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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦うメイドと銀の獣 第二幕


 ゴパァッ!
 弾けるように消し飛んだ塀。その衝撃に吹き飛ばされながらも、高科・瑞穂(たかしな・みずほ)は身を丸め、待機していた軍用トラックの荷台に激突するように着地した。だが瑞穂はそのダメージを物ともせずに、すぐさま身を起こし、前方を指さし号令をかける。
「GO!」
 瑞穂の号令と共に、トラックはキュキュとタイヤの空回りの音と土煙を上げてその場を矢のように飛び出した。警護対象の要人の住む無駄にでかい屋敷。そのひたすら続く塀と格闘するように、トラックは一直線に疾走する。
 その風を受けてバタバタと暴れるスカートを抑えもせずに瑞穂は前方を痛いくらい見つめてギリと唇を咬んだ。
 銀色の獣になったファングの能力は瑞穂にとって全くの予想外、想定外だった。一つも手が出なかった悔しさに、綺麗に紅の塗られた綺麗な形の唇から更に赤い血が滲むまで噛み締める。
(次に会ったら…)
 そこまで考えて、瑞穂はぶるりと震え、ファングの一撃に上半分さらけ出されてしまった胸を抱えるように抱きしめた。武者震い…と強がりを言いたいが、実際はそうではない。
(…会いたくない…な)
 次に相まみえれば、無事では済まないという確証が瑞穂にはあった。
 だが、瑞穂はふるふるとかぶりを振る。今は考えてもしょうがない。それに、体勢を立て直せば、この弱気もどこかへ消えてしまうはず。まずは安全な場所に帰って、お風呂と着替えを済ませたい。
 …そう思った矢先だった。

 ゴパァン!

 聞き覚えのある音が辺りに響く。だが、それが何の音だか具体的に判断する余裕もなく、瑞穂は揉みくちゃにされながら宙を舞った。
 何が起きているのか解らなかった。ただ、瑞穂の身体は警護対象だった要人宅と向かい合わせた家(そちらもなかなかの豪邸なのだが)の壁面に容赦なく叩きつけられる。
「!!」
 叩きつけられた背骨がみしみしと悲鳴を上げた。肺が押しつぶされて上手く機能せず、かはっと大きく口を開いて息を漏らす。
 そして、そのまま瑞穂は重力に従って地面へくずおれた。
「な…に…」
 うずくまりながら瑞穂は顔だけを上げた。視界の端ではひしゃげてひっくり返ったトラックがからからとタイヤを天に向けて空回りさせていた。そこからゆっくりと視界を移動させる。コンクリートにはひびが入り、瓦礫が山積した路面。そして、えぐれるように消え失せた要人宅の塀から、銀色に光るものがゆらりと姿を現すのが見えた。
 瑞穂は大きな瞳をこれ以上ないというほど見開いた。
 ―ファングだ。
(くっ!回り込まれた!?)
 くっきりと出た月を背景に、ファングはのしのしと足音をさせて倒れる瑞穂に近づいた。濃い影が瑞穂の上に伸びる。
(…このままではやられる!)
 瑞穂は力を振り絞り、よろりと立ち上がった。
 先ほどの身体のダメージが思った以上に大きい。ファングに破壊されてしまって、こちらには武器もない。しかも、相手の力は獣になることによって跳ね上がっている。
 勝算は…ない。
 それどころかなんとかしてこの場を離脱しなければ、命の保証はない。
「くっ…」
 瑞穂は唇を咬んでファングを見上げた。この状況においても目だけは負けないように鋭く。ハッタリに過ぎないが、それは瑞穂の最後のプライドだった。
 その目つきを見て、ファングの口元がグパァと裂ける。…微笑ったのかも知れない。戦闘狂のファングにとって、この状況でその「目」ができる瑞穂は、最上級の獲物だ。
 瑞穂は、すっと手を挙げてファングに向かい構えをとる。格闘技も人並み以上にこなす瑞穂だが、この獣に勝てるようには思えない。
(だけど、やるしかない!)
 瑞穂はダッと地面を蹴り、ファングの懐に入り込む。大きな身体と長い腕の弱点は懐の深さだ。だから、至近距離に入り込む隙があれば…。
 だが、瑞穂がすり抜ける瞬間、上からファングの猛烈な拳が振ってくる。

 ッパン!

 その拳は瑞穂に掠っただけだったはずだ。だが、それだけで拳圧で破裂音と共に服が裂け、血が噴き出した。
「ひうっ!」
 痛みに、瑞穂が喘ぐ。だが、止まることはできない。瑞穂はそのまま勢いに任せてファングの懐に入り、そのみぞおちに全体重を載せた肘をたたき込む!
 常人なら内臓が破裂して命にも関わるだろうその一撃。ファングは一瞬、全ての行動を止めた。
(…効い…た?)
 だが、ファングはまた口元をぐにゃりと歪めて笑う。
 次の刹那、瑞穂の身体は木っ葉のように宙を舞う。ファングが蝿を払うかのように横から懐の瑞穂を張り倒したのだ。
「!!」
 だが、それだけでは飽き足りなかった。きりきりと宙を舞う瑞穂めがけて、ファングは散弾のような拳の連撃を放つ。空中にいる瑞穂に避ける術はなかった。

 ダァン!!

 再度、瑞穂の身体は家屋の塀に衝突する。その衝撃に、今度こそ内臓がやられて、瑞穂は少量の血を吐いた。そして、そのままうつぶせるように、倒れ込む。
(…もう、だめだ…)
 瑞穂は吐いた血にヒューヒューと喉を鳴らして、脱力した。もう指一本動かす力は残っていない。
 折しも、向こうからファングは悠々とした仕草で瑞穂に近づいてくる。その拳に力が入っているのが腕の筋肉の動きで解る。あの拳に抉られれば、きっと瑞穂の頭は呆気なく潰れた柘榴のようになるだろう。
 ファングは瑞穂の傍らまで来ると、その足で瑞穂の肩口を蹴り、上向かせる。そして、大きくその拳を振り上げた!
「!!」
 感じた拳圧。顔面に迫る拳。
 全てがスローモーションがかかったように理解できた。だが、やはり身体は動かなくて、避けることも反撃することも適わない。
(ああ、私は…死ぬんだ…)
 一瞬のことのはずなのに、ソレを理解し恐怖するだけの間はちゃんとあるのが憎らしい。

 ゴパァン!!

 ファングの拳がコンクリートを抉る音と共に、瑞穂はすぅと意識が遠くなっていくの感じていた。これが、最期の記憶となるだろうことを覚悟しながら…。


  ※             ※


 ぽつりと頬に冷たいものが落ちる感覚に、瑞穂は意識を引き上げられた。ぽつぽつと身体に冷たい水滴が落ちる。それが降り出した雨だと理解するのに長い時間は掛からなかった。
 だが、瑞穂は自分がどうして生きているのかが解らなかった。
「…う…」
 痛む身体にむち打ちながら上半身を起こし、あたりを見回す。そこはファングと戦ったあの住宅街の一角。だが、ファングの姿はない。
「どう…して…?」
 ふと、瑞穂は今まで自分が倒れていた場所を見た。
 そこにはあのファングの一撃だと思われる拳の形に抉れたコンクリート。だが、それは瑞穂の顔面を僅かに避けるようにつけられていて。
 瑞穂は目を見開いた。そして、顔を守るように腕をクロスして掲げながら、また元の位置に倒れ込む。
「…ちくしょう」
 瑞穂の口から滅多に出ない雑言が飛び出した。
 瑞穂が戦うことを諦めて死を覚悟した瞬間、ファングにとって瑞穂は「獲物」でありえなくなった。そんな瑞穂をファングは「殺すまでもないモノ」と判断したのだろう。
 ファングの嘲笑が耳に残っている気がした。
「ちくしょうちくしょうちくしょう!!!!」
 そぼ降る雨の中で、瑞穂はいつまでも慟哭していた。

<了>