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【東京衛生博覧会 後編】
「人にとって、美しい姿勢とされているのだろう?」
頬に血飛沫の跡を残す男が言った。
「『どうしても叶えたい願いの為に、何でもする』という事は」
「素敵な事なんだよねぇ?」
コケティッシュな笑みを浮かべ、猫は勝ち誇った。
「『夢が叶う』っていう事は」
「覚えはないんでしゅか?」
Drは、唇の端を引き攣らせた。
「『大事な誰かの為になら、どんな事も厭わない』という気持ちに」
血の濃い匂いが立ち込めていた。
豪華なオークション会場に、息をするのも煩わしい程の熱帯のジャングルに、そして、薄暗い倉庫に。
引き金は、いつ引かれたのか?
彼らの本当の目的は何なのか?
この物語は、何処へ疾走して行くのか?
何にしろ、血の花は咲いた。
後戻りの出来ない場所に、貴方はいた。
男は、猫は、そしてDrは問うた。
「さぁ、これから、どうしようか?」
まるで、子供のように。
「さぁ、これから、どうしようか?」
SideA
【 デリク・オーロフ 編】
本当に人間が怒ってる時。
どんな顔をしてしまうと思う?
ウラという少女との暮らしは、時々、どうしようもない愛おしさというのを胸中に掻き立てた。
彼女の幸せを、冗談でなく本気で何より一番に考えていたし、彼女の成長は、デリクにとって生きる喜びでもあった。
善人ではない。
自分の事をはっきりそう思ってる。
だが、ウラを見ていると、近頃命というものに対して、貴いものに打たれるような心地になる事があった。
生きる意思のある者。
己が境遇に抗おうとしたもの。
手を延べた。
生き長らえる道を示して。
奪われた。
唐突に。
デリクは静かな微笑を浮かべた。
人は心底キレると、笑ってしまう。
鉄の匂い。
紅い血の匂い。
心の深くが深紅に染まる。
OK、デリク。
息を吸え。
奪われた魂ごと、己が胸に抱きしめるように、深く、深く息を吸え。
表情は変えるな。
動揺を見せるのは愚か者のする事だ。
魔術師は、魔術師。
今の自分に出来る最善の事を。
見下ろせば、キメラの屍骸、屍骸、屍骸、屍骸。
命の残骸。
もし許されるのなら、一つ一つの残骸の前に膝をつき、祈ってやりたい気持ちになった。
敬虔な人間なのではないものだから、祈りが天に届くとは、到底思えなかったけど、それでも、こんな場所で放置し続ける事に、胸の痛みを覚えずにはいられない。
汚いとか…恐ろしいとか…そういうネガティブな感情を抱く事は一切なかった。
現実主義者のデリクは、ただただ、そこにあるキメラ達一人一人の為に、心の中で両手を握り合わせ、一瞬だけ、軽く目を閉じた。
自分の頬を塗らしている血に手を這わす。
私の言葉デ、足掻く事を望ンダ、気高い魂達ヨ。
共にあろウ。
魔術師は此処ダ。
共にあロウ。
生憎神ではないものだカラ、救う等とは言えやしないケド、それでも…アノ男を許す事は決してなイ。
貴方方が望む以上ノ結末を、必ず齎してヤル。
目を開く。
Drの顔が目に入った。
デリクは静かに微笑み続ける。
「…考えロ。 考えロ、デリク・オーロフ」
小声で小さく呟いた。
デリクの優秀な脳味噌が、誰も追いつけぬスピードで回転を始める。
これ以上の惨劇を目にしない為にも、デリクは今、彼の人生の中でも滅多にないと言える程に、本気を振り絞っていた。
「貴方にご立派な忠誠心があるなんて思えませんねぇ?」
幇禍が嘲るように言う。
そして、随分と彼に懐いているようだった、銀色の髪をして天使のように羽の生えた少女を見下ろし、俯いたまま痛ましげに「…なんて事を」と呟いた。
少し首を傾げたまま、思案するように口をつぐんでいたエマが、漸く良い言葉を思いついたという風に軽く口を開くと、「馬鹿じゃないの?」と呟いて肩を聳やかしながらツカツカとDrの傍に歩み寄る。
そして、倒れこんでいる黒須の目の前にしゃがみ込むと、その顔を覗きこみ、「黒須さん? 黒須さーん?! 意識ある? 大丈夫?」とDrを無視し、黒須に声を掛け、それから腰に手を宛てながら此方を振り返ると、「兎月原さん、ごめん、黒須さん運んであげてくれないかしら? どうも、もう立てそうにないの」と困ったように告げた。
余りに動揺のない姿に、流石と、デリクが感嘆すれば「あ、俺も手伝います」と言い幇禍が傍に走り寄り、慌てた様子で兎月原も黒須に駆け寄った。
「駄目でしゅ。 勝手な事しないで下しゃい!」と言い、キメラを差し向けるDr。
銃を構え、襲い掛かるキメラ達を撃ち落し、兎月原が薙ぎ払う最中、エマは「あ? いたの?」とまるで、今気付いたと言わんばかりにDrに吐き捨てて「存在感ないんだから、そのまま、せめて黙ってじっとしててくれない? とっても邪魔なの」と、腰に手を宛てたままDrと対峙し、溜息を吐き出した。
「私達、こう見えても忙しいのよ」とまるで冷静な声で言うエマを、Drが信じられない生き物を見るような目で眺める。
デリクは、エマの態度が殊の外愉快で堪らず、同時に彼女にその意識があるのかは分からないが、Drの注意を引き付けてくれている間に、デリクは思う存分周囲の状況を把握し、これまでの情報を再構築して、これから自分達が、どういう行動を選択すれば最善の結末を迎えられるかを思案する。
血で滑り、油断すれば足元を取られそうな悪条件の中、幇禍と兎月原が奮闘してくれているのを良いことに、影の中に潜む魔物が「ぐるぐる」と不穏な唸り声を上げている事すら放置して、立ち尽くしたまま思考を続けた。
エマはその騒動の最中でも表情一つ変えないままに、Drと相対し続けている。
「…怖くないんでしゅか? 僕が」
窺うような眼差しにエマが意外な事を聞かれたというように唇の端を持ち上げ「怖い? 何が?」と囁く。
「あんたの何処が怖いの? 何を怖がれば良いの?」
エマはそう答え、Drになど構っていられないと言う風に、足元に入る黒須に躊躇いなく手を伸ばし、その血に濡れた髪を掻き分けた。
「…痛い?」
エマの問い掛けに黒須が霞んだ視線を返す。
「どっか折れてる? というか、顔色から見るに、まず、血が足りてないのかしら?」
何か言おうとして、黒須が悲しげに眉を潜め、早口で「アホか、お前は…どっかそこら辺、隠れてろ…」と答えると、エマは首を傾げ、それから、その頭を「えい!」と掌で叩いた。
「そんな場合じゃないでしょ? 今の黒須さんなんかね、最悪よ。 なんか、もう脱皮後って感じ。 蛇が脱皮し終わった後の皮って感じ。 つまり、本体が別にあるんじゃね?位の、なんか弱り具合なのよ。 そんな人にね、気遣って貰うほど、私落ちぶれていないから、どーん!と頼りにしちゃいなさい」
そう言って安心させるように笑い、それから「…助けに来たよ」と優しい声で言う。
「私も、兎月原さんも、デリクさんも、幇禍さんも、みんな、みんな、黒須さんの事、助けに来たのよ」
エマの言葉がまるで痛いという風に顔を歪めた黒須に、「にっ…」と何だか、悪戯っぽい笑みを見せ「感謝してよ」と告げると、その体を何とか抱え起こそうとした。
「あんまり、舐めた真似しないで下しゃい…」
そう言いながら、Drが懐から銃を取り出し、エマの頭に突きつけるのを黒須が目を見開いて見上げる。
「やめろ」
震える声。
「こいつは…やめてくれ……」
黒須がそう懇願する最中、エマはポンポンと黒須の肩を叩き、大丈夫という風に笑いかけると、Drに視線を向けないままに「だから、別に怖かないって言ってんでしょ」と、冷たい声で答えた。
「あんたに殺されたりするもんか。 そんな鉛玉、私には当らない。 絶対にね」
そう挑発するような言葉に、賢いエマの事だから何か策があるのだろうと考えていたデリク。
不意に、エマが「お願い」とでも言わんばかりの視線を此方に向けてきて、久方ぶりに大いに焦った。
何しろ、思考に全神経を集中していたせいで、咄嗟に体が反応できない。
されど、エマは完全に、デリクを頼りにしてくれている訳で…。
「どうでしゅかね?」
Drが引き金に指を掛ける。
デリクは構えた両手の魔法陣が光を放ち、エマがいる方向に向かって、手を翳しながら「無茶をすル!!」と叫んでしまった。
彼女の周囲の空気を歪ませる。
「パン!」
Drが銃を撃ち放せども、デリクが空間を歪ませ軌道を変えたせいで、弾丸はエマを霞めただけに留まり、その瞬間打ち合わせたわけでもないのに、幇禍は走りこんで、発砲の反動に仰け反るDrの即頭部を殴り飛ばすと、同時に駆け出していた兎月原が強引に黒須の身柄を強奪し、抱きかかえて、一気に安全圏まで走り、運ぶ。
その間、僅か一秒足らず。
吹っ飛ぶDrを見送りもせず、幇禍がエマの手を引きこちらに向かって走ってくる。
エマは、巧くいったと言わんばかりに嬉しげに笑っていて、度胸があるにも程があるとデリクは呆れた。
銃を頭に突きつけられて、あれ程平然としていられる理由が分からない。
臆病と言えるほどに、慎重な性質だからこそ、無茶をする人間の気持ちが一切理解できなかった。
それも、自分や兎月原、幇禍のように己の技量に多少なりとも自信を持っている人間ではなく、エマは外見だけならば、上品で荒事なぞに関わる姿等一切想像できない知的な容姿をしているせいもあり、こういう度胸を発揮した時等はそのギャップにいつも驚かされてしまう。
「怖くないんですか?」と問う幇禍に、エマは即座に「怖くないわ。 だって、みんなの事信じてるもの」と、至極当然のように答える。
人を信じて自分の命を預ける事自体、デリクには到底出来ない行動で、少し怖い顔をして、「エマさン! 私が、気付かなかったラ、どうするつもりなんでス!」と怒って見せれば、エマは「でも、助けてくれるって分かってたし、決して無謀のつもりじゃなかったわ。 何とか、あいつの気を逸らさなきゃ、黒須さんの奪還は無理だったしね」と軽く答え、それからデリクににっこりと笑いかけて「ありがとう」と礼を述べてきた。
預けられた、この人の命を。
守れて よかったと…心底思う自分が憎い。
人を咄嗟に信じられる人ほど強い人はおるまいと、余りに綺麗なその笑みに、デリクがうっと言葉を飲み込まされる。
魔術師が自分の吐き出しかけた言葉を呑むなんて、まぁ、本当に滅多なことではありえない出来事だった。
そのまま、エマはこちらに背を向け軽快な足取りで兎月原が保護した黒須の元へと走っていく。
その背中を呆然と眺めて、デリクは隣に立つ幇禍に対し口を開く。
「時々思うのデスガ…」
「はい」
「我々男性陣束になっても、エマさんに叶わないのでハ?と思わされる時が、私あるんでス」
すると幇禍が即座に頷いて、「無敵です。 あの人」と心からの声で同意してくれた。
今は黒須の傍にしゃがみ込み、あれこれと世話を焼いてる姿を眺め溜息を吐いた後、幇禍が振り返り、爪先を此方に伸ばしていたキメラの額に鉛玉の穴を開けた。
デリクも、歪の塊をぶつけ、キメラの体をぐにゃりと折り曲げてやる。
「何か…思いつきました?」
幇禍が、弾切れした銃に素早く弾丸を詰めながら問い掛けてきた。
やはり、時間稼ぎを意識して、先程は暴れてくれていたらしい。
策が全くないわけではない。
キメラを面白いように撃ち落す幇禍に対し「一応…。 ただ、慎重を旨とする私にしてみれバ、かなり不安定な賭けなので…もっといい手はないかと…迷っている所なんデスガ…」とデリクが、迷いのある声で呟き、影に潜む魔物に、キメラの一群を一気に咀嚼させた。
デリクと幇禍が仕留め続けるキメラが流す血も加わり、足元を浸す血の池の嵩が徐々に増していっている気がしてしょうがない。
徐々に積もる鬱屈感に、密閉された倉庫内でこのまま埒の明かない状況を続けるより、少々危なっかしかろうが、とにかく、状況を一変させたいというような、デリクにしては極めて珍しい心理状態に陥り始めた。
冷静であろう。
落ち着いていようと、心に決めていたし、その決意は、驚異的なほどデリクの心を律していた。
それでも、デリクとて人の子。
此処で無残にも散ったキメラ達にも、早く自体の改善を望む心に一切の焦りもなかったと言えば嘘になる。
幇禍が、「その方法を実行させる為には、どうすればいいんです?」とデリクに問い掛けてくる。
「取りあえズ、この、攻撃を一旦止めて頂かないと、力の行使もままなりまセン。 あのDrの気を一時的にでモ、逸らさないト…」
そう眉を顰めてDrを凝視したデリク。
「観察していて気付いたのですガ、どうも、キメラ達は最早自分の意思というモノを奪い尽くさレ、Drの指示により動いているようなのデス。 つまり、Drが指揮権さえ失えば、キメラ達の攻撃は止ル」
「指揮権…を…失わせる…」
「一時的にデモ構わなイんでス。 Drの気をそらす事が出来れバ…」と言えば、「何かに、一時でも夢中にする事が出来ればいいんですけどねぇ…」と銃を連続して撃ち放ししつつ、幇禍が思案気に呟いた。
夢中…に?
先ほどのエマと会話している時のDrの様子を思い出す。
「夢中…ニ?」
「はい。 夢中に」
デリクが口に出し、鸚鵡返しに聞けば、幇禍も全く同じ答えを返してきた。
例えば黒須然り、エマ然り、どうも自分に対して悪意的な意味での琴線に触れるような言葉を発した人間に、Drは強く執着するようだ。
と、いう事は…Drを夢中にさせるには、一番口が回る自分に執着させるのが有効な方法で……。
そこまで考え、Drに夢中になられるという状況のおぞましさに、一瞬遠い目になってしまう。
不本意である。
大変不本意であるし、普段ならば時間を掛け他人に仕込み、自分は高みの見物…というパターンを選択しているのだが、今回ばかりはそうはいかない。
眉を寄せたまま、「すごおおおく嫌なんですケド…」とデリクは溜息を吐き、それから、くるんと、倒れたままの黒須を振り返ると、「幇禍さン、もう少し持ち応えて下さイ」と幇禍に告げて、黒須の元へとスタスタと歩き出した。
とにかく、Drの意識を他にむけられない程に、自分に集中させねばならない。
(Drの黒須サンに対する言葉は、そのまま弱点ト思われマス。 とにかく、なんで、アレ程執着されてしまう事になったのカ、その切っ掛けとなるキーワードを聞き出さないト…)
黒須の側に足早に駆け寄り、それから心配そうに黒須を覗き込んでいた兎月原の隣に座る。
ひょいと黒須の様子を覗き込めば、薬やら暴力やらの影響が手酷く残る姿を晒しつつ、デリクを虚ろな目で見上げてきた。
長い髪が血で頬に張り付いていた。
「状態ハ?」
エマに問えば、デリクが突然声を掛けてきたことに驚いた顔を見せつつも、「薬のせいで、意識がまだ、はっきりとしてないみたい」と答えが返ってくる。
「大丈夫…さっきみてぇな…酷い事には…ならねぇ……」と呻くように言い、「何の用だよ?」と黒須が問うて来る。
「教えて欲しいんデス。 覚えてる限りで良イ。 キーワードが欲しいんでスヨ。 Drの意識を私に集中させる言葉ヲ」
デリクの言葉にエマが首を傾げ、「何をするつもりなの?」と問い掛けた。
「キメラの攻撃も鬱陶しいでスシ、逃げたところで、追跡は苛烈を極める事が予想されマス。 ですノデ、援軍を振り切る為ニ、Drを含む皆さんヲ、丸ごと空間を切り取って異空間を作り出し、キメラ王宮へと送り込みしまシタ」
提案ではなく決定事項として告げた言葉に、三人とも、ぎょっとした顔を見せた。
「私としてハ、やはり、あの城に今いるウラの安否がどうしても気になりマスし、黒須サンがベイブさんに会う事さえ出来レバ、ベイブサンの状態の回復が見込まれるのであらバ、力を取り戻したベイブサンによって、Drを倒し、その上向こうに巣食っているチェシャ猫とかいう敵も、やっつけちゃおウ☆という一挙両得な展開が望ましいと思われるのデス」
そう指を立てて説明するデリクに、エマは少し考えた表情を見せた後「確かに、それなら、一番今厳しい状態であり、崩壊すればこの世界への影響が大きいと予想されるお城の安全が、まず確保されるわね。 その後、デリクさんや、黒須さん、それに白雪嬢の力で、またメサイアに送り返して、総力戦で竜子ちゃん達が相対している、虎杰やキメラ達を一気に叩ければ、一番速やかに事態を収束出来るかもしれない…」と口にした。
さすがエマさん、話が通りやすイ、と喜びつつ、「ただ、ソレほど大掛かりな空間を作り出すには、どうしてモ、あのキメラ共の、小ウルサイ攻撃を、一時的にでもストップさせなけれバ、空気の乱れによって、力を安定させる事が難しくなりマス」と、デリクは弱った顔をする。
「キメラの意識系統自体、Drの支配下にあるようだから、Drの意識を自分に集中させる言葉が知りたい…そういうことで良いのか?」
兎月原の問い掛けに、話がスムーズに進む事を喜びながら、「エエ。 まったくその通りデス」とデリクは頷いて、「如何でス?」と黒須に聞けば、「ちょっと…待て…思い出すから…」と眉を顰めて呻いた。
そんな黒須にデリクは心からの声で、「そもそモ…黒須さんみたいな人間ニ、Drがこだわってること自体が異常なんデス。 美醜の判断は、キメラを好む異常性が見られるモノノ、極一般の感覚を有しているヨウですし、わざわざ、黒須さんのヨウな人に、執着する理由と言えば、貴方が、あのDrと交わした、会話にしか求められまセン」と、かなり酷い事を述べる。
まぁ、もしくは過去に何か因縁があるか…だが、黒須は相手の事を全く見知らぬようだ。
Drの方には、黒須に対して、過去の経験より、何か含む所があるのだろうか?
そもそも、Drが城の関係者であったことが判明している以上、千年王宮を介在した何某かの思う所がDrの方にはあっても不思議はないかもしれない…と、一応考慮の材料に加えておく。
とはいえ、今は、黒須がDrに何を言ったか聞き出すのが先決だ。
そして、ふと背後を振り返り、随分と幇禍が一人で奮闘している姿を目にすると、兎月原の肩をぽんと叩き、「何か、一人で大変そうなので、是非、駆けつけてあげて下さい」と言いつつ、幇禍を指差した。
兎月原は一瞬目をパチクリさせて、それから、幇禍一人で全キメラの防衛ラインを守っている姿に慌てて立ち上がり、一目散に幇禍の元へと駆け出していく。
ヒラヒラと手を振って見送った後、黒須が思案の果てに口にした言葉は、「薬や後ろ盾がなければ、誰とも口も利けないような分際で」「耳が腐る」「吐き気がする」「気持ち悪い」といった、確かにかなりキツイ台詞。
あの手の人間は、自分の内面に踏み込む侮辱を行った相手に、強く執着する傾向がある。
自分の優位性や権力を相手に嫌という程思い知らせ、自分の言動を後悔させる事に全力を尽くす、人間の器の小ささが既に透けて見えていた。
この台詞から導き出されるキーワードが、彼の弱点、致命傷となり得る筈だ。
「…へぇ…そんな事、Drに言っちゃったの」とエマは何だか楽しげに笑い、「馬鹿ね。 捕まってる立場なのに、黒須さん、わざわざ相手の神経逆撫でしちゃって」と呆れたように指を差す。
「カッとなったんだよ」と黒須が言い、やはり冷静さこそが、窮地の際に己の命を長引かせるのだという持論を確信しつつ、「そういわれた後、Drはどうなりましタ?」とデリクは問い掛けた。
黒須は思い出したくないように、顔を顰め、それでも掠れた声で「一緒に連れてきた、キメラの女をぶっ殺しちまったよ。 ヒステリーみたいな状態になってな…」と苦しげに言う。
エマが、無表情に「Drって、聞けば聞くほど最悪ね」と呟くが、デリクは「女性連れだったんデスカ?!」と別の所に反応を示さずにいられなかった。
デリクが勢い込んで問うて来る姿にびっくりしたように黒須は身を引けど「おお、なんか、えらく色っぺー、狐のキメラ女連れてたよ。 『狐ちゃん』とか呼んでな」と教えてくれる。
これで、大体の経緯が分かった。
ニヤリとデリクは唇を緩ませる。
「ありがとうございマシタ」
思った以上の収穫に、内心大変満足しながらも、二人でキメラの相手をしてくれていた、幇禍と兎月原に並んで、前線に復帰する。
「準備はOKですか?」
幇禍がほっとしたように問うてくるので、デリクは「マァ、なんとカ」と苦笑して、それから「もう暫くの間辛抱してくださイ」と囁くと、掌を翻した。
檻に閉じ込められたキメラ達に声を届ける為に空間を歪ませた時と同じく、自分の声がDrに届きやすくなるよう、力を行使する。
「Dr!! Dr!!」
そして、デリクは、朗らかな声で、Drに対して呼びかけた。
無造作に血の海を歩き、キメラの攻撃を潜り抜けながら「少しの間だけ、お話させて貰って宜しいでしょうカ?」と声を掛けるデリクを油断ならない目で見据え、Drは首を振り、キメラに更なる猛攻を命じた。
「そんな、ツレない事を仰らずにネ?」と言い、襲い来るキメラを空間を使って体ごと歪め、影の魔物にも応戦させつつ、顔ばかり穏やかに微笑みかけども、Drにしてみれば、デリクがかなりの曲者である事は察せられているのだろう。
下手に口を聞こうものなら、相手のペースに乗せられる事を恐れてか、口を噤んだまま、頑なな調子で此方を見ようともしない。
エマに出し抜かれ、黒須を奪われた事を教訓にしているのだろう。
中々厄介な状態だと思いつつも、デリクはこういう状況にワクワクする厄介な性分が頭をもたげ、まさに詐欺師の如き弁舌で持って「まぁ、貴方ガそういう態度を見せるのも無理はありませン。 今は敵対関係にある間柄、ここで警戒を解くようであれば、貴方も裏組織のNo2になぞ、上り詰める事は叶わなかったでしょウ。 流石というべきでしょうカ?」と相手に理解を示してみせる。
その間も影に潜む獣は、キメラを食い殺してはいたが、今はその宿主が別の事に意識を向けているせいか、その働きは鈍り、デリクには次々と鋭いキメラの爪の切り傷が付けられ始めた。
自分の体にかすり傷一つ付く事すら、普段なら厭うた。
痛みは苦手だったし、安全を何より考慮するのが、デリクの生き方で、無理をせず、慎重に動き回る事を、何よりも大前提としていた。
だが、今は違う。
ウラ。
王宮にいる、愛しい娘。
彼女を、どうしても守らねばならない。
彼女の意思を、どうしても見届けねばならない。
彼女の為ならば、己が身が傷つく事すら微塵も厭う事等なかった。
兎月原が、身を屈めデリクのすぐ傍に寄り添うと、その攻撃から身を挺すようにして守ってくれる。
幇禍も、デリクに協力すべく、彼周辺のキメラを撃ち落とす援護射撃に徹してくれて、デリクは二人の協力に心から感謝しつつ、両手を広げると、ゆっくりと言葉に力をこめるようにしてDrに向かって演説を始めた。
「されど、同時に、Dr、私は不思議でならないのデス。 貴方、有能だからこそ、組織を一気に上り詰めタ。 キメラ開発。 素晴らしい術でス。 これは、然るべき場所で発表すれば、世界は震撼せざる得なイ。 まさに、天才。 ええ、そう呼ばせて頂きたイ。 貴方は、天才でス。 だが、何故、この裏社会の組織に、その才能を虎杰ノ為に使っているのでス? もっと、日の目の見れる場所で、その力を振るう事とて出来たであろうニ…。 その理由ハ?」
デリクの問い掛けに、Drが目を細める。
「何が狙いでしゅ?」
デリクは笑い「狙イ? いえ、純粋にお伺いしたいだけデス。 なにぶん、好奇心旺盛な性質でしテ」と答えた。
Drは暫し逡巡し、そして「そうでしゅね。 忠誠心等と言っても…そちらの人には否定されてしましましたしね…」と言いつつ、幇禍に視線を送ると、不意に笑ったまま「ねぇ、じゃあ、逆に聞きたいんでしゅけどね…? 貴方はいましゅか? その人の為ならば、何だってしてやれる位、大事な人が」と彼に問い掛けた。
幇禍は躊躇いもせず、「ええ」と頷く。
にたりとDrは笑い、エマに目を向け「貴女には?」と問いかければ、エマは、訝しげな表情のまま、それでも、コクリと頷き、兎月原も「貴方は?」と問われて頷いた。
再びデリクに向き直り、「いましゅか?」と端的に問うDrに、デリク迷わずウラを想い、「ええ、大事な大事な可愛い人が、私にはいまス」と笑って答える。
パチパチパチと手を叩き、Drは「素敵でしゅね」と笑うと、「僕も一緒でしゅ」と肩を竦めた。
「世界を滅ぼしたって構わない。 どうしたって、守ってやりたい子が僕にはいた。 その子の夢をかなえる為に、僕は虎杰の元にいる。 それだけの話でしゅ」
そう言い、そして、虚ろに笑う。
「邪魔をしないで下しゃいとは言えましぇん。 敵の多い道である事等、とうに分かっていましたから。 覚悟なんか、ずっと前に定まっておりました。 野望っていうのは、そういうものでしょう? 覚悟を決めて、望むもの。 人を人と思わぬ事で、ここまで生きてきたんでしゅ。 今更、何の後悔もありましぇん。 正義の味方を気取って、僕を討ちにきたのなら、物語のように、正しい者が、最後立っていられるとは限らないという事を思い知って下しゃい。 僕は、あのお城を虎杰が手に入れる為ならば何だって出来ましゅ。 そう、何だって…」
Drの言葉にデリクは、にたりとほくそ笑む。
Drにとって大事な人…とは、虎杰の事ではない。
そう確証を得たデリク。
出来るだけ、余裕綽々に見えるように、益々笑みを深めて見せた。
さぁ、ここからが、攻撃の始まりだ。
Drにとって、大事な人とは誰なのか?
この物語に関わるもの。
Dr、虎杰と同じ立場にある存在。
「子? ですカ? つまり、貴方よりも、年下の存在ですよネ? その大事な人とやらハ」
デリクは探るように、問い掛けて、そして笑った。
「貴方、チェシャ猫とどういうご関係デ?」
Drは、「余り、頭が回ると、他の人間が全部馬鹿に見えて、世の中つまらなくないでしゅか?」とデリクに問い掛けてくる。
デリクはひらひらと手を振って「イエイエ、私など、浅薄極まりない身の上。 他の方々から学ぶ事ばかりデ、貴方のようにはとてモ、とてモ」と、軽い笑みを浮かべて否定した。
「ただ…他にいないんでス。 貴方ガ、今現在、大事なと表現するに相応しい、この物語の登場人物ガ。 貴方ガ、虎杰に人質を取られ、無理矢理キメラ開発を…という訳でもなク、私達が知り得ない重要な人物がいるという事モ、あの白雪さんから情報を得ている現状では有り得ませン。 お城を望む事自体、チェシャ猫さんからの差し金だとするのなら、全て納得が行ク」
そう、二人を繋いだ人物がチェシャ猫であるのなら、彼女がDrにとって、何か特別な存在である可能性は高い。
大事な人とやらが虎杰でないのなら、自ずと選択肢は限られる。
デリクが、目を細め「チェシャ猫さんは、貴方のご血縁関係にある方デスカ?」と囁けば、その言葉を切っ掛けにキメラ達の攻撃の手が緩まったのを肌で感じた。
Drの意識がこちらに向けられつつある。
「何故、そう思うでしゅ?」
Drが愉しげにデリクに問う。
「恋人か、それこそ、妻かも知れないじゃないでしゅか」
Drが揶揄するように言えば「男というのは、然程一途な生き物ではないという事は存じ上げてはいるのデスが、『狐さん』でしたッケ? 黒須さんからお聞きしまシタ。 前のお気に入りのキメラ。 随分と美しい女性だったようデ。 大事だの、世界を滅ぼせるだノ、それ程覚悟を決めさせる程に一途に想う女性がイテ、果たしてそういうキメラを自分に侍らせるでしょうカ? それは、余りに不義が過ぎるというモノ」とデリクがシレっと答える。
「ならば、友人関係にある人かとも考えたのですガ友ならば『子』等と、目下のものに使う形容を使わず、『人』と対当の表現を使う筈。 チェシャ猫さんが大事な人であると仮定シテ、友でもなく恋人や妻でもないとするならば、家族…あなたは子持ちにはとても見えませんし、そうですネ…チェシャ猫さんは、貴方の妹さんと見るのが妥当と思ったのですガ、如何ですかネェ?」
つらつらと並べ立てた言葉の数々。
仮定が、Drの言葉で確定に変わっていく快感を噛み締めながら、デリクは次々と真実を暴き立てる。
「正解でしゅ…」と溜息混じりDrが答えるのを、にいっと笑いながら眺め、呆れたように「うかうかと、君と喋っていると、どんな隠し事すら暴かれてしまいそうでしゅね」と感嘆する様子に、やはり、相手は馬鹿ではないと気を引き締める。
メンタルは、然程強くなさそうなので、崩れる時は一気に崩れるだろうが、この時点で、己の状況を客観的に眺められる余裕がある。
「妹さんの為ニ、キメラヲ? チェシャ猫さんは、何かご病気でも患っていらしたのデ?」
更に突っ込んで問い掛ければ、Drは「…本当に嫌な、探偵でしゅ」と小さく呻く。
「だっテ、何か重大な切っ掛けがなければ、キメラ等という分野に、そうそう手を出しはしないでしょウ? チェシャ猫と呼ばれている事から鑑みても、人間の貴方の妹さんに、既に猫と合成するキメラ化手術が施されていると見るのが当然でス。 大事な、大事な妹さんに、そのような所業を施す理由があるならば、唯一ツ。 他の生き物の生命力を借りて、その命を生き長らえさせるしかなかッタ。 これ以外に、有り得ませン」
流れるように喋り続けるデリク。
憶測が溢れ、真実に変わる。
それは、確かにある種の魔法。
デリクの唇から出る言葉、不確定な要素が、全て事実に変わっていく。
いつしかキメラ達が、その動きを止めている。
デリクは素早く意識を集中させ、大きな異空間を創り出し始めた。
動揺せぬよう、今、この舌戦に全てを注いでいるように見られるよう、視線ばかりはヒタとDrに据える。
背筋を汗が伝い落ちた。
幾度も大技を行使して、正直、デリクの疲労度はピークに達していた。
ここまで、空間を歪め、人を送り、何かを守り、何度も何度も行使した魔法陣の痣が火傷をしたように熱を持っている。
だが、皆、過酷な状況に疲れ果てていた。
ここで、弱音は吐けない。
デリクの指先が微かに揺らめき、術を生成し、掌の陣が微かな光を放つ。
「妹さんの命を救う為、キメラ開発に手を染めた貴方ガ、何故、あの城に辿り着いたのカ?」
デリクがそう、自問自答めいた問い掛けを口にすれば、Drは静かな声で答えた。
「…願いを」
「ハイ?」
デリクは笑って問い返す。
「願いを、叶えてもらう為でしゅ。 何百年前になるでしゅかね…。 時の止ったお城。 あの城に迷い込み、僕は願った」
「キメラ開発の成功ヲ?」
「そうでしゅ」
そういえば、あの城は、迷い込み、玉座に辿り着いた人間の望みを、ベイブが叶えてくれるらしい。
「どうしても巧くいかなかった。 当時の医療設備は、今よりもずっと劣っていて、頭で組み立てた論理を成功させる為に必要な物等、どうあったって揃わなかった」
「材料はどうデス?」
デリクは、ふとある可能性に思い至り、戦慄しながら問いかける。
「実験の為の材料は?」
「それは、すぐに手に入れられました。 あの時代の闇は今よりずっと深かったのでしゅ。 夜闇に身を紛らせて、随分攫わせて頂きました」
事も無げに言うDrに、「あんた…人を攫って、キメラの実験を繰り返していたのか…」と兎月原が掠れた声で問う。
「いつから…狂ってたんだ…。 どの位の間、狂ってるんだ…」
人間は、どれ程の間狂人の状態のまま生きていられるというのだろう。
「言ったでしょう? 何百年も前に、お城に辿り着いたって。 その前からずっとでしゅ。 妹を、チェシャ猫ちゃんにしてあげて、お城で毎日愉しく暮しました。 あの頃のベイブはサイコーだった。 ずっと一緒に狂っていられた。 ねぇ? 蛇ちゃん。 お前が、ベイブと出会うまではね…」
黒須が自分の名を呼ばれた事に反応を見せゆっくりと顔を上げる。
「ああ…。 お前…まさか…ハンプティか……?」
そう途切れ途切れに問う黒須に「そう。 やっと、分かって貰えましたか。 とはいえ、顔を合わせることは一度もありましぇんでしたからねぇ…。 そうです、お前が現れる事によって、哀れにも城を追い出された、ハンプティでしゅ」とDrは震える声で答えた。
やはり、Drと黒須には、何か因縁が存在した。
デリクは、Drの黒須への執着の理由に、何か根深いものを感じ、その偏執めいたDrの大きな目を注視する。
「どんな手段を使ったのやら、蛇ちゃんに会ってからというものベイブの狂気の所業はなりを顰め、深層と表層を逆転させて、僕は王宮の鍵を取り上げられ、こんな糞溜めみたいな世界に放り出された!! 浦島太郎より惨めな立場でした! 何もかも、変わり果てたこの世界で、妹とも引き離され、何処へ行く宛てもなく彷徨っていた、そんな僕を拾ってくれたのがボスでしゅ!!」
ヒステリックな声にデリクは顔を顰めた。
幇禍が冷たい声で「人情モノですか?」と、Drの興奮に水を差す。
「反吐が出そうな話だ。 悪党っていうのは、悪党同士引き合うものなんでしょうか? 本当にロクでもない」
兎月原が吐き捨てるような声で言えども「何とでも好きに言えばいいでしゅ」Drはじっとりとした目で、デリクを凝視しながら平然とした声で答える。
ぎょろりとした目が、デリクを穴が空きそうなほどに睨み据えていた。
背中が冷たく濡れるほど、意識を異空間を作り出すことに集中させる。
だが、顔には一切の汗をかかず、薄く微笑み続ける自分を、よくよく人を騙す事に向いた性質だと、何だか少し悲しくも思う。
「僕には理由がある。 守りたい人もいる。 報いるべき恩がある。 立ち止まる術はない。 そういう事でしゅよ、探偵さん?」
Drの言葉に、デリクは高らかに笑った。
「止める術? そのようなもノ! 別段、私、貴方を言葉で止めるつもりはサラサラないんでス!」
にいいと唇を裂いて、デリクは言った。
最後のキーワードだ。
抉って、動揺を誘い、暴走させることが出来れば上出来だろう。
巧くいけば、共食いを誘発させる事が出来る。
「むしロ…そう…ご忠告申し上げたかっタ。 恩に報いる等とは申してますガ、貴方、そんな風に感謝する必要性ハあるのですカ? 信頼に値する程、ボスとやらは、貴方との絆がおありになる人なノですカ? キメラの援軍が一向に来ないのは何ででス? 貴方、もう、見捨てられているんじゃないですカ?」
Drが目を見開いたまま、デリクを眺める。
エマが、デリクの言葉を助長するように「確かに、大事な商品であるキメラをこんな風に滅茶苦茶にして、組織にとって、貴方の価値が、今、どれ程あるのか疑問だわ?」とシレっとした声で告げる。
「気持ちの悪い、化け物。 何百年生きましタ? その、狂気を引きずっテ。 貴方 なんか ダレも 好きにならなイ。 だって、喋ってイテも、吐き気がするんだモノ」
笑いながら、冷酷に。
Drの心を最高に傷付けるべく、デリクが言葉を刃に変えてDrを抉る。
「孤独だったでしょウ? この世界で生きるのハ。 これからモ 一人ぼっちでス。 かわいそうニ。 だから、どうぞ、一人で死んで下さイ。 死んで下さイ。 死んで下さい」
冷たい声で繰り返す。
Drの目が何度も何度も瞬いて、その体が小さく震えだした。
「い…やだ…」と子供のような声で言うのを聞いて、ああ、間違いなかったと察し、にんまりとデリクは笑うと、「こんなに寂しい思いをする位なら いっそ 生まれてこなきゃ よかったのにね」と、トドメを刺すかの如く穏やかに告げる。
Drが、黒須に告げた言葉も、これすなわち、己が他人に言われたくない、弱点となるキーワード。
きちんと脳味噌に刻み付けておいた言葉を、口にすれば、見る見るDrの顔が歪んだ。
キーワードは、一人ぼっち。
これまで、異端を生きてきたDrは、どうも妹や、虎杰との繋がりを異常に大事にしている傾向が見られる。
黒須の容姿をしつこく揶揄する言動が見られたのも、すなわち自分の姿、性質にコンプレックスを抱いており、人間関係にも然程恵まれていないだろうとデリクに推測させた。
ずっと、一人だったのだ、この男は。
虎杰が現れるまでは。
誰だって一人は寂しい。
孤独には耐えられない。
それが悪党であろうとも、人である限り。
キメラ達の攻撃が完全に止った。
デリクは、異空間の穴の生成に最後の仕上げを施しつつ、ゆっくりとDrに歩み寄る。
これが、油断だった。
傍へ近付いたのは、魔物が小さく喉を鳴らしたから。
今の状態のDrなら、わざわざ城へ送らずとも、この魔物が一呑みにできるかもしれない…。
自分の手で、相手のトドメを差すなどと、余りデリクの性分ではなかったが、その時は、何故か魔が差した。
多分、だから、デリクは常になく怒っていたのだろう。
殺されたキメラ達の事を考えると、不意にどうしてもこの手でこの男の息の根を止めてやりたくなった。
「虎杰にも裏切られて、何処にも、もう行き場所はないでしょう?」
まるで、虎杰の裏切りが、さも事実であるかのように口にして、Drの間近で身を屈めてゆっくりと囁く。
「さ よ う な ラ」
まるで、何かの呪文のように、デリクは言った。
Drを口中に納めよう、その凶暴な影が、もぞりと身じろぎする。
その瞬間、Drが跳ね上げるようにデリクを見上げた。
その目は、動揺のない、静かな眼差し。
間違えた!!
その時、何故かそう確信した。
何を?
何処を?
ああ、違う。
先入観があった。
それでも所詮悪党同士。
その絆等脆いものだという仮定を、確信に変えてしまっていた。
違う。
悪党とはいえ、人は人。
この男は、信じていた。
純粋に。
真っ直ぐに。
切ない程に、虎杰を。
その理由は…何だ?
「お前がね?」
Drがそう囁き、突然、デリクの顔面に向かって、Drが試験管に入った薬液を浴びせかけてきた。
「っ!」
エマが、即座に声なき声を発し、薬液にぶつけて、四散させる。
薬液の飛沫が、デリクの咄嗟に顔を庇った腕や、服に飛び散り、ジュウッと嫌な臭いをさせて穴を開ける。
(強酸…!!)
薬液の正体に思考を巡らせながら一歩後ずされば、Drの額を撃ち抜こうとしていた、幇禍を牽制するように、黒い小さな球体を投げつける。
その形態から、咄嗟に正体が爆発物である事に思い至り、焦って幇禍に視線を送れば、彼は驚異的な反射神経でもって、足を振り上げ爪先で、その球体を蹴り返す。
黒い球体は、幇禍の蹴りを受けて猛スピードで空中を飛んでいく途中で、パン!!!と花火のはじけるような音を立てて案の定爆発した。
球体の大きさの割りに、かなりの威力と見られる爆風がその場にいる人間の髪を煽り、空中に飛んでいるキメラを何匹が撃墜させた。
兎月原が、デリクの腕を引き、後ろに引きずるように後退させてくれる。
「大丈夫か?!」
問われデリクは頷くと、悔しさに耐えかねて「…最後の一言が余計でしタ」と眉を潜めた。
「最後の一言?」と訝しげに問う兎月原に、「つまリ、私が探り当てた関係性に加えテ、まだ、何かDrと虎杰の関係性にハ、Drを疑心暗鬼に至らせる事のなイ、強固な繋がりがあったという事デス」とデリクは答える。
再び思考の淵に沈みかけるデリクに、Drが勝ち誇ったように告げる。
「探偵しゃん! 良い事を教えてあげましょう!!」
デリクは、その言葉に首を傾げた。
「まだ、見落としがありましゅ。 まだ、辿り着いてない場所がある。 虎杰は、僕を裏切らない! 僕は、絶対に一人にはならない!!」
デリクはその言葉を受けて、目を細め、そして、意識せぬままにぶつぶつと自分の思考を漏れ出るように呟いた。
「Drハ…チェシャ猫と兄妹の関係にあリ…虎杰と…Drは、組織の上司と…部下…関係…ならバ……チェシャ猫と、虎杰の関係ハ?」
千年王宮の住人と、現世の人間の間に、一体どんな関わり合いがあったというのだろう?
キメラが再び攻撃を開始する。
幇禍と兎月原が身構え、エマが慌てて黒須を庇うかのように、その前に立った。
思考を巡らせ続けていたデリクは、その物々しい雰囲気にハタと意識を現実に引き戻すと、「ああ…すいませン。 夢中になっちゃいましタ!」と皆に言う。
相手を夢中にさせるつもりが、今、自分が思考に夢中になっていてどうするんだと、自分にちょっと呆れてしまう。
とはいえ、まぁ、朗報という事で…と自分に視線を向ける皆に微笑み掛けつつ、デリクは両手の痣を翳すと、「もう、とっくに準備は出来てるんでス。 ただ、気になる事も色々あったシ、お喋りが愉しくなっちゃっテ」と言いながら、ピンと手を挙げ人差し指を立てた。
異空間を作り出す準備自体は整っていたのだが、謎を追う事に夢中になりすぎる余り、ちょっとばかり皆を千年王宮に送る事を先延ばしにしてしまった。
とはいえ、このような事態を前に、躊躇や出し惜しみをする余裕はない。
「「「ええー…?」」」と疑問符をあげる三人に首を巡らせ、それから誤魔化すように笑いつつ、「兎月原さん! 黒須さんを、出来るだけ私の傍ニ!! 皆さんも、集まっテ!」と声をあげる。
兎月原が、何が何だか…という顔をしつつも黒須の傍に駆け寄った。
心臓を刺し貫いていた針を抜いて貰い、暫く落ち着かせて貰っていたからか、それとも下半身蛇の形態を保つ気力すら、最早失われたのか、黒須は人間の姿に戻っている。
そんな黒須を見下ろして、それから、物凄く、ものすごおおおおおく逡巡した後に「ええい! 止むを得まい!!」と断腸の声を上げ、自分のスーツの上着を被せてやると、「これは、髪の長い女性。 これは、髪の長い女性」と虚ろな目をして自分に言い聞かせるように呟き、黒須の体を抱き上げた。
「う…あ!! ちょ!! 痛ぇっ!! というか、何?!! これ?!! 何か、心も激痛!!!」
「うるさい!! 黙れ!! こちらだって不本意だ!! 本来、この運び方は、女性をベッドに運ぶ時限定なんだよ!!」
そう馬鹿な怒鳴り合いをしつつ、傷への負担を考えてだろう、通称お姫様だっこと呼ばれる抱き上げ方をして、傍によってくる兎月原に、なんか、物凄い嘘っぽい涙ぐみ方をしつつ「…兎月原さんノ…勇気に乾杯!」とデリクが親指を立ててやる。
「…貴方の犠牲、忘れないわ……」とエマが言い、幇禍も「この苦しみに耐えればっ!!! 良いことがきっとあるからっ! 神様が見てますからっ!!」と必死に、兎月原を勇気付け、そのそれぞれに「ありがとう!! みんな、応援ありがとう!!」と答える姿を疲れたような目で見上げ、「なぁ…俺って…何…?」と悲しい声で黒須が問い掛ける。
その瞬間、エマが目を輝かせ、「そうね…黒須さんは言うなれば…」とイキイキした声で、多分彼にとって致命傷になる言葉を並べて立てようとするエマを長い付き合いもあってか「いや、良いです。 もう、結構です。 お腹がはち切れそうです」と即座に黒須は制止し、片手を挙げたままだったデリクは、そのやり取りの間中、ずっと挙手していた訳で、ブルブルと腕を震わせながら「漫才コーナーは終了ですカ? もう、私、手が大変疲れテ、かなり痙攣!! 上げっ放しは、しんどいデス!」と、自分の苦境を訴えた。
「ああ…コーナー化が定着しつつある…」と恐れるような声で呟く黒須にエマが無表情に、ブイサインして見せつつ、「じゃあ、やっちゃって!! デリクさん!!」と声を掛け、「アイアイサー!」とデリクは返事をすると上げたままの手を勢いよく振り下ろした。
その瞬間、指の軌跡に添うように、空間が切り裂かれる。
入り口が不安定に揺らぐのを目の当たりにし、何者かの干渉の可能性に思い至ったデリク。
巧く運べるか自信を持つことが出来ず、「っ! ちょっとばかり無理しまス!! 巧くいかなかったラ、ごめんなさイ☆」と、皆を不安の渦に叩き込むような事を宣言しておいた。
ギョッとした顔をデリクに向ける皆を意識的に無視し、異空間の裂け目が皆を飲み込む寸前に、何気ない調子で、デリクは黒須に尋ねた。
「ところで、黒須さン。 王宮の住人ト、この世界の人間ガ、お互いに恋に落チ、想い合う等とイう事は、可能なのでしょうカ?」
黒須が、兎月原に抱きかかえられたまま、呆然とした顔を見せ、「無理だろ。 基本的に、あすこの住人は城から出れない。 それこそ、白雪とかを通じでもしねぇと、この世界の人間と、向こう側の住人が会えるなんて事はねぇよ」と答えた瞬間、デリクの体は渦に飲み込まれていた。
王宮に残してきた、栞代りのガラス玉を使い果たしていた為に、記憶を頼りに無理矢理繋いだせいもあり、道は大変に不安定な状態にあった。
加えて、あの城の主が筋金入りの魔術師嫌いの関係もあり、こちらの気配に気付かれぬよう、注意深く気配を殺す。
だが、バチバチバチ!!!と突如、耳障りな音がした。
「っ!!」
気付かれた!!と思う間もなく、ベイブの力の介入と思わしき、白い靄が黒い渦の中を覆い始める。
このままでは、惑わされ、とんでもないトコに放り出される可能性がある!!
「ったく! なんで、助けようとしてる相手を、こんな風に邪魔するんですカ?!」と憤りつつも、ベイブの意思にしたがってというより、無意識による防壁である事も、デリクは察し、咄嗟に、皆の行き先を別のポイントに定めた。
そのまま、強引に開いた入り口から、デリクは真っ先に身を躍らせる、うん高い!!
目測を見誤ったというより、致しかたないという理由により、デリクは床からかなり高い位置に出現させてしまった穴の出口から身を躍らせ、「あーーらよぉット!!」と気合を入れると、「ア! スイマセーン! 若干目測を誤りましタ!! 予想外ニ、何か、高いデス!! 高いデスー!!」と、落下しながら、続いて渦から落ちてくる面々に向かって注意する。
そして、自分は足元の空間が微妙に歪ませ、落下速度を調整すると、ゆっくりと地面に下り立ち、「ふぃー」とわざとらしい仕草で額を拭った。
眩暈が酷い。
いよいよ限界か。
先程とて、普段の状態でなら、それでも無理矢理王宮に皆を導こうとしていただろうが、今の自分ではかなり心もとない。
火傷のように痛む掌は、今は赤い腫れすら見せ始め、そっと擦りながら、「もう少し、持ち堪えて下サイ」と呟いた。
エマが、「っ!! 高っ!!! 本当に予想外に高っ!! ていうか!! ちょっと、これっ!!! 誰か?! 誰かぁぁぁぁぁ?!!」と叫びながら、為す術もなく落ちてくるのを、振り絞るようにして力を行使し、救おうとするデリクの視界の端に、随分と派手な色彩の男が空中に浮かんでいるのを捕らえた。
羽を広げ、エマのところへ向かうのを見て、彼に助けて貰おうとありがたく思いつつ手を下ろす。
確か、アレは、幇禍そっくりの顔をした、極彩色の羽の生えていた異形の薔薇姫。
竜子と潜入していたメンバーの一人だったのかと思いつつ、視線を巡らせれば、薔薇姫の中でも一際目を引いていた、黒薔薇の和装に身を包んでいた美少女と、ゴシックな衣装がこの上なく似合っていた美青年もフロアにいる。
竜子も、ポカンとマシンガン片手に、渦を見上げていて、それからこちらに視線を向け、多分反射的にだろうひらひらと何だか呑気な様子で手を振ってきた。
デリクも反射的に手を振り返しつつ、更に、周囲の観察に努めれば、そこには、倉庫のキメラと同じく、無残にも爆破処理されたらしい、キメラや、薔薇姫の姿も目に入る。
ぎゅっと一度奥歯を噛み締めて、更なるK麒麟に対する怒りを掻き立てられると、次いで目に入る、竜子達と戦闘状態にある敵キメラの群れの姿に眩暈めいたものを感じた。
何処も同じ、状況か…。
渦の中からは、次いで兎月原が「ええええぇぇぇえ?!!! 高すぎない?! これ、高すぎない?!」と喚きつつも、くるりと体勢を変えて着地の体勢を整え落ちてくる。
何か、若干むかつく格好良さだったのだが、ひらりとそんな兎月原の腰の部分の衣服を咥え、鮮やかに攫うように飛ぶ虎が一匹。
確か、ボーイとして潜入していた際に見かけた覚えのあるそのキメラは、Drの爆発の被害にあったのか、白く美しい毛を血の色に染めつつも、それでも、平気な様子で兎月原を咥えたまま空中を飛んでいた。
エマも無事、異業の薔薇姫の手によって救われており「蘇鼓さん?! え?! 何?! ちょっ、ここは?! 千年王宮じゃないの?! ていうか、デリクさん?! デリークさーん?!」と、必死に呼びかけてくる。
若干視線を逸らし、あの薔薇姫がエマの知り合いであったらしいことに、その顔の広さに驚きつつも、彼が蘇鼓という名である事をデリクは知る。
そして、デリクはエマに、テヘッ☆と舌を出して笑いつつ「スイマセーン! ベイブさんに、私が向こうに向かおうとしているのがバレて、邪魔されちゃいましタ」と、色々誤魔化したい一心で、爽やか口調で朗らかに言い放った。
エマが「バレたって…」と一度絶句し、それから蘇鼓を見上げ「助かったわ…ありがとう」と疲れた声で礼を述べる。
「どーいたしましてっ!」と、飄々とした返事を返しつつ、蘇鼓がエマを床に降ろせば、彼女は一目散に駆けてくる竜子に向き直ると、両手を広げ、飛び込んでくるその体を抱きしめた。
「っ!! 姐さんっ!!」
竜子の言葉に「だから、姐さん呼びはやめなさいっって!」と突っ込みつつもエマがぎゅっとその体を抱きしめる。
「大丈夫? 怪我はない?」
エマの問い掛けに、うんうんと頷いて「姐さん達は?!」と竜子が問い返せば「大丈夫よ」と笑い返して、周りを見回す。
「嵐君も、曜ちゃんも元気そうで安心した。 それに、蘇鼓さんもね?」
エマの呼びかけに、曜という名と思われる美少女と嵐という名らしい美青年がそれぞれ頷いた。
「ていうか、てめぇらどうして突然ここに?」と蘇鼓が問い掛けてくる。
「えーとですネ…」
そう言いながら、蘇鼓の問い掛けに、エマより先に、デリクは口を開く。
「まず、初めまして…で宜しいですよネ? えーと、蘇鼓さン?」
そう声を掛けたのは、やはり、その容貌が見れば見るほど、幇禍にそっくりだったからだ。
薔薇姫姿を目にしているとはいえ、会話を交わすのは初めてであるのは確かなのに、強烈な違和感はどうしても拭えず、身に纏う色彩のせいか、幇禍よりも何だか華やかな印象がある蘇鼓から目を逸らし、嵐と曜に視線を向けて言葉を続ける。
「ソレに…嵐さンと、曜さんモ…薔薇姫姿の時には、此方から一方的に拝見させていただいてはおりますガ…ご挨拶は初めてさせて頂きマス」と頭を下げつつも、自己紹介などしあっている状況でないのは勿論把握している。
このフロアにも、所狭しと、キメラが暴れ回っている状況なのだ。
些かうんざりする気持ちを抑えきれないながらも、味方が増えたのは喜ばしい限りで、咄嗟に、オークション会場の『背徳』に出口を繋いだのだが、然程悪い判断ではなかったらしいと、自画自賛する。
三人のうちの誰の手によるものかは分からないが、使役されているらしい、陰陽の術によって召還されたと思われる異形の鬼達がキメラに対抗し、飛び掛っていっている。
夥しいといって良いほどの数の鬼達が、キメラを食い殺していく様は圧巻で、お陰でとりあえず現状をお互いに確認しあう余裕だけはありそうだった。
それでも、鬼の防衛ラインを突破したキメラを、デリクは、自身の影の潜ませている魔物に、一呑みにさせながら、ついと、虎杰と思わしき、キメラの群れを率いる男に視線を向けた。
派手な色に染めた長めの髪を、後ろに撫でつけ、オールバックにした、精悍な顔立ちをしていた。
ヒリヒリとした危険味を感じさせるその容貌は、Drのようなタイプの人間とは全く違うのにも関わらず、何故か同種の狂気を感じさせる。
類は友を呼ぶという奴だろう。
デリクは、虎杰を眺めつつ「ここに来るつもりはなかったのでスガ、ある意味好都合かも知れまセン」と口にする。
「簡単に説明すると、私、普段はしがない英語学校の講師をしているのですが、先日、ある雨の日。 特売の日にスーパーに買い物に行く途中、突如雷に打たれてしまいまシテ、その際、何と奇跡的に第六勘に目覚メ、空間を歪める能力を手に入れる事が出来ましタ。 その能力を行使して、千年王宮とこちらを行き来する事が出来ており、今回も渦中のあの城へDrと黒須さんを含め、お運びしようとシタのですが、うっかり、私ってば、あの城の王様に嫌われてしまっておりまシテ…」
一応、いつもの「しがない英語講師デス」という建前で自分の立場で在りたい余りに、蘇鼓達に出鱈目な説明を行っておく。
正直に話すには、余りに手間であったし、自分の能力についても、いちいち成り立ちから説明するつもりはないっていうか、まぁ、その必要性はそもそもない。
それでも、咄嗟に嘘をついてしまうあたり、デリクも自分の性質を厄介に思わずにはいられないのだが、えへへ…という風に頭を掻いてみせるデリクに、竜子が「すげー!! お前の力って、そうやって手に入れたモンだったのか!! なんか、アメリカの映画みてぇ!!!」と感激したような声を上げ、思わず脱力させてくる。
ああ、素直な馬鹿って清々しいなあ…と、思わず虚ろに微笑んでしまうデリク。
そんな竜子を、嵐が「いや、明らかに嘘だから。 間違いなく嘘だから」と、最早優しい位の声音で正せば、エマが「ねぇ? どうして? この時点で、言ってる事の訳八割が嘘!!という荒業を行使できるの? もう病なの? そういう体質とか、呪いとか掛かってるの? そういう一族なの? 一子相伝の秘密とかがあるの? ねぇ? ねぇ、ねぇ?」と真顔で問い質してくる。
「いえ! そんな、八割が嘘だなんテ!!」
その言葉に誤解だ!と、鼻白み、「基本私は9割の打率を心がけていマス!」と言い切るデリクに、エマがガクリと膝をつき、曜がその一切の騒ぎに関与しないといった声音で「ところで、キミが一緒に運ぼうとしていた、その肝心のDrと黒須さんとやらは…何処に?」と問い掛けてきた。
へ?
思わずデリク首を傾げてしまう。
はっはっは…この娘、一体何を言っておるのやら…と余裕を持ってデリクは、曜の顔を見返し、それから周囲を見渡して、その姿が見当たらない事をしっかり、はっきり視認すると、「あ…落っことしちゃいマシタ」と、思わず軽い声音で呟く。
その瞬間、周囲の人間も驚かざる得ない反応を見せたのは兎月原で「何処に?!」と叫んで、デリクの肩を掴んできた。
余りの力に、肩の痛みを覚えつつ、気配を探り、渦の道筋を思い返して、「多分…」と言い、眉を顰め、一瞬口を噤むと「このビルの屋上デス」と答える。
出口を開く際に、別の落とし穴の気配がした。
穴の先には、このビルの屋上があった筈。
彼らが落ちるとしたら多分そこだ。
ただ、見回した時に気付いたのだが、どうも幇禍の姿も見当たらない。
彼が一緒にいるのなら、おいそれと危険は及ぶまいと確信すれども、デリクの答えを聞くや否や、呆気に取られる程の速度で兎月原がキメラ達を殴り倒しながら走り出す。
「…でも、一緒に、幇禍サンもいる筈ですから、滅多な事にはなってませんヨー!!!」
その背中に声を掛けども、彼は振り返りもせず、デリクは何で、そんなに必死に…と、驚かずにいられない。
兎月原は、まさに脱兎と呼ぶに相応しい走りを見せてあっという間に、フロアから消え去った。
すると、デリクと一緒のようにぽかんと兎月原を見送っていた蘇鼓も思うところがあるのか、突如身を翻すと、彼の後を一目散に追いかけ始めた
彼のペットか何かなのか、羽の生えた白い虎と、肉団子に手足と羽の生えたような小さく奇妙な生き物も、彼と一緒にフロアを飛び出す。
多分彼の理由は、黒須ではなく幇禍だろう。
あれほど容貌が似通っているのなら、何らかの関係があって然るべきだとデリクは察した。
竜子が…「っていうか、あたいも行く!!!」と遅ればせながら、黒須を案じて走り出そうとするが、その行く手をあえなくキメラ達に阻まれる。
デリクは、影の魔物をキメラ達に応戦させつつ、状況を把握しようと視線を巡らせた。
鬼は曜が生み出していたのか、彼女は無限に等しい数の鬼を使役しており、その圧倒的な能力に舌を巻く。
同時に自身も、華麗な剣技を披露し、大勢のキメラを叩き伏せていた。
かなりの実力者である事が一目瞭然である彼女は、苛烈な目で虎杰を見据えており、彼女が、何某か虎杰に対して思うところがあるらしいとデリクは察する。
嵐も、紅色した美しい剣を振り回しており、滅茶苦茶には見えるが、自身の運動能力の高さのお陰か、派手な音と光を撒き散らしながら、次々とキメラを地に沈めていっている。
竜子も、派手な音のするマシンガンを周囲にぶっ放しまくっていて、今のメンツの戦力と能力を大体把握すると、デリクは戦況を打破する為の作戦を練り始めた。
とにかく、とっとと虎杰の息の根を止め、屋上にてDrとの攻防戦を繰り広げているだろう黒須達と合流したい。
そう焦るデリクが、また、作戦を目まぐるしい速度で思考し始めると、突如、悲鳴めいた声を竜子があげた。
「っ!!!! 不味いっ!!!」
胸元に手を這わせ、目を閉じて、それから竜子がブンブンと首を振る。
「やばい!! やばい、やばい、やばい!!」
泣きそうな声。
その切羽詰った様子に驚いたように「何があったの?!」とエマが問い掛ける。
「Drが行っちまった!」
「何処ニ?!」
思わずデリクも勢い込んで、竜子に尋ねる。
「千年王宮に…チェシャ猫が召還した?! どういう事だ?! 直接城に呼ぶなんて、鍵の力がないと、出来る筈がない!!」
そう混乱した声で喚く竜子に、「いえ!! 出来マス!!」とデリクは叫ぶ。
「チェシャ猫は、鍵の持ち主でス!! 彼女は、元は現世の人間だっタ!」
驚いたような顔をして竜子がデリクの顔を見返してくる。
「…こっち側の人間…って事ぁ、あたいと同じような立場って事か?!」
竜子にしては素早い把握を、デリクは有り難く思いつつ「そウ、だから、彼女が、ベイブさんに鍵を付与されている可能性ハ、大いに高いでス」と答える。
「で…でも、それにしたっておかしいんだ。 鍵の力を持ってしても、せいぜいこっちの世界で条件の一致する場所に王宮への入り口を開けられる位で、今回みたいに任意の場所への召還なんて、そんな事…鍵の持ち主の、血縁者や余程心を通わせた相手にしか出来ない」と竜子が言えば「血縁者なのよ!」とエマが叫んだ。
「チェシャ猫は、Drの妹なの!!」
「っ!!! んだよ、それ! どういう事だよ!」と嵐が叫び、「詳しく説明が聞きたい」と曜も唸るように乞う。
三人への説明はエマに任せ、デリクがDrが千年王宮に向かう事によりどのような弊害があるかを考え込み始めると、虎杰がそれに答えるかのように、大声で笑い、そして「…そうか、あいつが城へ向かったか!」と手を打った。
デリクは虎杰に視線を向け「…どうなるんでス?」と低い声で問う。
「つまり、城が私の手に落ちる公算が、高くなったというだけさ」と嬉しげに虎杰は言った。
「チェシャ猫…彼女は普段は美しい女性の姿をしているが、本来の姿は、別にある。 巨大で、力強く、しなやかな獣。 強大な力を持つ、彼女にかかれば、あんな城などひとたまりもない。 キメラ化の際、彼女の要望で、普段は人の姿でいられるように、Drが力をセーブするよう造ったそうだが、ある薬を投与すればリミッターは解除され、本来の姿を取り戻す。 Drしか持たぬその薬。 彼が向かうという事は、彼女が本来の姿、実力を持って、城を制圧に掛かるという事。 勝ち目はない。 お前達に。 そしてこの世界に」
その言葉に、デリクは青ざめ、エマからの説明を聞き終えたらしい面々も、同じく動揺の激しい表情を見せる。
中でも曜は、一際顔色を失くし、「燐…」と小さく呟くと、ぎゅっと拳を握り締めた。
彼女も、誰か大切な人が、千年王宮にいるのだろうか?
デリクはそんな化け物相手に、ウラが戦いを挑むという事を考えるといてもたってもいられない気持ちになる。
何とか、手助けをせねば…と思い、ハタとならば今、蘇鼓と兎月原、それに幇禍は屋上で手が空いている状態なのだという事に思い至った。
戦闘力で考えれば、これ以上頼りがいがある面々もおるまいと考えるメンバーに思いを馳せ、そしてデリクは「…好き勝手は…させまセン。 あの城を、守ると決めてる子がいるんでス」と低く唸る。
限界に達している体を叱咤して、痛む掌を翳すと、限界まで集中力を高め、幇禍達のいる屋上に、デリクは異空間の渦を造り出した。
「デリク…さん?」
不思議気に問い掛けてくるエマに、「今…幇禍サン達のいる、屋上に、千年王宮に繋がる入り口を作り出しまシタ…」と呻く。
「大丈夫なの?」と先ほどの事を鑑みてだろう、エマが問い掛けてきて、デリクは眉を下げずにはいられなかった。
正直、先程の事もあり、巧く導けるか不安はあるが、他に手段はない。
すると、竜子がデリクの不安を察したのだろう「いいよ、あたいが道巧くあいつらが辿りつけるよう、ベイブに乞うて道を繋ぐ。 ここに同じ入り口を作ってくれ」と言ってくれた。
竜子が頼めば、ベイブも邪魔立てしないだろうと安心し、デリクは屋上の面々とコンタクトを取るべく、屋上の渦に繋がる入り口の穴を造り出すと、渦に向かって声を出す。
「後を…追ってくださイ!!」
デリクの叫び声が届いたのかどうか…。
ウラの事を想うと、もう、斟酌する余裕もなく「お願いしまス! 渦の中に飛び込めば、千年王宮に辿り着けまス! 向こうに、ウラという女の子がいるのでス! Drが向こうに向かった事は、千年王宮にとって、危機的状況を齎しマス!! 私は…私は、彼女を失いたくナイ!!! とても大事な、私にとって特別な子なんでス!! だかラッ!!!」と必死に訴える。
すると、曜も渦に顔を突っ込むようにして、「蘇鼓!!! それに兎月原さんっ!!! 頼む!! お願いだ、燐を…燐を、助けてやってくれ!! 頼む!!!」と叫んだ。
泣きそうな声。
曜が、凛として、あれ程の強さを誇る曜の声が不安と恐怖に震えていた。
「あの子に、何かあったら…私はっ!!」
その痛ましいまでの声の切実さに、兎月原が「黒須さんはここにいてくれ…」と言う声が聞こえてきた。
「…兎…てめぇは行くのかよ」
蘇鼓が、兎月原に尋ねる声が聞こえる。
「ここで、終われないだろう?」
当然という風に答える兎月原に、心から感謝しつつ、「あんたは?」と彼に問われ、返事をしない蘇鼓の心を動かす術はないものかと、必死に頭を巡らせる。
そして、ハタと、彼が連れていた白い羽の生えた虎が、何とか良い材料にならないか算段し始めた。
あの羽の生えた虎は、オークションに出品されていた事を鑑みても、キメラ化させられていると見て間違いないだろう。
あの虎は、Drの行った爆破処理から生き残り、蘇鼓の傍についていた。
どうも、彼にとって特別な生き物と考えられる。
「すいまセン、お二人は、蘇鼓サンと一緒にいた虎について何かご存知ですカ?」と小声で曜と嵐に問い掛ければ、「大五郎の事か?」と、かなり渋い虎の名前を嵐は口にし、「確かあいつは、蘇鼓の幼馴染らしいぜ?」と教えてくれた。
デリクは、「ありがとう御座いマス」と礼を述べ、なふり構っていられないとばかりに、手に入れたばかりの情報を活用する事にする。
出来るだけ冷静な声で「…蘇鼓さン、貴方ガお連れしていった虎ノ大五郎さン…でしたッケ? 忠告というノハ、何ですガ…少し気になる事がありましテ、どうも、キメラ化をさせられているようでスガ、Drが手術の際に体に保険として施したのハ、爆弾だけじゃなかったようですヨ?」と、出鱈目を自信たっぷりに並べ立てる。
「爆発処理をしなけれバならない程、緊急の事態でない状態で、購入したキメラに飽き、処理したいと望んだ場合、手術時に体内に仕込んである物質が、何か特定の成分を含むものを口にすると、化学反応を起こし、毒素となってキメラの命を奪うように処置してあったようデス。 一体、何の成分を引き金に、その物質が毒素に変じるのかは分からないのですが、キメラ化させた生物はそこら辺の毒物では、到底命を奪えぬ程に、極めて丈夫に作り変えていたようデスので、それは、それは大変強力な毒素になるみたいデスヨ? 大五郎さん、聞けば蘇鼓さんの大事な幼馴染だそうデ、物質は、Drが持っている薬剤を摂取さえすれば、無効化も可能なようですガ…このまま、千年王宮に逃げ込まれてしまえば、薬剤を手に入れる事は難しいですヨネ?」と、並べ立てる。
一か八かなんてものじゃない。
無理矢理捻り出した、苦肉の策だった。
だが、「ちーきしょう。 俺ぁ、賽銭一つ上げて貰ってねぇのによう…」と面倒臭そうに蘇鼓が意味の分からない事を言い、笑いを含んだような声で、「…何の成分を摂取したら、おっ死んじまうか分かんねぇっつうのなら、この先、大五郎はおちおち飯も、安心して食えねぇって訳か…」と呟く。
それから「しょうがねぇなぁ…行ってやるよ!!」という喚き声が渦の中から聞こえてきて、ほっと腰が抜けるような安堵感を味わいつつ、デリクは竜子を振り返る。
「竜子さん、デハ、お願いしまス」と頼めば、彼女は硬い表情で頷いて、「ここに飛び込みゃ、いいんだな?」と言い、それから渦にその身を躍らせた。
デリクは、どうも渦の中、千年王宮に最も早く辿り着きそうな兎月原に向かって、思念を送る。
彼の周囲の空間を歪めるように取り計らうと、(貴方の周囲の空間を歪メ、人の目から隠れられるようにしておきまシタ。 機会を見て、Drの息の根を止めて下サイ)とメッセージを送る。
異空間を移動中に、更に空間に対する細工を施すこと等、今までやった事もなかったが、どうも巧く行ったらしい。
これでやれる事は全てやった。
後は、ウラを信じるだけだ…と自分に言い聞かせ、竜子が彼らを案内してくれている間にも、とにかく、虎杰を早く倒さねばならないと、キメラ達の防衛線となってくれている曜に視線を向ける。
「…曜さん!」
先陣を切る曜に、そう呼びかけ「虎杰に接近さえ出来れば、彼を仕留める自信はありマスカ?」と問い掛ける。
その眼差しから、彼の命を自分の手で絶つ事を、この中で一番望んでいるのが彼女であるような気がしたし、何より実力的にも彼女なら不安がない事を鑑みて、デリクが曜に問い掛ければ「勿論だ!」と、案の定、曜は自信を持った声で返答してきた。
「…接近するチャンスなら、私作ってあげられるかも知れない」
そうエマが呟きながら、懐からスイッチを一つ取り出す。
「…それは?」
「このビルのブレーカーと、予備電源に自動発火装置を仕掛けてきたの」
にやりと笑うエマに驚き、「いつの間ニ?」とデリクが問えば、「通気口から、倉庫通路に侵入しようとしている時にちょっとね」といって彼女は笑った。
侮れない…というか、ちょっと凄すぎる。
唸りつつも、「それで、このフロアの電気を一斉に落とすつもりですネ?」とデリクが聞けば、「オフコース」とエマは頷き、「一瞬とはいえ、真っ暗になれば、キメラ達や、虎杰の動揺を誘えるでしょ。 その間に、曜ちゃん、虎杰に接近できる?」と彼女に問い掛ける。
曜は頷き、それから嵐を自分の傍に手招くと、自分の位置から、虎杰までの距離を測り、そして「このフロアが、もうじき真っ暗になる。 8秒、心の中で数えた後、嵐はその剣を何処にでもいいからぶつけて光を作ってくれ」と頼んだ。
嵐の持つ剣は、どういう理屈か知らないが、攻撃の際に、派手な光を放っている。
自分が虎杰の傍まで走り寄ったところで、嵐の剣が生み出す灯りを頼りに、彼の正確な位置を掴み、攻撃しようという判断なのだろうと察すると、エマが「準備は良い?」と曜に問い掛けた。
彼女が頷くのを確認して、エマがスイッチのボタンを押す。
暫くは、フロアに何の変化もなかったが「落ちるわよ」とエマが呟いた瞬間だった。
一気にフロアが暗くなり、傍にいた筈の曜の気配が掻き消えた。
虎杰へと迫っているのだろう。
行く手に存在しているキメラを斬り伏せる音だけが聞こえる。
真っ暗なフロア内、目を凝らせど、暗闇に慣れぬ目には何も映らず、そして明かりが消えてから8秒後、パァン!!と派手な炸裂音をさせながら嵐が壁に剣を打ちつけ、突然眩いばかりの光が目を劈いた。
一瞬の光の中、曜が「そこだ!!!」と叫び、虎杰の腹を狙い過たず刺し貫こうとする。
しかし、その光は、同時に虎杰に曜の位置を知らせる事にもなったらしく、懐から抜き去った銃を彼女に突きつけた。
「危ないっ!!!」
エマが悲鳴をあげた瞬間だった、再び闇に包まれる寸前、虎杰の背後に一人の髪の長い女が立つ姿が見える。
「…っ?!」
息を呑む。
まるで、怪談めいた現象。
嵐が、また、剣を壁に打ち付けた。
フラッシュのように光る世界の中で、下半身が大蛇となった、黒髪の女が、虎杰に絡みついて、噛み付き、曜の剣がその腹を刺し貫く情景が見える。
「…黒須…サン?」
長い髪。
下半身が蛇の姿。
彼しか思い当らぬと思いつつ、然し、何故か、あれは女性だったとデリクは確信していた。
髪の隙間から覗いた顔立ちも、美貌と言って良いほど整っていたし、どうしても黒須とは思えない。
では、あの女は一体誰なのか?
キメラの一人が、あの爆発から何らかの手段で生き残り、こちらに加勢してくれていたのか?
何にしろ、虎杰は致命的な傷を受けた。
キメラ達の動揺が伝わり、虎杰の呻き声が聞こえてくる。
先ほどの様子を思い出せば、曜の剣によって虎杰の受けたダメージを考え、命永らえる事はあるまいと判断し、異空間を通じて、皆を屋上に送り出そうと、掌の魔法陣の力を行使しようとする。
だが、くぐもった虎杰の笑い声が闇の中に響きだすに至って、ヒヤリとした今まで感じたことのないような恐怖感が、デリクを襲った。
「…阿呆…共が…もう…助かるまい…」
「お前がか?」
曜が暗闇の中、少し上擦った声で問い掛けている。
彼女も、間違いなく、虎杰の命を奪ったという確信を抱いていたのだろう。
予想外の虎杰の反応に動揺を隠せぬ声で、「無駄だ。 強がろうと、失血死は免れない」と曜が言えば、また、虎杰は低く笑った。
「鬼姫」と、曜に呼びかけて、「お前と遊べて、中々楽しかったよ。 出来れば、意識を保ったまま、お前の殺してやりたかったが、そうはいかないみたいだ」と、苦しげながらも、余裕のある声で言い、「…では…さようなら…」と静かな声で囁いた。
ミシリ…と何かが歪む音が聞こえた。
ミシミシミシと、フロア内の空気が膨張するような息苦しい感覚にデリクは襲われる。
一体何が起こっている?
突然、上空からコンクリートを打ち砕く、破壊的な音が聞こえ、ついで、瓦礫フロアに雨のように降り注ぎ始めた。
上空にある月の光や、街の光が差し込み、漸くデリクは今の事態を視認出来る。
だが、その光景は出来れば現実のものとは思いたくない姿をしていた。
何十本じゃ効かないだろう。
何百本もの腕が、その体から生えていた。
まるで、醜悪な鬣のように。
全長は何m程になるのか…。
何しろ、無駄に天井の高かいフロアを突き抜けて、その顔が屋上に飛び出しているのだ。
歪な異物。
何百もの人を無理矢理合成したような、それはそれはグロテスクな化け物。
巨人とみるには「人の範疇」から余りに外れ、されどこれまでのように獣と人との合成とみるには、その姿に一切の獣の姿を見る事はできなかった。
よく見れば、たくさんの腕に覆われた、その顔の下に続く体には、これまた夥しい程の数の人の顔が浮かんでいる。
「…虎…杰?」
震える声で曜が呟く。
ザザザザザと不気味な漣めいた音をさせながら、顔を覆う腕が動き、その下から大きな穴の如き鋭い牙がびっちりと生えた口が覗いた。
口の中に、夥しい数のキメラ達が見える。
虎杰が咀嚼すれば、酷く耳障りな音が聞こえ、手を伸ばし、手当たり次第に触れるキメラ達を、虎杰は口の中に放り込み、己の力に換えているようだった。
見る見る間に、己が味方である筈のキメラを食い散らかす虎杰の姿を見て、デリクは慄きながらも、確信する。
これも、キメラ。
Drの手によるもの。
先ほど、虎杰が言っていた。
リミッターを外す薬液をDrが持っていると。
彼自身も普段は力を抑え、人間の姿を保ちつつも、この本性を隠し持っていたのだろう。
命の危機に瀕し、自身のリミッターを解除した。
他のキメラと違い、人と人を合成させた、これは、余りに禁忌な、異形の生き物……。
そして、これが、多分キメラの完成形。
「ひゃああああ!!! なんだぁぁぁぁ?!!」
竜子の素っ頓狂な声が屋上から聞こえてきた。
見上げれば、大きく開けられた穴の淵に、竜子がへたり込んでいる。
巧く、二人を誘導できたのだろう。
竜子の傍には幇禍もいて、呆気に取られたように虎杰の姿を見上げていた。
「う…ええっえ…な…んだ…こいつ…」
竜子が吐き気を堪えるような声で言う。
嵐も、上擦った声で「気持ち悪…っ」と小さく呻いた。
すると、虎杰が大きく口を開く。
そして、酷い匂いのする息を大量に吐き出しながら、唸り声のようなものをあげた。
「あ”…あ”…あ”あ”あ”…」
口中より、ぞろぞろと、大人の拳大程の黒に黄色い斑点の散った不気味な甲虫がぞぞぞぞ…と溢れ出てくる。
体内で、喰い散らかしたキメラを養分に変え、あの生き物を造りだしたのか?
どろどろとした粘液に塗れた甲虫達は、自分の口からも、汚らしい液体を吐き出していた。
すると、その粘液に打たれたフロアの床に敷かれたカーペットがじゅうっと不穏な音を立てる。
視線を向ければ、白い煙をあげながら、カーペットに穴が開いていて、それが極めて危険性の高い液体である事をデリクは察した。
甲虫達が、ジジジジジと羽音を立てて空中に浮かび、
一気に幇禍と竜子二人に襲いかかり始める。
あんなの、対応できる数じゃない。
エマが「逃げなさい!!! その蟲は、溶解液を吐き出すの!! 降りてきて、こっちに合流してっ!!!」と叫ぶ。
竜子と顔を見合わせて、幇禍が彼女の手を引っ掴むと、ぐいっと引っ張り、気持ちの悪い蟲の群れに突っ込む。
「っ!!! ぎゃーー!!! ねばねばしてるのが!! 触った!! 触ったよう!! うがぁっ!!」
喚く竜子に、「馬鹿!! 口を空けてると、蟲、食べちゃいますよ?!」と、怒鳴りながら、化け物が突き破った床より一気に幇禍がフロアに飛び降りてくる。
途中で、竜子を抱き上げて、そのまま、床に降り立つ幇禍の姿に、思わず感嘆してしまうデリク。
それは他のメンツも同じらしく一瞬事態を忘れ、「やんややんや」と皆、喝采を上げつつ幇禍を迎えた。
何にしろ、この状況で、戦力が増すのは何よりも有り難かった。
「ヒーローみてぇ!!」
「凄いわ! なんか、映画とかでしか見たことないもの!!」
「いやぁ、流石幇禍さんでス!!」
そう褒め称えれば、「いや、それほどでも…」と言いつつも、分かりやすく幇禍が照れる。
溶解液のせいか、上等なスーツの所々に穴が開いてはいるが、一気に走りぬけたせいか、肉体にまで傷は負ってないようだし、竜子も、素肌に浴びたところから、血が滲んではいるが、いずれも致命傷ではなさそうだ。
デリクはとりあえず、気力を振り絞り、一時だけでも持ち応えられるよう、異空間の防護壁を作り出し、作戦を建て直す時間を稼ぐ事にする。
だが、そんな最中、「ていうか、あいつは、大丈夫なのか?」と凄く戸惑った真面目な声で、曜が、化け物の屋上に突き出してしまった頭の辺りを指差した。
視線を向けて、デリクは固まる。
えーと…何で、あんなところに?と思えども、やはり先ほど暗闇の中で見た、下半身大蛇の女の正体は、彼だったのかと、自分の認識間違いを認めるしかなくなった。
黒須が、いた。
何か、捕まってた。
うぞうぞとした化け物の顔を覆う手に掴まれるようにして、なんか、下半身が大蛇のまま、逆さ吊り状態の、それだけで、うん、かなりホラーとして成立するね!!な、黒須の姿を視認して、デリクはどうにも、こうにも頭痛を覚える。
今回は、予想外の事ばかりが立て続けに起こり、思考が追いつかないという、状態に何度も、何度も見舞われているが、これは酷い。
もう、酷すぎる。
「曜ちゃん…大丈夫…黒須さんは、無闇矢鱈に丈夫だから…」
にこりと笑いながら、何だか、大変いい加減な調子でエマが言い、曜が「いや…えーとだが、なんか、白目をずっと剥いてるんだが…」と、小声で訴えども「大丈夫、大丈夫」とニコニコしながら「私、黒須さんの事、信じてるもの」となんか良い台詞風の事を爽やかな声で言う。
エマも、きっとデリクと同じ、パンク状態に見舞われているのだろう。
闇雲に前向きな発言を繰り返すその気持ちを理解しつつ、デリクも意味もない微笑を浮かべれば、「ぎゃーー!!! 誠ーー!!がなんか、もう、なんか、えーー?!!! 凄い大変な事になってるのは分かるんだけどあたいの言葉では説明しきれない事にっ!!!!」と、竜子が喚き散らす。
「…ぶふっ…!!!」と、明らかに、それは噴出したんだよね?というような声を漏らしつつ、幇禍が肩を震わせた。
どうも、黒須の有り様が、彼のツボにHITしたらしい。
白目を剥いたままの黒須が何か、振り子っぽく、左右に体を揺らし出すに至って、幇禍はとうとうしゃがみ込み、耐え切れないと言った様子で、床を叩きながら体中を震わせ出した。
その様子を何を勘違いしたのか竜子が「幇禍…誠の為に…そんな風に怒ってくれるだなんて…お前、ほんと良い奴だな…」と頓珍漢な事を言い、更に、幇禍は体を大きく揺らす。
だが、そんな間抜けなやりとりのせいで、何の計画も立てられないまま、虎杰が数百の腕を振り上げ、こちらに振り下ろそうとするモーションがデリクの視界の端に引っ掛かった。
「…っ!! 防ぎきれませン!! 皆さン、避けテッ!!!」
デリクは叫び、それぞれが、めいめい各所に四散する。
「あ”!!! あ”あ”あ”あ”ぁぁぁぁ!!」
虎杰の叫び声。
最早知性の欠片もない、獣にも劣る、異形の咆哮。
そんな姿になってまで、あの城が欲しいのか。
チェシャ猫の為に。
ぞぞぞぞ…と此方に向かって、触手のように伸びてくる腕から逃れつつ、その掌からダラダラとこれも、溶解液だと思われる粘液を生み出し、自分に浴びせようとしてくる事に、デリクは心底ぞっとする。
粘液で溶かされるよりも、下手に捕まれば、あの手の群れに四肢を引き裂かれる可能性の方が高いと、本能で悟りつつ、嫌だ、溶かされながら、八つ裂きとか、凄くいやだ!!と真っ当な感想を抱き、どして、どうして、黒須が捕まったまま、殺されないのか思案して、彼に立場に思い至った。
知性すら失っていると思われる虎杰だが、それでも、黒須の存在が、千年王宮の王様であるベイブにとって、充分人質として通用する立場にある事は理解しているらしい。
自分達を始末した後、黒須を使って、ベイブとの交渉を有利な立場で進めようと目論んでいるのか…と考えつつ、不意に黒須が身じろぎるするのを視認する。
(黒須サン…意識はあるようですネ…)
それでも気を失ったフリをしているのは、彼の不意を突こうとしているのか…。
とにかくこの状況だ。
黒須の存在も戦力として計算に入れつつ、影の魔物に応戦させ、腕を幾つか食い千切らせた。
床に落ちた腕のいくつかが、血を撒き散らしながらのたうつが、本体には何のダメージも与えていないらしい。
曜が紙の札を空中に投げ、印を結び、無数の鬼を召還した。
彼女が生み出した無数の鬼の防衛線の背後に回る。
曜が一声、「行けっ!」と命じれば、鬼達は一気に虎杰に飛び掛って行った。
化け物の体中に飛びつき、噛み付き、その口中に放り込まれ、踏みしだかれ、鬼の肉の瞑れる音、骨が噛み砕かれる音が響く。
虎杰に食い荒らされる鬼達という、余りに猟奇でグロな光景に「ワオ」と、如何にも外人風味に呻いてしまい、その光景を作り出す一端を担った曜が、鬼共が食い荒らされるに従って、その身に纏う力を増していっている事に、脅威を抱いた。
あの娘 化け物に喰われた鬼の 怨みつらみ 無念 苦しみ 全て喰って 己の力に換えている
「私の背後に回れ!!」
曜の言葉に従い幇禍や嵐、竜子も、彼女が作り出した、無数の鬼の防壁の背に駆け込む。
幇禍が、曜とすれ違い様に、「あの手の中に、大きな目が見えたんです。 あすこを攻撃できれば、ダメージを与えられるかもしれない! 顔を覆っている腕を、何とか退ける事は出来ませんか?」と声を掛けた。
曜が振り返り、一瞬思案の表情を見せた後「考えてみる」と一度頷く。
そして、鬼の数を更に増やすべく、再び札を空中に四散させた。
悪夢めいた光景は陰惨を極め、階下フロアにいた人間や、ビル外の者達が騒いでいる声も聞こえてきた。
人が集まりだしている。
「不味いわね…」
駆け寄ってきたエマが、小さく呟く。
確かに、騒動になるのは、色々と差し障りが在る。
出来るだけ迅速な決着の方法を考えていると幇禍が、掠れた声で問い掛けを発した。
「…一応お聞きしたいのですが……」
「あぁ?」と嵐が問い返すより早く「アレ…って、もしかしたら…呉虎杰だったりします……?」と、虎杰を指差す。
そうか、彼は、虎杰の変異の場に立ち会っていなかったっけと思い至れば嵐が数秒瞬いて、瞬きを続けたまま「ぴんぽーん」と低い声で答えた。
「あれ…は、キメラなんですか?」
そう、幇禍の重ねての問い掛けにデリクは「完全体でス」と答えてにやりと笑う。
マジマジとした目で眺めてくる幇禍に飄々とした口調で「キメラ開発の慣れの果テ。 進化の先を目指した行き止まリ」と歌うように告げ、「ねぇ、人は、もう、進化を終えているって説を、ご存知でス?」と、デリクは問うた。
エマが、「ああ、聞いた事ある。 これ以上、外見上の変化は人間は齎されないっていう奴でしょ?」と
言えば、デリクは頷き、「環境にあわセ、その形態を長い年月をかけて変えていク、その『過程』を進化と呼ブ。 人間は、現状で進化の果てにアルという事が科学の力でもって証明されてしまっタわけですガ、あの男は…Drは己の仕える人間ニ、その先の生き物となる為の手術を施したのでしょウ。 材料は、獣でなクテ…『人』。 進化の果てに行き着いた同種の生き物を掛け合わセ、合成サせ、際限なく膨らませタ、異形の『キマイラ』…。 なんと醜い……。 Drが己のコンプレックスすら注ぎ込んで出来上がったあノ、異形、早く壊して差し上げねバ、むしろ気の毒というものでしょウ」と、虎杰を指差しデリクは滔々と述べる。
これは仮定にしか過ぎない推測ではあるが、かなり真実をついている説だろうと、デリクは確信していた。
自分の首領に、より強大で完成した存在でいて欲しい等という願望はDrのような男が抱きそうな、よくある類の欲望だ。
その結果、生まれたのが、こんな化け物とは…と、何だか皮肉気な気持ちにもなる。
エマも「まぁ…早くなんとかしないと、流石に黒須さん死んじゃうかな?って感じだしね」と言いながら、はふっと息を吸い込んだ。
「……五秒、私がジェスチャーで合図を出すから、みんなそれまでしっかり耳を塞いで。 出来るかどうか、自分でも不安だけど、超音波。 あの、体の表面に浮き出ている人間の顔達。 確り見ると、耳も、ちゃんとみんなついてるのよね。 あの、顔達の耳の鼓膜を、超音波使って傷付けられるか試してみる。 巧くいけば、あの腕を退けられるチャンスを作れると思うし…」
「そうすれば、俺が、あの化け物の目を撃ち抜ける…と」
エマの言葉に続けて幇禍が呟いた。
「…隙さえ作って貰えば、後は私が斬り込む」
そう凛と告げる曜に、デリクは「ならば、出来るだけ迅速ニ、そして危険なく接近できるよウ、空間を歪めた穴でお運びしまス」と、提案する。
そんなデリクを、心配げに振り返り「大丈夫なのか? 顔色が悪い。 力を行使しすぎじゃないのか?」と案じてくれる曜。
そんなに分りやすく、調子が悪そうなのか…と、何だかそんな自分を厭いつつ、決意の滲んだ声で、「…決めたのデ…。 全力を尽くすト」と晴れ晴れとした表情で告げれば「…あたいも行く」と、竜子がマシンガン片手に、デリクに告げた。
「曜が、あいつに一発食らわせる、手伝い位は出来ると思うから、あたいも一緒に運んでくれ」と竜子が言えば「俺も、行く」と嵐が、紅色の美しい剣を片手に、そう宣言した。
「俺も、全力尽くしてぇんだ」
曜を真っ直ぐな眼差しで見て言う嵐に、何かを言いかけ、困ったような顔をして、竜子と嵐を交互に見比べ、そして、「ふう…」と溜息を吐く。
「死んだりしたら…地獄まで追っかけて、お前ら二人とも、引きずり戻してやる…」
本気極まりない声で、随分怖い事を告げ、「だから、私にいらん手間を掛けさせない為にも、絶対に死ぬな。 絶対にだ」と、曜は美しい眼差しで、二人を見据えて、願うように告げると、ツイと虎杰に視線を向けて、「では、化け物退治と参ろうか」と、淡々とした声で言った。
エマが大きく息を吸い込む。
「OK?」と指のジェスチャーで見せつつエマが、周りを見回すと皆、両耳を手で塞いで頷いた。
デリクも、しっかり耳を塞いで、コクンと頷き、エマが、やや緊張の面持ちをしつつ、虎杰に向かって口を開く。
さほど大きく開いたわけでない、エマの綺麗な形の唇からいかなる音声が漏れているのか、
エマ自身も耳を塞ぎつつ、目を細め、額にうっすら汗を滲ませながら、無表情に声を出している。
すると、最初のうちこそ、然程の変化の見られなかった虎杰が、突然その大きな体を折り曲げ、「あ”ぁぁぁっっ!!!」と耳を塞いでいても、鼓膜を揺らす苦悶の声を上げ始めた。
ゾゾゾゾと、腕がまるで反射神経であるというかのように、本体へと収縮し、そして、無数に浮き出る顔という顔についた両耳を、各々の手が塞ごうとする。
その動きによって、腕の守りが失われ、むき出しになった目玉をデリクが視認するかしないかのタイミングで、エマが「やっちゃって!!!」と叫びながら、虎杰を指差した。
間髪いれず、幇禍が、その目玉に連続して銃弾を叩き込む。
引き金を引きながら、弾切れと同時に素早く地面に投げ捨て、素早く武器を懐から引っ張り出し、持ち替え、撃ち放し続ければ目玉が弱点の見た幇禍の予想通り、痛みに身を捩じらせ、その猛攻を前に、虎杰が首を仰け反らせ、ガスン!!と轟音を立てて膝をついた。
「今でス!!」
デリクは叫び、痛みを堪えて、素早く空間の歪を作り出せば、一気に竜子、嵐、そして曜の順番で飛び込でいく。
ここで、失敗するわけには行かないと、細心の注意をもって、三人を無事、虎杰の頭上に運ぶ。
バチバチと空気を切り裂く、耳障りな摩擦音を立てながら黒い穴が生まれ、中から、まず竜子が飛び出した。
落下しながら、目の周囲を守る腕に銃弾を当て、派手な光を撒き散らしながら、その動きを止めると、次いで現れた嵐が、その剣で、目玉を斬り付けた。
火花が弾けるような派手な音と、閃光に目玉が細まり苦しげな咆哮が響き渡る。
「黒須さんっ!!! お願いっ!!!!」
エマも、黒須が意識を取り戻している事に気付いていたのだろう。
彼女の叫ぶ声に、逆さ吊りにされていた黒須がいつの間にか、その長い尻尾を使って、ぐるりと無数の腕の間を掻い潜り、虎杰の首をミシミシと、骨の軋む音が聞こえる程に締め上げ出す。
にいっと笑う、その顔は血に濡れ、何処か狂っていて、それは間違いなく、黒須の顔なのに、見間違いようもなく、黒須誠の姿をしているのに、その顔に、美しくも艶やかな、一人の女の顔が重なって見えた。
にいいいっと裂かれた唇から「観念するんだな…」と、怖気を奮うような、何処か甘美な声が漏れる。
「お仕置きの時間だよ…」
女とも、男ともつかぬ声が黒須の唇から零れ落ち、デリクはやはり、先程感じた確信は間違いではなかったと思った。
女がいる。
黒須の中に。
黒須と初めて会った時から、感じていた気配だった。
艶やかで、しなやかな女蛇の気配。
黒須とどういう関係かは分らぬが、彼の中に潜む女が今、表出している。
「霧華さん…」
幇禍が小さく呟いた。
彼は、黒須の中に棲む女の正体を知っているのか。
されど、今は、そこに興味を向けている暇はない。
バチバチバチっと、一際大きな音を、異空間の歪が立てる。
そして
穴の中から
長い髪をたなびかせながら
全ての幕引きを請け負った少女が一人、虚空より降り立つ。
剣を真下に構え、「覚悟!!」と叫んで、曜が容赦なくその目玉に剣を突き立てる。
パキン!!!とガラスが割れるような音がまず聞こえ、そして、一気に、その目玉から真っ赤な血飛沫が吹き出した。
「あ”あ”あ”あ”ぁぁぁ!!!!!」
断末魔の声を虎杰があげる。
曜は振り返りもせず、素早く黒須を横抱きにして、床に降り立ち、そのまま虎杰から、一目散に離れた。
虎杰が硬直したまま、前のめりになり、そして轟音を立てて崩れ落ちたその姿を息を呑んで見つめていた。
すると、暫く後、ゆっくりと、その体が溶けるように分解され始める。
無理矢理に合成されたと思わしき人の体が一人、また一人と本体から崩れ落ち、そして風に吹き荒ばれ、粉に変じて消えて言った。
サラサラサラと風に吹かれ、どんどん小さくなってく虎杰は、瞬く間に元の人の姿に戻る。
倒れ伏したまま動かぬ姿に、息絶えたか?と思えども、虫の息なれど、まだ微かに意識はあるのか、その掌がザリザリと音を立てて床を這った。
「…あ…かね…茜……茜……」
繰り返し、誰かの名前を呼んでいた。
「…それが…お前の特別な人の名前か?」
嵐が静かな声で問う。
ゆっくりと、虎杰が顔を上げると、曜の攻撃の影響か、無残に潰れた目があって、それでも嵐の方をしっかり向くと、「そうだ」と静かに答えた。
諦念の滲む声。
「…茜。 それがチェシャ猫の名前ですカ?」
デリクが、穏やかな声で問い掛ける。
「……ああ」
途切れ途切れの掠れた声。
「…彼女に…一目なりとも…会いたかった…」
呟く声の温度は、彼がチェシャ猫をどう想っているかという事が一目瞭然の熱が篭っていて、ああ、つまり、そういう話だったのかと、これで、全てのピースを手に入れた満足感に漸くデリクは満たされた。
いや、既に思い至ってはいた。
デリクは真実の最後のピースを欲し、今や、鬼や人の血が入り混じった血の池と化した床に掌を翳す。
「…真実を下さイ。 白雪サン」
そうデリクが千年王宮に意識を飛ばして声を掛け、その表面に掌を浸せば、波紋が広がり、そして突然銀色に変じた血の池に猫の耳が生えた一人の女と、大きな姿身越しに相対する一人の男の姿が映し出される。
それは、今よりも若き日の虎杰の姿。
白雪の力を現世に呼び込んだデリクは、どっと全身に圧し掛かる疲労感に、そのままへたり込みたいような気持ちになる。
それでも、口を開かずにはいられない自分を、何だか他人事めいた気持ちで、困ったものだと呆れつつデリクは虎杰に声を掛けた。
「逢瀬。 チェシャ猫さんト、貴方の…で間違いないデスよネ?」
デリクの問い掛けに「無粋な。 覗き見るものではないだろう…」と虎杰は憮然とした声で答える。
一枚の大きな鏡に手を這わせ、チェシャ猫は頬を染めて向こう側を覗いていた。
鏡の向こう側の虎杰は、チェシャ猫と同じく鏡に手をあてて、彼女と顔を突き合わせていた。
「鏡よ 鏡 世界で一番 美しいのは だぁれ?」
無邪気な声でチェシャ猫が問う。
鏡の向こうの虎杰は少し笑って、それからチェシャ猫を指差した。
「ふふふ」と肩を竦め、掌を唇に当てて「嘘。 違うわ」と言って、それから自分の猫の耳に手をあてる。
「だって、こんなものが生えてる」
すると虎杰は首を振って「関係ないよ」と囁いた。
「尻尾もあるのよ?」
「それも、可愛いじゃないか」
「わっち、人間じゃないの。 お城の化け物なのよ?」
「それでも、お前は美しいよ」
虎杰の言葉に、また「ふふふ」と笑い、それからピタリと鏡に張り付く。
「世界で一番?」
「ああ、世界で一番」
「わっち、お姫様になれるの?」
「俺がしてやる。 お前をお姫様に」
何度も何度も瞬いて「約束」とチェシャ猫が言えば、虎杰も頷き「ああ、約束だ」と答えた。
つまり、チェシャ猫と、虎杰はこのようにして、通じていた。
恋仲。
愛しい女を お姫様にする為に。
この男は数々の悪行を働いてきたのだろう。
「この…鏡は…?」
嵐が、訝しげに呟けば「白雪。 現世と、城を繋ぐ鏡なんて、あいつ以外ありえない」と竜子が答える。
「チェシャ猫サンは、白雪サンを通じて、虎杰さンと出会い、そして恋に落ちた」と、面白がるような声でデリクは言う。
「チェシャ猫さンの為に、虎杰サンは、千年王宮を手に入れるあリトあらゆる方法を探しタ。 少しでも城に近づく為ニ、力を手に入れようと裏の世界に身を投じ、チェシャ猫さんに会いたい一心デ、組織のトップにまで登り詰メ、そシテ、彼女と同じ『獣』と『人』を融合する技術と知識を有シタ一人の男を自分の傍らに置イタ」
「それが……Dr…」
エマが呟けば、デリクは「正解」と静かに答え、「Drが、貴方が自分を裏切らなイと断言した理由が分かりまシタ。 確かに、大事な大事な恋人の兄ヲ、裏切れる筈がナイ」と、呟く。
「最後のピースは、貴方と、チェシャ猫さンとの関係性だっタんでス」
と言って、溜息を吐き出した。
「もっと早くに思い至れバ、余り遠回りをセズに済んだのデスが…」
そう悔しさを隠さず呟くデリクに「そうか…あいつは、あいつで、俺を信じてくれたのか…」と虎杰が穏やかな声で言う。
「悪党には悪党の絆がある。 人非人、外道、非道、悪逆を…尽くそうとも人は…一人では生きられない…。 笑うか? アレは、私にとって唯一信頼に足る、本当の友であったのだ…」
そう独白し、そして、虎杰は嘆いた。
「夢なんぞ…やはり、叶うもんじゃ…ないな…どんな…事もしてきたが…それでも彼女には届かなかった……」
その瞬間、嵐が爆発するような声で「この…糞馬鹿野郎っ!! 詭弁言ってんじゃねぇよ! 『何でもする』と『何でもしても良い』は全然違うだろ?!」と喚いた。
拳をぎゅっと握り締め、全身を震わせながら、虎杰をギリリと睨み据える。
「友達がいて…好きな人がいて…お前、なんでこんな事出来るんだよ?」
虎杰が嵐にまた顔を向けた。
「人を好きになる事を知ってる奴が!!! どうして、人を傷付けられるんだっ!!!」
叫ぶような声。
「だったら!!! なんで、考えない!!! お前が殺した人達にはなぁ! お前が、キメラの材料として踏みつけにしてきた人達にはなぁ!! みんな、それぞれ、大事な人が、特別な人が、誰に奪われる事も許される筈のない未来が、あったんだよっ!!」
地団太を踏む。
いつの間にか赤い色に戻っていた、床を浸す血の池が、パシャンと嵐の足元で飛沫を上げた。
「飯食って!! TV見て!! 仕事帰って酒のんで!! 嫁さんとケンカしたり、恋人とメールしあったり!! 友達と遊ぶ約束を楽しみにしたり!! 下らない漫画読んで笑ったり!! 嫌な事を電話で、田舎の母ちゃんに愚痴ったり!! そういう普通をさぁ…!!」
悲鳴のような声だった。
「そういう普通を…なぁ…誰が滅茶苦茶にして良いっつうんだよ…そんなの……誰にも許されねぇよ……っ!」
虎杰が何度も瞬いて、「何故…? なぁ、お前、なんでそんなに怒る必要が…ある? 自分の特別な人間に比べて…、そんな、取るに足らん…斟酌するに足りない命など…」と問う虎杰を、嵐は「命は比べられねぇよ」と呻くように否定した。
「自分にとって、その人の大切さという意味での価値ならば、比べてしまうのが、人間っつう生き物だ。 俺だって、ダチや家族は他の奴らより大事だよ。 それは否定しねぇよ。 でも、だからって、命を比べて、そいつらの為なら、誰かを殺して良いなんて、俺は絶対思わねぇ…。 俺のダチや家族も、そんな事は望んじゃいねぇ。 それが、俺の誇りだよ」
嵐は一歩踏み出し、言い聞かせるような、それでいて、悔いるような声で言う。
「なあ、虎杰。 お前、特別、特別っつうけどな…特別なんかじゃない、普通が、実は一番大変なんだぞ? 普通に働いて、普通に人を好きになって、普通に家族を作って、普通に幸せになって……普通は、偉いんだ。 普通は、並大抵の努力じゃ手に入んねぇんだ。 誰にも、そういうのを馬鹿にしたり、ないがしろにしたりなんて、されちゃならねぇもんなんだ。 お前みてぇな、弱虫なんか比べもんにならねぇ程な、普通っつうのは…尊いんだよ…」
デリクは嵐を優しい男だと、思った。
そして、優しすぎるとも…。
「あんたが王宮を欲しがる理由は分かったよ。 だから尚更譲れない。 惚れた女のために、屍の山築いて、それで女を姫様になんざ仕立てあげたって、そんなの虚しいだけだろう? 寂しいだけだろう? 人を好きになるっつうのは…もっと…こう、あったけぇもんだ。 もっと、こう幸せなもんだ。 もっと……もっと、優しいもんだよ、本当は」
嵐が、不意に、慈悲に満ちた、それはそれは静かで、綺麗な、穏やかな声で言った。
「人を好きになる事の本当の喜びを、お前は知らないんだ。 可哀想に」
虎杰は、嵐に顔を向けたまま、不意に弱り果てた、子供のような声で言った。
「お前遅いよ」
「……」
「もっと早くに 俺に会いに来てくれていれば」
もしくは?
いや、そんな未来は
ない
「♪Humpty Dumpty sat on a wall
♪Humpty Dumpty had a great fall
♪All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again」
王様の馬みんなに 王様の家来みんな合わせても
ハンプティを元には 戻せやしなかった
壊れた 卵は もう元には戻りません!
空から合唱が微かに聞こえてきた。
見上げれば、東京の夜空。
星の見えない夜空。
堕ちる。
墜ちる。
猫が。
落ちる。
チェシャ猫が、天から銀色の剣に刺し貫かれて落ちてきている。
如何なる者が、彼女を天から蹴り落としたのか?
虎杰が、どこにそんな余力が?と驚嘆せずにいられない精神力でもって、よろよろと立ち上がった。
「一度も想い人に会えた事等なかったようなのデ、本望でしょウ」
デリクは淡々と虎杰に告げる。
城も、勝利を収めたか。
少し安堵を覚えつつも、ウラの安否だけが、気がかりだった。
虎杰は、もう、何も聞こえず、何も見えない様子で、ただ、天を仰ぎ、彼女を待ちかねていた。
キメラという禁忌の術で持って、裏組織のトップに立った男。
ただ、恋の為に。
ただ、恋の為に。
滅ぶか。
満身創痍で、それでも、天を仰ぎながら、酷く明るい、悲しいほどに明るい、幸福そうな笑みで虎杰が両手を広げる。
チェシャ猫も笑った。
最期の意識で。
「やっと…会えた…」
小さく猫は呟いた。
「ずっと会いたかった」
虎杰も笑って応えた。
猫の胸を刺し貫いている銀の剣が、そのまま虎杰の心臓も刺し貫いた。
落下した猫を虎杰は抱きしめ、そして、地上に倒れ伏す。
現世と王宮、たった一度として、直接、触れ会う事もなく、鏡越しで想いを育んだ、憐れな、憐れな、恋人同士。
漸く、最期の、最期、この上ない悪辣と、暴虐の果てに、二人は抱き合う事が出来た。
悲恋の結末である。
悲しい終末である。
しかし、悪党の恋であった。
悪党の最期であった。
「めでたし めでたし」
デリクは、そう小さく呟く。
「お見事!! お見事!!!」
すると突然、パチパチパチと手を叩いて、「よっこらせ」という言葉と共に、何処からともなく道化が現れた。
「…っ!! お前!! なんで?!」
竜子が叫んで道化を指差せば、「さっき、魔術師殿と白雪が通じ合った時にちょっくらね」と言いつつ、そこに立つ面々を見回す。
「いやぁ、今回は君達の活躍のお陰で、本当に助かった! 礼を言う」と言いながら頭を下げる道化師に「あ、お礼は良いから、ねぇ、早く、彼、なんとかしてあげて?」とエマが指差す先には、下半身蛇の姿のまま完全に伸び切っている黒須がいて、竜子が慌てて駆け寄り「誠!! 大丈夫か?! 誠!!」と必死の声で呼んでいた。
「う…る…せぇ…」
そう言いながらも手を伸ばし、竜子の頭に手を伸ばすと、その金色の髪を優しくなでて「喚くな…響くんだよ…」と弱った声で黒須が言う。
「…ああ…よかった…」と安堵の声を漏らす竜子。
その首根っこに齧り付こうとして、今の黒須に飛びつくことすら躊躇したのか、どうして良いのか分らないと言う風に涙の堪った目を緩めて「えへへ…」と竜子は小さく笑った。
「…生きてる」
「当たり前だ」
「すっげぇ、心配したんだぞ」
「おう。 悪かったな」
黒須がそう答えながら無心になったように竜子の髪を撫で続ける。
竜子は猫のように目を細め、「みんな…が助けてくれなかったら…お前、ほんとに死んでたんだからな」と言う言葉に、黒須は頷き、それから、こちらに目を向けてくると「世話になった」と言って頭を下げた。
だが、デリクは、ウラの事を想う余り,気が急いているのもあって、そんな事より、早く城に向かおうと提案しかける。
すると、まるで、そんなデリクの気持ちを代弁するかのように、「とっととお城に帰ってあげなさいな」とエマが言い、嵐が「向こうの連中にもヨロシクな」と竜子に声を掛けた。
曜が「燐に、なるだけ早く戻ってくるように伝えてくれ」と心配そうな顔で言う。
幇禍は……別段何も言うべき事が思い当たらなかったのか、笑顔で手を振っていた。
デリクはこちら側でウラの帰りを待つなどという事は到底出来そうになかったので、「竜子さン…ちょっとばかり、私、お城に用事がありますのデ、一緒に向かわせて頂きたいのですガ、宜しいですカ?」と、声をかける。
竜子は頷き、「じゃあ、あたい、さっきの事もあるし、一足先に道をきちんと繋いでおくよ。 デリクは、その後を追ってきてくれ」と告げて、小指の鍵の力を使い、千年王宮に向かった。
竜子の姿が掻き消えたのを確認すると、デリクは道化を振り返り「貴方もご苦労様でしタ」と鮮やかに笑って告げる。
「いやいや、何々。 中々コキ使われて大変だったが、そこそこ楽しかったよ」
道化がそう言い「じゃあ、私もそろそろ戻ろうか」と言って、黒須の傍に寄る。
「いやぁ!! 酷い有り様!! ジャバウォッキー!! まぁ、丈夫なお前のこった! 大丈夫だろう、その位? ほら、とっとと帰るよ?」と手を伸ばし、その体を抱え上げようとする背中に、デリクは、ああ、やはり「そういうつもり」だったのかと、こんな時に!!というような、苛立つような気持ちを堪えて、笑みを浮かべ声を掛けた。
「何処へデス? アリス」
空気の温度が、少しだけ下がった。
「道化師アリス。 ジャバウォッキーを何処へ連れて行くつもりでス? 駄目ですヨ、折角我々が助け出したのニ、貴方の手で、何処かにその人を葬られてしまってハ、元も子もありまセン」
デリクが道化を指差せば、道化は首を少しだけ傾けて笑うと、その瞬間カシャンと音を立てて、その体が崩れ落ち、黒須の上に散らばる。
「っ!!」
悲鳴めいたものをあげようとしたらしい黒須が辛うじて、叫ぶのを止め、そして、自分を連れて行こうとしていた物の正体に「んだよ…これ?!」と混乱したように喚いた。
関節という関節がぐにゃぐにゃと在り得ない方向に折れ曲がっている。
赤い糸が、その節々から垂れ下がっていた。
まるでマリオネットのように。
まるでマリオネットのように。
「いややわ…。 バレてもうた。 まぁ、流石っちゅうトコやねぇ…名探偵さん?」
道化の背後から、灰色の肌に、真っ赤な唇。 真っ黒なウェーブのかかった髪を肩まで伸ばし、白いリボンのあしらわれた、大きなヘアバンドを髪につけ、黒のエプロンドレスのワンピースを身に纏った、何処か見るからに不吉な少女が現れた。
「アリス…?」
アリスの名を訝しげに口にするエマに、「ひひひ」と口を歪めて下品に笑うと少女は「初めまして!! では、ないなぁ。 道化の格好して、色々とお喋りさせて貰うたさかい、そういう風に、びっくりした目で見られると、何や、申し訳ない気分になるわ」と言って、デリクの前に立った。
「何処までお見通し?」
アリスに問われ、「然程。 知れば知った分だケ、謎は細分化し、枝分かれをして増えていク。 いっそ、今、全て、教えてくれませんカ? 大魔女アリス」と、デリクは強請る。
「…あんたは…『千年魔法の構成理論』の魔術書を持ち出しとったねぇ…なぁ、あれ、全部読めた?」
アリスに問われデリクは、その質問の意図を察し、意地悪な気持ちになって一度首を振る。
「そう…」とにんまり笑うアリスに「ただ、私、昔カラ、本は『あとがき』から読む癖がありマシテ」とデリクはシレッとした声で告げ、アリスは、一度ポカンとした顔を見せた後、ククゥと喉の奥で笑うと「イケズやわぁ。 その物の言い」と、何だか少し嬉しそうに言った。
そう、あの本は、巻末の解読こそ「肝」だった。
あの文章を読んだ時は、自分のちょっと変わった癖に対して感謝の念を捧げたものだ。
「ちょっ!! ちょっと待て!! 悪い、話についてけねぇんだけど?」と嵐が訴え、曜が頷く。
「その…大体、君は誰だ? アリスというのは…?」と問われ、アリスは、ポリポリと頬を掻き、「そうか。 あすこを知らん子には不親切やったね」と頷いて、「色々説明するのも面倒臭いから、とりあえず、千年王宮を作った張本人と覚えて貰えりゃ充分や」と、アリスは簡単に説明した。
「王宮を…作った人? なんか…スケールが大きな話になってきて、余計に訳わかんなくなっちまった…」と、困ったように嵐が言う。
「じゃあ…なんで、こんな人形を…?」
そう曜の問い掛けに、「そっちの兄さんは、分ってるんやろうけどね…」と言ってデリクを指差すと、「もう、とっくに、本物のアリスは封印されっちまってるからねぇ…うちは、ただの幻。 ベイブが自分の心の中に抱いている幻想なのさ。 アリスは、ベイブに討たれて、お城に封じられたんだ。 ベイブは、そのせいで、アリスの呪いに掛かり、千年王宮に千年縛り付けられる呪われた王様になった。 ベイブはうちをどうしようもなく憎んでいる。 だから、うちの姿を目の当たりにする訳にはいかないし、うちはベイブの心の深層に閉じ込められて、自由に動くことは叶わない。 せやで、この人形を依巫にして、うちはずっとベイブを守り続けてきたっちゅうワケやね」と答えた。
嵐はきょとんとした顔のまま、「よく分かんねぇけど…じゃあ、あんたはその、ベイブとかいう王様の心の中にいるアリスなのか?」と問い掛ける。
「その通り」とアリスは頷くと、「どうしてなんだ? 自分を城に閉じ込めたような魔女を、どうして心の中に?」と曜が疑問を投げかけた。
そんな皆の疑問に、アリスは事も無げに言い放つ。
「だって、あの子はうちに惚れとるんやもん」
嬉しげに、惚気るような声。
デリクは、やはり魔女は魔女だと思いつつ、自分でも意識せぬまま歌を口ずさむ。
「♪Humpty Dumpty sat on a wall
♪Humpty Dumpty had a great fall
♪All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again」
マザーグースの中の「Humpty Dumpty」
どうやって、表層にまで這い上がり、こうして現世にまで姿を見せるようになったのかは知らないが、極めて浅はか、極めて愚か。
彼女の目論みは、これまでの苦労を全て水泡に帰すものだった。
魔女が問う。
「道化師が、うちやっていつから気付いてた?」
「今朝、貴方に会った時に思い至りましタ。 城の何処でも自由に行き来が出来テ、外の世界にすラ出て行ケル。 ある意味、ベイブよリ自由ダ。 だからこソ、今回のような時に、彼を救える為に奔走でキル。 この城の王様でスラ、制御できていない存在。 この城の王様を、千年王宮内ですラ越える存在。 そんなの、一人しかいナイ。 この城を作った人間しカネ?」
デリクがつらつらと並べ立てれば、アリスは「ウラが賢い子に育ったのも、分る」と頷いた。
その呟きに、どうも、彼女の復活にはウラが一枚噛んでいると察し、デリクは苦笑する。
城の為に為した事だろうから、ウラを責めるつもりは毛頭ないが、これはかなり面倒な事になったぞと、黒須に同情せずにはいられなかった。
「うちは、うちであって、うちやない。 所詮は、あの子が心の中に作り出した『理想のアリス』。 狂おしくあの子を想って殺されっちまった、可哀想な女の影。 それでもね、あの子を想う気持ちは本物。 だから、道化師になって、ずっとあの子の傍で、あの子を見守ってきた」
踊るような足取りで、アリスは血の池の化した床を、ゆっくりと歩き回る。
エマは、そのアリスをゆっくりと目で追いながら「…黒須さんを連れて行ってどうするつもりだったの?」と囁いた。
「次の人形にしよか思て」
エマの声に、アリスは笑みを深める。
「人形? こんな風に?」
黒須の上で無残な姿を晒す道化師人形をエマが指差せば、「今、一番ベイブの身近にいるんは、その男やで、バラバラに一回切断して、赤い糸をつけて、うちの思い通りにしたろうと考えたのに…」と言い、恨みがまし気にデリクを横目で見る。
「普段のジャバウォッキー相手なら、いかなうちてそうそう好き勝手は出来へんけど…」
そこまで言ってアリスがついと掌を翻す。
「…こんなジャバウォッキーなら、抵抗なんて許さない!! 一度人形にしちまえば、笑うも踊るも歌うも殺すも、何もかも私の思い通りさ!」
ガバリとその身を起こし、人形が黒須の肩を掴んで、その顔を寄せる。
黒須が目を見開いて、「は…離せっ!」と、逃れるように仰け反ると、エマが慌てた様子で、道化の肩を掴み「これ以上、もう、黒須さんを苦しめないで」とアリスに叫んだ。
だが、アリスは戸惑うように首を振り、腕をだらんと下に落とす。
すると、道化も、また元のように人形の姿に戻り、アリスは少し顔を顰め「こいつは、長く依巫にしすぎた。 人形は、唯でさえ、意思を宿しやすい媒体。 最近勝手な動きを見せる事があんねん。 そこら辺の関係もあってね、新しい人形が欲しかったんやけど…」と惜しそうに黒須に目を向け、溜息を吐いて「残念やわ…」と呟く。
「そんなに傍にいたいのでスカ? ベイブさんの傍ニ」
デリクが、愉快そうに問う。
アリスは当然という風に頷くと、灰色の目を細めて問うた。
「なぁ? そんなうちって気が狂っとる?」
デリクは、相手がその答えを望んでいると察し大きく頷いて「エエ。 とってモ、とってモ、気が狂ってまス」と笑い答える。
アリスは、まるで、デリクが満点の答えを出したように手を叩き、「うちは気が狂っとる。 あの子もや。 正気の者など、あの城にはいない! 一人だって! 一人だって!」と叫んだ。
アリスの言葉を聞きながら、デリクはあの城の歪みを思う。
完璧なキメラとして造られた、虎杰は、とても醜悪な姿をしていた。
欠けたるもののない完璧さというものは、実はとても醜いものなのかもしれない。
時の大魔女アリス。
狂った女アリス。
人を強く想うという事は、何にしろ、気が違っているという事だ。
あの城は、アリスが作った揺り篭。
赤子を千年の眠りにつかせる為の綺麗な揺り篭。
ねぇ? 揺り篭の中に赤ん坊を寝かしつけるのは、誰の役目?
答えは、簡単。
「貴方の出番はもうありまセン。 揺り篭に帰りなさイ。 ベイビーがお待ちカネですヨ? マム」
母親が、息子を愛する事に理由はいらない。
息を呑み、シンと静まり返る空気の中で、デリクは朗々と語りだす。
「かって、時の大魔女アリスは、自身が生きる悠久の時の中で、誰の子か明らカニなっていナイ、一人男の子を孕み、産み落としタ。 生まれながらにして数奇な運命と数多の謎を背負ウ、その子供は生後間もなく、聖CAROL教会が有する聖騎士団の手により保護されたが、自分の血を分ケタ、最愛の息子を奪わレル事となったアリスは悲しみに沈み、時の迷宮の中で自らの心を癒す為に長い眠りにつイタ。 アリスの子ハ、その間、母親から譲り受ケた魔法の才と、誰かは分からぬ父譲りの剣の腕にて、騎士団にて頭角を現し、団長の地位にまで登りつめ、1700年代初頭に行ワれた《魔女狩り》ニて、皮肉にも己の母の討伐を命じらレル。 激しい戦いの中、宿敵としてお互いの正体を知らズニ出会ったアリスとその息子は、更なる悲劇! 狂気と禁忌の恋に落ちてしまったのであっタ…」
デリクは口を噤み、それから「私が、あの王宮より頂いた、貴女がお書きになられた、『千年魔法の構成理論』の巻末に記された、大魔女アリスの略歴の一文です」と告げる。
そして「母と子の禁断の恋…なんテ、余りに陳腐デ初めて目にした時は、思わず笑ってしまいマシたヨ。 許されざる感情か否カハ、世間一般というものから、どうニも、ズレているそうなノデ、私にハ貴女に言うべき言葉一つ見当たりませんガ…」とそこまで言ってデリクは肩を竦めた。
「…貴女が、どんな狂った母親だろうガ、女だろうガ、今は黒須さんを、無事、あの城に帰してやるノガ得策でス。 貴女には、ジャバウォッキーは無理ですヨ。 魔女。 所詮、幻に過ぎぬ貴女が表出し、悪戯に現世を掻き乱すモノではなイ。 道化人形一つ、制御しかねル貴女には、ベイブの側仕えハ荷が勝ちすぎル。 とっとト、引っ込みなさイ」
この女にはジャバウォッキーの代わりは務まらない。
世界と、己の恋を天秤にかけて、この女は間違いなく、己の恋を選ぶだろう。
そんな女を、ベイブの傍に置けば、間違いなく今回以上の危機に見舞われる。
それだけは、許すわけにはいかなかった。
デリクの言葉に、アリスは突如高らかに笑い始めた。
狂ったように腹を抱え、ひーひーとけたたましい声を発する。
アリス。
ベイブの母の名前。
アリス。
時の大魔女の名前。
アリス。
息子への、禁忌の恋に狂った、憐れな、哀れな女の名前。
アリス。
ALICE.
「生意気だよ。 魔術師」
突如笑いをピタっと止めたアリスが、無表情にそう囁いて、そしてその体が掻き消えた。
黒須に折り重なるように倒れていた、道化がずぶずぶと血の池に沈んでいった。
黒須が混乱極まる顔で、「な…んなんだよ…」と呻く。
嵐が気の毒気に黒須を見下ろし「よくは分かんねぇけど、ややこしい立場みてぇだな。 おっさん。 何か、相談事があるなら、電話して来いよ。 また、話聞いてやるから…」と明らかに同情丸出しな声で言いつつ、携帯番号が書いてあるらしい紙を渡している。
なんだか、ガクリと肩を落として、その紙を握り締める黒須の肩をポンとエマが叩き、「まさか…アリスが、ベイブさんのお母様だったなんてね…」と呟いて、「どうすんの? これから」と黒須を見下ろす。
「どーするも、こーするも、ベイブがすげぇマザコンだろうが、あの道化の正体がアリスだろうが…俺にゃあ、どうしようもねぇ話だよ。 せいぜい、これまで以上に道化に寝首を欠かれぬように気をつけるだけさ」
そう黒須が投げやりに答え、デリクが肩を貸して起き上がるのを助けてやりながら、「それガ賢明でしょうネ…」と頷いた。
「幻とは言え、アレはアリス。 現世ならともかく、あの城で振るう力は絶大なモノと思われまス。 とはいえ、あの道化人形自体、自らの意思を持チ、貴方を自分と同じ、人形に仕立てようと狙っテいるのも、真実」
何だか聞けば聞くほど…な状況に、「上司は、ドS気味の犯罪級マザコンで…同僚はそんな上司命!!な意思疎通困難鏡娘に、中の人は上司のお母さんでした☆、ケド、最近は自分自身で動けるようになってきて個人的にもお前の命狙い撃ち♪な人形男。 一緒に城で暮らす唯一の心の拠り所になる筈の竜子ちゃんも、天災的トラブルメーカーだし、なんか…なんか…」と言いつつエマが、若干半笑いになって「ガンバッテ★」と両手拳をぐーにする。
「他人事だろ? 凄い他人事だろ? しかも、面白がってるだろ? 最早面白がってるだろ?」
半眼になり、そう言い募る黒須に、幇禍も同情を禁じえないといった表情で、「俺も、そんな黒須さんの力になりたいんで辛くなったら、是非ここに電話して下さい」と言いつつ思いっきり「117」と書かれたメモを手渡した。
「ほーう…お前は、俺に困った時に、時報を聞かせてどうしたいんだ?」と黒須に問われ、チロっと舌を出すと、「昔は、交換機の仕様で、同時に時報へ電話をかけてきた人と会話ができるという現象が起こったそうなので、せいぜい、何度も、何度も掛けなおして、そこで繋がった人にでも相談してはいかがでしょう?という俺の優しい心です」と照れた仕草を見せつつ幇禍は言う。
「うわー、懐かしい!! 流行った! それ、俺が若い頃、すげー流行したし、その現象を知ってるお前が凄く怖い!!ていうか、今はもう、絶対、そういう事起こらないらしいけどね! だから、何回掛け続けても、そんな見知らぬ相談相手に繋がる事はないけどね!! そもそも、見知らぬ人に、こんな状況どうやって相談すればいいか一切見えないんだけどね!! そして、お前が『え? 結局、それ、絶対相談に乗ってやんねぇよ!って事じゃん?』みたいな台詞を、なんで照れながら言うのかも全然見えない!」
そう黒須が、現在見るからに「瀕死!」の状況ながら命懸け的鬼気迫る勢いでツッコンでくるのを、カラカラと笑いながら「わぁ! この勢いが鬱陶しい!」と爽やかにいなす。
ぜいぜい肩で息をしながら「もう…いやだぁ…」と心からの声で呻く黒須を、嵐と曜が暖かな、なんか遠い、凄い遠い目で見下ろすと、「よかったな、おっさん。 良い友達に恵まれて」と、かなりの棒読みで言い放ち、曜も「感謝する事だ。 人間関係は、何よりも貴い財産だからな」と、これまた、棒読みで黒須に告げた。
完全に見捨てた!!という態度を明らかにした二人に黒須がヨロヨロと手を伸ばせど、デリクが、そんなやりとりを一切無視し「サァ! 黒須さン! 遊んでないで、行きますヨ?」と腰に手を当て、やけに張り切った声で告げてやる。
もう、タイムリミットだ。
これ以上馬鹿なやりとりに付き合ってはいられない。
「遊…ばれては…いたな…」と項垂れつつ、黒須が自分の舌にある鍵穴に、王宮の鍵となっている小指を突っ込んだ。
「んじゃ…本当に助かった…ありがとう」
そう素直な声で告げ、小指の鍵を捻った瞬間、黒須とデリクの姿は掻き消えた。
竜子の残してくれた印を辿り、慌てた様子で城に向かうデリクを、黒須が面白げに眺める。
「そんなに大事かい? あのお嬢ちゃんが」と問われ「当然デス!」と照れもなく答えた後、「ああ、忘れてタ」と呟いて「一つお聞きしたい事があったんデス」と問い掛けた。
「何だよ?」と訝しげな顔をする黒須に「黒須サン、貴方ガ、あの組織に捕まった理由なんですケド…」と言葉を続け、「霧華さん絡みじゃないんデスカ?」と切り込んだ。
黒須がギョッとしたように目を見開き「お前…霧華の事を…知ってるのか?」と問うてくれば、デリクは首を振り、「…実は、貴方が暗闇に潜み、虎杰に攻撃を加えた際や、先程、止めを刺す際にも、貴方に見知らぬ女性の面影が重なって見えたんデス。 その面影は私以外の人も目にしたようデ、幇禍さんが、その面影に対して『霧華さん』と…」と説明する。
黒須が、「ああ…そういう事か…」と呟けば「霧華サンとは…どういう方なんデス?」とデリクは更に問いを重ねた。
「俺の嫁さんだよ。 殺されっちまったがな」とあっさり黒須は教えてくれる。
「その方は、貴方と同ジク本性ガ…?」
「ああ。 っていうか、むしろ、俺は元々は唯の人間だよ。 説明してなかったけ? ああ、そもそも、俺の本性をお前に見せたのは今回が初めてだっけか…」と言い「お前、何でも見抜くから、何を知ってて、何を知らないか分んねぇよ…」と半眼になる。
そんな文句を言われても…と理不尽に思いつつ、「ハイ。 確かに、貴方の本性コソ、今回初めて拝見しましタガ、以前より、蛇の性である事は察してイタので、然程驚きませんデシタし、それよりも、殺されたトハ?」と話の続きを促す。
「ああ…理由も犯人も何も分からねぇんだよ。 俺は、その相手を見つけるために、ベイブに力を求め、引き換えに今の立場になった」
「霧華さんの気配を貴方ノ中に感じる理由ハ?」
「アイツの死体を喰ったから」
事も無げに黒須は答え、デリクも「そうですカ…」と平然と頷く。
狂人しか住まぬ城とアリスも言っていた。
黒須も少なからず、何処か狂っているのだろうとは思っていたし、実際、城で相対した時に、彼の中に潜む狂気を察した事もあって、何だか、その行動は、実に彼らしいとすら、デリクは納得してしまった。
「ま、それ以来、俺は、こんな因果な体になっちまったのさ」と、黒須が言葉を終えれば、口腔摂取する事で、体に変容が齎されるなんて、興味深い症例だなぁと、デリクは研究者的に黒須に興味を持ちつつ、「…その霧華サンとK麒麟に何か関係があったんデスカ?」と更に切り込む。
黒須は呆れた顔を見せ「怖え奴だな、ほんと」と呆れるものだから、「貴方ガ、あの組織にあっさりと捕まった理由が知りたくて、考えていたら、この結論に達しただけデス」とデリクは嘯いておいた。
「あったよ」
黒須は端的に答える。
「だが、K麒麟は唯の仲介役だった。 犯人に繋がる手がかりは、何もナシさ」
どういうつもりで、黒須がK麒麟に潜り込んだのか。
余りに無謀な潜入ゆえ、強ち馬鹿でも、無茶な性質でもなさそうな黒須の性格を鑑みると、きっと、偶然の要素に背中を押されての、蛮勇だったのだろう。
だが、それでも、彼は必死だったに違いない。
自分の妻を殺した犯人を追い求め、まさに命を懸けて、あの組織に単身乗り込んで言ったのだ。
そう思うと、あっさり告げる黒須の口調の奥底に潜む無念に思いを馳せずにはいられずに、デリクは、「お疲れ様デシタ」と呟いて、それから、トントンとその背中を軽く叩いてやった。
さて、そんなこんなで、ウラを無事迎えに行き、再会を果たせたものの、今回はがっつり疲労し、いつになく全力を尽くしたデリク。
とはいえ、転んでもタダでは起きぬのが彼の性分で一つ、土産を掠め取ってきていた。
Drに薬液を掛けられた際、翻った胸元のポケットに覗いたCD-Rを咄嗟に、手を伸ばし抜き取ったのだ。
後生大事に持ち歩いている所からも、これが、研究データである事に間違いはないとデリクは確信している。
ウキウキしながら帰宅後、酷使しすぎたせいで、熱を持ち、晴れ上がった両掌に包帯でアイスノンを巻きつけるというかなり間抜けな姿を晒しつつ、PCでCD-Rを開いてみる。
K麒麟は、メサイアビルにて、屋上より突き出した虎杰の姿が大勢の人間に目撃され、携帯で撮影された動画等により、キメラ開発が明らかになり、国際警察の手によって、組織は完全に壊滅させられていた。
キメラの研究所は、Drがキメラを爆破した際に、証拠隠滅のためか、予め研究所に仕掛けてあったらしい自爆装置が作動して、破壊され尽くしたようだ。
その一連の出来事をニュースで知ったデリクは、自分の手にしているものが、この世界に唯一残ったキメラの実態を解明するデータであるという事に、更なる胸の高鳴りを覚える。
PC上に展開されるデータに目を通したデリクは、だが、見る見るうちに失望する自分を抑えきれなかった。
そこに展開されているのは、キメラの研究データなどではなく、虎杰やチェシャ猫と一緒に映る、自身の画像データばかり。
これを、ずっと大事に、Drは持ち歩いていたのか。
どれも、何だか朗らかに微笑んだり、楽しげにしているDrの顔を憎憎しげに眺め、それから溜息を吐き出すと、このCD-Rが自分の手にある事をDrが望まぬような気がして、PCから取り出し、そして、ゴミ箱の中に投げ捨てた。
こんな風に笑う事の出来る人間が、あんな風に狂うことが出来る事実を、デリクは少しだけ怖く思った。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3432/ デリク・オーロフ / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3678/ 舜・蘇鼓 (しゅん・すぅこ) / 男性 / 999歳 / 道端の弾き語り/中国妖怪 】
【4582/ 七城・曜 (ななしろ・ひかり)/ 女性 / 17歳 / 女子高生(極道陰陽師)】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【2863/ 蒼王・翼 / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4236/ 水無瀬・燐 (みなせ・りん) / 女性 / 13歳 / 中学生】
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■ ライター通信 ■
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お届けが大変遅くなって申し訳御座いませんでした!
前編・後編共にご参加頂けた事を心より感謝します。
それでは少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
momiziでした。
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