コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


呪われた帆船

 ある日の夜のことだ。
 響カスミはコーヒーなど飲みながら、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた。
 一月ほど前から同居人になったイアル・ミラールは現在、入浴中で、彼女は風呂が空くのを待っている次第だ。
 テレビ画面は、今日一日のニュースを報道していた。相変わらず嫌な事件が多いが、もちろん中には明るいニュースもある。カスミが目を惹かれたのは、お台場でやっている「世界の帆船展」に関するものだった。
 名前のとおり、世界中の帆船が一堂に集められており、しかも一部は中に入って見学することも可能なのだという。
「ふうん。面白そうね。明日は仕事も休みだし……イアルさんと一緒に行ってみようかしら」
 カスミはふと呟く。
 最近はカスミも、イアルを休みになるたび外に連れ出すようになっていた。学んだ知識を本物にするためには、当然ながら実際に使ってみるのが一番だからだ。とはいえ、どうせ外出するなら楽しい方がいいに決まっている。
 だが、そのニュースではさほど詳しい情報も得られないまま、画面は切り替わってしまった。
 そこでカスミは、携帯電話でネットにアクセスして、「世界の帆船展」についての情報を検索してみる。展示の期間や、見学できる時間帯などについての情報は、そちらですぐに集まった。ただ、オマケで、少しだけ気になる情報もくっついて来たけれど。
 この展覧会に展示されている船の中に、「呪われた帆船」だとひそやかに噂されているものがあるというのだ。
 その船の名は、セイレーン号。北欧の某国で、かつて国王の御座船として造られた優美な姿の中型船だった。船首には、美しい女性の腰から上の像が飾られているが、それはその国王の妾妃にしてその国一の美女と謳われた女性をモデルにしているのだという。
 ところがこの船、女性を乗せると行方不明者が出ると言われているのだ。
 昔から、どこの国でも船に女性を乗せることを禁忌とする風習があるが、それは下々の話であって、高貴な人々は時に自分の妻女やそれに仕える侍女らを乗せることもある。そうすると、かならず中の一人、最も美しい女が忽然と消えてしまうのだそうだ。
 そんなわけで、やがてセイレーン号はいつしか「呪われた帆船」と呼ばれるようになり、女性を乗せることを禁じられ、更に国王の代替わりにしたがって、海に浮かべられることもなくなってしまったのである。
 そんないわくつきの船がこの展覧会に出されたのは、ひとえにこの船のあまりの優美さによるところが大きいという。実際、その某国でも使われなくなった後も、その美しさゆえにずっと保存されていたぐらいなのだから。
 カスミは、それらの情報のいくつかを読み下しながら、少しだけ引きつった顔になる。
「呪われた帆船なんて……ただの噂よね。それに、昔の話だろうし」
 カスミは、自分を励ますように呟いて、携帯の画面を閉じた。

+ + +

 翌日の午後。
 イアルはカスミと共に、お台場へと足を向けていた。もちろん、「世界の帆船展」を見るためだ。
 ちなみに、今日のイアルはいつものレオタードのような巫女の正装ではなく、カスミから借りたクリーム色のブラウスと、渋い紫のミニのタイトスカートという姿である。長い金髪を背に流し、黒のブーツで颯爽と歩く彼女は、すれ違う相手が思わずふり返るほどだった。
 会場に到着して、イアルは思わず目を見張り、声を上げる。
 湾内にいくつもの帆を張った船が並ぶ姿は、それだけで壮観だったが、イアルにとっては帆船の大きなものを見るのは初めてなのだ。
 イアルの祖国は内陸にあり、河川貿易を行っていたため、船そのものは知っていたし見たこともあった。ただ、海を渡って他の国まで航海するような大きなものを見たことはない。なので、彼女はそれだけですっかりはしゃいでしまう。
 そんな彼女の姿に、カスミもうれしくなった。
(やっぱり、来てよかったわね)
 胸に呟き、イアルに声をかける。
「イアルさん、帆船の中も見学できるみたいだから、どれか入ってみましょう」
「ええ」
 イアルも大きくうなずく。
 そこで二人は、人の波に押されるままに、帆船に向かって歩き出した。
 さすがにその日は休日だけに、あたりは人でごった返している。一番多いのは小学生か、それより小さな子供を連れた親子だったが、カップルや中高校生の友人同士らしい男女のグループもけっこういた。
 その人の多さに、イアルは少しだけ目をぱちくりさせる。
 最近はさすがに慣れて来たが、初めてカスミに外に連れ出された時は、何より人の多さに驚いたものだ。
 帆船の中を見学するのは、楽しく興味深かった。船を見たことはあっても、中に足を踏み入れたことのないイアルは、ひたすら目を見張り、きょろきょろしたりはしゃいだりとまるで子供のようだ。
 途中で喫茶店に入って休憩を取ったりしつつ、彼女たちは楽しい午後を過ごした。

 二人が最後に見学のために中に入ったのは、北欧の国から来たというセイレーン号だった。
 その船名を見た時、カスミの脳裏にはむろん、昨日ネットで得た情報が浮かんだものだ。だが、怪奇現象を信じない――というよりも、怖いから信じたくない彼女は、ふるふるとかぶりをふって、胸に呟く。
(大丈夫よ。だってそんなの、ただの噂じゃないの)
「カスミ、どうかした?」
 そんな彼女に、イアルが怪訝な顔を向ける。
「ううん。なんでもない。さ、行きましょ」
 慌てて言って、カスミは先頭に立って歩き出した。イアルはまだ少しだけ、怪訝な顔で首をかしげたものの、そのまま彼女の後を追う。
 セイレーン号の中は、さすがに王の御座船だっただけあって、手の込んだ彫刻と高価な調度に飾られて、これまで見て来た帆船の中でも一番すばらしいと感じられた。
 イアルはもちろん、カスミも見学を終えるころにはあの不吉な噂もすっかり忘れるほどに、帆船の中を堪能していたのだった。
 ところが。
 船内の見学を終えて甲板に戻ってみると、彼女たちをここまで連れて来てくれたはしけ船は、どこにも姿が見えなくなっていたのだ。
 帆船はどれも湾内に錨を下ろして停泊しており、内部を見学する際には港からはしけ船を出してくれるようになっているのだ。もちろん、この船の中を見学していたのは二人だけではない。他に何人かの見学者がいて、一緒のはしけ船に乗って来た。はしけ船では乗る時に人数を確認していたので、一緒に乗った人間全てを、戻る時にも乗せるつもりだったに違いない。
 それなのに、二人は置き去りにされてしまったのだ。
「どおりで途中から人気がなくなったはずね。でも、人数を数えていたんだし、きっと二人足りないことに気づいて、戻って来てくれるわよ」
「ええ」
 二人はそれでも、最初は軽く考えて、そんなふうに言い合ったりしていた。
 しかしながら、はしけ船が戻って来る様子はまったくない。次第にあたりは暗くなり、やがて完全に日が落ちた。船内見学は昼間だけだったはずなので、もしかしたら、はしけ船の運航はあれで終わりだったのかもしれない。
「……いくらなんでも、ここに置き去りなんて、そんなことないわよね?」
 さすがにカスミは不安な顔になって、呟く。そこで、一応ネットで調べてメモして来ていたこの展覧会の事務所の電話に、ケータイで連絡を入れてみることにした。ところがこれも、一向につながらない。圏外になっているわけではなく、呼び出し音はするのだが、相手が出ないのだ。
「嘘でしょ。この事務所って、夜は人がいないの?」
 何回掛け直しても同じ状態なのに焦れて、カスミはまた呟いた。
「カスミ……。わたしたち、ここから陸に戻れないってことなの?」
 そんな彼女を不安げに見やって、イアルが尋ねる。
「……なんだか、そうみたいね」
 言って溜息をつくと、カスミはケータイを持ち直した。
「こうなったら、警察に電話するわ。いくらなんでも、あっちがつながらないってことはないと……」
 言いかけて、彼女は顔をしかめたままふいに立ち尽くす。
「どうしたの?」
 イアルが怪訝な顔で尋ねると、カスミは顔をしかめたまま言った。
「電池がほぼゼロになってるわ。……出て来る前に、ちゃんと充電したのに」
「わたしたち、何かの力でここに引き止められているのかもしれないわね」
 イアルも小さく眉をひそめて返す。一ヶ月に渡るカスミの教育の成果もあって、今ではイアルも、携帯電話がどういうものかを熟知しているのだ。
「な、何かの力って……何よ」
 途端にカスミが、怯えた顔になって問い返す。
「それは……」
 イアルが何か答えかけた時だ。さっきから空をおおっていた雲が切れて、月が顔を出した。細く欠けた月は猫の爪のようで、光もずいぶんとかすかでやわらかだった。
 けれども、イアルにとってはそれだけで充分だった。
 ほんのまたたき一つの間に、彼女の体は石の塊へと変化した。
「イアルさん!」
 カスミが思わず声を上げるが、どうにもならなかった。普段は長らくその身を拘束していた封印の魔法からも解放されているイアルだが、月光を浴びると再びこうしてその魔法に捕らわれてしまうのだ。
 もっとも、石化を解く方法はわかっている。ただ、この月光が射しつける甲板にいては、解いたとしてもまた同じことの繰り返しになるだけだろう。
 カスミはとりあえず、彼女を月光の届かない場所まで移動させることにした。もちろん、石化したイアルは、普段の何倍もの重さになっている。
 それでもどうにか、帆柱の影まで引き摺って行くことに成功したカスミは、額に吹き出た汗を拭って、大きく吐息をついた。そして、石化を解くために彫像と化したイアルにくちづけようとする。
 その時だった。ふいに背後に人の気配を感じて、彼女は弾かれたようにふり返る。
「え……?」
 カスミは、そのまま目を見張って、硬直した。
 そこには、この船の船首像が空中に浮かぶ形で静止していたのだ。
「な、なんなの、これ……!」
 一瞬、何が起こったのか理解できず、カスミはただぽかんと目を見張ったまま、うわずった声で叫ぶ。と、船首像は空中を漂うようにして、彼女の方へと近づいて来る。
「こ、来ないで……!」
 瞬間、パニックに襲われたカスミだが、かといって像に背中を向けることそのものも怖くてできない。彼女はそのまま後ずさったが、すぐに背中が帆柱に突き当たってしまう。
(と、とにかく……イアルさんだけでも、元に戻さないと)
 なんとか必死に正気を保ちながら胸に呟くと、彼女はほとんどすがりつかんばかりにイアルに突進した。そのまま、かなり乱暴にキスする。だが、そこで彼女の気力は尽きた。もともと、怪奇現象に出会うとすぐに昏倒してしまうという特技の持ち主なのだ。
 その場に意識を失って倒れたカスミは、空中に浮かんだ船首像から放たれた青白い光に包まれ、そのままその光に溶けるようにして消えた。同時に、今まで空中に浮かんでいた船首像は甲板の上に落ちたが、その姿は腰から上の彫像ではなく、人間の姿になっていた。
 一方。石化を解かれたイアルは、その一連の様子を見てただ驚きに目を見張っていた。だが、ようやく我に返って、床に倒れた人物の元へと駆け寄る。
「ああ……!」
 身を屈め、声をかけようとして、彼女は低い叫びを上げた。
 今より二、三百年前に流行ったような大時代的なドレスに身を包んだ金髪のその女性は、イアルの目の前で、みるみる腐って白骨と化して行ったのだ。
「これはいったい……」
 イアルはしばし呆然としていたが、ふと思いついて甲板の上を船首へと走った。幸い、月は雲に隠れて見えない。おかげで石化することもなく船首へとたどり着いた彼女は、そこから船首像を見下ろして小さく唇を噛んだ。想像したとおり、その船首像はカスミになっていたのだ。
「たぶん、この船には何かの呪いがかけられているんだわ……」
 呟くとイアルは、鏡幻龍(ミラール・ドラゴン)を召喚した。
 本体は二十メートル以上ある巨大な龍だが、召喚する時はイアルの体に憑依させるので、建物や船の中のような場所でも平気なのだ。
「鏡幻龍。わたしはこの船の呪いを解きたいの。呪いを解いて、恩人で今では友人でもあるカスミを助けたい。お願い、力を貸して」
 自分の体に宿った龍に、イアルは告げる。
 と、彼女の右手がふわりと空中に舞った。それは、今では龍の五つある首の一つと同化している。その手のひらから炎が生まれ、それが船の上へと振り撒かれた。たちまち船は、炎に包まれ燃え上がる。
 龍の下した判断は、船を灰に帰すことだった。
 炎は悪しきものを清める力を持つ。また、呪いは形があるものの上にのみ発動する。
 つまり、呪いのかけられたものを炎で清め、形そのものを消して無に帰してやれば、それは解かれるということだ。それに、きっとこの帆船も、それによって自由になれるだろう。そう、もしも船のような無機物にも魂というものがあるのならば。

 ややあって、港の方が騒がしくなった。夜の闇を焦がして燃える炎に、誰もが気づいたのだろう。
 龍を憑依させている間、イアルは物理的なものでは傷つかないので、炎に焼かれることもなく水上に下り、そこで船首からはずれてゆっくりと落ちて来る船首像を龍の力で受け止めた。それは彼女の腕の中で、本来のカスミの姿に戻る。
 そのことに安堵しながら、イアルはカスミを連れてその場を離れた。
 この事態について説明を求められても、困るだけだろうと考えたためだ。
 港のあまり人気のないあたりから岸に上がり、イアルは小さく息をつく。
 このまま、龍の力でカスミを連れて彼女のマンションまで帰る方法もあるが、帆船の火事のせいでその付近ではかなり大騒ぎになっているようで、あまり目立つことをしない方がいいとも思えた。
(カスミが意識を取り戻すのを待ってから、動く方がいいわね)
 胸に呟きイアルは、龍の召喚を解いた。
「ありがとう、鏡幻龍」
 低い呟きと共に、体からその気配が消える。いつものことだが、龍を召喚した後は、少しだけ体がだるい。今もそれを感じて彼女は、そこに建つ倉庫の壁に背中をもたれかけさせると、ぐったりとなったカスミの体を抱えて軽く目を閉じた。

+ + +

 帆船の火事のニュースはしばらくの間、巷をにぎわせていたが、それも一週間もすると聞かなくなった。
 カスミは例によって例のごとく、帆船で自分が意識を失った直前のことをまったく覚えていなかった。なので、最初は火事の報道に、不思議そうに首をひねっていたものだ。
 イアルも、怪奇現象を信じない――というより、実際は超がつく怖がりらしい彼女に、あそこで何があったのか教えていいのかどうかわからず、しばらくは言葉を濁してごまかしていた。
 だが、ある時、ぽろりと口にしてしまったことから、イアルは逆にあの船のいわくについて聞かされることとなったのだった。
「……じゃあ、あの時カスミが船首像になった後、船首像から人間に戻って、そのまま白骨化してしまった人は、きっと以前に船首像に取り込まれた人だったのかもしれないわ」
 話を聞いて、イアルはふと漏らす。
「なぜそんな呪いがかけられてしまったのかはわからないけれど……きっとあの船の船首像はそうやって、取り込まれた人から人へと次々に変わり続けて来たのよ」
「なんだか……女性が美しくなるために、服やウィッグをどんどん変えて行くような、そんな感じね」
 呟くカスミの言葉に、イアルは顔をくもらせた。
「そうね。でも、だとしたら許せない行為だわ。……だって、船首像にされてしまった人たちは結局……」
「しかたないわよ。昔起きたことを、今の私たちにどうこうしろって言われても、無理なんだから。それより、これでもう呪いによる被害者が出ることはないんだから、よかったじゃないの」
 カスミは慰め顔で言って笑うと、話題を変えた。
「ところで、ねえ。今日の夕食は、ピザにしない? この近くにすっごく美味しいピザ屋さんが出来たって話を聞いたの。そこで一度頼んでみたいんだけど」
「ええ、もちろん」
 イアルも笑ってうなずく。そして、胸の中で過去の被害者たちにそっと手を合わせると、彼女は心を今この時へと向け直すのだった。