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お願いBaby!【2nd_Season】
〜OP〜
嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。
君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?
君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?
それとも…、
違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?
動かしてみよ。
私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。
嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。
さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。
【本編】
『 前口上 』
夜の帳の向こう側
寂しい獣が鳴いている
綺麗な獣が鳴いている
怖い獣が鳴いている
鵺が来るよ
闇を裂いて
鵺が来るよ
光を殺して
鵺が来るよ
因業因果 奇縁の果てに
辿る道筋 修羅道か
鳴くんじゃないよ
泣くんじゃないよ
鵺は哭きゃあしないよう
ただ 哄うのさ
さぁて いよいよ 鵺が往く!!
『 第一章 おわり の はじまり 』
闇の中で瞬く
ひい・ふう・みい
いたずらに瞬きの数を数え、少しうんざりした。
どうしようもない事はある。
何もかもが、思う通りになんてならないもんだし、理不尽な事や不条理な事は世の中に満ち満ちている。
「今から帰りますコールとか、新婚みたいで良くないですか?」
彼の提案に、別段賛成もしなければ反対もしなかった。
「いいけど、鵺が超忙しかったり、別のことに夢中だったり、なんかぁ、面倒くさいなぁ…とか思ったりしたら出ないからね?」
そんな冷たい答えに「俺、婚約者なのに…」と、シュンとしつつも、出張や外出の帰宅時には鵺の携帯に連絡を入れてくれ、鵺もそれなりに、その連絡を楽しみに待つ…それが二人の習慣になりつつあった。
だから、今夜だって、電話はあった。
「今から、帰ります。 良いお土産は手に入らなかったんですけど、もっと素敵なものをお嬢さんに差し上げられそうなので、楽しみに待っていてください」
朗らかな声。
穏やかで、耳障りの良い、いつものリズム。
だから、鵺も笑って答えた。
「ほんとー? つまんないものだったら、英語の課題免除だからね?」
日常に紛れて非日常は訪れる。
見舞われた非日常は、時々大きな顔して居座って、いつしか新しい日常が始まる。
ああ、そうか、最早此処までであったのか…。
諦念のようでいて、漸く、怯えながらも予感していた現実に直面できたような気持ちだった。
ずっと薄氷の上でダンスをしているような日々であったから、例え踏み抜いた先が凍えるほどの冷たい世界であろうとも、足先だけが先の予感に震えて踊る、そんな毎日から開放される事に少し安心した。
これから、凍える世界が始まるというのならば、自分自身が燃えよう。
冷たい世界を全て溶かし尽くすまで。
殺しに来る。
幇禍が、自分を殺しに来る。
慈しんでくれたその手で。
何度も鵺の頭を優しく撫でたその手で。
壊れ物を扱いように、そっと抱きしめてくれたその手で。
幇禍が、鵺を殺しにやってくる。
それが、「理」。
「まぁ、自業自得っていえば、自業自得なんだよねぇ」
闇の中で呟いた。
幇禍を一度殺し、自分を「敵」と認識し直させたのは自分だ。
あの時は、それで幇禍と永遠に会わない覚悟を決めていた。
鵺にとって、一体どういう理屈なのかは理解出来はしないが、「死」からの蘇りを約束するような、恐ろしい盟約。
そんなものを交わしているらしい幇禍に、『理』に従い『母』と慕われていた鵺。
その、約束事に縛られた感情がいやで、リセットする為にも行った荒療治が、今になって正しく機能し始めたらしい。
一体、自分が気紛れに向かわせた、マフィアの「キメラ」オークション会場にて何があったというのだろう?
かなりの騒ぎがあった事は、TVの緊急ニュースにて見知っていたものだから、帰宅した幇禍から事態の詳細を聞くことを楽しみにしていたというのに、そういう訳にはいかないようだ。
電話越し…、電気記号に変換された声からすら伝わる狂気混じりの殺意。
震える程の、その感情に鵺は、思わず微笑んだ。
昔の自分ならば、きっとここで、諦念した。
所詮、誰かも分からぬ存在の定めた決め事に、左右されるような想われ方しかしていなかったのかと。
鵺は、ここで望みを断っていた。
しかし、今は違う。
大人のような顔をして、もう、貴方を望みはしない等と、自分から手を離すのは真っ平御免だ。
あの時、幇禍は自分を追ってきてくれた。
理に背き、死の海に沈みいく意識を、その手で引っ張り上げてくれたのは幇禍だ。
やり直そう、幇禍君。
理に背かせ、君に嘘を吐かせた。
それは、鵺の蕩ける程に、甘い罪。
世界の全てを裏切って、この手を掴んだ貴方の罪。
償う時が来たのだろう。
これから、己が見舞われる悲しみの覚悟を決めねばならない。
だけど……。
鵺は静かに微笑み続ける。
神々しいほどに美しい笑みで。
幇禍君が自分でも気付かないうちに自分を偽っている事、鵺は気付いてたんだよ?
決着をつけよう。
あの人を縛る理と。
鵺、人の本心を覗くのは誰より自信あるんだ。
色んなものがズレてる事は知ってた。
幸せだったけど少し寂しかった。
電話越しのあの声は、嘘偽りなき真実の声音。
何も偽っていないあの人が嬉しい。
白い指を翳す。
薬指には、紅いスタールビーの輝き。
「大好き」
囁いた。
「私もです」
闇が答えた。
「すぐ、一緒の場所に行きます」
その声に、鵺は笑って心の中で快哉のように応えた。
「嘘つき! 無理な癖に!!」
パンッ!!と、銃声が響くより早く、鵺は背後にある窓に背を倒して、仰向けになりながら外へと「落下する」。
自宅である屋敷の、三階の自室から自宅前の庭の花壇に落下する寸前で、その体は飛び上がった。
黒い羽が大きく広がる。
「鴉天狗」。
空中飛行のスピードにおいて、他に並ぶものなどいない「面」を装着した鵺は、空高く、高く舞い上がる。
反射神経すら、普段よりも遥かに鋭敏になり、気配に聡くなるその面を装着して、その襲撃に備えたまま、それでも、幇禍を部屋にて待ち続けていたのは、幇禍が「帰るコール」をしてくれた時は、必ず、その帰宅を、例え他所事をしていながらも迎えいれてあげていたから。
きっと、寂しかろう。
帰っても、待つ者がいなければ。
だから、鵺は窓に身を乗り出すようにして、まるで離れ離れになり行く恋人を見送るような切なげな表情で鵺を見上げる幇禍に手を振って「おかえり」と言った。
「じゃあ、行ってきます!」
元気の良い声で言う鵺に手を伸ばし「何処へ?」と幇禍が問う。
まるで、日常と変わりない、いつもの、鵺に振り回されて困り果てている少し滑稽な声音で「何処へ行かれるんです?」と幇禍は問う。
されど、その手には黒光りする凶悪な銃身。
その左手の薬指には、同じく黒く月明かりに光る愛の証の指輪。
矛盾はない。
ただ、歪んでいるだけ。
愛されてる。
鵺は笑う。
素直に、あの男に愛されている。
女の笑みで。
ただ、狂ってるだけ!
鉛玉を、ぶち込んで、息の根を止める。
それが愛だと嘯く狂気を、それでも、それが幇禍の偽りなき愛の形だと言うのなら、素直に喜ばしい鵺も、きっと狂っているのだろう。
黒い翼を羽ばたかせ、満点の星の空浮かぶ鵺は声を上げて笑う。
「捜して!! 鵺を! 約束したじゃない。 地の果てまで追って来てくれるんでしょ? 見つけて! 鵺を! 世界の何処かで、待ってるよ、幇禍君の事」
幇禍は、困ったような顔のまま、空中に向かって届かぬと分っているかのようにまた、一発撃ち放した。
冬の花火の如き、乾いた炸裂音が澄んだ夜空の下響き渡る。
「逃がしませんよ? お嬢さん」
幇禍の言葉に鵺は、幸せそうにまた笑い声をあげ、そして、高く、高く空を上った。
手に握り締めているのは、着替えや下着、歯ブラシ等々、お泊りセットを詰め込んだトートバッグ。
逃げ込む先は決めてある。
「千年王宮」
随分と久しぶりに訪れるような気がするが、然程、気構えるような気持ちはなかった。
前回訪れた際も、危険性よりは、愉快さの方を感じたし、暫くの間疎開する事を考えると、状況が状況だと言うのに、それなりにワクワクする自分の呑気さに呆れる。
あすこならば、おいそれと幇禍も追ってこれはしない。
義理の父親と、王宮の主であるベイブが知人の関係にあるツテを有効活用し、幇禍からの電話を受けた直後に、鵺の受け入れ先となってくれるよう手筈は整えて貰っていた。
幇禍は、「理」に従い鵺に対して殺意を抱いている。
つまり「敵」と認識されている鵺以外の者に対しては危害を及ぼす可能性はないだろうと考え、父は屋敷に残してきているが、それ以上に、食わせ者という名を体現しているような、あの父の事だ。
まぁ、何があろうと、心配はない。
実際、鵺のとんでもない状況説明にすら、眉一つ動かさず、避難の手筈を迅速に整えてくれて、送り出してくれた、その度胸や判断能力、常人離れした冷静さに心から感謝しつつ、約束の場所に浮かぶ光の渦に飛び込む。
父が、ベイブと打ち合わせをし、早急に王宮の入り口を用意してもらっていた。
眩い光の道を抜ければ、そこは螺旋階段のある豪奢な広間だった。
シャンデリアの垂れ下がる高い、吹き抜け状の天井を見上げ、ゆっくり床に降り立つと、鴉天狗の面を外す。
「よお! 鵺」
掛けられた声に顔を向ければ、竜子が「久しぶり」と言いながらこちらに向かって歩きつつ、大きく手を振る姿が見えた。
棒付キャンディを咥えながら、たらたらと歩く仕草は、如何にも今時の若者めいているが、ナチュラルメイクの間逆をいく、大変濃くもセンスのない化粧が、その行動の今時さを大いに裏切っている。
ピンクのジャージに便所スリッパ姿で、鵺の前に立った竜子は少し身を屈め、その顔を覗きこむと「元気そうで何よりだ」と言って「にしし」と笑った。
そんな竜子はと言えば、至るところに火傷を負い、ガーゼを頬に当てたり、前髪やらが、ザクザクと不器用に切られていたりとみっともない事この上ない。
よたよたと足を引き摺るようにして歩き、顔を顰めて、「ちっと今城ん中バタバタしちまってるけどよぉ、ちゃんとお前の部屋とかは用意してあっから、ゆっくりしてけよな」と言いつつ、鵺の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。
「どしたの? なぁんか、満身創痍〜って感じだけど?」
そう首を傾げてそう言えば「ん? いや、ちっと、さっきまで、色々どえれぇ騒動があったっつうか…あれ? 聞いてないのか? 幇禍から」と、先ほど、まさに、鵺をこの城へと避難させる要因となった男の名を口にする。
つまり、メサイアビルでの騒動には、千年王宮の住人らも何らかの関わりがあるらしい。
そう思案しながら目を細めれば、「イチチ」と顔を顰めて、唇の端を押さえた竜子が「ま、こんな時間に、この城に来るっつう事は、まぁた、幇禍と喧嘩したのか? あんま、あいつ困らせんなよ? あたいも、今回の事じゃあ、すげぇ、世話になったしよぉ」と呑気な声で鵺に言う。
父親は、ベイブに鵺が此処に転がり込んだ理由を、どうも、かなり適当に説明したらしい。
ベイブの性格を考えても、父親の性質を考えても、まぁ、事態を正確に把握している事はなかろうし、当然竜子などにしてみれば、何も聞かされないまま、鵺の迎えに、ここへと寄越されたのだろう。
鵺も、事情を全て説明するのは面倒臭くて「…幇禍君との揉め事はね、人生のスパイスみたいなものなの。 まぁ、お竜さんには分からないだろうけどね?」と言って、にこっと笑えば、「そうか、あたいにゃ、ちょっと、難しそうだな…」等と素直に頷いて、ハッとしたように「なんで、年下に子供扱いされなきゃなんねぇんだー!」と竜子は喚く。
大らかという言葉では足りない程に、思考を巡らせる姿をついぞ見たことのない竜子の事だ。
鵺の来訪理由等も、さして気にしてはいないらしい。
相当な騒動の後なのか、何だか王宮の気配がざわめいているのを肌で感じながら、痛みに顔を顰めている竜子に「ていうか、鵺の事よか、一体何があったのかを聞かせてよ? その怪我の理由とかもね?」と、鵺は問うた。
『 第二章 かくれて さがす 』
真っ白な女が、小さなポットから真っ白く暖かいミルクを注ぐ。
明るい日が差し込むキッチン。
鵺がこの城を訪れてから、ほぼ一週間程が経過していた。
とはいえ、厳密に、時の流れを示すものが一切城内にはないせいか、大体、その位の期間ここにいるだろうとおおよその見当をつけているだけである。
もしかしたら、まだ、3日ほどしかたっていないのかもしれないし、逆に、もう、一ヶ月ばかりの時間が流れてしまっているのかもしれなかった。
蜂蜜を落としたホットミルクを啜る鵺の前には、ふっくらとした焼き立ての白パンが籠に詰まれている。
「あふっ…」と欠伸をしながら、竜子がのそりとキッチンにあらわれた。
窓から差し込む光は白く、暖かく、まるで爽やかな朝の光めいた、その輝きに目を細めども、では窓の外にどのような光景が広がっているかと言えば、そこは、ただただ、真っ白な光の世界だ。
城の外は存在しない以上、窓の存在等無意味なようにも思えるが、「人間っつうのは、太陽の光に長く当ってないと、なんか、体をおかしくしちまうらしいんだよ。 あたいや誠も、そいで一回体調を崩した時があって、そっからベイブが、外の世界の光を引き込んでくれるようになったんだ」と、竜子が事も無げに教えてくれていた。
一応、外光の引き込み先は東京であるらしいので、この光に城内が満ちているという事は、幇禍も今頃、同じ光の下にいるという事だ。
ハムリと湯気立つ白パンに齧り付き、ほのかな甘みを楽しみつつ「おっはよー! お竜さん」と鵺は明るい声で挨拶をする。
前にお茶会を開いた食堂とは違う、こじんまりとした白く清潔なキッチン脇の食事スペースは、いかにも、竜子達が普段ここで食事を取っているのだろうと思わせる使い易さで、座り心地の良い椅子が三つ、丸テーブル周りに置かれている姿に、少し微笑んでしまう。
真ん中には、硝子の一輪挿しが置かれ、そこには白い薔薇が飾られていた。
前に城を訪れた印象よりも、ぐっと生活感が増した城内の様子を、鵺は面白く思う。
一週間程とはいえ、実際に暮してみれば、余りに奇態な印象を受けた、前回の訪問経験から想像していたような、不条理な日々を送る事はなく、むしろ、城の現世ではありえないような不思議な施設や、在り得ないアイテム、人間外の住人達と、非日常なお膳立てがこれでもかとなされている、ここでの暮らしでさえ、毎日を過ごせば、非日常が、日常となってきている。
思いの外静かで、穏やかな、静謐の日々。
鵺は竜子と一緒に、この城を探検したり、面白い場所を教えてもらったり、奇妙な現象を見聞きしたり、毎日、飽きる事無く過ごしてはいたが、それでも、ベイブの心のうちを反映するという城の様子は、彼が今落ち着いている事を示すかのように、緩やかな時の流れの中にあって、鵺は婚約者に命を狙われ、避難をしてきたという状況を鑑みると、余りに平和な毎日を過ごしてしまっていた。
今も、静けさの中パンを咥え、ぼんやりと、朝の光を浴びていると、自分の置かれた状況が分らなくなりそうになる。
竜子は、先日の騒動で重症を負ったという黒須が城におらず、唯でさえ年の近い人間が一人もこの城にいない状況を、日頃から寂しく思っていたのだろう。
鵺の滞在を心から喜んでいるようで、何だかんだと鵺の傍から離れようとせず、年上なのに、まるで、手のかかる妹が出来たような気分を鵺は味わっていた。
必要にかられた時以外は、一切口を開かない冷たい表情の女が「欠伸位、手で隠しなさいな。 下品だわ」と氷のような声で言い、つまらなそうな顔で、兎のキャラクターが書かれた本人所有のものと思われる安っぽいプラスティックのコップにミルクを注いだ。
「欠伸位、自由にさせろってんだ」と口を尖らせ言う竜子。
「誠は、今日あたり、病院から帰って来るんだっけ?」
竜子が、何処か嬉しげな声で言えば、女はそれも気に入らないといった様子で頷いた。
「よかったね、お竜さん」
椅子の上で足をぶらつかせながら、両手で真っ白なマグカップを抱え込みつつ鵺は言う。
竜子から聞いた、メサイアビルでの騒動は、舞台がオークション会場の他にも、この城や、ビル内の別の場所でも、様々な事件が起こり、要因が絡まりあった複雑な姿をしているせいか、その内容を竜子の拙い説明で全て把握するには困難を極めた。
そんな最中「貴女にも、ある種深く関わる話ですから…」と、鵺に関わる事態の詳細を説明してくれたのはこの女だ。
全てを見通すという鏡の化身、「白雪」。
真っ白な肌。
髪も唇も、何もかもが白磁。
動いている姿さえ非現実めいたその女は、鵺が城を訪れた、その翌日、鵺があてがわれた客室にて竜子から紹介された。
「お前、今回の騒動の話聞きたがって足し、あたいじゃ巧く説明できなかったけど、こいつは全部分ってっから」と言われ、二人きりにされた時は、意思の疎通が困難そうな素っ気無い言動に、大丈夫か?と不安を覚えたものの、そんな懸念を吹き飛ばすように、白雪は無表情のまま鵺の欲しがっている情報を次々と提示してくれた。
どうも、彼女自身は「自ら情報を自分の意思で公開する」という事は不可能なようで、鵺が問い掛けを行った事のみ教えてくれたのだが、むしろ、聞いてもない事をぺらぺら喋り、脱線ばかりをしていた竜子よりも余程分かりやすい回答が帰ってきて、鵺はお陰で充分事態を把握できた。
理の正常化。
「敵」と認識された鵺への殺意と、これまでに培われた幇禍という人格そのものが形成した愛情の齎した歪みが、幇禍を狂わせている。
いっそ、全てが「理」に塗り潰され、鵺への愛情等微塵も失われ果ててしまっていたならば、きっと自分は寂しく思ったに違いない…と思うと、己の業の深さに声を上げて笑わずにはいられなかった。
気紛れに、オークションに行かせるべきではなかった…と一瞬思いかけ、いや、いずれの話だと思い直す。
竜子が、彼女が負っていた火傷の原因が、幇禍を幇禍の「兄」と名乗る何者かに連れ去られぬようにする為という事を知った時には、自分でも気恥ずかしい程の驚愕と、感謝の念を覚えてしまい、その事自体に、なんだか、また、びっくりさせられる。
幇禍が、時折寂しげな顔をして「お嬢さん、変わりましたね」と言っていた事を思い出す。
自覚は、なかった。
自分の事を言語化して、「こういう人間です」だなんて語るような事はした事等なかったし、考えてみれば、鵺は世界中の誰よりも、一番「自分という人間」に対して無関心な人間であった。
自分の感情に対しては忠実で、愉しい事や、幸せな事、笑える事が大好きだったが、他人の心情を読み取る事に長ける人間であるが故に「自分自身」の事については、相当無頓着に過ごしてきたような気がする。
過去「ゴミだ。 屑だ」と、もう、思い出したくもない実母に罵らせ、檻の中で過ごした暮らしや、自分自身が、第一人格である「鵺」と入れ替わりに、この体の主となった、元は主人格でない出生も、この享楽的な性質に拍車をかけているのだろう。
幇禍に言われた言葉の意味とて深く考える事もなかったが、何だか、竜子の所業に対し、感謝の念を覚えた自分自身を振り返ると「ああ…こういう所か…」と、少し納得してしまう。
それまでの鵺であったならば、酔狂なと、呆れるだけに留まっていたであろう。
竜子の行動を、竜子自身の素質を考慮し、彼女自身がその時、そういう行動を取りたいと望んだから、実行しただけであり、彼女自身の欲望に根ざした行動である以上、鵺が必要以上に感謝する必要性はないとすら、ドライに割り切ってしまったかもしれない。
しかし、何だか今は、そういう理屈とか、鵺が分析した竜子の性質とか、白雪が淡々とした言葉で話してくれる情報とか、そういった全ての事をすっ飛ばして、「ばっかだなぁ、お竜さん」と呆れたように笑ってしまう。
本当に馬鹿だ。
然程付き合いも長くない他人の為に、そんなに必死になっちゃって…。
ああ、何だかロクでもない生まれ方をして、ロクでもない事を目の当たりにし続けて、人間なんか、みんなゴミクズだなんて諦念したもんだけど…、それでも…、有り難いなんて胸の内が暖かくなるような、こんな感情も悪くはない。
嗚呼、本当に、悪くない。
ぼんやりと思考を巡らせる鵺の横顔を、白雪は、じっと眺めている。
能面めいた真っ白な顔に視線を向ければ、まるで、鏡に鵺の表情を映しているかのような、どこかぼんやりとした顔を見せていた。
「ねぇ…ゆっきー…」
白雪だから、ゆっきーね?と、鵺が勝手な渾名を付けて、目を白黒させていた白雪は、何度も繰り返し、そう呼ばれる内に慣れてしまったのだろう。
無表情のまま「はい」と返事を返してくる。
「今、鵺がどんな気持ちになってるか、言葉に出来る?」
何でもお見通しの大鏡に問い掛ければ、白雪は首を振り「人の気持ちまでは、この白雪にでも見通せません。 ましてや、お嬢様は、お嬢様自身以外にも、たくさんの人格が共存しておられる複雑な精神構造をしております故、その本意を見通すのは、例え他者の心理を読む事に長けたお方でも、困難を極める事でしょう…。 そう、例えご自身でも…」と、囁くように述べた。
鵺は、白雪の返答に「えへへ…」と軽い笑い声をあげて、うーんと手を前方に伸ばす。
「そっかぁ…そうだよねぇ…。 自分の気持ち、人に聞いてちゃ駄目だよねぇ…。 鵺さぁ、今まで、ネットとかの自分診断とか? 貴方のタイプを、教えます!とか、ああいうの、くっだんなぁいって思ってたんだけど、やっと、ああいうのに、頼りたい人の気持ち分っちゃったよ。 自分で自分の事が分らなくなるのって、結構不安なんだね」
そう言いながら肩をすくめて笑うと、「幇禍君も不安だったのかなぁ…」と小さな声で呟いた。
自分の出自も、何もかも、分っていなかったようだった、幇禍。
それでも、目の前にある状況だけが大事で、過去も、真実も、現実ですら、鵺に比べればどうでも良いと言い切っていた、あの男。
「幇禍様は…」
白雪が、少しだけ逡巡したように口ごもり、それから、鵺の赤い目を覗きこむと、「幇禍様は、御自身の事が分らぬ事よりも、お嬢様の事が分らなくなりつつある事の方が余程ご不安のようでしたよ」と、まるで、この台詞を口にしている、その事すら迷うかのように告げた。
「ご自身よりも、余程、お嬢様の事が大事でしたから…きっと、そのお嬢様の事が分らなくなってしまった事、自分の知っているお嬢様から、どんどん成長を遂げ、お考えも変わられていった事が怖かったのでしょう…」
白雪の言葉に鵺は、少しだけ目を見開いて「ああ…」と小さく呟いた。
「ああ…そうか…幇禍君、寂しかったんだね…。 鵺に置いていかれるようで……」
自分自身でも自覚できていなかった変化を鋭敏に悟り、そんな鵺に「ついていけない」自分に不安を覚えていた幇禍。
そうか、寂しかったのか……。
幇禍の中にある、「理」から外れたが故のズレと、その無理には気づけていたのに、自分自身に対する鈍感さ故に、幇禍が、自分に向けている感情には気付く事が出来なかった。
そうか寂しかったのか…。
そう思うと、何だか幇禍が、健気に思えてしょうがない。
あの手を…。
大きな、骨の美しい、あの大好きな手を、もう一度、握りたい。
手を握り合って、普通の、バカで、能天気な恋人同士のように、街を歩いてみたい…と、自分でも、呆れる程に、呑気極まりない事を考える。
下らない事を言い合って、面白い事に目を輝かせて、そうやって共に生きてきた。
出会った時から、ずっと、ずっと…。
神様なんて いない
祈っても、誰にも届かない。
私が、私の神だ。
かっての決意が胸の内に蘇る。
理なんざ、知りはしないよ。
神様だって、鵺を阻めやしないんだよ。
走ると決めたら、走り抜くだけ。
奪うと決めたら、奪い尽くす。
取り返すって決めたなら、何があっても、取り戻す。
どんな決め事も、約束事も、ルール、法則、何もかも、笑って蹴り飛ばす覚悟は生まれた頃から出来ていた。
そのどれ一つとったって面白くないし、鵺を守ってくれた事もない。
ずっと、ずっと、ずっと、鵺を守り続けてくれたのは、あの大きな、綺麗な、銃がこの上なく似合う、白い掌だけだ。
「幇禍君…」
囁くように、その名を舌に乗せ、それから、小さく頷いた。
つまんない「理」なんざに、奪われてなんぞなるものか。
それが宿命、運命ならば、躊躇いもせずに足蹴にして、全てを欺いて見せてやる。
舐めんじゃないよ、鬼丸鵺を。
誰だか、知りはしないが、それでも、幇禍を奪おうとする、何某かの存在に、イーッ!と舌を出す。
ぎゃふん!!って、鵺が言わせてやるんだから!
「…お嬢様、太古の昔より繰り返されている定番つっこみで、白雪、少々恐縮なのですが、今時『ぎゃふん』って誰も言いませんよ?」
やっぱ こいつ 心の中まで読めるんじゃ?!な突っ込みを、シレっと繰り出す白雪に視線を送れば、澄ました顔で「…女も、自立の時代です。 奪われた王子様は、姫君の手ずから奪還するという心意気、嫌いじゃないです」と言いつつ、なんか、ちょっと、ガッツポーズ的なものも見せてくれる。
その如何にも慣れてません!といった、不器用なポーズに、ぶふっと思わず噴出した後、それでも、彼女なりに鵺を励ましてくれているのだろうと悟っり、「ゆっきー、ありがと!」と、とびっきりの笑顔で礼を口にする。
「お陰で状況は大体飲み込めた! ゆっきーの言う通り、鵺、ここでさぁ、うじうじしたり、悲劇のヒロインぶるのって、すっごいつまんないと思うんだよねぇー! だってぇ、こんなミラクルドラマティックシチュエーションって滅多にないし、堪能しなきゃ、損!って感じじゃない? 深刻になっちゃうのも趣味じゃないし、今から鵺が何をやれるかを、ちょっと考えてみるよ!」と告げ、「うーし! なんか、楽しくなって来た!」と言いつつ、にいっと性悪めいた喰えない笑みを浮かべる。
そんな鵺に、白雪は無表情のまま頷き、それから、一瞬、柔らかい笑みを浮かべると「御武運を…」と小さく呟いた。
まぁ、そんなやり取りを経て、今度は対幇禍戦を想定ししつつ、自分の身を守った上で、幇禍の「理」の殺意から、自分が逃れる手段を考慮し始めた鵺は、折角、この城に逃げ込んだのだから、「千年王宮」という使いようによっては恐ろしい威力を発揮するであろう物や存在がゴロゴロしているこの場所で、幇禍奪還の際に利用できるものはないかと探し始めた。
そもそも、幇禍をただ単に殺害するだけならば、その手を思いつかない訳ではない。
鵺自身も能力者であるし、形振り構わなければ、義理の父の力や、父の実家である鬼丸組の力、ベイブの力すら活用して、圧倒的数の力でねじ伏せる事は可能だろうと考えられた。
されど、それでは意味がないのだ。
微塵も。
不死の存在である幇禍。
その幇禍が従う「理」は、自らを殺害した相手を、蘇りの際に「敵」と認識するようだった。
例えば、そうやって他人の力を借りて、幇禍を殺害させたとして「では、その後、蘇りの際に『敵』と認識した相手を、幇禍が殺害した暁には、幇禍は一体どうなるか?」という事を、鵺は知らない。
数の力で対峙して、幇禍を殺害後、蘇りの後、幇禍から「敵」と認識された相手は、その場で即殺害される可能性が極めて高い。
個人的に狙いをつけた相手を、おいそれと逃すような腕前を幇禍はしていなかったし、そうやって「理」を完成させた後に、現状よりも、もっと取り返しのつかない事態に幇禍が見舞われないとも限らない以上、迂闊な行動は出来なかった。
(考え方は悪くないと思うのよね〜。 つまり『理』を逆手に取っちゃえばいいのよ。 その『敵』という認識対象から、鵺が逃れる事が出来れば、幇禍君の鵺への殺意は消える訳だから、誰かに幇禍君を一度、サクッ!!とさっぱり殺っちゃって貰ってぇ、『敵を鵺以外にする”新規書換”』を狙えば、幇禍君に無理をさせる事無く、鵺もまた、前みたいに幇禍君と暮せて、万々歳!って事にならないかしら? ただ、問題は…)
温くなり始めたミルクを啜り、竜子の能天気な話題に適当に相槌を打ちつつ、鵺は思考を巡らせ続ける。
(その場合、相手が、幇禍君を殺して復活後に、『敵』として殺されちゃわない人を見つけなきゃいけないって事なのよね…)
そこまで考え、溜息を吐く鵺。
例えば、単純に幇禍に対抗出来る実力者というのならば、幾人か顔が思い浮かばないわけではないが、幇禍に「敵」と認識され、狙われ続けるという、大変なリスクを考えるとおいそれと気軽に頼めたものじゃない。
そんな都合の良い人間はいないか…と、早々に別のアイデアを捻り出そうとし始めた鵺は、コクンと最後の一滴までミルクを飲み干すと、竜子に向かって「お竜さん、今日は何して遊ぼうか?」と問い掛けながらにこりと笑った。
竜子と王宮内の施設を楽しみつつも、その実、そこで紹介される住人や、アイテム等の話を仕入れ、これから巧く有効活用出来るものはないか…?と考え続けていた鵺は、ある日、飛び切りの情報を一つ仕入れることが出来た。
「アリスとベイブが邂逅してからよ? これ程日々が穏やかなのは」
王宮を探索していて見つけた、ダンスフロアと思わしきクリスタル製のシャンデリアが垂れ下がり、たくさんの燭台が飾られた大理石製の床も美しい豪奢な部屋にて出会った、首だけの歌う少女エリザに小鳥のような声で教えられ、鵺は「アリス?」と問い返さずにいられなかった。
確か、この前城を訪問時に、ベイブが酷い混乱状態に陥り、その動揺を沈める為、黒須と竜子に天井に磔にされた女を指し示され、あれが、アリスだと知らされた記憶がある。
ベイブを愛する余りに、城に縛り付けている張本人、アリス。
天井に磔られたままの彼女と、どうやってベイブが邂逅を果たしたのか?
詳しい理由はエリザも知らなかったのだが、彼女の口から、アリスがベイブの「母親」である事、深層階と呼ばれる、この城の地下奥深くに棲まう、真実のアリスとはまた別の、ベイブの心のアリスが存在する事を聞かされ驚愕する。
アリス。 時の大魔女だとかいう女。
こんな城を創りだし、息子を愛する余り千年己の魔術に縛り付ける、その力は、魔術の事は全く門外漢な鵺にだって凄まじいものである事は想像できる。
(アリス…アリス…ねぇ……)
加えて、この城の住人であるのなら、現世とは違う次元に存在するこの城にいる限り、幇禍の襲撃にさらされる可能性は低く、よしんば、彼が何らかの手段を持って、この城に乗り込めても、そこから、この城の最下層域とやらまでに辿り着くには極めて至難の技だろう。
つまり、アリスとは、鵺の考慮していた『理の新規書換』の贄とするには打ってつけの人物だとも言える。
その存在が、善か悪か。
危険なものか安全なものか。
敵か味方か…、そんな事を慎重に考慮している猶予はない。
以前、この城に幇禍の課題から逃れるべく家出をしてきた時の事を思い出す。
追って来るのだ、例え、時限の狭間でも、あの男は。
今はまだ、気付かれていなくとも、鵺の是までの足跡を辿り、いずれは此処に辿り着く。 必ず。
「アリス」
かすかに呟く。
唇が、ゆるゆると笑みを刻んだ。
打開策が、やっと見つかった、
(決ーめたっ! アリスママに、鵺の身代わりになって貰おうっと♪)
何も、「アリス自身」に、幇禍を殺害させずとも、時の大魔女ならば、自らの手を汚す事無く幇禍殺害を果たし、『新規書換』を可能とする手段を有しているかもしれない。
何にしろ…。
ふっと、小さく息を吐く。
何にしろ、竜子に気付かれないようには計らわないといけない。
他人の為に、命を懸け、大火傷すら厭わないような人間には、鵺と幇禍との間に起こっている出来事を、理解しきれるとは思えなかったし、それ以上に、今の事態が己を切っ掛けにして起こっている事を知れば、大層動揺するだろう。
知られたくない。
多分、泣くだろうから、あの娘は。
大きく口を開けて、大声で、大層みっともなく泣いてしまうだろうから、知られたくない。
自分達を、随分と仲の良い恋人同士だと、思い込んでいる、あの単純極まりない娘に、出来るだけ悲しい修羅場は見せたくない。
そして、願わくば、全て、鵺の思うように事態が収束し、幇禍とまた、二人で、竜子の前で下らない事を言い合い、竜子がよく見せる、開け放したような、何の裏表もない笑い顔をさせてやる事こそが、彼女に対する何よりもの礼になるような気がして、だから、鵺は出来るだけ秘密裏に、事態を進める事を改めて自らに課した。
そんな訳で、必要な情報を手に入れ、次に取るべき行動を定めた鵺の頭上に、突如「ポトン」と何かが落ちてきた。
「ん?」と疑問符を口にしつつ、頭に手をやれば、そこには白い一輪の薔薇。
天井を見上げても誰もおらず首をかしげて、薔薇を指先でクルリと回せば、その遠心力に煽られて、花弁の端が「剥がれ」て、垂れ下がる。
「あっれぇ? これ、普通の薔薇じゃない?」
そう呟きながら、剥がれた端を摘み、くるくるくると薔薇を回せば、見る間に花弁が小さくなり、鵺の手には細長い白い紙と、花弁を失いみすぼらしくなった茎が残された。
白い花弁だった、細長い紙を目の前に掲げれば「至急、ロビーに来られたし いずみ殿が来訪」と小さな文字で書かれている。
どういう仕組みか分らぬが(まぁ、この城で仕組みを問うのも馬鹿馬鹿しいし)伝書鳩ならぬ、伝書薔薇らしい。
「いずみ? うっそ! 久しぶりじゃん!」
懐かしい名に、嬉しさの余り声をあげ、その場で一度飛び跳ねると、一目散にロビーに向かって駆け出す。
広い城内ではあるが、それなりの期間滞在している事もあり、竜子のように迷う事はなく無事ロビーに辿り着く。
「いっずみー!!」
そう言いながら、ロビーに勢いよく飛び込めば、そこには相変わらず冷静で、理知的極まりない、いずみの愛らしい姿があった。
肩を竦め「そんなに急がなくても、私は逃げないわよ」と言った後、唇を緩め「久しぶり。 元気そうで何より」と言いながら、パタパタと此方に近寄ってくる。
その傍らに立っていた竜子も「薔薇、無事届いたみてぇだな」と言いながら、にっと笑ったので「薔薇ってこれの事?」言いつつ、元は白薔薇だった残骸の紙をヒラヒラと揺らした。
「おう! この城無闇矢鱈に広いし、ここ入ると携帯も使えねぇもんで、連絡のやりとりに、あの薔薇使ってんだ。 気付いてくれてよかった」と言いつつ、いずみに視線を向ける。
「えーと、図書館に行きたいんだったよな?」
竜子の問いに頷くいずみ。
「図書館〜?! そんな場所に行く為に、わざわざここに来たの?」
鵺の素っ頓狂な問い掛けに、「ええ、知識を蓄える事は、いつだって歓迎したいものでしょ? ここの施設も気になっていたとこだし、そうね、ちょっと色々あったから…、気分転換したかったのもあってね…」といずみは冷静な声で言い、竜子が「気分転換に、図書館っつう発想がまず、ねぇわな…」と呆れたように言う。
この場所の特異性故に、どのような手段で訪れたのか気になって聞いてみれば、どうも、竜子に連れてきてもらったらしい。
「地元の図書館の目ぼしい本を読み尽くしちゃって、何処かに、他にたくさん本のある場所ないか、悩んでた所だったの」
図書館の本を読みつくす…という読書量に驚きつつも、竜子が今日外界に行ってた理由も気になって視線を向ければ、その意図を察したのか「あたいは毎月購読してる雑誌の発売日だったから、コンビニに行って来たんだよ。 そんで、その帰り道に偶然いずみに会ったんだ」と説明してくれる。
何でもありの王宮とて、さすがに城内にコンビニはないらしい。
矢張り、ここに篭りっぱなしという訳にもいかないのだな…と思っていると、突然竜子の頭の上に、ポトンと白い薔薇が落ちてきた。
「んあ? 何だ?」
そう言いつつ、頭上の薔薇を取り上げる。
鵺の元に落ちてきた物と同じ仕組みらしい伝書薔薇を解き、その内容に目を走らせると、「お茶会のお知らせ…? 薔薇園で、お茶会が催されるので、ご友人達をお誘い合わせの上、来られたし…って何じゃこりゃ?」と呟き、竜子が首を傾げる。
「お茶会? なんか、美味しいものが食べれるの?」
色気より食い気を地でいく鵺が、嬉しげな声を上げれば、竜子は「んー、ちょっとこんだけじゃ、事情が分んねぇから、あたい、ちょっと、どういう事か誰かに聞いてくるわ」と言い残し、竜子はロビーを後にした。
鵺が「いってら〜♪」と手を振り竜子を見送れば、いずみが「で? 鵺は、どうして此処に?」と問い掛けてきた。
「んー? まぁ、鵺も色々あってぇ…」と言いながらヘラリと笑い、視線を向ければ、いつもよりも、少し余裕のない、いずみの顔が目に入る。
「…どうしたの?」
そう言いながら、トンといずみの眉間を突く。
「ここ…、ふかーい皺が、出来ちゃってるよん?」
そう言いながら、えいえいっと、指で突けば「やめなさいっ」と、そんな鵺に呆れたように、その指先を掴んだいずみが、手を離さないままに「貴女は、子供よね…」と言って、少し笑った。
「ん? そうだよ? だって、まだ、13歳だもん!」
何故か胸を張るように言う鵺に「…その事が嫌だなぁ…って思ったことない? 例えば、子供を理由に、仲間はずれにされた時…とかね?」といずみは言う。
子供を理由に仲間はずれ…?
鵺はつらつらと今までの自分を思い返し「えー? そんな事、誰も鵺にしないよ?」と首を傾げた。
いずみは、パチパチと瞬き「ああ…まぁ、貴女はそうでしょうね…。 仲間はずれにされても、無理矢理首を突っ込むタイプでしょ」と、納得したように言えば、「だからぁ、鵺は、仲間はずれになんかされた事ないもん! ただ、『子供は来ちゃだめ』とか『子供は見ないように』とか『18歳未満の閲覧を禁じる』とか、時々意味の分からない事言われたり、見たりするケド、まぁ、鵺、フリーダムだしね☆」と笑う鵺に「うん、言われてるって時点で、仲間はずれにされようとしている事に気付いて欲しいんだけど、どうしてかしら? 鵺=フリーダムとか言われると、納得しちゃう私がいるのよね…」と落ち込んだように言う。
「え? 何々? 仲間はずれにされちゃって、落ち込んでるの?」と、鵺が問えば「というよりも、仲間はずれにされても、その事に反論できない自分が歯痒いというかね…自分が何の役に立てない事を思い知らされちゃって…」といずみが困ったように答えれば、「そーんなの!」と言って笑い、「いずみは、いずみのやれる事をやれば良いんだよ」と鵺は気楽に言った。
「ケ・セラセラ! なるようになるし、なるようにしかならない。 いずみだって、いつまでも子供じゃないでしょ? 鵺だってそう、いつか大人になるもん。 べっつに焦る必要なーし! ていうか、今やりたい事や、やれる事で鵺は精一杯!」
そこまで言って、不意に、鵺は唇をきゅっと引き結ぶ。
「…それに…子供とか、大人とか関係なくさ、現実とかって容赦ないじゃん? 時の流れって奴がさ、鵺達の幼さを理由に、穏やかになってくれる訳もなし、良いんだよ。 そんな焦らなくても。 いずれ、いずみも、立ち向かう時が来る。 何者でもなく、自分自身で向かい合わなきゃならない現実に」
幇禍の事は、まさに、そういう事なのだ。
幼いからといって、誰かに同情して貰えた験しもなし、年齢なんざ、この厳しい現実の前には、全く持って無意味極まりない。
「…何があったの?」
いずみが厳しいような声で聞いてきた。
鵺がその目を見返せば、美しい凛とした眼差しが、揺らぐ事なく此方を見据えている。
そんなに急いで大人にならなくてもいいよ。
鵺は苦笑を浮かべた。
複数の人格と、修羅の如き過酷な現実、綺麗ごとなんざ微塵も通用しない人生を、それでも何とか駆け抜けてきた。
やっと、これって幸せなんだろうか?という日々を手にしたと思ったら、それは砂上の楼閣で、この手の隙間からサラサラと崩れ落ちていこうとしている。
鵺は 老いた。
時々思う。
同じ年代の子達よりも、鵺は遥かに老いて、諦念を知った。
されど、未だ、頑是無い、我が儘な幼い自分を見失いたくなくて、浅ましいと言われようと、目の前から消え去ろうとしている幸福を諦める事はできなくて、こうやって懸命に足掻いている。
足掻けばいい。
鵺は思う。
子供のままに、いずみも足掻いて、惑って、自分の未来を信じて、それが子供の特権。
だから、「そんなに急いで大人になろうとしなくていいよ」と鵺が優しい声で言ったなら「子供だろうが、大人だろうが、関係ないわ。 私が、私である限り、友人が困っている事態を見過ごせないの」と真剣な声で言い返された。
ああ、まただ。
鵺は少し笑う。
有り難いな…。
しみじみ思う。
これが、鵺が今まで生きてきた証。
鵺を、こうやって心配してくれる友がいる。
今まで、真っ当な友人関係なんて、中々結んで来れなくて、だから、どうしようもなく、胸が熱いような、それでいて照れくさくて仕方ないような気持ちになった。
いずみになら、喋れる。
彼女に、知って欲しい。
そう思い、口を開く。
「…鵺ね、詳しい事は、鵺にもよく分んないんだけどね…」
それは思った以上に、弱弱しい声で、ああ、嫌だなぁと思おうとして、こんな風に友人に相談する自分を嫌いになれない自分自身に気付いてしまった。
「……幇禍君に、命、狙われちゃってんの」
微かに笑ってそう言えば、いずみは、何を言われたのか分りかねるという表情を浮かべ、それから、見る見る顔を強張らせ、「嘘…っ」と息をひゅっと吸い込みながら小さく呟くと、両手で口を覆う。
そして、どうしていいか分らないという風に、いずみは飛びつくようにして、鵺の首根っこに齧り付いてきた。
小さな体が震えていた。
「…鵺…な…んで? どうして? だ…だって、凄く…凄く…仲良かったじゃない? ず…ずっと一緒で、わ、笑い合ってて…」
人と関わるという事はこういう事なのだ…と鵺は思う。
鵺の為に、今、いずみが震えている。
「どうして…?」
そんないずみの暖かな体を抱き返し、その背中をポンポンと叩くと「『理』」とただ一言述べる。
「幇禍君が鵺の傍にいてくれる理由であったものであり、同時に、鵺から幇禍君を奪ったものでもある。 幇禍君に課せられた、意味の分からない約束事のようなものだよ。 とっても厄介なね。 鵺が此処にいるのは、幇禍君から避難する為でもあり、幇禍君を何とか『理』から取り返す為でもあるの。 これは、鵺にしか出来ない事で、鵺が今、出来るだけの事をやって、取り組まなきゃいけない事なの。 悲しんだり、落ち込んだり、躊躇だってする気はないよ。 この命だって、賭けるつもり。 そしてね、この鵺が、命まで賭けてやるって決めた事で、叶わなかった事なんか、今まで一つだってなかった。 大丈夫、大丈夫だよ、いずみ。 鵺はね、また、幇禍君と一緒にバカ言い合ったり、美味しいもの食べたり、いずみに呆れられたりしてさ、そういう『普通』、絶対取り戻すから、鵺は、諦めるつもりは、全然ないんだから…」
そう言いながら、いずみを一度強く抱きしめると「ありがとう」と、優しい、優しい声で言った。
「鵺は、悲しくないの。 辛くもないの。 怖くだってないんだよ? やるべき事が分ってる。 まだ、足掻ける。 絶望には程遠い。 この事を切っ掛けに、前よりずっと良くなる事だってある。 だから、何も起こってないんだよ」
いずみは、唇を震わせながら顔を上げ「何が出来る?」と問うてきた。
「ねぇ? 鵺? 私、何か出来る?」
鵺は笑う。
「笑って? いずみの笑い顔、鵺、大好きなの!」
いずみは、くしゃっと顔を歪め「馬鹿じゃないの?」と、無理した嘲るような声を出すと、それから、唇の端を持ち上げる、不器用な微笑を見せて「巧く笑えないわ…」と小さく呟いた。
「…笑わせてよ。 鵺。 早く、その面倒な事を片付けて、幇禍さんと二人で、私の事を、笑わせて」
鵺は「合点承知!」と明るく答え、それから、いずみの体から身を離すと、にっこりと笑って手を打ち合わせた。
その余りにも能天気な答えに、心配になったのだろう。
「大体…幇禍さんって、ほら、一番最初に、黒須さんや、竜子さんと知りあった時に、黒須さんと一対一で勝負したじゃない? あの時の様子を見る限り、相当、腕の立つ人だと思うんだけど、鵺は、どうやって対抗するつもりなの…?」
そう不安気に問われ「にっ」と鵺は笑うと「そっか…! いずみの前では、まだ、見せたことないもんね〜」と言いつつ、ひらりと、鴉天狗の面を一枚、何処からともなく取り出してみる。
「これは、鵺の打った面。 この子は、妖怪『鴉天狗』。 いずみなら知ってるかな?」
鵺の問い掛けにいずみは頷き「鴉天狗って、山に住む修験者や、山伏をモデルして創られた鴉の顔をした、空飛ぶ伝説上の生き物でしょ? 鞍馬山の鴉天狗なんかは、牛若丸に剣を教えたとして有名だったっけ?」と、つらつらつらっと流石の雑学知識を披露すれば「へー、そうなんだぁ!」とその力を面を通じて行使する癖に、初めて知る事実に、目を見開く。
「…で? その鴉天狗の面がどうしたの?」
いずみに問われ鵺は頷くと、「ま、見て貰った方が早いね」と言いつつ、面を付けた。
その瞬間、背中に黒い羽が広がり、鵺は軽く地面を蹴ると、高い天井のロビーを一通り飛び回って、再び地に降り立った。
ぽかんとした表情のまま、鵺を眺めるいずみの前で、面を外し「これが、鵺の能力。 鵺が打った妖怪の面を付ければ、その妖怪の能力を使う事ができるの。 とはいえ、まぁ、出来るってだけで、さっきの鴉天狗とかも、本来ならば、もっと素早く飛べるし、振るえる力も強大なんだけど、それだって、相手がただの人間ならば、そこそこ、頼りになる能力だと思わない?」と言えば、いずみはコクンと頷いて、それから「そっか…鵺にも、そういう能力があるんだ…」と少し寂しげに言う。
いずみの知識や、その冷静な判断力、咄嗟の指揮能力は、充分驚嘆に値する極めて稀な能力であるのに、何を、そんな他者の能力を指して、寂しがる必要があるというのだろう?と不思議がりつつ、「まぁ、それでも、相手は鵺の事を知り尽くしてる幇禍君だし、正面からぶつかれば、かなりヤバイっていう状況には間違いないんだけどねぇ…」と思案気に呟けば、「他に、何か能力はあるの?」といずみが問うてくる。
「んー、他に…っていうか、まぁ、面打ち能力に付随してって感じなんだけど、妖怪のみならず、鵺は、どんな相手の面でも打つ事ができるし、その面を付ける事によって、相手の能力を、劣化はするもののコピーしたり、相手の本性が分かったり…とか位かな? まぁ、面を打つ為の材料として、ある程度、対象者の観察が必要なんだけどね…」
鵺が、そう答えればいずみは、「…凄い能力だとは思うけど、今回の件では、巧く活用できそうにないわね…」と真剣な表情で呟く。
その声に、鵺は、いずみが、自分の為に事態を打開する為の策を練り始めてくれているのだと悟り、少し、慌てた。
いずみが、子ども扱いをされ、仲間はずれにされると先ほど悩んでいたが、今、その、措置を取った大人たちの気持ちが分る。
危険に巻き込みたくない。 いずみは、どうしても。
敵と認識した者のみに、殺意を抱く「理」だとは分っているが、幇禍の性質は鵺から見てもかなり酷なところがある。
その冷酷さを、鵺は幇禍の美点として捉えてはいたが、敵対している今の状況となっては、脅威としか思えない。
自分にその殺意が向けられているだけなら良い。
だが、幇禍はきっと、鵺の殺害を邪魔立てする者を、何の躊躇もなく殺すだろう。
今までだってそうだった。
鵺の障害となるもの、鵺が殺害を望んだ相手に対して、感情にさざなみ一つ立てる様子もなく、幇禍は相手の命を奪い去ってきた。
今、鵺の殺害を命題としている幇禍が、その前に立ちはだかる者に対して容赦をするなどとは思えない。
その相手が、例え、いずみのような小さな女の子であってもだ。
「ていうか、そんなことよりもさ? 折角、久しぶりに会えたんだし、図書館でお勉強より、もっと愉しい事しようよ! このお城、色んな面白い場所があるんだよ? 鵺、結構ここにお泊りとかしちゃってるから、もう、案内だって出来るんだから!」
まるで、何重にも面を被るように、自分の中にある不安も、いずみに対する心配も、何もかもを、笑顔の奥深くに塗り潰して、鵺は笑顔で告げていた。
いずみに、何かあったなら、絶対に取り返しが付かない。
あの、暑い夏、暑い夏。
間近に接した志之の死。
彼女は、もう、戻ってこない。
死とはそういうものだ。
志之は天寿を全うしたが、いずみはまだ、まだ幼い。
命の危険に晒す訳にはいかない。
鵺は、目の前にある少女の命の価値を思う。
あれほど、人の命の価値に対して胡乱気であった自分が、友人の身を案じ、こんなに動揺してしまっている。
まるで鵺の意図に気付いているというように、いずみは酷く大人びた笑みを浮かべ、それでも、その思惑に沿うてやると決めたように、「そうなの? まぁ…そうね…。 そういう風に此処で過ごしてみるのも、良いかもしれないわね」と頷いてくれた。
鵺が、そのいずみの対応に、心底安堵を覚えれば、竜子がタイミングよく「悪ぃ! 待たせた!」と言いつつ、帰ってくる。
「お竜さん! お竜さん! 図書館中止ー! それよりもさ、ほら、遊園地みたいになってる、プレイゾーン連れてって?」
そうはしゃいだ声で言う鵺に「プレイゾーン?」といずみは首を傾げる。
「そう! すんごいの! もう、なんか、ありとあらゆる法則を無視して、『わぁ、これ、間違いなくネバーランド!』と言わざる得ない遊園地ゾーンがね! この城の中に存在するんだよ!」
そう興奮したように言う鵺に、いずみが「こ、個人所有の遊園地って…確かに、ちょっとスケールが大きすぎて、受け止め難いわね…」と戸惑った表情を浮かべる。
「うん…ていうか、あたいが、ベイブに『東京には、こんなトコがあんだぞー? あたいは一回、誠達と行った事あんだぜ? 良いだろー』って、あの時思えば、無防備レベルにガイドブック見せながら自慢しちまったのが原因でさぁ…」
そう戸惑いの表情を見せる竜子に、「あ、ベーやん、年甲斐もなく、羨ましがったんだー」と鵺が言えば、竜子はこくんと、大きく頷き「そんで、何か、すげぇ拗ねて…、最終的に、そんなトコ、全然興味ないね!とかって態度になった癖に、遊園地を、いきなり作っちまったんだよ。 ガイドブックを参考にさ」と言いながら頭をかく。
鵺が、竜子の自慢に盛大に不機嫌になっているベイブの姿を脳裏に浮かべて、ちょっと噴出すれば「いや、もう、笑い事じゃねぇんだって!」と、腕をブンブン振りつつ抗議してきた。
「朝起きてさぁ、『遊園地、創ったし』とか、なんか、フフンとか笑いつつ、事も無げに遊園地製造宣言とかかまされたら、マジ、ド肝抜かれっぞ? ちょっと、手に負えねぇ…とか、思うぞ? 大体、えー? この城で、そんなトコで、誰が遊ぶよ?っていうか、あたいと、ベイブと、誠の三人で、無人遊園地で遊ぶ姿って、一言で言うなら、地獄じゃねぇ?みたいな状態になっちまっててさぁ…」と愚痴られて、ああ、やはり、こんな場所で過ごす人間は、上司の愚痴まで、次元が違うんだなぁと、呑気な事を考える。
「まぁ、でも、これで、その遊園地行かなきゃ、ベイブ、不機嫌超えて、多分泣くだろ? 涙目っていうか、泣くだろ? したら、機嫌取るのは結局あたいと誠だからさぁ、遊んだよ! 三人で! 広大な遊園地で! したら、なんか、ガイドブックの煽り文句どおりに、適当なイメージであいつ造ったせいか、本気でアトラクション命懸けで、なんか、一歩間違えたら絶命?みたいな、死の遊園地になっててよぉ…」
竜子の切々とした訴えに、青ざめたいずみは「ええ、ああ、うん、はい、ちょっと、はい、ちょっと待って下さい。 え? 鵺? ごめん、貴方、私を何て場所に誘おうとしてるの?」と、真顔で問い掛けられ、ペロリと舌を出しつつ「だってぇ、すっごい愉しかったんだよ? 生きるか、死ぬかの地獄遊園地! あんな遊園地、絶対東京にはないっていうか、世界中探してもありえないって感じで、ジェットコースターとか、もう、コースとかが、途中でなくなってて、勢い良く空中浮遊…」と、夢中で語る鵺を遮り「はい、聞きたくない!」といずみは遮ってくる。
「うん、いや、あたいも、あの遊園地で、あんな楽しめる人間がいるたぁ思わなかったよ。 色んな意味で流石だよ、鵺」とか、感心してるんだか、呆れてるんだかな賞賛の言葉を貰い、「ありがとう☆」と素直に礼を述べる。
「誠とか、無理矢理ベイブに乗せられた、『ミラクルファンタジーツアー☆夢の拷問列車』とかいうアトラクションを乗り終えた後、なんか異常にボロボロになって、目ぇ引ん剥いたまま、泡吹いてたもん。 しかも、暫く悪夢にうなされて夜眠れねぇ、オプション付きで」
そう竜子の言葉に(ああ、まこちゃんも、相変わらずなんだな…)思いつつも笑えば、「うん、絶対、そんな場所、私行きたくないです」といずみが必死な声で訴えた。
「うっそー? 拷問列車愉しかったよ? エキサイティングで!」と鵺は本気の声でいずみに薦めてしまう。
実際、鵺にしてみれば、こんな愉しいアトラクション、見た事ない!というような、内容を描写すれば即・リテイクは免れない余りの残虐・鮮烈アトラクションを、いずみにも経験して欲しいと、心から願っての台詞だった。
しかし、そんな友達想い(?)のお薦めに「乗ったの?! そして、楽しんだの?!」と、信じられない者を見る目で見られ「いや、そんな、珍獣を眺めるみたいな目で見なくても…」と逆に怯む。
「まぁ、とにかく、鵺位、頭ぶっ飛んでねぇと耐えられねぇ、阿鼻叫喚遊園地なんだけど、いずみは…」と言いつつ竜子がいずみに目を向ければ、即座に首をブンブンと振り「うん、行きたくねぇよな」と大いに同意して「んじゃ、妖精どもがたむろってる部屋に案内してやんよ。 あそこは、何にも怖い事ねぇし、中に花の入ったシャボン玉がそこ等中を飛びまくってて、中々綺麗な部屋なんだ」と言い、いずみが目を輝かせて頷いた。
その部屋は、既に一度鵺も訪れていたし、空気が澄んだ湖の底の様に、薄く水色がかって、水生植物が咲き乱れる空間に、半透明の美しい妖精や、色とりどりの花を閉じ込めたシャボン玉が乱舞する様は確かに美しくはあったが、遊園地に比べればスリルが足りず、些か退屈だと言わざる得ない。
絶対、いずみがここにいる間に遊園地に誘い込んでやる!と目論む鵺の横顔を眺め、いずみが「絶対、変な事を考えないように…!」と釘を刺してくる。
「が、その部屋に案内する前に、どうも、薔薇園でのお茶会っつうのに、あたいら全員招待されてるらしい。 ベイブも、呼んで来た方が良さそうだから、まず、玉間寄って、あいつ誘った後、薔薇園覗いてから、妖精の部屋には案内してやるよ」と竜子が言えば、嫌が応もなく鵺は賛成し、いずみも頷いていた。
さて、ロビーを後にし、虹色の水が脇を流れる回廊を、三人で歩いていた時だった。
見れば回廊の向こうから、華美な衣装に身を包んだ、人形めいた美少女が歩いてくる姿が見えた。
ハートの飾りがあしらわれた、光の当り方によっては銀色の光沢も放つ黒いフェイクファーケープを羽織り、袖口が広がり、黒のレースが施された、ワインレッドのワンピースの裾が揺れていた。
黒いレース地のリボンが、至る所に飾られた、赤×黒のビビットな色彩のワンピースではあるが、色合いに深みがありシックな印象を見る者に抱かせる。
綺麗な黒髪には、赤いハートのワンポイントが可愛らしい大きなリボンの髪留めをつけ、踵の高いダークブラウンの編み上げブーツを履きこなし、黒いタイツで細く形の良い足を益々格好良く見せている少女は、ベースに薄紅色のマニュキアを塗り、キラキラと光るラインストーンをちりばめた綺麗な爪先を煌かせながら、髪を掻き上げ、此方にヒタリと印象的な眼差しで視線を送ってきた。
「あっれー? ウラだよね? ね?」
そう言いながらピョンピョンと跳ね、鵺はウラを指差す。
彼女も、ここに遊びに来ていたのか。
「お久しぶりです」と律儀な声で告げるいずみにウラは目を細め、「よお!」と片手を挙げた竜子は「お茶会ってぇのは、あんたの仕業か?」と笑いながら問うた。
彼女の姿がここにあるという事は、きっと、そういう事なのだろう。
確か、ウラは、前回、ここを訪れた際にも、お茶会を催してくれた。
確かに薔薇園でのお茶会なんて趣向は、如何にも彼女好みに思える。
ウラは「相変わらず、がさつな挨拶ね」と肩を竦め、それから「そうよ? 感謝なさい。 そして、おまえ達は運がいいわ! また、私が主催のお茶会に参加出来るのですから」と肩をそびやかして見せた。
ウラの見た目は不恰好だが、味は絶品なケーキを思い出し、「お茶会♪ お茶会♪ ウラ、またモンスターケーキを作ってくれるの?」と、嬉しげに問い掛ける。
「残念ながら今回は、あたしのケーキはなくってよ、っていうか、てめぇ、聞き逃してやろうかとも思ったけど、そこまで大人になんかなってやんないわよ? 何よ?! モンスターケーキって!! 単純だから余計に腹立つわよ。 そのネーミングは一体、いつ、勝手になされたのよ!!」とウラが言われ、何故怒るのか、全く見当がつかずに、悪気の一切ない声で「えー、だってー、なんか、前のケーキって、中からどれだけ控えめに言っても未知の生物、どれだけ大げさに言っても未知の生物、つまるところ未知の生物とかがコニャニチワー!ってしそうな見た目だったじゃん」と鵺は素直に言う。
「コニャニチワするかー!! むしろ、あたしが、お目に掛かりたいわよ! 中からコニャニチワなケーキはあたしがお目に掛かりたいわよ! そして、料理オンチの癖して、あたしのケーキに文句付けるなんて、身の程知らずにも程があるわ!」
そう半ギレになりながら応戦されて、ムッとした鵺。
「オンチじゃないもん!! ちょっと、野菜の皮を剥いたら剥き終わった時には鵺の手の中には何もないとかいう状態だったり、ガスコンロの火を付けたら常に火柱が立ったり、作った料理が全部黒いなんか、これは魔王の食物か?!と目を疑うようなボロボロの消し炭になってたりするだけだもん!!」と反論になってない反論を繰り広げる。
「あー、確かに、それはオンチとか、そういう範疇にないわね」といずみが冷静に頷く声に、ウラも「別の意味で、奇跡の腕前だわ」と、納得&落ち着きを取り戻すものだから、その態度が更に鵺をむかつかせるが、ここは、不毛な良い争いを続けるべき場面ではない。
「まぁ、その代わり、あたしのケーキに比べりゃあチンケなものだけども、メリィのお菓子を持参したわ?」
そうウラが聞きなれぬ店名を告げれば、竜子が歓声めいたものをあげ、いずみも嬉しげに「メリィのですか…! 私も最近、あのお店行けてないんです。 季節毎に商品のラインナップが変わるようですから、ずっと気になっていたんですよ」と言いつつ、手を打った。
鵺は、二人の反応に驚きつつ「メリィ? 何それー! 鵺、知らないよー? そこのお菓子って、そんなに美味しいの?」と顔を巡らせる。
すると、ウラはそんな鵺の鼻先に指を突きつけて「メリィを知らないなんて、チェック、あま〜〜い!」と勝ち誇ったように言ってきた。
確かに、竜子も、ウラも、いずみも知っていて、鵺だけ知らない素敵なお店があるなんて、何だか、とっても、悔しい気がする…。
鵺はウラの言葉にプクッと頬を膨らませると、行き付けの駄菓子屋を思い浮かべつつ「いいもん、鵺は、川商メイツだし!」と、不満げに告げれば、ウラは川商を知らないらしく、「川商?」と首を傾げる反応を見せた。
ここぞとばかりに、にっと笑い「川商知らないなんて、チェックあま〜〜い!」と、鵺は指を突きつけ返しておく。
「はいはい。 そんな意地悪言い合わないで、また、お互い案内し合えばいいでしょう? どっちも素敵なお店なんだから」
先ほどのように、不毛な言い合いに発展しないよう、一番年下にも関わらず、大人びた声で諌めてきたいずみは、「で? ウラさんは、どうしてこちらに?」と問いかけた。
「あたしは、ここの図書館に用があって来たの。 まぁ、とはいえ、このお城に来て、埃臭い本にすぐ直行なんて、無粋が過ぎるわ。 とりあえずは、芳しいお茶と、甘いお菓子で幸せな時を享受しなきゃ、馬鹿馬鹿しくってやってらんないってなものじゃない?」
ウラの言葉に、いずみと同じくウラも、図書館目当てでここに来たなんて!と驚きながらも、ここで、二人連れ立って、図書館に行かれてしまっては、大いにつまらないと思い「賛成、さんせーい! 何でもいいよ! 美味しいお菓子が食べられるのなら」と、即座に賛同の意を表す、
すると、そんな鵺の態度の豹変に、いずみも「現金なものね」と、苦笑しつつも「まぁ…ご相伴に預かれるのなら、文句なんて私にもないけど」と、澄まして答えた。
ウラは、にんまりと満足げな笑みを浮かべ、「クヒッ! 竜子、白雪と薔薇達に、薔薇園にて用意をさせているから、先に向かっていて頂戴」と、ウラが竜子を振り返り言えば、彼女は「んあ? いや、あたいら、ベイブを呼びに行こうかと考えてたんだけど…」と言い、それから、ふとウラの肩に視線を向けた。
竜子の眼差しにつられて見れば、ウラの肩に、蒼井薔薇が飾られていた。
よくよく見れば、大きく花開いた薔薇の花弁の下に、小作りな少女とも少年とも取れる淡白な顔が覗いている。
緑の手足をした、その薔薇は、青い花びらのような衣服を身に纏い、ぺこんと鵺に向かって頭を下げた。
(うわ! この子、動く薔薇…?)
なんだか、小さく可憐なその姿に、思わず鵺は好奇心にかられてマジマジと凝視する。
竜子は薔薇を見たまま「ああ、白雪に、ベイブの元に行くよう言われたんだな?」と言いつつ、ちょんちょんと指先で薔薇を突いた。
竜子を見上げ、「キィ!」といった甲高い声を挙げた薔薇は、立ち上がり、その指先に緑の手を纏わせる。
「なーにー? これ! 可愛い!」と鵺は我慢しきれず薔薇を覗き込み、いずみも不思議そうに、その小さな指で薔薇を優しくなでた。
「薔薇園の薔薇。 普段は、眠ってんだけど、何か用事があるときゃ、起こしてんだ。 おい、大丈夫、ベイブがあんたを虐める事ぁないよ。 ウラもついてるし、そんな事したら、あたいがベイブを〆てやる。 安心して行きな。 この『女王』が請け負ってやる」
そう竜子が言えば、漸く安心したのか見る見る薔薇は白くなり、「キィキィ」と声をあげた。
どうも、青くなっていたのは、ベイブの元を訪ねる恐怖に青ざめていたかららしい。
(ベーやん、どんだけ怖がられてんのよ…)と呆れれば「あたいが一走り行ってやってもいいんだが、そうすると、今度は言いつけを守らなかったとかって、この子が白雪に苛められっちまうからね。 悪いな、ウラ。 言葉に甘えて、先に薔薇園に向かっておくよ。 ベイブをつれてきてやってくれ」と、薔薇の立場を慮ったらしい竜子に言われ、元よりそのつもりだったらしいウラは「言っとくけど、貴女のお遣いで行くんじゃないわよ?」と竜子に凄んだ。
「分ぁってるよ。 この世界中のどこ探したって、あんたみたいな子を使える奴ぁいないだろうさ」
そう肩を竦める竜子の言葉に、「フフン」と一度頷いて見せ、それからクルリと踵を返してウラは玉間に向かって歩き出す。
その背を暫く見送ると「んじゃ、あたいらは薔薇園に行こうかね?」という竜子の言葉に頷いて、方向音痴の竜子はあてにせず、ここに伊達に長居している訳でなく、そこそこ城内を把握出来ている鵺先導の元、無事薔薇園に辿り着いた。
『 第三章 ちかくて とおい 』
薔薇園には、この世のものとは思えない程の美しい光景が広がっていた。
パウダーローズスノウ。
それは、マシュマロ大の白い薔薇の形をした雪。
白雪が用意したという、天井から降り注ぐ、その雪は触れても冷たくはなく、フワリとした光を放って消える。
そんな雪が、ゆるり、ゆるりと降り注ぎ、黒い蝶が薔薇園内を飛び交っていた。
演奏者のいない、楽器のみの楽団の奏でる音色があたりを満たし、黒いベンチの上、どうやら、未だ体と合流できていないらしいエリザが、小鳥の如き澄んだ歌声で歌っている。
美しいキャンドルが、銀燭台の上に乗り、そこらかしこに浮き上がって、暖かな光を灯していた。
薔薇園の薔薇は、全て白色に変じ、蝶の黒と薔薇の白のコントラストは鮮やかで、虹色の水を噴き上げる噴水のすぐ傍に、大きな丸い黒檀製のテーブルが用意されていた。
真ん中に、白い薔薇が飾られたそのテーブルには既に、美味しそうなお茶菓子が所狭しと並べられてて、会場の準備を進めてくれていた白雪がそのテーブルの傍に立ち、三人を迎え入れてくれた。
ウラが持参したらしい「メリィ」という店のお菓子も、銀食器の上に美しく並べられていて、確かにこれは、皆が喜ぶのも無理はないと想わざる得ない程可愛いフォルムに、夢中になってしまった。
ウラを大人しく待とうかとも思ったのだが、椅子に腰掛け、暫く待っても主催が来ない状況に、我慢しきれず手を伸ばし、クッキーを一つ摘んでしまう。
すると、丁度タイミングよく、薔薇園に戻ってきたウラが、形の良い眉をくいっと上げる。
まずいとこ見られたな…と、思いつつも「あ、やっときたー! ほら! 主催がいなきゃ話にならないでしょ? 早く座って、座って!」と、悪びれもせず、鵺はウラを促した。
「おまえはもう、つまみ食いしてたじゃないの」と指摘しつつ、勝手に身を引きウラに腰掛けやすいように体勢を整える黒檀製の椅子に腰を降ろす。
「あれ? ベイブは?」
竜子にそう問われ、澄ました顔で「所用を済ませてから来るそうよ?」と伝えると「さて、待たせたわね」と、ウラに言われ、いよいよ始まるお茶会に、わくわくしながら視線を落とせば、まるで湧き出すように白磁のティーカップの中に紅茶が現れ、甘く芳しい香りが鵺の鼻先を擽った。
ウラが持参したという、紅茶の甘い香りに微笑めば、「じゃあ、お茶会を始めましょう」と気取った声でウラが告げて「クヒッ」と笑う。
いずみも、待ちかねたというように笑みを浮かべ、竜子なぞは、ガブリと熱い茶を急いで飲み「あっつ!!」と悲鳴のような声を上げた。
白雪が白い指先を伸ばし、メリィのハート型チョコレートを摘んで口の中に入れると、「アラ…」と目を見開いた。
余程美味しかったのだろう。
鵺も、手を伸ばして口に入れれば、中にキャラメルソースが入っていて、噛み締めるとトロリと口の中に、甘い味が広がる。
ウラが、紅茶で、口の中を湿らせ、甘い香りで一杯にすると手近にあった、ミニタルトをサクリと食み「相変わらず、良い腕をしてるわ」とうっとりと呟いていた。
他の面々もめいめいお菓子に手を伸ばし「美味しい」だの、「これもイケてんぞ? ちょっと食ってみろよ」だの、感想を述べ合う光景に、鵺は、何だか愉しくてたまらない気分になった。
それはウラも同じなのか、「クヒヒヒッ! ヒヒッ!」と、両手で唇を抑え、笑い声をあげる。
そんなウラにいずみがにっこりと笑って「随分とご機嫌ですね?」と問えば、「ご機嫌? 当然よ。 だって、不機嫌も、ご機嫌も、自分次第。 目の前に美味しいお茶と、お菓子があって、世界はこんなに美しい。 これでご機嫌でないなんて、それは随分と愚かで不幸な人間だわ?」と、答えた。
そしてウラは嫣然と、竜子と白雪に、視線を向ける。
「悲しいことがたくさあった。 けれど、それ以上に嬉しいことも見つけてやる。 でなきゃ帳尻が合わないわ。 そうでしょ?」
ウラの言葉が何を指すのか鵺には分からない。
だが、彼女は、彼女で、自分と会わない間にきっと色々あったのだろう。
前に会った印象よりも、より美しく、それでいて強かな表情を見せるウラに竜子が頷く。
「ああ、全くだ。 あんたのお陰で、楽しい時間を過ごせてるよ。 ありがとうな」
そう言いながら竜子が手を伸ばし、ウラの頭を優しく撫でた。
白雪も「気分転換には…なりますわね」と小憎らしい声で言い、それでもよっぽど気に入ったのか、また、メリィのチョコレートを一つ摘んで、嬉しげに口の中に放り込んだ。
さて、そんなこんなで、歓談しつつお茶を楽しんでいると、竜子がソワソワとした様子で「悪い、あたい便所!」と言いながら立ち上がった。
「竜子…デリカシーがないわ?」とウラが眉を潜めれば、「こういう時は、飲食が終わるまで席を立たないのがマナーですよ?」といずみも文句を言う。
「だって、我慢できねぇんだもん!」と、もじもじしながら反論してくる竜子に、切羽詰った状況を察した鵺は「良いから行ってきなよーん。 あ、でも、迷子には気をつけてね?」と言い「あいよ!」と気軽に返事をして竜子は駆け出した。
どんな時でも、お竜さんって、お竜さんだよね…なんて思いつつ、澄ました表情でお茶を啜っている白雪を眺め、ふと、ずっと気になっていた事を問い掛けた。
「ねぇねぇ! あのさぁ、気になってたんだけど、ゆっきーってば、何でも知ってるんだよね?」
鵺の言葉に、白雪が顔を上げ、「まぁ、何でもというと語弊が御座いますが…」と答える。
「でも、この城の中の事なら、全部お見通しでしょ?」と鵺が問いを重ねれば、「ええ…まぁ、城内の事でしたら…」と、無表情に答えてくれた。
そんな白雪に、鵺がにこりと笑いかけ、
「だったら、ねぇ、ゆっきー? 『アリス』の居場所を教えて?」と、無邪気に強請る。
彼女が、鵺に関わる情報を、惜しげもなく与えてくれながら、何故「アリス」の存在については、何も口にしなかったのか?
どうにも気になって仕方がなかった。
とはいえ、「問われない事は答えない」スタンスの白雪だ。
知りもしない存在については問いかける事など出来るはずなく、アリスの存在が、鵺に何か関わりがあるか?と言われれば、然程今のところは関係もない。
従って彼女が教えてくれなかったのも無理はないと考えて、彼女ならば、間違いなくアリスの居場所を知っていると確信し、この機会にと問い掛けたのだが、そこで得られた白雪の反応は鵺にとっては、少し意外なものだった。
白雪が、青ざめ目を見開いて鵺を凝視してくる。
「アリス…何故? 彼女の居場所を探りあてて、どうしようというのです」
凍ったような声。
ありゃりゃ? まずった?と、考えつつ、そういや、白雪は、ベイブに対して主従の情を超えた感情を抱いているような言動の端々に示していた事を思い出す。
アリスはベイブの母親であり、ベイブの想い人で、彼をここに閉じ込めた張本人だ。
まぁ、何にしろ、かなり濃ゆ〜い関係な訳で、白雪にとって見れば、唯の恋敵では済まされないような憎しみの対象であっても不思議はない。
あ、確かに、これは聞いては不味い相手に聞いちゃったかも…?と少し後悔しつつ、いずみに視線を送れば、「鵺…白雪さんはご存じないのかも知れないわ」と取り成すように告げた。
だが、鵺は、ここで引くよりも、いっその事押し切った方が良いと判断し、「知らない? 違うよ、この反応は。 知ってて言いたくない、拒否反応だよ、コレ」と、白雪を指差す。
するとさすがに聡い、いずみは、そんな事は分っているという風に溜息を吐き出し、ウラに視線を送った。
指先についたマドレーヌの欠片を、ピンク色の小さな舌で舐め取ると、ウラは小悪魔めいた表情を浮かべ、そのまま首を傾げる。
その反応に、ウラは何かを知っている事を察した鵺。
その、企みの表情に、今は黙って成り行きに任せるのが得策か…と口をつぐめば、ウラがトンと爪先を地面に軽く打ちつけ、指先に小さく電撃を宿らせる。
パチパチと青く光る指先に目を見張り、(かぁっくいい!)と感嘆の声を胸中で上げる鵺。
ウラが、その小さき指先を振るえば、白雪の皿の上にあったアップルパイの中に、小さな電撃の塊が吸い込まれた。
その様子に(どうするつもり?)と首を傾げれば、ウラは「クヒッ」と小さく笑い、唇に人差し指を当てて、「しーっ」と黙ってみておくようジェスチャーで告げてくる。
白雪がとりあえず心を落ち着けるためにだろう。
銀製のフォークで、震えながらパイを切り、唇の中に運んだ瞬間だった。
白雪が、目を見開き、「いっ! いいいいっ! ひぃっ!!」と全身を震わせながら奇妙な叫び声を上げて後方にぶっ倒れる。
「し、白雪さん?!」
「ゆっきー?!!」
驚き名を呼びながら立ち上がれば、いずみも同じように慌てた様子で白雪に視線を向ける。
「ちっちっち」と指を振り、ナプキンで唇を拭うとそんな二人の様子など、全く頓着せぬように、ウラが、「白雪姫が、林檎なんか食べちゃあ、ぶっ倒れるのは当然でしょ? 特に、魔女が手を加えた林檎はね」と、にいっと唇を裂いて告げた。
「鵺? アリスの事は、白雪のタブーよ? 聞いたって教えてくれるどころか、全力で貴女とアリスの邂逅を邪魔してくるに違いないわ」
ウラが、鵺に向かってそう言いながら立ち上がり、白雪の顔を覗き込んだ。
やはり、アリスとは白雪の天敵らしい。
だからこそ、あえて、鵺に、アリスの存在を知らせる事はなかったという事か…。
ピクピクと震えながらも、完全に失神してる様子をウラは確かめ「電撃アップルパイ、思ったよりも効いちゃったみたいね」と呟くと、「食器が銀製で良かった。 ステンレス製だったりしようものなら、フォークに感電してしまって、静電気程度の威力しかなかったでしょうね」と言いつつ「鵺、おまえ運がいいわ」と言ってクヒッと笑う。
「…どういう事ですか?」
そう訝しげに問ういずみに、「どうもこうも、白雪は毒林檎にやられちまった。 残って、この世の春を謳歌するのは、魔女って相場は決まっているでしょう? あら、三人の魔女だなんて、むしろ、マクベスみたいじゃない? 万歳マクベス! さぁて、悪巧みを始めましょう?」とウラは捲くし立て、鵺に視線を向けて「会いたいの? アリスに」と問い掛けてきた。
この子知ってる。
アリスの居場所を。
どうも、鵺の知らぬ間に、かなり根深いところまで、この城に関わっているらしいウラの様子を心強く思いながら、鵺は唇を引き結んで、コクンと頷く。
すると、ウラは「だったら…道化を捜すのが一番、手っ取り早いわね」と、意味の分らぬ事を呟いた。
「道化…って、前にお城で会った、天井からぶら下がってた、変な男の事?」
脳裏に浮かぶは、前回、初めて此処を訪れた際に、奇妙な言動で黒須を苛立たせていた、道化の姿。
ウラは鵺の言葉に更に頷き、「道化が何故?」といずみが問えば、「あれがアリスよ」と端的に告げられる。
道化がアリス?!
息を呑み、何を冗談を言っているのだと、その顔を見返せば、至って真剣といった調子で、ウラはペラペラと滑らかに動く舌を大活躍させて言葉を続ける。
「ベイブの心の内に棲まうアリスは、ベイブの心の最奥に潜む存在ゆえに、この城の最深層に存在する。 彼女とコンタクトを取るのは、並大抵の努力だけでは叶わないわ? あたしは一度彼女に会っているけど、その時は、最深層とこの表層が逆転する特殊な状況だったから、彼女とあいまみえる事が可能だった」
ウラの言葉にいずみが、視線をかすかに巡らせ「つまり、最深層にいるアリスさんに代わって彼女の意思通りに、この表層にて活動をしているのが道化さん…って事でいいんでしょうか?」と言えばウラは満足気に頷き、「飲み込みが早くて、いいわね。 おまえ」と褒めてクヒッと笑う。
いずみの言葉をウラの情報を統合させ思考を巡らせた鵺は「最深層まで行かなくても、道化君さえ見つければ、アリスに鵺の気持ちを伝える事が出来るって訳なのね?」と、自分の考えを纏めつつ、自己確認のために声に出した後、頷いた。
「彼女自身は、ベイブと一回邂逅を果たし、ベイブが彼女の存在を受け入れたから、多分表層まで自由に行き来は出来るようになってるでしょうけど、白雪の手前、彼女の縄張りを荒らすような事はしてないでしょう。 この表層では道化を捜す方が、余程アリスに会える公算が高い。 ただ、じゃあ、その肝心の道化が何処にいるか?って聞かれると、あたしにも見当がつかないのだけど…」と、ウラがそこまで言えば、いずみが「あっ!」と声を上げ、「白雪さんのお面!」と言って、倒れている白雪を振り返った。
「ほら! 鵺! 面を打って付ければ、100%の能力じゃないけど、相手の能力が行使できるようになるって言ってたじゃない! それに、相手の隠している事も分るって」
いずみの言葉に、その手があった!と目を見開き、ポン!と手を叩くと、にっと笑って「いずみ、賢い!」といずみを褒める。
何がなんだか分らないといった表情で、目をパチクリさせるウラに、にこりと愛らしく笑いかけ「見てて、ウラ! 鵺の、超必殺技だよーん」と言いつつ、ごそごそと「え? そんなものを、何処に?」と疑見るものが問を抱かざる得ない、大きめの紙袋を唐突に取り出した。
「じゃじゃーん! お久しぶり!!って事で鵺の愛用能面製作キット!」
そう言いながら示せば、「は?」といずみが首を傾げる。
「いつでも、どこでも、気軽に能面が打てるキットです」と、思いっきり通販番組の商品紹介口調で紹介し、ほんとに、また、この商品を活用する時がくるとは…と、若干懐かしい思いにすら浸る。
「お値段、19800円」
ついでに、お約束の値段まで教えれば「それって高いの、安いの?」と、いずみに「あれ? この質問デジャブ?」な事を質問され、「いや、間違いなく世界中で鵺以外に需要のない商品だから、そこら辺は分んないんだよねー」と、またも、この回答、以前に言った記憶があるな…な台詞を口にしつつ、白雪の顔を覗き込む。
ここで暮している間の白雪との会話や、お茶会での様子…面を打つ為の材料は充分揃っている。
鵺は、久々の面打ちに胸を高鳴らせつつ、「じゃ、ちょっくら打っちゃいますか!」と気軽な様子で宣言した。
久しぶりとはいえ、手に慣れ親しんだ作業は、自分で思う以上に快調に進み、あっという間に面を打ち終えた鵺の手の中に、まさしく能面というべき真っ白ながらも、白雪の面影を如実に写し取った面があった。
「これを…付ければ…」と言いつつ、面を顔につければ、まるでひたりと張り付くように鵺の顔を覆い尽くす。
ひやりと冷たい感触。
主人格である己の客観的意識と、副人格として表層に現れた白雪の人格が、一つの体の中に共存する際の、奇妙な浮遊感が鵺の全身を覆う。
白雪の意識を覗けば、失神直前のアリスの居場所を問われ動揺する、酷く乱れた心の風景が脳裏を満たし始めた。
そして、鵺は、自分の胸に指先を突き立てると、ずぶずぶと己の胸を「押し開く」。
そうか、これが白雪の能力。
「千里眼」。
明瞭には見えぬものの、道化の居場所を探り当て、鵺は面の下で満足の笑みを浮かべる。
そこは、暖炉に薪がくべられ、赤々とした光の灯るレンガ造りの暖かそうな小部屋。
ロッキングチェアに腰掛揺られる道化の姿が、閉じた瞼の裏側に広がる。
この部屋の在り処は……表層の、今日、竜子が案内してくれようとしていた妖精達の棲まう部屋のすぐ隣。
ただの壁にしか見えない場所に、隠し扉が存在する…。
必要な情報を得た鵺は、ずずず…と胸を閉じ、面を外す。
「居場所、分った?」
ウラに問われ、鵺は頷くと、いずみとウラ両方に「ありがとう。 お陰でアリスに会えそう!」と嬉しげに礼を述べ、ふと、不思議そうに「そういえば、ウラは、こうやって協力してくれたのに、何で鵺がアリスに会いたいのかって聞かないのね?」と問うた。
いずみは、鵺の事情を知っているし、賢い彼女の事だ。
対幇禍の為に必要な邂逅である事を、察しているだろうが、ウラは違う。
何も知らない彼女の助力が不思議で、問う鵺に「あら? おまえ、聞いて欲しかったの?」と、ウラが問い返す。
鵺は「んー、分んない…かな?」と素直に答える事にした。
実際に問われたならば、ここまで、助けて貰ったのだから、事情を説明しても良いとは思っていたが、そもそも、このウラという奇態ながらも鋭く真実を突く言動の多い少女が、他人の事情に対して興味を持つこと自体、ありえないような気もしてくる。
実際ウラは「クヒッ」と小さく笑うと「だったらいいわ。 言いたくない事は聞きたくない事! 面白いか否かが重要。 でも、おまえにとっては大事な用事なんでしょ?」と、何も知らないくせに全てを見通したような台詞を投げ、「早くお行きなさいな。 白雪が目を覚まして、面倒な事になる前にね。 鉄の靴を履かされた後じゃあ、どうしようもないでしょう」と言って笑った。
確かに、こんな目に合わせてしまったのだ。
怒ると、かなり恐ろしいと竜子からも聞いている白雪に、呪われでもしたら事になる。
それに、彼女の邪魔が入る前に、アリスを捕まえるのが得策だろう。
いずみも深く頷くと「…鵺。 頑張ってね」と言い、鵺の肩を叩いた。
「…何もかも、貴女が悲しい事全てに決着を着けたなら、また、一緒に遊びましょう。 待ってる。 私、待ってるから」
いずみの言葉が嬉しくて、鵺は笑って頷くと、それから、くるりと身を翻し、中庭を後にする。
回廊を一気に駆け抜け、竜子が以前つれてきてくれた、妖精の部屋の前に辿り着く。
鵺は、その部屋の扉を素通りすると、その隣の何もない壁の前に立った。
この中に アリスがいる。
それは道化で、それでもアリスだ。
この城を創った張本人で、しかも、ベイブの母親。
親子の禁断の愛!!だなんて、そこそこ興味を惹かれるが、今は他人の恋愛よりも、自分の危機だ。
こっちも、婚約者と自分の命を懸けている。
魔女との交渉なんて、今までやった事もなければ、見た事もないが、気合という意味では負ける気はしない。
そもそも、鵺は、『理』に従うならば、元は幇禍の母なのだ。
息子を愛する気持ちとて理解できない訳もなし、全く言葉が通じないという事もないだろうと考えて、然程緊張を覚えずに口を開く。
「明日の晩御飯は 水ご飯!」
鵺がそう告げた瞬間、壁が音も無く開かれ、その戸向こうに道化が立っていた。
「ヨーホー! 待ってたよ、お嬢さん!」と挨拶しつつ、言葉を続けようとする道化を「いや、うん、ちょっと待ってみてくれるかな?」と、押し止め、部屋の中に足を踏み入れながら鵺は、「合言葉…もうちょっと、考えてみようか?」と思わず提案してしまった。
「ていうか、鵺もね? 鵺も、ほら、立場があるんだよね? いよいよ、この城の創造主に会う! 大魔女に会う!とかってさ、緊張したいよ? 鵺だって、緊張して、合言葉を言う前に『ゴクリ』とか、唾を飲んでみたいよ? でもね? 台無し。 水ご飯で台無し。 ていうか、画期的過ぎる、この合言葉。 貧しいもん。 台詞なのに、値段にして20円位だもん。 水ご飯って、究極だもん。 その単語で、行くとこ行けば、人が泣くもん」
そう並べ立てれば、何故か「だ…だって…うちの、極貧時代の…懐かしの味やし…案外…夏場とか、美味しいよ?の気持ちを込めたかったし…」と、こてこての関西イントネーションで道化が呟き、そのまま、カシャンと、目の前で人形のように、崩れ落ちた。
その奥には一人の灰色の少女。
「アリス?」
鵺の言葉に、「よう来た、トリックスター」といって、不気味な笑みを浮かべる少女。
灰色の肌に、真っ赤な唇。
真っ黒なウェーブのかかった髪を肩まで伸ばし、白いリボンのあしらわれた、大きなヘアバンドを髪につけ、黒のエプロンドレスのワンピースを身に纏った、何処か見るからに不吉な少女・アリスがひらひらと鵺に手を振る。
「あんたの用件はあんじょう分っとる。 『理』に立ち向かうつもりかい? 不確定要素の娘」
アリスの言葉に鵺は笑い「確定された未来なんか、一つもないわ? 『理』が、なんぼのもんって話なのよね、鵺としては。 誰が定めたのかだって、知らないよ。 ただ、取り返したいの、鵺の大事な日常を。 それだけよ、アリスママ」と、明るく答える。
「分ってくれてるなら、話が早いわ。 鵺、まどろっこしい事は好きじゃない。 簡単に言っちゃうとね、幇禍君の事、一緒に殺して? これって、とっても、シンプルで分りやすいお願いじゃない? 半殺しまでは鵺がやる。 アリスママには留めを刺すのを手伝って欲しいの! うーん、そうね、お願いじゃなくて取引ととってもいいよ? 受けてくれれば、今後何があってもママの側に居る。 鵺はママの力になる」
魔女との取引。
何があってもと、口にいた以上、命を賭ける覚悟なぞ、とうに決まっていた。
何も賭けず失わず、痛みもなく取り戻せるものなんざ一つもない。
血を流し、傷つき、痛みを堪えてやっと、手に出来るものがある。
アリスが笑う。
「何があっても?」
鵺も笑う。
「そう、何があってもよ? ママ」
その瞬間、灰色の手が素早く鵺の肩を捕まえた。
鵺は怯えもせず、笑ったまま、アリスの元へ引き寄せられる。
今にも触れ合う程に唇を寄せられた。
甘い、甘い、腐った花のような匂いが鼻腔を満たす。
灰色の指先がゆるりと鵺の唇を撫でた。
「魔女の前で、不用意な言葉は口にしない方が良い? 言葉の尻尾を捕まえられて、そのまま、うちの口の中へ、ずるずると引きずり込まれるで?」
「構わないわ、ママ。 鵺の望みを叶えてくれるのなら、貴女のお腹の中で、ずっと一緒にいてあげても鵺は構わない」
紅い目が瞬きもせず魔女の灰色の目を見返した。
感嘆したように震える声で魔女が言う。
「トリックスター。 奇跡の星…。 本当に? ねぇ、鵺、本当に?」
問われて躊躇いもなく頷いた。
「…だったら、誠をうちのとこへ連れてきて? 命なんかどうでもいい。 あんたの手で息の根を止めてくれても構わない。 でも、その体は壊しちゃあかんで? 人形として使うからね。 したら、あんたの望みも聞いたるわ」
なんだ、そんな事お安い御用よ。
胸の内で嘯いて、アリスの言葉に鵺は、頷きかけて、頷けない自分に気付く。
何で? だって、まこっちゃんじゃん。
鵺にとっては、どうでもいい奴じゃん。
おっさんだし、間抜けだし、誠っちゃんの命で、鵺の望みが叶うなら……。
そう思いながら、強く思いながら、鵺は首を横に振っていた。
ああ 一体 鵺は どうしたって言うんだろう?
馬鹿になっちゃったんだろうか?
弱っちくなっちゃったんだろうか?
殺せない。
傷付けられない人が増えた。
いずみも 竜子も 誠まで…
それに、幇禍君もそうだ。
誰の事も、どうだってよかった鵺なのに、今、命を懸けて、あの人の事を取り戻そうと足掻いている。
「ママ。 ごめんね。 それは出来ない」
アリスが首を傾げる。
「何故? あんな生き物何も価値がないよ? 器の小さい、ただの人間。 平凡で、醜く、器の小さな、退屈な男。 あんたの美しい男と比べるべくもないだろう?」
「比べてないよ」
即座に鵺は答える。
「比べないよ。 命は…命よ…。 お竜さんは、まこっちゃんがいなくなったら、きっと、この先生きていけない。 鵺は、お竜さんに、すんでの所で鵺の手の届かないとこに連れて行かれそうだった幇禍君を押し止めてくれた。 自分の命を懸けて。 もし、どうしても、まこっちゃんが欲しいなら、鵺は、ママの力を頼るのはやめにする。 他の方法を、探し出すよ。 でも、ママがどうしても、お竜さんから、まこっちゃんを鵺に取り上げさせようって言うんなら……」
鵺は笑う。
不敵に。
世界の何者も恐れぬ、傲慢な笑みを。
「鵺は殺すよ。 ママの事を」
アリスは、その言葉を、一切予想していなかったのだろう。
鵺を見たまま、ただただ、言葉を失った。
「殺す…? うちを?」
鵺は頷く。
笑いながら。
その瞬間、アリス破顔した。
大声で笑い、くしゃりと顔を歪め、それから「ああ! また、予想の斜め上を行かれっちまった! いいで? あんたの勝ちや! 手伝ってやるわ。 あんたの男を取り戻す為にな! けれど、うちとて、大魔女と呼ばれた女や。 ただ働きは出来へん。 相応の代償は覚悟して貰おう。 それこそ、永遠にうちの傍にいて貰うような、代償をな?」と言い放つ。
鵺は「元より、鵺はそのつもりだよ」と答えると、アリスは目を細めて、鵺の髪をサラサラと撫でた。
「せやけどな? 鵺。 うちの力を利用して、あの人形を殺させようっていうのなら、まず、この城に、あの人形を招かねばならない。 うちは、城の外には出れないからね? 誘い込んでからの事は、まぁ、また、相談して決めるなり、あんたが決めて、うちの教えてくれるなり、好きにするがええわ。 ただ、もし、この城に招く事に失敗した時の為に、一つ保険を掛けさせてやるわ」
そう言いながら、アリスはゆっくりと笑う。
「うちの 面を打ち。 鵺」
アリスの思いがけない言葉に鵺は目を見開く。
「あんたもよう知っとるやろう。 面を付けて、別の人格になった上で、あの人形を殺した際は、あんた自身とは別の、装着していた面の人格が相手を殺した事になる。 つまり、『理』の殺意から、あんたは逃れる事が出来るというわけや。 まぁ、残念ながら、あんたの手持ちの面の中で、あいつの息の根を止めるに足る力を発揮できるのは…」
「『名無し』…」と、鵺が呟けば、アリスは笑って深く頷く。
「他の面ではあかん。 返り討ちに合うだけや。 ただ、あんた、最近、他の妖怪人格達と夢で会えとらへんやろう?」
アリスに言われた言葉に、鵺は魔女が何処まで知っているのか、驚きながらも頷き、肯定する。
「…あんたの『名無し』は、ただでさえ、危険な面や。 今の状態のあんたが装着したら、折角主人格から引き摺り下したのに、また、主従が逆転しかねへん。 相手が、今回のように厄介な時は特にな…」
鵺は、「だから、ママの面を?」と問えば、アリスは「そう。 うちの面ならば、あの人形に対抗しうるカードになる。 打ちな? この顔の面を。 もう充分材料も揃っただろう? 鬼丸・鵺。 この面の力で、あの人形を見事、その手に取り戻したならば、支払いの代償も、かなり安く済ませてやるよ。 その代わり、うちの面を付けるという事を甘く見ぃひん事や。 この頭の中は、完全に狂ってる。 息子への恋心で一杯や。 この目で覗いてきた修羅場、地獄も、何もかも全てが面を付けた瞬間、あんたの中に流れ込む。 狂い死ぬか、自我を保つか。 うちは正直どっちでも良い。 あんたが壊れたならば、今度の人形を、あんたにするだけさ。 ただね…」
アリスはそこまで言って、小さく笑う。
「危険性で言やぁ、『名無し』の面と、そう変わりはないかもしれない。 『名無し』の面を付ければ、自分が取って変わられ、うちの面を付ければ自分自身が壊れ果てる…。 どちらがいいかも、あんた次第…だけどね? 鵺」
アリスは、鵺の顔を覗きこむ。
「うちをがっかりさせておくれでないよ? かみさまと 約束したんだ。 あんたが、全てを引っ掻き回し、面白い物語を見せてくれるってね? 一世一代だよ? 鵺。 狂い死ぬか、うちに一生捕まり、魔女の奴隷となっちまうのか? それとも、大逆転、神の理すら退けて、愛しい男を取り戻すか? それはあんたの腕次第。 選びな? 己の未来を。 そして、うちを楽しませておくれ。 長い時間を、城の奥深くで生きてきたせいで、退屈で堪らないんだ。 なぁ、遊んでおくれよ。 トリックスター。 うちはエンターティメントに飢えてんだよ」
鵺は、アリスの示した選択肢を、そして自分の頭の中で幾つも浮かぶ、これからの行動を、一つ一つ吟味しながらも、「…分ったよ、ママ。 少なくともね? 自分が楽しむ事においては、鵺、天才級の才能があるんだよ? 当然、ママの事だって、お腹が捩れ切れちゃうくらい、これから愉しませてあげるよ」と笑って約束し、そして早速、アリスの面を打ち始めた。
アリスの能力で、今のところ特に注目すべきなのは、人形を操る能力なのだろう。
この城に幇禍をおびき寄せ、策をきちんと練りさえすれば、アリスの能力によって、目的が達成できる可能性は高くなるし、自身がアリスの面を付け、その力を行使するという手段も、考慮に足る作戦であろう。
魔女との取引の代償を、高く見積もってはいたし、覚悟は決めていたとはいえ、アリスの面の力を行使して幇禍を倒せば、幇禍を取り戻した後も、鵺は自由の身でいられるというのは、大層魅力的な話でもある。
しかし、自分自身で幇禍に最後まで相対するというのも、かなりリスクの高い賭けであり、確実性を期すならば、この城にてアリス自身の協力を得る方が得策と言えるのだろう。
考慮しながら、回廊を歩き、ふと、玉間の前を通りがかって、ベイブにでも相談してみようかと気紛れを起こした。
大した答えを期待したわけではない。
だが、彼女の母親に会った直後だからこそ、その息子の顔を眺めてみたくなったという、少し悪趣味な好奇心もあった。
しかし、扉を開いた鵺の目に映ったのはベイブではなく、何だか、随分と懐かしいような、それでいて、鮮烈なまでの胸の痛みを引き起こす、端正な姿だった。
『 第四章 だいすきだから ころしたい 』
嗚呼。
やはり 貴方は来てくれた。
感謝の念すら沸き起こる。
貴方が狂うより深く、鵺の頭は、きっとおかしい。
何故か、鵺は笑って、大きく手を振った。
さようなら さようなら
「…お嬢さん?」
やっぱり 幇禍君は 鵺を絶対に見つけてくれる。
その瞬間、幇禍は懐に手を入れ、素早く銃身を鵺に向かって構えようとした。
だが、それより早く、鵺の前に駆け寄った、少女が二人の間に立ちはだかる。
躊躇はなかった。
幇禍に。
「いずみ?!!!!」
少女の名を叫ぶように呼ぶ。
両手を広げたまま、幇禍を睨むいずみ。
銃声が、響き渡り、鵺は何も考えられずに、いずみの元へ駆け寄った。
だが、幇禍が撃ち放った弾丸は、何かに撃ち返されたかのように、幇禍の頬を霞めて、背後にある玉座に穴を開けた。
一体何が起こったのか?
撃った本人も予想外と言う様な表情を浮かべていずみを凝視している。
「私は、確かに、ただの子供です。 でも、大事な友達位は守れるんです!」
強い声。
それでも、いずみの膝が微かに震えているのを目にし、鵺は喉の奥に、熱い何かが詰め込まれたような気持ちになる。
幇禍が、鵺に視線を送り、優しげに微笑むと、小さな声で「見つけた…俺の鵺」と呟いた。
鵺は、そんな幇禍を、ゆっくりと見つめ返す。
光の魔法陣に呑まれ、姿を消す寸前の幇禍に、何かを言おうとして、もう、何も、鵺の中に言葉が残っていない事に気付く。
言いたい事は、もう、何もない。
ただ、ゆるりと微笑んで、鵺はただ、ただ手を振り続ける。
さようなら
さようなら
さようなら
ずっと あなたに お会いしとう御座いました。
今 鵺は 漸く嘘偽りのない、真実の貴方に お会いできているような気が致します
だから
さようなら
さようなら
さようなら
「次にお会いする時を
心より
お持ち申し上げます」
鵺が、聞くものの背筋を震わせるような、掠れ、色めいた声で囁き、唇を歪めた。
幇禍は、見惚れるように、乞うように、何処か飢えてすらいる、異様な輝きの灯る目で、じっとじっと鵺を見つめたまま、その姿は、魔法陣の光に掻き消された。
鵺は幇禍が現世へと戻ったのを視認すると、いずみの震える体を抱きしめて、慰めてやろうとした後に、いや、彼女は、震えている自分を鵺に気付かれる事を良しとしないだろうと思い至り、ただ、「ありがとう」と心からの声で伝える。
「守ってくれてありがとう。 いずみのお陰だよ」
いずみがどんな力を使ったのかは分からない。
だが、確実に彼女が、自分を守るために、その身を投げ出してくれた事は理解できて、だから、鵺は、いずみの背後、彼女が振り向かぬようにと心底願いながら、今にも泣き出しそうに顔を歪め、それでもも、いつもの明るい能天気な声で「ありがとう、いずみ」と礼を述べた。
後ほど、実はその日幇禍が、城を訪れていた事を知り、何気に危ない橋渡りをしてしまっていた事を知らされ、びっくりする鵺ではあるが、今はただ、友の背を眺めながら、これから、彼女の為にも、竜子の為にも、自分を想ってくれる全ての人の為にも、この勝負だけは負けられぬ!と新たな決意を刻み、これから我が身を襲う、困難と悲劇の波に立ち向かう気持ちを改めて強く持ち直したのであった。
『 終章 』
夜の帳の向こう側
寂しい獣が鳴いている
綺麗な獣が鳴いている
怖い獣が鳴いている
鵺が来るよ
闇を裂いて
鵺が来るよ
光を殺して
鵺が来るよ
因業因果 奇縁の果てに
辿る道筋 修羅道か
鳴くんじゃないよ
泣くんじゃないよ
鵺は哭きゃあしないよう
ただ 哄うのさ
さぁて いよいよ 鵺が往く。
鬼丸鵺、一世一代の大博打!
いずれもとくとごろうじろ!
fin
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3427/ ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2414/ 鬼丸・鵺 / 女性 / 13歳 / 中学生・面打師 】
【1271/ 飛鷹・いずみ / 女性 / 10歳 / 小学生】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
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■ ライター通信 ■
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少数受注ノベルという事で、私の集合ノベルとしては、いつもの半分の、5名受注にて書かせて頂いたにも拘らず体調不良等の事情により、納品が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。
これに懲りずに、また、お会いできます事を心より望む次第です。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです
momiziでした。
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