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【出撃のバトルメイド ー3】
007158622547
日に三度変わる暗証番号は、すでに記憶済みである。
我が近衛特務警備課の諜報部が入手した、金庫室のキーコード。
この番号は、今日の午後九時から明日の午前三時まで有効なもの。
いまは午後十一時五十五分。
余裕だな。
そう思うと、左腕がすこし疼いた。
ファングとの戦闘で負った傷は、もう癒えているはず。
だが疼く。
私が慢心を抱くと疼く。
こんなトラウマめいた疼きはいらない。だがこれは、いわば無意識のアラート。直感の警告音。私に慎重と確実を思い出させ、気を引き締める契機となってくれるだろう。もっとも、いま身に着けているメイド服はあのときと同じものだから、この服を着込んだ時点で、私の気は引き締まっているのだが。
今回も、ひとりのメイドになりすまし、ターゲットの屋敷に潜入。
にこにこと、穏やかな表情でワゴンを押す。
その大きなワゴン、三枚の板の一番下の天板の裏に、私の剣が隠してある。一番上の板の上、ポットやティーカップにかぶせたブランケットの下には、催眠ガス入りの手榴弾も並べてある。
深い臙脂色の絨毯を踏み、いくつもの扉を過ぎる。
目的は地階の金庫室。そこにしまってあるという秘密文書。
エレベーターに乗り込んで、地下一階から四階までのボタンを五つ、習った通りの順番に押していく。すると地下三階ほどの深さに降りていく。
「あら?」
と戸惑う表情を作る私。
開いた扉。そこには防弾チョッキを着込んだ完全武装の警備員が八人。
そのひとりが、何もいわずにマシンガンを私に向けた。
エレベーターにある隠しカメラはそのままにしておいたから、こうなるとは思っていた。
けど、いきなりこういう展開とは。
見た者は殺せ。
そう命令されているのだろう。
さすがは、あの組織に関する文書がある場所だ。
「きゃっ――」
わざとらしく、か細い悲鳴を短くあげて、ワゴンを揺らす。
傾斜をつけると、ブランケットの中から、ピンが抜かれた手榴弾が転がり落ちる。扉の向こう、無機質な灰色の廊下に居並ぶ警備員の、その足下にゴロンと転がり、煙を噴き出す。それと同時に、数人のマシンガンが火を吹いた。
私はワゴンを倒し、防弾仕様に取り換えた天板の裏に隠れる。
扉の幅は、ワゴンの幅より少しばかり広いだけで、廊下の天井まで充満した催眠ガスの白濁の煙は、ワゴンのこちら側にはあまりこない。片膝を立てた、編み上げブーツの足首の上まで漂ってきたぐらいだ。それでも、左手のハンカチーフを口と鼻にあてがった。
廊下の向こう、ばたばたと倒れる音が聞こえてくる。さすが即効性のガス。
立ち上がり、廊下を見る。
薄れていく白煙に、八人の警備員が沈んでいる。
私は急いで廊下を駆ける。
地上の屋敷と違い、灰色一色の単調な一本道。右に一度だけ曲がると、巨大な金属製の扉に着いた。行き止まりの扉の脇に、セキュリティの認証端末がある。
モニターの下にある、数字のみのキーボードに十二桁の数字を押す。
すると、ガコン、という何かが外れる音がした。
中央から扉は開き、左右の壁にスライドしていき、収納される。
保管室も兼ねているのだろう、冷えた空気が、開いていく隙間から流れてくる。
まいったな。
舌打ちしたい衝動を抑える。
これは私のミスではない。
空調の効いた空気に、人の発する匂いを嗅いだ。
罠か――
開ききった扉の向こう、列車の車輌一台ほどの何もないフロアに、五十人からの警備員が刀を手にして立っていた。
エレベーターの侵入から、ここまでの用意はできまい。
「偽の情報を掴まされたわけね」
うちの諜報部は。
警備員たちは何もいわず、乾いた足音を立て、殺到してくる。
その足音に、なぜ軽装備? と疑問を抱く。
一人目が袈裟に斬りかかってくる。
私は腰から姿勢を落とし、剣を床に滑らせるよう投げ捨てながら、刀をさっと右に躱すと、左肘を顔面に叩き込んだ。背中を狙う二人目に回し蹴りを食らわせて、勢いそのまま追い打ちをかける。左右から斬りつけてくる三人目と四人目を、前転してやりすごしたとき、その二人が斬り結んだ。その刃の撃音に続き、爆発音。
なに?
振り返ると、突っ込んだ二人の刃は擦れ合い、抱きあうように相手の胸に刺していく。だからだろう、誘爆の危険は最小限に抑えられ、二人の衣類に引火しただけで終わった。
「誘爆性のガス」
無味無臭。引火温度は高目に設定されている。服の燃える温度では引火しないのを考えれば、銃器の発砲、薬莢が爆発するくらいの火花が出なければ大丈夫か。
燃え上がる同士に、一瞬、警備員たちの動きが止まった。その顔には青ざめた色が浮かび、しかしそれは、やがて狂乱めいた嗤いに変わった。
世界の完全再生のため、全ての破壊を目論む集団《虚無の境界》。
ここにあるのは、その組織の本拠地の在処を示す文書だった。
罠だったが。
さすが《虚無の境界》に与する連中。破滅衝動のあるのが多い。もっとも、自分が破滅することなど予定に組み込んでいない奴もいるようで、ひどく迷った動きをしているのもいる。
「いらっしゃい」
私は腰を落とし、クンフーの構えを取る。
スカートはペチコートから太ももの上に乗っかり、大きく膨らんだ白と黒のブリーツの層が、かろうじてショーツを隠す。ガーターベルトの下に付けたヒップホルスターの拳銃二丁は、ペチコートに包まれているから、へたに摩擦し、発火することはないだろう。
「さあ」
と、刀を構え直す警備員連中を睨め付けた。
「行くわよ」
乱戦は、意外と早く終わりを迎えた。
とはいえ三十分以上を費やし、体力的な疲労は強い。
同士打ち覚悟で斬りかかってくる奴らが多く、すこし身体をずらせば、それで済むことが多いのが幸いだった。
最後のひとりに、私は飛びかかりながら身体を反転、フレアスカートが遠心力で腰の位置まで持ち上がるのも気にせずに、後ろ回し蹴りを華麗に決めた。
ふう、とひと息をついて、血のついた白手袋で額の汗をぬぐい取る。全身から吹き出る汗が空調に冷えていくのを感じながら、辺りを見渡す。すると、立っている影がひとつ、床に見えた。
すべて倒したはずなのに、起き上がったか。
その影の主に目を向ければ、左腕が急に疼いた。
その漂う匂いを嗅いだときには、鈍痛が走ってくれた。
「ファング」
獣の姿。
「愉しそうね」
いいながら、私は先ほど投げ捨てた剣の元へにじり寄る。
「戦士としての興味をないが。殺しの対象として、愉しむことにした」
言い切るや、ごう、という音が鳴った。ファングの身体が跳躍したのだ。
そして巨大な腕が、私を襲う。
右に飛び、床に転がる。受け身を取りつつ起き上がるが、倒れたきりの警備員につっかかった。
「逃げろ、逃げろ」
獣の咽喉を震わせて、ファングは嗤う。
足下の警備員を両手で掴み、投げつけてくる。
「うわっ!」
およそ七十キロの物体が飛んでくるのは、けっこうな迫力がある。
私は逃げ惑うふりをしながら、倒れている警備員を盾に取りつつ動き続ける。
ファングはゆっくりと私の後を追いかけて、隅へ隅へと追い込んでいく。
そう、私は追い込まれていく。
しかし、それは仕方がない。投げ捨てた剣は、部屋の一番隅にあるのだ。
ようやく剣を手にしたときには、すっかり追いつめられていた。
だが、これでしかファングに抗うことはできない。
「正気か?」
剣を構える。
「あなたの銀の体毛となら、きっと火花が飛ぶでしょうね」
「貴様――」
ファングは驚いたような顔をする。
私は脅迫めいた声を出す。
「死にたくなければ――」
「いい度胸だ」
刹那、ファングはボディブローを私の腹に決めてきた。
そのまま身体を頭上に掲げる。
「斬りつけてみろ」
こいつ――!
「さあ、やってみろ。おんなっ!」
私は慎重に、ゆっくりとファングの首に剣を刺した。
「おいおい」
剣が五センチほど入ったとき、
「それじゃあ、燃えねえぜ!」
苛立った咆哮をあげるファングは、私を後ろに投げ飛ばした。
私は宙に舞いながらも、剣の摩擦を最小限に抑えて引き抜く。
そして床との接触で火花が飛ぶのをさけるため、剣を胸に抱え、背中から横に転がる。その際、刃でエプロンとワンピースの胸元を大きく切ったが、身体に傷はない。
寄せて上げた胸の谷間が露になったが、そんな色仕掛けの通じる相手ではない。カチューシャで留めていた前髪は乱れきり、地面に投げ飛ばされたときの衝撃が、スカートのせっかくの膨らみを不細工にしてくれた。ガーターベルトのストラップは切れ、左のニーソックスは膝に引っかかるところまで下がっている。
ひどい格好。
「観念したか?」
笑みを浮かべる私に、ファングが嬉しそうに咽喉を震わせ、近づいてくる。
「そうね。体力も限界。もういいかな」
私は微笑み、ペチコートの下から投げナイフを一本取り出し、ファングの足下に投げつけた。
「なに?」
そして、火花が飛び散った。
先ほど、剣を取るのに動いていたとき、拳銃をひとつ仕掛けておいた。
警備員の刀の柄を、起こした撃鉄に挟んでおいた。
いま投げたナイフは、柄に当たり、撃鉄からそれを外した。リボルバーを発砲させた!
撃鉄が薬莢を弾く火花は、フロアに充満していたガスに引火し、爆発する。
地下全体を震わす爆発。
私はナイフを投げるや廊下へと駆け、火炎がガスを伝ってくるのを逃げていく。
この爆発なら、あのファングとて無事では済むまい。
だが、
「いいぞ、おんなぁっ!」
ファングの笑い声が、焔が唸る轟音の奥から聞こえた。
「いいぞぉっ!」
前言撤回。こいつとの戦いは、まだ続きそうだ。
そんな予感が、エレベーターに乗り込む私の、癒えたはずの左腕を疼かせた。
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