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<東京怪談ノベル(シングル)>


猫睛石〜Erusaelp

 海原みなもは苦悩していた。
 今まさに己の手の内にある物を見て。
 先日、ちょっとした好奇心から、とんでもない目にあったみなも。
 まさに好奇心猫を殺す、だ。
 一見無害そうな猫着ぐるみを着たせいで、危うく人生を棒に振る所だった。
 その後父によって、ごく普通の市販の着ぐるみが部に寄贈されたが、みなもの身体には例の着ぐるみの呪いがまだ残っている。
 幸いにして今の所実害はないが、呪いが完全に解けるまでの間だ、満月の夜はお尻に猫のしっぽがある人生を送らなければならない。
 もう二度と猫の着ぐるみなど纏うまい―――そう思っていたみなもだったのだが。
「……お父さん、お土産はもっと選んでよ」
 父が喜色満面で手渡してくれた包み紙、その中に入っていた新しい猫の着ぐるみを見て、みなもは形良い眉毛をハの字に寄せていた。
「うーん」
 前回のものとは違うが、同じようにリアルな作りをしている所が不安を誘う。
 もちろん前回のような事があるはずも無いが、どうしても袖を通す気になれないのはいた仕方ない事だろう。
 けれど、袋と共に父が『この前酷い目にあったし、今度は可愛いのを見つけてきたから、これを着て元気出すんだよ!』と言ってくれた事を思うと、着ない事にも気が引けるのだ。
 なにより父がみなもの為に、みなもが喜ぶだろうとそう思って買ってきてくれた、特別愛情のこもったお土産なのだ。
「うーん、うーん」
 前回の恐怖と、父の笑顔。
 両方を天秤にかけて、たっぷり1時間近く悩んだみなもだったが。
「……せっかく、買ってきてくれたんだもの」
 やはり父への愛情の方が重かったらしい。
 みなもは再び着ぐるみを身に纏う決意をした。


***

「よい……しょ、っと」 
 持ち上げた着ぐるみは前回以上に妙に軽かった。
 まずその事に一瞬「あれ?」とは思ったが、そもそも市販の物とは思えないほど精緻な作りをしているのだから、素材からして通常とは違うのだろうと思い直す。
 覚悟を決めたからには楽しもう、そう決めたみなも。
 ふかふかとした毛並みを持ち上げた掌の内で楽しみながら、ゆっくりとまず足を、そして胴と袖を通していった。
 チャックを上げると、前回より軽いがサイズはぶかぶかしている事に、みなもは安堵を覚えた。
 なにせ前回のは、まるで特別な魔法がかけられているかのように、みなもの身体にぴったりと吸い付くようだったのだから。
 これならば大丈夫と思い、最後の仕上げに頭を手にする。
「……うっ」
 その両目の輝きに、みなもは思わず手を止めた。
 色は違う。
 けれどその鋭い針状のインクルージョンは前回の着ぐるみの瞳、輝く猫睛石に酷似している。
 見つめていると、飲み込まれそうになる輝き。
 そのまましばらくみなもは動けなかった。
「だ、大丈夫!もうこの前みたいにはならないんだから」
 そう思い直して猫の顔を被るまで、さらに10分以上悩んだみなもではあったが、父の顔がちらついて覚悟を決めた。
 すぽっと、くぐもった音をたてて、猫の頭がみなもの顔を飲み込む。
「―――ほら、なんともな……」
 一緒に袋にあった首輪をしながら、なんともない、そう言いかけた刹那。
 全身がきゅっ!と音をたてて締め付けられた。
「え?」
 呆然とするみなもの身体に、先ほどまで大きすぎるくらいだった着ぐるみが襲い掛かった。  
 肌に吸い付く、なんて甘いものではない。
 ぎりぎりと皮のような質感の物が、全身を締め上げていく。
「痛――っ!」
 思わず畳の上に膝を着いてしまい、痛みに逆らうように手に力を入れると、猫の手から飛び出した鋭い爪がい草をバリバリと逆立てた。
「ま、た……なの?」
 どうして!?と心が叫んだが、襲い掛かる痛みに意識が攫われる。
 万力で無理矢理身体を小さく丸められるような、激しい痛みに目の前がチカチカする。 痛みに思わず叫ぼうとして、ひゅう、と息を吸い込んだ途端、今度は別の感覚がみなもにずぅうん、とのしかかってきた。
「ひっ!?」
 地響きを立てるように、みなもの身体に凄まじい衝撃をもたらし、震えさせ、髪の先までも駆け抜けていくような新たな感覚。
 冷や汗とも、脂汗とも違う、灼熱の汗がぶわっと全身の毛穴から吹き出る。
「あ……ぅっ」
 叫び声のかわりにみなもの形良い唇から、苦悶の吐息が漏れる。
 そう、それはまさしく苦悶だった。
 まだ発展途上の肉体に襲い掛かる、痛みの対極であり、そして延長上でもある感覚。
「くっ…ふぅ……っ」
 何度呼吸しても受け流せない、逃れられない、途方に暮れるその感覚は、他ならぬ『快感』であった。
「あー……あああっ!」
 一生懸命に擦れた声を上げて、得体の知れない快楽から逃げようと、みなもは畳の上で全身をくねらせた。
 先ほどまでみなもを苦しめた痛みは、すっかり新たな感覚によってかき消されている。
 みなもは知らないが、この着ぐるみというなの呪具の持つ能力の一つが痛みなのだが、彼女は人間と人魚の間で身体を変じる能力を持っている。
 その彼女の持つ異能者の細胞の防衛反応が、心まで破壊してしまう程の痛みから、みなもを護るために働いているのだ。
 痛みを快楽に変えて。
 だが本来与えられるべき痛みの強さ故に、その快楽すら精神を侵す程の壮絶なものとなっていた。
 快楽に慣れた大人の女性ならまだしも、まだ幼い少女であるみなもに、にいったいどうして抗うことなど出来ただろう。
「は…っくっ……おと……さんっ」
 ぜいぜいと息を荒げながら、みなもは隣室にいるであろう父を呼んだ。
「ううっ」
 けれど父の返事はなく、大きな声を張り上げようにも、喉が震えて正確な言葉と音を紡げない。
「たすけ……ったす……け、てっ」
 啜り泣くように短く息を吸い、吐きながら、みなもは苦しげに全身を掻きむしった。
 この快楽から逃れられるなら、皮膚ごと着ぐるみを剥いでもいい。
 本気でそう思えるほど、みなもにとって耐え難い快楽だったのだ。
 けれど自らの二の腕あたりに爪を立て、みなもは激しく後悔した。
「ひぐぅうっ」
 柔らかな獣毛を掻き分け、皮膚に爪がプツンと刺さる感覚。
 それは痛みではなく、更に彼女を苛む悦楽としてみなもの脳髄を駆け上がった。
「やー、あっ、や、だぁあっ!!」
 想像だにしなかった新たな快楽に戦きながら、みなもは慌てて手を引いた。
 だが時すでに遅く、傷つけられた傷口はさらにジンジンと疼いてみなもを戦かせる。
「んっ、んんっ」
 それでも己の手が与えた異質な感覚が、彼女の自制心を蘇らせた。
 もしかしたら、快感に肉体が順応しはじめたのかもしれない。
 ふーっと努めて深呼吸を繰り返していくうちに、みなもは少しずつその喜びを受け入れられるようになっていった。
 身体が変貌していく、心が別の意識に蝕まれていく事が、恐ろしいほどに心地良い。
「にゃあっ!にゃあああんっ!」
 やがて嫋々とみなもの喉から溢れる吐息が、人間ではなく猫のものに変ずる頃には、みなもはすっかりその悦びに浸っていた。
「はー……ぁ……」
 呼吸が落ち着いていくのに合わせ、すーっと熱が引いていく。
「にゃあん」
 それを惜しむように声を上げたみなもの姿は、再び半猫人になっていた。
 しなやかな身体をくねらせて、外を見れば美しい満月がみなもを見下ろしている。
 夜が来た。
 誰にも邪魔されない、静謐の時が。
 みなもが嬉しそうに月を見上げると、お尻で機嫌良さそうに2本のしっぽがふわりと動いた。   
 呪具が介入した記憶に、首輪についた鈴を3回爪で弾けば呪いが解ける、それはわかっている。
 けれど望むなら、今度は完全に小さな猫の姿になることもできるのだ。
 今よりも激しい肉体変化。
 それがいったいどれだけの苦痛を、いや、快楽をみなもにもたらすだろう?
 
―――気持チイイコト、スキ。

 己の欲望に素直な獣の魂がそう囁くのに身を任せ、みなもはざらついた舌先で己の唇をペロリと舐めた。



 fin
 

***
ありがとうございました、Siddalです。
快楽と痛みの描写、ご希望されている内容に仕上げられましたでしょうか?。
修正、ご意見、ご希望が御座いましたら遠慮なく仰ってくださいませ。
また機会がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。