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<東京怪談ノベル(シングル)>


【月下狂想曲 最終章 〜Nightmare〜】


──かくして、狩人と獲物は入れ替わる

 天に掲げられた月光は、今や無慈悲に地面を照らしている。
 端正に手をかけられて育てられたであろう木々や花々も、突然の暴虐の嵐に吹き散らされ、今は見るも無残な姿を晒していた。古の風格を残しつつ上品な美しさを纏った屋敷──守るべきだったものは、もう存在しない。

 ──あるのはただ廃墟。ここは瓦礫にまみれた死の世界。
 楽園に終焉を告げたのはただ一匹の魔獣。 狩るはずたった一匹の獲物。
 獅子の頭をもち、牙の名をもつ漆黒の破壊者──

「まさか…あれほどの化け物なんて」
 傷から流れ出る血液と共に、恐怖まで一緒に染み出すような錯覚を覚え、逃げ去る若い女は自分の腕を抑える。

「…早く撤退しないと。…連絡を」
 弱々しく呟く彼女の名は高科瑞穂。(たかしな みずほ) 特殊部隊に所属する熟練のエージェントだ。

 けれど、今の彼女の表情からはその自信を窺うことはできない。
 敵に怯え逃げ惑い、助けを求める哀れな子兎のように、林の中を脇目も振らず駆け抜けてゆく。

「……追いかけてきてはいないようだけど」
 放たれていた殺気は今は感じず、背後から追いかけてくる気配もない。和らいだ恐怖のせいで解放されたのか、胸の奥に詰まっていた空気を吐き出し、瑞穂は目の前にある塀を見上げる。

──見上げた空は遠く、夜の大気は冷たい。

 熱が冷めたのか、体が震えた。冷や汗で服が肌に張り付き、不安と寒さがより一層その身に染みてゆく。

「……ここを越えれてしまえば…!」
 それを振り払うよう首を振り、地面を蹴って大きく跳躍する。 途中で段差を勢いよく蹴り、高く自分の体を宙へ舞い上がらせる。

 塀の向こうには鬱蒼と広がる深い森。月の光を浴びながら、恐怖と不安という名の檻を脱出する。連絡すればじきに応援が来る。それまでの辛抱と、自分に言い聞かせ──

──だが、その望みはあっけなく打ち砕かれた

 前方から放たれた衝撃波が瑞穂の身体へ襲いかかる。
 慣性のみに支配された瑞穂は避ける術など存在しない。辛うじて身を捩らせて、直撃だけは免れるが、受け身もとれず地面に叩きつけられる。

「……ま、回り込んだっていうの…いつの間に」
 地面が柔らかいのは幸いだった。意識は失わずに済んだようだ。衝撃で痛む体を堪え、瑞穂は剣を地面につき体を起こす。
「そんな簡単に逃すわけないだろう。
 …しかし、無様な逃げっぷりだったな、女」
 木の陰から姿を現したのは獅子の頭を持つ漆黒の魔獣。狩人の正体…獅子の頭をもつ化け物だ。

「……くっ」
 狩りの再開──残された力を振り絞り、剣を構え直した瑞穂を見て、
「ほぅ…まだやるのか」
 ファング──魔獣は顔を歪ませて笑いながら言い放つ。
「ははははは……せめて、俺を愉しませろ!」


(必ず弱点が…隙が、どこかにあるはず。
 倒せなくとも構いはしない。怯ませる隙さえあれば……!)
 自分に言い聞かせ、瑞穂が放つのは下から切り上げる斬撃。

──軽く後ろにステップして魔獣は刃を逃れる。

 更に踏み込み、大きく振りかぶった剣を、渾身の力を込めて振り下ろす。

──やすやすと距離を詰め、剣を横に弾いた魔獣は、顔面へと肘打ちを叩きつける。

 辛うじて左にかわし、足をついて強引に体勢を立て直し、首を狙い刺突を繰り出す。

──魔獣は鼻先で笑い、首だけ動かし容易くやり過ごす。

「……いまだっ!」
 刹那、自分の能力で剣の慣性を打ち消し、剣の軌道を変化させる。右手だけ逆手に持ちかえ、巻き込むように身体を捻り、自分の体重をかけながら剣を振りおろしてゆく。

 言うなればまるで断首台の刃。
 自分の能力と剣術、体術を組み合わせた必殺の剣撃。首を断つ必殺の刃は狙い過たず襲いかかり──


──衝撃の瞬間、まるで鋼を砕いたような音がした。

 砕かれたのは己の剣。身を沈めた魔獣の突き上げに、剣はあっさりと生涯を閉じる。体制を崩した体が崩れてゆくまま、瑞穂は呆然とそれを見つめる。

「ほめてやろう…その体で放ったにしては、な!」
 沈みかけた瑞穂の身体を掬いあげるような一撃。衝撃を受けた瑞穂の身体はくの字に折れ曲がり、口の中に血の味が広がる。
「ほら、褒美をやるぞ」
 浮き上がった身体に追い打ちをかけるように魔獣は回し蹴りを放ち、側面から身体を激しく打たれた瑞穂は衝撃と共に地面に叩きつけられる。

「…く…ぁ…」
 朦朧とする意識のまま、自分の耳からこぼれおちた小型通信機に気づいた瑞穂は最後の希望を託し手を伸ばす。まるで最後の希望にすがりつくように、手を届かせ、そっと握りしめ──
「……うああああああああああ!」
 無残にも手ごと踏みつけられた。
「さっきの威勢はどうした?」
 踏みつけた瑞穂の手をそのまま持ち上げて宙吊りにされる。

「…い、いたっ……」
 どうやら手の骨が何処か折れたらしい。苦痛に歪む表情をファングは愉快そうに眺めながら、服の腹の部分に爪をかけ一気に切り裂いた。
「……きゃ…っ!」
 服の腹の部分とスカートは半ば裂かれ、白い肌が一瞬あらわになる。
「…さてと、どこから食らってやろうか?」
 言葉と同時に太ももに鋭い痛み。びくん、と灼けるような痛みに瑞穂の体は震える。ファングの爪で白い肌に引かれていく赤い線からは血が滲み、やがて白いソックスを汚すように血が細く流れおちてゆく。

「それとも生きたまま、中から喰らってやろうか?」
「…ひっ」
 今度は腹。
 体と心に抉りこまれるような恐怖の中、瑞穂はファングの嘲るような表情を虚ろな瞳で眺める。
 まるで、いつでも切り裂けるのだといわんばかりに爪に力を込め弄ぶその姿は、神々も逃れられない、楽園を破壊する魔獣にも似て。

「心と体に刻んでやる。それはお前の敗北の証だ」
 恐怖と哄笑──この二つが瑞穂の中で木霊する。薄れる意識の中、辛うじて保っていた理性がゆっくりと熔けて、代わりに湧き上がるのは恐怖と絶望──

「…ぁ…ああ……」
 理性は折れ、救いはなく、ただ嬲られ獲物に狩られるのを待つだけの存在。堰を切った感情は止まることなく、涙となって瞳からあふれて落ちてゆく。
「ははは……はははははははっ! まさか涙とはな。
 おまえは戦士として失格だ。戦場に立つ資格はないなどない」
 嘲笑と、満足そうな笑みを浮かべ、ファングは瑞穂を打ち捨てる。

「二度と俺の前に現れるな。現れたら今度は食い殺す。忘れるな……!」
 そう告げ、ゆっくりと歩み去ってゆく。壊れた玩具に用はないと言わんばかりに、一切の興味を無くして。

 地に伏せた傷だらけの瑞穂を月が静かに見下ろしている。満月は無情にただ見下ろすのみ。破壊された屋敷と、折られた剣。……折られた心。
 狂騒の時間は終わりを告げ、終章は打ち砕かれた希望と共に幕を閉じる。
 無機質な月に照らされた廃墟を風がゆっくりと通り抜けてゆく。悲しみを告げるような音を奏でながら、ただ静かに。