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<東京怪談ノベル(シングル)>


 Behind closed doors(3)


 狭い物置の中。壊れた窓から風だけがひゅーひゅーと吹いていた。
 ひゅーひゅー。
 それは高科瑞穂(たかしなみずほ)の現在の息遣いと酷似していた。


 瑞穂は現在、使い物にならなくなった利き手を庇い、何とか逃げ出そうとしていた。既に彼女は対峙する男と戦闘する事を放棄していた。現在の彼女の心を占めているのは、恐怖と生存本能とここを何とか逃げ出そうとする事、それだけだった。
 彼女のまとうメイド服は、汗を吸って重くなったので自らビリビリ裂き、ミニスカートがマイクロミニになっていた。胸の部分は血で赤黒く染まり、固く張り付いていた。
 履いているニーソックスは何度も何度も蹴り技を使うのに耐えられなくなったのか、あちこちが伝線し、裂けていた。


 鬼鮫はそんな自分の身を守ろうとする瑞穂を上から下を舐め回すように見ていた。
 そのギョロリとした目を見た瞬間、瑞穂の身はすくんだ。
 辺りを見回す。
 鬼鮫に破壊されたこの部屋のあちらこちらは、物が砕けて落ち、所々床が抜けていた。
 逃げ出すとしたら二箇所。
 あの壊れた窓から降りてそのまま逃げ出す。鬼鮫が今は立ちはだかっているが、何とか足止めをすれば突破口が……。無理ね。私だとあの男を足止めできる保証はどこにもない。もう一つは……。さっき入ったドアを開けて戻る事。もうこの館の見取り図は把握している。そこから逃げるしかない。
 瑞穂はじりじりと後ずさりした。
 ドアはあと数メートルだ。
 じりじりじりじり……。
 利き手を庇い、鬼鮫との距離を保って移動する。
 あとちょっと……あとちょっと……。
 少し瑞穂の気が緩んだ。その時だった。
「ここで逃げられると、本気で思っているのか?」
 どこから出しているのだろう。そう思える位にどす黒い声が響いた。
 鬼鮫が床を蹴って瑞穂の間合いを詰めた。
「ひぃっっ」
 鬼鮫の拳が瑞穂に入る。
「くぁ……」
「情けない奴だ。戦場で逃げようとするとは。それは死を意味する」
 鬼鮫の顔を見た。
 ギョロリとした目に、獰猛な笑い。
 獣。こんな男、人間なんかじゃない。この男は獣だ。
 瑞穂は利き手を後ろに下げ、もう片方の手を構える。
 この男を倒すしか、やはり逃げ道はない。
 ならば、せめて今一瞬だけでも。一瞬だけでもいい。逃げ出すチャンスを。
 瑞穂は、これが最後の攻撃になるであろう事は分かっていた。
 瑞穂の生存本能が告げている。この男と戦ってはいけないと。
 それでも、この狭い部屋から逃げる事した、瑞穂の生き残る術は見つからなかった。


 瑞穂は床を蹴る。
 狭い天井まで跳び、天井を蹴り上げて加速した。
 利き手じゃない、もう片方の手を鬼鮫にめがけて振り下ろした。
「てぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!」
 鬼鮫は余裕で瑞穂の手を掴んだ。
 瑞穂は鬼鮫に手を掴まれた瞬間、体を折り曲げて脚を鬼鮫に絡める。
 最後の、最後のヘッドロック。
 瑞穂は鬼鮫の首をへし折る勢いで首を脚で締め付けた。利き手が使えないので片手だけ使って床に手をつけるのは苦しかった。しかし、この攻撃で鬼鮫の首をへし折り、回復を待つその隙をついて逃げ出すしか、方法はなかった。
 鬼鮫は背後で自分にヘッドロックをかける瑞穂を剥がそうとモガモガ動き出す。それがより一層鬼鮫の首を締め付けていく。
 首の軋む音がする。
 あとちょっと、あとちょっと……。
 瑞穂の脚に力がこもったその時。
「俺にその攻撃が二回通用すると思うのか?」
 鬼鮫が自分に絡まる脚を掴む。
 その脚を無理矢理引き剥がした。


 バキバキバキバキバキッッッッ


「!!! うぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 瑞穂の脚の骨が、砕ける音がする。
 利き手を奪われた時とは比にならない位の激しい痛みが瑞穂の身体全身を覆う。
 瑞穂はそのまま脚を無造作に掴まれ、そのまま再度床に叩きつけられた。
 瑞穂はそのまま床に転がる。
 瑞穂は既に、立つ事も叶わなくなっていた。身体を起こそうとすると激しい痛みに苛まれ、そのままへたり込んでしまう。
 鬼鮫は再度瑞穂の髪を無造作に引っ掴んだ。
「これで終わりか?」
 鬼鮫の口角がにぃぃぃぃぃぃぃと上がる。
 獣。獣。獣。
 瑞穂は声にならない声で、この男を激しく罵倒したかったのだが、それは恐怖で声にならなかった。
 瑞穂の全身は恐怖によって支配されていた。
 もう、何の反抗もする事も叶わない。


 そこから先は、鬼鮫による一方的な蹂躙であった。


<続く>