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【ソルジャースピリッツ・シークス・インジュアドヴァルキリー/para.2】
深呼吸。
深く、深く息をつく。こういうときは重い胸が邪魔だ、と高科・瑞穂は思う。
それでも疲弊した背筋を使い、大きく肺で呼吸。
平静な声を保ち、バトルで熱した自分の脳へ酸素を送る。
下がりだす心拍数を確認。
すぐにファンデを取り出し、仕込んだ滅菌パウダーを、全身の傷にすりこむ。
あんなナイフ、何が仕込まれているか、分かったものではない。
ファングという男の戦闘ごのみからして、神経系の毒は、まずなさそうだが。
うっかり、深い切り口に指先がめり込む。
「う、あ、ああ」
体の芯に響く激痛に、声を上げる。
今のは“女”の声だったな、部下の前では見せられない。
そう反省しながら。
瑞穂はいまだ震える手で無線機を取り出し、オン。
ベースへ。
「こちら、アルファリーダー、高科・瑞穂」
「こちら本部」
「アルファリーダーこれより、帰還する。外科医の、そうね、できれば、形成外科もできる医師の準備を要請する、ともに現場のブラボーの負傷者の救援をいそいで。私は西大通りの二つ裏道から戻る。まあ、まず民間の目撃者はださないつもりだけど、タクシーに擬装した車両を待機させておいてくれるかしら」
機密経路管理も、ベテランの仕事だ。
血と汗でズタズタのメイドが、民間人大勢の前で黒塗りに乗り込むわけにはいかない。
「ベース了解、すぐ手配する」
「頼んだわよ」
そこまで無線機に向かってしゃべり。
屈辱の独白。
「あいつっ、次こそは、穴だらけのスポンジにしてやるんだから……」
「ほう? 俺はそうヤワくないが、ダイヤの被甲弾でも使うのか?」
「え?」
何の音?
誰の、声?
瑞穂の思考は停止する。
眼前の、現実。光景。
私の手中の無線機を、ナイフが貫いて、いる。
「え」
見覚えのあるナイフ。この奇妙な形状のナイフ。
あのファングと名乗る男、いや魔獣が手にしていたそれでは、ないか?
なぜそれがここに。
いや、なぜそれが、私の無線機を破壊している、んだ。
つまり?
「いい逃げ足だったぞ小娘」
ファングの声は続く。
「だが人間用の閃光弾に長く目の眩む俺では、ない」
背後だ。
背中を預けて、回復を計っていたブロック塀越しの敵の声。
あの。ファングの、声。
追いつかれた、いや追われていたことに気づかなかった。
しかも今の一時まで!
「く! 足音も匂いも消したはずなのに! ああ、もうこん畜生!」
普段らしからぬ言葉で、瑞穂は毒づいていた。
同時に起き上がり戦闘事態に、彼女は思考をシフト。
役立たずの無線機を放り捨て、構える。
つまり。
追われ、尾けられていた。さらに。
ファングのナイフの一投で、こちらの無線機、通信手段は断たれた。
援護は、ない。
それが事実。
そして奴は、戦闘狂だ。
殺りがいが、あればいいのだ。
警護対象よりも、バトルで歯ごたえのあった私を追ってきた。気配を消して。
なんて私は迂闊、いや非力なんだ。
「こんの、後悔させてやるわよっ!」
やってやる。
激昂している自分に気づく。
剣を抜く。と同時にその遠心力で鞘を投げつける。
「はっ!」
息を吸う、吸い尽くして止める。
剣での突きを、機関銃以上の速度で放つ。
「たあ、アア!」
雨のような斬檄。
無呼吸での、連撃。
反撃の暇すら与えてやるもんか。
先刻はナイフで弾かれた。
だが。
「斬――るっ」
全酸素こめて渾身の一撃が、ファングの左腕に食い込む。このまま斬りおとして――。
抜けない。
肩ごと斬り落とすつもりの一撃が、ファングの左腕筋肉にくいこみ抜けない。
「嘘っ、ちょっと」
抜こうにも動かない。
「く」
「俺の腕にここまで差し込む、か。質のいい剣と、腕だ」
「ならっ」
ならば。
枝きりバサミ、日曜大工のキリ、鋸、植木鉢、錆び釘、ブロック、エトセトラ。
瑞穂のもうひとつの能力で動かし、攻撃できるものは民家にも路上にも、いくらでもある。
「いけ!」
その全てが一斉に浮遊。
一旦、中空で切っ先を男に向け。
ファングを狙い、一気に襲う。
「ぬっ」
予想外のはずだ、自衛官が、念動の能力など。
「どうよ!」
全てが、突き刺さる、が。
ファングは意に介さないごとく身を固め、全てを受けた。
大小さまざまなモノの刺さった姿、まるでハリネズミだ。
そして、身震いひとつで、払い落とす。
「面白いチカラも、もっているな。娘」
「そんな……嘘でしょっ」
この男、硬すぎる、そう思った刹那だった。
「ふん!」
ファングが腕を一振り、電撃のようなショックが瑞穂の腕を走る。
この感触は、覚えがある。
手だれの刺客に、自分の剣を折られた反動だ。
これは、折られたな。
そう直感する。
戦闘習慣から彼女の目は、その切っ先をさがす。
残った剣の長さによれば、武器としてまだ使える。
だがその切っ先は、ファングの筋肉に挟まれたまま、だ。
しかも剣は根元から折られている。
ヒトの胆力じゃない。
「バケモノ……め」
「ふん。今さら気づくか?」
そんなことはない。
こいつはバケモノだ、先刻の戦闘で分かっている。
しかしここまでとは。
駄目だ。
戦う事を辞めるな。軍人だ。私は軍人だ。
瑞穂は自分に言い聞かせる。
「そ、らあっ!」
飛び後ろまわし蹴り。
ブーツの片方は50キロの重量を仕込んである。
自重と遠心力を加え、ぶちこむ。
効果を確かめる間はない。
一気にファングの足元まですべりこむ。
左右正拳連打。
レバーを狙いフル回転で打ち込む。
「まだまだっ!」
右ショートアッパー。流石のファングも顎が上がる。
そのアゴを狙い、右のままエルボー。
さらに右肩のままタックル。
「切れないなら、折ってやる」
左腕を大きく回す。
からませ、ファングの巨木のような肘を折りにかかる。
手ごたえ。
このままターン、全力でやれば折れる。
「やっ!」
……動かない?
男の腕を担ぎ、背を向けた形のまま、瑞穂は戦慄する。
完全に関節を全力でとったのに。
腕一本の力と、私の全筋力。
「近接戦闘も一級だな。娘、だが、おしむらくは相手が俺だったってことだ」
背中に衝撃。
何をされたか分析する余裕もない。
内臓を吐き出しそうなファングの一撃に瑞穂は吹き飛ぶ。
「がっ」
「面白いな。貴様はまだピークではない。今殺すはたやすい。だがおしいな」
地に伏せた瑞穂の背を、男はためらいなく踏んだ。
「いいねえ、いいじゃないか、もう一度戦ろう。貴様、どこのニンゲンだ」
「誰がそんなこと、いうものか――かは!」
拒絶した瑞穂の背にファングはさらに体重をかける。
やめて。
もうやめて、背骨が折れて無くなる。
「言えよ、俺は他に漏らしはしない。貴様の」
さらに加重。
やめて。お願い。
「ぐあ……!」
「名前と所属、そいつを聞いときたい、だけだ!」
またさらに。ファングは瑞穂の背にカカトを押し込む。
「かっ」
吐いた胃液に血が混じる。もうやめて。
「言え、それともここで死ぬか? 女としての内臓、全部潰してやろうか」
「か、階級は無いも、同然、だ」
「俺が知りたいのはそういうことではないといい加減、分かれ」
もう許して。
「自衛、隊。近衛特務、警備」
「名は」
「言え、ない」
「じゃ、勿体無いが。ここで死ぬか」
「い、嫌」
さらに背に重み。もう貫通してるんじゃないのか。
「名はミ、ズホ、タカシ、ナ」
こいつ、“中身”は何百キロあるんだ。
「それで十分だ、俺の名乗りは覚えているな。そのうち、またな。最後に」
ファングは指一本を魔獣化させ、銀の刃に変える。
「今日の記念でも、刻んでおくか」
背中に、熱さ。無数の傷を刻まれている。
それでも踏まれた足が軽くなっただけ、いい。もう、そう思う。
「戦士としちゃ最も恥な、背中の傷跡だ。ギザギザにしといたから、マアがんばってお医者さんに消してもらうんだな」
「畜、生」
毒づいたがもう男の、獣のような殺気は無かった。
体が動かない。
去っていくファングの踵が、ぼんやりと見える。
「待て……。次は。狩る、わよ」
つぶやきに近いほどに弱った彼女の声は届いたのか、否か。
背中が熱い、むしろ自分の服が、原形をいくらかでもとどめているのかすらわからない。
許さない。こいつ。
想いが思考をすべて吹き飛ばした。
それが気が失せる前兆だった。時間感覚の無い、十数分。
緊急車両の点滴と輸血が揺れている。
瞼が重たい。もう眠っても、いいのかなぁ。
そう考える前に意識に暗幕が下りて来た。逆らえない。
次は、狩る。
うわごとで呟いて、戦乙女は気を失う。
自分が自分である限り終わらない、戦いに備えて。
fin
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