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【出撃のバトルメイド ー2】
月光に照らされた男の肩が、その左肩が、少し下に傾いた。
光の反射の、わずかな変化。
そこに男の呼吸を感じ取り、左の銃で、左半身を狙い撃つ。
だが、男の動きは俊敏だった。
弾丸は、男が左によけた空間を走り抜け、続けて撃った二発目は、男が隠れた大樹の幹を貫通した。
螺旋の弾痕が覗く穴から、男の赤い眼が見えた。
こいつ、嗤ってる。
穴から見えた、愉快がってるふうな目は、銀髪に取って代わり、続いてガリッという音がした。樹皮が剥がされるような音。
上、と直感したときには、私の身体はすでに反応しきっている。
右手で鞘から引き抜いた剣は、私の頭上、月光に閃いた。
その光に、男の身体も閃いた。
三メートルは上の枝を飛び越えて、身をのけぞり、両腕を首の後ろに振りかぶっている。私に向かい、落ちるように襲い来る。
私は軽く気合いを吐き、掲げた剣を左に薙いだ。
手応えはある。
金属の撃(げき)する音。重い、硬い感触。
短い鉄鎖が、剣の刃(やいば)に巻き付いている。
男が振り降ろしたのは、左手のリストバンドに付いている鉄鎖。
そのざらついた感触が、刃越しに感じられる。血のこびりついた、嫌な感触。
「こぉのっ!」
男の体重をもろに受ける剣の柄に、左手の銃把を当てる。両手でこらえ、着地とともに剣を持っていこうとする男に抗う。とはいえ男と、しかも人外の気を発する奴と、力勝負なんてできない。
女である非力。その性差は、柔軟性と俊敏性に置き換わる。
私の眼鏡が月光に煌めいた。その光は、√のような軌跡を描く。
姿勢を落とし、間合いを詰める。張りつめた鉄鎖を緩め、力比べの緊張を解く。その一瞬の隙で、拳銃をペチコートの下に突っ込み、投げナイフに持ち替える。
即座に三本のナイフを投げる。細身のそれは、男の右足の甲と右肩に一本づつ命中する。
だが、男はそれを意に介していないようだ。
男はむしろ、ナイフに向かって右腕を伸ばしていた。
ちらりとナイフを一瞥したのみで、私がナイフを投げると同時に、顔面めがけ、右の拳を繰り出していた。突き刺さったにも関わらず、かすり傷程度の出血しかしていないのだから、その程度のダメージと予想していたのだろう。
だが、男の巨大な拳を受けたら、私はかすり傷では済まされない。
けど怯まない。
私は男の拳に怯まない。
これは攻撃ではない。防御の動きだ。攻撃は、私が動きを止め、拳をかわした後に来る。繰り出す腕の勢いを乗せ、遠心力も付いた、右のリストバンドに付いた鉄鎖。
この拳は防御の動き。私に、攻撃を躊躇させるための動きなのだ。
そう、私はすでに攻撃のモーションに入っている。
男はそれを察していた。
ナイフを投げたのは陽動。
間合いを詰めた瞬間、絡みつく鎖が緩んだのを逃さずに、剣を振って刃と鎖の間に空隙を作る。そのための陽動。
わずかな隙間に自由を得た刃。それを抜かず、むしろ差し込む。
「女っ!」
繰り出される男の拳を左の肘で上へと反らし、突き出される腕に指を広げた。丸太のようなその腕は、私の小さな手では掴みきれない。だが、筋肉が隆々としているため、そこを掴むことはできる。左手と左足、そこを支点に、私は右半身を押し込んだ。
剣は、男の左肩と胸の間に突き刺さり、私はさらに突き入れる。
肉を切り裂き、ずぶずぶと押し入っていく感触。赤い血が刃を伝い、鐔(つば)のところで滴り落ちる。
「がっぁ」
男が呻きの声をあげた。
いやらしい音。
ゾクリとする。
まるで愉悦に浸る、感嘆の吐息のような息を漏らす。
不意に、腕を掴んでいた手袋越しに、男の筋肉が躍動するのを感じ取った。
「こ、こいつっ!」
本来なら、このまま左腕を切り落とすつもりだったが、プランは変更。
私は瞬時に、男から間合いを取ることに決めた。
だが、男の方が速かった。
巨大な腕が、私の両肩を掴む。
潰される。
恐怖した。
だが、男はそのまま持ち上げた。
それでも、肩を抑えられたら、もはや上半身は封じられたようなもの。
得物は手放さないほうがいいと判断した私は、肘から先の力だけで剣を引き抜く。
その眼下で、男の身体が変貌していく。
もともと巨躯だった上半身は、筋骨がさらに膨らみ、三倍近く大きくなる。着ていたベストとリストバンドは千切れ、白銀の産毛が真っ白だった肌を覆う。下半身の大きさは変わらないが、黒皮のボトムの下部、膝から下が獣のように後ろにくびれ、その部分の布地が弾けるように切れて落ちた。
それと同時に、男の髪が、激流の滝が瀑布に落ちていくような勢いで伸びていく。
男は脱皮する蛇のように、膨張する身体を捩り、太い首を真上に伸ばす。
重く垂れ込めた黒い雲を見上げると、闇色の空に吼えた。
雲に隠れた月を呼ぶよう、大気を震わす。雲さえ切り裂くような咆哮だった。
私は腹に力を溜めて、その畏怖にこらえる。獣の咆哮は、恐怖から身体神経を麻痺させる力がある。
そう、獣。
獅子のような魔獣。
「お前、ファングか」
私は呻いた。
銀の鬣(たてがみ)を持つ、人型の魔獣。
ファングと呼ばれるそいつは、裏の世界で傭兵として雇われることが多い。だが任務そっちのけで破壊と殺戮に興じてしまうため、扱いづらいと有名だ。
男の鼻先は獅子のようにせり出し、頬の奥まで裂けた口から、鋭い牙が覗いている。
「貴様は、俺を楽しませてくれるか?」
その口が笑う。赤い目が嬉しそうにギラついている。
咽喉の奥から、唾液なのか、グルルという音が鳴った。
「やっ――」
やってみるか、そういいきる前に、私の身体は右腕ひとつで、地面に叩きつけられていた。
雑草の茂る地面、その土がめくれ上がるほど強烈な力で。
「くぁっ」
背中を痛打し、呼吸が止まる。
なかば埋め込まれた地面から抜け出そうと、胴をくねらせ、両手両足でもがく。
その間も、ファングの次の動きに注視する。
まずい。
と思った瞬間には、また私の身体が飛んでいた。
獣の足で蹴り上げられた。
一回転半した身体は、大樹の幹に打ち付けられ、今度は胸を激しく打った。
二メートルほど幹をずり落ち、エプロンのあちこちが裂けていく。
着地して、私はファングに振り向きながら左に動く。
なおも左手で拳銃を取り出すと、
「んな、小せえ弾がっ!」
と腕はファングにはたかれ、銃を落とした。
叩かれた二の腕に、激烈な痛みが走る。
「貴様の得物は、それじゃあ、ねえだろ」
ワンピースの大きく開いた襟首を掴み、またも私を持ち上げた。
首筋に、湿った、臭い息がかかってくる。ファングの鼻がくんくんと鳴る。
「剣の、よく研がれた鋼の匂いが、プンプンするぜぇ。おんなぁ!」
ファングは吼えたて、私を足下に叩きつけた。
「んあっ」
それでも、私は剣を放さなかった。
そうだ。これが私の武器だ。一番得意な攻撃手段。
ファングはそれを嗅ぎ取っていた。
よくも分かる。さすがは、生粋のバトルマニアか。
これでいく。
そう決めたが、もう遅かった。
無視できないダメージを負ってしまった。
特注のメイド服にも、いくら特殊素材で織られて防御力に優れていても、限度がある。そしてファングの力は、その限度をはるかに超える。
剣を杖代わりに、うつぶせに倒れた身体を起こしていく。
右手で柄の端を持ち、左手で鐔(つば)を支える。
だが、先ほどの一撃で、左腕の肘から先に力が思うように入っていかない。力を込めると、激痛が骨の内部を走っていく。
油断した。
完全に油断した。
絶望的な気分で、私は剣の柄を胸の高さに持ち上げる。
こいつがファングであると分かっても、余裕で勝てると思ってしまった。
「やるか」
ファングは、千切れたリストバンドごと鉄鎖を掴み、正対する。
やられる――
剣と鉄鎖が合する撃音。
二合、三合と打ち合うたび、ファングの力に圧倒される。
漆黒の闇、鬱蒼とした森に響く。
剣を振るたび、間合いを詰めようと試みるが、できない。
打ち合う鉄鎖の衝撃が、いちいち私の身体を翻弄する。
「物足りねえ」
ファングは鉄鎖を円を描くように振り、
「物足りねえなあっ!」
と吼えて投げた。
私がよける隙をつき、ファングは一歩で間合いを詰めた。
目の前に巨躯。
私の背は、魔獣化したファングの胸までしかない。
銀の産毛。獣の匂い。
ファングは私の右手を掴む。
「んっ」
私はそのままぶら下げられ、その凶悪な力に握力を失い、剣を落とした。
まだ、まだよ。
私はもはや痛みしかない左手をペチコートの下に入れ、残っていたナイフを一本、取り出した。それを、私を掴むファングの腕に突き刺した。だが。
「それが、どうしたぁっ!」
苛立ちの唸り声をあげ、私の身体を空中に放り投げた。
「ふん」
とファングの声がした。
もはや興味の失ったような声。
「小せえなあ」
ファングは背を向け、私は五メートルを超える高さから地面に落ちた。
前転しながら受け身を取ったが、その衝撃は、やはりある。
肩で息をし、四つん這いに起き上がる。
「貴様は小物だ」
軍の中でも、エキスパートに位置する私を。
「――小物、だと」
巨体の背中、それを覆い隠す長い鬣を睨みつける。
ファングは何も答えない。
ほんとうに、私に興味を失ったのだ。
戦士として、戦う相手でなくなったのだ。
「ま、待て」
そういうが、身体は思うように動かなかった。
「待て、ファング!」
だが声は、闇に吸い込まれたきり、返ってこない。
ファングは、森の中に姿を消した。
私の視界には、ただ闇に沈む樹木と下草。
そして、落としたときに地面に突き刺さったままの剣だけがある。
その刃も、淡い月光に反射して、うすい閃きを放つばかり。
それもやがて、月が雲に隠れて沈黙した。
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