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お願いBaby!【2nd_Season】
〜OP〜
嗚呼、嗚呼、嗚呼、こんな場所に来てしまって。
君は…トム・ソーヤか…それとも、アリスか?
君の好奇心が、この王宮の扉を開く鍵となったのか?
無邪気に、さまよい歩いて此処まで来たのか?
ならば、猫をも殺すの言葉通り、その身を一思いに喰らうてやろうか?
それとも…、
違うのか?
切なる願いを抱えているのか?
それは、千年の呪いに匹敵する願いなのか?
動かしてみよ。
私の心を。
君の言葉が、私の心を動かせば、或いは…。
嗚呼、或いは、この王宮で飼っている、大事な「奴隷」を貸してやらない事もない。
それとも、この孤独の王の力、奮ってやらない事もない。
さぁ! 言葉を!
私の退屈を癒す言葉を………頂戴。
【本編】
『 前口上 』
ご存知の通り
人の世の常を一切理解しない身の上でして
我が身が一体如何なる生き物かさえ
思いを巡らせたことすらございませんでした
哀れな身の上よと
教えてくれる者もいるわけでもなし
己の振る舞い その全て
誰に咎められた事も
褒めやされた事もございません
道理を何も知らぬ 不調法者でございますが
世間を恨んだ事は一度もありません
恨めるほどに 世間の事なぞも 何一つ分ってはおりませんでした
ただ 流れ流れて辿り着いた果てに
あの人がいてくださったので
あの人の為に 今日まで生きてくる事が出来ました
ですので
なんの不思議もないんですよ
あの人を殺すことも
守る事も
然程変わりはないのです
今まで生かされて参りましたので
今から殺すのです
今まで守ってまいりましたので
今から殺すのです
世にある全ての物事に 表と裏がございます
どちらも 真理
愛しているから殺すのです
愛されたいから殺すのです
誰も 教えてくれはしなかった
人の愛し方なんて
狂ってるって人は言うけど
俺が狂ってるのか
世界が狂ってるのか
どっちが正しいかなんて 誰が断言できる?
『 第一章 はじまり の おわり 』
闇の中で瞬く
1・2・3
いたずらに瞬きの数を数え、少しはしゃいだ。
きっと鵺は喜んでくれる。
それは気が狂ってるとしか言いようのない確信。
「まぁ! 素敵だね! 幇禍君! これまでくれたどのプレゼントより気が利いてるよ? そうなの、実は鵺、ずっと待ってたの!」
貴方ガ 鵺ヲ 殺シテクレルコトヲ
あの美しい額に赤い穴を開けてあげたい。
鵺が幸福そうに笑って事切れる情景ばかりが浮かんでくる。
そうしたら、すぐに、俺も後を追うんだ。
だって、今までずっと一緒にいたんだもの。
これからだって ずっと一緒だ。
死ぬ事は恐ろしい事だなんて、誰も幇禍に教えた事はなかったし、常識として有していても、彼にとって到底実感を伴えるものではなかった。
殺されたって死なない幇禍には死の概念も、命の貴さに対する認識も、芽生える事はありえない。
そういう風に造られた、不憫な生き物なのだから。
死なんて、有り触れてて、殊更特別視するものでもなくて、だから、純粋に、何の違和感もなく、自分のアイデアを素晴らしいと賞賛できた。
一緒に死ねば、一緒にいられる。
どうして、今まで気付かなかったのだろう?なんて、幇禍は自分の愚かさに、思わず声をあげて笑いそうになる。
殺意の源は、愛情だった。
メサイアビルの屋上で、とうとう彼が捕らわれた『理』の干渉は、幇禍自身をではなく、ただ、鵺に向かう感情のみを歪ませていた。
愛しているから殺す。
それが今の幇禍の不文律。
誰の言葉も届かない。
理屈も道理も通用しない境地に立ち、息をするより切実に鵺を求めて、幇禍は今、自らの住処でもある屋敷を目指して車を飛ばしていた。
幇禍が出張の際や、別の仕事に関わって、屋敷を留守にする際は、帰り際に「今から帰るコール」をするというのが、幇禍が無理矢理のようにして取り付けた、二人の間の約束事だった。
まるで、新婚みたいだから。
そんな理由を付けはしたが、どんな時でも、どんな理由をつけてでも、鵺の声を聞きたいなんていう、健気な想いが主な理由だ。
年齢的な問題もあり、未だ婚約者という間柄から進展しない事を寂しく思っての、幇禍の我が儘でもあった。
今日も、千年王宮の騒動に巻き込まれ、済し崩しに首を突っ込む事になったメサイアビルの騒動後、突入してきた警察の目を掻い潜り、ビルの外へと脱出した直後に、鵺に連絡は入れてある。
「今から、帰ります。 良いお土産は手に入らなかったんですけど、もっと素敵なものをお嬢さんに差し上げられそうなので、楽しみに待っていてください」
受話器越し、ありったけの愛情を込めてそう言えば、鵺は、まるで本気にしてないかのように「ほんとー? つまんないものだったら、英語の課題免除だからね?」と、笑い声交じりで言ってきて、早くお嬢さんを驚かせてやりたい…!なんていう、幇禍の気持ちを更に掻き立ててくれた。
これで、何があってもずっと一緒にいられるようになるのだもの。
きっと、お嬢さんも喜んでくれる。
キメラが皆殺されてしまった時は、手ぶらで帰る羽目になるかと、随分がっかりしたものだが、それ以上の戦果があった。
鼻歌交じりに、屋敷に程近い場所にある空き地に車を停め、軽快な足取りで気配を殺して、裏口から忍び込む。
取り立てて深く考える事なく、幇禍は「殺し屋」のやり方で、屋敷に侵入していた。
だって 気付かれたら 逃げられるから。
喜んでもらえると確信しながら、逃げられる事を防ごうとする。
矛盾なんてない。
だって、お嬢さんは肝心な時に、いつも俺の前からいなくなってしまうのだもの。
いつも、いつも、俺は彼女を追ってばかりで。
だから もう 逃がさない。
足音を殺し、気配を殺して懐に忍ばせてある銃に手を伸ばす。
細く開いた扉の隙間。
向こう側に、月灯りを背にして真っ黒な影となっている鵺が、月に向かって、白い指を翳す。
薬指には、紅いスタールビーの輝き。
幇禍が、彼女の指で輝かせたいと心底願い、手に入れる為に、途方もなく苦労した、六条の星が輝く紅玉が、キラキラと赤い光を放っている。
鵺が、まるで、扉の向こうに、幇禍がいる事を見通しているかのように、心からの声で囁いた。
「大好き」
ああ、やはり、お嬢さんも、俺と同じ気持ちだった。
「私もです」
堪らずに答えてしまった。
顔をこちらに向ける鵺の姿に、失敗した、何も言わずに撃ち込んで、驚かせてあげるつもりだったのに…と、自分の迂闊さを恥かしく思いつつ、「すぐ、一緒の場所に行きます」と、笑顔で告げる。
躊躇はなかった。
微塵も。
引き金を引いてパンッ!!と、銃声が響くより早く、鵺が背後にある窓に背を倒して、仰向けになりながら外へと「落下していく」。
目を見開き、窓に駆け寄る。
ああ、やっぱり、貴女は逃げるのか!
同じ気持ちの筈なのに、俺に背中を向けるのか!
目の前を黒い影が物凄いスピードで飛び上がり、羽ばたいていく。
大きく広がる黒い羽。
堕天使みたいに。
星空の下で。
堕天使みたいに、あなたが飛ぶ。
嘴のついた黒い面を被った鵺が月明かりの下、夜空を一直線に駆けていく。
妖怪の面。
自作の面を身につけることで、打たれた面の対象者の能力を行使出来るようになる鵺が、『鴉天狗』の能力を継承し、幇禍の手の届かぬ場所へと飛んでいく。
「行かないで」
小さな声で呟いた。
置いていかないで。
どんどん変わっていく鵺は、日に日に美しくなっていく。
言動にも変化が見られ、まるで、命の価値を知ったかのように、命の価値を認めたかのように、彼女は幇禍の知らない「優しさ」を持つようになった。
いやだ
いやだ、いやだ、いやだ
目の端に涙が滲む
お嬢さん 置いていかないで
俺にはお嬢さんしかいないんです
世界の全てがお嬢さんなんです
置いていかないで
俺は迷子になってしまう
鵺が、不意に制止して、こちらを振り返って優しい声で「おかえり」と言った。
手を伸ばす。
届かぬと知りながら。
星を掴もうと足掻く子供のように精一杯幇禍は手を伸ばす。
「じゃあ、行ってきます!」
元気の良い声で言う鵺に「何処へ?」と、思わず問い掛ける。
まるで、鵺のいつもの我が儘に、困り果てているかのような声で。
日常と、全く同じトーンの声で幇禍は、「何処へ行かれるんです?」と重ねて問う。
実際、普段の延長線上にある出来事のつもりだった。
こんな事はしょっちゅうで、いつだって、鵺は幇禍から逃げ回る。
だが、幇禍は、その原因を、自分が鵺の殺害を企てているからだとは、微塵も思ってはいない。
鵺が、幇禍を気紛れに困らせようとしているのだと思い込んでいる。
死を特別に思わぬ故に、この出来事が特異な事態だと認識できていない。
ただ、何故、折角素敵なプレゼントを贈ろうとしているのに、鵺は逃げてしまうのか、いつもの気紛れに相対しているかのように、幇禍は、ただ、困惑していた。
それすらも、幇禍にとっては日常。
鵺に困らされるのも、幇禍が良かれと思って彼女の為に取る行動から逃げられるのも、意味の分らぬ事を言われて、戸惑わされる事すら、全て日常。
左手の薬指に嵌めた、ブラックオパールの婚約指輪が暗い光を放っている。
こんなに愛しているのに、いつだってお嬢さんは分ってくれない。
不満と寂しさと、そんな彼女を可愛く思う気持ちがない交ぜになり、嗚呼、早く殺したい! あの人を殺して、この腕に抱きしめたい!という爆発的な狂った殺意が、幇禍の中で暴れ回る。
鉛玉を、ぶち込んで、息の根を止める。
愛の証さと、嘯きながら、銃口を加えて軽快に引き金を引くつもりだった。
叶う事なら、鵺の手で死にたかったのだが、彼女は、先に自分の手で殺してしまう以上、自分の始末は自分でつけねばならない。
まぁ、そういう最期も自分らしいなんて、幸福に思う。
何しろ、死に際の、腕の中。
最愛の人がいてくれるだなんて、望むべくもない最期だと思えたし、それ以上の我が儘なんて、無欲な幇禍は言うつもり等、微塵もなかった。
鵺が、天使のような笑い声をあげる。
挑発するように、試すように、望むように、祈るように。
「捜して!! 鵺を! 約束したじゃない。 地の果てまで追って来てくれるんでしょ? 見つけて! 鵺を! 世界の何処かで、待ってるよ、幇禍君の事」
アア、またですか?
お嬢さん!
何処に行ったって無駄なのに。
俺は絶対逃がさない。
何度捕まえられりゃあ気が済むって言うんだろう。
今度ばかりは容赦しない。
この手で捕まえた暁には!
幇禍は、困ったような顔のまま、届かないと知りつつも、空中に向かって、銃を一発撃ち放した。
もう一生自分から逃げられないように奪い尽くそう。
「逃がしませんよ? お嬢さん」
幇禍の言葉に鵺は、幸せそうにまた笑い声をあげ、そして、高く、高く空を昇った。
幇禍は、その姿を、じっと、じっと見守り続ける。
鵺はいつでも、幇禍の腕をすり抜けて、見知らぬ場所へと駆けていく。
もう、良いでしょう?
『かみさま』
お願いですから、あの人を俺に下さい。
あんたが 俺を 狂わせたんだ。
せめて、唯一つだけ。
この身の全てと引き換えに
あの人も同じ世界に連れて行く
ねぇ、『かみさま』
今まで何も知らず、誰にも救われず、誰にも愛されず、ただ、生きて、生きて、生きてきた俺を
せめて あなたは愛してよ
ねぇ、かみさま
俺の かみさま
鬼丸鵺
俺の全て
『 第二章 さがして かくれる 』
『理』の狡猾極まりない仕組みは、幇禍に決して、非社会的な行動や、現実生活からかけ離れた行動を取らせないでいた。
ただ一点、鵺に対する感情のみが歪んだだけで、その他は、幇禍は、普段の様子と変わりない。
その上、鵺の殺害を目論んだ以上、屋敷にこれ以上滞在するわけにもいかず、同時に、鵺の義理の父親の、無駄に強大なバックボーンから命を狙われるであろう事まで、きちんと理解できていた。
とはいえ、実際襲撃にあった訳でもなく、今のことろ、時折、義理の父が放ったらしい、追っ手らしき者の、監視の視線を察知する事はあるが、此方に対して害意ある行動をあからさまに取ってくる気配もない。
まぁ、手を出されたら、相手の命奪うつもりでいるのだが、人を殺すという事は、この社会において、どうしても人目についてしまうものだし、どうしても法治国家である以上、他の厄介ごとが付随してくるものだから、鵺を探すことに専念したい幇禍にとって、下手なちょっかいが出されないでいる事は、とてもありがたい事だった。
しかし、鵺に情報を提供している可能性が高い以上、潜伏地や、現在の幇禍の状況など、向こう側に情報を提供する事は極力控えたい。
目ぼしい場所はあらかた探し尽くし、武彦の興信所に鵺の捜索依頼まで出した幇禍は、気配を殺し、監視の目をまいて、出来るだけ人目につかぬよう、鵺を探し続けていた。
この時点で、幇禍を支配しているのは「理」に従う殺し屋としての自分であり、当然思考、行動は全て、それに準じたものが展開される。
殺し屋時の幇禍は、鵺を殺しのターゲットと認識するが故に、彼女が己の命を守るために、姿を消した事を理解し、自分の命を守るために、何らかの策を練っているだろう事も、きちんと予想できている。
だからこそ、隠密行動を心がけ、殺し屋業に勤しんでいる時と同じ、極めて慎重でありながら、確実にターゲットを追い詰める、プロの職業意識に貫かれた行動を心掛けていた。
しかし、ホテル等に待機している時や、探索や、計画立案等、鵺殺害に纏わる作戦行動を取っていない間は、鵺を溺愛する婚約者としての幇禍に切り替わり、彼女が、自分の愛を試す為に姿を消し、己に早く探し出され、命を奪われる事を鵺が待ち望んでいると信じて止まない狂気に頭の中が支配される。
矛盾はなく、その二つの感情は地続きになり、繋がっていて、幇禍は自分の有り様が、如何にも奇怪等とは一切気付かずにいた。
そもそも、鵺への殺意を疑うことすら、幇禍には許されて等いない。
殺意を疑う事それすなわち『理』を疑うことになる。
神の『理』に作られた人形が、己を成り立たせている『理』を疑うという事は、人が己の心臓の存在を疑う事と同じ意味に等しい。
『理』こそが幇禍の存在意義。
人間人形に過ぎぬ幇禍は、プログラミングされた計算式に則って行動しながら、同時に、人として生きた間に芽生えた、圧倒的な愛情を、己の体に同居させ、『理』に準じながら、同時に想い人への思いを貫くために、今の有り様に成り果てていた。
灯りを落としたホテルのベッド。
街のネオンがチカチカと、窓から差し込み古ぼけた絨毯に、カラフルな影を落とす様を幇禍はじっと見詰めていた。
表情はなく、その美貌と相まって、最早命ある生き物とは思えぬ様子を晒しながら、幇禍は鵺の事を呼び続ける。
「お嬢さん お嬢さん お嬢さん お嬢さん…」
早く会いたいと望みながら、同時に、彼女を追う、この今の時間すら、幸福に思う自分に気付いた。
追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、殺す。
何度も何度も、鵺の死に様を想像したせいか、今や鵺は、幇禍の脳内で、花が散るように血を飛び散らせ、夢見るように微笑みながら、美しく、美しく、死に逝くようになっており、実際、人の死を何度も見てきた幇禍は、人の死は、存外あっけなく、然程派手なものでもないと分っているのに、お嬢さんならば、死に逝く姿も溜息が出るほどに美しいに違いないと頑迷に信じて、その姿を眺める日を待ち望む。
人形めいた、あの顔から、命の息吹が消え、益々血の気が引いて、白く白く白く、壊れいく、鵺の姿は、何度思い浮かべても身震いする程に綺麗で、熱いため息を吐き出して、瞼が痙攣するほどに、ああ、早くその時がやってきて欲しいと、神に祈った。
果たして、今の鵺への感情が「愛」なのか、そうではないのか、最早誰にも判ずる事は出来ないだろう。
『理』によって生まれ、『愛』で狂った。
いわば、幇禍の存在そのものが、愛の罰。
鵺しか求めず生きてきた。
自分が孤独か否かですら、どうでも良いと切り捨てて、幇禍はただ、じっとじっと、ネオンの影を見詰め続ける。
こんな自分は、果たして生きているのか死んでいるのか。
それすらも、もう、幇禍には分らなかったし、どうでも良かった。
とはいえ。
幇禍とて、まぁ、そこそこ長い年月は、人の子として過ごしてきたわけであるし、『理』の上でも、自分自身を人間だと認識して、人間として過ごすよう組み込まれている関係上、感情だって、鵺に向かうもの以外は、ちゃんと真っ当に機能していたりもする。
そんな幇禍が、監視者の目から隠れつつ、過ごす日々の中で、ふと、気付きたくなかった! 気付きたくなかった!!と、足掻きつつも、実際認識せずにはいられない、ある現実に行き当たり、ちょっと、膝をつきたくなる。
俺 もしかして 友達 少ない?
いや! いる事はいる! 怪異や、物騒な事に慣れっこな知り合い友人諸氏は、いる事はいるが、こういう時に頼りにして良いかどうかと聞かれれば、それは不味いだろうと判断せざる得なかったりする。
大体、己の友人は、自分と行動範囲が殆ど同じ、鵺の友人だったりするし、そもそも婚約者殺すの手伝って☆とか、そんなもん、おいそれと口に出せるもんじゃない事は重々承知している。
大丈夫、まだ、そこら辺の常識はある!
とはいえ、殺し屋時は個人行動が常ではあるが、短期で決着を付けてきたし、興信所がらみの怪異等に相対する時は、興信所のスタッフや、鵺が共に行動するのが常だった。
つまり、幇禍は、最近完全に誰とも口を聞かずに一人ぼっちで過ごす事なんか、滅多になくて、その状態が一週間続いている昨今、うっかり寂しくなってきたりしてしまっているのである。
人の目を逃れ、場末のホテルを泊まり歩き、何処にいるとも知れぬ、最早、この世界には存在しないのでは?と思わずにはいられぬほど、見事に隠れ果ててしまった鵺を、当てもなく探し続けているのである。
まぁ、そんな気持ちに陥ったとて、不思議はない。
むしろ、常人ならば、厭世の余り、青木ヶ原樹海へGO!!していてもおかしくない孤独感に襲われているところだが、まぁ、そこら辺は生来の能天気さが幸いして、「なんか…寂しい…」辺りで済んでいる所が、さすが幇禍というべきか?
寂しさの余り、「このまま、一人で探していても埒が明かないし、誰か協力してくれないだろうか?」なんて考えて、ふと、ある人物に思い至った。
リリパット・ベイブ。
前回、メサイアビルの攻防戦において、久しぶりに千年王宮の黒須に会っていたからこそ、思い出せた顔だった。
あの男、確か、城に迷い込んだ人間の願いを聞いてくれるとかで、前回、恋愛相談なんかをぶちかまし、散々な目に合わされたのだが、こういった事態に対しては、もしかしたら役に立ってくれるかも知れない…と思案する。
実際八方塞の状況である事には違いないのだ。
幇禍とて、一流という言葉では足りぬ程に腕利きの殺し屋。
裏の世界には精通しているし、独自の情報網とて持っている。
だが、張り巡らせたどの網にも、鵺の情報は引っ掛かってこず、焦燥ばかりが募ってきた。
寂しさの余り思案しだした事ではあるが、彼を頼るというのは然程悪いアイデアではない。
メサイアビルでの騒動解決に協力だってしてやったのだ。
こちらへの協力を乞うたとて罰は当らないだろう。
そこまで考え頷くと、「さて、じゃあ、千年王宮に向かうには、どうしたらいいんだろう?」と、今度は別の悩みに突き当たる。
あの王宮は異次元にあり、特別な能力を持っているものしか、おいそれと足を踏み入れられない。
異次元を渡る能力なんざ、ビタ一有していやしない幇禍は、「凄く不本意だけど…黒須さんを捜しますか…」と悲しげに呟く。
どれだけ寂しくなったとて、然程会いたいとは思えぬ、辛気臭い相手ではあるが、彼が、王宮の鍵を持っている以上、連れて行って貰うしかない。
竜子を探しても良かったのだが、彼女はやけに鵺に肩入れしている節があった。
馬鹿そのものとしか思えない言動が目立ったが、勘はそこそこ働くようだし、幇禍の思惑に気付かれる事があれば厄介だ。
黒須なら、ちょくちょく現世に足を踏み入れている節があったし、前回随分と満身創痍の有り様だったから、医療施設などはないように見えた王宮にいるよりも、こちらの何処か病院施設に入院している可能性が高い。
そこまで幇禍は考えると、今回雇っている情報屋達に黒須の外見的特長を伝え、都内の病院施設を重点的に監視して、黒須を目撃したならば即座に情報を寄せるよう指示すると、後は、彼が網に引っ掛かってくれるのを待つことにした。
寒い冬の折。
吹き荒ぶ風が、やけに幇禍の身に染みる。
「もう一杯…お願いします…」
項垂れつつも、そう注文する幇禍の前に、熱燗のお銚子が新たに一本追加された。
「な…なんで…見つからないんだ……あんなおっさんん程度……」
不正に入手した、都内病院施設の患者名簿を、総ざらえし、偽名を使っている可能性を考慮して、内部スタッフに金を掴ませ、黒須の事を捜させたのに、全く持って見つからない。
幇禍の見る限り、骨折箇所も多くみられ、出血もかなり多量にしていた黒須は、本来なら命があること自体不思議な様相だったのだ。
何処かの医療施設に、必ずいる筈!と確信していたのに、事如く空振りばかりで、孤独感が募っていたところに、黒須程度の男にまで袖にされてしまったような屈辱感も募り、幇禍は派手に荒れてしまう。
とはいえ、潜伏中の身の上、大暴れをしてストレス発散!なんて馬鹿な事を出来る筈もなく、幇禍に出来ることといえば、行き付けのガード下にある一杯飲み屋「和音」にて、「う、ううう…うう、ど、どうせ、俺は一人ぼっちなんだ…」と大層鬱々とした呟きを零しつつ、虚ろな表情で佇み続ける事だけだった。
俺、お嬢さんと一緒にいる事ばかり優先してたから、全く不便を感じていなかったけど、お嬢さんいなくなったら、こんなに一人なんだな…なんて、自分を情けなく思う。
「ウフフ…アハハ…水滴さん…聞いてくださいよ…お嬢さんったらね…また俺にイケズをしでかして、そのまま失踪中になっちゃったんですよ? どう思います? 水滴さん的に。 あ、垂れてますねー、俺に同情して、そうやって垂れてくれてるんですねー、優しいんですね…水滴さんって…」
うん、病気!!と断言せざる得ない風情で、熱燗と平行して飲んでいた、冷酒の入ったグラスの表面を伝い落ちる水滴に、ぶつぶつと話かけ続ける幇禍は、相手が相手なら、通報が免れ得ない風情ではあったが、和音の主人は余程剛毅なのか、何も言わずに、そんな幇禍を放置し続けてくれる。
実際、水滴なんざと会話をせざる得ない程、誰とも口を聞かない期間が続々更新中である事に、些かげんなりしていると、突然、とても耳当りよく、それでいて蜂蜜めいた甘さを持つ声に、「幇禍さん?」と呼びかけられた。
パッと幇禍は顔を上げ、目に入った姿に、嬉しさ100%全開で「兎月原さん!」と名を呼んでしまう。
もう、喋りたい!
是非、人の言葉を返してくれる人と会話したい一心で、「前回の騒動以来、お会いする機会がなかったので、ご無事な姿を見れて、安心しました。 あの事件に関わっていた興信所関係者は、皆無事であった事は草間経由で聞いていましたけど、王宮の方も、随分と派手な戦闘が繰り広げられたようですからね…」と言えば、兎月原も頷き「俺の方こそ、安心しました。 お互い、無事でよかった」と笑う。
ああ、もう、眩しいよ!
眩しいよ、兎月原さん!!
男前である事を差し引いても、目が潰れそうな程に眩しいよ!
寂しさが限界点に達していた事も関係しているのであろう。
些か自分でも首を傾げざる得ないテンションで、口を動かす幇禍は、「ああ、声を出すって素晴らしい!」とそんな些細な事にすら感動しつつ、ふと、視線を横に向けたって、いたーー!!!!!!(テンション高い!)
思わず戦慄きながら指差しそうになる自分を抑えつつ、ここで会ったが百年目!!の勢いで、黒須に向かって歩き出す。
この男に会って、これ程嬉しいと思う事は、この先二度とないだろうと確信しつつ、「黒須さん!! ああ、やっと見つかった!!」と告げれば、黒須はさっと青ざめて、くるりと踵を返し、脱兎の如く逃げ出そうとする。
至る所に包帯が巻かれ、右腕を三角巾で吊った、如何にも満身創痍な状態の黒須は、よたつきながらそう、距離を稼ぐ事なく、盛大に転ぶ。
ただでさえ、慈悲深いとは言えない幇禍ではあるが、黒須に向けては、そこに、よくも、てめぇ程度の分際で、ここまで、手間掛けさせてくれやがったな?な悪意がプラスされ、物凄いスピードで駆け寄ると、物凄く容赦なく足を上げて、今日までの孤独感に対する鬱憤も込めつつ、ガスン!と黒須を踏みつける。
如何にも病院帰りといった姿に、都内中虱潰しに捜したのに、何処にいやがった?! この、生意気な蛇め!!という、険悪な気持ちになるが、蛇の血が混じる特殊な体の構造上、ベイブの知り合いで、黒須の事情を知る、外科医の資格も持つ獣医に診てもらっていたと知り、後ほど爆笑する事になる。
つまり、黒須は「動物病院」に入院していたわけで、人間相手の病院ならば探しつくしたが、流石に「動物病院」までは調べなかったっていうか、思い至りもしなかったと、大笑いしながらも、少し悔しい思いを味合わされた。
しかし、今は散々捜索させられた鬱憤を晴らすべく、「黒須さん〜!! 何処にいたんですか? 捜したんですよー?!!」と言いながら、ガンガンガンと地団駄を踏むように、何度黒須の背中を踏む。
「いぁ?! ぎゃ!! あぎゃ!!」と怪鳥の如き毛をあげ、踏まれるたびに海老反った黒須は「踏むな!! 踏むなー!!」と喚き、何とか幇禍の足の下から抜け出す。
「死ぬ!! 俺は、本当に、いつかお前に殺される!!」
そう涙目で、訴える黒須の言葉に、出来るだけムカツク表情を心掛け「俺、昔、犬の散歩とかのお手伝いをした事があるんですけど、散歩の時に、うっかり綱を手放し手仕舞った時とか、咄嗟にね、こうやってリードを踏みつけて、逃げられないようにしてたもんで、その時の名残だと思います。 悪意は、82%しかないです」と、ああ、それはほぼ、悪意だよね…?な台詞をかまし、黒須をがくりと項垂れさせた。
「いや、そもそも、俺犬じゃねぇし、それ以前に、踏みつけてたのは、リードであって、犬本体じゃなかろうし、そもそも、何度も踏みつけられる意味が全く俺には読めないし…」と並べられれば、「うん、でも、悪意が82%な訳ですから…」と、指を立てつつ「ね?」と首を傾げ、「あー、そっかー! 悪意だったら、踏まれても仕方ねぇか☆ってなるかぁぁぁー!!! ばかぁぁぁぁーー!!!!!」と、黒須は思いっきり怒鳴ってきた。
ああ、俺、今イキイキしちゃってるよ…!
基本、ドSの性格ゆえ、どうも、人を虐げている時に充実感を感じるなぁ…とは、自覚していたのだが、遠慮なく虐待できる相手だからか、自分が今全力で、黒須虐めに勤しんでいる事に気付き、黒須相手に…と、また、意味の分からない、屈辱感を感じてしまう。
「よし! 分った! お前が、どんだけ俺に悪意を抱いていようが、もう良い! 正直、それは慣れっこだから、そんなに、俺傷つかない! け ど な? 是非踏むな、関わるな、面倒を引き起こすな!!」
そうビシ!と言い放つ黒須の言葉になど、当然気を留める筈もなく、「じゃあ、早速、千年王宮へ、是非とも連れて行ってください」と軽い声で、今までの会話等なかったかのように、あっさり幇禍は告げる。
久しぶりの人との会話に、思わず夢中になってしまったが、実のところ、こんな場所で、こんな阿呆な会話を繰り広げている場合ではないのだ。
早く鵺の居場所を聞き出して、彼女に会いたい一心で、黒須の反応など無視しつつ、勝手に話を進める幇禍は、そういえば、以前、この場所で、黒須と似たようなやり取りをした事を思い出しつつ、「あ、折角なんで、また、おでん、お土産に持ってっちゃいますよ〜?」なんて張り切ったように告げる。
この前は仲直りをするにはどうすれば良いか、ここの、おでんを手土産にして、ベイブに相談する為に、千年王宮に向かったっけ?と思い出せば、まるで、昨日の事のように、鮮やかに蘇る思い出に、目を細める。
今、幇禍は、自分が鵺を殺すために捜しているという、その事実の歪さ、異常さに気付かずに「歴史は繰り返すんですねぇ」等と呑気に思いつつ、主人に向かって、持ち帰りおでんの注文をし始めた。
「うん、ちょっと待て? お前と会話していると、些か頻繁に襲われる感情なのだが、いいか? まずは、ちょっと、人の話とかを、聞いてみようか?」と黒須が、言えど、勿論耳には意識的に迎え入れず、「えーっと、そう! 底の方にある大根を入れて下さい! あと、とりあえず一通り入れてもらって…」等とオーダーし、そんな幇禍の様子を見て、兎月原も、手土産にすると言いつつ焼酎を一本買い受ける。
彼も、千年王宮に遊びに行くのだろうか?と思い至り、(なんで、兎月原さんを連れて行って、俺は連れて行けないんですかね? 贔屓だ、贔屓!)なんて己の言動を一切振り返る事のない不満を抱いていると、まだ、諦めきれないのか、「うん、やめて? 一言もいってないよな? 俺、一言もお前連れてくって言ってないよな?っつうか、これ、なんてデジャブ?」と、確かに一度聞いた事があるような台詞を黒須が喚く。
すると兎月原が、「まぁまぁ、幇禍さんも、千年王宮に何か用事があるようだし、別に良いんじゃないか?」と言ってくれ、久々に触れた人の優しさが、じーんと染みてしまった幇禍。
ああ、やっぱ、眩しいよ!
100万ボルトの輝きだよ!!と、兎月原の微笑みに目を眇めつつ、プルプルと手を震わせて、がっしと、その腕を掴み「ありがとうございます!」なんて、素直に感激の気持ちを込めて礼を述べた。
「おまっ?! ちょっ?! 気楽に言うんじゃねぇよ?! こいつのせいで、俺がどんなに酷ぇ目に合ってきたか!!」と言う黒須に、「そんな大袈裟な…。 俺はいつでも、黒須さんに陽気な笑いと、幸せの一時を齎してきたでしょ?」と、思考するのも面倒なので、心ないままペラペラと出てきた、適当な台詞を適当に告げる。
その上、「ていうか、前回、俺が、黒須さんの為に…とはまぁ、言いきれないながらも、結果的に、個人的には大変自分を恥じる所存ですが、黒須さんの事を助ける為に協力してやった事忘れたんですか? 感謝の気持ちが少しでもあるのなら、俺を王宮に連れてく位、何でもない事だと思うんですけどね?」とまで言ってやれば、さすがに返す言葉を失ったのだろう。
保温パックにおでんを包んで貰った幇禍は、「さて! じゃあ、行きましょうか」と軽快に宣言し、黒須はもう、逃れられぬと悟ったのか、深い溜息を吐いて項垂れたまま、二人を先導しだした。
『第三章 とおくて ちかい 』
まだ、日が高いので、鍵の力を行使出来る、本性に変じる事の出来ない黒須が、予めベイブに開けて貰っていたという光の扉を抜けると、そこには、この前、少し見ることの出来た、豪奢で空虚な玉間が広がっていた、
「…遅かったな」
退屈気に言う虚ろな声に視線を向ければ、久方ぶりに姿を見る、虚ろな王様ベイブが、少し顔を傾げ、退屈そうに此方を見ている。
「彼らは?」
ベイブに問われ「客人だよ」と黒須は答えると「どうせ、お前は覚えちゃいねぇだろうが、向こうは兎月原で、あっちは幇禍」と紹介してくれた。
実際、ベイブの記憶に残ってはいなかったのだろう。
初めての人間を見る目で見られてしまい、前回訪問時から、どれ位時を経たかを思い出すと、まぁ、忘れられててしょうがないかな…なんて、軽く納得する。
「で? 何の用だ?」と尋ねられ、待ってましたと勢いよく、「ちょっと、お話聞いて貰って良いですか!」とベイブに向かって口を開いた幇禍は、「覚えているかどうかは、どうでも良いんですけど、俺、前にベイブさんに相談にのって貰ってて、今回もね、是非お伺いしたい事があるんですよ!」と、訴える。
そんな幇禍の顔を数秒眺めた後、ベイブが黒須に視線を向け「このやり取り、前にもなかったか?」問い掛けた。
僅かながらも、覚えていてはくれるらしいと感じながら、その時の出来事を思い出したのか、黒須とベイブ、同じように顔を顰めているのを視線の先の捉えども、ゴーイングマイウェイを地でいく幇禍は、「あ、大丈夫です、ご安心召されよ! ちゃんと、手土産持参ですから」と言いつつ、おでんを掲げて見せる。
「まぁ、話だけは聞こうか。 どうぞ?」
そうベイブが諦めたように言えば、「あのですね、相談というのは、まぁ、言うまでもなく、世界一可愛い俺のお嬢さんについてなんですけど、お嬢さんってば、俺が、折角、この前のメサイアビル騒動が終わって、ウキウキウォッチング気分で帰宅の途につき、お嬢さんの『ただいま』の一言を楽しみにして、玄関を開けたっていうのに、そんな俺の心を知ってか知らずか、まぁ、知っていても、お嬢さん自分の好きなように行動するんで、そこら辺は全く関係ないんですけど、いきなり、『じゃあ、行ってきます!』とか言われて、目の前から消えられてしまいまして、現在心身ともに、本当に堪えてるっていうか、打ちのめされているって言うか…」と項垂れながら切々と訴える幇禍。
そんな幇禍の姿に胸打たれたのか、「余程、素敵な彼女なんだね」と兎月原が言ってくれるものだから、はい、スイッチ入りました!とばかりに、ぐりん!と振り返り「そうなんです!!」と、兎月原の言葉に頷いた。
「もう、何ていうの? ほんと、天女降臨レベル、ほんと、シャレにならないレベルで女神っていうか、多分、もう、天使ってああいう人を言うだろうな…っていう位、綺麗で、可愛くって、悪鬼の如き所業も全部、『ごめんね☆』って言われたら三秒ルールで許さざる得ない位の、スーパーマドンナと言いますか…」
…」
そう夢見る瞳で語る幇禍の様子に、明らかに兎月原が「あ、俺地雷踏んだ」という表情を浮かべども、覆水盆に返らず、踏んだ地雷は元に戻らず。
兎月原が助けを求めるように、黒須・ベイブの両名に視線を送る姿等には気付かずに延々、鵺の魅力について語り続け、「…で、ほんと、お嬢さんって、宇宙規模に可愛いよな…! そんなお嬢さんの婚約者である俺は、宇宙一の幸せ者である事だよな…!!って事は、勿論自覚してるんですけど、それにしたって、流れ星より気紛れっていうか、まぁ、そこも魅力的っていうか…分ります? 魅力的過ぎる婚約者を持ってしまった俺の苦悩が…、この胸の内が…って、あれ? どうしたんですか? 兎月原さん? お嬢さんに、会ってみたいなって顔しちゃってぇ〜? 俺の話聞いて、羨ましくって仕方がなくなっちゃったんですね? はぁ、困った人だなぁ…。 さて、どうしよっかな? そりゃ、気持ちは分るんですけどね? 俺だけの独り占め天使にしたいって言うか? あー、でも、兎月原さんとは、前の騒動でも、助け合った仲だし、そこまで頼まれちゃったら、流石の俺も断われませんねぇ…」と、言いながら、身を捩る幇禍の姿に、眼差しを急速に虚ろにしていく兎月原。
ベイブなどは、幇禍持参のおでんを抱え込んで、勝手に中身をつまみ、黒須も兎月原が持ってきた焼酎を勝手に湯のみ茶碗に注いで、一人酒盛りなぞ始めて、こちらの様子を、無感動な目で眺めてくる。
そんな大絶賛無軌道な空間が展開する中、とうとう限界を迎えたらしい兎月原が、無表情に「えい」と短く呟いて、幇禍の口をむぎゅうと掴んでくる。
「ふんぎゅもが!!!」
唐突に口を無理矢理閉じられ意味不明の声をあげるしかない幇禍に対し、「…で? 幇禍さんは、一体どういう理由で、ここに来たんだっけ?」と、真顔で問いかけられる。
兎月原の言葉に、漸く自分の目的を思い出し、視線を泳がせ、はむはむと大根を呑気に食んでいるベイブを見下ろして、次いで、勝手に焼酎を飲んでいる黒須に視線を送ると、口を掴まれているにも拘らず、そのまま喋ろうとして「もがもが」と、言葉になっていない、意味不明の音声を喉から出す。
そんな幇禍の様子に兎月原が溜息を吐きつつ、口を解放してくれた。
とりあえず、ベイブに向かい、「ですから! お嬢さんが、今、どこにいらっしゃるか、是非教えてほしいんですけど!」と訴えつつ、幇禍は、何だかやけにむかついたので、小粋な仕草で、バシーン!と黒須の後頭部を叩いておく。
「いってぇぇ!!!」と怒鳴り、「何すんだよ!!」と怒鳴る黒須の背中を、爪先で抉るように兎月原も蹴り付けて、「ぎゃあ!!」と、かなり痛かったのか、悲鳴をあげる黒須に、兎月原が「何勝手に酒盛りしてんだよ!」と突っ込めば、それでも、必死に湯飲み茶碗を抱えたまま、わざとらしく瞬きを繰り返し「このお酒、おいしーよ?」等とムカツク声音で言った。
あ、殺したい☆
爆発的な殺意に襲われるものの、これ以上、ここで漫才を繰り広げていても仕方ないと、心に決め(黒須、間一髪命拾いの巻)がくっと脱力する兎月原を尻目に、「あ、その卵、味しゅんでて美味しいんですよねー」と言いつつ、いつの間にか現れた取り皿に、おでんを乗せて、パクつき出す。
「で…もぐもぐ、おじょーはんは…うむうむ…何処にいるんですか?」と緊張感なくベイブに問えば、そんな幇禍を、はんぺんを咥えながら暫く眺めていたベイブは、そのまま、ギギギと軋むように小首を傾げ「…ああ…思い出した…というか、やけに、この味に覚えがあると思えば、お前、この前も…婚約者について聞きたい事があるとかで…ここを訪れていなかったか…?」と、虚ろな調子で問い掛けてきた。
わぁ、おでんの味で思い出されたよ!と喜んでいいやら、悲しんで言いのやら、兎月原問い黒須も、「おでんの味で思い出したんだ」「おでん切っ掛けで、記憶が蘇ったんだ」等と言いあっている。
もう、思い出してもらおうが忘れられてようが、今は、そんな事はどうでも良いんだよ!の気持ちを込めて、「はい、おでんの人です!」と、最早、お中元やお歳暮の季節にTVで頻繁に見かける「ハムの人」的ノリで自己紹介しつつ、「本当に困ってるんですよ」と眉を下げる。
そんな幇禍を見て、ベイブが思案気に「そういう案件なら、白雪に聞くのが、話は早いだろう…」と呟いた。
白雪…?と一瞬首を傾げかけ、そいえば、興信所事務員の有能女性スタッフから、白雪っていう人の事を教えてくれたような…?と、考え込む。
「白雪…ああ、聞いた事のある名前です! えーと、確か、鏡の化身で、世界の何もかもを見通す力を持っている女性でしたよね?」と、何とか思い起こせた記憶を口にして、「確かに、その人なら、お嬢さんの居場所も、ご存知かもしれません!」と勢いよく言う。
そうだ、そうだ、この城には、そういう便利な人もいるんだった!と、幇禍は此処に来た自分の選択が正しかった事を確信した。
ベイブは、少し目を細め、一瞬の思案の後「折角、ここまで来訪願ったのだ、後で白雪には会わせてやろう」と言ってくれる。
これで、お嬢さんの居場所が分る。
嬉しさのあまり破顔して、「ありがとうございます! あー、これで、漸くお嬢さんに会える!」と手を叩き、安堵と、高揚感を滲ませた声で、礼を言えば、ベイブは少し、躊躇したあと、何だか、声を低くして、「…それで…だ」と呟く。
何だか改まった調子に、一体何事ぞ?と、幇禍が身を乗り出せば、兎月原も、つられたようにベイブを注視していた。
「いや、その、婚約者…とやらとは…、あの後は巧くいったのか…?」
そうベイブに問われて、幇禍は思わずキョトンとする。
何をこの人、気にしてるんだろう?と質問の意図をはかりかねていると、黒須が、半眼になって「つまり、ベイブ大先生は、自分の前回のアドバイスが、ちゃんと生かされたか、気になる訳ですか?」と陰険な声で言う。
うわ、アドバイスって…。 この人、悩み相談した直後に置物みたいに硬直してただけなのに!!
どう、生かせばいいのか、逆に此方からお伺いしたい、前回の有り様を思い浮かべつつ、さりとて、否定しようものなら、それは、それで面倒臭い事態に見舞われそうだしなぁ…と思案していると、黒須の憎まれ口が腹に据えかねたのか、ぎゅうううっと、見てるこっちが痛くなるような勢いで、黒須の髪を引っ張ったベイブ。
険しい表情をして、何か言おうとすれども、大概図星を突かれてしまったらしく、黙ったまま、ぎゅぅ、ぎゅぅ、ぎゅっと何度も髪を引っ張り、黒須に断続的な悲鳴をあげさせる。
兎月原も、茶碗片手に、ちょいちょいとおでんに箸を伸ばして、酒を呑み始め、豪奢な玉間に全く持って不似合いな、ドキッ☆男だらけのしょっぱい飲み会!状態になりつつある事に、「まぁ、異世界とはいえ男四人集まれば、こんなもんでしょう…」と諦念すら感じてしまう。
「つまり、恋愛相談に乗って貰ったのか、ベイブさんに?」と、言外に「人…選べよ」の気持ちが伝わるお言葉を兎月原より承り、幇禍も表情に「ええ、ミスチョイスでした」という気持ちをしこたま込めて、幇禍は頷く。
「なんか、婚約者と喧嘩したこいつが、どうやったら仲直りできるかって、聞いた直後に、10分間、機能停止しやがって…。 死んでるのか生きているのか、うーん、お願いだから、うっかり死んでて?の俺の望みも届かぬままに、漸く出た回答が、『…謝れば…許して、貰えるんじゃないか?』だぜ? びっくりするわ! もう、純粋にびっくりするわ! ド肝を抜かれるわ! 逆に、斬新だわ!」
そう勢いよく言い募る黒須の首を、静かに、とても静かに、だけど、ああ、この人本気だな?というのが分る青筋の浮いた力の込め具合で締め上げつつ、ベイブが、じーーっと幇禍を見つめてくる。
えー、どう答えろって言うんだよ…
思わず不満すら感じつつも、白雪に会わせて貰わねばならない手前、無言の圧力にとりあえずは白旗を上げて、「……お蔭様で、アドバイスを有用に活用して、お嬢さんとは、すぐに仲直りが出来ました」と棒読みで言う。
ベイブは、「ふふん」と満足げに笑い、三途の川を快調にクロールで渡り始めていそうな様子の黒須を漸く解放すると「聞いたか? …やはり、長年生きている者の言葉には…それなりの含蓄があるのだ」と、自慢げに、黒須に嘯いて見せた(黒須は半失神状態の為、聞こえているとは思えなかったが。
「で…お前は、どうする?」
次に唐突な調子で、兎月原に話を振ったベイブ。
兎月原も反応が遅れ、きょとんとした表情でベイブに視線を返す。
どうも上機嫌らしいベイブ。
がんもを、ごくりと飲み込んで、「…何か望みはないのか? この者の望みばかり、聞いてやるのも不公平だろう」と言われて、兎月原が暫し黙り込む。
眉を寄せ、如何にも大人の男といった、色気ある表情を浮かべた兎月原は、思案気な表情のまま、然程温度のない声で、「…あー、じゃあ、勝負しよう」と、突然告げた、
突拍子もない提案は、幇禍の予想を遥かに超えていて、ポカンと口を開けてしまう。
前回の印象も、如何にもまともそうに振舞いながら、その癖、思考回路が、何処かずれていたり、突然予想外の行動を取ったり、理性と天然のバランスが、如何にもおかしな事になってるなぁというものではあったが、今回ばかりは、一切、合切その意図が読めない。
なんで、ベイブと、ここで勝負?
黒須やベイブにとっても、その申し出は予想外極まりないものだったのだろう。
揃って、口を開け、呆けた顔で、兎月原を凝視している。
「…勝負」
不思議そうに呟いて、また小首を傾げるベイブに、「うん、何でも良いから。 得意なものとかある? 将棋でも、スポーツでも、他、何でも良いや。 あと、子供じゃないんだし、その方がお互い燃えるから何か賭けよう。 そこそこ大事なもんをね」と淡々と言い、「さぁ、何で勝負する?」と問い掛ける。
せめて、意欲満々とかであるのなら、ああ、そういう勝負好きとか、賭け事とかが大好きな人なんだな…と無理矢理納得しないでもないが、兎月原は、まるで、そんな素振りもなく、熱意もない様子で、それでも話を進めてく。
目を見開いたまま、ベイブは無表情に黒須の方を向き、兎月原を指差して「なんだ…こいつは?」とかなり失礼な質問をした。
「あー…いや…」と、黒須は困ったように呟いて、兎月原に視線を送ると「えーと…変な…奴…かな」と答えた。
確かに、その言葉が的確だろう。
異常なわけでもなく、狂気的なわけでもない。
あくまで一般の上司的範疇に納まる人物像でありながら、軸がかなりブレている。
一言で言うのなら、「変わった人」で正解なのだろう。
幇禍は、自分自身を棚に上げて、兎月原をマジマジと眺める。
一体、なんで、勝負とか、この人kベイブさんとしたがっちゃってるんだろう?
だけど…なんか…面白いかも…。
元より、好奇心が旺盛な性質な事もあり、兎月原VSベイブなんていう、好カードなんだか、珍カードなんだか、何にしろ、滅多に見れない見世物が繰り広げられる場に居合わせたことを感謝する。
「…えーと…じゃあ、手っ取り早く、じゃんけんで勝負とか…」
勝負方法に悩む二人に、そう提案する幇禍してみれば、「いや、それ、完全に運任せだし、子供じゃあるまいし…」と黒須が突っ込んでくるものだから、「じゃあ、黒須さん、何か良い案ありますか?」と問い返せば、逡巡の後、「えーと…大食い対決…?」と、益体もない答えが返ってきた。
おでんを指し示しつつ、ベイブが「いや、もう、結構、これで満足してるんだが…」と告げ、兎月原も「昼食済ませたばかりだし…」と、なんともグダグダな却下をしてくる。
そもそも、大食い対決って…、何で、今から此処で、ベイブと、兎月原が、そんなもんを繰り広げねばならないのか。
いや、笑えるけど。
闇雲に絵面は笑えるけど、そんな二人のファイトを見守る自分の姿を思い浮かべて「ありえない」と即座に却下する。
「あとは、チェスとか…剣戟とか…?」とベイブが思案気に言い、ふと、兎月原が、手元の酒が入った茶碗に目を落として「ていうか、お膳立て整ってるしじゃあ、折角だし、飲み比べにしよう」と、提案した。
一升瓶にはまだまだ、たっぷり酒が残っているし、かなりアルコール度数の高い酒だ。
飲みつくす前に決着は付けられるだろう。
確かに現状、それが一番良い勝負方法だろう。
兎月原の提案にベイブが頷いて、「で? 何を賭ける?」と聞いてくる。
「なんか、欲しいものある?」と兎月原が問えば、ベイブが口にしたのは、意外や意外、最近発売されたばかりの最新ゲーム機器で、ちょっとワクワクした声で「竜子と見ていた雑誌に掲載されていたんだ。 入手が難しくってな」と言っている。
確かに、どの店でも完売状態で、入手は困難を極める品物である事は、鵺に強請られ、街中駆けずり回って、やっと手に入れた経験により熟知している。
とはいえ、異世界の王様も、案外普通のものを欲しがるんだなと、少し愉快に思えば、兎月原が「じゃあ、俺は…」と、一瞬思案し、「あれが欲しい」と指差したのは、黒須が掛けている遮光眼鏡。
然程変わった品でもなし、やはり、勝負そのものが、彼の目的なんだろう。
「なんで、俺のモンを賭けなきゃなんねぇんだよ!」と黒須が文句を言えど、ベイブは「了承した」と勝手に頷き、それから、ぐいっと黒須に茶碗を突き出して、酒を並々と注がせる。
「えーと、先に潰れちゃった方が負けですからね?」と幇禍はジャッジマンをかって出て、黒須が面白そうに、二人の様子を眺めている。
兎月原が、切れ長の目でベイブを上目遣いに窺うように眺めつつ、くいっと一気に飲み干した。
さすがに、飲み比べ勝負なんて提案するだけあって、見事な呑みっぷりである。
兎月原が顔色一つ変えずに「じゃ、そっちどうぞ?」と言い、幇禍もベイブが茶碗に口をつけるのを見守る。
兎月原と同じく、ベイブは無表情のまま、一気に茶碗を空にして、平気な顔をしているので、これはかなりのこう勝負になると確信したときだった。
ズルン!と、そのまま玉座から滑り落ちたベイブに目を剥けば「あ」と黒須が口を開け「ああ、そういや忘れてたけど、こいつ下戸だった」と言いながら、ベイブの傍ににじり寄り、その顔を覗きこむ。
幇禍も身を乗り出し、兎月原も、ベイブの顔を眺めれば、目を見開いたままぶっ倒れるという、中々ショッキングな事になっており「ていうか、何で、下戸なのに、飲み比べ対決なんて、了承したんだよ…」と兎月原がもっともな呻き声を漏らした。
「いや、多分、自分自身、自分が酒呑めねぇの忘れてたんじゃね?」と黒須は言い、甲斐甲斐しい様子で、身を起こさせると「おーい、大丈夫かー?」と声を掛けつつパタパタと手で、その顔を仰いでやった。
「一応……兎月原さんの勝利になるんでしょうか?」と幇禍に問えば、気に入らなそうに顔を顰めて「ノーコンテストだよ。 下戸相手に、飲み比べで勝ってもしょうがないだろう?」と肩を竦めてくる。
確かに、こんな勝ち方嫌だろうと、同意しつつ、勝負そのものを望んだのに、こんなグダグダな対決に終わって、兎月原もさぞかし不満だろうと、その心情を慮る。
黒須は、目を回しているベイブに、子供に聞かせるような声音で、「吐く? 気持ち悪いか? 一回吐いた方が楽になんぞ?」なんて言いながら、肩を擦ったり、水を飲ませたり、憎まれ口ばかり叩いていた癖に、何だか、細々と、ベイブの世話を黒須が焼いてやっていて、この城で、竜子やベイブという問題児を抱えて、うっかり、面倒見スキルが上ってんな、あの人…と、少し気の毒に思った。
酔いが回るのも早ければ、冷めるのも早いらしいベイブが、黒須の肩を借りつつも、再び玉座に腰を降ろした時だった。
「あら、いつも通りのシケたツラね!」
野郎の声ばかりに、些か、食傷気味になっていた幇禍の耳が、澄んだ高い女性の声を聞きつける。
視線を向ければ、そこには一人の和のものとも、洋のものともつかぬ人形めいた容貌をした美少女が一人。
ベースに薄紅色のマニュキアを塗り、キラキラと光るラインストーンをちりばめた綺麗な爪先を煌かせ、腰に当てて昂然と胸を張る姿も様になり、ハートの飾りがあしらわれた、光の当り方によっては銀色の光沢も放つ黒いフェイクファーケープを羽織り、袖口が広がり、黒のレースが施された、ワインレッドのワンピースを見事に着こなすその姿。
確か、名前はウラ…と言ったか…?
一度、この城内にて、鵺から紹介された事がある。
黒いレース地のリボンが、至る所に飾られた、赤×黒のビビットな色彩のワンピースは、色合いに深みがありシックな印象を見る者に抱かせ、綺麗な黒髪には、赤いハートのワンポイントが可愛らしい大きなリボンの髪留めをつけ、自身の愛らしさを増している。
踵の高いダークブラウンの編み上げブーツを履きこなし、黒いタイツで細く形の良い足を益々、見惚れずにはいない程美しく見せ、これ程、この城に似合う姿をしている者もそうはいるまいと、先程まで、ぐだぐだ酒盛りをしていた自分の姿を振り返り、何だか、少し反省してしまう。
「来たのか…」
ベイブが、柔らかな笑みを浮かべて問えば、
「来たわよ?」
と、笑みを刻んでウラが答える。
まるで、共犯者めいた笑みを浮かべあう、少し淫靡な空気に、幇禍が戸惑えば、そんな幇禍の心情等、当然一向に解さずに、スタスタと玉座に近寄り、ウラは掌をベイブに差し出すと、「さぁ、一緒にいらっしゃいな。 中庭で、今から素敵なお茶会を執り行うのよ?」とベイブを誘った。
「お茶会?」
そう素っ頓狂な声を挙げる黒須に、チラリと視線を送り、その包帯だらけの姿を確認すると、「おまえも…なんだか気の毒だから誘ってやってもいいわ。 勿論、そちらのお二人さんもね?」とウラは言う。
顔を見合わせる三人を無視して、ベイブに視線を送るウラの手を取り、うっそりとした様子で立ち上がると「さて…そのような予定、私は聞いてはおらんのだが?」と、ベイブは半眼になって彼女に問い掛けた。
「予定? クヒヒッ! このあたしが此処にいて、そんな下らないものを立てられるとは思わない事ね? 人生はいつだってハプニングの連続よ? 予定調和の出来事なんて、反吐が出るほどつまらない。 楽しみましょう? 突然を。 サプライズは何時だって、歓迎すべき客人だわ。 その手を取り、ワルツを踊って見せる位の余裕が、おまえにも必要だとあたし思ってよ?」
ウラの流れるような言葉にベイブは、「ふむ」息を吐き出し「まぁ良い。 暇つぶしには丁度良いだろう」と言いながら、ウラと共に歩き出す。
「おい! ちょっと…ベイブ…ッ!」とヨタヨタとした様子で、後を追う黒須の姿を振り返り、ベイブは鬱陶しそうに眉を寄せると、大きな手を伸ばして、その体を支える。
「何だ?」と、面倒臭げに問うベイブに、黒須は、元より己の言う事なぞ、何一つ聞きはしない相手である事を思い出したのだろう。
自分でも何を言おうとしていたのか分らなくなったのか、「あー…いや…」と瞳を瞬かせて、兎月原と幇禍を振り返る。
そんな黒須の、助けを求めるような視線を見かねたのか、「いや、俺も丁度喉が渇いた所だったから、是非お邪魔させて頂きたいね」と兎月原が言い、ウラに笑いかけた。
大人の色気たっぷりの微笑と、そのうっとりせずにはいられないような蜂蜜めいた甘い声音にウラが年齢に見合わない、艶然とした微笑み返す。
「愉しみになさいな。 白雪が、張り切って準備をしてくれているわ」と答えると、幇禍は耳聡く、自分を鵺へと導いてくれる力を持つ女の名を耳にして、「白雪さんはそちらにおられるんですか? じゃあ、俺もお茶会に同席させてください」と慌てて言った。
黒須は、自分の客人二人も、お茶会への参加に対して異論がない事を確認すると、益々ベイブに言う事を無くしたのだろう。
無言のままベイブに視線を戻し、「何か言いたい事は?」と嫌味っぽくベイブに尋ねられて「ねぇよ」と唸るように答える黒須に「それは良かった」とベイブは頷くと、身長差があるせいか、ずるずると引きずるようにして黒須を伴い歩き出し、「痛ぇ!! 痛ぇって! なんか、もうちょっと、せめて怪我人を気遣うっぽい感じで歩けよ!!」と、盛大に文句を言われていた。
「何…あれ?」と呆れたように言うウラに、「一応は、怪我してる黒須さんの手助けのつもりなんじゃないですか? 全く、逆効果になっちゃってますけど」と幇禍は答える。
「…というか、黒須さん、あんだけ身長差あったら、怪我に加えて肩の関節とかも、外れるんじゃないか?」と、黒須の悲鳴をあげる様子に少し心配そうに言う兎月原に、この人黒須さんの心配をするなんて、本当に変わってるなぁ…と思いつつ、だったら…と、からかうような気持ちで、「あ、じゃあ、あの時みたいに、黒須さんの事、運んであげたらいいじゃないですか。 ほら、お姫様抱っこで」と、メサイアビルでの出来事を思い出しつつ、ニコニコとしながら提案した。
途端、苛烈な眼差しで、睨んでくる兎月原の視線の意味が分らぬフリをする。
心配なら、助けてやればいいんだ、心配してる人間が。
全くもって、合理的帰結から得られた提案は、兎月原のお気には召さなかったらしい。
苦虫を噛み潰したような顔で「なぁ…幇禍さん…不可抗力って言葉を知ってるか? あの時の、止むを得なさと、俺の苦痛を知っての、その台詞なんだろうなぁ?」と低い声で問い掛けてくる。
「いやぁ、だから、俺は、兎月原さんって、なんて犠牲的精神の上に行動できる、人なんだろうって感心してたんですよ」と幇禍が白々しい声で言うのを聞きつけて、ウラは信じられないと言った調子で「え? おまえ、運んだの? お姫様抱っこで、あの蛇男を」と黒須の背を指差し兎月原に尋ねるものだから、愉快で、愉快で仕方がない。
兎月原が何とも言えない、なんか、もう、悲痛って言葉を絵にしたら、こういう顔なんじゃないかな?的な表情を浮かべると、これは、深刻な事態だと見なしたのか、先程までの傍若無人な振る舞いからは想像できないしおらしさで、「えーと、なんか、地獄的に嫌な事を思い出させてしまってごめんなさい」と、ウラが本気の声で詫び、あまつさえ「災難だったわね」と心からの同情を示して、兎月原は余計に落ち込んだようだった。
そんなかなり失礼な会話を三人が背後で繰り広げられているのを知ってか、知らずがノシノシと歩くベイブに引き摺られ、最早ぐったりとした状態になりつつ先を歩く黒須の、何とも惨めったらしい背の様子にまた、笑いを堪える。
藁をも縋る思いで、鵺の居場所を見つけるべく訪れた城ではあるが、久しぶりの馬鹿馬鹿しい出来事達に、自分が和んでいるのを悟ってしまう。
ああ、お嬢さんも一緒にいてくれたら良いのに。
そうしたら、この楽しさを共有できるのに。
素直に、そんな事を考えて、幇禍は朗らかな志向の延長線上で、まぁ、次に出会った瞬間に、その命は事切れてしまうのだから、もう、こういう馬鹿騒ぎは一緒に出来ないんだなぁと、少しだけ残念に思った。
さて、あと少しで中庭に辿り着くらしい所で、幇禍は、廊下に連なる他の扉とは、かなり様子の違う扉が目に入った。
大きな鉄製の両開きの扉がしつらえられているその入り口は随分と目立って見え、重厚な扉の奥には何があるのか、興味を引かれずにはいられない。
ピン!!と、幇禍の中に眠る「なんか面白い事、あるんじゃね?」センサーが反応し、好奇心の赴くままに、「あの扉って、随分と他の扉とは趣が違いますね?」と、問い掛ける。
すると黒須が「んあ?」と言いつつ視線を向け、「ああ、ありゃ、ガラクタ部屋だ」と言って肩を竦めた。
「ガラクタ…部屋?」
そう言いながら首を傾げる兎月原に「ああ。 こいつが、暇にあかせて収集したは良いが、もう飽きちまってるようなもんを、詰め込んでおいてあってな…」と言いつつベイブを指差す黒須に、「主人を指差すな…」と不機嫌そうにベイブが眉を寄せれば、「うるせぇよ。 ほんっと、俺が来たばっかの時は、どんだけ、あすこに詰め込んだ玩具共に苦しめられたか…」と更に不機嫌そうな顔を見せる。
「特にあれ、よくねぇぞ? スイッチ入れたら、人でも何でもお構いナシに吸い込んじまうミニ掃除機とか!!」
「という事は、黒須さん吸い込まれたんだな?」
そう冷静な声で確認する兎月原を無視して、「触った瞬間、相手を捕獲して血を吸ってくる、吸血人形とか!!」と黒須が訴えれば、今度は「おまえ、血も吸われたのね…」とウラも呆れを隠し切れない声で呟く。
「あまつさえ、あれなんだよ!! ただの指輪に見せかけて、指に嵌めた瞬間石化って!! 石化する指輪って!!!」
「石化したんですね」
完全に半眼になって言う幇禍に、「見事な位に、全部に引っ掛かってな…」とベイブが、世間話位の温度で言う。
「違う!! 引っ掛かってんのは俺じゃねぇ!! 掃除機にスイッチ入れたのは竜子だし! 吸血人形に触ったのも竜子で、俺は、その目の前にいただけだ! 指輪だって、竜子が面白がって、俺に勝手に嵌めてきて…!!!」とそこまで言った所で、ガクっと項垂れ「えー? 俺、改めて振り返ると、凄い可哀想じゃねぇ?」と呻く黒須に、兎月原が「まぁ…そういう星の元に生まれたんだな。 あと、似合うし。 そういう役回りが、凄く似合うし」と全く慰めになってないながらも、頷かざる得ないフォローをいれた。
しかし、実は、幇禍、話の半ば辺りから、皆の声が一切聞こえない状態になってしまっていた。
何でも吸い込む掃除機?
吸血人形?
石化する指輪?
通販マニアであるところの「なんか、おかしなアイテム大好き!」な血が騒ぎ、何だかじっとしていられない気分になる。
だったら、あの扉の向こうは、宝の山が眠ってるって事じゃないか?!
そう感激すらしつつ、「で、そういった類のものは全部あそこに詰め込んであるんですね?」と、瞳を輝かせながら問い掛ければ、「んあ? まぁ、あんまり数が多いもんで、然程危険性が見当たらなかったモンに関しちゃあ、運輸会社スタッフの中で、PCが触れる人間に通販HP作らせて、売り捌いたんだけどな」と、黒須が答えた。
通販…HP…奇妙なアイテム……。
もしかして…?!
思い出すのは、昔一度、鵺に面白い商品が打っている等と紹介され「福壷」なる商品を買い上げ、酷い目にあった、アングラ系通販サイト。
あんな、尋常じゃない商品、どうやって仕入れてきているのか、少し気になったものだが、この城から出品されたものなら頷ける。
となると、あのサイトに掲載されていたものよりも、更なるお宝が、此処に眠っている訳で…?
そこまで思考を巡らせた所で、幇禍は辛抱堪らずに、「見たいなー」と、小さく小さく呟いた。
「は?」
「あの扉の中、見たいなぁ」
「はい?」と、黒須が首を傾げ、それから見る見る青ざめる。
「なぁ? 俺の、苦しみエピソード聞いてた? あん中にゃあ、結構洒落にならねぇモンが、しこたま詰め込まれてんだって!」
「ええ、でも、まぁ、正直、俺、黒須さん程、間抜け不幸キャラじゃないんで、絶対、そんな阿呆な目には合わないと確信してますし、事如くそういう目に合うのは、黒須さんの役目って…」とそこまで言って、照れたようにわざとらしく鼻の下を指で擦り、「へへっ!」と爽やかに笑うと、「俺…、黒須さんの事信じてますからっ」と、そう、何か良い事言ってる風に宣言する幇禍を黒須は死んだ魚のような目で「うん、お前が、俺の事、どういう風に見てるか、毎回、会う度に思い知らされてっけど、毎回、俺、落ち込むのは諦めが悪いって事なのかな?」と、首を巡らせ兎月原に尋ねる。
しかし、兎月原も、無闇矢鱈に爽やかな笑みを浮かべると、「うーん…どうでもいい!」と、親指さえ立てつつ、一刀両断し、黒須は涙目になりつつウラにまで視線を向け、全くの無表情で眺め返されていた。
幇禍は、そんな黒須の心情など、一切構わずに、ベイブに視線を送って「良いですよね?」と尋ねる。
ベイブ的に、何故、そこまで幇禍が食いつくのか分らなかったのだろう。
「…別段面白いものは何もないぞ?」と、いや、さっきまでのエピソードを鑑みるに、超ど級の宝が眠ってますぜ、旦那?的な台詞をベイブが吐く。
「だぁかぁらぁ、下手に触ると、命に関わるモンもあるんだって!」と黒須が言うのを聞いて、幇禍はここで、扉の向こうを見ずには、何処にも行けない!!という、玩具売り場で駄々をこねる子供よりも厄介な心理に陥り、「兎月原さん! ほら! 兎月原さんも、見たいですよね?! ね!」と、兎月原にまで勝手な同意を求める。
話を振られた兎月原が、困ったようにウラに視線を向ければ、「そんなに気になるのなら、覗いていらっしゃいな。 何か気がかりを残したまま、お茶を飲んでも美味しくないでしょうしね。 でも、あたしは先に行くわよ? お茶が冷めたらイヤだもの」と、ウラはきっぱり告げた。
すると、二人は一瞬視線を交わし合い、「うん、じゃあ、まぁ、俺も、折角ウラさんがご用意して下さったお茶が冷めてしまうのは本意ではないし…」と言いつつ兎月原が後ずさり、黒須も「…だな? ここは、まぁ、そういう事で…」と言いつつ、ベイブから離れる。
あれ?
折角、楽しそうな予感満載なのに、どうして、みんな嫌がるんだろう?
本気で不思議に思っていれば、「お前ら…コイツを、押し付けるつもりだな?」と、ベイブが低く唸るように二人に告げる。
押し付けるって…押し付けるって!!!
下手に、孤独な日々を過ごしてきたせいか、余計に堪える「厄介者」扱いに、何だかショックを受けていれば、「え? いや、押し付けるだなんて、そもそも、俺は無関係だし…」と、兎月原が主張し、「まぁ、それに、やっぱ、この城の主のが、的確にあのガラクタ共の説明だって出来るだろうしな!」と、黒須が言い訳を重ねて、更に、幇禍に追い討ちを掛けてくる。
「何ですか、みんなして、俺をお荷物みたいに…、そんな事言わずに楽しそうだから、皆で行ってみましょうよ!」
そう懸命に訴えて、紅一点のウラにも同意を求めるべく、「ほら、ウラさんも一緒に…って、あ……ウラさぁーん?!」と、声を掛るに至って、ウラの姿が、傍にない事を確認する幇禍。
振り返れば、すたこらさっさと走り去るウラの背中が見えて、更に驚く。
黒須が、「こら! ちょっ! お前だけ逃げるなんてずるいだろうが!!」と叫び、そんなに倉庫探索が嫌か…と、若干拗ねるような気持ちにもなる。
「とにかく、俺らも、先、中庭向かうから…」と黒須が話している途中で、無表情のまま、鉄の扉を予告なしに開けるベイブ。
その瞬間、それまでの遣り取り全部忘れて、吸い込まれるように、猫まっしぐら!!な状態で、扉の向こうに飛び込んでいく。
薄暗い倉庫内、見回せば、如何にもおどろおどろしい、斧や、甲冑、物騒な武器の数々や、不気味な人形、意味の分らぬ装置、如何わしい薬品の類が、雑多に並べられ、放置されている。
幇禍が辺りを見回し、数々の品々に顔を近づけたり、触れたりして仔細に眺めていると、一つ気になるものを見つけて、思わず手に取った。
銀色の、玩具にしか見えない銃。
これ、何だろ?と思いつつ、仕組みを調べる為に、宙に掲げたり、弄繰り回したりした挙句、ひょいと、心から自然の流れに従って、結局、ベイブの手によって、倉庫に連れ込まれたらしい黒須に銃口を向けて、引き金を引いた。
ジジジジジジジ!と、電子音がし、銃口から、まるでSF映画に出てくるレーザー銃のように、光の光線が放たれる。
撃たれた黒須は「にぃぁああゃぁああああ!!!」と悲鳴をあげて引っくり返り、ピクピクと痙攣しながら失神した。
おー、なんか、カッコいい。
「…確か、それを入手した時は…、SF映画のあるシリーズに嵌っていてな、なんか、光線銃とか、カッコいいな…とか思って…手に入れた」
淡々と銃について説明するベイブに、その感覚俺にも分る!!と頷きつつ、倒れたままの黒須は、大絶賛放置の方向で、次にめぼしいものはないかと辺りを見回す。
すると、ビクリ!と跳ねるように起き上がり、「て、ててて、てめぇぇ!! らにすゆんだよぉ!!」と、痺れのせいか呂律も回っていない様子ながらも、フラフラと幇禍に掴みかかってきた。
とりあえず、その時偶々手にしていた銀色の、銘柄の入っていない缶詰を「えい」と気合の入ってない声をあげつつ、黒須に向かってプシリと開ける。
するとビョーン!と物凄い勢いで、黄緑色の大きなスライムが飛び出し、ずるん!と黒須に圧し掛かった。
「みぎゃあ!!」と叫びながら再び引っくり返る黒須。
ずるずるとスライムに圧し掛かれ、「@:#☆%&?!」と声にならない声をあげる。
「あー…リアルスライム缶だ、それは。 確か、ゴールドスライムが入ってる缶詰も…あってな? それが当たりらしいのだが…終ぞ引き当てられなかった…」と少し残念そうにベイブは言い、無感動な表情で、何とかスライムから逃れようと足掻く黒須に「早く逃げ出さないと…そろそろ溶解が…始まるぞ?」と注意する。
「えーと、溶解って、溶けるってことであってるよな?」と兎月原が問えば、「ああ、一般家庭のゴミも…残さず溶かしてくれるそうだから…エコが叫ばれる昨今…世に出せば中々重宝されるかもな…」と、何だか呑気な答えを返していた。
人間が解けるところなんて、今まで見たことないわけだし、ちょっと、溶けてみてくれやしないだろうか?等と、黒須の命よりも、当然、自分の好奇心を満たす事を、優先する幇禍。
しかし、残念ながら、ぎゃー!だの、ひえー!!だの喚き声をあげながら、何とかスライムから抜け出した黒須は、ズルズルと地面をゆっくりと這うその姿を嫌悪一杯の表情で眺めつつ、服が既に所々解かされて、「あれ? ボロ雑巾の妖怪ですか?」と問いたいような姿になってしまっていた。
必死の声で、幇禍に向かい「もう、なんも触るな!! 是非、何も触るな!! 大人しくしてろ!!!」と訴えてくるが、まぁ、黒須のキャラ的にこれも、フリだろうと確信し、「えー? それって、お笑い芸人さんが、『やめろよ? やめろよ?』って前フリしといて、罰ゲーム喰らって、実は美味しいみたいな、そういう流れですよね?」と無邪気に確認を取れば、「ちーーーがーーーうーーー!!」と黒須が地団駄を踏む。
「なんで! お前と!! 俺は!! こんなに会話のキャッチボールが出来ないんだ!!」と言われたものだから、自分に責任はない!の気持ちを込めて、「多分黒須さんが心を開いてくれてないからだと思うな。 ほら、オープンユアマインドですよ?」と言いつつ、今度は、目に付いた変な装置のスイッチを、無防備にポチっと押してみた。
その瞬間「ウィーーン」と如何にも不穏な機械音が響き渡り、突然シュルシュルシュルっと、機械の触手が、黒須に向かって一直線に伸びていく。
「ひーーああああーー!!」と叫びながら逃げようとする黒須を呆気なく捕まえ、絡め取り、体中を擽りまわしたり、そこらかしこを引っ張りまわしたり、どついたり、沢山の銀色の機械の腕に捕まって、笑い声や、悲鳴を上げさせられまくっている黒須を「おー、なんか、凄い」と感心しながら眺めていると、兎月原が不思議そうに「あれは、何なんだ?」とベイブに問い掛けた。
ベイブは覚えてないのか、暫し首を捻り、それから、ポンと手を叩くと、「ああ、確か…、被験者の健康状態を外部刺激に対する反応により…診断、記録する…、自動健康診断装置だったような気がする…」と答え、「とはいえ、ありと、あらゆる外部刺激を与えてくる…ものだから、健康診断中に…失神状態に陥るものが多くてな…扱いも…かなり乱暴だしという事で、自分で使う前に…仕舞い込んでしまったのだ…。 随分久しぶりに、起動しているトコを見る」と何だか懐かしそうに言う。
「やめっ!! ぎゃ!! ぐあ!! 痛ぇっ!! 痛ぇぇって!! ていうか!! ちょ!! うあ!! 誰か!! 助け!!」ともがく黒須を眺めつつ、黒須の災難の引き金を悉く引いた幇禍に視線を送り、「…確かに、ああいう目に合うのが宿命って感じするな。 黒須さんの」と疲れた声で兎月原が言ってくれるので幇禍は、ニコニコと笑いつつ「でしょ?」と頷いて、「じゃあ、次は、何を試そうかなー?」と、また嬉しげに周りを物色し始めた。
そんなこんなで、それから暫く、悲鳴を聞いた後、完全にボロボロになった姿で、何とか倉庫の外に這い出た黒須。
「う…うう…うう…」と半泣きになって呻きつつ、涙の滲んだ目で三人を振り返り「ていうか! このメンツが、そもそも、嫌だ!!」と今更な事を訴えてくる。
まぁ、基本属性「ドS」の三人を前に、不遇をかこつのも、黒須のお約束というしかないだろう。
「はいはい、散々愉しんだだろうから、そろそろ、中庭に行こうな?」と、まるで、黒須の趣味に付き合わされたか如き口調で兎月原が言えば、幇禍も「思う存分堪能しましたし、もう、満足ですよね?」と、自分で望んだ探索にも関わらず黒須に同意を求め、ベイブが「下らん見世物だった」と言うに至って、黒須は「だ…ダメだ、このメンツと一緒にいても未来が見えねぇっつうか、明日も見えない、そもそも、目の前すら見えない…」と呻き、よろよろと立ち上がる。
ベイブが再び、黒須に手を伸ばし、ずるずると引きずるようにして歩き出すのを眺めると、黒須さんってドMなわけだし、あれは、あれで、あの人幸せなんだろうなぁ…と、幇禍は俺、良い事してあげた…位の自己満足を味わっていた。
その後、程無く辿り着けた中庭に、足を踏み入れた瞬間、幇禍の目に入った光景は、予想外に美しいものだった。
小さな小さな、マシュマロ大の白い薔薇の形をした雪が天井から降り注いでいた。
その雪は触れても冷たくはなく、フワリとした光を放って消えていく。
パウダーローズスノウ。
後ほど教えて貰った名前だが、聞いた時には、名前からして美しいと幇禍は感嘆した。
そんな雪が、ゆるり、ゆるりと降り注ぎ、黒い蝶が薔薇園内を飛び交っていた。
演奏者のいない、楽器のみの楽団の奏でる音色があたりを満たし、黒いベンチの上、首だけコロリと置かれた少女が、小鳥の如き澄んだ歌声で歌っている。
美しいキャンドルが、銀燭代の上に乗り、そこらかしこに浮き上がって、暖かな光を灯していた。
薔薇園の薔薇は、全て白色に変じ、蝶の黒と薔薇の白のコントラストは鮮やかで、虹色の水を噴き上げる噴水のすぐ傍に、大きな丸い黒檀製のテーブルが用意されていた。
真ん中に、白い薔薇が飾られたそのテーブルには既に、美味しそうなお茶菓子が所狭しと並べられている。
薔薇園の薔薇は、全て白色に変じ、蝶の黒と薔薇の白のコントラストも鮮やかな、美しい光景に兎月原はただただ溜息を零した。
視線を向ければ、鵺の友人である天才少女、飛鷹いずみや先ほど、さっさと逃げ出したウラの姿も目に入る。
いずみとの久しぶりの邂逅を嬉しく思い、幇禍は穏やかな表情を浮かべて、彼女に手を振り「あ、いずみさん! お久しぶりです〜」と、挨拶した。
すると、何故か彼女はピシリと硬直したまま、此方を凝視してくる。
何かおかしい事があるだろうか?と思い巡らせ、ふと隣に立つ、黒須の惨状に思い至る。
確かにあの姿には、ぎょっとして然るべきかもしれないと納得すれども、冷静な彼女にしては、動揺が激しすぎやしないか?とも、考えてしまう。
硬直したまま手を振り返してくれるいずみの表情が、益々強張るのを視認して、幇禍はいずみさん、何処か調子が悪いのかな?なんて考えた。
「…よくも…一人だけ…逃れやがったな…?」と、そのまま「祟りじゃあ〜〜」等と言い出してもおかしくない風情で黒須がウラに詰め寄っている。
その形相に、爬虫類+不気味人相のコンボという事で、幇禍は気持ち悪ぅ…と嫌悪感を覚えども、思った言葉がそのまま口に出てしまうらしいウラは無表情に、「唯でさえ、良くない人相が、最早、MAXレベルでヤクザ状態になっていてよ?」等と怖いもの知らずに告げている。
「おっまえ…凄かったんだぞ? 阿鼻叫喚ぞ? 俺は、もう…うっかり、前章にて、人生最大の命の危機を何とか免れたのに、まさか此処で、俺…此処で、死ぬのかな…?って切ない決意を固めたんだからな!!」
そう必死に訴える姿にいずみが、真顔で「あの…黒須さん…必死すぎて、鬱陶しいです」と告げたものだから、撃沈!と言わんばかりに黒須は崩れ落ちる。
そんな最中、この城の最後の住人竜子がトイレ帰りなのか、「迷ったー!! やばかった!! ありとあらゆる意味で、人間としてやばかった! 具体的に言えば、最終的にはチョイ漏れっていう、セーフかアウトかでいったら、うーん、ギリギリアウト?な結末を迎えざる得ない位やばかった!!」と、女子として、もう、終了宣言をかましているのと同じ位の台詞を吐きつつ、中庭に姿を現し、そして、突如増えている人数に目を見開く。
「あっれ? 幇禍! それに、兎月原さんも、来てたのかよ」と、竜子が言えば「俺が連れてきた」と言いながら、黒須が手をヒラヒラさせる。
だが竜子はその台詞より、満身創痍の姿に目を見開き、「…どーなってんだ? あれ?」と黒須を指差しながら竜子がベイブに問えば、何ごとか説明しようとして、明らかに面倒臭くなったという風な表情で「…あいつの趣味だ」と真顔で答え、その答えに「ふうん」と竜子が、物凄く即座に納得すると「ほどほどにな?」と何か、もう、若干いたわりの表情すら浮かべつつ、慈愛の篭った声を掛けた。
「うん、やめてくれ。 また、無駄に、信憑性が高い誤解を蔓延させるのは、心からやめてくれ」と、黒須が本気の声でベイブに頼んでいる。
前回負った、火傷や、痛々しい傷跡が目立ちながらも、竜子が変わりなく元気そうである事を視認し、「やっぱ、丈夫だよな、竜子さんって」と我が身を振り返らない事を心の中で思う。
すると、不意に「あっれ? 白雪?! あんた、なんでこんなトコで寝てんだよ!」と竜子が不思議気に喚く声を聞き、幇禍は、お宝倉庫に夢中になっていたせいで、すっかり忘れていたが、自分が白雪に会おうとしていた事を思い出した。
そうだ、お嬢さんの事聞かなきゃ!
そう思いつつ、竜子と同じ方向に視線を向ければ、確かに髪も、肌も、何処もかしこも真っ白な女が引っくり返ったまま倒れていて、竜子の声に「う…ううん…」と、眉を寄せ、そう呻きながら起き上がる。
一体何事があったのか?
また、面白い事に出くわせるかもしれないと、ワクワクしながら見守って入ると、唐突に、ウラがスクッ!と立ち上がり、「さぁ! あたしのお茶の時間はお仕舞い! さっさと、図書館に言って、レポートを仕上げなくては! おまえたちはゆっくりしていくといいわ?」と言いつつ、スタスタと歩き始めた。
その余りに慌てた様子に、ポカンと呆気に取られると、いずみが、震える足で立ち上がり、「ちょっ! ウ…ウラさん?!」と悲鳴めいた声をあげる。
どうも、白雪の惨状には、この二人の少女が一枚噛んでいるらしいと見当をつけた瞬間だった。
ひたり
と、完全に怪談めいたおどろおどろしさで、白雪が白い手でいずみの肩を掴み、静かな、静かな、だからこそ恐ろしい声で「逃がしませんよ…?」と耳元に囁く。
うん、すげぇ、怖い。
まさか、ここで、「怪談」とコンテンツ名を冠されるに相応しい状況が見れるとは…と慄きつつ、頬に白い髪が垂れ掛かり、壮絶な眼差しをしながら半身を起こした白雪が、ウラの後を追おうとしていたらしい、いずみの肩をむんずと捕まえる様に背筋が粟立つ。
「…ひっ!」と小さく悲鳴をあげた、いずみの声に振り返ったウラが、赤子ならば即座に息の根が止る程の恐ろしい表情をした白雪から、クルリと顔を背け、竜子の腕を引っ張り、「図書館! さぁ! あたしを図書館につれてって!!」と言いつつ、小走りに駆け出した。
また 逃げた!!!
その逃げ足の速さは、保護者譲りというべきか?
あっという間に姿が小さくなっていくウラに取り残されたらしいいずみは、倒れんばかりの風情になりつつ、パクパクと口を開閉させて、震える手を虚空に伸ばす。
「あ…?! え!! いや、あたい、まだ、あの、クッキー、喰えてないんだけど…」と名残惜しげな竜子声が微かに聞こえた直後、「ウゥゥラァァお嬢様ぁぁぁぁ???!!!」と、「こーれは、地獄の釜の蓋が開いたな。 お盆シーズンとか、無視して、地獄の釜から、この声が聞こえている事は間違いないな」と言わざる得ない、白雪の怨嗟の声が響き渡る。
心臓の弱い方なら、ここで、心停止も已む無しボイスに幇禍は、遠い目をして、せめて、白雪が今の狂乱状態を脱してくれるまで、絶対に声を掛けるまい…と、心に決める。
だって、もう、絶対、言葉通じそうにないもの…と、初対面ながら、テンション高い姿を見せつけられて、何だか、この先コミニケーション取り辛いなぁ…と、憂鬱になる。
大体これは一体、どういう事なのか、わけが分らず、幇禍は「お嬢さんの居場所知りたいし、早く終わんないかな…」と他人事めいた眼差しで眺め続けた。
その後、皆席に着き、何とか一息吐いた後、いずみが説明してくれたのは、「ウラが、『白雪姫ごっこ』をしてみようと、ちょっとした悪戯のつもりで、アップルパイに電撃を仕込んだら、思いの外、威力があってこんな事態になってしまった」という、何とも、微笑ましくも、かなり危険な悪戯の概要だった。
つまり、魔女役のウラが、童話にならって、アップルパイに電撃の仕掛けを施し、それを口にした白雪が、為す術もなく痺れ、倒れる羽目に陥ったという事らしいが、いずみの大人っぽい様子からは想像できない、悪戯内容に、幇禍は違和感を覚える。
何かを隠しているような…
淀みない口調で喋りながらも、いずみは真実を述べていないような気がして、この怪訝な気持ちの正体を掴みかねていた。
まぁ、しかし、白雪はそれで納得したらしく、「…そんな…下らない悪戯で…私をこのような目に合わせる等と……」と、言いながら、どうも倒れた際に出来たらしい瘤を撫で擦りつつ、「ウラお嬢様には、お仕置きが必要なようですわね」と言ってひっそりと笑う。
その瞬間、ベイブを除くテーブルについている人間が一斉に目を逸らさずにはいられない程、怪談めいた幽気が白雪の周囲に立ち上ったのだが、あえて誰も触れないあたり、皆、同じ気持ちを抱いているという事なのだろう。
本当の理由は何にせよ、いずみ程賢い女性なら、おいそれと馬鹿な理由で、そんな所業をしでかしたのではあるまいと幇禍は判断し、一体、彼女が何を隠しているのか、やけに気になる自分を不思議に思った。
普段ならば、些細な事と、流してしまう出来事に、何故か拘泥してしまう。
そんな自分が訝しく、幇禍は「このお茶美味しいですねぇ…」なんて、意識的に呑気な事を呟き、芳しくも甘い香のする紅茶を啜り、気持ちを何とか落ち着ける。
同じように、紅茶を啜り、こちらを窺うように横目で眺めているいずみに、視線を返せば何だか、いずみが落ち着かなさ気に目が泳いでいる。
やはり、何処が具合が悪いのだろうか?と思えば、
さすが兎月原、即座に「大丈夫?」と言いながら、いずみの顔を覗き込む。
いずみは兎月原の問い掛けに、血の気のない顔色のまま、「あ…大丈夫…です…」と掠れた声で答えた。
「何だか、ちょっと体調が悪くて…」と小さく呟く。様子がおかしいのは矢張り、体調のせいか…と納得すれば、黒須が目を見開いて、「そりゃ、大丈夫じゃねぇだろ」と言いつつ、いずみの傍に寄ってくる。
次いで、ベイブも、いずみの傍らに立って、思案気な表情を見せ、「…折角、久しぶりに遊びに来てくれたから、ちょっとのんびりしていって貰おうかとも思ってたんだがな…」と言いつつ、視線を緩めて黒須が言えば、「無理はいかんだろう。 風邪でも引いてしまっては、可哀想だ」とベイブが呟く。
皆、紅一点、見るからにあどけなく、愛らしい少女の様子は、気にしていたらしい。
あっという間に取り囲まれ、小柄な体を更に縮めて、目を白黒させるいずみ。
幇禍は綺麗な掌を、ゆっくりといずみの額にあて「熱はないようなのですが…」と言いつつ、「でも、顔色は確かに悪いですし、大事をとったほうが良いでしょうね…」と頷くと、「いいですよ。 俺、いずみさんの事送っていきます」と、皆に言った。
いずれにせよ、白雪から、鵺の居場所さえ聞き出せば、この城にもう、用はない。
彼女も程無く戻ってくるだろうし、そろそろお暇するタイミングだろう。
「玉間に向かえ。 準備が整い次第、外界に送ってやる」とベイブが言い、幇禍は白雪に鵺の居場所を聞くために、「じゃあ、申し訳ないんですけど、兎月原さん、いずみさんを連れて、先に向かってて貰えます? すぐに後を追うんで」と兎月原に頼む。
即座に兎月原は頷いて、宝物に触れるかのような手付きで、慎重にいずみを抱き上げた。
やはり、兎月原のような男は、女の子を抱いている姿の方がしっくりくる。
コントにしか見えなかった、メサイアビルでの、黒須抱き上げ光景を思い出し、ちょっと噴出しそうになりつつ、二人の姿を見送った。
「ああ…そういえば、白雪に聞きたい事があるのだったな…」
ベイブがそう言いながら、「白雪」と微かな声で呟く。
その瞬間、まるで、忽然と現れたの如く、「お呼びでございますか?」と応え、姿を見せる。
「この男が、お前に聞きたい事があるそうだ。 応えてやれ」
ベイブに言われ「御意」と応えて頷くと、色素の薄い目がひたりと、此方を見据えてくる。
「…鵺お嬢さんは今、どちらにおられますか?」
全てを見通す大鏡。
今自分が、どういう目的を持って彼女を捜しているかさえ、白雪はお見通しなのだろうか?と思いつつ白雪を見詰めれば、彼女は微動だにせず、唯一言「捜さずとも、お会いになれます。 この後すぐに」と白雪は答えた。
「宿命ですから。 貴方様の。 然程、長い間、離れてはいられません」
静かな声音に「すぐに…ですか?」と幇禍が言えば、白雪は「すぐにです」と頷いた。
「追っているようで追われております。 捜しているようで、捜されています。 望んでいるようで、望まれております。 ですので、会いたいと思う以上、貴方方は会うのです。 この後すぐに」
予言めいた事を言い、白雪が薄っすらと笑った。
「御武運を」
囁くように告げられて、幇禍はやはり分っているのだと確信する。
そして、不意に、ベイブに視線を向け、この男も分っているのではなかろうか?と疑問に思った。
自分が此処に来た目的も何もかも。
咎め立てないのは、興味がないだけ。
それは、それで、有り難い。
こちらは、鵺に会えると知っただけで、充分収穫が得られたのだ。
「ありがとうございました」と礼を述べる幇禍に、ベイブが無表情な声で言った。
「また、その婚約者と共に来るが良い。 いずれ、近いうちにでもな」
何も知らぬ気な黒須が盛大に顔を歪め「もう、あの倉庫には絶対入んねぇからな!」と怒鳴った。
『 第四章 ころしたいほど だいすき 』
すぐに会えるというのなら、急いで東京に戻らねば…と、足早に玉間に向かい、その扉を開けた幇禍の目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤にしたいずみに自分の顔を寄せ、完全に小学生児童を口説く、いけないおじさん状態になっている、兎月原の姿だった。
咄嗟に、「あれ? お邪魔でした?」なんて、からかえば、あながち冗談とは言いきれぬ声で「邪魔だよ。 折角、お姫様を誘惑してる真っ最中だっていうのに」と兎月原が答える。
貴方が言うと洒落になんないから!という失礼な感想を抱いているうちに、兎月原は立ち上がると「とはいえ、俺程度の男には、これ程の女性は靡いてくれそうになくってね。 騎士役は譲るから、無事、この子のお城まで届けてやってくれよ」と幇禍に告げた。
「はい、了解です」と幇禍も笑って答え、再び中庭へと戻る兎月原を見送ると、幇禍は、ソファーに座っているいずみに、「あと、もう少ししたら、扉が開くそうなので、一緒に帰りましょうね?」と笑って告げる。
いずみは、その言葉に頷いて、「何から、何まですいません。 幇禍さんも、お忙しい身の上でしょうに…」と、まるで大人みたいな気遣い方をした。
幇禍は素直に「あ、いや、俺、今、家庭教師の仕事はやってないんで、そういう意味では、そんなに忙しくないんですよ。 まぁ、だからこそ、こんなトコに来れてるんですけどね」と笑い「あ、そういや、いずみさんって、お嬢さんと仲良かったですよね? ご存じないです? お嬢さん何処へ行かれたか」と尋ねてみる。
白雪には、会えるとだけ言われただけで、結局居場所を教えて貰えなかったので、単純な好奇心からの質問だった。
いずみが、「あら? そういえば、今日も一緒じゃなかったし…また喧嘩ですか?」と問い掛けてくるので、「似たようなものです」と幇禍は答え、それから、やっぱり、いずみは何か知っている…と確信した。
家庭教師を辞めたという事は、生徒である鵺との間に何かあったという事に他ならない。
その理由を尋ねる事なく、「また喧嘩ですか?」と気軽に問い掛ける、その平然とした口調こそが、奇妙だった。
この人は、多分全ての事情を分っていて、その上で、鵺の居場所を隠している。
そう確信しながらも、白雪曰く、もうすぐ、鵺に会える以上、どうだっていいやと投げやって、「なーんか、俺、ずっと、あの人の後、追っかけてばかりいるような気がするんですよねぇ…」と、いずみに愚痴る。
「逃げるんですよ。 絶対に俺から。 目の前で姿を消してしまうんです。 俺は、いつでも、いつも、お嬢さんを探してて、それが時々辛い」
いずみは、幼いながらも、年齢からすれば、驚異的なまでに落ち着いていて、人の話を聡い表情で、じっと黙ったまま聞く風情のせいもあり、人の心を開かせる無垢な様子も相まって、幇禍は今までになく、素直な気持ちを吐露し続ける。
いずみは「そうなんですか…」と静かに相槌を打ち、「子供には、少し難しいですね」と、自嘲めいた言葉を吐いた。
「子供…? ああ、そうか、いずみさんって、なんか、大人びてるから、俺、一瞬、その事忘れてた…」と幇禍が、呟く。
「そう考えると、お嬢さんも、まだ、子供なんだよなぁ…。 なのに、どうして、あんなに、あの人は、俺を振り回すんだろう?」
「子供だから、大人を振り回すんですよ」
いずみが、大人びた事を言い、幇禍は、何だかとても、納得できて、「そういうものですか…」と頷くと「…やっぱ、子供っぽくないですね。 いずみさんは」とからかい混じりに賞賛した。
「でも、もうじき、何処にも逃げられなくなります」
「え?」
穏やかな会話の延長線上にあるように、幇禍は平和そのものの表情をして言う。
「だって、俺がこの手で殺しますから」
いずみになら、言えた。
何もかも知ってるであろういずみ。
鵺の友人であるいずみ。
賢人というべき空気を身に纏い、静かに話を聞き続けてくれるいずみ。
幇禍はいずみに甘えて、自分の決意を彼女に語った。
「どうして…ですか?」
いずみに問い返され、幇禍は、静かな眼差しでいずみを見つめる。
これが 正常な 生き物だ。
健全で 優しく 真っ当で 賢い。
俺とは違う。
俺とは違う。
同じ顔の男に出会った瞬間、『理』なんぞというものを突きつけられた。
お前は、普通じゃないよだなんて言われなくても分かっていた。
ただ、夢を見た。
鵺と一緒に、生きる夢を。
最早、『理』からは逃れられぬ。
俺は 異常な 生き物だ。
不健全で 残酷で 非道で 愚かだ。
いずみとは違う。
いずみとは違う。
されど、鵺ならば…と夢を見た。
こんな自分と生きてくれるのではと。
しかし、昨今、あの人は、幇禍が僅かも持たぬ感情を芽生えさせ、傍にいるのに遠くにいるような、そんな気持ちにさせられていた。
『理』に従った。
自分の気持ちに従った。
どちらにも従属する為に、鵺の命を欲してる。
共に死にたい。
共に死にたい。
このまま遠くへ行かれる位なら、あの掌を掴んで離さずに、一緒に地獄に落ちて欲しい。
かみさま
貴方が俺を狂わせたのです
俺のかみさま
ずっと、ずっと俺を導いて
「鵺の事、好きじゃないんですか?
「大好きです。 この世の何よりも」
「じゃあ、どうしてですか?」
「だからです。 大好きだから、殺すんです」
物の通りなんてありゃしないよ
いずみが、理性に満ちた声音で言う。
「それは、好きじゃないんですよ。 幇禍さん、鵺の事、好きじゃないんですよ」
いずみの言葉に表情を変えない幇禍は、それでも口を噤んだままいずみを見つめ続ける。
「相手の事を思いやれない感情の名前に『好き』って言葉を付けないで下さい」
「じゃあ、愛しています。 お嬢さんの事を」
静かに言う幇禍は、全くもって、いずみを子ども扱いしていなかった。
一人の人間として、言葉を交わしていた。
そもそも、子供と大人の区別すら、自分自身、幼い頃から過酷な状況にいたせいで、つけなきゃならないものという認識がない。
だから幇禍は、必要ならば躊躇なくいずみを傷付けられた。
だから幇禍は、必要ならば躊躇なくいずみを苦しめる事が出来た。
だから幇禍は、必要ならば躊躇なくいずみを殺せた。
子供だろうが大人だろうが女だろうが男だろうが老いていようが若かろうが人なんて全て肉の塊。
俺のかみさまは一人だけ。
いずみが、そんな幇禍の認識を察したかのように、サッと怯えを表情に刷かせる。
致し方ないのだろう。
幇禍は、食用肉の塊を眺めるのと同じ視線で今、いずみを見ている。
「…殺しませんよ。 俺の邪魔さえしなければ」
ふっと、息を吐き、幇禍はいずみに告げた。
意味がないし、いずみは、興信所スタッフ達や、王宮の連中にも大層可愛がられている。
下手に手を出せば、警察に追われるより、余程厄介なことになる事は察していた。
それより何より、何の利益も齎さない殺人を犯す程の執着は、鵺以外の人間にはない。
だが、いずみは怯えながら、それでも、夜空に光る星の如き輝きを目に宿し、美しい、美しい声で、幇禍に問うた。
「愛してるんですか? 鵺の事」
「そうです。 愛ならば納得して貰えますか? 俺の殺意に」
「いえ、それは、尚更納得できません」
いずみは、きっぱりと答える。
「私は子供なので、頑是無い事を言いますが、愛を言い訳にするのは、尚更、間違いだと思います。 人間は、余り、愛するという事に不向きな生き物であると、常々思ってはおりましたが、貴方の場合は、0点です、落第です」
いずみの言い方に、幇禍は目を見開き、「落第…ですか…」と、先生に叱られる、悪い生徒になったような気分で、若干落ち込んでしまう。
まさか、小学生児童に、0点を付けられるとは…と、肩を落しつつ、幇禍はいずみの言葉の続きを待った。
「愛してるから、殺すという事はありえないんです。 貴方がどういう理由で、鵺の命を狙っているにせよ、相手を『殺したい』と思った時点で、それは、愛ではないんです。 もっと、幸福なものです。 愛って」
そういずみが言い、「どうして分るんです? そんな事。 『子供』なのに」と、幇禍が揶揄するように言えば、「だって、人間って大人になればなる程馬鹿になっていく生き物でしょう?」と、いずみはシレッと嘯いて「あなたに、鵺は殺せないと思います」と告げた。
何故か、ドキリと心臓が跳ねた。
「どうして?」
「私が許さないから」
強い声。
小柄な体。
柔らかそうな肉。
愛らしい顔。
人ならば、庇護したいと願わずにはいられない、その姿を前にしても、幇禍の心は動かない。
静かな眼差しのまま「だったら、俺、貴方の事殺しますよ?」と殺意をこめた声で告げる。
誰にも邪魔はさせない。
お嬢さんと、俺の間に立ち塞がるものは、みんな殺してやる、みんな殺してやる、みんな殺してやる。
だって、それが『理』。
この世の宿命。
「あなたに何が出来るんです? 子供の貴方に」
あえて、幇禍はいずみにそう告げた。
玉座に光の扉が現れた。
ベイブが用意してくれた出口だろう。
「行きましょう?」
幇禍はいずみに優しく笑い、出口に向かって足を進める。
乖離していた。
見事なまでに。
先ほどまでの会話と、いずみを家に送り届けてやらねばならないと言う義務感は、全く繋がっておらず、別勘定として処理されている。
この後すぐに鵺に会えるというのなら、鵺が抵抗をした際に、傍にいずみがいたならば、人質として利用するなり、彼女の目の前で殺害して動揺を誘うなり、利用価値があると判断している殺し屋の幇禍もいた。
光の中に足を踏み入れる。
魔法陣の如き、円陣となっている結界の中で、幇禍は早く、早く鵺に会いたいと切望した。
いずみが幇禍に続いて、光の円陣に足を踏み入れようとした時だった。
唐突に玉間の扉が開かれた。
視線を上げる。
銀色の髪。
紅玉の如き眼。
ああ、俺の…俺の…かみさま!!
まるで運命に導かれたように、そこに鵺が立っていた。
涙が滲むほどに、胸が痛くなった。
いずみは、幇禍が鵺を愛していないと言った。
これが愛でないのなら、愛なんて、最早微塵もいらぬと、幇禍は思った。
究極の感情。
至上の存在。
鵺が全て。
幇禍の全て。
これが愛でないというのなら、愛なんてゴミだと笑って吐き捨てられた・
鵺が笑って、幇禍に向かい大きく手を振る。
まるで、ここに幇禍がいるのを知っていたかのように。
光の外に飛び出そうとして、一度足を踏み入れたら、もう抜け出せないのか、光の壁を抜けられず、焦燥感に苛まれながら足掻いた。
しかし、どうあっても出られぬ事を悟り、「…お嬢さん?」と呆然とした声で幇禍は呟く。
すぐ会える…とはこういう事か。
鵺は王宮にいたというわけか。
謀られた。
すぐに悟った。
玉間でのぐだぐだとした無駄な時間も、あの倉庫に素直に招き入れられた事も、ベイブの言動、白雪の予言、何もかも、鵺と幇禍を鉢合わせさせぬよう、ベイブと白雪が謀っていたようにしか思えない。
ここにいた。
鵺は、ここにいた…!
光の壁。
人の身がすり抜けられるのならば、銃弾はどうだろう?と考えて、幇禍は懐に手を入れ、素早く銃身を鵺に向かって構える。
するといずみが、素早く鵺の前に駆け寄り、二人の間に立ちはだかった。
「いずみ?!!!!」
鵺が叫ぶ。
いずみは両手を広げたまま、幇禍を睨んできた。
勿論、躊躇わなかった。
自分と鵺の間に立ったので、幇禍は、引き金を引いていた。
銃声が、響き渡る。
その瞬間、弾丸は反射され、幇禍の頬を霞めて、背後にある玉座に穴を開けた。
異常に発達した動体視力が、銃弾が突如、くるりと反転する姿を捉え、普通の少女にしか見えないいずみが何某かの能力を奮った事を悟る。
余りにも予想外で合った為、呆然といずみを凝視する幇禍に彼女は凛と告げた。
「私は、確かに、ただの子供です。 でも、大事な友達位は守れるんです!」
その背後、鵺が幇禍が愛してやまない、その整った人形めいた顔の上に、艶やかな、見惚れ、胸掻き毟らずにはいられない程に美しい笑みを浮かべている。
幇禍は我知らず祈るように、呪詛を吐いた。
「見つけた…俺の鵺」
鵺が、幇禍に応えるように口を開いた。
「次にお会いする時を
心より
お持ち申し上げます」
聞くものの背筋を震わせるような、掠れ、色めいた囁き声。
幇禍は、唐突に空腹を覚え、喉の渇きに苦悶した。
欲しい
欲しい
欲しい
欲しい
あの女が どうしても 欲しい
待っていろ
俺を必ず待っていろ
迎えに行く
貴方を殺しに
迎えに行く
鬼丸鵺
俺の……鵺
幇禍は、そして、光の中に姿を掻き消し、東京へと舞い戻った。
日は既に落ち、空は暗い。
闇の中、ゆらり、ゆるりと足を踏み出す。
居場所は分った。
彼女は待っていると行った
行かねばならぬ
例え世界の果てとて会いにいくと決めていた
さぁ……お嬢さん
かくれんぼは、もうお仕舞い
今度は鬼ごっこの始まりです
『 終章 』
ご存知の通り
人の世の常を一切理解しない身の上でして
我が身が一体如何なる生き物かさえ
思いを巡らせたことすらございませんでした
哀れな身の上よと
教えてくれる者もいるわけでもなし
己の振る舞い その全て
誰に咎められた事も
褒めやされた事もございません
道理を何も知らぬ 不調法者でございますが
世間を恨んだ事は一度もありません
恨めるほどに 世間の事なぞも 何一つ分ってはおりませんでした
ただ 流れ流れて辿り着いた果てに
あの人がいてくださったので
あの人の為に 今日まで生きてくる事が出来ました
ですので
なんの不思議もないんですよ
あの人を殺すことも
守る事も
然程変わりはないのです
今まで生かされて参りましたので
今から殺すのです
今まで守ってまいりましたので
今から殺すのです
世にある全ての物事に 表と裏がございます
どちらも 真理
愛しているから殺すのです
愛されたいから殺すのです
誰も 教えてくれはしなかった
人の愛し方なんて
狂ってるって人は言うけど
俺が狂ってるのか
世界が狂ってるのか
どっちが正しいかなんて 誰が断言できる?
『理』という名の狂気と
『愛情』という名の殺意を抱え
鵺を追って
鬼 走る
fin
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3427/ ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【2414/ 鬼丸・鵺 / 女性 / 13歳 / 中学生・面打師 】
【1271/ 飛鷹・いずみ / 女性 / 10歳 / 小学生】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
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■ ライター通信 ■
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少数受注ノベルという事で、私の集合ノベルとしては、いつもの半分の、5名受注にて書かせて頂いたにも拘らず体調不良等の事情により、納品が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。
これに懲りずに、また、お会いできます事を心より望む次第です。
それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです
momiziでした。
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