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<東京怪談ノベル(シングル)>


【戦闘の遺伝子 ー3】





 背が丸まる。頭が下がる。
 必死に上げた首で見た。眼鏡の硝子の上に見た。
 鬼鮫の右ブローが迫っていた。
 「ぅぁあっ!」
 その拳が私を貫く。私の髪を。
 私はその場でバク宙をきめ、それをかわした。
 だが当然、空中を回る足は壁にぶつかる。
 そのヒールを壁にひっかけ、垂直に立つ。
 まるで忍者ね。
 いや、くの一か、女だから。
 さすがに、壁に立てるのは一瞬だけ。
 壁を蹴飛ばし、その反動で敵に突っ込む。右膝を曲げ、鬼鮫の首を狙う。
 バックステップでかわされるのを、足を振って、回し蹴りに変更する。それが失敗。
 伸び切った身体では、力が分散されてしまって、とっさの動きが取れないのだ。
 それは十分承知しての攻撃だった。完璧な間合いだった。
 鬼鮫の腕の振りが速いことは分かっていた。
 だが、その速度が先ほどよりも速くなっていたのである。
 右足はその左腕でブロックされ、ほんの一瞬の自由落下の隙をつかれた。
 抉(えぐ)るように繰り出された右ストレートが、私の左肩を打つ。
 「くあっ」
 またも壁に背中を打ち付けて、私は呻いた。
 「いけねえなあ」
 鬼鮫はオールバックの髪を両手の平で撫で付けながら、
 「本当は逃がしてやってもいいと思ってるんだが。戦いっつうと、燃えちまうんだ。こりゃあ――」
 またもファイティングポーズを取る。
 「血だな」
 そんなの。
 「知らないわよ」
 私は息を乱しつ、両足で立つ。
 こいつは、強い!
 四畳半しかない納戸。足場は人ひとり分しかない。その両脇には箱が積んであるばかりで、外に出るには鬼鮫をどかすしかない。だが、できない。背だって二メートルもあるわけじゃない。けど越えられない。
 この私が。
 数々の任務をこなし、乗り越えてきた私が。
 ただ人ひとり、どかせない!
 その背中を見ることさえできない!

 「まだやるか?」
 やれるのか。
 まだ手はある。
 だが、私にこいつの隙がつけるか。
 隙を作ることができるのか。
 その場で足踏みをするように、鬼鮫は身体を揺らす。
 隙がない。
 鬼鮫は私を見ている。
 こちらの動きを注視している。
 そのはずだ。
 サングラスの向こうの瞳は、この距離では見通すことができないが。
 だが、私にできるか。
 見ることなしに。
 けど。
 「やるしかないでしょ」
 「なら、来な」
 私は構える。
 左を前に半身になって、右手を腰の位置まで下ろす。手を開く。
 呼吸で気を溜め、右手に流す。手の平に溜めていく。
 狙いは、鬼鮫の左腕。
 その向こうにある行李。
 揺らぐ鬼鮫の身体の向こう、見え隠れする籐で編まれた籠をひとつ。
 「――っ!」
 息を吐き、腕を引く。
 手の平に溜めた気が、まるで昆虫を捕えるカメレオンの舌のように伸び、行李を掴み取るイメージ。掴んだそれを、手元に引っぱってくるイメージ!
 これが、私の超能力。
 実際に、気で動かしているかどうかは知らない。
 イメージの補完として、私が勝手に気という存在を使っているだけなのかもしれない。
 けどこれで、私は動かすことができる。
 まだ上手くは扱えないけれど。まだ重い物は無理だけれど。
 物を動かす超能力が、私にはある。
 「のぁっ!」
 鬼鮫の、驚いたような声。
 行李が鬼鮫の背にぶつかったのだ。
 その一瞬の隙をつき、私は跳んだ。
 滑るように間合いを詰める。
 「PKかっ」
 念動力、テレキネシスをPKと呼ぶ分類がある。
 唸る鬼鮫の胸に左肘を食らわして、腹に掌底をたたき込む。
 前のめりに倒れる鬼鮫の咽喉に、スカートの中からナイフを取り出し、突き刺した。
 血が噴き出る。
 頭からその血を浴びて、私は鬼鮫の身体を肩に抱えるようにして、後ろに投げた。
 「ようやっと、背中が見えた」
 ひょろりとした身体だと思っていたが、やはり焦げ茶色のコートは、その単色だけだと、背中はなんだか間抜けに見える。
 「じゃあね――」
 血にまみれたカチューシャを取り去って、背を向けて走り出そうとしたときだ。
 その後頭部に物が当たった。段ボールの箱である。
 前のめりに倒れ込んだ私は、首だけ振り返らせて見た。
 四つん這いに膝をつく鬼鮫が投げたようだ。
 咽喉から血を大量に垂れ流し、ごぷごぷという不気味な呼吸の音がする。喘ぐように呼吸して、喀血した血が顎にも垂れる。
 「ちょ、ちょう……おう、ろくしゃ、か」
 首に刺さったナイフを抜き捨て、鬼鮫は息を飲んだ。血が咽喉からさらに噴き飛んで散る。
 頭から地面に突っ込むように、まろぶように鬼鮫の身体が前に動いた。
 いつの間にか、殴られていた。
 「こ、こいつ――!」
 左の肋骨が何本かいったようだ。
 「うっ、ぁああああああああああっっ!」
 鬼鮫が叫ぶ。
 猛烈なラッシュを受けた。顎から顔、頭は両腕でガードしたが、そのガードした腕が我慢できないほど痛い。剛性の特殊素材の長手袋でも、鬼鮫のパワーを完全に殺すことはできないようだ。そして同じ素材のメイド服も、私の肌身にダメージを貫通させた。
 ごぼ、と私は血を吐いた。
 ごぷ、と鬼鮫も喀血した。
 「こ、のぉっ!」
 動きが止まる。その隙をつき、私は鬼鮫の顔面を殴りつけた。
 だが、腕に力はまるで入っていなかった。
 ガードのダメージが溜まりすぎて、腕が振りきれなかったのだ。腰を捻り、腕に乗せる力もなかった。胴は殴られすぎて、あちこちで激しい痛みを訴えていた。
 膝をつき、くずおれる私は見た。
 鬼鮫の咽喉の傷が、塞がりはじめている様(さま)を。
 なんなのよ、こいつ――!
 「血だ。血だ!」
 狂気じみた声が聞こえた。
 「これだけ血が流れても、俺はまだ血に昂ぶっちまう!」
 なんだ、こいつ。
 私は出口に後ずさる。
 「いけねえ。いけねえよ」
 鬼鮫はいやらしい嗤いを上げた。
 「血が叫んでる。血が動かすんだ。この俺を」
 着ていたコートを、破りながら脱ぎ捨てた。
 「戦えと、突き抜けと、引き裂けと!」
 鬼鮫は私の服を、その大きく開いた肩口を両手で掴んだ。
 そして裂いた。
 腰の所まで引き裂かれたワンピースは、その隙間から、血の斑点がついた真っ白のブラを見せた。
 「その血は、誰んだ? 俺か? お前か?」
 たぶん、鬼鮫。
 こいつの咽喉にナイフを突き立てたとき、吹き出た血を浴びたときのが、私の頬から咽喉を伝って胸の谷間に垂れたのだろう。
 「やってみろ。使ってみろ」
 鬼鮫は私の身体を投げ捨てた。
 「あっ」
 左肩に硬い衝撃。
 なんだ。
 また同じ壁に当てられてるし。
 冷たい壁にこめかみをあて、私は全身が震えるのをこらえる。
 もう、駄目かも。
 「使ってみろ」
 鬼鮫が挑発してくる。
 「PKを使ってみろ。それが俺に力をくれる。身体の芯から、力が湧いてくるんだよっ!」
 「な、なにをいって――」
 「血が、俺じゃない俺の血が、力をくれんだ」
 「あなた、まさか――」
 人間じゃない。
 純粋の人間ではない。
 「ジーンキャスト」
 IО2には、怪物の遺伝子(ジーン)を、ヒト遺伝子に移植(キャスト)された、脅威の戦闘力を持つ兵士がいる。
 「あなたは、そのひとりなの?」
 喘いだが、その質問に答えはない。
 鬼鮫は、自分ひとりの意識に浸りきってしまっている。
 「超能力者は、俺の敵だ。なぜそう思うのかは、分からねえ。たぶんそれも血のせいだろう。なあ、トロル!」
 トロールか、こいつに組み込まれた怪物の遺伝子は。
 厄介ね。けど、これであの腕力も、ウソみたいな回復力にも説明がつく。
 戦いが進むにつれ、拳速が増したのもそう。
 「まあ、それで」
 ため息をつき、私は喘いだ。
 呼吸のたびに激痛が走る胸を、粉々に砕け散りそうな右手で押さえて、
 「説明がついたところで、いまの私に、何かできるというのでも、ないけれど」
 諦めかけたときだった。
 鬼鮫の身体がビクンと跳ねた。
 「ふあっ、や、やべえ。血が。血がっ」
 「どう、したの?」
 思わず私は呟いた。
 鬼鮫は私に答えるという感じではなく、ただ喚(わめ)いた。
 「血が、流れすぎた。足りねえ。トロルの血が、足りねえ」
 これは、ジーンキャストの宿命。
 定期的に投薬しないと、怪物の遺伝子による拒絶反応で、絶命するのだ。
 なんだ、あと少しじゃない。
 「あなたのタイムリミットまで、あと少しじゃない」
 息も絶え絶え、私は呟く。
 「それまでもたせる――」
 私の身体を。
 この命を。
 壁にもたれ、私はその無機質なコンクリートの壁に縋りながら、立ち上がった。