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【出撃のバトルメイド ー5】
勝機はない。
剣を失った私には、フィニッシュを決める手だてがなくなったのだ。
スカートの中にはリボルバーが二丁仕込んであるが、ファングに効くような大きな口径のものではない。投げナイフも細身のものだから、無理だ。
逃げるしかない。
だが、逃げられるか。
この戦闘狂から逃げ切れるか。
やるしかない。
戦い続けていれば、なにか勝利の鍵を見つけることができるかもしれない。
数え切れないほどの任務をこなしてきたからこそ、今の絶望的な状況は分かる。だが、絶体絶命の危機をいくつも乗り越えてきたからこそ、一縷の望みにかける勇気が、私にはある。怖れるな。
「怖がってるな」
ファングは鼻をひくつかせている。
「匂いで分かる。汗の匂いで」
いうなり、ファングは私の胸ぐらに掴みかかった。
だが、私はそれを読んでいた。
壁を背にする私に向かって、殴りかかっていなされれば、壁に拳を突いてしまう。おそらく壁を突き破る。そうなれば、私にその隙を狙われる。ファングほどの戦闘経験者なら、当然それを了知している。それを考慮に入れれば、組みかかってくることは簡単に予想できる。
「ふっ」
と微笑み、私はファングの右腕を両手で掴み、いなしながらくぐっていく。
外側に回り込むや、ファングの肘に左手を当て、右手を腕に引っかけた。
「デカいからって」
左手を上げ、右腕を引く。
軽く飛び、全体重を勢いづけて右手にかける。左手を支点にして、ファングの肘を逆に曲げる。
「がっ」
一瞬、極(き)まりかけたが、ファングは腕の力で肘を曲げ、私の身体を持ち上げた。
舌打ちし、私はファングの腕に身体を引きつけ、両足を当てる。ヒールをもっと鋭いものにしておけば良かった。そう思いながら、背面跳びの要領で飛びのいた。着地して、
「さすがに、関節は極まるようね」
「そうだな」
ファングは嬉しそうに目を細ませた。
「なら、掴まえてみろ」
左――
目には見えていなかった。
だが、身体の傾く一瞬の動きで察した。
ほとんど無意識の反射で、右の拳を上にいなす。しかし、続けざまにきた右足のローキックを食らい、姿勢を大きく崩してしまった。
傾ぐ身体に、ファングの飛び上がりながらの左の蹴りがぶち込まれる。それを腹に受けた私の身体は宙に浮き、そして、いなしたはずの右の腕が、その肘が私の背中を痛打した。
おそらく、一秒にも満たない連撃。
「――くっ」
絨毯にうつ伏せに倒れる私は、そのまま牽制の足払いをするように、地面すれすれの回し蹴りを繰り出した。その勢いで、片手で逆立ちしながら両足を回転させつつ伸び上がる。スカートもペチコートも、逆立ちした胸元まで垂れ、下着姿の無防備な下半身を、振り回す足が自ら防御する。まるで竹とんぼのように伸び上がった逆さの身体を、ファングと距離を取るよう起こして、正対。
「その銃は効かないぜ」
ファングはガーターベルトに取り付けてある、ヒップホルスターを見つけたようだ。
「いやらしい」
私は不敵に微笑んだ。
効かない銃は使わない。握りの部分で殴りつければ効くかもしれない。だが、それを持てば手が開けないのはいただけない。それでも、使わないと断言してやることはない。相手が注意を向ける部分を多く作る。それが隙をつく基本だ。
「安心しろ。貴様じゃ、俺は満足しない」
いい終わる前に、すでに左ジャブをはなっている。
それを右にいなすと、次には右手が私の脳天目がけて振り落ちてくる。その手首を掴み、身をひるがえす。背負い投げのように、ファングに一瞬、背中を見せて、その深い懐に入り込む。あまりに深すぎ、背負い投げなどできないことを瞬時に悟る。
私は回転させる腰から、左回し蹴りで腹を狙うが、ファングの左足にブロックされた。
「――くっ、つぅぅ」
脛に、尋常ではない痛みが走る。
うずくまりかける身体を前転、壁ぎわのソファまで離れていく。
折れてはいない。
剛性のブーツでなければ、やばかった。
立ち上がり、踏ん張りが効くことを確かめる。
大丈夫。
蹴られたところが腫れてきているのが、その熱と、ブーツを編み上げた紐の緊張から察する。
それでも、足技しかない。
拳よりも蹴りの方が、一般的には強力だ。だが、蹴りはモーションが大きくなるうえ、外したときの隙が大きく、実践では使い勝手があまりよくない。だが、ファングを相手にしては、私の拳はたいした打撃を与えられないのも確かである。
もつかな。
疼く左足をかばいたいが、右利きの私は左を前に半身に構えるのがスタンス。敵に一番近いところに、傷ついた足を置く。
私はソファとビリヤード台の間に、バックステップで入っていき、ファングの出方を見極める。
ガッ、という音。
跳んだ――!
顔を上に持ち上げる。
ファングはその巨体を宙で前転、天井を蹴りつけて、勢いづけて落下してくる。
その右腕がを私のいた場所をさらう。
一瞬速く、私はビリヤード台の下にもぐっていた。
「無様(ぶざま)にっ!」
ファングは吼えた。
相当な重量のビリヤード台を、その獣の足で蹴り上げた。
「逃げるな、おんなぁっ!」
間一髪、私は立っていくビリヤード台の向こう側に、身体を転がし、逃げのびた。
起き上がれば、首まで防いでくれるバリケードができている。
だが。
「盾になると思ってるのか?」
すっ、と前進。
ファングの、あまりに静かな助走をつけた右腕のひと振りが、ビリヤード台を貫いた。
その爪が、私の脇腹を裂く。
熱い衝撃が肋骨に走る。
台のせいで、近づいたファングの狙いが見えなかった。
「怖がりすぎだ」
ファングはすぐさま右手を引き抜き、左手で私の首に殴りかかる。
私は横に身を投げ出して、それをかわす。
ビリヤード台の裏から転がり出た私の右手に、メカニカルブリッジ。ビリヤードで、手玉が届かない位置にあるとき、キューを支え、固定する金具付きの棒である。台に備えつけてあるそれを、私はとっさに手に取っていた。
そして背後の壁からキューを一本、左手に取る。
「得物がなくて、寂しかったか?」
右脇腹に、血の垂れる感触。
先ほど受けた爪の傷は、思ったよりも深かった。
特殊素材のワンピースは、右胸の下部分が裂かれている。ブラの下半分が露になり、ワンピースで押さえつけていた乳房が垂れる。このメイド服のいいところは、タイトであるがゆえ、身体が固定されて動きやすいところなのに。
私は右手でブリッジをくるくる回し、脇と肘とで固定する。右の乳房が棒に乗っかる。邪魔臭い。左手のキューは、その真ん中を持ち、前に突き出し、ファングとの距離をはかる。
ビリヤード台がどかされ、若干、広くなった部屋。
その中央にファングがいる。
肩を怒らせ、獅子の首をぬっと前に突き出している。銀の鬣(たてがみ)が冷徹な焔のように、丸めた背中にほとばしる。白銀の体毛に覆われた、白い身体は筋骨が隆々として、周囲の空気さえ動かしてしまいそうだ。その雰囲気が、ファングの身体をさらに大きく見せている。
若干、左を前にして構えるファング。
巨大な腕だが、いまリーチは、キューとブリッジを手にした私の方が、少しだけ長い。
「行くわよ」
どうせ初動で見切られてしまうのだから、自分からいってやる。その方が、私自身も気合いが入る。
滑るように間合いを詰めつつ、ブリッジを頭上で一旋、遠心力を蓄えて薙ぐ。鍬のような金具でファングの顔面を狙う。だが獣は上半身を反らしてかわす。かわしながら、ファングのはなった右の蹴りをキューで押さえつけるように打ち、いなす。
素早くキューを連続で打ち出して、ファングが近づかないよう牽制する。一方、右手のブリッジによる攻撃も続ける。
ファングがブリッジを弾き、その半身だった身体開いた。
私は弾かれたブリッジを一旋、思い切り振り下ろした。
ファングの、その左足に打ち込んだ!
金具はファングの流す血とともに絨毯に食い込み、勢い、棒自体は折れてしまった。
「おんなっ!」
私は折れた棒を地面に刺して、その上に身を踊らせる。器用に右足で棒の上に乗っかって、低い天井すれすれを跳ぶ。
シャンデリアに手をかけて、ファングの頭上を一周し、その眼下、眼鏡の向こう、見上げるファングの、その獣の口にキューを突き刺す。
ズッ、と入っていく感触。咽喉を削り、奥まで入る。
ファングの足は固定してある。
キューは咽喉に刺さっている。
二つの支点で力を込めれば、モノは折れる。
私はファングの頭上、その背中に回り込むよう、身をひるがえし、キューに全体重をかけて降りる。
「やあっ!」
折れてしまえ。
その背骨、折れてしまえ。
そして折れた。
私のキューが。
伸び切ったファングの身体が、その背中が再び丸まる。
「――がぁっ!」
咽喉からキューを吐き出した。
そしてファングの巨躯が横に回転。
おそらく肘打ち。
そして蹴り上げ、殴られ、叩きつけられ、地面に跳ね返ったところをまた蹴り上げられて、また肘打ちを食らわされた。それが続いた。
回転するファングの、その銀の鬣(たてがみ)が円状に波打つ竜巻に巻き込まれた私は、気がつくと、宙を舞い、落下していた。
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