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<東京怪談ノベル(シングル)>


彼女の心の奥底を

 阿佐人悠輔は、今日も家庭教師のアルバイトをしていた。
 教えている相手は葛織紅華という。由緒正しい家の娘である。豪奢な銀髪を持ち、美しい緑の瞳を持つ彼女は、ともすれば外国人に見えるが、れっきとした日本人だ。彼女の血筋にはそういう色が現れやすいのだという。
 悠輔は素直に、紅華の色はきれいだと思う。
 だが、紅華にとってはこの色は不幸の色なのだそうだ。
「銀髪は、葛織家にとって力がないことの象徴なのですのよ」
「そうなのか?」
「ですから、髪に色があればあるほど、葛織家では力あるものなのですの。ただし葛織家には黒髪は出ませんから、黒髪は異端扱いされますけれど」
 ふん、と鼻を鳴らしながら、紅華はそう言った。
 そう言えばと悠輔は思う。
 紅華が異常なほどライバル視している彼女の従妹は、鮮やかな赤い色の髪を持っている。正しく言えば白も混じっているのだが。
 しかめ面で宿題とにらめっこしている紅華を傍らから見下ろしながら思う。
 ――彼女をまともに従妹と並び立つようにさせてやりたい。
 実際には従妹の方に、紅華に対する敵対心はまるでない。紅華が勝手にライバル視しているだけなのだ。
 だが紅華にとっては、あの従妹はどうしようもなくコンプレックスの対象だった。
 おそらく紅華も、従妹に自分に対する敵対心がまるでないことを分かっている。――だからこそ、腹が立つのだろう。自分は相手にもされないのかと。コンプレックスはどうしても、後ろ向きな判断しかさせない。
 どうにかして、そのコンプレックスを取り除いてやることはできないだろうか?
 悠輔は長く紅華の家庭教師をやっていて、彼女に情が移っていた。
 紅華の方も、最初こそ嫌がっていた悠輔の家庭教師を、最近では大人しく受けるようになっている。
 葛織家はお堅い一族だ。
 ――紅華を変えてやるには、自分が動くしかないと、悠輔は決心していた。

 ある日の家庭教師の休憩時間。
 悠輔は嬉しそうに伸びをする紅華に、提案した。
「紅華さん。体を少し動かさないか?」
「え?」
「紅華さんはたしかレイピアの使い手だったな。俺と剣しか使わない勝負をしてみないか」
 紅華はうさんくさそうな顔をした。
 悠輔の持つ特殊能力は、あらゆる布を自由自在に操るというものだ。例えば鉛のように重くしたり、剣のように硬くしたり。
 彼のその能力で痛い目に遭ったことが何度もある紅華は、
「嫌ですわ。どうせまたわたくしに意地悪する気でしょう」
 とそっぽを向いた。
「しないと約束する」
「信用できませんわね」
「じゃあ、俺が負けたら俺に出来る範囲で紅華さんの言う事を何でも1つ聞こう」
 悠輔は机に両手を置き、紅華の顔を覗き込む。
「でも、俺が勝ったら俺が後から話す提案を文句無しでちゃんと聞くこと」
「………」
「どうだ? 少しはやる気が出ないか?」
 紅華はむうと悠輔の顔を見つめる。
 悠輔が口の端に笑みを浮かべると、紅華は唇をとがらせて、
「わたくしが勝ったら何でも聞くのですわね?」
「俺が出来る範囲でならな」
「――分かりましたわ! やってやろうじゃありませんの!」
 紅華は勢いよく立ち上がった。

 紅華の家の庭は広い。従妹の閉じ込められている別荘の庭よりも広い。
 紅華は精神力で生み出すレイピアをその手に持った。
 悠輔はバンダナをはずし、それを細長くして硬くすることで剣の代わりとした。
「さて……行くぞ!」
「来てみなさいな!」
 レイピアの扱いには自信があるのだろう、紅華は余裕の声で言う。
 悠輔は紅華の懐に飛び込んだ。
 紅華は身軽に一歩退く。かと思うとまた一歩踏み込んできて、レイピアを突き出した。
 悠輔はぎりぎりで横にかわす。すれすれのところを、レイピアが通り過ぎていく。
 紅華はレイピアを突き出した状態で横に振ってきた。悠輔の体を殴打するが、なにぶんレイピアは刃が細い。それほどの打撃にならない。
 これが素人相手ならば、たしかに威嚇的な要素にはなっただろうが――
 悠輔は充分経験を積んだ戦士でもある。これくらいではひるまなかった。
 カン、と紅華のレイピアをバンダナ剣で大きく弾くと、紅華の体がレイピアごと大きく流れた。そこを剣で薙ぐ。
「あっ!」
 紅華の横腹をまともに打ち、彼女は苦悶の声を上げた。
 その隙に悠輔はさらに紅華の腹を殴打する。
 紅華は何とか数歩退いて、悠輔の攻撃範囲から逃れた。
 はあ、はあとすでに息を荒らげている。
 ――悠輔は、彼女の従妹とも戦ったことがあった。彼女の従妹と、紅華と。戦い方がどう違うか。
 見極めるつもりでいた。
 紅華はきっと悠輔をにらむと、再びレイピアを突き出してきた。悠輔の顔面に。
 しかしそれは威嚇。悠輔が思わず顔を引いたその瞬間に、レイピアはさっと引かれ、すぐさま悠輔の剣を持つ手を打ちすえた。
 悠輔はかろうじて、バンダナ剣を取り落とさずにすんだ。手の甲にみみず腫れができる。強烈な一打だった。
(瞬間の一打に力はあるんだな――俺を怪我させないように今は封印してるけど、本気で突きに入ったらそれも多分強烈なんだろう)
 さらに突きが悠輔の肩を襲う。悠輔はさっと半身をかたむけて避けると、下から剣を切りあげた。
 剣圧が紅華を襲う。紅華は足を止めた。レイピアを引いて、体勢を整えようとする。
(攻撃が来ると、必ず動きを止める……)
 悠輔は遠慮なく剣で紅華の足を打つ。紅華はかくんと体を揺らした。
「そら、紅華さん。どうした?」
 わざと剣を引いて挑発した。紅華は鬼のような形相になると、
「乙女の体に痕が残ったらどうしてくれますの!」
 足の痛みを押してしっかり立ち、踏み込んできた。
 レイピアが今度こそ本気で悠輔の顔を狙ってくる。悠輔が顔を横にずらすと、ぴっと頬に一筋の赤い線が出来た。
 本気になった紅華のレイピアの連突き。悠輔はどんどん後退していく。
 しかし、押されているわけではない。レイピアの動きを観察しているのだ。
 隙は――
 ここだ!
 バンダナ剣が下からレイピアを弾く。レイピアが紅華の手を離れ、上空へと飛んだ。
 その間に悠輔は踏み込み、紅華の腹を狙う。
 しかし、紅華の剣は元々精神力で出来ているのだ。それはつまり、精神力が尽きなければ量産が可能ということだった。
 紅華はすぐさま2本目のレイピアを生み出し、悠輔の剣を弾いた。
 受け止めることはできない。腕力の差で、悠輔が勝ってしまう。だから、受け流すだけ。
 受け流してすぐにレイピアはまっすぐと突きに入る。悠輔の手首を狙っている。剣を落とそうとしているのだ。悠輔は紅華と違って剣の量産はできない。
(狙いが分かりやすい)
 思いながら、悠輔はレイピアという武器の難しさを考える。
 基本的に刺突用の武器。
 剣よりはるかに攻撃方法が限られる。
(なぜ紅華さんは、武器にレイピアを選んだんだ?)
 手首を返してレイピアを避け、代わりにその先端を叩く。レイピアが下を向く。すぐに隙が出来る。悠輔はすかさず剣を前に出し、紅華の手を打ちすえた。
 レイピアが落ちる。痛みに紅華が顔をしかめる。
 悠輔の剣が、紅華の首筋に当てられる。
「……さあ、紅華さん?」
「……降参ですわ」
 ぶすっとしながら、銀髪の美少女は言った。

「聞きたいんだが」
 ふてくされてその場に座り込んだ紅華に、かがんで悠輔は尋ねる。
「何でレイピアなんていう、勝手の悪い武器を使っているんだ?」
「レイピアは華麗な武器でしてよ!」
 紅華は偉そうに胸を張ってそう言ったが、悠輔の視線に気づき、渋々と言いなおした。
「……生まれつき、葛織家の者は決まっていますのよ。生み出せる剣の種類が……」
「たまたまレイピアだったってわけか……」
「悪かったですわね」
「いや、レイピア自体は悪い武器じゃない。誇りに思っていいと思うぞ」
 悠輔は穏やかに言う。紅華は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「……弱いとでも、思ったのでしょう?」
「うん?」
「わたくし、剣術の修業は受けてませんのよ」
 悠輔は驚いた。
「修業を受けていなくてあれだけできれば充分だ」
 天性の才能だけであれだけの動きができるのなら。
「そうそう、俺が勝ったら言うことを聞くという話だったな」
「……何ですの」
「俺は彼女とも一度戦ってる」
 紅華は表情を引きつらせた。悠輔の言う『彼女』が誰かを、すぐに察したのだ。
「だから、彼女の動きもある程度知っている」
 悠輔は紅華を興奮させないよう、冷静に話を進める。
「だからな。俺も未熟ではあるが――彼女に勝つために、一緒に修業する気はないか?」
「……あの子に勝つために?」
「並び立ちたいだろう?」
「―――」
 紅華は唇を噛みしめた。
「あの子に……」
 コンプレックスの対象。どんなに追い越したくても、追い越せない相手。
「できるから。必ず」
 悠輔は強い思いで請け負う。「俺も手伝うから」
「悠輔……」
 紅華は当惑した顔で、悠輔を見上げた。
「なぜ、そんなことを言いますの?」
 悠輔はわずかな笑みを浮かべて、受け流した。

 彼女の心の奥底にたまっている、悲しい思いを知っている。
 彼女の心の奥底を、そんなものが闇のように霧のように覆っているのが許せないから。
 放っておけないから。
 彼女の心を解放したいから。

 悠輔は紅華に手を差し出す。
 紅華は少し迷ったあと、そろそろとその手に手を重ねた。
 2人の心が重なった。あとはやるだけ。
 2人での歩みの始まり。
 スタートラインがほら、見えている――……


<了>