|
お願いBaby!【2nd_Season】
〜OP〜
嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。
君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?
君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?
それとも…、
違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?
動かしてみよ。
私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。
嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。
さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。
【本編】
『Chapter.T 蛇を拾う』
東京都内は、相も変わらず混んでいて、この街で生まれた兎月原は公共交通機関を使った方が、何処に向かうにしたって手っ取り早い事を、重々承知していた。
それでも派手な外車の助手席に座るだけで幸せな顔をする女性客にとっては、ステイタスシンボルである高級車でのお迎えというのも、必須ポイントになっている。
仕事に対するプロ意識には並々ならぬ兎月原にとって、彼女達の笑顔に比べれば、渋滞に巻き込まれる事も、然程苦にならぬ事だった。
不景気の真っ最中、維持費も馬鹿にならぬ車を転がせば自然と注目が集まるもので、窓ガラスの向こうに座る兎月原の横顔を眺め、さもありなんと、納得の表情を浮かべる者あり、唯々見蕩れて立ち尽くす者もあり。
実際、オーダーメイドのスーツを着こなし、左ハンドルの運転席に座る兎月原は、冗談みたいに絵になっている。
金さえ払えば、どんな要望にも応じる高級出張ホスト。
こんな時代とて、予約の電話は引きも切らず、受話器の向こう側には、他の何を置いても、彼の存在を必要とする女達が列をなしている。
自身もモデルとして活躍しているアパレル業界の女社長のバカンスのお供を、一週間ばかりしてきた帰り道の事だった。
ビルの立ち並ぶ道をゆっくりと走っている最中、不意に、艶やかな黒髪を背に流した細い男の後ろ姿が目に入る。
咄嗟に、何故か「見つけてしまった」というような、まるで自分が途方もないミスをしでかしたような気持ちになった。
見間違えようがない。
黒須誠。
不気味な印象、外見と、本性が下半身大蛇の怪物なんていう、奇態な正体を隠している癖に、やけに小市民な言動が目立つ、アンバランスな中年男。
決して魅力的とは言い難い黒須は、本来、性別が男であるだけで、どんな人物であろうと興味の対象外となる兎月原のような男が、気に掛ける相手ではなかった。
本能的に、人に興味を持てない兎月原が、何故か、初対面の時から、どうにも気にならずにはいられない男。
結局、その不憫さや、不運体質、間抜け極まりない性質故に、同情心が高じて、自分は随分と、あの男の事を気にしてしまっているのだろうと結論を出しはしたが、だからといって積極的に接触を試み、何くれとなく面倒を見てやりたいのか?と問われれば、そんな自分は美意識的にも許せないと、即座に答えずにはいられない。
己の優しさは、女性の為だけのものと思いこんで生きてきたというのに、前回は、彼の為に随分奔走させられて、異世界にまで乗り込む羽目に陥った。
関わりたくない。
はっきり自分に言い聞かせる。
ロクな目に合わないと思いつつ、無視して隣を通り過ぎようと思うのに、根っから渋滞は先に進まず、この前の大怪我が祟っているのか、ヨタヨタとおぼつかない足取りで歩く背中を眺め続ける羽目に陥る。
会いたかないんだ、あいつになんて。
心から思う。
黒須の事を考えている時間すら惜しくて堪らない。
誰にも興味を持てないと言う、己の欠陥を、ならば、金を対価に、女性にだけはやさしく接するようにしようと商売に換えて今まで生活してきた、筋金入りの冷血だと認識していた自分が、黒須のせいで何処か狂ってしまっている。
じゃあ、会わなきゃ良かったのかと言われると、それは、それで困ってしまうのだ。
チーコ。
あの、一つ目の美しい子供。
彼女の件に関われた事を、後悔なんて微塵も出来はしなかった。
彼女の助けに少しでもなれたのなら、あの時、同じ時を過ごせた事を兎月原は誇りに思えていたし、その感情が揺らぐ事はこの先絶対にありえないと確信していた。
ただ、あの事件に関わったからこそ、黒須と知り合う羽目に陥ったわけで、そこら辺の因果関係を考え出すと、「うーん」と唸らざる得なくなる。
そうして物思いに耽りつつも、背中を見つめ続ける兎月原の目の前で、何かに躓いたのか、物の見事に、ズベンっと盛大に引っくり返った黒須は、相手が可愛い子供や、女性、社会的弱者である老人ならばいざ知らず、幾ら満身創痍とはいえ、明らかに人相の悪い、堅気の人間じゃない男となれば、誰の手助けも得られる筈なく、よたよたと、ガードレールと掴んで、何とか自分で立ち上がろうとしていた。
あああああ!!!
見 て ら れ な い !!!!
なんで、よりにもよって、俺の前で!
あんなに、なんか、もう、人が人じゃなかったら、世界名作劇場の主人公チックに弱ってやがるんだ!!!
何故か怒鳴り散らしたい気持ちにすらなりつつ、黒須の隣にまで車が進んだタイミングを見計らい、ウィンドウを下げて「乗れよ」と声を掛けてしまう。
突然の声に、ぎょっとしたような表情を見せ、此方に視線を向けた黒須は、兎月原の顔を見て、益々驚いたようだった。
「あっれ? あんた…」と何か言いかけるのを「喋ってっと、先行っちゃうよ? 難儀してるんだろ? とりあえず乗れよ」と再度促してやる。
一瞬の思案の後、ここまで歩いてくるのにも、相当苦労したのか「悪い。 世話んなる」と言う黒須に、後部座席が旅行帰りの大荷物で一杯になっている事を思い出すと「助手席に回ってくれ」と兎月原は告げた。
黒須は頷き、よろよろと、渋滞のせいで完全に停止状態に陥っている車の間を抜け、右側に回ると、助手席に乗り込んでくる。
ギシリと、軽く革の座席が軋む音を聞き、隣に収まるヒョロリとした黒須の気配を感じると、何故か、うっすらと背筋に鳥肌が経つのを感じながら、「あー…サイアク」と、思わず呻いてしまった。
「は?」と黒須が問い返せば「俺、助手席に男乗せた事ないのに…」と更に呻く。
半眼になった黒須が「へー…それは、それは、気の毒に」と棒読みの声で言い、シートベルトを締めるのを確認すると、前回会った時から、随分時間が経ってしまっているように思う、黒須の横顔を眺めた。
顔色が悪いし、前より、また、少し痩せたような気もする。
痛々しい包帯がそこらかしこに巻かれ、右腕は三角巾で吊られていた。
切り傷や、擦り傷の痕も目立つ。
「散々だな」
そう笑って言えば、「お陰さまでな」と黒須は答え、後ろに積んである大荷物に視線を向けて、「旅行にでも行ってきたのか?」と聞いて来た。
「ん? ああ。 ちょっと客に付き合ってな…。 あ、良かったら、後ろのモン、貰ってってくれないか? いらないって言うのに、勝手に買い込んで押し付けられたんだ。 荷物になって面倒で仕方がない」
そうぼやけば、益々険しい目つきを陰険にさせ、「ぜってー、いらねー」と断言されてしまった。
そりゃ残念と思いつつ、ああ、そういえば、この男から、報酬を貰い損ねている…と思い出す。
彼の危機を救った際に、何かくれ…と気紛れに強請ってはいたが、さて、金目の物等貰い飽きたし、お世辞にも、兎月原が望むクォリティの物を購入する程の資金力が黒須にあるとは思い難い。
ヨレヨレの黒いシャツから覗く、深い鎖骨は、欠食児童めいてすら見え、こいつちゃんと物食ってんだろうか?と別の事が心配になる。
此処最近、がむしゃらに仕事に励んで、思い出すまい、思い出すまいと努めてきた男が、何の因果か隣に座っている。
もう会うまいと思えば、きっと会わないまま、一生過ごせる相手なのだろう。
むしろ、会う事の方が難しい場所に住む存在と、こうして三度目の邂逅を果たしている。
「あ、動いたぜ?」
ぼんやりと窓の外を眺めていた黒須に、そう声を掛けられ、自分がじっと黒須を眺めていた事に気付く。
「あ…ああ…」
僅かな動揺を押し殺し、車を進めれば「新小金井駅途、武蔵野境駅の間のガード下まで連れてってくれないか? あすこの近くに空き地があってな、そこに王宮への扉を開いて貰う事になっているんだ」と黒須は言った。
「分った」と答え、この場所から目的地までの距離が、然程離れていない事を思い出し、少し残念に思う自分を厭う。
面倒臭い。
このあやふやさが。
決着を付けたと自分の中で片付けた感情は、じゃあ、その名前を何とする?と、最近何度も自分に問い掛けてきて、そんなもの、知りはしないよと、兎月原は突っぱね続ける事しかできない自分が嫌でしょうがなかった。
こんな感情なんか知らない。
だから、名前なんざ、付けられないよ。
明るい日差しの下、不意に今、昼時である事に気付く。
もう一度、黒須に視線を走らせる。
やっぱり、痩せた。
「なぁ、腹減らないか?」
考えるより早く口を開いていた。
「は?」と此方に顔を向ける黒須に、必死にならぬように努めながら「いや、昼飯時だし、飯喰いに行かないか、誘おうと思って」と兎月原が言えば、居た堪れないような沈黙と、黒須のきょとんとした毒気の抜かれた顔が視界の端に映る。
ああ、言わなきゃよかった!
今まで経験した事のない、色彩で言えば「青い」とした言いようのない後悔を知ってか知らずか「俺、和食食いてぇ」とあっさり答えた黒須。
自分でも驚く程に嬉しくて、いいの?と言いかけて、まるで、自分に似合わない、今まで、どんな女性にだって、そんな確認を取ったことのない台詞に、息を呑んだ。
「ん。 銀座にある天麩羅の美味い店知ってるから、連れてってやる」
兎月原が言えば「げ」と顔を顰め「いや、そんな高い店は…」と言いかけるのを「いいよ。 奢ってやるよ。 なんか、属性・貧乏神っつう位窶れてるし」と兎月原は途中で遮る。
身を引き、遠慮の言葉を吐こうとする黒須に畳み掛けるように「ていうか、どうせ行かなきゃなんねぇの。 明日、また別の仕事が入ってて、客に美味しい店連れてけって言われてるから、その店に目星付けてるんだけど、最近行ってないから、味落ちてないか確かめたいんだ。 でも、一人で行くのも、ちょっと目立つような店でさ。 付き合ってくれたら、俺が助かる」と、隠し通そうとした必死さが、僅かににじんだ声で言えば、黒須は、また何度も瞬いて「お前、ほんとに変わってるな」と呟いた。
「あの…あれか? 前に言ってたやつか? 優しくするってやつか?」
そう不思議そうに問われ、自分が前に随分な台詞を吐いたのだと認識させられ、「うぐ」と喉の奥で唸ってしまう。
「まぁ、そういう事だよ。 ほら、誰だって、軒先に捨てられた、今にも瀕死の蛇を見かけたら……」とそこまで言い、思わず「…俺的には、そのまま止めを刺すな。 危ないし」と呟いてしまう。
黒須は「あ…トドメさすんだ…」と呟いて、「え? 何? 俺、今から、息の根とか止められようとしているの?!」と不安げに辺りを見回すものだから「刺さない、刺さない。 ていうか、あんたなんか、俺の手を汚してまで、そんな利益のない事しない」と、思わず本音100%を大暴露し、更に「えー…」と黒須に落ち込まれてしまった。
「…まぁ、そういう訳だから、観念して俺の同情心を一身に受けておけ」と、何かを誤魔化すように言う兎月原に「いや、理由が一切見えない。 ていうか、その理由なき優しさは若干怖い」と黒須が訴えてくる。
自分だって、理由が分からないのだから、黒須が怖がるのも無理はないと思いつつ、「はいはい、それ以上憎まれ口を叩くと、何か、その包帯巻いている、如何にも痛そうなトコに、未必の故意で、殴打とか食らわしちゃうよ?」と兎月原が言えば黒須は青ざめ、「口にした時点で、未必じゃないよね?」と突っ込みつつも、兎月原が宣言どおりの行動を取ることを恐れてだろう、大人しく口を噤んだ。
銀座にある、知る人ぞ知る名店は、昔はランチタイムの営業は行っていなかったが、このご時勢、夜だけの営業では経営が難しくなって来たのだろう。
ランチセットを出すようになり、中々の賑わいを見せていた。
とはいえ、OL等の姿が目立つわけでもなく、そこそこ会社の重要なポストについているのだろうと目されるようなスーツ姿の面々が、揚げたての天麩羅の舌鼓を打っている。
「いらっしゃいませ」の言葉の後に、何も言わずとも個室に通された兎月原の姿を見て、「あんた、最近ここに来てないってホントかよ?」と黒須が問うて来る。
「如何にも、常連扱いされてんじゃねぇか」と言われ、まぁ、気付かれるか…と思いつつも「こういう一流点では、昔通ってた客の顔は忘れずに、久しぶりに来ても、同じ対応をしてくれるもんなんだよ」と誤魔化し、何だか、納得しかねる様子ながらも、黒須は大人しく引き下がった。
実際、年上の実業家女性に教えて貰ったこの店を、様々な場で活用している兎月原は、ここの味なぞ確かめなくとも一流である事は知っていたし、だからこそ、黒須を連れてきてやったのだが、そんな事を説明すれば、また、いらぬ警戒をされるは、自分自身「なんで、そんなに黒須に気を遣ってんだ?」とまた、煩悶せねばならなくなるし…という事で、何もかもが面倒臭くなって、全て自分の気紛れで片付ける事にする。
「あんた、何か飲みたいもんとかある」と聞けば、黒須は首を振り、そのまま、下がる店員の姿に「あれ? 注文は?」と問われ、大体、ここに来た時はいつものオーダーで通している為、メニューすら出されない事を思い出し、「ここは、ランチタイム、メニュー一種類しかないんだ」と、また、嘘を重ねておいた。
黒須が不審そうな表情を見せた後、落ち着いた、だが、如何にも高級店と言った風情の部屋を心細げに見回し、視線を畳に落とす。
「…えーと、兎月原さん」
改まった口調で言われ「はい?」と聞き返せば「やっぱり、ここの御代払わせて下さい。 このまま、奢って貰うの、本気で、俺、本気で怖いです」と真顔で訴えてきた。
なーんで、そんなに怖がるのか。
これ程疑われる自分の人徳というものについて、ちょっと思い悩みたくもなるが、「へー? 金あんの?」と問い掛ければ、「えーと、とりあえず立て替えて貰って、後で払うから…」と黒須は言う。
何だか、意地悪な気持ちになり、漆塗りの机に頬杖を付いて、掬い上げるように向かい側に座る黒須を見上げ「…誰に借りるんだよ」と言ってやれば、「何? そんなに此処高いのかよ?」と慄きつつも「まぁ、ベイブに泣きつきゃ、なんとかなんだろ」と黒須は事も無げに答えた。
ベイブ。
俺に似てるとか言う男。
一目見ただけだが、大した男には見えなかった。
何だか気に入らない。
まるで、自分に対する態度とは打って変わって、黒須が頼る事に何の躊躇も覚えない、そんな相手に、意味の分からない苛立ちを覚える。
「ベイブさんに借りたら……ねじる…」
真顔のまま、心底の声で言えば「ね…ねじ…っ?! え? 何処を? な、何を?! ていうか、ねじるって…ねじるって?!」と怯える黒須。
「こちとら、ここまで、心からの慈善心でもって、こうやって親切にしてやってるのに、その好意を踏み躙るような事ばっかり言った挙句、誰かに金を借りるという迷惑を掛けてまで、俺の好意を無にしようとしているのだから、俺への心の慰謝料として、ねじられる位は当然だよな?」
そうにこりと、艶やかな笑みを浮かべ、そう告げる兎月原の本気具合に、涙目になりつつ、「ご、ご馳走になります」と頭を下げる黒須を見て「ていうか、最初から、そう言えよ」と兎月原は溜息を吐く。
「そもそも、そういう遠慮なんだか、俺をむかつかせたいんだか、分りかねる言動なんかしないでくれ。 妙に、信用ないみたいだが、基本的に、弱ってる人間を、更に陥れて愉しむ程、性質の悪い人間じゃない」
兎月原の言葉に、胡坐を掻き、煙草を咥えた黒須に、条件反射でまたしても、ライターの火を差し出せば、「悪ぃ…」と言いつつ唇を突き出し、煙草に火を灯す。
一度深く吸い込んだ後「あ、ていうか、ここ、吸ってよかったっけ?」と確認してくる黒須に「遅いよ」と苦笑しつつ、「ここはいいよ。 俺も吸う人間だから、喫煙OKの部屋に通して貰うようにしてるんだ」と言いつつ、灰皿を差し出してやった。
灰を落とし「やっぱ常連じゃねぇか…」と呻きつつ、「別に、あんたを疑ってるわけじゃないよ」と黒須は言う。
「酔狂な人間だなぁ…って、びっくりしてるだけさ」そう言い首を傾げれば、流れ落ちるように黒髪が、肩口に滑り落ち、黒須はうっとうしげに、後ろに払いのけた。
遮光眼鏡の奥の目が、キョロリキョロリと惑っている。
疑わないわけじゃなかろうが、信用している訳でもない。
たかが、二度顔を合わせただけの人間に対する反応としては極めて真っ当なのだろうと思う兎月原に、黒須は意外なことを言ってきた。
「命を…助けて貰った事は、本当に感謝してる。 ありがとう。 揶揄するとかじゃなくて、あんな風に、一生懸命になってくれる人間がいるだなんて、俺には、本当に意外でだから余計に嬉しかったよ」
まるで、自分の命を大事に思ってくれる人間なぞ、この世に誰一人としていないだろうと、思い込んでいるような声。
でも、あの時、集ったメンツの中には、そりゃ、全員とは言わないが、それでも、黒須の命を救おうとしていた人間も確かにいたわけで、だから、何となく、この人は傲慢なのだ…とも兎月原は気付いた。
「人は一人で生きてるわけじゃないからな…」
思わず言った言葉に黒須が顔を上げる。
「生きていれば、憎まれてばかりじゃなく、好かれたり、気にいられたり、大事に思ってもらえたり、自分で思っている以上、様々な人間が、自分の事を想ってくれていて、そういう事を知った時は、随分ビックリするもんだ。 だけど、そういうもんだろ? 生きているという事は。 他人の感情は自分自身では、どうにも操作できないよ。 自分で思っている以上に、自分が周囲に影響を与えていると自覚して生きてく位で、あんたみたいな人間は丁度いいんじゃないか?」
黒須は兎月原を眺めたまま、しみじみとした口調で「あんた、いい奴だな」と言い、それから、寂しいような、胸を突くような笑みを浮かべて「あんま、俺とか、王宮がらみの事には関わらん方が良いかも知れん。 益体ないぜ? 俺も…ベイブも…あの城も…」と呟いた。
また、ベイブか。
益体なんて、ある生き物の方がこの世界には少ないよと言ってやろうとした所で、しずしずと店員が料理を運んできてくれる。
綺麗に揚げられ、盛り付けられた天麩羅の数々に、嬉しげに目を細める兎月原とは対照的に、明らかに高級魚と思われる旬のたねを惜しげもなく揚げたラインナップにちょっとヒいた表情を見せる黒須。
「揚げたてをどんどん持ってきてくれるから、冷めないうちに食べてった方が良い」と言いつつサクサクと口の中に放り込んでいく兎月原を恨めしげに見上げ、それから、まず牡蠣の天麩羅を、黒須は口の中に入れた。
俯き加減に目を伏せて、妙に赤い色をした口中に、牡蠣の身を迎え入れる姿を何故か凝視してしまう。
額に流れ落ちてくる髪をそのままに、もそもそと食んだ黒須は、薄い色をした唇を緩め「うん、美味い」と言って笑った。
個室には、柔らかな冬の日が差し込んでいる。
美しい畳に落ちる二人の影は長く伸び、それから暫くの間、二人は黙って、食事をすすめた。
黒須は、兎月原が思っていた以上に食が細かった。
コース半ばまで進んだところで、眉を寄せ「うー…」と勿体無げに呻く姿に、少し笑う。
「食べきれないなら、残せば良い。 無理して食べても美味くないだろ」
兎月原が言えば、黒須は首を振り、「竜子に、食べ物粗末にすんなって言ってる手前、ここで、そんな狼藉は…」と、なにやら年寄り臭い事を言う。
ここの油は上質で衣も薄いせいか、胃に凭れるという事はないのだが、単純に量の問題なのだろう。
途中、手伝ってやりながら、最後の、天茶まで終わった時点で、黒須は「限界…」と呻きつつ、へたりと畳の上に身を転がし、「まだ、果物あるぞ?」との兎月原の言葉に「無理…果物も無理…ピーナッツ一粒とて無理…」と訴えてきた。
仕方がなく、出された果物を二皿とも片付け、女性でも、ここのコースは軽く平らげるのにと呆れつつも、身を乗り出して寝転んでいる黒須を見下ろす。
薄い瞼を閉じて、髪を散らばらせたまま、「うー、でも、美味かった…」と満足げに呟く黒須に「だろ?」と得意げに兎月原が言えば、「ククク」と喉の奥で笑い、うっすらと目を開いて、兎月原を見上げると「あんたが作ったわけでもあるまいに…」とからかうように言ってきた。
やけに挑発的な視線に、少しぎょっとしながらも、「商売柄、こういう店を知ってるっていうのが大事なんだよ」と兎月原は言う。
そのまま、机の上に手を付くと、体を支えながら片手を伸ばし、ぎゅっと黒須の腹を押してみた。
硬い弾力が指先に伝わり、兎月原は自分から触ったくせに、禁忌に触れたような気持ちになって硬直する。
「ぎゃあ!」
突然の兎月原の行動に、何もそこまで?という程怯えた声をあげ、跳ねるようにして身を引くと、ついで「中身が、出るから!」と言われ、そんなにもう、限界かと、今度は兎月原が驚かされた。
「て、ていうかなんだよ?!」とお腹を守るように抱えた、若干丸まり気味の姿勢になりつつ、顔だけ少し上げ、こちらを眉を下げて睨んでくる黒須に、「いや、『太ったかな?』と思って…」と素直に兎月原は答えた。
何にしろ、痩せた様子が気になって、ご馳走を食わせてやったのだ。
少しでも、肉がついただろうか?と思っての確認だが、当然の事ながら、摂取した食物が脂肪に変わるまでに、それなりのインターバルが必要となる(ていうか、そんなすぐ脂肪に変わられたら、凄い困る!!@神の声)
スポーツ医学を修め、人体の構造に対して一家言を持つ兎月原は、その事を知らぬはずではないのだが、それでも、何となく確かめたくって触ってしまっていた兎月原は、触った瞬間は慄いた癖に、再び、あの感触を確かめたくて、妙に指先をうずうずさせる。
「何?! 太らせるの目的?! 俺、咄嗟に、ヘンゼルとグレーテルの、ヘンゼル状態に陥ってるのか?っていう、疑いを禁じえないんだけど?!」という黒須に「あんたみたいな、煮ても、焼いても、蒸しても、炒めても、干しても、真空パックにして脱水させて宇宙食にしても、絶対に喰えたもんじゃないような相手を、幾ら俺が酔狂でも、太らせて料理しようだなんて考えねぇよ」と力説すれば「その台詞、無闇に説得力があるくせに、かなり傷つくな…」と黒須が遠い目をして言った。
そのまま、もそもそと起き上がり、「えーと…ご馳走様でした」と大人しい様子で言う黒須に、鷹揚に頷く。
このまま店を出て、彼を目的地まで送って別れる。
そう考えた時、ふと、自分を襲う寂しさのようなものに気付き、唇を噛む。
黒須は、首を巡らせ「いや、でも、たまに贅沢はしてみるもんだな。 あの城にずっといるのも、息が詰るし、今は、体がこんなで、色々鬱屈してたんだ。 良い気分転換になった。 ありがとう」と言い、それから、「まぁ、今度の機会にゃ、もっと気安い店つれてってくれよ。 チェーン店とかそういうので良いから」と、言って薄く笑った。
兎月原は「ああ…。 そうだな、今度は、もっとチープな店に…」と、気のない声でそこまで言って、それから、「今度…?」と口の中で呟く。
「なんか、魚の美味い店がいいな。 あと、コースとか無理。 喰い切れねぇ。 ほんと、最近、量が喰えなくなってきてよぉ、煙草がいけねぇのか、酒がいけねぇのか、単純に年のせいか…」と言い続ける黒須をマジマジと見て、「う?」と、不思議そうに呻くものだから、兎月原も不思議そうな顔のまま、それでも「うん、じゃあ、魚の美味くて、コースじゃない店紹介する。 値段も手頃だし、サラリーマンが仕事帰りに寄るような店だから、多分、あんた気に入ると思うよ」と、まるで何かの台詞のように並べた。
兎月原の様子に、圧倒されたように黒須は、「お…おう…」と頷き「楽しみにしてる」と言って、また薄く笑う。
「いつ?」
「え?」
「いつなら空いてる」
「……再来週の頭位なら、どうせ、また、薬貰いに病院行かなきゃならないから…」と、黒須が戸惑ったように言うのを聞いて、「じゃあ、迎えに行くから、診察終わる時間だけ教えてくれ」と言い、自分のスケジュール帳を頭の中で捲る。
多分、ここ最近は、アルバイトの事務員に、仕事を入れるだけ入れてくれるよう頼んでおいたせいで、その日にも何某かの仕事は入っているだろうが、今からなら、何とか調整を付けられる。
だって、黒須は凄い痩せているから。
太らせてやらないといけない。
優しくするって決めたから。
まるで、それが絶対の理屈のように繰り返し、繰り返し頭の中で呟いて、だから、自分は一つもおかしくないって思いこむ。
口約束だけでは、流れる事が目に見えていて、顧客にしたい女性相手の営業のノウハウをそのまま活用し、とにかく、具体的な予定として、組み込ませた。
会いたかないよ。
けど、決めたからね。
優しくするって決めた相手が、こんなにみすぼらしく痩せ衰えたままでいる事は見逃せない。
それだけの事さ。
それだけの事さ。
「…変だよ、あんた。 幾らでも別嬪と飯なと、なんなと出来るだろうに、俺となんか、一緒にいても楽しかないだろう?」
黒須に言われて、色々言い返すのも面倒臭く「うるさいよ」とだけ答える。
そっぽを向いて、「あんた友達が少なそうだし、変な城の中にいてばっかりじゃあ、それこそ、頭がおかしくなるだろうからな。 遊んでやるよ、この俺が」と言ってやれば、「暇な身の上じゃなかろうに」と兎月原の仕事を見越した台詞を吐き「やっぱ、変だ」と言って、それから、また、胸が痛くなるような笑みをうっすらと浮かべた。
どうしてだろう。
本当に不憫に思うんだ。
この男の事を。
再び車に乗り込んで、一路、目的地へと向かう。
黒須は、何だか上機嫌で、「今度は酒も呑みたいな」なんて言っている。
自分との約束を楽しみにしている風の姿を見れば、それも何だか妙に切なくて「ていうか、体調悪いのに、酒呑んで平気なのか?」と、問い掛けた。
「んあ? まぁ、控えろとは言われてるが、再来週辺りまで来れば大丈夫だろ。 入院中も随分我慢を強いられたしな、せめて、煙草と酒くらいは、好きなだけやりてぇよ」
そうげんなりした口調で言う黒須の台詞を聞いて、ふと兎月原は、蛇の血が混じる故に、彼の人体構造が尋常でなかった事を思い出す。
「え? 入院って言うか…病院なんて、あんた行っていいのか? 検査なんて受けたら、大騒ぎになろう?」
兎月原のもっともな疑問に思いだしたくないと言う風に唇を歪めると「いいんだよ。 ベイブの息がかかってる系列の病院だからな。 俺の事は折込済み」と吐き捨てるように言う。
アルバイト事務員から聞いた話だと、運輸会社を経営しているようだし、病院経営にも手を出しているのか?と疑問を抱きつつ、いずれにせよ、ベイブは中々の経営手腕の持ち主かもしれないと思いながら、それも何だか気に入らない自分に気付く。
どうもアリスに言われたあの一言。
「ベイブと、少し似てるよあんた」
これが、どうにも引っ掛かっているらしい。
一体どういう男なのだろう?と疑問を深めつつ、「でも、唯の外科医じゃ、あんた症状に対応しきれないだろう?」と気になる部分を問い掛ける。
すると、黒須はますます顔を顰め、かなり渋い表情のまま「…獣医」と唸るように答えた。
「は?」
「俺の担当医は…獣医…」
一瞬沈黙の後、兎月原は爆笑した。
「じゅ…獣医いぃぃ?!!」と、悲鳴のような声をあげ、また笑う、兎月原を怨みの篭った目で睨み「一応!!! 担当医は外科医の資格も持ってるから! んなに、笑うトコじゃねぇよ!!」と黒須が言えども、「で、でも、普通の総合病院に獣医はいないだろう? ど、どうやって、診察して貰ってたんだ?」と涙を拭いつつ聞けば「俺以外にもな、こういう動物混じりの人間って結構いるらしくって、そういうのを受け入れるっつうので、その病院はその筋じゃあ結構有名なんだよ。 だから、普段は獣医だけど、外科医の資格も持ってて、普段は動物を見てるけど、動物の血が入ってる人間は、どちらの知識も駆使して診察するって感じになるんだとよ」と答えてくれた。
「いや、しかし、普段は獣医という事は…そこは、動物病院って事か…?」と笑いに震える声で、兎月原は聞き、黒須が大変嫌そうに頷くに至って、また、大笑いしてしまう。
「ど、ど…動物病院…ひっひひっくっくくくっ…」
体を震わせ笑う兎月原に、「笑いすぎ」と唸った黒須は、「畜生、ええい、とっとと降ろせ!」と喚き、「はいはい、目的地についたら、すぐに降ろしてやるよ」と答えて、また「動物病院…ぶふっ…」と一人呟き噴出した。
しかし、そんな異常な病院等、どういうツテがあれば情報を入手できるというのだろう?
こちらの世界で、それこそ、武彦のように興信所を経営しているならともかく、異世界に住まう、いかにも浮世離れして見えた、あのベイブが、案外この世界でも、そこそこ顔が広く、経営者としても優れているらしいと知ってしまうと、わけもなく、こんまま捨て置けないと言う気持ちになる。
敵愾心というのだろうか?
人より優れた人間だから、そうそうコンプレックス等というものを感じた事はなかったが、黒須という人間を間に介在させてしまうと、どうにもこうにも、ベイブという男が憎たらしい。
元々アリスの言葉を受けて、好奇心を抱いている部分はあったのだ。
今抱いている、好奇心混じりの反感を、ぶつけてみるのもいいかもしれない。
「なぁ、今から黒須さんは王宮に帰るんだろ?」
そう確認をとれば頷く黒須に「じゃあ、俺も連れてって」と兎月原は告げた。
「は?」
ぽかんと口を開く黒須に「別にいいだろ? 前は、すぐに帰ってしまったから、何が何だか分らなかったし、ちょっとベイブさんにも挨拶したいし」と兎月原は言う。
「え? いや、いいけど…え? 何、企んでんだよ?」
そう、不安げにビクつく黒須の態度に目を細め、「だから、なんであんたは、俺の事を、そう、無闇に疑うかなぁ…」と言いながらも、「何も手土産とか用意してないけど、大丈夫かな?」と言いつつ、兎月原が運転する車は高架のすぐ傍にある有料駐車場へ吸い込まれて行った。
寒い冬の折ということもあり、吹き荒ぶ風が、肌に痛い。
よろつく黒須を支えてやりながら目的地を目指す兎月原の目に、高架の下、昔懐かしい、木製屋台の姿が見えてきた。
『和音』と書かれた暖簾の掛かる屋台のパイプ椅子に銀メッシュが入った髪を風になびかせ、何だか空虚な表情で、佇む姿が目に入る。
魏・幇禍。
そういえば、前回の騒動時、ビルの屋上で、ぐったりと脱力している姿を見たのを最後に、兎月原は千年王宮に乗り込んでしまっていて、彼があのあとどうしたのか、見届けていなかった事を思い出す。
メサイアビルは、メサイアビルで、色々大変だったらしい事は、ニュースや新聞等で見知ってはいたが、見たところ傷もなく、表情こそ暗いが元気そうな姿に、無事に脱出できたらしいと安堵する。
全く同じ顔をした男と、何か因縁ありげであったが、それは一体どうなったのだろう?と思案しかけ、まぁ、人の事情は良いかと思い直す。
何にしろ、幇禍の「え? 大丈夫?」と、声をかけてやりたくなる横顔は、常ならぬ美貌故に、余計に、何だか深刻な状況に見えて、折角死線を潜り抜けた仲なんだしと思いつつ、何故か、こちらを制止しようとする黒須を無視して、「幇禍さん?」と、兎月原が声を掛ければ、パッと幇禍は顔を上げ、「兎月原さん!」と嬉しげに名を呼んできた。
「前回の騒動以来、お会いする機会がなかったので、ご無事な姿を見れて、安心しました。 あの事件に関わっていた興信所関係者は、皆無事であった事は草間経由で聞いていましたけど、王宮の方も、随分と派手な戦闘が繰り広げられたようですからね…」と言われ、兎月原も頷き「俺の方こそ、安心しました。 お互い、無事でよかった」と笑う。
そして、今の今まで、存在感が薄くて、気付いていなかったのだろう。
その隣に立つ黒須の姿に視線を向けると、幇禍は何故か目を輝かせ「黒須さん!! ああ、やっと見つかった!!」と、何だかとっても不穏に聞こえる言葉を吐き出した。
なんか闇雲に嫌な予感がしつつ、視線を黒須に送れば、黒須は、予感というよりも、確信を得たのか、くるりと踵を返し、脱兎の如く逃げ出そうとする。
されど、本調子でない体に無理は利かず、よたつきながら、そう距離を稼ぐ事なく、盛大に転び、そこに、物凄いスピードで駆け寄った幇禍は、物凄く容赦なく足を上げて、ガスン!と黒須を踏みつけると、「黒須さん〜!! 何処にいたんですか? 捜したんですよー?!!」と言いながら、ガンガンガンと地団駄を踏むように、何度黒須の背中を踏んだ。
「いぁ?! ぎゃ!! あぎゃ!!」と怪鳥の如き毛をあげ、踏まれるたびに海老反った黒須は「踏むな!! 踏むなー!!」と喚き、何とか幇禍の足の下から抜け出す。
「死ぬ!! 俺は、本当に、いつかお前に殺される!!」
そう涙目で、訴える黒須の言葉に「俺、昔、犬の散歩とかのお手伝いをした事があるんですけど、散歩の時に、うっかり綱を手放し手仕舞った時とか、咄嗟にね、こうやってリードを踏みつけて、逃げられないようにしてたもんで、その時の名残だと思います。 悪意は、82%しかないんです」と、ああ、それはほぼ、悪意だよね…?な台詞をかまし、黒須をがくりと項垂れさせる。
「いや、そもそも、俺犬じゃねぇし、それ以前に、踏みつけてたのは、リードであって、犬本体じゃなかろうし、そもそも、何度も踏みつけられる意味が全く俺には読めないし…」と並べれば、「うん、でも、悪意が82%な訳ですから…」と指を立てつつ「ね?」と首を傾げられ「あー、そっかー! 悪意だったら、踏まれても仕方ねぇか☆ってなるかぁぁぁー!!! ばかぁぁぁぁーー!!!!!」と、黒須は思いっきり怒鳴った。
「よし! 分った! お前が、どんだけ俺に悪意を抱いていようが、もう良い! 正直、それは慣れっこだから、そんなに、俺傷つかない! け ど な? 是非踏むな、関わるな、面倒を引き起こすな!!」
そうビシ!と言い放つ黒須の言葉など、明らかに右から左に聞き流し「じゃあ、早速、千年王宮へ、是非とも連れて行ってください」と軽い声で、今までの会話等なかったかのように、あっさり幇禍は告げる。
「あ、折角なんで、また、おでん、お土産に持ってっちゃいますよ〜?」なんて張り切ったように告げる幇禍に、「うん、ちょっと待て? お前と会話していると、些か頻繁に襲われる感情なのだが、いいか? まずは、ちょっと、人の話とかを、聞いてみようか?」と黒須が、言えど「えーっと、そう! 底の方にある大根を入れて下さい! あと、とりあえず一通り入れてもらって…」等と言い、やはり自分も手土産は必要か…等と、幇禍の様子を見つつ感じた兎月原は、中々の品揃えをしている焼酎ラインナップの中から、自分の好きな銘柄を一本選んで買い取る。
「うん、やめて? 一言もいってないよな? 俺、一言もお前連れてくって言ってないよな?っつうか、これ、なんてデジャブ?」
そう喚く黒須に対し、「まぁまぁ、幇禍さんも、千年王宮に何か用事があるようだし、別に良いんじゃないか?」と兎月原が言えば、何やらプルプルと手を震わせて、がっしと、兎月原の腕を掴み「ありがとうございます!」なんてやけに感激したように言ってきた。
「おまっ?! ちょっ?! 気楽に言うんじゃねぇよ?! こいつのせいで、俺がどんなに酷ぇ目に合ってきたか!!」という黒須に、「そんな大袈裟な…。 俺はいつでも、黒須さんに陽気な笑いと、幸せの一時を齎してきたでしょ?」と、明らかに心の篭ってない声で告げる。
その上、「ていうか、前回、俺が、黒須さんの為に…とはまぁ、言いきれないながらも、結果的に、個人的には大変自分を恥じる所存ですが、黒須さんの事を助ける為に協力してやった事忘れたんですか? 感謝の気持ちが少しでもあるのなら、俺を王宮に連れてく位、何でもない事だと思うんですけどね?」とまで言われれば、さすがに返す言葉を失ったのだろう。
保温パックにおでんを包んで貰い幇禍が、「さて! じゃあ、行きましょうか」と軽快に告げるに至って、黒須はもう、逃れられぬと悟ったのか、深い溜息を吐いて項垂れたまま、二人を先導しだした。
『Chapter.U 王様と勝負する 』
予めベイブに開けて貰っていたという光の扉を抜けると、そこには、この前、少し見ることの出来た、豪奢で空虚な玉間が広がっていた、
「…遅かったな」
退屈気に言う虚ろな声に視線を向ければ、真っ白な男が、少し顔を傾げ、退屈そうに此方を見ている。
「彼らは?」
ベイブに問われ「客人だよ」と黒須は答えると「どうせ、お前は覚えちゃいねぇだろうが、向こうは兎月原で、あっちは幇禍」と紹介してくれた。
実際、ベイブの記憶に残ってはいなかったのだろう。
初めての人間を見る目で見られて、何だか、それも気に入らない。
まぁ、とはいえ、前回など、途中まで姿を消していた関係もあり、覚えられておらずとも無理はないか…と思っていると、「で? 何の用だ?」と尋ねられ、咄嗟に言葉を失った。
いや、用というより、ベイブの事が気に入らなかったし、興味もあったので、対面してみたかった…という、余りと言えば余りの理由に、さて、これを何と説明すべきか?と思い悩む。
だが、兎月原より早く幇禍は火急の用があったらしく、「ちょっと、お話聞いて貰って良いですか!」と勢い込んでベイブに向かって口を開いた。
「覚えているかどうかは、どうでも良いんですけど、俺、前にベイブさんに相談にのって貰ってて、今回もね、是非お伺いしたい事があるんですよ!」
そう言い募る幇禍の顔を数秒眺めた後、黒須に視線を向け「このやり取り、前にもなかったか?」問い掛ける。
どうも、幇禍の口調は、前に相談に乗って貰ったという時と酷似しているらしく、しかも、その時の事は然程良い思い出ではないのか黒須とベイブ、同じように顔を顰めつつ、幇禍に視線を戻せば、ゴーイングマイウェイを地でいく幇禍は、「あ、大丈夫です、ご安心召されよ! ちゃんと、手土産持参ですから」
と言いつつ、おでんを掲げて見せる。
「まぁ、話だけは聞こうか。 どうぞ?」
そうベイブが諦めたように言えば、「あのですね、相談というのは、まぁ、言うまでもなく、世界一可愛い俺のお嬢さんについてなんですけど、お嬢さんってば、俺が、折角、この前のメサイアビル騒動が終わって、ウキウキウォッチング気分で帰宅の途につき、お嬢さんの『ただいま』の一言を楽しみにして、玄関を開けたっていうのに、そんな俺の心を知ってか知らずか、まぁ、知っていても、お嬢さん自分の好きなように行動するんで、そこら辺は全く関係ないんですけど、いきなり、『じゃあ、行ってきます!』とか言われて、目の前から消えられてしまいまして、現在心身ともに、本当に堪えてるっていうか、打ちのめてされるって言うか…」と項垂れながら切々と訴える幇禍。
どうも、彼には、「お嬢さん」と呼ぶ、心底惚れ込んでいる恋人がいるらしく、気紛れな彼女に随分振り回されているらしい事は把握できたが、それにしても、彼自身かなり人を振り回し体質である事は確実で、そんな彼を振り回せる女性がいる事自体に驚愕する。
その上、この惚れ込みようは、前回、どんな自体に際していても自分のペースを見失わず、飄々として見えた彼からすれば、意外なほどで「余程、素敵な彼女なんだね」と兎月原が言えば、ぐりんと、「もげるよ?!」と心配になりそうなほどの勢いで振り返り「そうなんです!!」と、兎月原の言葉に同意してきた。
「もう、何ていうの? ほんと、天女降臨レベル、ほんと、シャレにならないレベルで女神っていうか、多分、もう、天使ってああいう人を言うだろうな…っていう位、綺麗で、可愛くって、悪鬼の如き所業も全部、『ごめんね☆』って言われたら三秒ルールで許さざる得ない位の、スーパーマドンナと言いますか…」
そう夢見る瞳で語る幇禍の様子に「あ、俺地雷踏んだ」と即座に気付いた兎月原が助けを求めるように、黒須・ベイブの両名に視線を送れど、見るからに「大変厄介です」な状況に手を差し伸べてくれる筈もなく「…で、ほんと、お嬢さんって、宇宙規模に可愛いよな…! そんなお嬢さんの婚約者である俺は、宇宙一の幸せ者である事だよな…!!って事は、勿論自覚してるんですけど、それにしたって、流れ星より気紛れっていうか、まぁ、そこも魅力的っていうか…分ります? 魅力的過ぎる婚約者を持ってしまった俺の苦悩が…、この胸の内が…って、あれ? どうしたんですか? 兎月原さん? お嬢さんに、会ってみたいなって顔しちゃってぇ〜? 俺の話聞いて、羨ましくって仕方がなくなっちゃったんですね? はぁ、困った人だなぁ…。 さて、どうしよっかな? そりゃ、気持ちは分るんですけどね? 俺だけの独り占め天使にしたいって言うか? あー、でも、兎月原さんとは、前の騒動でも、助け合った仲だし、そこまで頼まれちゃったら、流石の俺も断われませんねぇ…」と、延々と、語り続ける幇禍を前に、口を挟む事も憚られ、自分の眼差しが急速に虚ろになって行く事を止める術もなく、兎月原の意識は、解脱状態に近くなっていく。
ベイブなどは、幇禍持参のおでんを抱え込んで、勝手に中身をつまみ、黒須も兎月原が持ってきた焼酎を勝手に湯のみ茶碗に注いで、一人酒盛りなぞ始めつつ、こちらの様子を、無感動な目で眺めてくる。
ううん、なんて無軌道空間!!
と、思えども、幇禍の軽快トークは未だ終わらず、ここはどういう地獄ぞ?と、慄き始めるに至って、思わず兎月原、無意識のうちに「えい」と短く呟いて、幇禍の口をむぎゅうと掴んでしまっていた。
「ふんぎゅもが!!!」
唐突に口を無理矢理閉じられ意味不明の声をあげる幇禍に対し、「…で? 幇禍さんは、一体どういう理由で、ここに来たんだっけ?」と、真顔で問う。
兎月原の言葉に、漸く自分の目的を思い出したのか、はむはむと大根を呑気に食んでいるベイブを見下ろし、次いで、勝手に焼酎を飲んでいる黒須に視線を送ると「もがもが」と平気な様子で何か喋りだそうとして、言葉になっていない幇禍の様子に溜息を吐きつつ、口を解放してやる。
とりあえず、ベイブに向かい、「ですから! お嬢さんが、今、どこにいらっしゃるか、是非教えてほしいんですけど!」と訴えつつ、何故か、小粋な仕草で、バシーン!と黒須の後頭部を叩く、幇禍。
「いってぇぇ!!!」と怒鳴り、「何すんだよ!!」と怒鳴る黒須の背中を、爪先で抉るように兎月原もとりあえず蹴り付けておく。
「ぎゃあ!!」と、かなり痛かったのか、悲鳴をあげる黒須に「何勝手に酒盛りしてんだよ!」と突っ込めば、それでも、必死に湯飲み茶碗を抱えたまま、わざとらしく瞬きを繰り返し「このお酒、おいしーよ?」等とムカツク声音で言ってきた。
がくっと脱力する兎月原を尻目に、「あ、その卵、味しゅんでて美味しいんですよねー」とか言いつつ、いつの間にか現れた取り皿に、おでんを乗せて、パクつきながら「で…もぐもぐ、おじょーはんは…うむうむ…何処にいるんですか?」と緊張感なくベイブに問う幇禍。
そんな幇禍を、はんぺんを咥えながら暫く眺めていたベイブは、そのまま、ギギギと軋むように小首を傾げ「…ああ…思い出した…というか、やけに、この味に覚えがあると思えば、お前、この前も…婚約者について聞きたい事があるとかで…ここを訪れていなかったか…?」と、虚ろな調子で問い掛ける。
どうも幇禍は幇禍で、今回と同じような理由で、前に、ここを訪れたらしいと理解しつつ、何より気になるのは、ベイブの幇禍に対する記憶の在り方で…。
「おでんの味で思い出したんだ」
「おでん切っ掛けで、記憶が蘇ったんだ」
黒須と口々に、言い合えど、幇禍は、そんな事は然程気にしてないらしい。
「はい、おでんの人です!」と、最早、お中元やお歳暮の季節にTVで頻繁に見かける「ハムの人」的ノリで自己紹介しつつ、「本当に困ってるんですよ」と眉を下げる幇禍を見て、「そういう案件なら、白雪に聞くのが、話は早いだろう…」と呟く。
「白雪…ああ、聞いた事のある名前です! えーと、確か、鏡の化身で、世界の何もかもを見通す力を持っている女性でしたよね?」と幇禍は言い、「確かに、その人なら、お嬢さんの居場所も、ご存知かもしれません!」と嬉しげに言った。
ベイブは、少し目を細め、一瞬の思案の後「折角、ここまで来訪願ったのだ、後で白雪には会わせてやろう」と言う。
幇禍が「ありがとうございます! あー、これで、漸くお嬢さんに会える!」と手を叩き、安堵と、妙な高揚感を滲ませた声で、礼を言えば、ベイブは少し、躊躇したあと、何だか、声を低くして、「…それで…だ」と呟く。
何だか改まった調子に、幇禍が身を乗り出し、兎月原も、丁度良く目に付いた茶碗に酒を注いで、口をつけつつも、ベイブを注視する。
「いや、その、婚約者…とやらとは…、あの後は巧くいったのか…?」
そうベイブが言う「あの後」とは一体なんの後なのであろう?と首を傾げれば黒須が、半眼になって「つまり、ベイブ大先生は、自分の前回のアドバイスが、ちゃんと生かされたか、気になる訳ですか?」と陰険な声で言う。
その瞬間、ぎゅうううっと、見てるこっちが痛くなるような勢いで、黒須の髪を引っ張ったベイブ。
険しい表情をして、何か言おうとすれども、大概図星を突かれてしまったらしく、黙ったまま、ぎゅぅ、ぎゅぅ、ぎゅっと何度も髪を引っ張り、黒須に断続的な悲鳴をあげさせる。
昼食で腹は満たされていたものの、何だか如何にも美味しそうなおでんの様子に、兎月原も、ちょいちょいと箸を伸ばして、酒を呑み、豪奢な玉間に全く持って不似合いな、ドキッ☆男だらけのしょっぱい飲み会!状態になりつつある事に、「あー、異世界とかって言っても、野郎四人が集えばこんなもんか…」と諦念すら感じる兎月原。
「つまり、恋愛相談に乗って貰ったのか、ベイブさんに?」と、言外に「人…選べよ」の気持ちをこめて、幇禍に問えば、「ええ、ミスチョイスでした」の表情を如実に浮かべつつ、幇禍が頷く。
「なんか、婚約者と喧嘩したこいつが、どうやったら仲直りできるかって、聞いた直後に、10分間、機能停止しやがって…。 死んでるのか生きているのか、うーん、お願いだから、うっかり死んでて?の俺の望みも届かぬままに、漸く出た回答が、『…謝れば…許して、貰えるんじゃないか?』だぜ? びっくりするわ! もう、純粋にびっくりするわ! ド肝を抜かれるわ! 逆に、斬新だわ!」
そう勢いよく言い募る黒須の首を、静かに、とても静かに、だけど、ああ、この人本気だな?というのが分る青筋の浮いた力の込め具合で締め上げつつ、ベイブが、じーーっと幇禍を見れば、無言の圧力に負けたのか、「……お蔭様で、アドバイスを有用に活用して、お嬢さんとは、すぐに仲直りが出来ました」と棒読みで言う。
ベイブは、「ふふん」と満足げに笑い、三途の川を快調にクロールで渡り始めていそうな様子の黒須を漸く解放すると「聞いたか? …やはり、長年生きている者の言葉には…それなりの含蓄があるのだ」と、自慢げに、黒須に嘯いて見せた(黒須は半失神状態の為、聞こえているとは思えなかったが。
「で…お前は、どうする?」
突然ベイブに話を振られ、兎月原思わずきょとんとしてしまう。
どうも上機嫌らしいベイブ。
がんもを、ごくりと飲み込んで、「…何か望みはないのか? この者の望みばかり、聞いてやるのも不公平だろう」と言われて、暫し思案に暮れる。
望み…といっても…何も…と思い、不意に、浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまっていた。
「…あー、じゃあ、勝負しよう」
兎月原の言葉は、その場にいる男達皆にとって予想外極まりないものだったのだろう。
みんな、口を開け、呆けた顔で、兎月原を凝視してくる。
「…勝負」
不思議そうに呟いて、また小首を傾げるベイブに、「うん、何でも良いから。 得意なものとかある? 将棋でも、スポーツでも、他、何でも良いや。 あと、子供じゃないんだし、その方がお互い燃えるから何か賭けよう。 そこそこ大事なもんをね」と淡々と言い、「さぁ、何で勝負する?」と問い掛ける。
目を見開いたままのベイブ。
無表情に黒須の方を向き、兎月原を指差して「なんだ…こいつは?」とかなり失礼な質問をする。
「あー…いや…」と、黒須は困ったように呟いて、兎月原に視線を送ると「えーと…変な…奴…かな」と答えた。
まぁ、否定はすまい。
いきなり、こんな風に勝負を挑まれて、ベイブが戸惑う気持ちも分る。
とはいえ、彼の母親に、「似てる」等と認定を受けた身の上だ。
見た目は、まぁ、自分の圧勝だろうと確信しつつも、では、他に、何が似てるというのか? 聞けば聞くほど、中々奥の深い所のある、人物像をしているこの男の実力の程とは、如何程のものなのか?
気になりだすと、どうにも止らず、かくして、「望みは?」と問われれば、「勝負」と珍妙な答えを返す、妙な事態に陥ってしまっていたのだった。
とはいえ、己の望むものは、己の手で掴み取るのが身上の兎月原。
どうにも反感を抱いてしまう相手に、願いを叶えてもらうなどと、考えるだけでもシャクに触る。
そんな事よりも、正々堂々、何かで勝負をして、人物像を見極めさせて貰った方が、ずっと有益だ。
そもそも、異世界だの、異種族だの、キメラだの、興信所に関わる事によって、ここ最近一気に自分の周りに増えた、怪異の出来事に適応するより流されるようにして、巻き込まれたり首を突っ込んだり「理解」や「分析」を行う余裕も余地も与えられては来なかった。
ここらで、そろそろ、こちらから情報を求めたって罰は当らないだろう。
ベイブという、「千年王宮」の中枢に、直接相対できるこの機会を、有用に活用したいと望むのは、兎月原にとっては、何の不思議もない願いだった。
「…えーと…じゃあ、手っ取り早く、じゃんけんで勝負とか…」
何故か、面白がるような色を瞳に浮かべ、そう提案する幇禍に、「いや、それ、完全に運任せだし、子供じゃあるまいし…」と黒須が突っ込めば、「じゃあ、黒須さん、何か良い案ありますか?」と問われ、逡巡の後、「えーと…大食い対決…?」と、多分自分の小食を鑑みて、彼にとっては過酷に思えるに違いない、対決内容を提示した。
だが、おでんを食んでいたベイブが「いや、もう、結構、これで満足してるし…」と告げ、兎月原も「昼食済ませたばかりだし…」と、なんともグダグダな却下をする。
そもそも、大食い対決って…、何で、今から此処で、ベイブと、そんな勝負を繰り広げねばならないのか、絵面の余りの間抜けさに、遠い目をしてしまえば、「あとは、チェスとか…剣戟とか…?」とベイブが思案気に言い、ふと、兎月原は、手元の酒が入った茶碗に目を落として「ていうか、お膳立て整ってるしじゃあ、折角だし、飲み比べにしよう」と、提案した。
一升瓶にはまだまだ、たっぷり酒が残っているし、かなりアルコール度数の高い酒だ。
飲みつくす前に決着は付けられようと判断しての提案に、ベイブは頷き、「で? 何を賭ける?」と聞いてくる。
「なんか、欲しいものある?」と兎月原が問えば、ベイブが口にしたのは、意外や意外、最近発売されたばかりの最新ゲーム機器で、ちょっとワクワクした声で「竜子と見ていた雑誌に掲載されていたんだ。 入手が難しくってな」と言ってくる。
確かに、どの店でも完売状態で、入手は困難を極めるだろうが伊達に顔が広い訳でもない。
まぁ、なんとかなるだろうと、見当をつけ、異世界の王様も、案外普通のものを欲しがるんだなと、少し愉快に思う。
「じゃあ、俺は…」と一瞬思案し、「あれが欲しい」と指差したのは、黒須が掛けている遮光眼鏡。
レトロなデザインの、小さな丸いグラス部分が今時珍しくって、少し気になってはいたのだ。
「なんで、俺のモンを賭けなきゃなんねぇんだよ!」と黒須が文句を言えど、ベイブは「了承した」と勝手に頷き、それから、自分の手元にあった茶碗をぐいっと突き出し、黒須に酒を注がせた。
「えーと、先に潰れちゃった方が負けですからね?」と幇禍がジャッジマンをかって出てくれ、黒須が面白そうに、二人の様子を眺めてくる。
何だか、そんな黒須の視線にむかつきっつも、まず、兎月原が、上目遣いに窺うように眺めつつ、くいっと一気に飲み干した。
喉を焼く感触が、食道を滑り落ちていく。
幾ら好きな銘柄とはいえ、氷も浮かべず、割りもしない、生のままの焼酎は、それなりに兎月原に、酩酊感を齎したが、夜の職業が長い身の上、酒が強くなきゃ話にならないという事で、顔色一つ変えずに「じゃ、そっちどうぞ?」と言って、ベイブが茶碗に口をつけるのを見守る。
ベイブも、無表情のまま、一気に茶碗を空にして、顔色一つ変えずにいるものだから、コレは、中々の強敵だと、何だか高揚した次の瞬間だった。
ズルン!と、そのまま玉座から滑り落ちたベイブに目を剥けば「あ」と黒須が口を開け「ああ、そういや忘れてたけど、こいつ下戸だった」と言いながら、ベイブの傍ににじり寄り、その顔を覗きこむ。
兎月原も身を乗り出し、幇禍も、ベイブの顔を眺めれば、目を見開いたままぶっ倒れるという、中々ショッキングな事になっている。
「ていうか、何で、下戸なのに、飲み比べ対決なんて、了承したんだよ…」と呻けば「いや、多分、自分自身、自分が酒呑めねぇの忘れてたんじゃね?」と黒須は言い、甲斐甲斐しい様子で、身を起こさせると「おーい、大丈夫かー?」と声を掛けつつパタパタと手で、その顔を仰いでやっていた。
「一応……兎月原さんの勝利になるんでしょうか?」と幇禍に問われ顔を顰めて「ノーコンテストだよ。 下戸相手に、飲み比べで勝ってもしょうがないだろう?」と肩を竦める。
出来れば、ベイブが得意とする競技で勝利を収めたいのに、こんな勝ち方、勝っただなんて認められない。
あまつさえ「吐く? 気持ち悪いか? 一回吐いた方が楽になんぞ?」なんて言いながら、肩を擦ったり、水を飲ませたり、憎まれ口ばかり叩いていた癖に、何だか、細々と、ベイブの世話を黒須が焼いてやってる姿も、何故か腹立たしく、その情景を自分か作り出したのだと思うと、更に「何やってんだろ、俺」な気分にならざる得なかった。
試合に勝って、勝負に負けた気がする。
酔いが回るのも早ければ、冷めるのも早いらしいベイブが、黒須の肩を借りつつも、再び玉座に腰を降ろした時だった。
「あら、いつも通りのシケたツラね!」
野郎の声ばかりに、些か、食傷気味になっていた兎月原の耳が、聡く澄んだ高い女性の声を聞きつける。
視線を向ければ、そこには一人の和のものとも、洋のものともつかぬ人形めいた要望をした美少女が一人。
ベースに薄紅色のマニュキアを塗り、キラキラと光るラインストーンをちりばめた綺麗な爪先を煌かせ、腰に当てて昂然と胸を張る姿も様になり、ハートの飾りがあしらわれた、光の当り方によっては銀色の光沢も放つ黒いフェイクファーケープを羽織り、袖口が広がり、黒のレースが施された、ワインレッドのワンピースを見事に着こなすその姿。
見間違えようがない。
たった一度しか会った事はないが、千年王宮の死闘にて、ベイブを叱咤し、自身も華奢な外見に似合わぬ力奮って、チェシャ猫の化け物に奮戦していた、ウラ・フレンツヒェンその人だった。
黒いレース地のリボンが、至る所に飾られた、赤×黒のビビットな色彩のワンピースは、色合いに深みがありシックな印象を見る者に抱かせ、綺麗な黒髪には、赤いハートのワンポイントが可愛らしい大きなリボンの髪留めをつけ、自身の愛らしさを増している。
踵の高いダークブラウンの編み上げブーツを履きこなし、黒いタイツで細く形の良い足を益々、見惚れずにはいない程美しく見せ、これ程、この城に似合う姿をしている者もそうはいるまいと、先程まで、ぐだぐだ酒盛りをしていた自分の姿を振り返り、何だか、少し反省してしまう。
「来たのか…」
ベイブが、柔らかな笑みを浮かべて問えば、
「来たわよ?」
と、笑みを刻んでウラが答える。
まるで、共犯者めいた笑みを浮かべあう、少し淫靡な空気に、兎月原が戸惑えば、そんな兎月原の心情等、当然一向に解さずに、スタスタと玉座に近寄り、ウラは掌をベイブに差し出すと、「さぁ、一緒にいらっしゃいな。 中庭で、今から素敵なお茶会を執り行うのよ?」とベイブを誘った。
「お茶会?」
そう素っ頓狂な声を挙げる黒須に、チラリと視線を送り、その包帯だらけの姿をチラリと確認すると、「おまえも…なんだか気の毒だから誘ってやってもいいわ。 勿論、そちらのお二人さんもね?」とウラは言う。
顔を見合わせる三人を無視して、ベイブに視線を送るウラの手を取り、うっそりとした様子で立ち上がると「さて…そのような予定、私は聞いてはおらんのだが?」と、ベイブは半眼になって彼女に問い掛けた。
「予定? クヒヒッ! このあたしが此処にいて、そんな下らないものを立てられるとは思わない事ね? 人生はいつだってハプニングの連続よ? 予定調和の出来事なんて、反吐が出るほどつまらない。 楽しみましょう? 突然を。 サプライズは何時だって、歓迎すべき客人だわ。 その手を取り、ワルツを踊って見せる位の余裕が、おまえにも必要だとあたし思ってよ?」
ウラの流れるような言葉にベイブは、「ふむ」息を吐き出し「まぁ良い。 暇つぶしには丁度良いだろう」と言いながら、ウラと共に歩き出す。
「おい! ちょっと…ベイブ…ッ!」とヨタヨタとした様子で、後を追う黒須の姿を振り返り、ベイブは鬱陶しそうに眉を寄せると、大きな手を伸ばして、その体を支える。
「何だ?」と、面倒臭げに問うベイブに、黒須は、元より己の言う事なぞ、何一つ聞きはしない相手である事を思い出したのだろう。
自分でも何を言おうとしていたのか分らなくなったのか、「あー…いや…」と瞳を瞬かせて、兎月原と幇禍を振り返る。
そんな黒須の、助けを求めるような視線を見かね、「いや、俺も丁度喉が渇いた所だったから、是非お邪魔させて頂きたいね」と兎月原が言い、ウラに笑いかけた。
実際、胃袋は、天麩羅におでんと、かなり満腹状態なのだが、きつい酒を煽ったせいか、やけに喉が乾いて仕方がない。
ウラが年齢に見合わない、艶然とした微笑み返して「愉しみになさいな。 白雪が、張り切って準備をしてくれているわ」と答え、白雪に会いたがっていた幇禍も「白雪さんはそちらにおられるんですか? じゃあ、俺もお茶会に同席させてください」と言った。
黒須は、自分の客人二人も、お茶会への参加に対して異論がない事を確認すると、益々ベイブに言う事を無くしたのだろう。
無言のままベイブに視線を戻し、「何か言いたい事は?」と嫌味っぽくベイブに尋ねられて「ねぇよ」と唸るように答えた黒須に「それは良かった」とベイブは頷くと、身長差があるせいか、ずるずると引きずるようにして黒須を伴い歩き出し、「痛ぇ!! 痛ぇって! なんか、もうちょっと、せめて怪我人を気遣うっぽい感じで歩けよ!!」と、盛大に文句を言われていた。
「何…あれ?」と呆れたように言うウラに、「一応は、怪我してる黒須さんの手助けのつもりなんじゃないですか? 全く、逆効果になっちゃってますけど」と幇禍が答える。
「…というか、黒須さん、あんだけ身長差あったら、怪我に加えて肩の関節とかも、外れるんじゃないか?」と、黒須の悲鳴をあげる様子に少しハラハラしつつそうに言う兎月原に、幇禍は面白そうに視線を送ってくると、それから、心から純粋な提案であるかのように、「あ、じゃあ、あの時みたいに、黒須さんの事、運んであげたらいいじゃないですか。 ほら、お姫様抱っこで」とニコニコとして提案してきた。
こ の 野 郎 。
このタイミングでそれを言うか?
思わず睨む兎月原の視線など何処吹く風。
朗らかな様子の兎月原に、苦虫を噛み潰したような顔で「なぁ…幇禍さん…不可抗力って言葉を知ってるか? あの時の、止むを得なさと、俺の苦痛を知っての、その台詞なんだろうなぁ?」と低い声で問い掛けてしまう。
「いやぁ、だから、俺は、兎月原さんって、なんて犠牲的精神の上に行動できる、人なんだろうって感心してたんですよ」と幇禍が白々しい声で言うのを聞き、ウラは信じられないと言った調子で「え? おまえ、運んだの? お姫様抱っこで、あの蛇男を」と黒須の背を指差してくるものだから、ああ、そうだよ、あの蛇男を、心ならずも、俺は抱き抱えて運んでしまったのだよ!と、何だかやけっぱちな気持ちになる。
そして、兎月原が何ともいえない、なんか、もう、悲痛って言葉を絵にしたら、こういう顔なんじゃないかな?的な表情を浮かべてしまうのを見て、ウラに先程までの傍若無人な振る舞いからは想像できないしおらしさで、「えーと、なんか、地獄的に嫌な事を思い出させてしまってごめんなさい」と本気の声で詫びられてしまい、あまつさえ「災難だったわね」と心からの同情を示されて、何だか余計に落ち込んだ・
そんなかなり失礼な会話を三人が背後で繰り広げられているのを知ってか、知らずがノシノシと歩くベイブに引き摺られ、最早ぐったりとした状態になりつつ先を歩く黒須の、何とも惨めったらしい背の様子に溜息を吐く。
自分ならば、もう少し、巧く支えてやれるのに。
ぼんやりとそう思い、そんな自分が疎ましくて、言葉と共に浮かんだ感情には、名前を付けずに、そのまま兎月原は、再び心の奥不覚に沈め直しておいた。
『Chapter.V ガラクタで遊ぶ 』
さて、あと少しで中庭に辿り着くらしい所で、突然幇禍が、ある扉に目を止め指差した。
「あの扉って、随分と他の扉とは趣が違いますね?」
そう好奇心一杯の声で問い掛ける幇禍に、黒須が「んあ?」と言いつつ視線を向け、「ああ、ありゃ、ガラクタ部屋だ」と言って肩を竦める。
幇禍の言う通り、他の扉に比べて随分と大きな鉄製の両開きの扉がしつらえられているその入り口は、随分と目だって見え、重厚な扉の奥には何があるのか、興味を引かれずにはいられない。
「ガラクタ…部屋?」
そう言いながら首を傾げる兎月原に「ああ。 こいつが、暇にあかせて収集したは良いが、もう飽きちまってるようなもんを、詰め込んでおいてあってな…」と言いつつベイブを指差す黒須に、「主人を指差すな…」と不機嫌そうにベイブが眉を寄せれば、「うるせぇよ。 ほんっと、俺が来たばっかの時は、どんだけ、あすこに詰め込んだ玩具共に苦しめられたか…」と更に不機嫌そうな顔を見せる。
「特にあれ、よくねぇぞ? スイッチ入れたら、人でも何でもお構いナシに吸い込んじまうミニ掃除機とか!!」
「という事は、黒須さん吸い込まれたんだな?」
そう冷静な声で確認する兎月原を無視して、「触った瞬間、相手を捕獲して血を吸ってくる、吸血人形とか!!」と黒須が訴えれば、今度は「おまえ、血も吸われたのね…」とウラも呆れを隠し切れない声で呟く。
「あまつさえ、あれなんだよ!! ただの指輪に見せかけて、指に嵌めた瞬間石化って!! 石化する指輪って!!!」
「石化したんですね」
完全に半眼になっていう幇禍に、「見事な位に、全部に引っ掛かってな…」とベイブが、世間話位の温度で言う。
「違う!! 引っ掛かってんのは俺じゃねぇ!! 掃除機にスイッチ入れたのは竜子だし! 吸血人形に触ったのも竜子で、俺は、その目の前にいただけだ! 指輪だって、竜子が面白がって、俺に勝手に嵌めてきて…!!!」とそこまで言った所で、ガクっと項垂れ「えー? 俺、改めて振り返ると、凄い可哀想じゃねぇ?」と呻く黒須に、兎月原が「まぁ…そういう星の元に生まれたんだな。 あと、似合うし。 そういう役回りが、凄く似合うし」と全く慰めになってないながらも、黒須以外の皆の納得を得られるであろうフォローをいれた。
「で、そういった類のものは全部あそこに詰め込んであるんですね?」と何故か瞳を輝かせながら問い掛ける幇禍。
「んあ? まぁ、あんまり数が多いもんで、然程危険性が見当たらなかったモンに関しちゃあ、運輸会社スタッフの中で、PCが触れる人間に通販HP作らせて、売り捌いたんだけどな」
そう黒須が言った所で「見たいなー」と、幇禍が小さく小さく呟いた。
「は?」
「あの扉の中、見たいなぁ」
「はい?」と、黒須が首をかしげ、それから見る見る青ざめる。
「なぁ? 俺の、苦しみエピソード聞いてた? あん中にゃあ、結構洒落にならねぇモンが、しこたま詰め込まれてんだって!」
「ええ、でも、まぁ、正直、俺、黒須さん程、間抜け不幸キャラじゃないんで、絶対、そんな阿呆な目には合わないと確信してますし、事如くそういう目に合うのは、黒須さんの役目って…」とそこまで言って、照れたようにわざとらしく鼻の下を指で擦り、「へへっ!」と爽やかに笑うと、「俺…、黒須さんの事信じてますからっ」と、そう、何か良い事言ってる風に宣言する幇禍を黒須は死んだ魚のような目で「うん、お前が、俺の事、どういう風に見てるか、毎回、会う度に思い知らされてっけど、毎回、俺、落ち込むのは諦めが悪いって事なのかな?」と、首を巡らせ兎月原に尋ねてくる。
しかし、兎月原的には、心底下らないこのやり取りに下手に嘴を突っ込むつもりはサラサラなく、「うーん…どうでもいい!」と、親指さえ立てつつ、一刀両断し、黒須は涙目になりつつウラにまで視線を向け、全くの無表情で眺め返されていた。
幇禍が、そんな黒須の心情など、一切構わずに、ベイブに視線を送って「良いですよね?」と尋ねれば、何故、そこまで食いつくのか分らなかったのだろう。
「…別段面白いものは何もないぞ?」と、いや、さっきまでのエピソードを鑑みるに、どうしてもそうは思えないんだが?的な台詞をベイブが吐く。
とはいえ、面白い、面白くない以前に、そんな危険性の高いものに、自ら関わろうとする気持ちが、一向に理解できない兎月原ではあったが「だぁかぁらぁ、下手に触ると、命に関わるモンもあるんだって!」と黒須が言うのを聞いて、幇禍は、益々必死になったように「兎月原さん! ほら! 兎月原さんも、見たいですよね?! ね!」と、勝手な同意を求めてくる。
話を振られてしまったせいで、兎月原は三人の視線を受ける羽目になり、咄嗟に一番動揺の少ないウラに視線を向けてしまえば、彼女は溜息を吐き出し「そんなに気になるのなら、覗いていらっしゃいな。 何か気がかりを残したまま、お茶を飲んでも美味しくないでしょうしね。 でも、あたしは先に行くわよ? お茶が冷めたらイヤだもの」と、きっぱり告げた。
あ、その選択賢い!
咄嗟に黒須と、一瞬視線を交わして意思疎通させると、「うん、じゃあ、まぁ、俺も、折角ウラさんがご用意して下さったお茶が冷めてしまうのは本意ではないし…」と言いつつ兎月原は後ずさり、黒須も「…だな? ここは、まぁ、そういう事で…」と言いつつ、黒須はベイブから離れる。
お茶会を理由に、面倒事からの逃亡を、姑息に図るうさ黒コンビではあったが、今の状況を見れば、それも致し方ないだろう。
幇禍の様子を見れば、あの扉の向こうに足を踏み入れる迄は、この場所から、梃子でも動きそうにない。
ここに留まっていては、命懸けびっくり箱とも言うべき、あの扉の向こうに行かねばならぬ事態に巻き込まれるかも知れないと、…賢明な判断を下し、じりじりと後ずされば、「お前ら…コイツを、押し付けるつもりだな?」と、ベイブが低く唸るように見抜いてきた。
うーん、正解!などと、ここで、クイズを繰り広げる訳にはいかない。
「え? いや、押し付けるだなんて、そもそも、俺は無関係だし…」と、ある意味もっともな主張を兎月原がすれば、「まぁ、それに、やっぱ、この城の主のが、的確にあのガラクタ共の説明だって出来るだろうしな!」と、黒須が言い訳を重ねる。
幇禍が、「何ですか、みんなして、俺をお荷物みたいに…、そんな事言わずに楽しそうだから、皆で行ってみましょうよ! ほら、ウラさんも一緒に…って、あ……ウラさぁーん?!」と声を掛るに至って、ウラの姿が、傍にない事を確認する兎月原。
振り返れば、すたこらさっさと走り去る裏の背中が見えて、巧い事逃げられた!!と、悔しさを覚える。
黒須が、「こら! ちょっ! お前だけ逃げるなんてずるいだろうが!!」と叫べども、勿論戻ってくるわけはなく、まぁ、子供、しかも女性を危険地に赴かせる事を、兎月原もヨシとはしない性格なので、むしろ逃げてくれて安心したかもしれない…と、兎月原は考え直した。
「とにかく、俺らも、先、中庭向かうから…」と黒須が話している途中で、無表情のまま、鉄の扉を予告なしに開けるベイブ。
「つ!!」と悲鳴を殺して、逃げようとする黒須の腕をガシリと掴み、ずるずると、引き摺るようにして、「お前も来い」とベイブが言う。
幇禍はといえば、扉が開いた瞬間に、猫まっしぐら!!な状態で、扉の向こうに飛び込んでおり、命知らずもイイトコだなぁと思いながらも、黒須が「一人にしないで…」と視線で訴えてくるものだから、かなり鬱陶しく思いつつも、扉の向こうに兎月原は足を進めた。
薄暗い倉庫内、見回せば、如何にもおどろおどろしい、斧や、甲冑、物騒な武器の数々や、不気味な人形、意味の分らぬ装置、如何わしい薬品の類が、雑多に並べられ、放置されている。
幇禍は早速気になるものを見つけたのか、銀色の、玩具にしか見えない銃を持ち上げ、仕組みを調べるかのごとく、宙に掲げたり、弄繰り回したりした挙句、ひょいと、物凄く自然な仕草で、黒須に銃口を向けて、引き金を引いた。
ジジジジジジジ!と、電子音がし、銃口から、まるでSF映画に出てくるレーザー銃のように、光の光線が放たれる。
撃たれた黒須は「にぃぁああゃぁああああ!!!」と悲鳴をあげて引っくり返り、ピクピクと痙攣しながら失神した。
「…確か、それを入手した時は…、SF映画のあるシリーズに嵌っていてな、なんか、光線銃とか、カッコいいな…とか思って…手に入れた」
淡々と銃について説明するベイブの声を聞きながら、「え? 黒須さん放置で良いの?」と、ちょっとドギマギする兎月原。
こういうノリがお約束なの? 千年王宮!と、前回も、似たような戸惑いを感じたことを思い出しつつ、震えたままの黒須の頬を突けば、ビクリ!と跳ねるように起き上がり、「て、ててて、てめぇぇ!! らにすゆんだよぉ!!」と、痺れのせいか呂律も回っていない様子ながらも、フラフラと幇禍に掴みかかった。
そんな黒須にむかって「えい」と気合の入ってない声をあげつつ、今度は、銀色の銘柄の書かれてない缶詰をプシリと開ける。
するとビョーン!と物凄い勢いで、黄緑色の大きなスライムが飛び出し、ずるん!と黒須に圧し掛かった。
「みぎゃあ!!」と叫びながら再び引っくり返る黒須。
ずるずるとスライムに圧し掛かれ、「@:#☆%&?!」と声にならない声をあげる。
「あー…リアルスライム缶だ、それは。 確か、ゴールドスライムが入ってる缶詰も…あってな? それが当たりらしいのだが…終ぞ引き当てられなかった…」と少し残念そうにベイブは言い、無感動な表情で、何とかスライムから逃れようと足掻く黒須に「早く逃げ出さないと…そろそろ溶解が…始まるぞ?」と注意する。
「えーと、溶解って、溶けるってことであってるよな?」と兎月原が問えば、「ああ、一般家庭のゴミも…残さず溶かしてくれるそうだから…エコが叫ばれる昨今…世に出せば中々重宝されるかもな…」と、何だか呑気な答えが返ってきた。
ぎゃー!だの、ひえー!!だの喚き声をあげながら、何とかスライムから抜け出し、ズルズルと地面をゆっくりと這うその姿を嫌悪一杯の表情で眺めつつ、服が既に所々解かされて、「あれ? ボロ雑巾の妖怪ですか?」と問いたいような姿になっている黒須。
必死の声で、幇禍に向かい「もう、なんも触るな!! 是非、何も触るな!! 大人しくしてろ!!!」と訴えども、「えー? それって、お笑い芸人さんが、『やるなよ? やるなよ?』って前フリしといて、罰ゲーム喰らって、実は美味しいみたいな、そういう流れですよね?」と無邪気に確認を取られ、「ちーーーがーーーうーーー!!」と地団駄を踏む。
「なんで! お前と!! 俺は!! こんなに会話のキャッチボールが出来ないんだ!!」と言う黒須に、「多分黒須さんが心を開いてくれてないからだと思うな。 ほら、オープンユアマインドですよ?」と言いつつ、今度は、変な装置のスイッチを、無防備にポチっと押した幇禍。
その瞬間「ウィーーン」と如何にも不穏な機械音が響き渡り、突然シュルシュルシュルっと、機械の触手が、黒須に向かって一目散に伸びていく。
「ひーーああああーー!!」と叫びながら逃げようとする黒須を呆気なく捕まえ、絡め取り、体中を擽りまわしたり、そこらかしこを引っ張りまわしたり、どついたり、沢山の銀色の機械の腕に捕まって、笑い声や、悲鳴を上げさせられまくっている黒須をぼんやり眺めつつ、「あれは、何なんだ?」とベイブに聞けば、ベイブは暫し首を捻り、それから、ポンと手を叩くと、「ああ、確か…、被験者の健康状態を外部刺激に対する反応により…診断、記録する…、自動健康診断装置だったような気がする…」と答え、「とはいえ、ありと、あらゆる外部刺激を与えてくる…ものだから、健康診断中に…失神状態に陥るものが多くてな…扱いも…かなり乱暴だしという事で、自分で使う前に…仕舞い込んでしまったのだ…。 随分久しぶりに、起動しているトコを見る」と何だか懐かしそうに言う。
「やめっ!! ぎゃ!! ぐあ!! 痛ぇっ!! 痛ぇぇって!! ていうか!! ちょ!! うあ!! 誰か!! 助け!!」ともがく黒須を眺めつつ、黒須の災難の引き金を悉く引いた幇禍に視線を送り、「…確かに、ああいう目に合うのが宿命って感じするな。 黒須さんの」と疲れた声で言えば幇禍は、ニコニコと笑いつつ「でしょ?」と頷いて、「じゃあ、次は、何を試そうかなー?」と、また嬉しげに周りを物色し始めた。
そんなこんなで、それから暫く、悲鳴を聞かされた後、完全にボロボロになった姿で、何とか倉庫の外に這い出た黒須。
「う…うう…うう…」と半泣きになって呻きつつ、涙の滲んだ目で三人を振り返り「ていうか! このメンツが、そもそも、嫌だ!!」と今更な事を訴えてくる。
まぁ、基本属性「ドS」の三人を前に、不遇をかこつのも、黒須のお約束というしかないだろうと兎月原は勝手に判断し「はいはい、散々愉しんだだろうから、そろそろ、中庭に行こうな?」と、まるで、黒須の趣味に付き合わされたか如き口調で言う。
幇禍も「思う存分堪能しましたし、もう、満足ですよね?」と、自分で望んだ探索にも関わらず黒須に同意を求め、ベイブが「下らん見世物だった」と言うに至って、黒須は「だ…ダメだ、このメンツと一緒にいても未来が見えねぇっつうか、明日も見えない、そもそも、目の前すら見えない…」と呻き、よろよろと立ち上がる。
ベイブが再び、黒須に手を伸ばし、ずるずると引きずるようにして歩き出すのを眺めると、本当になんておかしなコンビだろうと、呆れて眺めずにはいられない。
息が合っていないようで、それでも何処か重なっている。
羨ましいと思いかけ、羨む理由が何一つないのだと、思い至り、黒須に随分言われ慣れた台詞のお返しに心の中で「変な二人」と呟いておいた。
かなり麻痺してきたとはいえ、東京中の何処を探しても、見つからないであろう馬鹿げていながらも、奇妙なアイテムの数々に、興奮を覚えはしたが、それより、立て続けのカルチャーショックに疲労感を覚えてもいて、早くお茶を飲んで休みたいという気分になる。
幸い、程無く辿り着けた中庭に、足を踏み入れた瞬間、兎月原の目に入った光景は、想像以上に美しいものだった。
『Chapter.W 薔薇のお茶会 』
小さな小さな、マシュマロ大の白い薔薇の形をした雪が天井から降り注いでいた。
その雪は触れても冷たくはなく、フワリとした光を放って消えていく。
パウダーローズスノウ。
後ほど教えて貰った名前だが、聞いた時には、名前からして美しいと兎月原は感嘆した。
そんな雪が、ゆるり、ゆるりと降り注ぎ、黒い蝶が薔薇園内を飛び交っていた。
演奏者のいない、楽器のみの楽団の奏でる音色があたりを満たし、黒いベンチの上、どれだけ不思議を見慣れても、やはりぎょっとせざるえない首だけで体の見当たらない少女が、小鳥の如き澄んだ歌声で歌っている。
美しいキャンドルが、銀燭代の上に乗り、そこらかしこに浮き上がって、暖かな光を灯していた。
薔薇園の薔薇は、全て白色に変じ、蝶の黒と薔薇の白のコントラストは鮮やかで、虹色の水を噴き上げる噴水のすぐ傍に、大きな丸い黒檀製のテーブルが用意されていた。
真ん中に、白い薔薇が飾られたそのテーブルには既に、美味しそうなお茶菓子が所狭しと並べられている。
薔薇園の薔薇は、全て白色に変じ、蝶の黒と薔薇の白のコントラストも鮮やかな、美しい光景に兎月原はただただ溜息を零した。
視線を向ければ、チーコの件で一緒になった、小学生ながらに怜悧な頭脳を誇る天才少女、飛鷹いずみや、先ほどさっさと逃げ出したウラの姿も目に入る。
いずみとの久しぶりの邂逅を嬉しく思えば、それは彼女も同じらしく、立ち上がって挨拶をしかけ、彼女は何故かピシリと硬直した。
何かおかしい事があるだろうか?と思い巡らせ、ふと隣に立つ、黒須の惨状に思い至る。
確かにこの姿には、ぎょっとして然るべきかもしれないと納得すれども、冷静な彼女にしては、同様が激しすぎやしないか?とも、考えてしまう兎月原、
幇禍が、穏やかな表情を浮かべて、いずみに手を振り「あ、いずみさん! お久しぶりです〜」と、挨拶している。
幇禍といずみは、知り合いなのか…と、多分興信所を介して知り合ったのだろうと推察しつつ、硬直したまま手を振り返すいずみの表情が、益々強張るのを視認して、兎月原は、疑問を深めた。
「…よくも…一人だけ…逃れやがったな…?」と、そのまま「祟りじゃあ〜〜」等と言い出してもおかしくない風情で黒須がウラに詰め寄っている。
その形相に、爬虫類+不気味人相のコンボにて、兎月原は極めて激しい嫌悪感を覚えども、思った言葉がそのまま口に出てしまうらしいウラは無表情に、「唯でさえ、良くない人相が、最早、MAXレベルでヤクザ状態になっていてよ?」等と怖いもの知らずに告げている。
「おっまえ…凄かったんだぞ? 阿鼻叫喚ぞ? 俺は、もう…うっかり、前章にて、人生最大の命の危機を何とか免れたのに、まさか此処で、俺…此処で、死ぬのかな…?って切ない決意を固めたんだからな!!」
そう必死に訴える姿いずみが、真顔で「あの…黒須さん…必死すぎて、鬱陶しいです」と告げたものだから、撃沈!と言わんばかりに黒須は崩れ落ちる。
そんな最中、この城の最後の住人竜子がトイレ帰りなのか、「迷ったー!! やばかった!! ありとあらゆる意味で、人間としてやばかった! 具体的に言えば、最終的にはチョイ漏れっていう、セーフかアウトかでいったら、うーん、ギリギリアウト?な結末を迎えざる得ない位やばかった!!」と、女子として、もう、終了宣言をかましているのと同じ位の台詞を吐きつつ、中庭に姿を現し、そして、突如増えている人数に目を見開く。
「あっれ? 幇禍! それに、兎月原さんも、来てたのかよ」と、竜子が言えば「俺が連れてきた」と言いながら、黒須が手をヒラヒラさせる。
だが竜子はその台詞より、満身創痍の姿に目を見開き、「…どーなってんだ? あれ?」と黒須を指差しながら竜子がベイブに問えば、何ごとか説明しようとして、明らかに面倒臭くなったという風な表情で「…あいつの趣味だ」と真顔で答え、その答えに「ふうん」と竜子が、物凄く即座に納得すると「ほどほどにな?」と何か、もう、若干いたわりの表情すら浮かべつつ、慈愛の篭った声を掛けた。
「うん、やめてくれ。 また、無駄に、信憑性が高い誤解を蔓延させるのは、心からやめてくれ」と、黒須が本気の声でベイブに頼んでいる。
もう、そこら辺は諦めろよ…と、他人事なので、かなり薄情な事を黒須に対して感じつつ、火傷や、痛々しい傷跡が目立つながらも、竜子が変わりなく元気そうである事に安堵を覚える。
どうにもこうにも、見ていると、野生の狸を観察しているような、微笑ましいような気持ちにさせられて、頭をくしゃくしゃと掻き混ぜ、ぎゅうっと抱きしめてやりたくなるような、レディに対する態度にはあるまじき行為をしたくなるのだが、兎月原の性質上、心配げに「竜子さん、お怪我の様子はいかがですか? その美しい顔に傷がついてしまった事は、俺にとっても、凄く心に痛い出来事なのですが、まさか、傷か残ったりとかはしませんよね?」と、問い掛ける事のみで、甘い声にヤられたらしい竜子が頬を染めながら「おう! 大丈夫! ちゃんと治るって。 心配してくれて、ありがとうな」と礼を言う姿を見て、また、撫で撫でくしゃくしゃしてやりたい気持ちに襲われる。
きょろんと見上げる、垂れ気味の大きな目を見て、衝動を抑えつつ、それでもゆっくりとその頭を撫で「それは、本当に良かった…」と心から言えば、益々嬉しげに笑って、「うん、兎月原さんも、無事でよかった」と竜子は言った。
そして、不意に視線を逸らし、下に向けると「あっれ? 白雪?! あんた、なんでこんなトコで寝てんだよ!」と不思議気に喚く。
竜子と同じ方向に視線を向ければ、確かに白雪が引っくり返ったまま倒れていて、竜子の声に「う…ううん…」と、眉を寄せ、そう呻きながら起き上がる。
一体何事があったのか?
何かの脅威が、この城に侵入しているのでは?などと心配しつつ見守って入ると、唐突に、ウラがスクッ!と立ち上がり、「さぁ! あたしのお茶の時間はお仕舞い! さっさと、図書館に言って、レポートを仕上げなくてわ! おまえたちはゆっくりしていくといいわ?」と言いつつ、スタスタと歩き始めた。
その余りに慌てた様子に、ポカンと呆気に取られると、いずみが、震える足で立ち上がり、「ちょっ! ウ…ウラさん?!」と悲鳴めいた声をあげる。
どうも、白雪の惨状には、この二人の少女が一枚噛んでいるらしいと見当をつけた瞬間だった。
ひたり
と、完全に怪談めいたおどろおどろしさで、白い手でいずみの肩を掴み、静かな、静かな、だからこそ恐ろしい声で「逃がしませんよ…?」と耳元に囁く。
うん、すげぇ、怖い。
まさか、ここで、「怪談」とコンテンツ名を冠されるに相応しい状況が見れるとは…と慄きつつ、頬に白い髪が垂れ掛かり、壮絶な眼差しをしながら半身を起こした白雪が、ウラの後を追おうとしていたらしい、いずみの肩をむんずと捕まえる様に背筋が粟立つ。
「…ひっ!」と小さく悲鳴をあげた、いずみの声に振り返ったウラが、赤子ならば即座に息の根が止る程の恐ろしい表情をした白雪から、クルリと顔を背け、竜子の腕を引っ張り、「図書館! さぁ! あたしを図書館につれてって!!」と言いつつ、小走りに駆け出した。
また 逃げた!!!
その逃げ足の速さは、保護者譲りというべきか?
あっという間に姿が小さくなっていくウラに取り残されたらしいいずみは、倒れんばかりの風情になりつつ、パクパクと口を開閉させて、震える手を虚空に伸ばす。
「あ…?! え!! いや、あたい、まだ、あの、クッキー、喰えてないんだけど…」と名残惜しげな竜子声が微かに聞こえた直後、「ウゥゥラァァお嬢様ぁぁぁぁ???!!!」と、「こーれは、地獄の釜の蓋が開いたな。 お盆シーズンとか、無視して、地獄の釜から、この声が聞こえている事は間違いないな」と言わざる得ない、白雪の怨嗟の声が響き渡る。
心臓の弱い方なら、ここで、心停止も已む無しボイスに兎月原も、完全に竦みあがりつつ、一体、どういう事なのか、わけが分らず、兎月原は事態を眺め続けた。
その後、皆席に着き、何とか一息吐いた後、いずみが説明してくれたのは、「ウラが、『白雪姫ごっこ』をしてみようと、ちょっとした悪戯のつもりで、アップルパイに電撃を仕込んだら、思いの外、威力があってこんな事態になってしまった」という、何とも、微笑ましくも、かなり危険な悪戯の概要だった。
つまり、魔女役のウラが、童話にならって、アップルパイに電撃の仕掛けを施し、それを口にした白雪が、為す術もなく痺れ、倒れる羽目に陥ったという事らしいが、チーコに纏わる旅で目にした、いずみの大人っぽい様子からは想像できない、悪戯内容に、兎月原は違和感を覚える。
まぁ、しかし、白雪はそれで納得したらしく、「…そんな…下らない悪戯で…私をこのような目に合わせる等と……」と、言いながら、どうも倒れた際に出来たらしい瘤を撫で擦りつつ、「ウラお嬢様には、お仕置きが必要なようですわね」と言ってひっそりと笑う。
その瞬間、ベイブを除くテーブルについている人間が一斉に目を逸らさずにはいられない程、怪談めいた幽気が白雪の周囲に立ち上ったのだが、あえて誰も触れないあたり、皆、同じ気持ちを抱いているという事なのだろう。
本当の理由は何にせよ、いずみ程賢い女性なら、おいそれと馬鹿な理由で、そんな所業をしでかしたのではあるまいと兎月原は判断し、追及はあえてしない事にした。
いずみがテーブルの向こう側にあるお菓子を求め、手を伸ばしているのを目にし、兎月原が立ち上がって長い手を伸ばし、綺麗に皿に盛って微笑みながら手渡す。
「ありがとうございます」と礼儀正しく礼を述べられ、その声音や、言葉遣いの美しさに感銘を受けながら「いえいえ。 どういたしまして」と、微笑めば、「う…」と、呻いて、いずみは微かに頬を染めた。
「どうしたの?」と、少しだけ、からかうような気持ちで首を傾げれば「何でも…ないです…」と呟くように返される。
幇禍は「このお茶美味しいですねぇ…」なんて、呑気な事を言いつつ、確かに、甘みのある芳醇な香りが口いっぱいに広がる上等な紅茶の味に、兎月原も酔いしれていると、何だか、いずみが落ち着かなさ気に目を泳が手いる様子に、目敏く気づいた。
何ていったって、今は、白雪も所用だとかで席を外しており、女性はいずみ一人しかいないのである。
当然兎月原の全神経は彼女に注がれる事になり、即座に、「大丈夫?」と言いながら、顔を覗き込めば、血の気のない顔色のまま、「あ…大丈夫…です…」といずみは掠れた声で答えた。
「何だか、ちょっと体調が悪くて…」と小さく呟くいずみに、確かに加減が優れないようだと思いつつ、そんないずみの言葉に目を見開いて、「そりゃ、大丈夫じゃねぇだろ」と言いつつ、黒須が傍に寄ってくる。
次いで、ベイブも、いずみの傍らに立って、思案気な表情を見せ、「…折角、久しぶりに遊びに来てくれたから、ちょっとのんびりしていって貰おうかとも思ってたんだがな…」と言いつつ、視線を緩めて黒須が言えば、「無理はいかんだろう。 風邪でも引いてしまっては、可哀想だ」とベイブが呟く。
他の面々も、紅一点、見るからにあどけなく、愛らしい少女の様子は、気にしていたらしい。
あっという間に取り囲まれ、小柄な体を更に縮めて、目を白黒させるいずみ。
幇禍が綺麗な掌を、ゆっくりといずみの額にあて「熱はないようなのですが…」と言いつつ、「でも、顔色は確かに悪いですし、大事をとったほうが良いでしょうね…」と頷くと、「いいですよ。 俺、いずみさんの事送っていきます」と、言ってくれた。
彼が送ってくれるのなら、心強いと安堵する兎月原。
「玉間に向かえ。 準備が整い次第、外界に送ってやる」とベイブが言い、幇禍が「じゃあ、申し訳ないんですけど、兎月原さん、いずみさんを連れて、先に向かってて貰えます? すぐに後を追うんで」と幇禍が言った。
勿論、即座に兎月原は頷いて、大事な壊れやすい女性の体を扱うのだからと、宝物に触れるかのような手付きで、慎重にいずみを抱き上げる。
兎月原の突然の行動に、「きゃあ!」と小さく声をあげ、咄嗟に兎月原にしがみ付く姿の愛らしさに「ああ、驚かせちゃった? ごめんね?」と言いつつ、思わず「…やっぱ、黒須さんと、全然違う…」と、しみじみ呟いてしまう。
耳聡く、兎月原のぼやきを聞き逃さなかった黒須は、「いや、一緒だったら、すげぇ怖ぇよ!」と、怒鳴ってきて、一度肩を竦めると、気分が優れぬ女性を抱きかかえている関係もあって、振り返ることもなく、とっとと中庭を出て、玉間に向かう。
男の当然の義務として、道中も、兎月原は、何かといずみを気遣っってやると、「ごめんなさい。 私が素敵な大人の女性じゃなくて…」と何故か、いずみに詫びられた。
兎月原は、心底意外なことを言われたものだから、目を見開き、それから首を傾げると、「…君は、素敵だよ」と真顔で言う。
いずみは、途端赤面し、「す…素敵じゃないです。 子供です。 色々未熟で、分ってなくて、それでも、大人に憧れて…成長したいって、こんな自分から、変わりたいって足掻いてる、子供です…」とむきになったように訴えてくるので、何故、彼女がそんな風に卑屈になっているのか一切理解できず、「変わらなくて良いよ」と、兎月原は、即座に答えていた。
「そのままでいいよ。 充分、君は素敵だよ。 どうして、焦ったの? 大人とか、子供とか、実は、この世では、そんな線引き大した事じゃないって、俺は思うな。 いずれ、時が経てば、飛び越えられる境界線なんて、然程重要じゃないだろう? それよりも、素敵か素敵じゃないかが、大事じゃないか? みんな、素敵を欲しがってる。 君は、それを、その手に一杯抱えてる。 君は素敵だ。 他の女の子がみんな羨むくらい素敵だ。 ねぇ、いずみさん。 それ以上に、君は自分に何を望むの?」
つらつらと口から出る言葉は紛れもない本心。
この兎月原、女性の褒め言葉の中に、偽りの台詞等、一度たりとも混じらせた事はない。
だからこそ、女性は皆、彼に夢中になるのだが、いずみは目を見開いたまま、兎月原の言葉に、口を噤み続ける。
その内、玉間に辿り着き、壁際に置いてある柔らかな猫足のソファーにいずみをそっと降ろしてやりながら、「もう少し、君は、自分に優しくなっても良いと俺は思うよ? 今の君を、肯定的に認めてあげなきゃ、毎日頑張ってる君自身が可哀想だ」顔を間近に寄せて囁き、益々赤くなったいずみが、「あー」とか「うー」とかしか言えなくなってしまった様子を興味深げに眺めてしまった。
どれ程大人びて見えても、やはり10歳。
兎月原の、大人の魅力を前に、完全にノックアウト状態になってしまっているらしく、いずみは、「そ…そうでしょうか…?」と辛うじて、それだけ呟く。
だけど、兎月原は、例え相手が子供でも、女性ならば容赦せず、「俺の言葉が納得できないって言うのなら、今から君がどんなに素敵か、全部言葉にして教えてあげようか? 毎日だって、君の耳元に囁いてあげられる。 君が降参!って、白旗上げるまでね?」と、とっておきの甘い、甘い声で囁いて、いずみはとうとう涙目になりながら、「もう…降参です!」と、震える声で兎月原に敗北宣言をした。
ゆったりとした笑みを浮かべ「よろしい」と言っていずみの頭を撫でる兎月原。
「あれ? お邪魔でした?」なんて、傍目には完全に小学生児童を口説く、いけないおじさん状態になっていたらしい兎月原に、からかうように幇禍が言いつつ、玉間に現れたものだから、いいところだったのに…なんて、危ない不満を感じつつ、「邪魔だよ。 折角、お姫様を誘惑してる真っ最中だっていうのに」と答えて兎月原は立ち上がると「とはいえ、俺程度の男には、これ程の女性は靡いてくれそうになくってね。 騎士役は譲るから、無事、この子のお城まで届けてやって下さいね」と幇禍に告げる。
「はい、了解です」と幇禍も笑って答えてくれたので、再び中庭へと戻る為に、兎月原は玉間を後にした。
『Chapter.0 宣戦布告 』
そろそろ、自分も外に返して貰おうと考えつつ、中庭に足を踏み入れかけ、ベイブと黒須が、少し笑い合いながら、何ごとか喋りあってる姿に、立ち入る事を躊躇する。
本当に俺は変だ。
ぼんやりと立ち尽くし、ベイブと黒須を眺めながら、さて、どうしたものかと思案に暮れる。
何を思案しているのか、どうやって声を掛け、外に出してもらおうと思案しているのか、それとも、これからの千年王宮との関わり方を思案しているのか…。
自分でも、何を考えているのか分からない。
ただ、黒須が、不意に此方を見て、手を振り、微かな笑みを自然でいてすら陰険な表情の上に浮かべた瞬間、呪縛が解けたかのように、足が動き出し、吸い寄せられるように彼の傍へと歩み寄る自分を、客観的に眺めつつ、とりあえずは、これから黒須に、どう相対していくか、どういうスタンスを取り続けるかを、最初に悩もうと心に決めた。
外界は、冬。
乾いた風が、肌を切り裂くように吹き荒んでいるのに、城の中には、その寒さは一切存在せず、触れても温度のない薔薇の形の雪が、空のない中庭に振り続けている。
異常だ。
兎月原は、具体的な何かを思って感じるのではなく、ただ、端的にそう断じる。
異常だ。
この世界は。
温度のない世界の主は、手当たり次第に興味を引くものをかき集め、今は、黒須と竜子を傍に置いて、落ち着いている。
兎月原は夢想する。
この異常な世界から、黒須と竜子の手を引いて、まるで騎士の如く、ベイブの手から、彼らを救い出す自分の姿を。
だが、その自分の姿は、ドン・キホーテよりも滑稽に思えて、ベイブの隣に立つ黒須の姿を恨めしげに眺め、深い、深い溜息を零すこと以外何も出来ない自分を、情けなく思うのだった。
ベイブの、虚ろな目が、兎月原をゆるりと眺める。
不意に、ベイブが「お前、私が嫌いだろう?」と問い掛けてくるものだから、兎月原は、何の準備も出来ぬままに、素直に「ああ、大嫌いだ」と答えてしまっていた。
それが、これから始まる、二人の確執の切っ掛けとなる、兎月原からベイブへの、宣戦布告の合図になった。
fin
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【3427/ ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2414/ 鬼丸・鵺 / 女性 / 13歳 / 中学生・面打師 】
【1271/ 飛鷹・いずみ / 女性 / 10歳 / 小学生】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
少数受注ノベルという事で、私の集合ノベルとしては、いつもの半分の、5名受注にて書かせて頂いたにも拘らず体調不良等の事情により、納品が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。
これに懲りずに、また、お会いできます事を心より望む次第です。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです
momiziでした。
|
|
|