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<東京怪談ノベル(シングル)>


歌声に包まれて




 頭の中で歌が聞こえる。
 それを思い出すようにみなもは口ずさむ。その小さな歌声は誰にも届きはしないが、風花の舞う青い空へと融けていく。
 優しい日溜まりの中で、優しく頭を撫でて貰いながら聞いた記憶が甦る。
「子守歌…でしょうか……」
 しかしそれは日本語ではなくどこか他の言語だ。けれどみなもはそれを知っていた。記憶を辿りそれを声に乗せる。
 ゆっくりと空へ吸い込まれていくその歌声がふいに途切れる。
 今日のみなもの目的地へと着いたのだ。
「リリィさん、いらっしゃるといいのですが……」
 学校帰りに寄る馴染みの喫茶店のウェイトレスであるリリィに用があったのだ。ちらりと入り口から中を覗けば、ピンクのツインテールの少女が軽やかに動き回っているのが見て取れる。
「良かった」
 みなもは微笑み、カラン、と何時もと同じ音を響かせて中へと足を踏み入れた。もちろんそれに気付いたリリィは笑顔でみなもの元へやってくる。
「いらっしゃーい! キミはいつもの席」
 こっちね、とリリィはみなもをいつもの席へと案内する。イスを引いてみなもに席を勧めるリリィに向かい、みなもは丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。それとこの間の夢での貴重な経験もありがとうございました」
 一瞬、きょとん、としながらも、リリィはなんのことかすぐに思い出したのか嬉しそうに笑う。
「ん? あぁ、あれ!? こっちこそ、面白かったよ。あんなに綺麗なのに、暗い部分もあってなんだか不思議な感じがして、初めての感覚だったかも。楽しかったからこっちこそアリガトウ」
 二人で顔を見合わせ笑いあい、みなもは勧められるがままにイスに腰掛けリリィに菓子折を差し出した。
 首を傾げるリリィだったが、お口に合うと良いんですが紅白饅頭の菓子折りです、とみなもが告げると目を輝かせる。
「いいのっ? リリィ、ここのお饅頭大好きなの。アリガトウ!」
 満面の笑みにみなもは、良かった、と安堵の溜息を吐く。少し捻って和菓子にしてみて良かったと。
「わー、後で休憩の時に頂くね」
 ご機嫌なリリィにみなもはケーキセット頼みそれらがくるのを待つ。そしてリリィがそれらを運んできた時に、今日の一番の目的であることを告げた。
「あの、お忙しいとは思うんですが……教えていただけたらなって思うことがあって…」
「なになにー?」
 みなもは頬を染めながら言い淀むが、意を決したようにリリィを見つめた。
「えっとですね、『夢魔の誘惑』についてさらに詳しく知りたいのと、『百合』というものについてのリリィさんのお考えを訊いてみたいと……思って……」
 みなもの顔はどこまで紅くなるのだろう。蒸気でも噴き出すのではないかとリリィが思うほど、それは紅くなる。そんなみなもの様子に、リリィは口角を上げニィと笑う。含みのある笑みがみなもを捕らえるが、それは酷く艶やかでリリィの雰囲気が一瞬にして変化した。ごくり、とみなもは唾を飲み込みリリィの次の言葉を待つ。
「ふぅん、キミはそれが知りたいの?」
「……はい」
「いいよ。それじゃあ、ここで講義してもいいけど、キミが恥ずかしいでしょ?」
 くすり、と耳元で笑われ、みなもは恥ずかしさと共に何故か恍惚感を覚え熱に浮かされたように頷く。
「ふふっ、可愛い。いつものように夢の中でね。今日はリリィがみなもの夢に遊びに行くから」
「あ、はい。……えっと……お待ちしてます」
 我ながら変な台詞だ、と思いつつみなもはほんの少しだけ微笑んだ。



 ひたり、とみなもは何もない空間に立つ。
 上も下も左右の概念もなく、何も見えない真っ暗闇。
 足が着いている感覚があるが、そこが床なのかすら判別不能だ。
 しかしそこに恐怖心はない。
 ゆっくりとみなもは自分の置かれた状況を思い出す。
「ベッドに入って、あたしはすぐに眠りに落ちて……そしてあたしは今、夢の中に居るのでしょうか……」
 静かすぎて耳がキィンとなるような感覚をおぼえ、ほんの少し眉を寄せたみなもだったが、ふと歌声を耳にしたような気がした。
 どこからか聞こえてくるその歌声はどこかで聞いたことがあるようで、みなもはその声に意識を集中する。

 とても愛おしい歌声。
 とても身近にある歌声。

「……お姉様の声に似てる」
 そう思うとみなもはもっとその声を聞いていたくなって意識を集中した。言葉のようで言葉ではない、けれどその歌の意味をみなもは理解していた。昼間、自分が口ずさんだ歌でもある。自分たちの中に昔からある歌で、きっとそれは血の中に混ざっていて、たとえその血が薄まっても忘れることなど出来ないのだ。
 それは人間にとっては死を呼ぶ歌かもしれないが人魚にとっては甘く優しい歌。
 少し前にみなもの『お姉様』から聞いた『人魚の誘惑』に使われる歌。
 今は行われていないらしいが、人間を誘惑して食べてしまう人魚の歌は、人間にとって心安らげる子守歌といっても良いのかもしれない。優しい人魚の甘い歌声と腕に抱かれ、苦痛など感じずに永遠の眠りにつくのだから。人魚はその歌を歌いながら、何を思ったのだろう。口の中に溢れる蜜の味と言われた美味を心ゆくまで堪能していただけなのだろうか。
 思いを馳せては見るが、みなもにはよく分からなかった。ただその歌はみなもを優しく包み込むような愛の歌だった。

 みなもが暫く耳を澄まし歌声に包まれていると、その歌声の向こう側から軽やかな足音が響いてきた。
 首を傾げつつみなもはそちらの方へと視線を向ける。
 そこにいたのはみなもの見知った人物で、夢の中を渡り歩いている元夢魔のリリィだった。昼間約束をしたから来てくれたのだろうか。
「あっ……」
 思わずみなもが声をあげるとリリィが、んっ?、と誰かがいることに気付いたようで視線を向けてきた。そしてそれがみなもだと分かると途端に笑顔になる。
「あれれ? もうちょっとしてから来ようと思ったんだけど、歌声がどこに続いてるのか気になって来てみたら着いちゃったね」
「お姉様の歌を辿って……?」
「うん、歌が聞こえたからどこまで続いてるのかなーと思って探検」
「そうだったんですか。……えっと、でも平気ですか? これ、多分『人魚の誘惑』ですけど……」
 みなもは不安そうにリリィを見つめるが、ケラケラとリリィは笑う。
「気になって来てみたけど、リリィも魅惑のスキル持ってるし一応専門分野だし」
「そうでしたね」
「うん。ねぇねぇ、ところでリリィちゃんの講義が受けたいんだったよね?」
 みなもに顔を近づけて妖艶に笑うリリィにみなもの目が釘付けになる。いつもの愛らしい笑顔とはまた違う『欲』を含んだ笑み。
「は、はい。この間、お姉様に誘惑について尋ねてみたら、人魚の誘惑を教えてくれたんですけど、その時に異性である男性ばかりでなく、同性である女性を誘惑する場合もあると聞きました。なんでもお姉様の種族の人魚は女性が大半らしくて……」
「うーん、人魚もなんだ。リリィのとこもそうだよ」
 けろりとした表情でリリィが言うため、それはあまりおかしくないことなのかとみなもは認識した。
「夢魔は女性が多いかも。ほら、男性の方が性欲強かったりするでしょ。だから誘惑が割と簡単だったりもするし」
「うぇっ…あ、あの……」
 真っ赤な頬に手を当ててみなもは俯いてしまう。それを、初だなぁ、とリリィはニヤニヤと眺め更に追い打ちを掛けた。
「悪夢を見せるにしても、男の人相手だと直接的だからラクチンなんだよ。だから夢魔は容姿が重視されるし。人魚もそうなのかなぁ。でもリリィの知ってる人魚は、清純そうに見えて中身は実は……って人が多かったかも。まぁ、根本的なとこは一緒かもね。いやらしいことしてあげて天国見せて、そこから地獄へドーン、みたいな」
「いや、あの……」
 本気で困り果てているみなもだったが、せっかくリリィが教えてくれているのだと思うと恥ずかしがってもいられないと顔を上げた。それに元来みなもは探求心が旺盛なのだ。知らないことは知りたくなる。それが恥ずかしいことであれ、なんであれ。それがたとて羞恥心を煽ろうとも。そしてその羞恥を感じている姿が他人の目を奪うのだとみなもは気付いていない。先ほどからリリィは楽しそうにみなもの観察をしていた。
「あ、あのそれじゃあ女の人が相手の場合はやはり違う誘惑手段があるのでしょうか。お姉様から『百合』という言葉を聞きましたけど、あたしにはよく分からなくて」
「百合ねぇ……」
「難しいですか?」
「別に難しくはないよ。普通の恋愛と一緒。ただ、同性だとどこからが友愛で愛情なのか分からなくなることが多いってのがちょっとだけ難しいかなぁ。ちなみに、愛情とかの感情抜きでの誘惑は簡単。相手をテクニックや言葉で籠絡してあげればいいだけだから。皆、快楽には弱いでしょ? 同性でも全然問題なしね」
 ぺろり、と唇をいやらしく舐めあげ、みなもの唇をリリィは人差し指でなぞってみせる。
「籠絡ですか…でも百合とはまた違う…と」
「んー、初めは相手を籠絡させようとして仕掛けていたのだとしても、互いに夢中になる場合もあるし……やっぱり難しいかも。えーと、キミが知りたいのは誘惑としての『百合』なのか、それとも恋愛としての『百合』なのか…どっち?」
 可愛らしく首を傾げるリリィだったが、表情は妖艶だ。それをまじまじと眺めてみなもは内心焦りつつも告げる。
「恋愛感情抜きだったら、男の方を誘惑する時と同じなんですよね? でしたら、恋愛としての百合が気になります」
 リリィはそんなみなもの言葉に頷いて語り出した。
「じゃあ百合ってこんな感じっていうたとえ話で行くね。リリィとキミは初対面。リリィがキミを気に入ってキミを手に入れたいと思う。その時、まずはどうすると思う?」
「……お友達になる」
「良くできました。まずは知り合いになることから始めるよね。そして友達になったら一緒に出かけることも多くなるかもしれない。一緒に旅行に行ったり、食事に行ったり」
「楽しそうですね」
 うんうん、と真剣にみなもはリリィの話に相槌を打つ。
「そうこうしてる間に、二人でいるのが一番楽になっちゃうの。同性だから気楽、っていうのもあるかもしれないけどね。女の子って柔らかいし良いニオイするし、可愛いしリリィ大好き。ぎゅーって抱きしめても気持ちがいいし。もうリリィは夢魔だからこの時点で、この子の何もかも欲しい、って思っちゃうと思う。笑顔もどんな表情も全部独り占めしたいって」
「独占欲…ですか?」
「そうそう。きっと、近づいてくる男の子にも嫉妬しちゃって、自分が一番近くにいるか不安でたまらなくてその子に酷いコトしちゃうかも。誰かにあげるくらいなら、リリィが食べてあげるって」
「……悪夢を」
 ひやり、としたものがみなもの背に走る。夢魔に悪夢を食べられたら死んでしまうのではないか。夢魔の愛情はその位深い。全てを手に入れる為の愛。体も心も魂、そして夢までも。その人物の全てを自分の体内に。
「まぁ、夢魔ならね。でも今話してるのは普通の百合のお話だから。なんていうか、ほら、変わらないでしょ。男女の恋愛も同性の恋愛も。だって、一緒に居たい、側にいたい、一緒にいるだけで満たされる、って気持ちは一緒だし。別に可笑しいことでもなんでもないとリリィは思うよ」
 暫く思いを巡らせていたみなもだったが、小さく呟く。
「あの……それでしたら……姉妹愛なども百合に含まれますか?」
「んー、やっぱり友愛と一緒で境界線が曖昧で難しいかもしれないよ。それって少しずつ育まれていくものというか、気付いた時には一緒にいて離れられなくなってました、って人が多いだろうしね。越えられない一線がどこなのかってそれもそれぞれだと思うし。キスしたら一線越えました、っていう人もいるだろうし、キスくらいは挨拶、って思う人もいるだろうし。やっぱり気持ちの問題もあるかな」
「気持ちの……」
 その時、リリィが何かを思いついたように笑顔になる。
「あ、リリィ分かったー! 百合の中で大事なのは、心の結びつき! なんか純粋な心の繋がりってのがあるような気がする」
「心の結びつきが大事…そうなんですね」
「うん。リリィは夢魔だけどそう思うよ。リリィね、思うの。みなもはそういう恋愛が出来る人だって」
「あたしにそんな難しいことが可能でしょうか」
「出来ると思うよ。それにね、リリィがここに来た時に辿ってきたキミのお姉様の歌。これ多分キミにしか効かないかも」
 ハッとしたようにみなもはリリィに視線を向ける。可愛らしくウィンクを放ったリリィは胸に手をあて呟く。
「さっきの歌。すっごい温かくて優しい感じがしたから。人魚の誘惑って愛の歌でしょ」
「えぇ、そう聞きました」
 先ほど歌声に感じていた温かさはきっとそうだ、とみなもは確信する。
「ほらね」
 くすっ、と笑うとリリィは大きく伸びをしてみなもの額へと指を伸ばす。つんっ、と軽く突いて艶やかに笑う。困惑の表情でみなもはリリィの瞳を見つめた。
「すっごく温かかったから誰の所に続いてるんだろうって思ったんだよ、リリィ。他の人への誘惑の意志が全くなかったから、誘惑の力を相殺なんてしなくても良かったの。だからリリィがここへ来たのは歌に引き寄せられたからじゃなくて、ただ気になったからここに来ただけ」
 意味が分かる?、とリリィは含み笑うがみなもにその真意は伝わらない。
「……お姉様はあたしのことをとても可愛がってくれてますから」
「うんうん、よく分かってるというか分かったよ。なんか楽しみが増えちゃったなぁ」
 リリィの言葉にみなもは首を傾げる。何か楽しいことがあったのだろうか。分からないままだったが、リリィが楽しそうだから良いかとみなもは笑顔で御礼を述べた。
「あの……今日は本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
「また…相談に乗ってくれますか?」
 おずおずとみなもが申し出たそれにリリィは大きく頷く。
「喜んで。あ、次はまた夢魔の格好とか可愛らしい格好とかしてくれると嬉しいな。リリィに着せ替えさせてあげるね」
「そ、そんなお姉様のような……!」
「ふふふっ、冗談だよ、冗談」
 それじゃあまたね、とリリィは闇へと融けていく。
 残されたみなももまた、夢から現実の世界へとゆっくりと戻っていった。

 夢の中でも響くあの歌声は、優しくみなもを包み込んでいた。そしてそれに合わせるようにみなもも夢うつつのままその歌を歌う。
 いつかみなもの歌声も大切な誰かへと届くのだろう。それは優しさとなって相手を優しく包み込むに違いない。