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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


〜クッキー・狛犬・秋の空〜

ライター:メビオス零



●●

 東京の、とあるビルにある一室。
得体の知れない液体の入ったフラスコ。何種類もの粉が詰まっている数々の瓶。小さな火を灯しているアルコールランプの上で煮立っているコップから立ち上る紫色の、お世辞にも健康に良さそうには見えない湯気が室内を流れ、換気口に吸い込まれて消えていく。

「うん……これぐらいで良いかしらね」

沸騰する液体を匙で一掬いし、その粘度を確かめる。程良く煮詰まり、薬品が凝縮されていることを目と勘で確認したシリューナ・リュクテイアは、ランプの上からコップを降ろし、薬品を冷まさせる。そしてミルクに卵、小麦粉を練り合わせて作った生地の上にあっと言う間にぬるくなった薬品を掛けると、薬品が手に触れないようにビニール手袋を使って手をガードしながら、入念に生地と薬品を練り混ぜた。

「ふぅ……これで、後は待つだけね。慣れないことした所為で、疲れたわ」

 シリューナは念入りに練り込んだ生地を小さく千切り、オーブンに放り込んだ所で安堵の溜息をついて肩を落とした。
 ここは、シリューナの経営する魔法薬屋の調合室である。棚の中には薬品の詰まった瓶や小箱が整理整頓されて並び、たった今作業を行っていた机の上には、何故か薬品調合とは無縁の筈の調理器具が雑然と散乱している。
シリューナは、手袋を外して小麦粉の生地を練っていたボールの中に放り込み、慣れない作業で凝り固まった方を手でほぐした。
魔法薬の調合などお手の物ではあるのだが、今回は依頼人の注文により、魔法薬をクッキーに混ぜることとなったのだ。それも、食べても魔法薬が混ざっているとは分からないように、出来るだけ美味しい物を……という依頼である。
美味しい物を、となると難しい。魔法薬の類は、とても口に出しては言えないような材料を使っている物も多々とある。しかも効果のみを追求している物がほとんどで、味など完全に無視されているのが普通だ。依頼人の注文は、子供じみている素人その物の依頼だった。
しかしそれでも、依頼されれば叶えてみせるのがシリューナの仕事人としての誇りである。
出来る限りの調理法と薬物の精製法を試行錯誤し、ようやく口に出来るだけの味にはなっている…………筈である。味など食べてみなければ解らないのだが、人体実験……ではなく味見を快く引き受けてくれそうな丈夫な弟子は朝から買い出しに出掛けており、この場にいない。自分で試すのも気が退けるため、後は出来上がり後の香りと、モルモットに食べさせて反応を見ることで判断しようと思っていた。

「たっだいまー! 戻りましたよお姉様!」

 シリューナが一息ついて片付けに入った所で、カランカランと、表の店先から来店を告げる鐘の音が響いてきた。
元気良く調合質にまで響く声の主は、シリューナの弟子のファルス・ティレイラである。
店内を通り過ぎて調合室を覗き込んできたティレイラの手には、様々な果物や薬品を詰め込んである紙袋が抱かれていた。

「あら、お帰り。ちょうど良い所で帰ってきたわね」
「あ、お仕事中でした?」
「ええ。でも終わった所だから、手伝うことはないわよ」

 今回の依頼人の注文は、少々危険な薬物だったためにティレイラには秘密にしている。その為に、買い出しのタイミングを見計らって調合していたのだ。
 好奇心旺盛なティレイラは何の魔法薬を調合していたのかと聞きたそうにしていたが、仕事に関しては深い所までは突っ込まないのが礼儀である。そもそも魔法薬をアテにするような客は訳ありなのが多い。突っ込んで訊かないのは、利口の証明である。
しかし、まだ作業机の上に様々な器具や薬品が置いてあるのを見て取り、ティレイラはシリューナに声を掛けた。

「なら、そこの片付けだけは私がやっちゃいますね。それぐらいなら、良いですよね?」
「これ? ……そうね。少し疲れたし、暑苦しい作業をしていたら汗を掻いたわ。少しシャワーを浴びてくるから、その間に片付けておいてくれる?」
「了解!」

 ティレイラの元気の良い返事に笑みを浮かべ、シリューナは薬品で汚れた手袋をビニール袋に入れてゴミ箱に放り込み、まだ調合した魔法薬の残っているコップに分厚いラップを掛け、冷蔵庫にしまう。
 これで、ティレイラに手に負えないような薬品はなくなった。シリューナは額の汗を拭いながら、まだ調合室の入り口で室内を見渡しているティレイラに振り返った。そしてその胸に抱かれている紙袋に目を向け、提案する。

「それじゃあ行ってくるけど、私が出たら、少し調合の授業でもしましょうか。材料も買ってきて貰ったし」
「あ、これも片付けてきますね!」

 手に持っていた紙袋を片付けるため、ティレイラは一度調合室の隣にある保管室へと向かった。保管室と言っても、冷蔵庫や鍵付きの棚があるぐらいでこれと言った特徴はない。果物だけは調理場の冷蔵庫に詰め込んで、ティレイラは手早く調合室へと舞い戻った。

(それにしても、すごい散らかりよう……珍しいなぁ)

 室内の惨状を見回し、ティレイラは簡単にも似た溜息をつく。
 シリューナは、調合の時には作業場を荒らさないタイプの職人だ。しかし今回は、味の研究などで何度も何度も作り直したために、流石に場が荒れている。そうとは知らないティレイラは、よほど困難な魔法薬を調合したのだろうと納得し、片付けを開始する。
 ティレイラは机の上の器具を流し台に運び、水を掛けて洗浄する。薬品が洗剤と反応を起こしたら事なため、出来るだけ水洗いを行った後に薬品洗浄、熱湯消毒、水気を拭き取ってから保管に移る。
 怪しげな粉や薬品の入った瓶を所定の場所に戻し、机の上を濡れた布で拭って掃除する。
 流石に、これまで何度も何度も後片付けを担当してきただけあって手慣れた物だ。元々、見かけ程大した数の器具がなかったこともあるが、それでも全ての片付けと清掃を終えるまでに掛かった時間は十分弱だ。魔法薬の材料の取り扱いが解らなかった頃は色々と問題を起こしてしまったが、今ではそんなこともない。平和な物である。
 全ての清掃を終え、一息つく。
 調合屋として清潔感を重んじるシリューナのシャワーは長い。もうそろそろだろうが、まだ時間はあるはずだ。
 外を歩き回っていて、帰宅してすぐに相似である。疲れを癒すために椅子に腰掛けたティレイラは、大きな伸びをしながら、師であるシリューナが戻るのを待つことにした。
 …………そんな時である。くつろいでいたティレイラの背後から、チンッ! と言う小気味のいい音が聞こえてきた。

「なに?」

 振り返る。そこには、調合のために用意されていた、古ぼけたオーブンレンジが置いてあった。
 オーブンの中から漂ってくる甘い香りに釣られ、ティレイラはオーブンを覗き込んだ。オーブンの中はまだ赤く染まっており、ティレイラの顔にまで余熱の熱気が伝わってくる。

「…………魔法薬じゃなくて、お菓子作りだったんだ」

 片付けの段階から薄々思ってはいたのだが、オーブンの中で焼き上がっている数々のクッキーを見て取り、ティレイラは不満そうに眉を寄せた。

「私にこれのことを言わなかったって事は……一人で食べるつもりだったのかな?」

 わざわざ隠れて作っていたのだから、このお菓子をティレイラに分けるつもりなどないだろう。そう思うと、ティレイラはこの場にいない師に対して、隠そうともせずに不満そうに唇を尖らせた。
 と、同時に好奇心が疼いてくる。
 あのシリューナが、自分を遠ざけてまで独り占めしようというクッキーだ。もしかしたら、どこかで伝説のクッキーのレシピでも手に入れたのかも知れない…………
ならばきっと、これ以上ない程に美味しいに違いない。
 シリューナは薬物の調合と共に、料理の腕前も見事な物だ。魔法薬の作成と調理が似通っているからだろう。そのシリューナの手によって焼かれた取って置きのお菓子…………これを食べずして何を食べるか!

(出てこないうちに……)

 廊下の気配を探りつつ、オーブンの蓋を開けて中のクッキーを抓む。しかしまだ焼きたてのクッキーは非常に熱く、とても素手では触れない。
ティレイラはポケットの中からハンカチを取りだしてクッキーの一つを包むようにして抓むと、それに息を吹きかけて冷ましにかかった。

「フー……フー……はむ」

 ポリポリ、ポリン
 一口、二口とひと思いには食べず、何回にも分けて味わって租借する。見かけは薄紫色と少々毒々しいが、味は言い表せない程に…………………

「まずっ…………!!?」

 あまりの衝撃に、ティレイラは仰け反りながら椅子に躓いて背中から倒れ込んだ。痛みを感じるよりも舌の上に広がる異様な味をどうにかしようと、ゴロゴロと転がりながらも何とか立ち上がり、洗い物をして綺麗になった流し台に駆け寄った。
 口の中の異物を吐き出す。口内に残ったミルクとブドウと砂糖と蜂蜜とその全ての数倍の量の塩と冷蔵庫の底にしまったままで忘れ去られ原形を留めなくなったゴーヤを混ぜ合わせたかのような味を水で洗い流し、念入りに消毒液を垂らした水でうがいをしてから一息つく。

「し、死ぬかと思った…………」

 心の底からそう思った。
 ティレイラは、本気でそう思っていた。
 シリューナの料理は何度も食べていたが、まずい料理は食べたことがない。だからこそ油断していた。美味しい物だと勝手に思いこんでいた。こんな味のお菓子を製造するとは……もしかしたら、今のクッキーは対ムカツク御客様用の殺人クッキーだったのかも知れない。飲み込むことなく吐き出すことに成功したが、もし我慢して飲み込んでしまっていたらどうなっていたことか…………考えたくもない。何らかの魔法薬が仕掛けられていなかったとしても、恐らく腹痛と味覚への大ダメージで立ち直れなくなる。それは勘弁願いたい。まだ美味しい物が食べたいお年頃なのだ。
 ティレイラは一気に体力を消耗した体を引きずり、静かにオーブンの蓋を閉じた。
 この蓋は開けてはいけない。もしもシリューナがこの部屋に戻ってきて、このオーブンへと近付いたら速攻で、全力で逃げることにしよう。もしも「ああ、そう言えば美味しいお菓子を作ったんだけど……」なんて言い出したのならば、それこそ迷子を覚悟で振り返ることもなく体力の続く限り逃げよう。たぶん無駄に終わるけど。絶対に逃げ切れないと思うけど。でも逃げよう。命の続く限りは……ね。
 ティレイラは椅子に座り机の上にグッタリと状態を預けながら、一人人生を変えるのではないかという気合いを籠めて、そんな決心を固めていた…………

………………………………

……………………

…………

「あ〜……疲れたぁ!」

 誰に聞かせるでもなく溜息混じりに呟かれた言葉は、湯気で埋め尽くされた浴室に反響して響き渡る。
肌を包む暖かい湯の感触。体を撫でる水で顔を軽く洗いながら、ティレイラは体の芯まで暖まろうと、浴槽に顎まで浸かりながら全力でお風呂タイムを満喫しにかかる。
 クッキーを食べて体力を消耗したティレイラは、弱りながらもシリューナの魔法薬の授業を乗り切った。摘み食いをしたことがばれないように、懸命に元気に振る舞いながら、何とか授業を乗り切った。
 ……尤も、他に用があるからと言って、逃げた方が良かったかも知れない。
 授業中、弱っているティレイラを見て悪戯心をくすぐられたらしいシリューナに魔法薬を試され、散々な目にあった。具体的には言えないが、生えた。色々生えた。言いたくもないし思い出したくもない。すぐに元に戻してくれたが、戻るまでに色々弄られた。もしかしたら、シリューナはティレイラの摘み食いに気付いていて、お仕置きしているつもりだったのかも知れない。

「……思い出すのは止めよう」

 つい先程までの悪夢を脳裏から振り払い、ティレイラはお湯に浸かりながら、体から力を抜いてお湯に身を浮かせてワカメのように漂わせる。穏やかなお湯は、ティレイラの体から溜まった疲れを洗い流し、ついでに抜け出た体毛もゆっくりと水面に浮かせて…………

「………………はれ?」

 ティレイラの目が点になる。あまりの自体に口はポカンと開いて意味を成さない言葉を出す。
視線は自分の胸元……の上でプカプカと浮いている体毛。長さはおおよそ3p程か。咄嗟に魔法薬の影響で髪が抜けたのかと思ったが、色合いは灰色で黒髪のティレイラの髪ではない。
 ならばシリューナのだろうか? だが見ている間に、浮かんでいる毛は増えていく。一本二本とまばらにしか見えなかった毛は、すぐに水面を覆い尽くした。どれも長さ自体はそれ程ではない。しかし量は以上だ。まるで、犬の体から体毛を全て抜き取ってお風呂に浮かべたような量。予め入っていたのならば、気付かないわけがない。
 ティレイラはザバッと水音を立てて立ち上がった。浴槽の水が減り、そして自分の体が露わになる。

「な……何これぇええええ!!」

 ティレイラの叫び声が、浴室に響き渡る。反響する声はティレイラ自身の耳すら打ち据え、一瞬だけ聴覚の機能が停止した。
 しかし、そんなことに気を回すような余裕はティレイラにはなかった。視線は自分の体。まずは自分の両手を見てから腕、足、胸にお腹……見えはしないが、手を背部に回してまさぐり、そこに生えている物の存在を確認する。
 パサリと…………握った背中の毛が抜けた。しかしすぐに生え替わっているらしく、抜けた箇所からは鈍い痒みと痛みが走り、すぐに収まる。再び触れてみると、そこには元の通りの毛の感触があった。

「どどどど……どうなってるの!?」

 全身をいつの間にか覆っている体毛。色は灰色で全身を余す所無く……いや、僅かだが顔の半面だけは元のままだ。しかし自分の身体に誤魔化しようのない異常が発生していると言うことだけは確かである。一体何が原因で…………先程の魔法薬の授業だろうか? いや、それならシリューナがしっかりと治してくれた。悪戯好きなシリューナだが、自分で解決出来ないような悪戯は行わない。こんな不意打ちもしないだろう。
 ならば一体、何が原因で…………

「ティレイラ! どうしたの!?」

 ティレイラが必死に、しかし混乱の極致に達しながら思考を回している時、ガラリと浴室の扉が開け放たれた。ティレイラの叫び声が外にまで漏れていたのだろう。浴室に現れたシリューナは、まずティレイラの顔を見てから窓に視線を移し、そして再びティレイラを見る。覗きの痴漢でも出たと思ったのか、シリューナは『触るな! 世界が滅ぶ!』とラベルの貼り付けられている魔法薬の入っている瓶を手に投擲体勢に入っていた。本気で投げるつもりだったのだろうか。ラベルは冗談だと思いたい。

「…………お、おねえさま! これは、その‥‥」
「……あなた、それは…………」

 二人の視線が交差する。開かれた口は両者続かず、パクパクと開閉を繰り返して言葉を失っている。
 シリューナはティレイラの体をしげしげと観察し、そして睨み付けた。
 ティレイラは反射的に体の要所を手で隠しながら、シリューナから視線を逸らした。
 二人の間に漂っていた気まずい空気が、シリューナの溜息によって散らされる。

「……なるほど、解ったわ」
「あ、解ってくれたんですね」
「ええ……そんな姿になってまで、私に構って欲しかったなんて…………」
「違いますからぁ!」

 ティレイラの叫びが再び響く。
 それは、まるで狼の遠吠えのように遠くまで響き渡った…………

……………………

………………

…………

 そうして、浴槽から上がったティレイラは、今現在シリューナの前で正座している。
 目の前には、皿の中に入った薄紫色のクッキーが置かれており、その存在がティレイラ額に夥しい汗を掻かせている。

「で、食べたのね?」
「はい。食べました」

 シリューナの威圧にあっさりと屈したティレイラは、摘み食いの代償として変わり果ててしまった己の体を確認する。
 狼のような体毛は、顔の半面を残すという中途半端な所までビッシリと生えて落ち着いた。幸いにも牙が生えたりするようなこともなく、骨格も人の形のままである。人狼というよりは、全身毛深い人間……いっそ、人狼になってしまった方が良かったかも知れない。
シリューナ曰く、味を改良するために魔法薬の効果を押さえたため、骨格の変形はないらしい。さらにこれまでの実験や授業でティレイラに魔法薬を試した影響により、薬物に対して耐性が出来てしまっているとのことだった。
しかし微妙な耐性も効果も、合わされば結果は悲惨なものだ。形は実に半端な狼少女であるが、身体的な能力の向上はない上、全身が毛に覆われているために色気もなにもない。お風呂から上がったティレイラは何も着ていなかったが(毛がすぐ抜けるため、服に毛が絡まるのを恐れて着なかった)、シリューナの食指にはピクリとも引っ掛からない。せめて犬耳と尻尾だけが生える薬を作るべきだったと、シリューナは心底後悔した。

「さぁて……どうしてくれようかしらね、この子は」

 ポンポンと腕を組み、正座しているティレイラを見下ろすシリューナ。師に断りもなく、危険かどうかも解らない魔法薬入りクッキーを食べた罪は重い。それなりに重い。摘み食いしなくても、後の実験の結果次第ではこっそりと食べさせるつもりだったとしても、摘み食いは悪いことなのである。
 罰は、受けなければならない。

「この魔法薬の効果は、明日には消えるわ。一眠りしたら、その間に薬が抜けるように作っておいたから」
「そうなんですか!?」
「でも、それも少し惜しいわよね……」

 シリューナは、ティレイラを鋭い目で睨み付けた。途端、ティレイラの体が身を縮める。
 これから厳しく怒鳴られるのだろうと思ったのだろう。長い間弟子として授業を受け続け、体に染みついた反応だった。
 しかし、シリューナの狙いは別の所にあった。ティレイラが身を竦めている隙を逃さず、ビシリと強い口調で怒鳴りつける。

「お手!」
「わふっ!?」

 怒鳴ると同時に差し出した手に、ティレイラの手が重なる。深い毛に覆われているが、スベスベとした柔らかい手触りは小動物を連想させ、非常に心地が良い。

「お座り!」
「ひゃふっ!」

 バッと正座を解き、ティレイラは座りながらも両膝を立て、すかさず股の間に両腕を入れる。ちょうど狛犬…………犬の座り方そのまんまだ。
 本人が意識してそうしてしまったわけではない。犬になりきってしまったわけでもない。本人にしてみれば、毛深いためについつい忘れてしまいそうだが、まだ裸なのだ。咄嗟に隠してしまうのも当然と言えば当然で、当たり前の反応だった。
 しかしすぐに、ティレイラはそれを後悔することになる。

「石化!」
「ワンッ……ってぇぇえええ!!?」

 ついノリで返事をしてしまったが、すぐにそれは驚愕と恐怖に変わる。
 足元……爪先と両手の指先から、冷たい感触が広がっていく。一秒と掛けずに足首に達し、臑へ上り、膝へ。すぐにシリューナの呪術によるものだとすぐに気付き、立ち上がろうとする。今のティレイラを石化させて何がしたいのかは知らないが、ろくな事にはならないだろう。
固まる前に立ち上がろうとするティレイラ。しかしそれを、シリューナはすぐに背後に回り込んで抱きつき、石化し固まっている両手を掴んで姿勢を固定してしまう。

「お、おねーさま!?」
「ところでティレイラ? 今夜、縁日に行きたがってたわよね? 近所の神社でやる、あの小さいお祭り。あなた行きたがってたでしょう? でも、流石にこんな恰好で行かせるわけにもいかないから…………ふふふ、お祭り騒ぎに乗じて、狛犬が一つ増えてたら面白いと思わない?」

 思わない。凄まじく思わない。
 思わないが、シリューナの呪術の中で、石化は特に強力な技の部類に入る。この石化の呪術は、他のものと違って最上級の呪術だ。一度かかってしまえば対処することはほぼ不可能で、石化を避けるためには掛けられる前に抵抗しなければならない。
 しかしそれも出来ず、石化は順調に膝を折り返して腿、腰、胴へと上がっていく。手先からの石化も順調に肩口に達し、そこから首と胸の上下に分かれていく。

「お、おたすけ!」
「そんなに怖がらなくても……石にしている間に、ちょっと遊ぶだけだから。主にあなたの体で」
「それが嫌なんです!」
「大丈夫よ。石化している間のことは、記憶に何て残らないから」
「〜〜〜〜!!!!」

 ティレイラの叫びは言葉にならない。既に喉元は石化によって硬化しており、言葉を発する機能を発揮出来なくなっている。息が詰まり、段々と冷水で体を満たされるような感覚に思考が麻痺し、抗いがたい睡魔に襲われる。
 記憶もなにも、そもそも石化は体内まで硬化するため、生命活動が一時的に停止する。解呪すれば元に戻ることは出来るが、生命活動が一時的に停止するのだから当然意識はない。意識がないのだから記憶にも残らない。動けなくなっている間に何をされても、抵抗することも抗議することも出来ないのだ。
 …………ティレイラが石化するまでに掛かった時間は、約三秒。
 あっと言う間に物言わぬ石像……もとい狛犬へと変貌した愛弟子に抱きつきながら、シリューナは満足そうにその体を撫で回した。

「んー……石にする前に、もう少しこの感触を確かめておけば良かったかしら。でもこれは…………そうね、写真に撮っておきましょう。記念になるわ」

 シリューナはティレイラの体を一頻り撫で回した後、調合室からカメラ(魔法薬の研究レポート作成などに使っていた)を持ってきた。そしてまずは一枚、二枚と角度を変えてティレイラを撮影する。
 ……しかしすぐに「うーん」と唸り始め、そして納得したように小さく頷いた。

「やっぱり、狛犬は神社にないと雰囲気が出ないわね。部屋の中だと、ただの置物だわ」

 愛弟子を石化しておいてこの言い草…………もしもティレイラに意識が残っていたら、泣きの一つでも入っていたかも知れない。
 シリューナは窓を開け、耳を澄ませて遠くから響いてくる祭のどんちゃん騒ぎの音を聞く。太鼓や笛の音がハッキリと聞こえてくる所を見ると、既に祭は開始されているようだ。いつの間にやら陽も落ち、夕刻となっていた。
時計を見る限りはまだそれ程遅くもないのだが、冬と秋の境目では、陽の落ちる速度は非常に早い。見る間に外は暗くなり、空には星すら見えている。
祭が始まっていることを確認したシリューナは、石化したティレイラを布で包み、担ぎ上げる。石化していたとしても、竜族であるシリューナにはさほど苦にはならない。問題があるとすれば、人目に付くことだろうか。秋の宵はすぐに暗くなるのだが、ただ歩道を歩いて祭に行くとなると、恐らく誰かに呼び止められてしまうだろう。
 シリューナは店の外に人気がないことを確認すると、バッと翼を広げ、夜闇の中に身を躍らせた…………

……………………

………………

…………

「やっぱり、この方が見栄えが良いわねぇ……」
「………………」

 神社へと上る階段。縁日の屋台が途切れて剥き出しとなっていた石畳の一角……階段脇に置かれたティレイラの狛犬を眺め、シリューナは満足そうに頷いた。
 周りの人々は、突然狛犬を持って現れたシリューナを奇異の目で見てはいたものの、今では狛犬の完成度に感心したような声を漏らし、遠巻きに眺めている。取り立てて騒いだりしないのは、これも祭の余興だと思っているのだろう。祭を管理している者も多忙なのか、神社の一角に狛犬が増えているというのに、文句を付けてくる様子はない。
 我が物顔で狛犬を置いたシリューナは、手にしたカメラで数枚程撮影した後、その隣に立ち、空を見上げた。
 ……都会の空だ、星は数える程にしか見えず、静かに雲が流れ、その合間に月が顔を出している。
 ティレイラはともかく、シリューナは祭ではしゃげる程子供ではない。この祭には、狛犬となったティレイラを見せびらかしに来ただけだ。それ以上でもそれ以下でもなく、やがて訪れるであろう状況を楽しんでいる。

「おねーさん! この子、触っても良い?」
「良いわよ。胸以外ならね」

 そうして訪れた状況…………狛犬に興味津々で近付いてきた子供達に悪戯しないように釘を刺してから、シリューナはその光景を写真に収める。
 流石に幼いだけあり、子供達に遠慮はない。自分よりも一回りも二回りも小さな子供達にベタベタと触られるティレイラの姿を写真に収めるシリューナは、今度、この写真をティレイラに見せてからかってやろうと決め、自分からもティレイラの体を撫で回しに行く。
 …………そうして更けていく秋の夜。
 子供達の人気者となったティレイラの祭は、まるで夢のように、本人の知らぬ間に過ぎ去っていった…………



end






●参加PC●
3785 シリューナ・リュクテイア
3733 ファルス・ティレイラ

●あとがき●
 初めまして、メビオス零です。
 この度のご発注、誠にありがとう御座います。久しぶりに新規のお客様(ここ一年程は常連ばかり)だったので、驚きながらも何とか書き上げさせて頂きました。
 イメージとしてはどうでしょうか? お二人のキャライメージに合っていればいいのですが‥‥変な部分があったら、申し訳ありません。特にセリフ回しとか、性格とか。あまり調査する時間もなかったもので、〆切も二日程過ぎてしまいました。重ねてお詫び申し上げます。
 しばらくの間、私用で窓口を閉じておきますが、もしもまたご発注頂けるようでしたら幸いです。
 内容の感想、指摘、不満などがありましたら、ファンレターとして送って貰えたら嬉しいです。例え不満とかでも、ちゃんと目を通して次の作品で対応させて頂きますので。
 では、この辺りで‥‥
 今回のご発注、改めて誠にありがとう御座いました(・_・)(._.)