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<東京怪談ノベル(シングル)>


【戦闘の遺伝子 ー2】





 ぎりぎりでかわしたはずだ。
 なのに左の頬が熱い。
 「目はいいな」
 男は感心したような口調でいった。
 「反応も――」
 また左ジャブ。
 いなそうとしたが、すぐさま引かれて、もう一度きた。
 フェイント。
 一撃目ではなく、ジャブそのものが。
 私は男の動きを見切り、間合いを詰める。
 繰り出される右ブローを、身体を反転、その袖口を左で掴み、背負い投げをかけようとした。だが、男の腕に私の肩が押さえられた。抱え上げるその瞬間、男の腕が下に力をかけてきた。
 「反応もいい」
 「こぉのっ!」
 私は肩から男の腕を外しながら、身体を戻す。背中を見せ続けるわけにはいかないからだ。
 だが、その身体を戻すモーションの中、私は男の肘を逆に極(き)めた。男の手首をひっくり返し、下への力を借りたのだ。腰を落とせば、太ももの上に純白のペチコート、そのやわらかい感触がした。そして衝撃。そこから伸びる細い膝に、男の肘を叩きつける。そのまま跳んで、肘を逆に折ってやる。
 「ぐあっ」
 男は呻いた。
 感触はある。確実に折った。
 「まだよ」
 私は抵抗のなくなった腕を掲げ、男の左拳を受け止めた。その一撃に、またも折れる音がした。男の二の腕が折れたようだ。自分で痛めつけてるのだから、しようのない。でも。
 「まだまだっ。回復する時間なんてあげないんだからっ!」
 右の蹴りで男の腹部にヒールを埋め込み、引き抜く反動そのままに身体を回転、男の右膝目がけて回し蹴りを決めてやる。これもまた、ゴキリという音を立て、ありえない方向に膝を曲げた。
 そして、
 「逃がさねえさ」
 男の左腕が、私の脇腹にめり込んだ。
 膝をつきそうになるのをこらえ、間合いを取る。またも背に壁。
 「――かはっ」
 息を吐き、歯を食いしばる。
 重い。
 なんてパンチよ。
 でも、今がチャンス。
 「抜けてやるっ!」
 男の右手と右足は動かない。
 押しのけようと飛びかかったが、その身体に届かない。
 左足のみで、男は後ろに跳びすさっていた。そしてそのまま膝を曲げ、伸び上がる。
 まずい。
 突進した私の、その懐(ふところ)に入られている。
 「観念しな」
 強烈なアッパーカットが、胸のエプロンを切り裂いた。
 胸を反らし、首を傾け、かろうじて直撃を避ける。だが、わずかに顎をかすっていた。そのわずかな衝撃に頭がクラクラしてしまう。
 よろめき、私はまたもや壁に背をつく。
 視界がブレる。胃の奥から嘔吐感。全身の毛穴から、嫌な汗が滲み出てくる。
 「休憩するかい?」
 男の顔にも汗が滲む。
 さすがに、いくら回復力が凄くても、腕と足を一本ずつ折られてるんだから、その痛みは大変なようね。
 それでも、あの重さのパンチを繰り出すのだから、並の男ではない。
 「名前、教えてくれる?」
 私の組織のデータベースに、追加すべき人物だ。
 「時間稼ぎか?」
 「まあ、そうよ」
 私は微笑む。
 そっちの方が重要よ。
 私はいま、まともに動くことはできない。
 男だって、まともに動けるはずはない。この時間稼ぎに乗ってくるはず。
 「お前の名前と所属、聞かせてくれるんだろうな?」
 そうくるか。こいつにとっては、その方が重要だったわね。
 あれだけのアッパーカットを繰り出せるのだ。わざわざ回復の時間稼ぎなど必要ないのかもしれない。
 「私の名前は、高科瑞穂」
 まだ視界がブレる。
 「所属は――」
 「自衛隊か」
 「知っているの?」
 私のキャリアは長い。
 自衛隊の極秘機関、近衛特務警備課所属の軍人である。魑魅魍魎の退治から超常現象の調査など、およそ現代物理科学では認識さえできない事象の解決を仕事にしている。
 似たような機関は世界中にいくつも存在し、超常現象の軍事利用を画策したり、それを相互に阻止したり、人知を超えたオーパーツをめぐり銃撃戦をおこなったりと、大規模な敵対行動があちこちで繰り広げられている。
 私も何度かそういった組織とやりあったことがあるから、名前が知られていてもおかしくはない。
 「いや、なんだ? なんで俺は知ってるんだ?」
 男は両手を腰にあて、天井の隅を見るかのような姿勢を取る。
 「え?」
 両手を腰に?
 砕いたはずの手首と肘は、もう回復したの?
 右足はまだ地面につけずに浮かせているから、そちらはまだ回復しきっていないようだが。
 「あ、あなたの名前は?」
 男の気をそらそうと、声をあげた。
 私はまだ回復してない。まだ眼球が揺れているような眩暈がする。
 「霧嶋徳治(きりしまとくじ)」
 震える視界で、男はサングラスのフレーム位置を、すっと右手で整えた。
 「コードネームは鬼鮫(おにざめ)だ。所属はIО2(アイ・オー・ツー)。組織の邪魔する、お前みたいな連中を排除するのが仕事だな」
 国際超常現象調査機関、IО2。
 「世界各国に支部を設け、そこで起こった超常事件を解決する。裏の世界の国連軍みたいなものね」
 私は分かりきったことをいう。
 時間稼ぎのためである。
 「お前の国も、IО2に予算を割いてる。だが、お前らがいる」
 IО2への援助国でも、自前の組織を有している国が多い。そしてその全てが、必ずしもIО2に協力的というわけではない。むしろ自国に眠る超科学のオーパーツを奪われまいと、敵対するために作られた組織の方が多いくらいだ。
 「日本って国は、あまり友好的じゃあないようだな」
 「けっこう邪魔してるみたいじゃない? 私たちもそうだけど、私たち以外の組織も」
 遺伝子レベルで神霊に関して独特な世界観を持っている日本である。世界共通の事象認識とか解釈といったものに、頷きがたい意識があるに違いない。だからおかしな組織が日本には多くある。それは認める。
 「さしあたり」
 鬼鮫のドスの利いた声を出した。
 「ここを嗅ぎつけたのは、お前らだけだ。今のところは」
 「ありがと。褒めてくれて。うちの諜報部も、やるでしょう」
 「で、だ」
 鬼鮫は右足のつま先を地面につけた。
 「どこまで知ってる?」
 「いったら――」
 私の視界も回復した。気持ち悪さもなくなった。
 「見逃してくれる?」
 「ああ」
 「ほんとかな?」
 私は背中を壁に預け、豊満な胸を支えるように、胸の下で腕を組む。その姿勢のまま、指でスカートの布をつまんで、ブリーツの波を直す。
 「何も知らない」
 鬼鮫はサングラスの上、眉をピクリと動かした。
 「本当か?」
 「ええ、ほんと。IО2がここに何かを始めたようだから、それの潜入調査」
 半分だけ本当のことをいう。誰かが囚われているなんて、軍部が知ってるなんて教えない。
 「だって、あんなに大勢のSP連れて、あんな政府要人が来ているのよ? IО2支援を積極的に発言するあの人が。なら、調べておく価値、あるんじゃない?」
 鬼鮫の表情はサングラスに隠されていて、分からない。それでも、
 「そうか」
 といってくれた。
 「じゃあ」
 私は壁から背をはなし、自立する。
 「見逃してくれるわね」
 鬼鮫は両手を広げ、
 「駄目だね。ありゃあ、ウソだ」
 そういって、ファイティングポーズを取った。
 猫足立ちで身体を揺らす。壊したはずの右膝が治っている。
 「俺の背中が取れたら、考えてやってもいいが」
 「背中が取れたら、そのまま走って逃げるわよ」
 「つまり、そういうことだな」
 鬼鮫が初めて笑った。
 倒していけ、そうことね。
 「そうするしかないなんて、分かってたわよ」
 お互いに回復している。
 「仕切り直しね」
 私もファイティングポーズを取る。

 その一瞬後には、腕が交わる。
 鬼鮫の左ジャブを、右の腕でいなすようにブロックした。
 だが、その拳圧に長手袋の裾が破けた。特殊素材の手袋が。
 続いて放たれる右ストレートを、一気に間合いを詰め、下から上にいなしてかわす。
 「ボクシングスタイルなら――っ!」
 右足を小内刈りで手前に払う。
 「うっ」と鬼鮫。
 そのまま、いなした右腕を支点にし、押しながら、
 「足技、弱いでしょうっ!」
 その左足も大内刈りで払ってやった。
 押し上げた右腕をさらに持ち上げ、私は身体を投げ出した。鬼鮫の身体をひっくり返し、その上に跳び上がる。
 スカートの中は、サービスで見せてあげる。あなたの名前、教えてくれたから。 
 でも、そのグラサンは気に入らないわ。 
 顔面を、右のヒールで踏みつける!
 その刹那、その直前、身体が舞った。後ろに飛んだ。
 下ろした足が掴まれたのだ。そして投げられてしまったのだ。
 「――うっ」
 壁に背中を打ち付けた。
 「な、なんて」
 力なの。
 そう最後までいえなかった。
 鬼鮫のボディブローが、みぞおちにめり込んでいたからだ。