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其の者、真の姿となりて(後編)
月のない夜だった。星だけがちかちか頼りなさげに瞬いている。
屋敷の庭は、先程の警報の後のためか、不気味な程静まりかえっていた。
庭は綺麗に手入れをされていて、芝生が青々と伸び、木々が美しいシルエットを造り、花が溢れていたが、生憎今はそれに見とれている余裕はない。
高科瑞穂(たかしなみずほ)は剣を構えて相手を睨んでいた。
瑞穂の相手……ファングは不気味な笑みを浮かべながら大剣を構えて立っていた。
戦争を求めるハイエナとは聞いていたけど、話が分かる男でよかった。
瑞穂は先程のファングとのやりとりを思い出して、冷や汗を流した。
「ここでやったら、お前も私も100%本気には戦えない。庭に出るのはどう?」
ファングの懐に飛び込み、瑞穂の剣とファングの大剣が斬り結んだ時に囁いた。
剣は火花を散らして
「貴様は俺を楽しませてくれるのか?」
ファングは余裕のある顔をしているのが憎らしかった。
「……ええ」
「いいだろう」
にぃぃぃぃと笑った顔は獰猛で、さながらサバンナに住む肉食動物を思わせた。
そして今。
瑞穂とファングは剣を構えて睨み合っている。
ファングの大剣は私の間合いより広い。
ここで距離を詰めて戦うのは、やはり懐に飛び込むしかない。
でもそのまま飛び込んでは駄目。隙でも作れればいいんだけど……。
この10分、互いは硬直したままだった。ファングが何を考えているのかは分からない。こちらから仕掛けてくるのを待っているのだろうか?
風が吹いた。
さやさや。さやさや。
木の葉が舞い落ちてきた。
この瞬間。
瑞穂はファングの懐に飛び込んだ。
カンッッ!!
火花が飛び散った。
ファングの大剣が瑞穂の剣を受け止める。
ファングの方が力も強く、正攻法だったら押されてしまう。
剣を結んだまま、瑞穂は回し蹴りをかけた。
「クッ!!」
ファングが少し怯んだ隙を突いて回し蹴りの勢いを生かして地を蹴り、土をファングの目に目掛けて振りかけた。
スカートがめくれ、ガーターベルトの留め具が外れる。
ファングはそれを予想していたらしく、目を瞑り、砂に耐えるが、その隙に瑞穂が鳩尾に蹴りを入れて飛ぶ。
空中、回転。
ファングが体勢を立て直していない隙に瑞穂は上から剣を振り下ろす。
「せやぁぁぁぁ!!」
「はあぁぁぁぁ!!」
瑞穂の剣をファングが受け止め、ファングの大剣を瑞穂が受け止める。
カンッッ!!
剣はなおも結び続けていた。
「くくくくくっ……」
ファングが笑った。
その笑みは醜悪であった。
「楽しい、楽しいぞ!!」
戦場を求めて彷徨くハイエナ。血のある所にファングあり。この命のやり取りすら彼にとっては恍惚なのだろうか。
瑞穂は集中力が途切れないよう、唇を噛み締め続けながらファングの剣を受け止めていた。今の所は互角。しかし今気を逸らしたら、間違いなく死ぬ。
ファングの強い剣圧を受け止めながらタラリと汗を流した。
その時だった。
ファングの顔がぐにゃりと歪む。
「!?」
瑞穂は息を飲んだ。
ファングの服がビリビリと破れる。そこから突き出ているのは、全身から生えた、金属の毛。ぐにゃりと歪んだ顔は、既に人のものではなかった。
まさしく獣。肉食獣の顔が裂けるかのようににいぃっと笑う。
瑞穂が息を飲んだ瞬間。
ガンッ!!
「うぷっ!?」
強いファングの回し斬りに、瑞穂の剣は弾き返された。
手から剣が離れる。
そのままファングに蹴り上げられた。
瑞穂は受け身も取れないまま屋敷の壁に叩きつけられた。
バウンドして倒れる瑞穂。
「こんなものか? 貴様の力は」
今や筋肉が先程の倍以上となったファングが歪んだ笑みを浮かべてこちらを見た。
手にも金属の体毛が生えて大剣がしっかり持てないらしい。大剣をそのまま捨てられた。
瑞穂はなおも戦おうと立ち上がるが、足下がおぼつかない。
「弱い奴は必要ない」
ファングが拳を振るう。
「!?」
瑞穂は自分を庇おうと腕をクロスさせるが。
ファングの拳は瑞穂の真上の壁に打ち込んでいた。
瑞穂は壁の震動が伝わる。
ガラガラガラガラ……
壁が、崩れる。
「!?」
瑞穂が振り返ると、あの煌びやかな屋敷は、一瞬でえぐれ、見るも無残な姿となった。
屋敷からは誰かの悲痛な叫び声が聞こえる。中は見えないが、柱が倒れたりしたのだろうか。
屋敷が……!!
瑞穂は息を整えて立ち上がる。
それを面白げに見ていたファングは、まるで浴びせるかのように拳を連打してきた。
それを瑞穂は手をクロスして受け止めた。
駄目。これを屋敷に当てたら、間違いなく崩落する。
ガードして致命傷は避けるものの、ファングの金属の体毛が、瑞穂を蝕む。
袖は裂け、胸ははだけた。血がどっと噴き出す。
最後に強くファングが一撃を加えた時、瑞穂のガードがとうとう解けた。
瑞穂はまるで紙くずのように簡単に吹き飛んだ。
そのまま壁に激突する。
瑞穂はなおも起き上がって、ファングと対峙しようとするが、既に足はおぼつかなく、視界が定まらなかった。
そのまま瑞穂は海老のように膝が折れ、へたり込んだ。
息が荒い。
定まらぬ視線をどうにか定めて見上げれば、既に異形のものと化していたファングは、先程の人の姿に戻っていた。
目が爛々としている。
怒り。ファングが怒っているんだわ。
瑞穂は腕をクロスし、自分を守ろうとするが、もう彼女にどうこうする力はない。ファングに簡単に髪を掴まれた。
「くぅぅ……」
髪がぎゅーっと引っ張られる。
顔が恐怖で歪む。
「つまらんな」
ファングはペッと唾を吐いた。
ぼたり。
瑞穂の顔にかかる。
「俺を失望させるな」
そのままばっと手を離された。
そのまま崩れ落ちる瑞穂。
視界が暗転したのは、恐怖のためか、倒された衝撃か。
気がつけば、ファングの姿は消えていた。
悔しい。
じわり、と瑞穂に悔しさが込み上げてくる。
任務も達成できなかった。負けた。私が不甲斐ないばかりに……。
瑞穂の口は、寒くもないにも関わらず、がちがちがちがち震えていた。
震える唇をきつく噛み締めた。
唇は血の味がした。
<了>
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