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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


救われぬ乙女


 暗闇が辺りを支配していた。
 本来ならきっと鼻を摘まれても解らないほどの暗闇。だがその中、何処から来るのか解らないほんのりとした僅かな光が部屋の様子をうすぼんやりと浮かび上がらせていた。
 一言で言うなら雑然…いや、片付いてはいるのだが、細かい何に使うかも解らない品々が所狭しと置かれているのでどこかごちゃりとしたイメージを植え付けられるのだった。
 その部屋の真中で、シリューナ・リュクテイアは机の上に置かれたガラスの燭台を愛でるような目つきで見ていた。その燭台に置かれているのは美しい薔薇を模したうす桃色の蝋燭。
 シリューナは愛しいものに触れるようにその指の腹で花びらの際をゆるゆると優しく撫で、堪能する。
 暫くそうしていたシリューナだったが、ふと思い出したように優雅な手つきでレトロで奇妙なデザインのマッチ箱を取り出し、マッチを擦る。そして、その灯った火を花びらに近づけた。

 ぽっ…。

 淡い音がして、薔薇の蝋燭に火が灯る。花びらの縁を滑るように炎が伝い、一瞬で蝋燭は火に包まれた。ふわり、と強い薔薇の香りが部屋に充満する。
 シリューナの視線の先で、蝋燭は炎を上げて燃える。じくじくと蝋が溶け、美しい薔薇の形を崩していく。
 そして、いよいよ蝋燭は激しく燃え上がり…しかし次の瞬間、ふつとかき消える。
 その後に残されたのは強い薔薇の香りと、先ほどまで薔薇の蝋燭が燃えていた燭台の上でみずみずしく咲き誇る一輪の薔薇だけだった。
 シリューナはそれを見て、満足げに微笑むのだった。


  ※             ※


「それじゃあ、その魔法の蝋燭を作るのをお手伝いすればいいんですね?」
 シリューナの魔法薬屋の奥まった一室。いつものように魔法薬屋を手伝いにきたティレイラにシリューナは魔法の蝋燭の作成を依頼していた。
 だが、まだ魔法の未熟なティレイラ。上手く出来るかしら、と唇に指を当て、首を傾げて呟いたティレイラに、シリューナは安心させるような穏やかな口調で告げた。
「ええ、数が多くて一人ではなかなかはかどらないの。難しくはないからお願いね、ティレ」
「は、はいっ!頑張ります!」
 身体を硬くして慌て気味に言うティレイラに、シリューナはふふ、と小さく微笑う。これではまるで初めてのお使いのようだ。いつもは店番ばかり頼んでいたから尚更なのだろうか。
 シリューナは緊張するティレイラを部屋の真ん中にある大きな丸い壺の前に連れて行く。ティレイラが恐る恐る中を覗き込むと、そこにはドロドロとした白濁の液体が満ちていた。
「これが魔力の蝋よ。貴女の仕事は、花をこの蝋に浸すだけ」
「…それだけでいい、んですか?」
「ええ、あとはすぐ乾くから、乾いたら私に渡してくれれば、私がきちんと梱包するわ」
 シリューナの言葉にあからさまにほっとした表情をするティレイラ。シリューナはそれを見て、にこりと微笑む。…優しい微笑みだ。だが、どこか黒い影を感じる。
「…あの?」
 ティレイラはそれを敏感に察して上目遣いにそろりとシリューナに問いかけた。
「でも、気をつけてね。その蝋は触れたものは何でも蝋にしてしまうから、間違って手を中に入れてしまったら、貴女も魔法の蝋燭になってしまうわよ?」
「…ふぇ!?」
 ことんと軽く首を傾げ、今日のお夕飯はカレーにしましょ、というのと大差ない調子で語られたシリューナの言葉に、ティレイラは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
 だが、シリューナは相変わらず美しく微笑んだまま。それは無言の圧力を感じさせる。…どうやら辞退することは出来ないようだ。
 ティレイラはがっくりと肩を落とした。
「ふふふ…」
 シリューナは唇を弓形に撓らせて、ますます美しく、妖艶な微笑みを浮かべ、ティレイラに一本目の薔薇を手渡した。


  ※             ※


 作業は思いの外、とてもスムーズに行われた。
 初めこそ、恐る恐る薔薇を魔力の蝋に浸していたティレイラも、全体の三分の一ほどの花を蝋に変える頃には大分神経が麻痺し始めていた。
 とぷ…ん、と薔薇の花を蝋に浸すと、すぅと吸い上げるように茎まで蝋化していく。それがとてもティレイラの好奇心をそそる光景だったことも一因かも知れない。
 全体の三分の二を蝋に変えた頃には、手際よく蝋を梱包していくシリューナとお喋りをできるほどになっていた。
「でも、ロマンチックですよね。蝋燭が生花になるなんて」
「そうね、そう思ってくれると作った甲斐があるわ」
 そして…。
「あ、お姉さま、最後の一本ですよ!」
 嬉しそうなティレイラの声に、シリューナは目を細めた。その視線の先で、ティレイラはその最後に残った一本を蝋にするために蝋の壺に腕を差し入れていた。
「そう、でも気をつけてね。最後の一本で失敗するということもよくあることよ」
 その言葉が終わるか終わらないかの刹那。壺の蝋が少なくなってきていたため、深く差し込んでいたティレイラの指先から、ぽろりと薔薇の花が落ちた。
「っえ!?」
 作業を始める前のシリューナの注意を忘れたわけではなかった。だが、咄嗟の行動にそれが反映されないばかりか、かえって状況を悪化させることがあるのは、人間も竜族も同じらしい。
 ティレイラも、咄嗟に花を捕まえようとして。

 どぷん。

 手を蝋の中に突っ込んでしまった!
 その瞬間、なんとも言えない感覚がずるりと腕を這い上がる。…ティレイラの腕が蝋化を始めたのだ。
「きゃっ!!」
 慌てて身を引くティレイラ。だが、それも状況の悪化を招く結果になった。身を引いた瞬間に腕が壺の縁に引っかかり、壺がバランスを崩す。そして、そのまま壺はティレイラが尻餅をついた方向へと身を倒す。

 ばしゃーん!!

 盛大な水音がして、壺の中にあった全ての魔力の蝋がティレイラに降りかかった。シリューナの目の前で、ティレイラはぱきぱきと音を立てながら蝋化していく。
「お…姉さ…ま、たすけ…」
 ティレイラは最後の力を振り絞り、シリューナに向かって両手を掲げ助けを求めたが、それもむなしく、そのまま完全に蝋の塊と成り果てた。
「…だから、気をつけなさいと言ったのに」
 シリューナはふぅと溜息をついて、立ち上がると、蝋となったティレイラの元へと歩み寄る。そして、ティレイラの身体から滴るようにして固まった余分な蝋を払いのけた。
 すると、そこには救いを求めるように両手を掲げ、悲しい瞳をした乙女の蝋像ができあがっていた。
「…なかなか、いい出来ね」
 シリューナはそっと蝋像の輪郭を愛でるように撫でる。その目は満悦したようにうっとりとしている。
「薔薇と同じように元に戻すことは出来るけど、でも、その前に少しだけ…オブジェとして店頭に飾り付けてみようかしら」

「そうね、タイトルは『救われぬ乙女』でどうかしら?」

<了>