コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【東京衛生博覧会 後編】



「人にとって、美しい姿勢とされているのだろう?」
頬に血飛沫の跡を残す男が言った。
「『どうしても叶えたい願いの為に、何でもする』という事は」

「素敵な事なんだよねぇ?」
コケティッシュな笑みを浮かべ、猫は勝ち誇った。
「『夢が叶う』っていう事は」

「覚えはないんでしゅか?」
Drは、唇の端を引き攣らせた。
「『大事な誰かの為になら、どんな事も厭わない』という気持ちに」

血の濃い匂いが立ち込めていた。

豪華なオークション会場に、息をするのも煩わしい程の熱帯のジャングルに、そして、薄暗い倉庫に。


引き金は、いつ引かれたのか?
彼らの本当の目的は何なのか?
この物語は、何処へ疾走して行くのか?


何にしろ、血の花は咲いた。
後戻りの出来ない場所に、貴方はいた。


男は、猫は、そしてDrは問うた。

「さぁ、これから、どうしようか?」

まるで、子供のように。

「さぁ、これから、どうしようか?」



SideC

【 蒼王・翼 編】




「素敵でしょ? 翼」


チェシャ猫の問い掛けに答える言葉は、ない。



何故? 何故? 何故? 防げなかった?
予期できなかった?
本当に、ここに来たのが正しかった?
僕は最善を尽くした?
守れなかった?

本当に守れなかった?



僕が弱いだけじゃないのか?




皆、人だった。
言葉を交わした。

生きていた。

大量虐殺。

他に言い表しようがない。
血の匂いがする。

巧く剣が振るえない。
チェシャ猫が笑いながら、翼を追い詰めていく。

「綺麗だったねぇ、見た? さっきの、花畑? わっちはうっとりしちゃった! 翼への贈り物だよ? 気に入ってくれた?」

突然顔を寄せられ、逃げようとすれば肩を掴まれた。
ピンクの唇が間近に寄せられ、嬲るように「何も出来ないじゃないか」と囁いてくる。

甘い、甘い、吐き気を催す程の、甘い息。

「えらっそうな事を言って、何も出来ない、守れない。 みんな死んだよ? みんな死ぬ。 翼も死ぬ。 今すぐ此処で土下座して、わっちの足を舐めるなら、玩具にしてやってもいいけど、どうする?」


ひゅっと息を吸い込んで力いっぱい振り払う。

「あはははははっはははは!!!」

チェシャ猫は飛び退き、腹を抱えて笑いながら「怒ったの? 翼。 可愛いね!」と言った。

血が引いていた。
脳ミソがどんどん冷たくなっていく。

許せない。

人の命を何だと思っているんだ。

それぞれが、それぞれにあった未来、人生、そして彼らを大事に思う家族。


許せない。
Drも、チェシャ猫も、そして自分も。

キメラ達に申し訳なくて、申し訳なくて、しょうがなかった。



現実の行動を、感情が揺さぶってくる。


それでも翼は、血の毛の引いた顔をして、今や氷のように冷え切った脳ミソで、これから自分がどうするべきかを、冷静に考え続けていた。


チェシャ猫が高らかに笑いながら「翼!!  どうしたの? 翼が守ってやれなかった可哀想なキメラ達の事を気にしてるの?」と、責め立ててくる。

「馬鹿ね? しょうがないじゃない? それだけ、翼が弱かっただけの事! 翼は何にも守れないんだよ。 この城も、仲間も何もかも!! だって、翼は弱いもの!」

そうチェシャ猫が揶揄する声に、翼は思わず眉を潜める。


すると、先程まで、余りの光景に失神状態にあった筈の燐が、ピョコンと起き上がって「難しい事はあの痴女を張り倒してから考えるのじゃ! 翼!!!」と大声で呼びかけてきた。

はっとして翼は燐に視線を向ける。

「良いか?! 今、後悔をして、色々と悩めば、更なる後悔を重ねる結果になる!! 翼のせい等というものは、何もない!! 何一つじゃ! 惑わされぬな! 敵は誰じゃ? 翼は何の為に、この城に来た!」

励ましてくれていた。
燐が、必死に。
自分だって、大層ショックを受けただろに。

翼はそんな燐の健気さが、愛しくて、可愛くて、嬉しくて、彼女に心配を掛けたくなくて、こくりと一度力強く頷く。


そう敵はチェシャ猫。
惑っている時ではない。

絶対に守らねばならない、燐を。

そして、ウラも。

翼は、アリスを捜しにいくと告げて消えたウラの身を案じ、風の守護を送っておいた。
彼女が何らかの危機に見舞われれば、護るように仕込んであるが、今のところ、まだ何の報告もない事を鑑みると、彼女は無事だという事なのだろう。


とにかく今は目の前の敵を倒すことのみに集中せねば!!

そう思いながら同時に、風の力を借りて周りの魔物達を押し返す。

チェシャ猫は翼が気迫を取り戻した事に気付いたのだろう。
さっと魔物の群れの後ろに姿を隠し、翼は行く手を阻まれ舌打ちしつつも、強風により魔物を押し返し、切り裂いて活路を開く。



チェシャ猫が、将である以上、彼女を倒せば、この魔物達の群れも消失するか指揮官を失い、一気に惑う事が予想される。

逆に言えば、彼女の首を獲らない限り、この状況は続くのだと思えど、敵の数が多すぎて、中々チェシャ猫に接近できない。

孤軍奮闘の状況は、これまでになく翼にとっても過酷で、疲労が蓄積されてきたせいもあり、思うような戦果を上げられずにいた。

(くそう! キリがない!)

そう胸中で苛立ちの声を上げる翼の目の端に、更にとんでもない光景が映る。


「お嬢様?! 何を?!!」と白雪が悲鳴めいた声をあげていた。

翼は、ベイブ達がいる結界の方を振り返り、そして眩暈のようなものを覚える。

燐が結界の外に出ていた。
それも、仁王立ちである。
胸を張っての仁王立ちである。


あまつさえ「魔物共! 燐の事を捕まえられるものなら、捕まえてみい!」と大声で宣言するに至って、翼の眩暈は最早、気絶にまで発展しそうになり、闇雲に叫び散らしながら、彼女の元へ駆けつけ、結果内に押し込み、その上縄かなんかで縛り上げて白雪辺りに、その端を握らせたい気分になった。

燐の大口上にゾロリと魔物達が燐に一斉に視線を向けた。

「馬鹿!!! 早く結界に戻れ!!!」と翼が心から叫ぶ声に背を向けて、燐が一目散に駆け出す。

ハラハラなんてものじゃなかった。
やめて欲しい。
心からやめて欲しい。

もう、なんか、見てるだけでいてもたってもいられなくなり、「ああっ!!」とか、「危ない!!」とか「見てられない!!」と独り言まで漏れ出しつつ、燐から目を話せなくなる。
しかし、驚くべきはそのスピードで、燐はちょこまかと、まるで小動物の如く駆けに駆け、右に左に逃げ回り、魔物達を翻弄していた。

彼女が、自分がチェシャ猫を追いやすいように、囮として奮闘してくれているのは分っていた。

しかも、実際、魔物にとって燐は余程魅力的な獲物なのだろう。
魔物は大群となって彼女を追い回しており、お陰で翼は、チェシャ猫へと肉薄できる。

こうなったら、とっととチェシャ猫を仕留め、この城から魔物達を一掃したほうが、燐を救うことにもなる。

そう思い、「ちょっ!! ちょっと、お前達?! なぁにやってんの!! わっちを守るのが、お前達の仕事だにゃ!!」と喚くチェシャ猫に剣を振りかざした。

風で足止めをして動きを鈍らせ、その体を引き裂こうとすれば、チェシャ猫はその長い尻尾を翼の足に絡ませ、ひっかけてくる。

「っ!」

思いも寄らぬ攻撃に、思わずつんのめりかければ、チェシャ猫が自身のレイピアで、翼の体を突き刺そうとしてきた。

慌てて床に手をつき、素早く床を転がって、その一撃から逃れる。
素早く立ち上がって剣を構えれば、チェシャ猫はにたっと笑って口を開いた。

「翼!! 翼!! 頑張るねえ!」

くるくるとよく動く目は、キラキラと輝いていて、イミテーションの宝石のように、無闇矢鱈な光を放つ。

はしゃいだ声も、キメラの死に対して美しいとのたまう神経も、言動も、感覚も、何もかもが翼の理解の範疇外にあって、ああ、なる程、これが「狂ってる」という事かと翼は深く納得できた。




狂気に蝕まれた猫…とは白雪がチェシャ猫に対して言っていた言葉だが、蝕まれた…という事は、彼女には、それ「以前」があったという事だろうか?

風を翼は傍に呼び寄せて、チェシャ猫に関するヒントを何でも良いから拾ってくるように命じる。


「素敵な事なんだよねぇ? 『夢が叶う』っていう事は」

チェシャ猫の言動を思うと、彼女には、何か叶えたい夢があるのだという事が察せられたし、その夢の為に、この反乱を起こしているのだという事も分った。

一体、如何なる夢なのか?

風が吹く。
警告。

その鋭い音に、思わず燐に視線を向けそして、目を見開いた。

燐の走る速度が明らかに落ちていた。
今にも捕まりそうな姿を見て、翼はチェシャ猫に背を向け、燐の元へ駆けつけようとする。

すると、それを察したのか、燐が「来るな!!!」と叫んで制してきた。

囮役を全うしようとするかのように、荒い息を押さえ込み、必死に、必死に燐が走る。

例え来るなと言われても、今彼女の元へ向かわないでいる事が翼に出来る筈もない。
神速のスピードで、燐の傍に向かい掛ける翼に燐が「燐は…大丈夫じゃ!!」と気丈にも告げた瞬間だった。
翼に気を取られていた燐の足が、何者かに掴まれた。

「っ!!!」

悲鳴を飲み込みながらも為す術もなく転倒する燐の足首を、床から突き出した、白い掌が確りと掴んでいる。
翼が青ざめ自身が向かうよりも早い、かまいたちを放って、燐の足を掴む手首を切り裂こうとすれば、体中に気味の悪い色合いの花を咲かせた、正体不明のスライムが、ずるりと、燐の体に圧し掛かり、その粘体の体にて、翼の斬撃を吸収し、燐の体を拘束した。

「ひきゃああ!!! あっ!! うわぁぁっ!! ああ!!」

燐が悲鳴をあげ、逃れようとすれども、ずっしりと圧し掛かる粘体に四肢を絡め取られて動けない。

思考が硬直する最中、燐の小さな体に大きな牙を生やした大きな蜥蜴のような生き物が踊りかかる姿を目にした。


翼の目の前が真っ暗になる。

燐を何としても守るよう曜に託されていたと言うのに、このままでは、どうあっても許されまい。
曜にも、そして自分自身にも。

爆発的な力の本流を感じ、思うが侭に解き放ってしまおうとする。

燐を救うためならば、自分自身が壊れることすら致し方ないと翼は思った。
だが、そのどれも。

翼が取ろうとする手段のどれもが間に合わなかった。

燐の喉笛が、鋭い牙に引き裂かれた。


鮮血が、その小さな、柔らかそうなのどから溢れ、燐が目を見開いて仰け反った。

「燐?! 燐!!!! りぃーーーーんっ!!!!」

叫ぶ。
喉が裂ける程に。
チェシャ猫が翼のすぐ背後に迫っていた。

一閃。

それでも、その気配に本当的に、振り返り剣で、その攻撃を跳ね上げたのは、さすが翼というべきか。


青白い顔に、ゆらりと氷の如き怒りを立ち上らせ、白い顔の中で、そればかりがやけに赤い唇を引き結ぶ。
憤れば、憤るほど、頭の中が冷たくなるんだ。

もう、人の熱を取り戻せそうにないと思った。

チェシャ猫はニヤニヤと笑っていた。

「どうしたの? 翼。 また、守れなかったね? 弱虫翼」

声も出ない。

ただ、もう、心底、このチェシャ猫の息の根を早く、早く、早く止めて、もう、彼女の言葉を何も聞かなくて済むようにしたいと願った。

燐…。

目を強く閉じる。

どうすれば、彼女の死を贖う事が出来るのか。

どうすれば……。

悲壮な決意を固める翼の背後から、悲鳴のような、呻き声のような、そんな、必死な声が聞こえてきた。


「あ…!! ああっ!! うわああっ!!!!」


この声は!!

ぱっと翼は顔を輝かせ「燐?!!」と叫んで振り返る。

チェシャ猫が「う…嘘よ…!」と叫び戦慄いた。
そうだ、翼とて、もうてっきり、燐の命の灯火は消えたと思っていたのだ。
だって、喉笛だもん。
超急所だもん。

よくぞ、生き残っていてくれた!と普段冷静な翼にしては珍しく、どうして燐が無事なのか、全くそこらへんの理屈を思考しないままに、ただただ喜び振り返ったものだから、翼は、そこに広がる情景に、正真正銘驚き、呆然として、ポカンと口を開けずにはいられなかった。


「ゥキァァッアアアアッ!!!」

甲高くも、なんか可愛らしい咆哮を上げていた。

宝石めいた光を放つ鱗に覆われた、竜と見るにはなんだか小さめだが、それにしたってやっぱり見上げるほどには大きい、一頭の竜がそこに座り込んでいた。
真っ青な目を瞬かせ、鉤爪のついた腕で、魔物達を振り飛ばし、引き裂いて一掃している。

竜といえば、物語なんかで見る限りでは、圧倒されるような迫力があったり、ただただ敬虔な気持ちになるような厳かさに満ちていたりするもんだが、その竜はどうにも見ていて、和んでしまいそうに可愛らしく、仕草も子供が暴れているような、そんな微笑ましさがある。

とはいえ、その攻撃力は絶大で、その幼くも美しい幼竜の肌に触れたものは蒸発して消え果て、鉤爪で引き裂かれ、尻尾に振り払われ、竜の周りの魔物がたちまちのうちに全滅している。

「キァァァァウゥゥゥッ!!!」

鳥の声で吼え、竜が辺りをゆらりと睥睨する。


「…えーと…誰?」

思わず翼が呟いたのも無理はない。
てっきり殺されたと思っていた燐の声がしたので振り返ったら、そこには竜がいましたって、それは余りにも予想外すぎる展開だ。

竜の目の青さは、燐の持つ瞳の色と同じだし、仕草や、鳴き声の響きまで、何だかちょっと、燐の面影があるもんだから、「り…燐?」と指差し、思わずチェシャ猫を眺めてみると、チェシャ猫はコクンコクンと頷いて「へ…変身した…変身した、あの子!!」と訴えてくる。

これでもう、間違いなく、あの竜=燐というのが確定してしまったのだが、あんまり心配させられたものだから、何だかすこぶる元気に暴れている姿を見ていると、こう、「この野郎!!」という気持ちになるのを抑えきれなかった。

まぁ、何にしろ、無事でよかったと安堵して、それから、ポカンとチェシャ猫が竜を眺めているうちに…と思いかけ、そういう不意打ちを、好まぬ翼は剣を構え「行くよ!」と一声、声を掛けた。
ハッとしたようにチェシャ猫がこちらに向き直り、それから、何だか不思議そうに首を傾げる。
「なんで?」
「何が?」
「呼ばなきゃ、わっち、さっきやられてたよ? あの竜に夢中だったもん」

チェシャ猫の言葉に肩を竦め「君を一刻も早く倒さなければいけないのは確かなんだけどね」と答えて、自分でもこういう自分の融通の利かない己の頑固さに苦笑しつつ「…自分の信念に背く勝ち方は出来ない」と告げればチェシャ猫は、少し目を見開いて、「あんた…ばかだね」と、子供のような声で言った。

再び斬り結び合い、剣戟を繰り返す。
王宮を探らせにいった風が翼の元に戻ってきた。

チェシャ猫に関して何か報告があるらしい。
待ちかねた!とばかりに迎え入れ、耳の中に入り込んだ風の報告に、翼は目を見開く。

「チェシャ猫…」

翼の呟きに、「なぁに? 翼」とチェシャ猫は答えた。

「…君は………」




「キァァァゥゥゥアァアゥッ!!」

燐の一際高い方向が王宮中に響き渡った瞬間だった。

凄まじい雨が突如降り始め、キメラ達の血を洗い流し、みるみる間に、熱帯雨林と貸した城内が水没し始めた。

「…燐?!」と戸惑うように、燐を見上げる翼。
だが彼女の耳には、翼の声は届いてないのか、雨の勢いは徐々に威力を増していく。

燐が、取り計らってくれているのだろう。
翼の周りにはぽっかり穴が開いたように水は避けて流れ、周りが水の壁に覆われてしまったので飛翔能力を行使して空中に浮かび上がれば、ベイブや白雪の結界の回りも水が避けて流れている事に安堵する。
水嵩が大の大人でも溺れてしまう程に増した時だった。

「キィィアアアァァァゥ!!」

天に向かって燐が吼え一気に津波を引き起こされた。

見る間に波に飲まれ、溺れる魔物達を見下ろし、燐は再び天に向かって吼える。
そして、一気に下降し、波間に漂う魔物達を噛み砕き、爪で引き裂き、それは恐るべき程の、威力を持って、魔物達を圧倒した。


(これが…燐の力……)

何がか弱き婦女子だ…。

呆れたように燐が自分を指して述べた言葉を思い出す。
そして、翼は風の報告が真実かどうか確かめるために、自分の胸に提げられたロケットの蓋を開いた。


「ああ……」


小さく呻く。

そこには、チーコに纏わる道行にて鳥取砂丘で、その姿を見た「呉虎杰」の写真が入っていた。


チェシャ猫は、呉虎杰と恋仲にあった。

あのキメラ達をDrが爆破したのは、翼達の援軍となる事によって、彼女の障害になると判断されたからだろう。

全てはチェシャ猫のために。
呉虎杰は愛しい女の為に、死の花を咲かせたのだ。

燐が津波を一旦引かせ、高い木の上に登り難を逃れたチェシャ猫の後を追っかけまくっていた。

しかし、「にゃぁ?!! こ、こっち来るにゃあ!! っていうか、竜になるなんて、反則だよ!!」と勝手なこと喚きつつ、床に降り立ち逃げ回るチェシャ猫は、かなり素早く、燐の竜の体で捕まえるのは困難を極めそうで、首を巡らせ翼に視線を向けてと「キァゥッ! キュゥ!!」と吼えてきた。

うん、何を言っているのか、全く分からない。


何か訴えているのは分るが、竜語が分かるはずもない翼は、それでもこの状況なので、つまりチェシャ猫は任せた!という事なのだろうと察し、チェシャ猫に駆け寄り、燐とすれ違い様に「凄い特技を隠し持ってたじゃないか!!」と感嘆の声を上げつつ、ぽんとその体を軽く叩いてやる。

「キァウ!」

うん、いや、だから、なんていってるか分んないよ…と思いつつ、まぁ、多分照れてるんだろうなぁという身の捩じらせ方をする燐は、翼の言葉に調子にのったのだろう。
縦横無尽に飛び回り、魔物達を掃討してくれる。
先ほど、燐を追い回しまくっていた魔物達を今度は逆に追い掛け回し、踏み潰し、払いのけ、牙にかけ、尻尾で叩いて、凄く痛快な活躍を見せる燐を背後に、翼は再びチェシャ猫と対峙する。

「竜なんて、ずるい!!」と喚くチェシャ猫に、「君達だって、たった数人を相手に、大軍投入してくるなんて、大人気ないからね」と嘯くも、燐の竜化なんて、翼には完全にイレギュラーの出来事で、自分自身、チェシャ猫を攻めあぐねていた最中の出来事だったから、余計に心強く思えた。

この勢いに乗ろうと、矢継ぎ早に攻撃を繰り出し、一気呵成にチェシャ猫を追い詰めに掛かる翼は同時に、先程風が齎した情報を頭の中で取りまとめる。

チェシャ猫と、虎杰が恋人同士だとするなら、ここにDrは一体どう絡むというのだろう?
虎杰の部下、ただそれだけである筈がない。

キメラに爆弾を埋め込んだのは、開発者であるDrに間違いないだろう。
となれば、その爆破スイッチも、彼が握っていた公算が高い。
この仮定が正しいのなら、彼は千年王宮を知っている事になる。
この場所を知らねば、「千年王宮に乗り込んできたキメラ」の始末等という事を、任せられる筈がないのだ。

「ああ…つまり……Drも…千年王宮の関係者なんだな……」

思案の最中漏れた翼の呟きに、チェシャ猫は笑みを深め「他所事考えてて勝てる相手じゃないよ? わっちは」と言いつつ、鋭い突きを繰り出してくる。

思わず仰け反る翼の目を不意に、金色の輝きが射た。

きゅっと目を細めた視界に、チェシャ猫が、細いレイピアの剣先で、翼が胸に掛けていた金色のロケットを引っ掛け、奪う姿が目に入る。

そんなに、大事なものなのか。


翼からロケットを奪い返したチェシャ猫が後生大事に、そのロケットを自分の胸に掛け、ぎゅっと両手で握り締めた。

「…わっちのよ。 他人の胸に掛けられたくない」

唸るようにチェシャ猫に言われ「返すよ」と素直に翼は言った。

「もう、必要な事は分ったから」

チェシャ猫は翼の言葉の意味が分ったのか、「素敵な人でしょ?」と聞いてくる。
「そうかな? 僕の趣味じゃない」
翼がそう、シレッと答えれば「…男の見る目がないよ。 翼」とチェシャ猫に、真顔で告げられた。

そんな事はない…ないよな…ないと…思う。

脳裏に浮かぶは、金髪の横柄・不遜・傍若無人な男の顔。

「うーん…否定できない…」と小さく呟いてしまった事を相手に知られようものならば、それも悶着の火種になってしまうだろうが、如何な地獄耳とて、異世界での呟きまでは拾えないというものだ。

不意にまた、鋭い風の警告を聞き、振り返れば、今まさに「うにゃ?」と、猫のように呟きながら、スタミナ切れで人の姿に戻った燐が、高所から床に落下しようとしている所だった。


とにかく、後手後手にまわってしまっていたのを反省し、風と相談の上、対処が必要と思われるところ全てに監視の風を配置しておいたのが功を奏した。

「にぃぃぃぃぃあああぁぁぁぁ!!!」

悲鳴を上げつつ落ちる燐に向かって、翼が指先を振るえば、ふわりとその体を風が受け止め、ちょいちょいと指先を折り曲げ、ベイブの元へと振るえば、燐の体もふよふよと指先の方向へと浮遊していった。

そのまま、その膝の上にぱふんと落とし、ベイブが確りと燐を保護するまで見届ける。

「わっちは、教えてあげないよ?」と言いながら翼の不意をつくチェシャ猫の攻撃をいなし、翼は辺りを見回して「とはいえ、君の連れてきた魔物達は、燐があらかた平らげてくれたみたいだ」と、辺りを指差した。

先ほどまで鬱陶しいほど数のいた魔物の姿が消えている。

心から燐に感謝する翼に、チェシャ猫は首を傾げ、「あーあー、ほんとにやってくれちゃった!」と少し悔しげに言うと、それから気を取り直したように「まぁ、いいか代わりはたくさんいるから!」と恐ろしい台詞をポンと吐いた。

代わり…?

「ねぇ、翼? この城の広さには限りはないの。 城主の心次第。 そして、この城の住人の数にも限りはないの。 狂気を必死に押さえ込む、ベイブの心に住まう魔物の数に限りがあるって思ってる? 人の心に棲む魔物だって、自分自身で抑えきれない程に多いのに、ベイブの心の中だもの。 全滅させたりする事なんで、出来る筈ないでしょ?」

勝ち誇ったように言いながら、地面を指し示すチェシャ猫。

その指先に視線を向ければ這い出すようにして、地面より、また、うぞうぞと魔物達が湧き出てくる様子が目に入り、翼は息を呑んだ。


這い上がった魔物達がまた、一斉に翼に襲い掛かってくる。

再びキリのない戦いに身を投じねばならなくなった事に対し、鬱屈が募りかけるものの、ここで諦めるわけには当然行かず、勝機を探り、翼は力を振るい続ける。

一陣の風が吹き渡り、翼の元へと辿り着いた。
ウラの元へと向かわせていた風だ。


もうじき彼女が戻ってくるという報告に顔を綻ばせ、続く内容に目を見開いた。


アリスを 連れてくる。


ウラが アリスを連れてくる。


それは朗報? それとも……。


天井を見上げる。

アリスはそこにいた。


呪われた魔女アリス。


アリスは此処にいる。


ならば、ウラがつれてくるアリスとは一体?


疑問を抱いたその瞬間、背後で強大な力の奔流を翼は感じた。

ベイブが、無意識ではないだろうか?と翼が思わずにいられないような、全くの呆然とした表情のまま腕を大きく振るう。


その瞬間、光の波のようなものが起こり、床から湧き出続けていた魔物達の一切、すでに生まれ出で、翼との先頭に身を投じていた魔物達も全て静止する。
チェシャ猫が「何?! 何なの?!!」と混乱したような声を上げた。
天井から、薔薇の花びらがハラハラと散り、落ちてくる。
翼は、視線を上げ、そして目を見開いた。


磔にされたアリスの腹から白い、子供の手が突き出ていた。
一輪の薔薇を握り締めているその掌から目が放せず、じっと凝視し続ければ、その手はずずずと腕を伸ばし、腕に繋がる肩が見え、体が見え、そして身を起こしたその姿を見て、翼は息を呑み、全身が震える。




「磔にされた女の腹から生まれ出でた」。



ウラが。




キメラ達との戦闘の最中、「アリスを迎えに行く」という謎の言葉を残して消えたウラが、磔になったアリスの腹から現れている。



ウラがずるり、ずるりと、身を起こし、その光景を見てチェシャ猫が、引き攣った声で叫んだ。


「アリス!!!」



白雪が、カッと目を見開きヒステリックな声を上げる。


「忌々しき、魔女!! とうとう、来た!! とうとう来てしまった!!」



夥しい程の量の薔薇の花びらが、ウラと共にアリスの腹から零れ落ちた。


それは、まるで、深紅の血のような…。


そのままずるんとアリスの腹から落下するウラを、翼は慌てて腕を振るい、強い風を吹き起こして、その体をやんわりと受け止めさせる。
そして、ふわりふわりとした速度で地上に降り行くウラを手を伸ばし、その体を抱きかかえるように受け止めた翼は、「どう…して…アリスのお腹から……?」と掠れた声で呻くように問えども、ウラは「フフン」と鼻で笑い「あたしに、どうして?なんて野暮な問い掛けは禁物よ。 ただ、あたしは連れてきただけ。 アリスを。 ベイブの想い人を」とだけ答え、それから、天井を見上げた。


大量の薔薇の雨が降り続けていた。

濃い緑色をした世界を、赤い薔薇が埋め尽くし始める。
足元にも、見る見るうちに薔薇のカーペットが敷かれ始め、グロテスクな色合いの植物達が、サラサラと白い砂に変じて崩れていく。


「…Good  mourning Baby」 

ベイブの背後から灰色の手が伸びる。
目を見開き、まるでそのまま倒れこんでしまいそうな程に仰け反るベイブの背中からまるで、生えているかのように、その身を出現させたアリスがベイブ顔を覗きこんだ。

「…ひっ! ひいっ!! いやっ! あっ!! ああっ! なんで?! アリス!! なんでぇっ?!! 何で?!!」

取り乱し、指差しながら叫ぶチェシャ猫に視線を送りアリスがにんまりと笑う。

「Good bye!  The Cheshire Cat」

そうひらひらっと、チェシャ猫に手を振り、それから白雪に笑いかける。

「Thank you Snow white」

ひらりと道化と同じ仕草で頭を下げ、また、アリスはベイブの顔をうっとりと覗きこんだ。

「…会いたかった」
  
ベイブが目を見開いたまま、アリスを凝視し続ける。


「寂しくなったのね、ベイビー。 あんたが呼んだ。 だから、ここまで来れた」

ベイブが引き攣けを起こしたかのように全身を痙攣させる。

見開いた目から涙が止め処もなく零れ落ち、半開きになった唇から不明瞭な呻き声とも、悲鳴ともつかない声がだらだらと流れ出た。

城がガタガタと大きく揺れた。

チェシャ猫頭を抱え「痛い!!! 痛い!! 痛い!!! いやだ!! 助けてっ!!!」と悲鳴を上げて転げ回る。
見渡せば、並み居る異形の生き物達も、皆、その身をのた打ち回らせていた。

これが、アリスの力。
いや、本来のベイブのこの城における支配力。


「さぁ、あの時言い損ねた言葉を頂戴」

アリスが乞い、ベイブが手を伸ばすと、その細い首に腕を回した。

ベイブが何度も瞬いて、それから、不意に真っ白な、無邪気な笑みをくしゃっと顔を歪めて浮かべると、その喉から紛れもない子供の声が飛び出した。




「ママ 大好き」




「♪Humpty Dumpty sat on a wall
 ♪Humpty Dumpty had a great fall
 ♪All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again」


合唱が聞こえる。


母親。


アリスは。

ベイブの。

母親。



愛してる…といっていた。
謎々だ。
帽子屋の。
そうだ、あれもウラが正解を見つけた。

ベイブはアリスを愛してる。
アリスもベイブを愛する余りにこの城に縛り付けた。


だが、今、ベイブがアリスを呼んだ。


「ママ」と。


翼は天井に貼り付けにされた、「本物のアリス」を見上げた。
へたんと、倒れこんでいた燐が「ふにゃぁ」と潰れたような声をあげ、「どういう事じゃ?! どういう事じゃ?! あのおなごは、ベイブの母御なのか? 何故、母御がこの場に?! この歌声は何じゃ?! そもそも、この城は…!!!」と疑問を並べ立てる。

実際、翼も喚き散らしたい気分だった。

一体、これは何?!と。


「母…親…?」


何度も、何度も瞬き、翼は掠れた声で呻く。

そして、秀でた美しい形の額を掌で押さえると、固く目を閉じ「そんな…」と震える声で呟いた。


では、この城は。

この歪んだ城は……「赤ん坊(ベイブ)を眠らせるアリス(母親)が作った揺り篭」。


千年、閉じ込めるための、赤ん坊が退屈しないよう、しこたま玩具を詰め込んだ、狂気のお城。



「…間違って…る…」
「何が?」
ウラは優しい声で問い返す。


「だって、彼らは…!」
「そうね。 でも、しょうがないわ」
「しょうが…ない?」
「今、この状況を打開するにはこの方法しかないって意味でもあるわ」


ウラは、一歩、二歩と足を踏み出す。


「ねぇ、翼。 それに、見て」

首をかしげてウラはクヒッと笑い、両手を広げてクルリと回ると、「さっきまでの世界より、今の世界の方がずっと綺麗!」と快哉をあげた。

まっしろな世界。

赤い薔薇だけが降り注ぎ続けている。

ベイブの真っ白な唇に、アリスの深紅の唇が重なった。



間違っている。

ウラが問うた「何が?」という問い掛けに答える術はない。

だが、あの口付けは決して母と息子が重ねるべき口付けではなく、おぞましい程に淫らな男女の接吻。


「It's Showtime!!!」とウラが叫んだ瞬間、チェシャ猫を残し、無尽蔵と思われた魔物達が一斉に掻き消えた。

「っ!! なんじゃぁ?!」

そう燐が喚く声を聞きながら、翼があたりを見渡せば、ウラの髪や、燐の髪にまるで、誰かの手がそっと挿したかの如く、一輪の薔薇が飾られた。
翼が自分の髪に手を伸ばせば、そこにも薔薇が挿されていて、翼は震える手でその薔薇を掴み、握り潰す。

赤い花弁がヒラヒラと散った。

子供の笑い声が響き渡り、不思議な音楽で世界が満たされる。



「Mother-Alice. 彼女が、この城の創造主。 物語の結末は、ここからよ」

ウラが、そう宣言した。



『かって、時の大魔女アリスは、自身が生きる悠久の時の中で、誰の子か明らかになっていない、一人男の子を孕み、産み落とした。 息子の名は【  】。
生まれながらにして数奇な運命と数多の謎を背負う、その子供は生後間もなく、聖CAROL教会が有する聖騎士団の手により保護されたが、自分の血を分けた、最愛の息子を奪われる事となったアリスは悲しみに沈み、時の迷宮の中で自らの心を癒す為に長い眠りについた。 【  】は、その間、母親から譲り受けた魔法の才と、誰かは分からぬ父譲りの剣の腕にて、騎士団にて頭角を現し、団長の地位にまで登りつめ、1700年代初頭に行われた《魔女狩り》にて、皮肉にも己の母の討伐を命じられる。 激しい戦いの中、宿敵としてお互いの正体を知らずに出会ったアリスと【  】は、更なる悲劇! 狂気と禁忌の恋に落ちてしまったのであった』(ロリィナ・アリス著 「千年魔法の構成理論」巻末付録 大魔女アリスの略歴より抜粋)


「所詮ただの幻が…」

震える声で、自分を押さえ込むように、白雪が呟く。

「幻…?」と燐が問い返せば、「…そう…アリスは、とっくの昔に、ベイブ様の手により封印されております。 ほら、あのように」と、天井の磔になったアリスを指差した。
「このアリスはただの幻。 ベイブ様がご自分の心の中に抱いている幻想なのです。 ベイブ様はアリスをどうしようもなく憎んでおります。 ですから、アリスの姿を目の当たりにせぬよう、アリスはベイブの心の深層に閉じ込められて、自由に動くことは叶わなかった。 だが、あのアリスは、それでも、ベイブ様のお傍に、浅ましく侍ろうとし、道化師の人形を依巫にして、この城の中でベイブ様に仕え続けていたのです。 ですが、ここに来て、とうとう、幻そのものが表層に上ってきてしまった…」

道化師……。

姿こそ一度も見た事はないが、今日何度も耳にした名前。
王宮の住人だという、その男は、随分と、今回の件で竜子達に協力しているようだが、そうか、その正体はアリスだったのか…。

とはいえ、それは本物のアリスとは別の、ベイブの心奥深くに棲まう、想い人アリス。

彼女は、ベイブが心に大事に仕舞い込んでいた、幻の母であり、恋人。


「う…そだ…アリス…が…来るなんて…そんなの…ありえない…ありえないっ!!」
悲痛な声をあげ、それからチェシャ猫は、翼から奪い取った金色のロケットを、ぎゅうっと握り締めた。

アリスが、ベイブから唇を離すと、ウラを見てにっこり笑った。


「…うちが出来るのはここまでや。 おおきに、ウラ。 やっと、この子に会えた。 やっと、この子を捕まえられた。 やっと、ずっと一緒にいれる。 この先は、あんたら次第。 あんじょう、気張りや」


そう言った瞬間、その体はベイブの背中に吸い込まれ、ベイブは仰向けに倒れる。

白雪が、自分の髪にも挿された薔薇を忌々しげに手に取ると、クルリと宙に翳し、そして後ろへ放り投げた。

「いずれ…ベイブ様の…お心から追い出してやる…息子を恋うなど…正気の沙汰のとは思えない…私が…ベイブ様を…お守りしなくては…色情狂の…気が狂った…魔女め…」
そうブツブツと思いつめたように呟きながら、ベイブが張っていた結界の外へと足を踏み出し、白雪は冷たい声でチェシャ猫に言った。

「さぁ? お前は、これからどうするの?」

チェシャ猫は目を見開き白雪を見つめ、そしてウラ、燐、翼に順繰りに視線を送り、何度も何度も瞬く。

翼は剣をチェシャ猫にむけて構え、燐もキッとチェシャ猫を睨み据えた。
ウラが腕を組んで「だーれもいなくなっちゃった! 誰一人もよ?」と言って「クヒッ」と笑う。

「脆いもんね。 あんなにたくさんいたのに、『ママ』一人に誰も勝てやしなかった! お前がベイブに齎した狂気なんてものはねぇ、アリス一人で吹き飛んじゃうようなチンケなもんだったのよ」

ウラの言葉に翼が「だから、彼女をここまで導いたの?」と問い掛けてくる。
ウラは一度頷いて「アリスなら、この状況を打開出来ると思った」と答え、それから、不意に表情を苦しげに歪める。 

「香奈は死んだわ」
「香奈? 誰じゃ、それは」

燐の質問にウラは「パパとママがいて、きっと、呆れる位平和に暮していた筈の、ただの女の子よ」と答えて肩を竦めた。

「クソっ垂れな奴らに捕まって、クソっ垂れな目にあって、クソっ垂れな殺され方をしてしまった。 あたしは、だから、怒ってるの。 そう、怒ってるのよ、お前、聞いてる? 容赦はしないわ。 どうしても、出来ない」

青い稲光が、バチバチとウラの周囲で瞬き始めた。


「どんな手段を使っても、あたしはこの城を守りたいと思ったし、可哀想な香奈の為にもお前の事は許せないと思った。 だから、アリスを連れてきた。 結果、お前は一人ぼっちよ。 誰もいない。 お前には、誰もいない!」

ウラが勝ち誇ったように告げれば、チェシャ猫は何度も何度も首を振り、金色のロケットを強く握り締めた。

「違う!!! いる!!! わっちだっている!! わっちの仲間が!! わっちの王子様がいる!!」


悲鳴のような声。


「自分達ばかり絆があると思うな! 自分達ばかり愛されていると思うな!! 自分達ばかりっ!! 自分達ばかりっ!!! わっちだって生きている!! 生きているんだ!!!」

涙を目に滲ませ身を捩らせるチェシャ猫に対し、翼は言葉を失うしかない。

許せない。

その思いに偽りはない。

だが、哀れだった。

その姿は酷く哀れだった。


翼は胸に上る言葉を噛み殺せず、悲しげな表情のまま「だったら!!」と血を吐くような声で言った。


「だったら、何故、君はっ!!!」


金色の髪をくしゃっと自分の掌で握り、苦しげに囁く。


「…どうして…人を愛する事を知っていて……他の人の命を粗末に扱えるんだ……!!」


呉虎杰。

あのロケットを、大事に大事に握り締めていた。

女の子の顔をして。
妖艶に微笑むよりも、勝ち誇って笑うよりも、人を嘲る時よりも、ずっと、ずっと綺麗な顔をしていた。


「…愛する?」


ウラが、翼の言葉に引っ掛かりを覚えたように呟く。

翼は一度頷いて、ずっとへたり込んでいた燐はよろよろと立ち上がった。



「そのロケットの中身の男が、お主の想い人か?」と燐が問えば、翼が震える声で呻いた。



「…K麒麟の首領…呉虎杰の写真が入っていた…。 君の想い人の正体は、彼で間違いないね?」


ウラがポカンと口を開き、燐も目を見開いたまま硬直した。
「なんじゃ、それは? 何故じゃ? この城の者と、何故、外の世界の人間が……?」

この先の疑問にはチェシャ猫よりも白雪の方が的確に答えられる気がして、彼女に視線を向ければ、嘲笑うような酷薄な笑みを浮かべたまま「所詮、猫は猫。 お前には王子様なんて訪れはしない」と囁いた。

そして一歩、一歩と、チェシャ猫に近付きながら、自分の胸に手を這わせ、そして、ずぶずぶと押し開く。



その瞬間、再び世界は一変した。



城と赤のコントラストで埋め尽くされていた世界が、万華鏡をくるりと回した時の如く鮮やかに変化を遂げ、鏡張りの銀色の世界に姿を変える。
四方が鏡に覆われた、その空間には、その四方にチェシャ猫が映し出されていた。


「逢瀬。 馬鹿な猫と馬鹿な男の、馬鹿な逢瀬の光景で御座います」

白雪が虚ろな声で、誰にともなく説明する。


一枚の大きな鏡に手を這わせ、チェシャ猫が頬を染めて向こう側を覗いている。
鏡の向こう側には、一人の年若い男がいて、チェシャ猫と同じく鏡に手をあてて、彼女と顔を突き合わせていた。

「鏡よ 鏡 世界で一番 美しいのは だぁれ?」

無邪気な声でチェシャ猫が問う。
鏡の向こうの男は少し笑って、それからチェシャ猫を指差した。

「ふふふ」と肩をすくめ、掌を唇に当てて「嘘。 違うわ」と言って、それから自分の猫の耳に手をあてる。

「だって、こんなものが生えてる」
男は首を振って「関係ないよ」と囁いた。
「尻尾もあるのよ?」
「それも、可愛いじゃないか」
「わっち、人間じゃないの。 お城の化け物なのよ?」
「それでも、お前は美しいよ」
男の言葉に、また「ふふふ」と笑い、それからピタリと鏡に張り付く。

「世界で一番?」
「ああ、世界で一番」
「わっち、お姫様になれるの?」
「俺がしてやる。 お前をお姫様に」

何度も何度も瞬いて「約束」とチェシャ猫が言えば、男も頷き「ああ、約束だ」と答えた。


「…鏡は…お前ね? 白雪」

確かに、現世と、この城を繋ぐ鏡など、彼女以外にありはしない。
ウラの問いに、白雪は案の定頷き「私が自我を持つ事を許されたのは極最近の事ですから…、この頃は、ただ『全てを見通す鏡』として存在しておりました。 しかし、この頃私が見聞きした出来事全て、私の記憶の中に確りと存在しております。 チェシャ猫は、私を通じて、あの男と出会い、そして愚かにも恋に落ちた」と冷ややかな声で言う。


「愚かなチェシャ猫の為に、あの人間の男は、この城を手に入れるありとあらゆる方法を探した。 少しでも城に近づく為に、力を手に入れようと裏の世界に身を投じ、チェシャ猫に会いたい一心で、組織のトップにまで登り詰め、そして、彼女と同じ『獣』と『人』を融合する技術と知識を有した一人の男を自分の傍らに置いた」

「それが……Dr…」
翼が掠れた声で呟く。
ウラは細い指を顎にあて、「…つまり、Drも、この城に何らかの関わりのある人間だという事でいいのかしら?」と白雪に問い掛ける。

翼は、Drと城に何らかの関わりがあるのであろうことまでは察していたが、それが一体どういう関わり合いかまでは風の力で探りきれず、白雪の答えを息を呑んで待つ。

白雪は頷くと、「Dr…当時の名は『ハンプティ』。 あの男も、数奇な運命の果てに、この城に辿り着いた愚か者では御座いました」と密やかに笑う。


ハンプティ・ダンプティ。
壊れた巨大な卵。


「今は、ジャバウォッキーと女王がぬけぬけとベイブ様のお傍に侍ってはおりますが、以前は、チェシャ猫とハンプティが、その座にいた時期があった。 永きに渡って、この城が狂気と殺戮に満ちていた時代です。 あの男は、ジャバウォッキーと同じく、切なる願いを抱いてこの城に導かれた。 あの男の望みは、唯一つ。 己の妹の命を救う事」


妹…?
少し首をかしげた翼は、「まさか…」と呟き、チェシャ猫に視線を送る。


「彼は、生まれた折より不治の病を患い、成人を迎える事なく死出の旅へと送り出される事が運命付けられていた自分の妹を、別の生命体と融合、合成させる事によって、命を救おうと医学の限界に挑み破れていた。 何度もの人体実験。 人を攫い、動物と掛け合わせては、数多もの陰惨な死を齎していた、死神。 あの頃の日本は、今よりも闇が深う御座いましたから、実験材料は簡単に攫えたようでございます」

淡々と説明し続ける白雪の言葉に、街燈等というものの存在しない真っ暗闇の中、人を攫い続ける白衣の男の姿を思い浮かべて、「まるで…怪談だな…」と小さく呟く。

「…されど、現代医学ですら為し得ていない人と動物の合成なぞ、その時代に成功する筈は御座いません。 彼は、殺人鬼と成り果て、狂気の人体実験の果てにベイブ様に出会い、そして乞うた。 キメラを作る術を。 人と動物の合成を作る為の技術を。 ベイブ様は、その望みに答え、そして、その結果生まれたのが……」

白雪は、そこまで言ってチェシャ猫を指差し「…あの愚かな猫で御座います」と嘲笑うように告げた。


「幾人もの死の果てに命を繋いだ呪われた娘。 その後、ジャバウォッキーに出会う事によって、変遷を遂げたベイブ様の手によりハンプティはこの城から放逐され、チェシャ猫は深層奥深くへと閉じ込められました。 その頃は、まだ、深層にてただの鏡として存在していた私を通じ、チェシャ猫は、あの男と通じ合い、そして、この城の簒奪という恐ろしい目論見を企てた訳なのです」

これで、何もかもが腑に落ちたと翼は一人頷く。
そして、チェシャ猫のある種不憫の身の上を、なまじ聞いてしまったが故に、自身の胸中に迷いのようなものが生まれた事を否定できなかった。

不治の病の身の上で、兄に命を救われようとも、それは多大の死の果ての命。
この城の中で狂気の日々を送り、そして今度は城の奥深くに閉じ込められた。


彼女に善悪を教える人間はいたのだろうか?
彼女に世の理を知る術が会ったのだろうか?
今の姿、今の彼女は全て、不遇の果てに辿り着いたものじゃないだろうか?


「しかし、本当にふざけている。 汚れた、醜い、化け物風情が。 この城で、ベイブ様に侍り、更に幾千もの死を喰らったお前に王子様が来るだなんて、そんな筈ないのに」

チェシャ猫の目に涙が溜まっている。

「違うわ! 来るもの! あの人は、絶対に、来る! そして、このお城で、わっちはお姫様になって、王子様とお兄様と一緒に、ずっとずっと幸せに暮らすの。 その為ならなんだって出来る。 どんな事だって厭わない。 悪い王様は、地下牢に閉じ込めるの。 魔女は、熱い鉄の靴を履かせて殺してやる。 お前は!!」

白雪を指差し、チェシャ猫が唸る。


「お前は、その身を喰ってやる。 ソテーにして、美味しくね」

唸るチェシャ猫を眺めながら、翼の思考は錯綜した。

許せないのは確かだった。
キメラの死。
あの人達には、あの人達の生活があった。

それを突如奪われ果てた。


しかし、ではチェシャ猫の罪はなんだ。

彼女の為に齎される幾つもの死の責任を彼女に求められるのか?
チェシャ猫は生きてるだけだった。
ただ生きてるだけだった。

生きるために、たくさんの犠牲が生まれ、生きるからこそ人々が彼女の狂気の生贄となり、生きているから彼女はたくさんのキメラが死ぬ事になった。

彼女の罪の名は「生」か?
生きているだけで罪な命があるのか?

僕が彼女を討つ理由はなんだ?

断罪か?

息がうまく吸い込めなくなり、ひくり、ひくりと細い喉が蠕動する。


悩むな。
結論は出ている。
彼女を殺さねば、この城は救われないんだ。
約束した、竜子と。
デリクや、曜とも約束した。

僕は負けてはならない、許してはならない、殺さねばならない、殺さねばならない。

泣き出しそう顔が歪んだ。

チェシャ猫は純粋だった。
狂っていたが純粋だった。

だから、翼は…。


優しい翼だから。
ただ、ただ、優しい翼だから。


理由なき悪など、ない。
物語にしかない。

悪の限りを尽くそうとも、罪を犯す人間には、それぞれが、それぞれに、何某かの理由があり、事情がある。


チェシャ猫の理由は生まれてきた事。

その事こそが罪。

ロケットを握り締めたまま、小さく震えているチェシャ猫の掌を、自分の掌で握り締めてやりたいと願う。

女の子が困っていた。


そこには女の子がいて、翼は困っている女の子の味方で、いつだって、無条件でこの手を差し伸べてきた。

翼は無意識のうちに、何度も、握り締めたり、開け放したり、落ち着きない仕草を見せる。




どうしたい?
どうしたいんだ、僕は。



燐が、口を開いた。
困ったように。
悩んでいるような声で。

「どんな事を…しても良いなんて…そんな筈はなかろう」

チェシャ猫を見つめながら、困り果てたような顔のまま、それでもはっきりと言った。

「それは、間違いじゃ。 猫よ」

最初の頃に見せた、強引で、我が道を行くような声音ではなく、自分でも迷いながら、それでも、信じている言葉を自分自身にも言い聞かせるように燐は口を開いた。


「自分の欲望のために、人を踏みつけにするような事はあってはならん。 他人の犠牲の上に、為される大儀等ありはせんのだ。 人を愛した。 その事が罪なのではない。 人を愛したその気持ちを…何故…お主はもっと……もっと優しい事に…」


それは、翼の心に染み入るような言葉だった。
例え、チェシャ猫には届かずとも、翼には真っ直ぐに届いていた。

「うるさい!!! うるさい!! うるさいっ!!!」

頭を振り、ヒステリックに喚いたチェシャ猫が、レイピアを振り回すようにして、翼に突進してくる。


「…君は…あのキメラ達をどう思ってるんだ?」


滅茶苦茶な攻撃。
それは、最早翼にとっては何の脅威でもなかった。
青ざめたまま、チェシャ猫の必死な攻撃を受け流し、静かな声で問い掛けた。

「彼らがあんな風に死を迎えた事を、君はどう思った?」

僕は、どんな答えを期待したって言うんだろう?

「どう…って?」

チェシャ猫が、まるで思いもよらない事を聞かれたという風に首を傾げる。



「それは、お兄様がやった事を言ってるの?」



キンッ!と高い音を立てて剣と剣がぶつかりあい、小さな火花が散る。
抜き様に交差し、間髪入れずお互いに振り返り、再び剣を構えた。

「だって…しょうがないじゃない? わっちがお姫様になるのを邪魔してきたんだよ? お兄様は、わっちを、怖い事や、辛い事から守ってくれるってお約束してくれているんだ。 所詮、お兄様の手によって作られた存在の癖に、わっちに牙を剥くだなんて、生意気だわ。 馬鹿げてる! なぁに? 翼? どうして、そんな事を気にするの?」

ふふふっと笑いチェシャ猫は、狂った声で「変な子ね。 翼。 頭がおかしいんじゃない?」とのたまい、その瞬間、翼は、ああ、この猫の心は、完全に狂い果てているのだと悟った。


四方の鏡に映し出される男が言う。

「何があっても、迎えにいく。 どんな事をしてでも、お前に会いにいく。 待っててくれ」

鏡越しに、チェシャ猫と男が口付けを交わした。


美しい思い出。

猫の、大事な思い出。


この美しい思い出が作り出した、罪は余りにも重い。


呪われた恋。


そういう恋もあるのだろう。

だが……。


「もう、我慢ならん!!」

そう言いながら、燐が地団太を踏む。

「お主のような女が、燐はいっちばん嫌いなのじゃ!!!」

そう喚き、それから、キッとチェシャ猫を睨み据えた。
「甘ったれてんじゃない!!」
燐は、鏡の中のチェシャ猫を指差してそう叫ぶ。



「誰かを傷つけなきゃ、誰かを踏みつけにしなきゃ、自分の望みを叶えられないなんて、んな筈はないじゃろう。 それは、白雪の言う通り、愚か者のすることじゃ! 弱虫のする事じゃ! 阿呆のする事じゃ!! このお城がいやだというのなら、こんなトコで、男が迎えに来るの待たずに、とっとと逃げ出す術を探すほうが、ずっと、ずっと賢明なのじゃ! 祈ったって! 助けを求めたって! 届かない場所はある…! だが…お主はいかん…一番いかん事をした…!」
「じゃあ! どうすれば良かったっていうのよっ!」

チェシャ猫の問い掛けに、燐は即座に答えた。

「そんなもん、知らん」

あっけらかんとしてすらいる燐の物の言いに、チェシャ猫が思わず言葉を失う。

「皆、それぞれに絶望を知り、苦労をし、辛い目にあって、それぞれに這い上がっている。 皆、自分で考えた。 自分で道を切り開いた。 燐も、翼も、ウラもじゃ。 他の二人の事は、燐も今日出会ったばかりで、そうそう、何も知る事はないのだが…多分そうだ! うん、いや、知らぬのだけど、この冴え渡る第5感が言っておる!」
言い募る燐に、とりあえず、呆然としつつも、最早条件反射となっているので、「そこは、何故…普通に第6感じゃ駄目なのかな?」と、律儀に突っ込んでしまう翼に、何故か、意味もなくブイサインを返した燐は、そのブイサインのポーズのまま、言葉を続けた。
「どうしようもない、足掻きようのない絶望もあろう。 やり直しが聞く失敗の方が世の中には少ない。 そんな事は、燐とて知っておる。 だが、聞く限り、お主の置かれた状況が、殺戮に走るに足る絶望を齎していたとは、燐にはどうしても思えん。 いや、違う。 猫よ。 例え、どんな理由があろうとも、人の命を奪う事は許されぬ事なのだ。 だから…」とそこまで言って言葉を切り、燐は真摯な目で翼を見つめてきた。

「背負う。 燐も。 翼、お主は優しすぎる。 だが、今は、迷う時ではない。 一緒に背負う。 行け。 もう、救えん。 救えんよ、この猫は。 裁く等とおこがましい物の言いはせん。 だが、こやつは殺し続けるだろう。 罪もなき者達を、無垢な命を…、後戻りはせん、もう、心は彼岸を渡っておる。 そういう命もある。 行け。 肉体も、心に添わせてやれ。 燐が…許す」


それは、まるで、託宣の如く、城に響き渡り、その覚悟にウラが微笑みながらパチパチパチと拍手しながら小さく「ブラヴォー」と呟いた。


「…翼。 あたしも背負うわ」

微笑を深め、翼に囁く。

「もし、貴方が辛いのなら、いっそ、全部あたしに背負わせたって構わない。 あたしは悪い魔女よ。 誰かに責められる時があったなら、魔女にたぶらかされたって仰い」

そう告げられて、翼は首を振り、幼い二人に、こんな重い荷物は渡せないと思いながら「…違う。 これは僕の罪だ。 君達には、微塵も背負わせてなんてあげない。 大丈夫。 僕は、僕の役目を果たす。 それだけだ…」と呟き、それから、その真っ青な瞳は、チェシャ猫を貫いた。

「…行くよ」

翼の言葉に、チェシャ猫は、まるで、今までの狂乱が嘘のように静かな静かな表情を見せ、翼の顔を正面から見つめる。


「…ごめんね。 君にもっと早く出会えていれば、僕は君を救ってあげられたのに。 寂しい場所に、ずっと一人ぼっちにし続けた。 大丈夫。 お姫様。 迎えに来たよ。 僕が」

悲しい顔。
優しい声。
痛みに堪えるかのように、翼はぎゅっと剣の柄を握り締める。

君を殺すことで君を救おう。


君の王子様に なる 僕が。




「…翼…ありがとう。 でも、あんたじゃないんだ。 わっちの王子様は、ずっと前から決まっていて、その人のお姫様にしか、なりたかないんだ。 だから、わっちは行けない」


チェシャ猫は、静かな、静かな声でそう告げて、それからレイピアを構えた。


「あの人を、待っている。 そういう約束だから」


彼女は、ずっと、この約束を信じて生きてきたのだろう。
この狂気の城で、自分自身も狂いながら。

「約束したもん。 分かんないよ、あんたらには。 ずっとこの場所の深層で、閉じ込め続けられる寂しさなんて、分からない。 いきなり、深層に追いやられて、真っ暗闇の中で一人ぼっちだった。 王子様だけが、わっちの光だった。 狂ってる。 そりゃあ、そうだよ。 だって自分の息子に恋をするような女が生み出したお城に住んでいるのだもの。 だけど、あと少し。 あと少しで、救われる。 わっちも、この城に棲んでいる者達、みんなもよ? 王子様が助けてくれるの。 そして、わっちをお姫様にしてくれる。 王子様は、このお城の王様になるの。 ずっと昔からの約束なの。 わっちは、あの人に会いたいだけなの。 この城に閉じ込められている、わっちを救い出してくれるのは、あの人だって決まってるの」

言い募り、そして唇を噛む。

「邪魔しないで」

そう告げると、銀色のレイピアを振りかざし、チェシャ猫は一気に駆ける。
翼も剣を構え、そして、二人はぶつかり合った。

喉元を正確に突きに来るチェシャ猫の剣先を下から掬い上げるように跳ね上げれば、くるりと、翼の背後に回りこむように半回転し、肘を素早く、その後頭部に打ち込もうとしてくる。
翼が、身を屈め、その肘を掴むと、体を添わせるようにして、片腕だけで、その体を投げ飛ばした。
クルンと身軽な様子で宙返りし、着地から間髪入れずに、また翼に突き込んでくる。
翼は指先を振るい、風でその突進の速度を落とさせると、指先で、一瞬自身の剣を撫でた。

この場に流れた数多の血を、退魔の力として剣に宿す。
その瞬間、剣の色が紅玉の如き赤色に染まり「行けっ」と翼が命じるかのような声で言いながら剣を振るえば、まるで羽を広げた鳥の翼の如き赤い斬撃がチェシャ猫の腹に命中した。

「ひにゃあっ!!!」

為す術もなく吹っ飛ぶチェシャ猫を見送り、銀色の色に戻った剣を構え、翼はこの力の源となったキメラの魂に「ありがとう」と小さく呟くと、「君達が無碍にした命の力だ。 痛いだろう? でも、彼らはもっと痛かった」と震える声で言った。


「燐の言う通り、僕だって裁くなんて言うつもりはない。 『殺す』んだ。 君を『殺す』んだ。 自分を誤魔化すつもりは毛頭ないよ」

翼の声に、ゆっくりと腹を押さえたままチェシャ猫は立ち上がり「わっちと一緒になるんだね。 翼も」と薄く笑う。
翼はコクリと頷くと、再び銀色の剣を指先で撫でた。
紅く染まる剣。
チェシャ猫は目を細め、「ああ…本当は…綺麗なまんまで…王子様に会いたかったけど…しょうがないね…翼強いんだもん。 このままじゃ、わっち、お姫様になれない」と言い、そして、チェシャ猫は胸の谷間から「人間の耳」を取り出した。


「これは…王宮の鍵…」


その瞬間、跳ね起きるようにして倒れたままだったベイブが起き上がり、自身が腰に差してあった大剣を抜き去ると、無言のまま横なぎに勢いよく振るった。

凄まじい検圧が巻き起こり、翼は体が吹き飛びそうになるのを、自身の風を操る力を行使して、その勢いを和らげる。


「…誠と竜子がいるから お前は もう いらない」


ベイブが子供のような声でチェシャ猫に言った。


剣圧に吹き飛ばされ、ガン!と強く壁に背中を打ち据え、床にへたり込んだチェシャ猫が、肩を揺らしながら小さく笑う。

「それはわっちの台詞さね」

そして、鋭い爪で、自分の着ているスーツの太ももの部分を引き裂き、滑るような色合いをした、その艶めかしい皮膚に小さく開いた穴に、その耳たぶを突っ込んだ。


「っ…あれは…何を?!」

振り返り、白雪に問う翼に「ジャバウォッキーや、女王が持つ『小指』と同じ、現世とこの城を繋ぐ鍵です!! 自身の肉体の一部を、現世に住まう人間が、この城の奴隷となった際、その証として王宮の鍵の力を付与しているのです!! ハンプティからは、放逐の際に取り上げてはおりましたが、あの猫は、未だこの城の住人ゆえ、鍵を返させる事が叶わなかった…!」と白雪が常にない焦った声で説明する。

「お前! 何を…『呼ぶ』つもりなの?!」

白雪の問い掛けに「見通して御覧なさいな。 その鏡で」と嘲るように言い放ち、差し込んだ「耳」の鍵をガチャリと捻った。


「深層では現世に扉を開く事は叶わなかったけど、表層まで来れば、この『鍵』を使う事が出来る! さぁ、よくも、離れ離れにしてくれたねぇ、あんた達。 何を呼ぶかなんて、決まってるでしょ? 『鍵』で王宮に任意に招く事が出来るのは、『鍵』の使用者の血縁関係にある者だけ…!」

にたりと笑って、チェシャ猫は高い声を上げた。


「お兄様っ!! わっちを助けてっ!!」


まるで、チェシャ猫の呼び声に応えるかのように、床に眩く光る円形の文様が浮かび上がる。

青白い手がゆらりと這い出され、そして、床に手をつくとぐぐぐっと、一人の男が現れた。

血に塗れ、陰惨な表情をした、異様に目玉の大きな小男が、まるで悪魔が召還されたの如くのおどろおおろしい様子で這い上がり、ゆっくりと床の上に立つ。
血飛沫の跡が残る白衣を翻し、男はチェシャ猫を振り返ると、満面だからこそ不気味な不気味な笑みを浮かべ、その体を抱きしめた。

あの男がDr。
何て禍々しい姿。

「何年ぶりでしゅか? あの忌々しい王様に引き離されてから」
「もう、覚えてないよ。 でも、もうじきだよ。 もうじきだよ、お兄様。 王子様と、わっちと、お兄様が、ずっとこのお城で暮せるようになるまで、あと少しなんだ」

チェシャ猫が、うっとりとした声で言う。

「そうしたら、また、あの時みたいに毎日愉快に過ごそうよ。 血の海の中で、思うがままに、人間を玩具にして」

狂気の微笑を浮かべあう姿にウラが、Drに向かってタン!!と強く足を踏み鳴らし、雷を落とした。
その瞬間、Drの背中から大きな蝙蝠の翼が生え、チェシャ猫と自分ごと覆い、その雷を撥ね退ける。

自らもキメラ化させているのか?!

「っ!! 燐!! あたしに血を!!」
自分の力を増強しようと目論んでだろう。
ウラがそう言いながら、燐の元へ走り寄ろうとした瞬間、Drが無造作な調子で燐とウラの間に小さな黒い球体を投げ込んだ。


「っ!! 危ないっ!!!」


闇雲に危険な予感に、翼が悲鳴めいた声をあげ、そして、右手を大きく振る。
その瞬間、二人の間で炸裂した爆撃から守るように風の壁が立ちはだかり、ウラは爆撃に煽られ仰向けに倒れた。

「ウラ!! 燐!! 大丈夫かい?!」

翼の問い掛けに「こんなもの、なんでもないわ」と憎まれ口を叩きながら、ウラがヨロヨロと立ち上がる。
燐が、掠れた声でそれでも「大丈夫じゃ!」と返事をする声が耳に届き、ウラは微かに安堵した。
白い煙が上る最中「にゃぁうっ…」と低い地を這うような猫の声が聞こえてきた。


ガリリガリリと不可解な音が聞こえてくる。
その不穏な音に、ウラが目を見開き、視線を向ければ、そこにはピンクと紫色の縞模様の、見上げるほどに、大きな大きな猫がいた。


「にゃぁぁおうぅうぅうぐるるるぅぅぅ…」


低く唸る声が空間を揺らす。
鋭い牙を剥き出しにし、尖った爪で何度も、何度も床を引っ掻く。



「…これが、この子の本来の姿でしゅ。 可愛いでしょう? 僕は、充分この姿のままで良いと思うんでしゅが、猫ちゃんがイヤだって我が儘を言うものだから、お薬で女の子の姿に止めてあげていたんでしゅ」


長い尻尾が、ゆらりと揺らめき、Drの体に緩く巻きつく。
その柔らかな毛に頬を摺り寄せ、Drは「でも…この姿にならなきゃ、勝てない相手がいるようでしゅね…。 中和剤を、さっき打たせて貰いました。 猫ちゃんは、しゅごく、しゅごく強いんでしゅ。 何てったって、僕が全霊を込めて作り上げた傑作でしゅからね。 あなた達には勝てましぇん。 何があっても」と勝ち誇る。

「にゃあおう」と、チェシャ猫はまた鳴くと、ゆっくりと翼達を見下ろし、にいいっと猫にあるまじき、歯を剥いた陰険な笑みを浮かべ、そして手を振り上げた。


「っ!!! 喰らいなさい!!!!」


そう言いながら、ウラが手を叩き、くるりと回って雷撃を猫に落とす。
翼は再び血の魔術を行使して、剣を紅く染め、斬撃を放った。

だが、その身の巨大さと、厚く覆われた体毛に弾かれ、肉体にまで攻撃が届かない。
燐が、歯で自分の指先を噛み切ると、その指先をウラに突き出した。

「早く!!!」


燐に呼ばれ、また駆け寄ろうとするウラの足元に、チェシャ猫の長い尻尾が打ち据えられる。

翼が風の斬撃で、その尻尾を切り裂こうとすれば、腕を伸ばし、横薙いで、翼の体を弾き飛ばそうとしてきた。
咄嗟に、その攻撃を避けた翼の目に、派手に転ぶウラの姿が見える。

「きゃあっ!!!」

悲鳴をあげ、転んだその体に、チェシャ猫が振り上げた掌を打ち下ろそうとした。

神の速さで駆け寄ろうとするより早く、ウラを打ち据えた尻尾がシュルリと翼の足首に巻きつき強く後ろに引っ張る。


「うわぁ!!」

叫び、後ろに吹っ飛ばされる最中に飛翔の能力を行使して、その勢いを殺せど、チェシャ猫の攻撃の手は既にウラに向かって振り下ろされている。

「っ!!!」

咄嗟の行動なのだろう。
燐が、その体の上に覆いかぶさり、二人の少女は身を寄せ合いながら、チェシャ猫の攻撃の下に晒されていた。


「やめろおおおっ!!!!!!」



翼が悲鳴を上げたその瞬間、ベイブが「やむをえん!!!」と怒鳴り、そして「来い!!!!」と何かを手招きした。

先ほどチェシャ猫が作り出したよりも遥かに大きな白く光る文様が空中に作り上げられる。


極彩色の翼が、文様から生えるように開かれ、その羽を撒き散らした。

背中が大きく開いた金糸にて龍の刺繍が大胆に施された光沢のある中国服を身に纏った男が、ゆっくりと現れた。
黄金色の、波打つ目に眩しい程の光を放つ髪や目は、見るものの目を射るのに、見つめ続けていたくなるような、それでいて畏怖の念を抱かざる得ない程の輝きに満ちている。


キメラではない。

そんな不自然な生き物ではない。


金色の角が、頭部より二本生えている。
首筋や、肘より先の腕が金色の鱗で覆われていた。

金の燐粉を振りまいているかの如く、その身の周囲がほんのりと黄金色に輝いて見える。

白い肌。
赤い唇。
酷く美しい顔をしているが、翼は、何だか見覚えがあるような気がして、まじまじと凝視する。

確かに見覚えがある。
銀色の髪に、赤い目をした、何かと騒がしく、だが気になる知人の少女の婚約者。
「幇禍」という男によく似ていた。

だが、余りに身に纏う空気が違いすぎた。

全くの別人であると判断せざる得ないその男は、床に下り立ち、まるで、辺りを睥睨するかの如く首を巡らせ、赤い唇を曲げて、緩やかな笑みを見せる。

チェシャ猫が、硬直したまま、その姿に魅入られていた。


「さぁて……逃げても無駄だぜ?」

嘲るような声だった。

「『神の目』からは、逃れられねぇ。 例え何処へ行こうともだ」


そう言いながら、スタスタ歩く男の隣に、白い文様から次いで、表れ、まるで、男に従うかのように赤い血にところどころ染められながらも、白と黒の縞模様も美しい真っ青な目をした羽の生えた虎が下り立ち、Drを見据えながら歩く。
その後ろをパタパタと、何だか、やけに汗まみれになりながら、肌色の肉団子に小さな手足が生えたような、不可思議な生き物が飛んでいた。

「観念しろよ。 この、畜生」

そう言う男が羽を広げ、まるで、ふざけてるみたいな声で「神の裁きって奴を味わいな」と言い、自分の言葉を馬鹿にするかのように、「ケケッ」と奇妙な声で笑った。

翼は、チェシャ猫が男に圧倒され、立ち竦んでいるのを確認し、一体何者なんだ?と凝視する。

「あなた…何者?」
ウラが高飛車な声で呼びかければ、男は彼女に視線を向け、にたっと笑って「神様だよ」と告げた。

「…神様…?」
掠れた声で燐が呻く。

「馬鹿な…」

翼が目を見開いたまま「君は…幇禍さん…ではないね?」と確認すれば、「違うね」とにべもなく答える。
「あいつと、俺は全く違う。 てめぇは、幇禍の知り合いか?」
男の問い掛けに、翼は頷くと、「じゃあ、君は…?」と問い返せば、面倒臭げに「…だぁから、言っただろ? 神様だって。 ま、どうしても、呼び名が知りたいってぇなら、舜・蘇鼓と呼んでくれ」と答える。

ふざけた答えではあるが、強ち嘘と笑い飛ばすには、登場のタイミングから、その姿に至るまで、何から何まで出来すぎてて、翼は、最早、蘇鼓の正体などどうでも良いと思っている自分に気付く。

神様だろうが、悪魔だろうが、関係ない。

彼が間違いなく二人の命を救ってくれた。

この事態を打破できるのなら、何にだって握手を求められる気がした。

ついと、蘇鼓がウラと燐どちら共に視線を向ける。

「保護者が随分心配してたぜ?」

なんだか、笑みを含んだ声。
「くれぐれも力になってやってくれって頼まれちまったぜ。 俺を此処に送ってくれた、いんちき臭い魔術師と、曜にな」
肩を竦めて言われ、いんちく臭い魔術師とはデリクの事であろうと、若干彼に失礼なくらいの速度で、すぐに察する。
敵か味方かすら、いまいち判じかねていた蘇鼓が、彼らによって遣わされたものであるのならと、翼は心から安心した。
燐も「曜先輩は無事なのじゃな?!」と、顔を輝かせており「ったく、やっぱ、人間は訳が分かんねぇ」と言って、蘇鼓は少しだけ困った顔をした。
「なんで、てめぇ以外の他人をそんなに大事に出来んのか、俺には理解不能だよ」と言いながら、少しだけ寂しげにも見える、その美しい顔を凝視すれば、さっと色を刷いたように、愉快でたまらないといった風な悪餓鬼めいた表情に一変させ、漸くチェシャ猫に向き直る。
そして、恐れる様子もなくチェシャ猫のすぐ前までスタスタと歩いていくと、「で? 何、これ? 化け猫?」と言いながら、その巨体を指差した。

チェシャ猫の傍らに立つDrに、蘇鼓は「それとも、てめぇが創ったの? こんな悪趣味なもん」と言いながら、ケケケッと喉を鳴らす。

「おっもしれぇ。 竜子、こんなんがいるトコで暮してんの?」と愉快気に言うと、「フーッ!!」と唸り声をあげる猫に向かって、「躾がなってねぇなぁ!」と楽しげに毒づいた。


「…力を貸してくれるんだね?」
翼が問い、「ま…約束したからな」と、蘇鼓が答えた瞬間、彼の傍らにいた白い虎が、我慢しかねるといった様子で一声吼えると、一気呵成にDrへと飛び掛った。
チェシャ猫が腕を振るい、虎を叩き飛ばそうとすれば、その攻撃を、羽を羽ばたかせ高く飛び上がり、素早い動きで避けて、Drに迫る。
Drも自身の羽を使い、高く飛べば、笑いながら、「虎しゃん、そういえば、お前生きてたんでしゅか! あはははっ!! それは、それはっ!! なんて、生意気なんでしょう!!」と言いながら、燐とウラに投げつけてきたものと同じと思わしき、球形の爆弾をバラバラと一気に撒いた。

パン!!!っと、ポップコーンが弾ける音に良く似た、しかし、よっぽど鼓膜を揺るがす轟音が連続して聞こえてくる。

「時間が…ないわ!! ベイブ!!! あたし達を守りなさい!!!」


ウラがそう叫べば、ベイブが物憂げな仕種で、それでも、指先で複雑な文様を宙に描けば、チェシャ猫とウラ達の境界線上に光の壁が立ちはだかる。
防護壁は、Drの爆撃を防ぎ、こちらに向かって踏み出そうとするチェシャ猫の体を押し止めていた。


「ただの時間稼ぎなど、無駄な足掻きでしゅ!」


そう吼えるDrに視線を送りベイブは、醒めた眼差しで「煩い」とだけ呟く。
「喚くな、頭が痛くなる…」

掠れた声。
未だ本調子でないのだろう、視線が不安定に彷徨い、胸の辺りに手を這わせると「胸がざわざわする…」と呟いた。

バチバチバチ!!っと、電撃音がし、チェシャ猫が「うにゃん!!」と悲鳴のような声をあげて、光の壁から飛びずさった。


「自身の力を、制御…出来ていないのか?」

眉を潜め燐が言うのに、ウラが頷く。
アリスとの邂逅により、自身の力は増し、支配権こそ取り戻したものの、彼女を自身の体内に吸収した影響もあり、己の力をコントロール出来ずにいるのだろう。

「…はぁっ…はっはぁっ…っ!!」

ベイブの額に汗が浮かんでいる。
視線がまたブレ、バチバチと光の壁が暴走する。

突然ウラが、そんなベイブに走り寄ると、その腕を掴み、必死に揺すって「もうじきよ!!」と怒鳴った。

「もうじき、デリクが女王とジャバウォッキーを連れてきてくれるわ!! だからっ!! だからっ!!」

ベイブの視線がぐるりとウラを眺め、それから小さな声で「ウラ…」と呟く。
ウラを視界に納めた瞬間、ベイブの光の壁の暴走が少し穏やかになった。

「…そうよ…大丈夫。 あなたは一人じゃない。 味方がいる。 大丈夫」

呪文をかけるかのように、ウラが、ベイブの目を見て、何度も、何度も呟いている。

「きっと、デリクが誠と竜子を連れてくるわ。 デリクが来てくれるの。 そうよ…だから、大丈夫…大丈夫よ…」

声が震えていた。

無理もない。
ウラは今日一日とてもよく頑張った。
日頃の言動が余りに高飛車で、生意気だから忘れがちになるが、それでもまだ彼女は年端の行かない少女なのだ。

顔が歪み、今にも泣くかと思われたその矢先、にいっとウラは唇を裂いて無理矢理のように笑った。


不敵な、生意気極まりない笑み。
何だか、アリスの笑い方にも良く似ていた。


「てめぇも、あんなチンケな野郎相手に、そんなうろたえてる場合じゃねぇんだよ、このスカポンタン。 おら、もっと、気張って見せろよ!!!」

そう口汚く怒鳴りつけるウラに翼は、思わず目を見開く。

そして、まったくもって、泣くだなんて考えてしまった自分を、ウラを侮っていたと反省し、その啖呵の痛快さに思わず笑った。

ベイブは驚いたようにウラを見下ろし、口をぽかんと開けていた。

不敵な笑みを益々深め「…誰が、今お前の傍にいると思ってるの? 無様な姿を見せないで。 見苦しいわ!!」と声高に言い放ち、ウラは昂然と顎を上げる。


その声、仕草、態度、それでこそ、ウラ・フレンツヒェン。 


「ひあっはははっはははっ!! 言うねぇ!! お前、サイッコー!!」
蘇鼓が体を折り曲げ一頻り笑って、ウラに親指を立てて見せると、ベイブはぎゅっと眉根を寄せ、光の壁は、再び静寂を持って、チェシャ猫達とこちら側の間に厳然と立ちはだかった。
「おい!! てめぇ、あの壁、もっと厚く出来ねぇか? こっちの声が一切向こうに届かねぇように」と、突然蘇鼓がベイブに問い掛ける。
その言葉に、ベイブは眉を顰め「人使いが…荒い…」と溜息混じりに呟いて、更に複雑な文様を描き出した。

すると光の壁は、その色合いの濃さを増し、金色の壁に変じて向こう側の様子すら見えない状態になった。

「これで…こちら側の…声は一切向こうには…届かん…。 だが…白雪…」

そう、ベイブが呼びかければ「あの防護壁は、保って…数分程…」と白雪が即座に答える。
あれが白雪…と鏡の化身等という、かなり変わった「とっとと……ケリをつけろ…」と、にベイブが告げ、蘇鼓は、「充分だ」と笑って答えた。

そして、「うし。 てめぇら、耳の穴かっぽじって、ようく聞きな。 ありがたくって泣けてきちまうようなモンを特別に披露してやる」と、蘇鼓は言いながら、ぐるりとベイブ達を眺め、そしてゆっくりと目を閉じる。

顎を上げ、両手を広げると、蘇鼓の周囲を覆う、淡い光のオーラが更に強まり、準備が整った蘇鼓は、美しい、少女めいた程に可憐な声で、高く歌い始めた。

悪辣な物の言いの目立つ、お世辞にも上品とは言えないような蘇鼓の唇から、天上に住まう迦陵頻伽を髣髴とさせるような見事な歌が響き渡った。


まさに、神の歌声。


空気が一斉に澄み渡り、薔薇の匂いが濃く、甘く、翼の鼻腔を擽った。

息を吸う。


体内が浄化され、ゾクゾクと這い登るように、得体の知れない力が湧いてくる。


全身に負っていた火傷や、擦り傷が癒えていく。


聞く者の体内が浄化され回復力を増し、その攻撃力を倍増させる奇跡の歌。


蘇鼓が短い曲を一曲歌い終える頃には、皆の表情が一変していた。



ベイブに壁を厚くさせたのは、この歌声をチェシャ猫達に聞かせぬ為かと合点がいくと、次に燐が、指先に、針で穴を開けて、翼に向かって駆け寄ってきた。

「飲め! 早う! 時間がないっ!」

燐の言葉に、翼は一瞬呆然とし、そして彼女の意図を察した後頷いて、美しい形の唇を、その愛らしい指先にそっと寄せる。
「チュッ」と小さな音を立てて、燐の血を口に含んだ瞬間、翼の剣に爛とした力が灯り、自分の中に今にも爆発しそうな程の目覚しい力が湧くのを感じた。
次いで、ウラが「その剣を翳しなさい」と告げてくる。
片手に提げていた、母の形見の神剣を見下ろし、「何を?」と訝しげに首を傾げる翼に「その剣は、かなりの代物のようだし、今のコントロールなら、多分成功する。 じっとしてなさいよ?」と言いながら、ウラが突如指先を頭上に翳しえいと振り下ろした。
その瞬間、翼が翳した剣に雷が落ちる。

「っ!!」

驚く翼の表情を眺め、満足げに頷くウラ。

翼の剣に、青白い雷撃と思わしき光がバチバチと音を立てて帯電する。


燐の血と、蘇鼓の歌。

そして、ウラの雷撃。

皆が全ての力を自分に注いでくれていた。

役目は重大。

だが、最早迷いは微塵もない。

青白い光を帯電している剣を、翼は血の魔術の力を込めて、すっと指先で撫でる。

するとバチバチバチ!!と派手な音を立てながら、剣が紅色に染まった。

また、チェシャ猫に向けて、キメラの死やこれまで打ち倒してきた魔物達によって場に満ちている負の力を操り自身の力へと変換すると、壁の向こうにいるチェシャ猫に向けて、その戦力、戦意を低下させるように力を放つ。


準備は、望むべくもなく万端。

「…っ!! もう…保たん!!」

ベイブが、ずるりと床に崩れ落ちた。
光の壁が、ゆっくりと崩れゆく。

「タイムリミットでしゅ」

Drが勝ち誇ったように告げるのを聞いて、燐が満面の笑みを浮かべて叫んだ。

「お主のな!!!」


翼は、神の速さで、地面を蹴り、跳躍の力で弾丸のようにチェシャ猫に向かって突進する。


「「行けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」」

ウラと燐が声を揃えて叫ぶ声が聞こえた。
白雪が両手を組み合わせ祈る姿も見えた。

ベイブが、虚ろな表情で笑う。



金色の髪が乱れ、美しい目を見開いたまま、翼は、まるで呪われた城を救いに来た騎士の如くの凛々しくも美しい姿で化け猫に肉薄する。



バチバチバチバチバチ!!!!!!!


翼が突き出した剣が、狙い過たず化け猫の胸に突き刺さる。


「…さよなら」


翼が厳かな声で告げ、剣に宿らせた全ての力を解き放った。



赤い稲光が、部屋を明滅させるほどの光を放ち、鼓膜を打ち破らんばかりの音が翼の耳を劈く。
咄嗟に固く目を閉じると、それでも翼は剣の柄から手を離さず、更に深く剣を刺しこんだ。


赤い光が、鏡の部屋を覆いつくし…そして、恐ろしい程の沈黙が、暫くの間、その場を満たした。




まだ、チカチカと明滅しているような瞼を、それでもゆっくりと目を開けば、目の前に鏡の壁に突き刺しにされているチェシャ猫の姿があった。

人の姿に戻っているチェシャ猫は、小さくもがき、首を振り。
「っ…う…そよ…うそ…うそよ…」と弱弱しい声で呻く。

ひびの入った鏡に映る、歪み、何体にも分裂したチェシャ猫が、断末魔の痙攣を見せた。

「…だ…って…こんな…の…聞いた…事…ないもの…。 お…御伽話の最後は…いつだって…王子様と…お姫様が結ばれて…幸せに暮らす…んだもの。 わ…わっちは…わっちは……お姫様…に…」

白雪が、ゆっくりとチェシャ猫に近付いていく。
そして、チェシャ猫が串刺しにされている背後にある鏡に自分の身を映した瞬間、その姿が掻き消え、自分の姿を映していた場所から出現したかの如く、チェシャ猫の背後に立った。

白雪の胸の鏡に、翼の剣の切っ先が吸い込まれ、ずぶずぶずぶとチェシャ猫を貫いたまま飲み込まれていく。

翼が目を見開き白雪を見上げた。


「猫はお姫様にはなれない」

残酷な微笑み。

チェシャ猫を抱きしめ、白雪が歌うように言う。

「猫は猫。 ただの猫」

そして、チェシャ猫の顎を無理矢理持ち上げると、唇を近づけて、嘲るように、言い聞かせるように言った。

「…夢は夢。 絶対に叶わない。 絶望なさい。 分不相応な望みを持った事、ベイブ様に出会った事、生まれた事すら悔いなさい。 さようなら、性悪猫」

白雪の真っ白な唇が、チェシャ猫の唇に重なる。



死の 接吻。


お姫様が王子様の口付けで目覚めるのなら、白雪の口付けはチェシャ猫に永遠の眠りを齎した。


チェシャ猫の体が鏡の中に沈む。
翼は咄嗟に手を離した。

顔を上げた白雪の唇から、真っ黒な液体がツルツルと零れ落ちた。

「…それは……」

燐が掠れた声で問い掛ける。

「燐が、鏡を通じてこの城へと来れるようにした…あの薬と同じものか…?」


燐の震える問い掛けに、白雪は満面の笑みを浮かべ「『鏡渡り』の秘薬に御座います」と密やかに答えた。


ずぶりとチェシャ猫は鏡に沈み、そして四方を囲む鏡に高い空に放り出され、落下するチェシャ猫の様子が映し出された。



「♪Humpty Dumpty sat on a wall
 ♪Humpty Dumpty had a great fall
 ♪All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again」



王様の馬みんなに 王様の家来みんな合わせても
ハンプティを元には 戻せやしなかった


壊れた 卵は もう元には戻りません!



合唱が微かに聞こえてくる。

堕ちる。

墜ちる。

猫が。


落ちる。


「あの猫は、一度も想い人に『会えた事等なかったので』本望でしょう」


残酷に白雪が言う。


「私の慈悲です」


地上に、一人の男が立っていた。
虎杰。


キメラという禁忌の術でもって、裏組織のトップに立った男。

ただ、恋の為に。

ただ、恋の為に。
滅ぶか。


満身創痍で、それでも、天を仰ぎながら、酷く明るい、悲しいほどに明るい、幸福そうな笑みで虎杰が両手を広げる。



チェシャ猫も笑った。
最期の意識で。


「やっと…会えた…」


小さく猫は呟いた。


「ずっと会いたかった」


虎杰も笑って応えた。



猫の胸を刺し貫いている翼の剣が、そのまま、虎杰の心臓も刺し貫く。
落下した猫を虎杰は抱きしめ、そして、地上に倒れ伏した。



現世と王宮、たった一度として、直接、触れ会う事もなく、鏡越しで想いを育んだ、憐れな、憐れな、恋人同士。
漸く、最期の、最期、この上ない悪辣と、暴虐の果てに、二人は抱き合う事が出来た。


悲恋の結末である。 
悲しい終末である。


しかし、悪党の恋であった。

悪党の最期であった。



「こうして…お姫様と王子様は…幸せに…」と、翼はそこまで呟いて口を噤む。

童話のような最期ではないが、それでもチェシャ猫が幸せそうに笑っていたので、これはこれでハッピーエンドだったのだと自分に言い聞かせた。

フラフラとDrが壁に取り縋り、震える声で「…虎杰……茜…」と、虎杰の名と、チェシャ猫の名らしきものを呟く。


「ふ…ひっ…ひぁっ…ははっ…あはははっ…はっははははっ!!!」


そのまま膝を付き体を震わせながら笑うDrが、狂気に霞んだ目で辺りを見回し、そしてポツンと「一人ぼっちに…なっちゃいました…」と呻いた。


「…いやでしゅねぇ…一人…は…とても…寂しいでしゅ……」


狂った声。

ぐるるるる…と唸りながら蘇鼓が連れてきた羽の生えた虎が、Drへと近付いていく。


「…しょうがないから……あの二人の所へ行く事にしましょう……」


俯きながら呻いたDrは、懐から真っ白なカプセルの詰った薬瓶を取り出すと、突然、自分の掌にザラザラと錠剤をぶちまけ、口中に放り込んだ。

(毒でも飲んだのか?!)と、驚けば、どうにも、Drという男、そこまで潔くはなかったらしい。


「…君達も…連れてね……?」


そう呟いたのを最後に、突然、Drの体が膨れ上がり、一瞬にして人間の姿を失う。

白衣が弾け、ぶよぶよと膨らんだ肉の塊が床を寝食し始めた。

にいいっと肉に埋もれかけた唇が歪むのを見て、翼は嫌悪感に顔を顰める。


このままじゃ、間をおかず、この部屋があの肉に埋め尽くされる。

ただ自殺するのなら、まだ可愛げがあるものを、どうして、ああいう手合いは他人を巻き込みたがるのだろう!!!と歯噛みしたい思いにかられながら、さて、どう対処すべきか、風の刃で四散させて、下手に分裂されても厄介だし…と思案に暮れてしまう。
その間にも、肉は増殖し続けて、ええい、ままよ!と、闇雲に力を振るおうとした時だった。

「やっちまえ!!! 兎っ!!!!」

蘇鼓が叫び、「兎?」と疑問符をあげる間もなく、突然虎の背中の上に跨る男が現れる。

それは、今目にするには、余りにも、そう余りにも意外な男で翼は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「兎月原さん?!!」

紛れもなく、チーコとの旅路で道行を共にした兎月原が、躊躇いもなく拳を突き出して、肉の中にその腕を埋もれさせた。


「往生際が…悪いんだよ…!!!」


そう鬱陶しげな悪態をつき、ぐいっと兎月原が手を引けば、掌の中にドクドクと脈打つ気持ちの悪い心臓めいたものが掴まれているのが見える。

「おえっ!」と舌を出してウラが言えば、燐は青ざめたまま「…夢に…出そうなのじゃ…」と呟いた。


眉一つ顰めず、その心臓を兎月原が握り潰す。


その瞬間肉の膨張が止み、ずるするすると、その中心に這い戻ると、胸に大きな穴を開けたまま横たわるDrの姿現れた。

ベイブが指先をツイと振れば、周りの様子が一変し、ウラにとってはもう見慣れた、いつもの玉座の間に姿を変える。

いつの間に現れたのか、三つの首を持つ大きな黒犬ケルベロスがパクンとDrの物言わぬ体を平らげる。
そして満足げに舌なめずりを見せると、ベイブに対し、三つの頭を同時に下げ、それからノソノソと城の奥へと消えていった。

最早、驚きに値しない奇異な生き物を、平静な目で見送ったあと、それよりも何故兎月原がここに?と、視線を向ける。

「…気持ち悪」と、さしてそうは思ってもいないような口調で呟き、べちゃりと音を立てて、兎月原がその潰した心臓を床に投げ捨てた。

「いいとこ取ってくじゃねえかよ…」と揶揄するように蘇鼓に言われ、「いや、ていうか、俺がいなくても、綺麗に話が終わりそうだったもんで、今更どうやって出てけば良いのか分からずに、俺はかなり焦ってたぞ。 第一声は『実はお邪魔してました!』とかでいいのかな?とか、凄い考えたんだからな!」とかなり本気の声で蘇鼓に訴え、それから「重かったろ? すまなかった」と言いつつ、白い虎の頭を撫でた。

ぐるぅ…と唸り、その身に体を摺り寄せる虎に、「大五郎…お前ほんとに男前に弱ぇのな…」と呆れたように蘇鼓は言う。

「…大…五郎?」

余りに燻し銀な名に「なんで…大五郎…」と燐が白い虎を凝視しながら疑問を口にすれば、あまつさえ「メスの虎っつうのは、みんなそうなのかよ?」と蘇鼓が問い掛けるに至って、「メスなの?!」「女の子で、なんで大五郎?!」とウラと燐は交互に言い立てていた。
だが、翼にしてみれば、虎の性別を見抜いている事など、当然で、一目見た瞬間から、彼女が女性である事に気付いていた事もあり「…彼女には、そんな無骨な名は似合わないよ」と憮然とした調子で蘇鼓に抗議する。
認めたくはないのだが自分と同じ性質らしい兎月原も、「俺は女性の上にしか乗らない主義なもんで…君みたいに綺麗な子と一緒にいれて楽しかった」と、シレっとのたまい、「ホストの癖に!!」と女性から金を巻き上げる分際で、そんな風に女性を褒めるな!の気持ちを込めて睨みつけておいた。

「そもそも…お前…どこにいたのよ? 虎の背中には、誰も乗ってなかったわ」

ウラがそう兎月原に言えば、にこりと見惚れるしかない笑みをウラに見せ、それからふいに視線を上げると「君の王子様に、空間を歪める力を使って姿を隠して貰ってたんだ。 さぁ…お迎えが来たよ?」と言った。

翼は、その言葉に振り返る。

するとそこには、デリクの姿があって、「ウラ。 よく、頑張りましたネ」と言いつつ両手を広げた。
その瞬間、生意気そうな表情の一切が形を顰め、ウラが一気に、走りより、デリクの胸に飛び込んでいく。
次いで、姿を現した黒須と翼の姿を翼は見ると、竜子が「づばざぁぁぁぁぁぁ!!!」と泣きながら、勢いよく翼に飛びついてくるのを両腕で受け止めて、それから、ああ、良かったと心から安堵の溜息を吐いた。
折角のドレスをボロボロにして、泣き喚いている竜子を見ていると、この城を守りぬけてよかったと心から思い、翼もぎゅうぎゅうと、その体を強く抱く。

「お疲れ様」
竜子にそういってやれば「つ、翼もな…!」と竜子は答え、それから「ありがとう」と優しい声で礼を言ってきた。
「なんてお礼を言って良いか分んねぇんだ。 どうやったって、恩を返せる気がしねぇ」

そう困ったように言う竜子の頬を優しくなでると「君が無事に帰ってきた。 それ以外何もいらない」と心から答え「おかえり、竜子」と笑いかけた。

白雪も、翼に深々と頭を下げ、ベイブと黒須も「助かった」と感謝の言葉を口にする。


しかし、まぁ、正直なところ、白雪はともかく、男の礼の言葉などは、翼にとっては余り意味のないもので、竜子をぎゅっと抱きしめたまま、その暖かな感触が、自分の胸の内にある幸福を暫く噛み締め続けていた。


そして、翼は、全てが終わった城の中で鎮魂の祈りを捧げていた。


翼は、自身の持つ浄化の力を行使して、この王宮で散ったたくさんのキメラの魂を天上へと送る。
青白い光が、ふわりふわりと宙に浮かびながら消えていった。
光の中心で、神々しいほどの美しさを見せる翼を見ながら、天使のようにあえかな微笑を浮かべ続ける。

ありがとう。
君達のお陰で随分助かった。

もう、何も心配ないよ。

もう、何も苦しむ事はないよ。

暖かな場所へ。

どうか、暖かな場所へ…。
尽きる事がないのでは?と思う程の、夥しい数の青白い魂の光が、ふわり、ふわり浮かび続ける。

翼は、その光が全て浄化されるまでずっと、ずっと祈り続けていた。



さて、その後、無事現世に戻った翼は、疲れ切った体を休息させるべくバカンスなんぞに旅立っていた。

ホテルのプライベートビーチのカウチに寝そべって、トロピカルジュースをサイドにあるテーブルなんぞに置いたまま、読みかけのペーパーブックを捲る翼。
風の音を聞きながら、のんびりとした表情を浮かべる翼の耳には、実は、今回の騒動の発端となったK麒麟についての情報が続々と届いていた。

どうも、メサイアビルに乗り込んだ面々は、かなり派手に暴れたようで、屋上部分が崩壊したビルの写真やら、オークション会場から発見された、キメラ達の屍骸やら、全く持って、世間にとっても驚天動地なものが続々マスコミの元白日の目に晒されていっている。

K麒麟も、国際警察の手によって完全に壊滅させられているようだった。
キメラの研究所は、Drがキメラを爆破した際に、証拠隠滅のためか、予め研究所に仕掛けてあったらしい自爆装置が作動して、破壊され尽くされたらしい。

キメラの研究データも、その際全て焼失し尽したそうだ。

つまりも、あの因果で、悲しく、命の尊厳を無視した生き物達が、これから先、生み出される事はなくなったという事なのだろう。

風に「もう、大丈夫だね」と問い掛ける。

もう、後悔しないで済むよう、もう、これ以上の悲劇が起こらないよう、翼はずっと、事件の後も経過を見守り続けていたが、これで決着が着いたと思うことが出来た。

風がフワリと優しく翼の周囲を舞う。

「うん…ありがとう。 大丈夫」

そう気遣う風に答えると、「ごめん、今から、少し泣く」と呟いた。

それは誰の為の涙か。

哀れなキメラ達か。
不憫なチェシャ猫か。

それとも、K麒麟という組織に攫われ、悲しい最期を迎えたチーコの為か。


そっと閉じた瞼から、美しい透明の雫が一粒だけ転がり落ちた。









□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3678/ 舜・蘇鼓 (しゅん・すぅこ) / 男性 / 999歳 / 道端の弾き語り/中国妖怪 】
【4582/ 七城・曜 (ななしろ・ひかり)/ 女性 / 17歳 / 女子高生(極道陰陽師)】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4236/ 水無瀬・燐 (みなせ・りん)  / 女性 / 13歳 / 中学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

お届けが大変遅くなって申し訳御座いませんでした!
前編・後編共にご参加頂けた事を心より感謝します。

それでは少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

momiziでした。