がまったく違った。
「え?」
 たった一撃で、拳に伝わってくるのは頭蓋骨まで砕くような感触。
 思わず目を見開く。

 ―――“角”の力か!?

 次の瞬間。
 辺りに血が舞っていた。
 京太郎の脳の奥で何かが騒がしく点滅を始める。
 血がけぶるたびに、何かが軽くなった。
 体か? 違う。心。心が―――。
 楽しいと囁く。愉しいと叫ぶ。快楽に麻痺する。悦楽に酔う。
 心が享楽に掴まれる。
「やめてくれ。許してくれ」
 後退る修験者を。
 ゆっくりと軽やかな足取りで追い詰める。
「い・や……。許さなーい」
 歌うような口調。
 まるで別の誰かが話しているような違和感。
 自分が自分ではなくなる感覚。
 見下ろすと、そこにあるのは修験者の引き攣った顔。
 脳裏で鬩ぎ合う声。
 やれ。やめろ。やれ。やめろ。

 ―――ヤレ!!

「うわぁぁぁぁぁぁ〜!!」
 修験者の絶叫。
 あがる血飛沫を慎霰は訝しげに振り返った。
「京太郎?」
 気付けば京太郎の周りは赤く染まっていた。夕焼けにはまだ早い時間。
「ちょッ……お前…やりすぎ」
 半ば愕然と慎霰が京太郎の肩を掴む。
「何?」
 京太郎が振り返った。笑顔。後に続く言葉が出なくなるほどに辛辣な。
「…………」
 それが、興をそがれて不機嫌な顔になった。
 慎霰の腕を払って邪魔をするなと言いたげに睨みつける。殺気にも似た圧迫感。風が、空気が、凝縮されたように枷となって慎霰の体を束縛し、瞬く間に岩に縫いつけた。身じろぎも出来ないほどの突風が容赦なく浴びせられる。
「嘘……だろ?」
 呟かれた声は音にもならず風に飛ばされた。
 京太郎が一人の修験者を振り返る。
 呆然自失で腰を抜かした修験者を。
「ねぇ、小父さんはどんな風に死にたい?」
 京太郎が尋ねた。残忍な笑顔で。
「…………」
 後退りながら懸命に印を結ぶ修験者。
「そんなので、俺を倒そうっていうの?」
 京太郎がきょとんとした顔で修験者を見下ろす。
「…………」
 その口の端がゆっくりと吊り上がり。
「お仕置きだね」
 刹那、何かが走った。かまいたちのように。
「京……」
 かける言葉が見つからず。手出しする事も出来ず。慎霰はその光景を半ば呆然と見つめていた。
 まさか、と思った。
 冗談だと思った。
 夢だと思った。
 だから、―――ただ見ていた。
 いっそ一思いに殺してやれと叫びだしたくなるような、拷問にも等しい享楽の様を。
 やがて、彼がポツンと呟くまで。
「なんか、飽きてきちゃった」
 息を呑む。思いのほか乾いた喉に、何度も何度も生唾を飲みこませながら。
「…………」
 京太郎が両手を広げた。まるで竜巻のように風が渦巻き始める。
「やめろ、京太郎!!」
 やっとの事で声が出た。
 慎霰は渾身の力で枷を振り切ると、羽団扇を振るって竜巻を相殺した。だが―――。
「みんな、まとめて、死んじゃえ!」
 その声に光が走った。
 それが雷だと気付くのには大した時間を必要とせず。
「!?」
 辺り一面が一瞬にして灰土と化した。

 ―――これが鬼神の力なのか?

「くすくすくす」
「…………」
 圧倒的とも思える力の差。ほんの少し封印を解いただけのつもりが、力の加減を誤っていたのか。羽団扇の力を御しきれていなかったのか。いや違う。封印がわずかながら解かれた事で、残りの封印を自力で解きにかかっているのだ。京太郎という心のリミッターを外すことで。
「慎霰は友達だから見逃してあげる」
 人懐っこい子どもの笑み。
 そこには自分の知っている彼の面影は一切なくて。
「てめェ……」

 彼は慎霰に背を向けた。
 それからふと振り返る。
 それも一瞬。
 軽やかに踵を返して、慎霰の前から消えた。

 去り際の彼の顔が強く胸に焼き付く。


「京太郎ーーー!!」


 その声は彼には届かない。



 Power makes crazy.
          ―――力は人を狂わせる。





 ■■End or to be continued■■