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<東京怪談ノベル(シングル)>


吾が名は敗北 (後編)

「……くっ」
 再び強烈な痛みで意識を取り戻した瑞穂は、それが自分の外れた肩関節をむりやり押し込まれる痛みだと気がついて仰け反った。
 その身体を支える大きな手。
 救助されたのかと思ったが、関節を戻してくれたのが鬼鮫と気がつくや、己の身体を抱きしめながら後ずさる。
「何のマネ!?」
 噛みつくように怒鳴ると、鬼鮫は笑い声を上げた。
「俺に血を流させたオンナはおまえが初めてだ」
 笑いながら立ち上がる鬼鮫は、すでに鼻血は疎か鎖骨の傷もすでに癒えているらしい。
「このまま殺してやっても良かったが……特別に、もう一度チャンスをやろうと思ってな」
 そう言うと鬼鮫はすっと立ち上がり、足下に落ちていた折りたたみナイフを瑞穂の方に蹴った。
「……ハンデのつもり?」
 何処までも屈辱的な鬼鮫の言葉に、怒りが込み上げる。
 そもそもこんなナイフでこの男にダメージを与えようなどと、愚の骨頂だ。
「いらないわ」
 ナイフを部屋の隅に蹴り、瑞穂も構えの姿勢を取る。
 満身創痍の肉体にはすでに力など残っていなかったが、怒りと使命に対する執念、そして辱められた女のプライドが瑞穂の身体を支えていた。
 この男相手に持久戦は無理だとわかっている。
 勝負は一瞬でつけなければならないだろう―――でも、どうやって?
 鬼鮫の鍛え上げられた肉体は、本当に何処を取っても鋼鉄のように硬く、隙がない。
 先ほどと同じ鼻や鎖骨を、もう一度狙わせてくれるほど甘くもないだろう。
 後は考えられるのは鼠径部だが、瑞穂がそこを狙うことも鬼鮫は予想しているだろう。
 ではどうしたら?
 思いを張り巡らしても、もはや瑞穂に答えは浮かばなかった。
 後はもう動くしかない。
 自分の肉体を信じて、とにかく闘うのみだ。
 瑞穂が覚悟を決めたのを見抜いたように、鬼鮫が動いた。
 とぎすまされた神経が、鬼鮫の動きをゆっくりと自分に伝える。
 空気の動きに合わせるように、瑞穂も動いた。
 構えられた互いの腕が、拳が、ぶつかり合う。
 お互いの僅かな隙を狙うように繰り出される蹴り。
 どちらも決定打は与えられないままだったが、悲しいかなそれも長くは続かなかった。
 圧倒的な体力の差で、案の定瑞穂の方に先に限界が訪れたのだ。
 避けきれない鬼鮫の拳が、1発、また1発と瑞穂の身体を捕らえる。
「くぅうっ!」
 決定打のような蹴りが炸裂し、瑞穂は再び壁に叩き付けられた。
 ごふっ、と血が唇から溢れる。
 壁に赤い血の筋を残して床に倒れ込む瑞穂。
 鬼鮫は荒い息を深呼吸で治めながら瑞穂を見下ろした。
 もう立ち上がる力はなかった。
 それでも瑞穂は賢明に床に爪を立て、四つんばいに身体を起こそうとした。
 拳の刃で裂けた衣服から覗く素肌すら、もはや厭わずに。
 生きる事への執着は、男より女の方が強いと何処かで聞いたことがある。
 瑞穂は確かに、たとえどんな事があろうと死にたくはないと、どんな事があっても自分から諦めるようなことはしたくないと、ただひたすらにそう思う。
 そんな瑞穂の思いに引かれるように、先ほど蹴ったナイフと崩れた壁の破片がふわりと舞い上がり、一斉に鬼鮫に襲い掛かる。
 決死の反撃の超能力も鬼鮫の動きを止めることは出来ず、瑞穂は抱き上げられて別室に運ばれた。
 

***

 豪奢な屋敷とは対照的な簡素なパイプベット。
 両手両足を縛られた瑞穂は、頬に押し当てられたナイフの冷たさに我に返った。
 全身が痛む。
 息をするだけでズキンと痛みが走ると言うことは、肋骨が数本折れているのだろう。
 それでも呼吸が出来ていると言うことは、幸い肺は傷ついていないということか。
 とはいえ腎臓当たりに鈍い痛みが残っているので、一刻も早い治療が望まれる状況である事には違いないだろう。
 早くも骨折部分が炎症を起こし始めているらしく、身体が熱く重く、嘔吐感が喉元に燻っている。
 どの辺が折れたのだろうかと首をひねり、己の身体を見下ろして、初めて自分がコルセットとショーツ、そしてガーターとニーソックスという恥ずかしい姿だと気がついた。
 屈辱に込み上げそうになる涙を意志の力で堪え、瑞穂はナイフを手にした鬼鮫を忌々しげに睨み付ける。
「……なんのつもり?」
 擦れた声で問うと、鬼鮫はベット脇のパイプ椅子の背もたれに体重を預け、自分の爪の中に入り込んだ固まった血をナイフで削り取り始めた。
「おまえの血だ」
「そ、そんな事を聞いてるんじゃないわ、何をするつもりだと聞いているの……まさか―――」
 心だけではなく、瑞穂の身体まで蹂躙するつもりだというのか。
 自死を選びたくなる衝動に心を揺さぶられながら、瑞穂は鬼鮫を更に睨む。
「残念ながらそんな時間は無い。あと30分以内にこの屋敷から離れることになっている。おまえをつれていくのは面倒なことになりそうだからな」
「どうして殺さないの?」
「死にたいのか?」
 しばしの沈黙が流れる。
「まあいいさ、殺してやりたいが、おまえからはまだ情報が引き出せそうだと思ってな―――お前の名前と所属は?」
「素直に話すとでも?」
 そう答える瑞穂の顔に、バケツで冷水がぶちまけられた。
「ぷっ、ぷはっ」
「余計な口を叩いている余裕はないぞ?」
 冷たく言い放つ男の横で、瑞穂はげほげほと噎せた。
 咳き込む度に胸に激痛が走る。
 熱が上がり始めたせいか、寒気がし始めている身体に、冷水は本当に地獄だった。
 コルセットとレースのショーツが濡れて肌にぴったりと張り付き、水滴を蒸発させるのと共に瑞穂の体温を奪っていく。
「もう一度聞く、名前と所属を言え」
 もちろんここで答えるわけにはいかない。
 2杯目の冷水がかけられるが、今度はなんとか息を止めることで噎せずに済んだ。
 だが全身に襲い掛かる冷気は、1杯目より2杯目の方が激しい。
 指先、爪先という末梢部分から、ぶるぶるという震えが駆け上がる。  
「手間をかけさせないでくれよ」
 鬼鮫は溜息をつくと、再び瑞穂の顔を覗き込んだ。
 ぷいと顔を背ける瑞穂を見て、もう一度溜息をつく。
 今度はバケツの水が、何杯も瑞穂の身体の上で空けられた。
「うぶっ!げほっ!げほほっ!」
 ベットの上で溺れそうになりながら、瑞穂が喘ぐ。
 折れた肋骨の為に、咳き込むことも深呼吸する事も容易ではなく、のたうち回ることすら出来ない。
 レースの下に透ける白い肌を薄桃色に染めながら、柔らかな乳房を揺らすことしかできなかった。
 瑞穂は何度も意識を手放しかけた。
「最後のチャンスだ。お前の名前と所属を言え。言えば生かしてやる」
 生かしてやる。
 その甘美な言葉の誘惑に心がざわつく。
 言ってしまえば楽になる。
 けれど命の保証など何処にもないのだ、最後のカードは手の内に残してかなければ。
 それでも、わかっていても、今この苦痛から逃れたかった。
「―――穂」
 ほとんど無意識のように、唇が先に動いた。
「ああ?なんだって?」
 親から与えられた名が、敗北の証となるとは夢にも思わなかった。
 だがそれは間違いなく、瑞穂が鬼鮫に屈した瞬間だった。

「瑞穂、高科瑞穂よ。所属は―――」

 その続きは、ドアが蹴り開けられる激しい音でかき消された。
「女の仲間が来やがった!」
 別の男が瑞穂の救援が訪れたことを告げるや、鬼鮫はフンと鼻を鳴らして瑞穂を見下ろす。
「命拾いしたな」
 仲間が来た。湧き上がる安堵に、瑞穂の全身から力が抜ける。
「瑞穂か―――じゃあな、次にあった時は確実に殺してやるよ」
 そう言い放つと共に、鬼鮫の手から瑞穂の胸元にナイフが投げ出された。
 そのまま足早に姿を消す鬼鮫。
 ナイフは刃の部分が畳まれていた為に、肌を傷つけることはなかったが、だめ押しのように肋骨に叩き付けるような衝撃に、瑞穂は再び意識を手放した―――。  
   
     

 



fin

***
ご注文ありがとうございました、Siddalです。
実は本格的な戦闘シーンのある文章を書くのは生まれて初めてだったので、お気に召していただけるような物に仕上げられたかどうか心配です。
リテイクやご意見、ご希望が御座いましたら遠慮なく仰ってくださいませ。
また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。