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<東京怪談ノベル(シングル)>


Y博士ノ、ニンゲン椅子

 ある日の学校帰り。
 海原みなも(うなばら・みなも)は、何とはなしにアンティーク・ショップレンへと立ち寄った。
 ドアを押し、軽い鈴の音を鳴らして店内へ一歩入ると、通りとは別世界が待っている。
 所狭しと並べられた古い品物たちを、ランプの灯りと店主のキセルが漂わせる紫煙の香気が彩れば、軽い酩酊感を及ぼしてくる。うつつの世界であるにも関わらず夢の中でもあるかのような、そんな場所だ。
 カウンターは無人だった。
「よく来たね」
 店主、碧摩蓮(へきま・れん)の声がした。
 アンティークの間を通りぬけ、声のほうへと進むと、一脚の椅子を前にした店主の姿。いつものようにキセルを片手に、まじまじと椅子を眺めている。
 椅子とは、本来眺めるものではない。
「座らない……んですか?」
 つい、そうたずねた。
「座ってみたいんだけどね、まだ座れないのさ」
 蓮の答えを不思議に思ったみなもは、並んで椅子を鑑賞した。まさに鑑賞する、と表現するのに相応しい品だった。革張りの、ゆったりとした一人がけのソファ。使い込まれた革はランプの灯りの下で穏やかに光を跳ねている。これといった装飾は無いものの、椅子としての機能美とでもいえる美しさがある。
 ただ一点、奇妙な意匠が施されている箇所があった。
「この肘かけ、珍しいですね」
 ソファの肘かけ部分が、人の手の形をしていた。腰かけたものの両脇から、人の手が前へと差し伸べられているような形になるだろうか。
「それだけじゃあないのさ」
 蓮はみなもをしばらく見つめて、ニヤリと笑った。
「そうだ、丁度いい。あんた、手伝っておくれよ」
「はい……?」
 首をかしげたみなもの前で、蓮は椅子をいじりだした。背後に留め金のようなものがあるのを外すと、
「はい、そっち持って! 持ち上げるよ、せーの」
 有無を言わせぬ口調で、みなもに椅子の片方を持つように指示し、二人で持ち上げた。
 案外軽い。
 すぐにそのわけがわかった。
 持ち上がったのは椅子の革張りの部分だけ。その下から、もう一ついくらか小ぶりな椅子が現れたのだ。
「な、なんなんです、コレ」
 現れた小ぶりな椅子は、全体がスポンジのようなもので出来ており、要所要所がしっかりした木製の骨で補強されている。しかもスポンジは人の座る形にぴったりするよう、足の位置にいたるまで人型のくぼみができていた。
 さらには、椅子から垂れ下がっている幾本ものベルト。
 この用途は一体?
 みなもの頭の中に疑問がうずまいている様子を見てとり、蓮が話しだした。
「こいつは特殊な椅子でね。とある天才博士が作ったモノなんだ。十年以上前に亡くなってるんだけど、仮にY博士としておこうか。人間工学の第一人者で、心理学も修めた鬼才でね。生前はその才を買われて、拘束衣の研究なんかもしてたそうだよ」
「こ、拘束衣、ですか……」
 とんでもない話になってきた。
「その天才の遺品が、これさ。この小さいほうに人が座って、詰め物の一部になることで完成するニンゲン椅子ってわけだ」
「はあ……え、蓮さん、あたしが手伝うってもしかして!?」
 蓮は、満足そうにうなずいた。
「ご名答」

「あんた、なんか固くなってないかい?」
 蓮がからかうように言う。
 みなもは、ニンゲン椅子の中身となるべく、スポンジの椅子に腰をおろしていた。
 両側に垂れ下がっていたベルトで、蓮がみなもの腰を、胸を、足にいたるまで、きっちりと拘束してゆく。
 この状況で固くならないほうが、おかしい。
 手を残して、きっちり全身を固定された。
「どう? キツいところはあるかい?」
「いえ、大丈夫です」
 自分のおかれている状況に緊張こそすれ、実際座り心地……というより、固定され心地は悪くなかった。病院などでも使われる拘束衣を研究していた者が作っただけあって、苦しさなどは微塵もない。
「男なら、ちょっとそそられちゃうような眺めだねぇ。よし、じゃ、仕上げといくよ」
 革張りの外側が、ぱっくりと開いた背の部分から、みなもへとかぶさってくる。
「手は、肘かけのとこに入れるんだよ。手袋状になってるからね」
「はい……ええと、こうですね」
 椅子の中、暗くて何も見えないが、しっかり拘束されているがゆえに、探らなくてもみなもの手はすっぽりと肘かけの内におさまった。
 蓮が、背後へと回る。
「ここ閉じちゃうと、防音状態になって、外の音聞こえなくなるし、中からの声も聞こえないからね。まあ、とりあえず十分もすれば出してあげるから、心配しなさんな」
 カチリ、カチリ、と留め金がとめられる。
 そして、みなもはニンゲン椅子になった。

 ◆◆◆

 完全な、闇の中。
 無音。
 自分の呼吸音だけが、やけに大きく聞こえる。
 心臓の鼓動すら、聞こえてきそうだ。
 息苦しさはない。
 革張りの裏地にもスポンジのような素材がついており、それがみなもの前面をぴったりと覆いつくしているが、空気を通す特殊な材質なのだろう。
 また、目鼻のあたりはごくごくわずかだが、空間ができるようになっていた。人間工学の粋を尽くした技術といえようか。
 キュっ、と体の一部が突っ張ったような感覚。
 いや、外張りの革が伸びたのだ。
 蓮が、座ろうとしているのだろう。
 革の感覚は、今やみなもの皮膚感覚と一体だった。
 柔らかな重みが、足の上にかかってくる。
 ついで、腹部に、胸に。
 蓮が、くつろぎもたれかかってきている。
 人ひとりの全体重がかかっている筈なのに、あるのはただ一体感だけだった。

――そうか、これが椅子の感覚なんだ。

 椅子とは、人が座るのが当然のモノ。
 椅子が重さに喘ぐこともない。
 ただ、人に座られてはじめて、椅子として機能する。 
 そういう、存在だ。

――あたしは、椅子なんだ。

 左手に、何かが触れてくる感触。
 蓮の手が、肘かけにかけられたのだろう。
 手袋状になっている手は、全身のどこより敏感に動きを感じとれた。
 蓮の手が、ゆっくりと肘かけを撫でている。

――あ、これ、指だけ動く?

 手袋状の肘かけ、指先だけごくわずかにだが、動かせるようになっていた。
 くにゃり、全身がやわらかく揉まれた。
 椅子の上、蓮が、みじろぎしたものか。
 そのなんともいえない感覚に、つい唯一動く手指が、うごめいた。
 完全な椅子ではない、ニンゲン椅子ならではの、意思表示とでもいえただろうか。
 いや、意思などという明確なものではない。
 魂を持つ椅子、ニンゲン椅子としての、ただ一つ許された自己表現。
 その指先、いや肘かけというべきだろう……を、蓮がきゅっと握りしめたようだった。
 時の流れが、ゆるやかだった。
 椅子の時間とは、こういったものなのだろう。
 人間でなくなり、ニンゲン椅子になる。
 いま、みなもの中に流れているのは、椅子の時流だった。
 緩慢なトキの流れの中、いつしか思考すら変質していた。
 椅子は考えない。
 ニンゲン椅子である、みなももまた。
 スベテを受け止め、感じるだけだ。
 全身で感じたカタチのないナニかに、ユビサキだけが応じてウゴメク。

――アタシ、ハ……

 フッ、と全身がコゴエタ。
 トテツモナイ寂寥。
 キエテユク一体感。
 失われてゆく、ニンゲン椅子のソンザイイギ。

――イヤ……ダ……
 
 ◆◆◆

 ほのかなランプの灯りが、ひどく眩しかった。
 椅子の外張りが、取り外されていた。
「ほらほら、ぼんやりしてないで、こっちの世界に戻っておいでよ」
 みなもの顔をのぞきこんで、蓮が笑う。
「あたし……ああ、十分たったんですね」
「そういうこと。今、外すからね、ちょいと待ってて」
 手際よくベルトが解かれ、少しずつ体が自由になってゆく。
 みなもは、店内をゆっくりと見回した。
 視界が、あるということ。
 人としての感覚が、少しずつ戻ってくる。
 それとともに、あれほど敏感だった皮膚の感覚が薄れてゆく。
 ニンゲン椅子から、人へ。
 全ての拘束が解かれたとき、みなもは人へと戻りきっていた。
「はい、お疲れさん。お茶でもするかい?」

 ねぎらいの紅茶――といっても指示され淹れたのは、みなもだったが――を頂きながら、みなもは蓮にたずねた。  
「この椅子、この後どうするんですか?」
「ん〜、まあ、当分ここに置いとくけど、それがどうかしたかい?」
 返事をするまでに、一瞬の間があった。
「また、使わせてもらっても、いいですか」
 みなもの言葉を聞いて、蓮はまばたき数回。
「ふ〜ん……」
 頷きともなんともつかない声をもらすと、口の端上げて笑みを作る。面白いモノでも見つめるように、みなもを見やった。
「構やしないよ。好きにしな」
 答えて、視線を宙空へと移し。
 自身の思いに浸っている者の目。
 その蓮の目が、微かにうるんだように見えた。
 ほんのわずか、頬に朱がさし。
 よくよく注意して見つめなければ解らない程度の、変化。
 魂の恍惚の、発露でもあったろうか。

――蓮、さん?

 みなもが思わず問いかけそうになった、そのとき。
「それに」
 蓮は言葉を継ぎかけ、キセルをスパリとやった。
 さもうまそうに味わい、ゆっくりと息をつけば、煙がヴェールとなって包み込む。
 真相は紫煙の向こう。
「あんたの座り心地、悪くなかったしね」