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仔猫ちゃん、おうちはどこ?
「――仔猫を探して欲しいの」
その知らせが海原・みなも(うなばら・−)の元にもたらされたのは、ある秋の晴れた朝だった。
携帯電話越しの声の主には覚えがあった。裏の愛玩動物博覧会の仕事で出会った、チャイナドレスの女性。
「憶えているかしら。白い毛色の、猫の獣人なンだけど」
「白い――はい、憶えています」
みなもは頷いた。あの日あの場所で扱われた“商品”について、細かな情報は女の手によってみなもの頭から消去されていた。しかし、みなもが実際に目にした事柄についての記憶は、はっきりと残っている。
忘れようはずもない、あの白い仔猫。
あの子が昨夜、あの地下施設から消えてしまったのだと、女は言って吐息した。
「逃亡したのか、誘拐されたのかはまだ調査中よ。誘拐なら、“裏”の力でゴリ押しも利くんだけど……問題は、あの子が自分の足で逃げていた場合なのヨ」
フラフラしているところを、前の“飼い主”の一派や、作り出した研究所に捕まるのは、勿論良くない。そうでなくても、警察や普通の病院などに保護されて騒ぎになるのも、望ましくないことだった。獣人は今はまだ、“裏”の存在なのだから――。
「まずいことになる前に、探し出して、説得してつれて帰って欲しいの」
もちろん、“博覧会”の組織とて、逃走の方向でも捜索している。
しかし、組織と直接関係のない人間の方が動きやすい場合もある、と、女は言った。
「人がたくさんいる、賑やかな場所とかネ。あなたみたいなお嬢さんのほうが自然に動ける場所もあるでしょう?」
みなもは、躊躇せず返事をした。
「あたしに出来る限り、精一杯協力させて頂きます!」
と。
++++++
みなもは街に出た。
仔猫の足なら、そう遠くには行けない。
恐らくまだ、施設のある街のどこかに潜んでいるだろう、というのが女から聞いた情報だった。
急いで家を出てきたので、服は手近にあった制服だ。ビルに挟まれた大通りで、息を切らしながら、みなもは周囲を見回した。
休日であるといだけでなく、大通りには人が多い。自動車の出入りを閉鎖して、歩行者天国になっているからだ。なにやらもうすぐイベントが開かれるようだった。
人、人、人。
周囲に見えるのは人ばかりで、みなもが途方に暮れかけた、その時だ。
ポケットの中で、携帯電話が鳴った。液晶画面に表示されていたのは、探偵、草間・武彦(くさま・たけひこ)の名だった。
「よう。猫探しだって?」
電波越しの草間の声は、いつもの通りの飄々としたもの。
「なんか知らねえが、俺も狩り出されてなあ」
草間は今、近辺で探偵のネットワークを使った捜索(要するに、知り合いを総動員した人海戦術)を実行中だと言う。
偶然のような口ぶりだが――。
(きっと、お父さん、ですね)
父の気遣いに内心で感謝し、みなもは素直に草間に助言を請うことにした。
「あたしは今、大通りに居るんですけど……どこをどう探せば良いか、わからなくて」
「そこを探してくれると有難いんだが」
草間曰く、路地裏などの捜索なら、人海戦術は効果抜群だ。しかし、人の多い場所で人込みに紛れている相手を探すのなら、もっと有効な手段がある。
「そんな時こそ、管狐の出番だろ」
管狐のみこ(巫狐)ちゃんを憑依させることによる、五感の上昇。みなもは、仔猫の息遣いや声やにおいを覚えている。人が多いのであの子の情報をより分けるのは大変だろうが、五感から入ってくる情報の選別についても、最近は少し慣れた。きっと、近くに居れば見つけることができるだろう。みなもとて、思いつかなかったわけではない。しかし。
「でも、騒ぎになってしまいそうです……」
感度を上げようとすると、狐耳に狐の鼻がひょっこり、尻尾もふさり、の狐ッ子姿になってしまうのだ。いつもなら、少々騒ぎになっても誤魔化せば良いけれど、今日ばかりは無用な騒ぎはおこさないほうが良い。
そう判断して、みなもは迷っていたのだ。
しかし、草間の返事は意外なものだった。
「問題ない」
「え?」
もうすぐ、時間だ。草間の言葉に、みなもは目を瞬いた。
「そろそろ、居るんじゃねえか? 周りを見てみな」
不思議に思いつつ、みなもは周囲を見回し「あ」と小さく声を上げる。
魔女。狼男。包帯グルグル巻きのミイラ。
普通の服装の人たちに混じった、モンスターたち。
「……ハロウィン……!」
みなもは思わず声を上げた。
そう。今日ここで開かれるのは、ハロウィンの仮装大会なのだ。開会の時間が近付き、仮装した人がちらほらと姿を見せ始めている。
「狐ッ子も、そろそろ目立たなくなってきてるんじゃないか?」
草間に、みなもは深く頷いた。
「はい。やってみます。ありがとうございます!」
携帯を切り、みなもは一旦路地裏に隠れると、胸ポケットから万年筆を引き出した。
「……みこちゃん、お願い」
キャップを外せば、万年筆の中からするりと、水の流れのような青い毛並みが現れる。小さな狐はピョンと跳ね、みなもの肩に飛び乗った。
みこちゃんは命に従い、みなもの中に入ってくる。ひるがえった青い尾が、青い髪の影に消えた。
「ん……」
目を閉じて、小さく、みなもは喉を鳴らした。みこちゃんが、自分の中に混じってくる感覚は不思議だけれど、既に馴染みのあるもので。
ふわり、セーラー服のスカートの裾から尻尾がはみ出るのがわかった。
同時に、わっ、と周囲の音、匂い、全てがものすごい勢いでみなもの中に飛び込んでくる。
「んん…………」
眉を寄せ、みなもは音と匂いの洪水をふるいにかけた。探している、あの子のものではない音と匂いはさらりと流さなければ、一気に疲労してしまう。それほどの、情報量。
少しずつ、みなもは探索の範囲を広げた。
半径20メートル程度が、今のところの限界。
もう少しで、その限界が来る、という瞬間。
「!」
ぴん、とみなもの頭の上の狐耳が震えた。
確かに捉えられたわけではない。しかし、かすかに――あの子の息遣いを感じた。
方向だけは、確かにわかる。
みなもは目を開けた。緊張に、ぴりりと尻尾が揺れる。
「……あっちですね」
迷いのない足取りで、みなもは路地から大通りへ出た。
++++++
歩行者天国の人込みの中、青い狐ッ子が、獣のような敏捷さで人の間を縫ってゆく。
誰もがみなもを振り向くけれど、それは奇異に思っているのではなく、とてもよくできた仮装だと思っているからだ。
みなもが向かう先には、更なる人込みがあった。歩行者天国の中央は、1車線だけロープが張られて人が入れないようになっている。プロのダンサーたちが仮装パレードをするための通路として、確保されているのだ。
もうすぐパレードの開始時間。
スタート地点には、一般参加の素人たちとは一線を画した、本格的な仮装を施した出演者達が並んでいた。
「……見つけた」
みなもの唇から、呟きが漏れる。
白い仔猫が居た。猫メイクをした子供たちの中に混じって、一人おどおどと周囲を見回している。
恐らく、付近をウロついていたところを、出演者に間違えられて混ぜられてしまったのだろう。
怪我はない。無事だ。
みなもはほっと肩の力を抜いた。が、ここで安心してはいけない。
連れ帰らねばならない。
こんなところに居たということは、施設からは攫(さら)われたのではなく、自分で逃げ出したのだ。
何故逃げたのか――それを聞き出して、きちんと説得しなければ、きっと今連れて帰ってもまた同じことになる。
ひとつ深呼吸をして、みなもは仔猫に歩み寄った。
「仔猫ちゃん、おうちはどこですか?」
みなもの声に、ピクリと髭を震わせて、仔猫が振り向く。
「……あのときの、おねえさん?」
仔猫は、瞳孔の縦に長い目を瞬いた。
「はい。憶えていてくれましたか」
「…………匂いで。おねえさんも、獣人だったの?」
不思議そうに見上げてくる仔猫に、みなもは微笑んで頭を振った。そういえば、以前に会ったとき、みなもはヴェールで顔を隠していた。
「みこちゃん、出てきて」
みなもの髪を揺らして現れたみこちゃんは、するりと万年筆の中に収まった。元通り、セーラー服の少女に戻ったみなもに、仔猫はまた目を瞬いた。
「すごい。おねえさん、変身できるのね」
目を輝かせる仔猫に、みなもは優しく手を差し伸べた。
「帰りましょう。皆さん心配していらっしゃいますよ」
「……」
仔猫はみなもの手を取ることをためらっている。
「……こわいから、いや」
小さく、仔猫は言った。
「こわい?」
「もうすぐ、新しいお家に行かされるの」
この間の“博覧会”で買い手がつき、顔合わせを何度か繰り返して、後は引き渡しの日を待つのみだったと、みなもも聞いている。
「新しいお家が、こわいの?」
みなもの問いに、仔猫は頭を振った。
「新しいご主人様……じゃなくて、ホゴシャの人は、とっても優しい。でも、いつかはひとりで生きていけるようにお勉強しましょうねって、言うの」
仔猫を買い取ったのは、とある裕福な老婦人だった。
自分の余命は、恐らく仔猫の一生よりも短いと見越して、婦人は最初から仔猫に対して、主人ではなく保護者として接しているのだそうだ。
可愛がるばかりでなく、いつか自分が死んでしまっても生きていけるように、人間の世界で自立して生きて行く方法を教えるのだと。
「でも、そんなの無理。前に私を買った人は、私はニンゲンじゃないから、何してもいいって、言ったもの。ニンゲンじゃなかったら、ニンゲンの世界で生きていくなんて、絶対できない」
「それは……」
みなもの表情が曇る。人ではないが故に、酷い扱いを受けた記憶。それが枷となり、人の世が自分を受け入れてくれるとは思えないのだろう。
確かに人は、人ではないものを拒む。蔑むことさえある。けれど、そればかりではないことを、みなもは知っていた。
「……外に逃げてみて、何がわかりましたか?」
静かな問い。仔猫は答えないが、耳がピクリと震えた。
「どんなに逃げても、どこに行っても、人間がいっぱい居ますよね?」
仔猫は頷いた。現に、今この場所にも人がいっぱいだ。
「だから、色々な人が居るんです。人ではないからというだけで、心を開いてくれない人ばかりじゃないんです。新しい保護者の方は、良い方なのでしょう?」
強く、仔猫は頷く。
「その方だけじゃなく、あなたを受け入れてくれる人が、きっと他にもたくさん居ますよ」
「……おねえさんも、私のこと、嫌いじゃない?」
おずおずと差し伸べられた仔猫の白い手を、みなもはぎゅっと握った。
「はい。それに実はあたしも、受け入れてもらっている側なんですよ」
にっこり笑ったみなもに、仔猫が問いを返そうとした時。
ホイッスルの音がした。次に小太鼓のドラムロール。やがてブラスバンドが賑やかな行進曲を奏で始めた。パレードの列が動き始める。
「おねえさんも、やっぱりニンゲンじゃないの?」
「実は、人魚なんです」
こそりと仔猫の耳元に囁くと、みなもは白い手を引いてパレードの列から抜けた。
ビルの窓から振り撒かれた紙ふぶきが、2人の頭上にひらひらと舞い落ちる。
以前みなもが仔猫に出会った時に、手首にかすかに残っていた赤い傷跡は、今見るともう消えていた。
++++++
「ありがとう。お世話になったわネえ」
赤い扉の奥、地下のバーカウンター。
チャイナドレスの美女が、みなもと草間に微笑みかけた。
「みなもおねえさん。あのね、私、ホゴシャの人に、今度ちゃんとした名前をつけてもらうの。そしたらね、教えてあげるから、次は、その名前で呼んでね」
15番、と番号で呼ばれていた仔猫は、みなもの手を握って必死で語りかける。みなもとはここで別れなければならないということを、わかっているからだ。
次の約束をして良いのだろうか――みなもが逡巡していると、
「大丈夫。その子の保護者さんなら、話のわかるいい人よ」
チャイナドレスの女が片目を瞑った。
「……はい。次は、お名前を教えてくださいね」
みなもの返事に、仔猫の顔が輝く。
「じゃあ、お嬢ちゃん、最後にもう一仕事。その子を奥に連れて行ってあげて」
バーカウンターの奥の秘密の扉へ、みなもと仔猫を送り出すと、女は草間に向き直った。
「何か、言いたいことがあるみたいだけど?」
「いや。別に。ただ少し、探し物があんなところに居たとは、話ができすぎていると思っただけで」
皮肉るような草間の言葉に、女は小さく肩をすくめた。
「あの子が逃げ出したところまでは、こっちだって予想外の出来事だったのヨ? ……“組織”の者じゃ、あの子を説得するのは無理だろうと思って、少し……演出はさせてもらったケドね」
やっぱりか、という顔で草間が苦笑する。
「非合法、ただし人道的に――ってやつか」
「手を回してたってこと、お嬢ちゃんには秘密にしておいてね。私、あの子に嫌われるの、イヤなのよ」
赤い唇に、女は人差し指を当てた。
その手がまとう蛇の鱗が、薄暗い照明にきらめいた。
END.
<ライターより>
いつもお世話になっております。
今回は仔猫探しということで……季節柄、少しハロウィンもからめてみました。
黒幕は……蛇のお姉さんでした(笑)。
楽しんでいただけましたら幸いです。
そろそろ気温が下がってくるとの予報ですので、お体にお気をつけて。
ではでは〜。
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