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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦闘華の闘い ―勝利―

 白亜の塔とでも呼びたくなるような、美しい豪邸があった。
 豪邸の大きさに反して、住んでいる者の数が少ない。当然だ、別荘なのだから。
 別荘――シーズンも過ぎ、主がいなくなった豪邸に、忍び込んだ娘がいた。
 ミニスカートのニコレッタメイド服。ガーターベルトのニーソックスに、膝まである編み上げの革ブーツ。
 若々しい肉体がはちきれんばかりにこぼれ、朝露がつるりと流れたように肌が輝いている。漂う色香は露出のせいだけではないだろう。彼女は美しかった。
 今にも下着が見えそうなスカートから覗く太ももは愛撫を待っているかのように艶を含んだなめらかさ。
 誰かにからませるためにあるのだろうか――と思えるなまめかしい腕の先には、グローブがはめられている。
 そしてそのグローブをはめた手で持っているのは、剣。
 彼女は軍人だった。
 歴戦の軍人でありながら、その肢体には傷痕がまったくない。なんともさらりと艶やかに。

 高科瑞穂。

 それが、彼女の名。

 ■■■ ■■■

 自衛隊の中に、極秘裏に設置されている近衛特務警備課という部署がある。瑞穂はその所属だった。
 主に通常戦力では対抗し得ない国内の超常現象の解決や、魑魅魍魎との戦いを主任務としている。
 東京――
 最も魑魅魍魎に侵されたこの都市において、とあるひとつの組織がある。
 その名もIO2。超常能力者を相手にするために設置された特殊部隊。メンバーはエージェントと呼ばれ、常に超常能力者との戦いに身を置いている。
 IO2と近衛特務警備課が衝突することは、本来ないはずだった。争う必要がないからだ。
 しかしIO2の中にも問題視されている人物はいる。
 その男の名は、通称鬼鮫と言う。
 大きな体躯に、黒い双眸がぎらりと光る、元ヤクザ。過去に妻と娘を超常能力者に殺されて以来、復讐のためにIO2エージェントになったのだが、現在では超常能力者を殺戮することに悦びを覚え、それを楽しむようになったという。
(許せることではないわ――)
 かたぎの人間には決して手を出さないという噂だが、それにしても鬼鮫の行動は目に余る。それこそ、近衛特務警備課にまで話が入るほど。
 瑞穂は彼を捜して、この豪邸に入り込んでいた。
 彼は今この豪邸の特別警備員として配属されているはず――
 屋敷内を駆け回ったが、いない。となると外か。瑞穂は窓を開ける。大きく身を乗り出すと、広い広い前庭に1人の男性の姿が見えた。
 いた。あの大きな体躯。
 間違いない――
(鬼鮫)
 瑞穂は窓に足をかけ、ひらりと飛び降りた。そこは3階だった。そんなことは、彼女の身体能力には関係がない。
 くるっと空中で一回転して、軽やかに着地。彼女の長い茶の髪が、さらりと彼女の体を包むようにおさまる。まるで羽毛のような動きだ。
「なんだあ?」
 下から響くような、お世辞にも上品とは言えない声が聞こえた。
「随分と色っぽいメイドだな」
 鬼鮫はたしか40歳だったか――
 瑞穂は頭の中でデータを照合する。顔。体つき。声。一致。
「霧嶋徳治――通称、鬼鮫」
 半身を斜めにして鬼鮫と対峙すると、鬼鮫は唇の端をゆがめた。
「なんだってんだ。剣を手にしたメイドなんて聞いたことがないな」
 鬼鮫の声にはまだ戦闘態勢に入った気配がない。瑞穂はすっとルージュをのせたように赤い紅唇を開く。
「お前は、超常能力者以外とは戦わないそうね」
「……ああ?」
「でもこれならどう? お前のやることを邪魔する者となら」
「何が言いたいんだ、お前」
「私は自衛隊近衛特務警備課所属、高科瑞穂。お前を捕まえに来たわ――これならどう?」
 鬼鮫は不愉快そうに顔をしかめる。
「お前みたいな小娘が、何ナマぬかしてやがる」
「あら、そうかしら」
 瑞穂はひゅんと剣を軽く振るった。
 ぴっ――
 鬼鮫の頬に、赤い線が走る。
 鬼鮫の顔に驚愕の色が浮かぶ。瑞穂は悠然と微笑んだ。
「ねえ、人を見かけで判断してはいけないとはよく言ったものね」
「小娘、この……っ」
「さあ、やる気は出たかしら?」
「このアマ!」
 鬼鮫の顔が真っ赤に染まった。瑞穂は低く身構えた。
 さあ、戦闘開始だ――

 鬼鮫の特殊能力。
 それは魔物の遺伝子を組み込まれているということだ。
 魔物――トロール。そのため傷の自己治癒能力が異常に高く、身体能力は人間を凌駕する。
 巨体に似合わず足が速い――
 踏み込みの速さ、それに伴う拳の速さに、瑞穂はぎりぎりのところで体をそらして避けた。強い圧力が通りすぎていくのを感じる。隙だらけの体勢、しかしそれをそのままにしておくほど瑞穂は愚かではない。
 体をそらしたまま、剣を下から振り上げた。
 鬼鮫は間近にいる。剣はまともに鬼鮫を襲う。鬼鮫は即座に一歩後退する。その瞬間には瑞穂も体勢を整えて。
 次の瞬間は瑞穂の攻勢。踏み込んで脇の下を狙った。そこには腕の神経が走り、斬ることが出来れば腕は使えなくなる。
 鬼鮫はパンと剣をはたいた。それだけで剣ははねのけられ、そして強い衝撃が瑞穂の腕に残る。
(この程度では効かないか)
 鬼鮫が右拳をくり出してきた。外側からえぐるように回ってくるパンチ。ボクサーなら基本のストレートだ。ならば――返すべきはカウンター。
 くん、と鬼鮫の拳を腕で下から持ち上げるように。そして開いた鬼鮫の脇に剣を突き込んだ。
 鬼鮫の左手が剣をわしづかむ。ぎりぎりと刃が彼の手に食い込んだが、彼の体は大抵の傷は癒してしまう――
 やがて、鬼鮫の左手が瑞穂の剣を振り払った。瑞穂はその勢いで倒れかかった。いけない、と、とっさに自分から剣を放り投げて、背面飛びで距離を取る。
 剣は2人の間の地面に突き刺さった。
 鬼鮫が武器を使わないことは分かっている――自分の力に自信があるものは、うかつに慣れない武器を手に取ったりしないものだ。
 鬼鮫が、腕をまくってファイティングポーズを取る。来いよ、と挑発してくる。
 瑞穂は自ら頭に冷水をかけるかのように冷静なまま、距離を測る。鬼鮫と自分の間、走って5歩。
 判断するなり地を蹴った。走りこむ――剣を抜き取り、その勢いで高く飛んで回し蹴りを放つ。瑞穂のかかとが鬼鮫のこめかみを痛打した。鬼鮫がよろめいた。
 背後に回った瑞穂は大きく剣を振りかぶり、鬼鮫の背中を斬った。
 大抵の傷は癒えてしまうと分かっているからこその、行動。
 案の定、赤く血のあふれた傷はごぽごぽと泡を噴き回復を始める。瑞穂は再度剣を振るう。今度は鬼鮫の膝下に。
 鬼鮫が振り向いた。振り向きざまのキックを華麗に回転して避けると、彼女はそのついでにもう一撃を鬼鮫の足に喰らわせた。
 男のアキレス腱を斬った――はずだ。ざくり、と鈍い手ごたえがあった。いくら回復すると言っても時間差があるはずだ。
 鬼鮫が片膝をつく。苦悶に顔をゆがませる。瑞穂は剣を振るう。今度は鬼鮫の腕を狙って。
 しかし鬼鮫は体だけをねじって、剣をまっこうから手で捕まえた。
 ぎりぎりと力の押し合い。下手をすると剣を折られてしまいそうだ――
 仕方なく、瑞穂は剣を捨てる道を選んだ。さっきと同じ理屈だ。鬼鮫が剣を使うことはない。
 しかし。
 瑞穂が手を放した瞬間、鬼鮫は剣を遠くへ放りやってしまった。
(しまった)
 悔やむのも一瞬。瑞穂はすぐさまキックを放つ。鬼鮫のしてやったりの顔の下、のどに爪先を食い込ませる。特殊合金で作られた靴だ。攻撃力がある。
 鬼鮫がうぐっとのどを押さえてうめいた。
 瑞穂は背を向けた。剣を取り戻すために。
 瑞穂も鍛えられた体。豊満なその肉体に似合わない敏捷さで剣を取り戻す。その時間、約5秒。
 戻るのに加速をつけて3秒。振りかざすのに1秒。
 振り下ろした剣が防御した鬼鮫の腕に食い込む。食い込んだまま刃が抜けない。鬼鮫は動きを止められた瑞穂の下腹を拳でえぐった。
 ごほっ、と瑞穂は絶息しかけた。激しく咳き込み、血がにじむほどに唇を噛む。こういう点では、自分は普通の人間の体なのだ。まともに戦っては――勝てない。
 美しき戦闘軍人は、ようやく鬼鮫の腕から剣を引き抜くとそのまま鬼鮫ののどに向かって切っ先を向けた。
 殺してはいけない。
 殺さずに倒さなくてはいけない。
 鬼鮫。この化け物を相手に。
 アキレス腱はすでに復活したようだ。
 瑞穂は――鬼鮫ののどを斬った。
 血が噴き出した。だが致命傷にはなっていないはずだ。与えるのはショックだけでいい。誰でも、のどをかっきられれば相応の衝撃を受ける。場合によっては意識が一瞬で落ちるほどの。
 鬼鮫はあいにくそこまでやわではなかったが、血のあふれるのどを押さえてごふっと血を吐いた。
 足払いをかけ、鬼鮫を地面に倒すと、その脇腹に剣を突き立てる。この化け物相手には、どれだけ攻撃しようとも、しすぎということはない。
 鬼鮫の両腕が大きく動いて、瑞穂ののどをわしづかんだ。
 ぐいぐいとのどをしめあげられる。瑞穂の呼吸を止める。瑞穂はあえいだ。苦しい、酸素がなくなっていく。
 しかし彼女も鍛えられた軍人。息が限られたときの中で、いかに長く耐えるかというすべは身についている。
 長く長く息をながらえながら、鬼鮫の脇腹に突き立てていた剣を抜き、鬼鮫の肋骨の下に突き刺した。
 さすがの鬼鮫も痙攣して、両手を瑞穂ののどから離した。
 どうすれば止めをさせる? 鬼鮫に意識を手放させることができる。

 これは、彼女にとって実戦訓練――

 どのみち殺してはならない。敵対勢力の人間ではないのだから。
 彼女にとって鬼鮫は、実戦経験を積むためのいい『モンスター』だ。
 鬼鮫がぶんと大きく腕を振ってくる。瑞穂はそれをかわした。剣は血濡れだ。刃を払って、血を飛ばす。斬れ味が鈍ってもらっては困る。
 鬼鮫が体を起こそうとするのを、肩を剣で貫いて押さえた。
 こちらが圧倒的に有利。まるで勝者が弱者をいたぶるような様子にも見える。
 だが――
 鬼鮫は、すぐに回復してしまうのだ。
 剣が男の体に食い込んでいる間は、むしろ男にとってチャンスとなる。肉にうずもれた刃はしばらく動かせない。
 その間に、鬼鮫は腕をぶん回し、瑞穂の後頭部を強打した。
 瑞穂は一瞬めまいを起こした。すぐに持ち直し、そして判断する――刺突はいけない。
 斬る、ことに専念すべきだ――
 決断するなり、鬼鮫の肩から引き抜いた刃で鬼鮫の脇下を斬った。腕の神経が、一時的にでも麻痺すれば。
 鬼鮫の腕がだらんと落ちる。
 その間に脇腹を斬る――そう思った矢先、男の反対側の腕が動き、瑞穂の細い手首を掴んだ。
 ぶん!
 ほんの一投げだった。瑞穂の体は軽々と放り投げられた。
 瑞穂は鬼鮫と3歩半離れた場所に着地した。
 鬼鮫が起き上がるのが分かる。もう、回復したのか――
 元ヤクザが、にやりと笑った。そしてボクシングスタイルを取ったかと思えば、パンチを連打してきた。
 瑞穂はそのすべてを避ける。――避けるので精一杯だった。
 汗が、あごの下を伝う。
 そのことに、瑞穂はまだ自分が完全に集中していないことに気づく。
 集中しきれば――人間の体からは、汗は引く。

 ぎん、と瑞穂の瞳に光が宿った。

 剣の舞。まさにそう呼ぶに相応しい斬撃の連発。鬼鮫の体から次々と血が飛び、男は後退していく。
 ざんざんざんざん
 手首の返しも軽やかに、瑞穂は剣を翻した。
 鬼鮫の体にまた1本、また1本と傷が増えていく。
 深い傷にはならなくとも、鬼鮫にとって脅威の時間だった。こんな小娘に、自分が押されている? そんな馬鹿な――
 ざんざんざんざん
 剣舞は続く。そう、瑞穂は闘う華のようだった。
 華は剣を持ちて、敵を仕留めるべく棘を鋭くする。
 ざん!
 何度目かの斬撃で、瑞穂は鬼鮫の肩を斬った。
 返す手首でもう片方の肩も斬った。
 鬼鮫は一時的とは言え、両腕を失った。足蹴りを放つ――しかしそれは、美しき軍人には丸分かりで。
 ざん!
 足のすね、表面を斬る。
 拷問の際にも使われることのあるそのわざは、まともに足を斬るよりも残酷とも言える仕打ちだった。
 鬼鮫がたたらをふむ。瑞穂はその瞬間を逃さなかった。
 最後の一撃が、真正面から鬼鮫を襲う――
 鬼鮫の胸に、赤い鮮烈な色の1本の傷が刻まれる――……

 ■■■ ■■■

 どさり、と鬼鮫は倒れた。
「………」
 瑞穂はその傍らに立った。冷たい軍人の目。すべての男たちをとりこにできそうなその色香とは裏腹に、彼女は男たちを斬る。
 鬼鮫は体中、血まみれだった。
 ぶくぶくと回復を始めているものの、時間がかかるだろう。
 鬼鮫は白目をむいている。
 ――勝利、だ。
 瑞穂はのどに手を当てる。締め上げられたのど。きっと手形が残っていることだろう。
「……軍人の宿命とは言え……痕が残るのは、嫌ね」
 怪我はなかった。それが最良の結果。
 おそらく大勝利と言っても過言ではない。
 しかし瑞穂は唇を引き結ぶ。
「でも、どれだけ致命傷を与えてもこの男は死なない――」
 それを分かっていた上で、あえて選んだ戦闘方法だったけれど。
「……IO2。本当に分からない機関ね」
 つぶやいた。
 そして彼女は刃を振り下ろし、血を払うと、さっと身を翻した。

 闘うその女はまるで戦闘華。
 美しく棘のある戦闘華――


<了>