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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦闘華―逃走―

 日本一のメイド服と呼ばれる可愛らしいニコレッタメイド服。
 これに腕を通して戦うようになってからどれくらい経ったか――

 しなやかな柔らかい腕。ふわっと膨らんだフレアスカートの中に見える艶かしい足。ニコレッタメイド服は豊満な彼女の体を少し窮屈に包み込み、それが余計に彼女の体のラインを強調する。ふっくら膨らんだ胸、ゆるりとくびれた腰、そして丸い尻から下の線をたどっていけばやがてガーターベルトでさらに艶めかしくなった、指ざわりのよさそうな太ももにたどりつくだろう。膝下まであるニーソックスは、隠しているからこそその足を神秘的に見せる。
 さらりとした茶色の髪は長く、結っていない。結えないほどに指どおりよくさらさらだ。
 ――色気。
 そんなものが任務に必要だったかどうか、彼女にはよく分からなかったが。とにかく今の彼女は匂い立つような色香に包まれてそこにたたずむ。
 高科瑞穂。
 美しき軍人。
 彼女は豪奢な館を目の前にして、眼差しを鋭くした。

 この屋敷に傭兵として雇われているはずの男と対峙するために、彼女はやってきた。

  ■■■ ■■■

 ファング。そう呼ばれる男の体躯はまるで固いコンクリートのようだと誰もが思う。
 屋敷の庭で銀の髪をかりあげたその男と向き合ったとき、瑞穂はどうしようもない圧力を真っ向から受けた。
「……ファング。噂に違わぬ殺気ね……」
 紅をのせていないピンク色の唇を、柔らかく笑みの形にする。
 対するファングは、瑞穂の姿を見て皮肉気に片頬を吊り上げた。
「メイド服で俺と戦おうなんざ、大した度胸だ」
「服装は関係ないわ。――戦う者なら知っているでしょう」
「ふん。そうだな――はっは! 気に入った!」
 豪快に笑ったファングの口からは、牙のような歯がのぞく。
 戦うことに渇きを覚え、戦うことに潤いを覚える男。
 戦いの気配に、どうしようもない愉悦を覚える男。
 ――狂気だ、と瑞穂は思う。
 だが、それがファングという男。
「お前の相手、務めてみせましょう」
 ファングがちろりと舌なめずりをした。
「やってもらおうじゃないか」
 瑞穂はしゃんと手にした剣をかざす。ファングが手でもてあそんでいたのはサバイバルナイフ――

 踏み込んだのは同時だった。

 ギン! と火花が散った。金属同士がこすれ合う音はどうにも耳障りで、しかしファングにはそれさえも最高のBGM。
 強烈な腕力で押してくるサバイバルナイフを剣で受け止めながら、瑞穂はファングの脇を蹴り上げる。
 重い音とともに、ファングの硬い体に特殊合金の靴先がめりこんだ。
 だがファングは全く動じる気配なく。ナイフの切っ先をするりと瑞穂の剣先からすべらせ突き出してきた。
 顔面の横すれすれを通り過ぎていく鋭い得物。耳に響いた風を切る音。瑞穂は半身を傾けその勢いで後ろ回し蹴りを放つ。
 踵はファングの肘に止められた。ファングのナイフが、あらわになった瑞穂の足を狙う。瑞穂は足を振り上げた体勢のまま剣を横薙ぎに振るう。ファングの手元を切り裂いた。
 ナイフが落ちる。しかしそのときにはすでにファングは別のナイフを手にし、瑞穂の背中を切り上げた。
 メイド服がざりっと嫌な音を立てた。確実に、布が裂かれた音だった。衝撃が背中を走り抜ける。しかしこの程度で瑞穂の動きが止まるはずもなく、彼女は振り上げていた足を逆に振り下ろした。
 踵落とし――
 ファングの手首をまともに打ち下ろし、そのままかがんで体勢を低く。そこから一気に立ち上がる勢いで剣を振り上げる。
 ファングの顎に一閃が入った。ファングは顎をそらした。瑞穂は手を休めることなく次の攻撃へ。横薙ぎに一閃――ファングの胸に傷が走る。ついで剣を突き出した。
 しかし、
(――なんて固さの筋肉)
 筋肉の繊維に剣が食い込んで、刺突がうまくいかない。
 ファングは顎をそらしたまま「はっはっは!」と狂ったように楽しげな笑い声を上げた。
「いいじゃねえか! はっは! 大した女だな!」
 ファングの視線が戻ってくる。瑞穂を真正面に見据え――
 次の瞬間、瑞穂の視界を光が走った。
 それは銀色の光。ナイフが通り過ぎた色。気がつけばメイド服のエプロンが裂かれ、瑞穂の若々しい肉体に血筋が走る。
 ファングの連撃。次々とくり出されるナイフ。ぴっぴっと瑞穂の頬に赤い血が跳ねる。女の顔に傷をつけることなど、ファングのような男が厭うはずがない。むしろ、人間は顔を狙われれば無意識に防戦一方になることを男は知っていた。
 瑞穂は――
 その“無意識”を意識的に振り払う。
 顔にナイフが来るのを恐れずに一歩踏み込んだ。ファングが予想外のその動きに一瞬手を止めた隙に剣を薙ぐ、ファングの首筋に一撃。
 ざくりと確かな手ごたえとともに、深い傷がファングの首筋に走った。
 瑞穂は続けて剣を振り下ろす。今度はファングの肩へ。固い筋肉に覆われたその場所には剣は刺さらない。与えられるのは衝撃だけ。
 肩の筋肉に剣を持ってかれる。このままではいけない、剣を引いた瞬間、ファングの両手が動く。
 一歩踏み込み、ナイフを持つ手は腰だめに、もう片方の手の掌底が瑞穂の胸を真正面から打つ。
 どふ、と激しい衝撃が瑞穂を襲い、一瞬肺の機能が停止した。
 息が止まる。それは意識が止まるのと同じ。続けてファングは腰だめに構えていたナイフを突き出してくる。ざしゅっと瑞穂の脇腹がメイド服の布ごと裂かれる。
 一瞬、まるで浮遊しているかのように瑞穂の意識が飛んだ。
 ――それは死と同じだ!
 無理やり引き戻した意識、瑞穂の瞳に生気の輝きが宿る。力が抜けて滑り落ちようとしていた剣を瞬時に掴み直し、
「はーあっ!」
 瑞穂は踏み込むと同時に剣を振るった。
 ファングの腕を切り裂く。剣圧が、ファングの胸にまたひとつ赤い筋をつける。瑞穂は跳ね上がりごぱっとファングの顎を蹴り上げると、刺さらない剣の先端をファングの肩へと置いて、それを支点にしてくるんと空中で回し蹴りを放った。
 膝が、ファングのこめかみを打つ。瑞穂は縦に剣を突き刺したまま己の体を持ち上げ、剣を支点にしたまま、まるで逆立ちのように体勢を逆さまにすると、
 くるんと降りる勢いで両膝をファングの顔面に叩きつけた。
 ファングの体が揺らいだ。瑞穂は素早く剣を抜き去り、すたっと地面に着地する。
 敵の体が固いのならば、それを利用すればよい。そして人間の体には必ず、鍛えようにも鍛えられない部分がある。顔面はその最たるところだ。
 そして他にも。
 鍛えられない部分はある。
 先ほど傷つけたファングの首筋からは、血がとめどなく流れ出している。筋肉が出血さえも止めるのか、傷の深さの割りに出血が少ない。瑞穂は甘かったかとさらに追撃を行う。剣でファングの手の甲を打つ。手の甲は頑丈だと思われがちだが、強く打つとあっさり骨折するもろい部分であるのが実情だ。
 めき、と音がした。
(次は――)
 瑞穂は剣を振り上げて、ファングの右腕、前腕部の内側を切り裂く。
 ここも急所。出血が止まらなくなる場所。
 死の淵から舞い戻った瑞穂の動きは素早く冷静でそして的確。ファングの急所を確実に突いていく。
 しかし――
 攻撃に夢中になっていた瑞穂は、不意に焦燥感にかられた。何だ? この違和感は。ああそうか――
 ファングがまったく反撃をしてこない。
 そんなはずはない。いくら急所をほとんど攻められているからと言って、この狂ったケダモノがそう簡単に落ちるはずがないのだ。少なくとも瑞穂の事前情報ではそうだった。
 これは。まさか。
 瑞穂の本能的そして鍛え抜かれた危機管理能力が赤いランプで点滅している。危ない。危険。最大の狂気が、襲ってくる。
 ファングの体が――
 その鍛え抜かれた筋肉が――
 めきめきと膨れ上がり――
 ばさっと、人間にはありえない銀の体毛がファングの体から生えた。
 瑞穂は一歩退いた。攻撃すべきだ、いや今はすべきではない、軍人の本能が混乱している。これは、この状態は、
 めきめきめきめき
 骨が屈折していくような、ひどく耳の奥をかきまぜる音。
 ファングの姿が、人型を留めなくなっていく。
 その姿は――
(――これが、)
 瑞穂の目の前で、それは姿を現した。
 直立した、巨大な獅子。
(――これが、ファングの正体!)
 おおおお、と獅子が雄たけびを上げた。
 鋭く伸びた5本の爪が、そのまま武器となって瑞穂を襲う。それはナイフより早く、ナイフより強力な攻撃。
 瑞穂は飛びのいた。どがあっと獅子の手が地面をえぐった。クレーターが出来る――並みの力ではない。
 瑞穂の剣がファングの体毛に覆われた腕――いや、前脚を狙った。
 しかしただでさえ固い体に、さらに体毛というクッションが生まれて剣がまったく効かない。
 瑞穂は奥歯を噛む。このままでは。
 ファングがぐぱあっと口を開く。ぎらりと光る牙。そして襲い来る両腕。飛びのいて避ければ、またもや地面にクレーターが出来上がる。
 瑞穂はファングの前脚に足をかけ、駆け上った。体格差を利用するしかない。今なら肩まで登っても構わない。皮肉なことにファングの体は頑丈だ。
 肩に登った瑞穂は、首を狙って剣を突き刺す。
 しかし――、魔獣化したファングのその場所は、剣先を跳ね返した。
(なんて能力なの!)
 ファングが暴れる。肩にいる瑞穂を振り落とす。瑞穂はぎりぎり自らの足で着地した。しかしすぐさま襲ってくる爪に対応できない。
 ざくり、とメイド服が裂かれ、左前面に数本の血が走った。
 あらわになる肌を気にしている場合ではない。次にはもう片方の腕が襲ってくる。
 瑞穂は防戦一方になった。剣で爪を受け止める。しかし腕力でも勝つことができない。押されに押され、彼女は爪を弾き返しながら後退する。
 それを繰り返している内に、息が上がってきた。
 脳内の赤いランプは、もう限界線を突破して点滅さえしなくなっている。
(駄目だ、今は勝てない!)
 悔しいが認めざるをえなかった。軍人たるもの、悔しさゆえに自分の実力を見誤ってはならない。
 瑞穂は魔獣化したファングの動きをはかりながら、徐々に後退――
 そして、ある程度距離を取ったところで身を翻し、一気に逃げ出した。
 足のばねだけで豪邸の塀に飛びつき、よじ登るとするっと向こう側へと降りる。
 ――屋敷の外までは追いかけてくることはないだろう。

 塀にもたれて荒い息をつきながら、瑞穂は強く歯を噛みしめた。――敗北、だ。
(――でも)
 呼吸を整えながら、華のような軍人は思う。
(敗北から学ぶこともある――これが、基本)
 悔やんでばかりもいられない。
 この先にやるべきことはたくさんあるのだ。
 ひとつ、大きく、息をして。
 瑞穂は歩き出した。……帰るべき場所へと。


<了>