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<東京怪談ノベル(シングル)>


狐憑きの法則

 晴れた秋の日、昼時がちょうど終った頃。
「こんにちは」
 草間興信所に、一人の少女が訪れた。古風なセーラー服が良く似合う、彼女の名前は海原・みなも(うなばら・-)。
「よう、久しぶりだな」
 デスクで適当な昼食を摂り、片付けもしないで食後の煙草をふかしていた草間・武彦(くさま・たけひこ)が、片手を上げた。未成年であるみなもに配慮して煙草をもみ消した、その灰皿はよほど長いこと洗ってないらしく、吸殻が山盛りである。
「はい、お久しぶりです。先日は大変お世話になりました」
「お世話ってほどの事ぁしてねえよ」
 丁寧にお辞儀をするみなもに、草間は少々居心地悪げに肩をすくめた。
 うらびれたビルの、うらびれた事務所。本来、中学生の少女が関わりを持つような場所であるように見える。しかし、草間興信所とは普通の興信所ではなく、みなももまた、普通の少女ではなかった。
「あの。先日お願いしたことなのですが……」
「ああ、憶えてる憶えてる。今日で良いんだったか?」
「はい、お願いします」
 草間の問いに、みなもは頷き、一冊のノートを鞄から取り出した。
 その表紙には「海原みなも・管狐憑依の試験運用及び限界試験の経過と結果」と、草間の字で記されている。
「みこちゃんも、お願いしますね」
 こん。
 みなもの胸ポケットから、小さな狐に似た動物が顔を出し、一声鳴いた。みなもの飼っている、管狐のみこ(巫狐)ちゃんだ。
「じゃあ、今日の分はこの続きに記録するぜ」
 みなもからノートを受け取り、草間はパラパラとめくった。
 中に細かく記されているのは、夏休みを利用して行われた試験運用の記録だ。
 ノートの半ばほどで記録は終了していて、最後は「霊狐化」についてのデータとなっている。
 草間はそこで手を止めると、荒れ果てたデスクにスペースを(無理矢理)作り、ノートを広げて置いた。
「しかし、熱心だねえ」
「本職でないのですから、及ばないのは解っていますけど……」
 草間の言葉に、みなもは僅かに頬を染める。
「だからといって、納得していいとも思えませんから」
 前の飼い主のためにも、管狐をきちんと使いこなしたい。それに、必要になった時に、できるだけ使える力を持っていたい、という気持ちも、あるのかもしれなかった。
「……お前さんらしいね」
 笑った草間の、サングラスの奥の目は、眩しいものを見るときのように細められていた。


       ++++++++


 みこちゃんの憑依を深めることで、同化に近い能力と、獣の姿を得る。 
 それが、草間により「霊狐化」と名付けられた状態だ。
 身体能力と五感は上昇するが、人間と霊狐との能力の差異から身体にかなりの過負荷がかかり、前回は3分持続するのがやっとだった。
「確かに、あれはあれで使いこなせれば便利ではあるだろうな。……探偵的には、動物のフリで堂々と立ち聞きできるのも美味しいかもしれん」
 草間は事務所のドアに「重要会議中」という、人払いの為のいいかげんな札をかけ、内側から鍵をかけた後は、手持ち無沙汰げに事務所をうろうろしている。
 みなもはというと、事務所の片隅にセッティングされた段ボール製の衝立(ついたて)の中で制服を脱いでいるところだった。
 獣の姿になってしまうと、着ているものが破れてしまう。前回に霊狐化したときは、元に戻ったみなもは一糸纏わぬ姿であったため、草間を大変に驚かせたのであった。(あの瞬間、たまたま来客があったりしなくて本当によかった、とは草間の談である)
 というわけで、今回は最初から裸で行うことにしたのだ。
「準備できました」
 みこちゃんを肩に乗せ、みなもが衝立からぴょこりと顔を出す。
「うわ!? ……って、バスタオルを巻くなら巻くと最初から言っておいてくれえ」
 一瞬ぎくりとしてしまった草間が、みなもの胸元から膝上までがバスタオルにくるまれているのを見て、へなりと肩の力を抜いた。
 てっきり衝立の中で霊狐化してから出てくると思っていた草間であった。みなもは驚かせてしまったことにひたすら恐縮している。
 密室。バスタオル姿の女子中学生と2人きり。
 もしも事情を知らない他人が見れば、どんな誤解をうけることやら。
 ……いやいや、やましいことは何もない。何もないのだから気にするな。
 草間は頭を振り、面を上げた。
「……さっさと始めよう」
「はい!」
 明るい返事をしたみなもに、草間は付け足した。 
「あらかじめ言っとくぞ。霊狐から元に戻る時は、くれぐれも……くれぐれも、その衝立の中に入ってからにしてくれよ!!」
 草間の表情は真剣だ。
「はい。了解です」
 頬を染めて、みなもは頷く。
「では、始めます。まずは、人魚形態になります……ね」
 事務所の真ん中に置いた椅子に座ると、みなもは僅かに目を伏せた。
 前回は、人間と霊狐との能力の差異から、消耗を招いた。
 それならば、体力や生命力が人間の比ではない、人魚としての特性を利用すればどうか。
 そう考え、今回は人魚形態での憑依を試してみることにしたのだ。
 バスタオルから延びた脚が、見る間に腿の中ほどから融合し、魚の尾の形になる。青い髪の色が明るくなり、指先には尾と同じ、仄かに青く光る鱗。
 顔を上げたみなもの瞳は瞳孔が少し縦に長くなっていて、普段とは違った人魚としての表情を見せていた。
「え……っと、鱗があるので、バスタオルを取っても大丈夫なのですが……」
「いや、やっぱり裸じゃ落ち着かんから、そのままにしといてくれ」
 人魚になったみなもを前に、草間は何ら動揺しない。みなもは少し笑って、爪の尖った手で優しく、みこちゃんの頭を撫でた。
「みこちゃん、お願い」
 こん、とみこちゃんが鳴き、肩の上で小さく跳ねた。
 飛び込んだ先はみなもの青い髪。水の流れに身を投じたかのように、獣の姿が消える。
 みなもは目を閉じた。
 みこちゃんとの同化の深度を、意識的に調節することにはもう慣れた。
(深く……)
 心で呼びかけると、みこちゃんが答え、みなもの深いところへとどんどん入り込んでくる。人魚になって深い水底へと降りて行くのに似た感覚があった。
 五感の上昇に伴い、音や匂いの情報が、嵐のように頭の中に飛び込んでくる。みこちゃんの本能に任せることで、みなもはそれを上手に流した。苦痛はない。
 ふわり、と体が獣毛に包まれるのがわかった。憑依深度が上がり、ふわもこバージョンになったのだろう。しかしもう季節は晩秋、暑くはない。
(もっと。あたしの深淵へ……)
 自らの最も深い部分を開き、受け入れる。
 そこにみこちゃんが入り込んだ時、訪れた無音の時間。
「!」
 みなもは息を飲んだ。前回にあった、激しい痛みはなかった。
 ただ、ゆっくりと、身体の形が変わってゆくことがわかる。
 人魚形態に変ずる時の感覚に、少し似ていた。
 椅子に座っていられなくなって、みなもは床に手をついた。
 手は――もう手ではなく、脚になっている。床に触れた感触で、それがわかった。
 フウッ、と吐いた息は、獣のそれだった。
 みなもは目を開けた。
 見える色は、赤一色。赤の陰影で描かれた、単色の世界。みこちゃんの視界は犬や猫のものに近いのだろうと、前回草間が言っていた。
 ものはきちんと見えるが、少し、不思議な感じだ。
 下を向くと前脚が目に入った。足先の辺りから、獣毛ではなく鱗が生えている。人魚形態で憑依した影響が見た目にも出ているようだ。
 みなもが慣れない視界に目を瞬いていると、草間が覗き込んできた。
「どうだ? 平気そうか?」
 平気です、と答えようとしたのだが、みなもの喉から漏れたのは低い唸り声と荒い吐息だけ。
「……喋れないのか?」
 みなもは首を縦に振り、草間に肯定を示した。
「より獣に近い形になった……ということなのかな」
 草間の呟きに、そうかもしれない、とみなもは思った。
 前回はあった、身体に相当な無理がかかっている感じがしない。
 むしろこの状態が自然で……そう、自分は獣で……だから、風を切り、駆けるのだ……こんな狭い場所ではなく、広い外で。
 気分が高揚するのがわかった。
 同時に、思考が加速度的に散漫になってゆく。
 気付いて、みなもは気を確かに持とうとしたが、遅かった。
 意識が遠ざかる――。


       ++++++++


 気がついたら、みなもは草間のデスクの前に膝をついていた。
「あ……!?」
 顔を上げたみなもに、草間が大慌てでバスタオルをかけた。
 みなもは人間の姿に戻っていて、当然ながら服を着ていなかったからである。
「身体は? なんともないか?」
「はい……なんとも……ないみたい、です」
 タオルを身体に巻き、ゆっくりとみなもは立ち上がった。
 初めての霊狐化の後味わった、体中が悲鳴を上げるような疲労感はなかった。人魚としての体力、生命力を表に出した状態で行ったお陰だろう。
 ここん。みこちゃんが、心配そうに鳴いて足許にすり寄ってくる。
「あたし、気を失って……いたのでしょうか……?」
「いや。ずっと動いていたし、人間姿に戻ってすぐに目を覚ましたから、気を失ったってよりは我を失ったってほうが正解だろうな」
 草間に言われて事務所内を見回してみると、デスクの上のものが床に飛び散っていたり、応接机がひっくり返っていたり、元々散らかり気味だったのが更に荒れ果てて……まるで台風が通り過ぎたような状態だった。
「これ……あたしが!?」
 みなもは小さく悲鳴を上げた。ハハハ、と草間は苦笑し、否定をしない。
「全く記憶がありません……」
「まあ、そうだろうな。まるで野性の獣だったぜ」
 草間によると、霊狐化状態で居たのは5分ほど。
 もっと続けていても身体的には平気だったのかもしれないが、暴れて事務所から出て行きそうになったので、取り押さえたとのこと。
「いやあ、俺のものぐさもたまには役に立つもんだ」
 草間が指さすのは、事務所のドア付近にぶちまけられた煙草の吸殻である。
 ドアを破られそうになったので、以前みこちゃんが煙草を苦手そうにしていたのを思い出して、吸殻と灰が山盛りの灰皿をドアに向かって投げたのだそうだ。
 それが効を奏し、霊狐化したみなもはドアから離れ、また嗅覚からダメージを受けて元の姿に戻った、ということらしい。
 こん!
 よほど嫌だったのか、みこちゃんは草間に向かって背中の毛を逆立てている。
「みこちゃんの獣としての性質と、あたしの人魚としての性質……両方にひきずられてしまった、とうことでしょうか」
「多分な」
 みなもの呟きに、草間が頷く。
「意識が獣そのものになってしまうのでは……ちょっと、使いにくいですね」
「本能で危険を避けようとするようだから、命が危ない時の逃走なんかには有効そうだが、そうだな……使いどころが難しそうだ」
 小さく、みなもは溜息を吐いた。
 今回の試験では、霊狐化はやはり扱い辛いということがわかった。結果としては充分かもしれないが、少し残念といえば残念だ。
 まずは事務所を片付けようとしたら、草間に止められた。
「……まずは、あっちで服を着てきてくれ」
「あ……? きゃあ!」
 言われて初めて、バスタオル姿のままだったことを思い出し、みなもは真っ赤になって衝立の中に飛び込んだ。


 後片付けを終え、帰宅の段になって、「海原みなも・管狐憑依の試験運用及び限界試験の経過と結果」のノートが、草間からみなもに返された。
 みなもはノートを開いてみた。前回の結果の後ろに、今回の試験について書き足されている。
 文字による記録だけでなく、草間の手によって、人魚形態から霊狐化したときの外見がスケッチされていた。
 やはり狐に似た獣だが、四足の先が青い鱗、尻尾の毛は長く、まるで魚の尾びれのようにも見える。人魚の形態が混じったぶん、より、水に近しいものになった、という印象だ。
「まあ、今日はこんなものだな」
「はい。ありがとうございました!」
 深く、みなもは草間に頭を下げた。
「しかし……霊狐化については課題が残るが、憑依時の能力については、前に比べて上がっているかもな。慣れたぶん」
 みなもも、薄々感じていたことだった。
 それは、管狐との絆が深くなったようで、嬉しいことでもある。
 こん。
 みこちゃんが、みなもの肩の上で誇らしげに鳴く。
 微笑んで、みなもはその小さな頭を撫でた。



                                        End.

















<ライターより>
いつもお世話になっております。
人ではない部分にひきずられ……ということで、やはり霊狐化は扱いづらいという結果にしてみました。
最後の「きゃあ」はお約束……です(笑)。
そろそろ本格的に、鍋料理などが恋しい季節が来てしまいますね。
お体にお気をつけて、またご縁がありましたらよろしくおねがいします。
では!
ありがとうございました。