コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


人形博物館、見学 〜Bad Day?〜

■プロローグ

 どこからか、鐘の音がする。
 ついに私にも春が来たんだ――教会の鐘の音は、結婚式の始まりを告げる音だ。きっとそうに違いない。
 うっとりと、その音に耳を澄ます。
 ――ジリリリリリ。
 随分無遠慮な鐘の音だった。
 そんなわけない。
 一瞬で現実に引き戻された。
 勢い良く布団を捲り上げると、ひたすらに鳴り続ける音の主を振り仰ぐ。
 十時半。
 時計の針は無情だ。
 目を擦ってみたって、戻ってくれたりはしない。
 九時に起きる予定だったのに、つい目覚まし時計のセット時間を変え忘れたのだ。
 この日の始まりは、最初からこんな感じだった。
 まるで今日と言う日を象徴するかのように。
 牧・鞘子(まき・さやこ)は、慌てて家を飛び出たのだった。

■久々津館

 目指す場所は、なるほど、分かりやすかった。
 ――ちょっと住宅地の奥に入ったところにあるけど、目立つから、迷うことはないと思うよ。
 師匠からそう言われてはいたが、まったくその通りだった。
 大通りからはかなり離れた、閑静な住宅街。その中に突然に姿を現した『いかにも』な洋館。
 低めの壁には蔦が絡み、その向こうには木立が見えた。敷地はかなり広そうだ。さっきから壁沿いに歩いているけど、なかなか門に当たらない。師匠を通じて、だいたいの時間は告げてあるのだが、その時間はとっくに過ぎていた。焦りが募ってくる。
 壁に沿って角を曲がり、なおも歩くと、ようやく門が見えてきた。
 『久々津館 -人形博物館-』
 立てかけられた控えめな表札を確認する。
 ――うん、ここで間違いない。
 館と関係のある店なのだろうか、門を背にして道の向かいには、アンティークドールを扱う店があった。普段なら気になって立ち寄るところだけれど、時間のこともある。それに『パンドラ』と看板にあるその店は、あいにくとシャッターが閉まっていた。
 意外にも庭は丁寧に手入れがされている。その先にある洋館らしい大きな観音扉は、開け放たれていた。
「ごめんくださーい」
 それでも、声を掛けながら入る。入ってすぐの部屋は、小さなホールになっていた。受付も兼ねているのだろう。左手奥に小さなカウンターが見える。右手側は住居なのだろうか。「関係者以外立ち入り禁止」の立て札があった。
 館の内装も、地味ながらも落ち着いた雰囲気。清潔感が漂う空間は、好感度が高い。
「いらっしゃいまセ」
 右手の立て札の向こうから声が届く。平坦な、それでいて妙に引っかかる、喋ることそのものに慣れていないようなイントネーション。
 現われたのは、日本人形、という表現がぴったりくるような容姿の女性だった。ストレートの長い黒髪に、美人だがどちらかといえば地味な日本人顔――ただ――その顔には何の表情も見えない。愛想がない、では片付けることのできない、そう、それこそ人形のような無表情が覗く。
「ご見学、ですか」
 そのせいか、投げかけられた問いにも、一瞬、反応が遅れてしまう。
「あ、ええ、えっと、それだけじゃなくて、ええと、紹介されてきたんです。牧、牧鞘子と言います。レティシアさんはいらっしゃいますか?」
 喋りながら、どもってしまった声をなんとか整え、師匠の名を告げる。師匠からは、レティシアという館の住人を訪ねて行けばいいと言われていた。
「はい、承っております。ですが、レティシアは少し出かけています。すぐに戻ってくるとは思いまスが」
 思わず、天を仰いでしまう。遅刻したが故のすれ違い。明らかに自分が悪い。
 でも、まあ。今さら悔やんでも仕方がない。それに、すぐに戻ってくるならちょうど良い。その間に、博物館を見せてもらえばいい。そう、切り替える。
 久々津館――ここは、人形ばかり集めた博物館。
 人形師として、興味がないわけがない。
「それじゃ、戻ってこられるまで見学させてもらっていてもいいですか? お手数ですが、戻られたら教えていただけると助かります――ええと」
 視線を向けると、彼女の口が少しだけ、ほんの少しだけ笑みの形を作った。
 ――かがり、と言います。
 同性なのに、思わず鼓動が早くなった。
 それを気づかれないように、お願いしますと返答しながら、博物館の入り口へと、炬から背を向ける。
 微笑みって、出し惜しみしないといけないんだ……そんなことを思う鞘子だった。

■博物館、見学

 人形博物館は、予想通り、いや、予想以上の素晴らしさだった。
 入り口をくぐった瞬間から、興奮が止まらない。
 もちろんそれを表に出すようなことはしない。いくら他に人の姿が見えないとはいえ、美術館、博物館の類では静かに、大人しく展示物を堪能するのがマナーだ。そんなことは重々承知している。
 館内は地域ごと、そして時代を追って、部屋は続いていた。そこに居並ぶ人形達は貴重なものが多い。けれどそれらに混じって、いわゆる『普通』の人形も展示されていた。素人が作った手作りの人形。価値そのものはほとんどない、大量生産の人形。
 職人の手による精巧なものももちろん、人形師としては垂涎ものだったが、その時、その場所で愛されていた人形たちもまた、興味深い。例え技術、美術的に目を見張るものがなくとも、当時の生活や、持ち主の感情や、色んなものが滲み出ているから。
 そんなところが、すごく良い。
 何時間見ていても飽きることがなさそうだ。
 館内も、外から見たよりもさらに広く感じる。
 順路もあるのだが、何度も行ったりきたりしてしまう。
 ただ、夢中になってそんなことを繰り返しているうちに、問題が起きていた。
「……あれ?」
 気づいて、辺りを見回す。身体ごとくるりと一回り。疑問符だけが頭に浮かぶ。
 いつの間にか、順路の表示はどこにも見えなくなっている。
 人形はそこかしこに置かれている。でも、冷静に立ち戻って良く見てみると、どこか様子が違う。違和感が背中を撫でるような、そんな感覚が走る。
 そうか。
 気づいた。
 展示、されていないのだ。人形は置いてある。そう、置いてあるだけ。明らかに見られることを意識していない、雑多な置き方。保管してある、そう言ったほうが正しいのかもしれない。
 ということは、いつの間にか――展示物じゃない、保管庫のような場所にまで入り込んでしまったのか。立ち入り禁止の札などは見なかったのだけれど……正直な話、人形に夢中でそれ以外の記憶がはっきりしていない。見落としたのかもしれない。
 こんなことは初めてだった。
 ――戻らなきゃ。とりあえず、今来た方向に逆に進めば、戻れる……はず。
 心の中で言い聞かせながら、踵を返す。
 いや、返そうとした。
 相当動揺していたのかもしれない。
 ぐらり、と視界が傾いた。
 つま先が何かにぶつかったのだ。
 躓いた。
 と、思ったのも束の間。次の瞬間には――。
 鞘子の身体は、ど、がつくほど派手な音を立てながら、頭から思い切り良くダイビングした。
 ――人形が並べられている、その、ただ中に。
 すぐに起き上がったけれど、既に手遅れ。
 慌てて散らばった人形たちを拾い上げる。
 顔が熱い。火がついたようだった。色んな意味で、こんなところは人には見られたくない。
 今日はこれで、遅刻に続いて二度目の失態だ。厄日なんだろうか。
 一つ、また一つと人形を机の上に戻していく。なんだか涙が出そうだ。
 けれど、涙が出る前に。火照った顔から、今度は血の気が引いていった。
 人形を手にして、身体が硬直する。
 目を見開いて、凝視する。手の中のそれ――おそらく精巧に作られた、アンティークに属するだろう古い和人形。いつの時代のものだろうか、鞘子にもすぐには分からない。
 ただ、それが気になって固まったわけではない。
 一種の現実逃避かもしれない、と自分の中の妙に冷静な部分が分析していた。
 その人形は――左肩から先が、なかった。
 視線を左右に向ける。すぐ近くに、予想していたものが転がっている。
 人形の、左腕だ。
 どうしよう。
 詳しくは分からずとも、鞘子も人形師のはしくれだ。この人形が、それなりに価値の高いものだということは分かる。弁償だけではない。師匠の顔にも泥を塗ってしまうかもしれない。いくら修復できたとしても、それはもう、『修復された人形』になってしまうからだ。
 脂汗が噴出してくる。身体が動かない。
 そんなときだった。
 どこからか、声が響いたのは。

■幻灯

 ――顔をあげなさい。
 落ち着いた声音。でも、なぜか押し潰されるような圧迫感がある声。押し殺した怒りをたっぷり含んだ声が、響き渡る。
 ゆっくりと顔を上げる。
 そこには、先ほどの受付の女性――炬がいた。
 いや。
 違う。
 気づく。何かが違う。
 ただ微動だにせずに立つその姿は変わらない。
 でも、その、情感のある喋り方。
 それに対して、おぼろげに見える彼女の姿の――無機的な質感。
 良く出来たマネキンのような、温かみの感じられない姿。顔。炬とそっくりだけれど、生を一切感じさせないそれは――等身大の人形だった。
 ただ、その瞳だけは燃えるように紅く、そして生々しい力を誇っていた。睨みつけられていると思うほどの強い眼差し。それが一層、畏怖を引き起こす。
 ――よくも、私の仲間を。
 今度は、搾り出すように溢れる憎しみが込められる。
 ――代わりに、貴方を人形にしてあげる。
 その一言を合図にしてか。
 まだ散らばっていた人形達が起き上がった。
 素早い動きで、硬直したままの鞘子の足首が掴まれる。
「ひっ」
 思わず声が出てしまう。くすくす、と乾いた忍び笑いがそこかしこから聴こえた。
 まさか、ここにいる人形達は。
 ――その、まさかよ。全員、意思を持っているわ。
 心の中を読むかのように呼応する声。
 そして、左手首を押さえているぬいぐるみと目が合う。
 その瞳の中に意思の光を感じて、息を呑む。
 ――さあ、仲間を酷い目にあわせてくれた、その復讐……どうしてくれようか。
 出かけた悲鳴が、その台詞に打たれたかのように飲み込まれる。
 感情が、それまでよりもより強く、吹き付けられる暴風のように打ち付けられた。
 その色は、悲哀、憎悪、憤怒――そして、愉悦。
 ……愉悦?
 自ら出た単語が、小さな棘となって突き刺さる。
 それは、疑問の棘。
 たった一つ穿たれた穴から、冷静さが少しずつ戻ってくる。確かに最後の一瞬、微かな愉悦が残ったのだ。軽く笑うかのような、微妙に上がるイントネーション。
 何かが、おかしい。
 すっかり恐怖の根は引いていき、頭が回転し始めた。まだ引っかかるところがある。喉に魚の骨が引っかかったような感覚。
 そうだ。
 カチリ、と音がするかのような、ジグソーパズルの最後の一ピースが嵌った感覚が走る。
「おかしいわ」
 自然と声が出る。
 ――何が
 変わらず脳内に直接響く、その声に割り込む。
「全員、って言いましたよね。確かに、さっきから皆立ち上がってこっちを見てる。自分たちの意思で動いてる。なら、なんで避けなかったの?」
 周囲から漏れていた忍び笑いが消える。だからなに、という話ではあるのに、その態度が明確に、あることを示していた。
 すなわち、これは――鞘子を嵌める、悪戯だということ。
 ――あははははははははっ!
 いきなり、高笑いがこだました。その声の大きさに、思わず耳を塞いでしまう。
 ――ばれちゃったかあ。しかし、細かいところまで聞いてるのねえ。にしても、皆動揺しすぎ! それじゃ、図星だって丸分かりじゃない、ったくもー。
 急に声音が反転する。ど、がつくほどに明るい、飛び跳ねるような声に。
 ――はははははっ……と、自己紹介がまだだったわね。私は灯。なんとなく気づいてるだろうけど、炬とは姉妹みたいなもんよ。驚かせてごめんね、でも、貴方、気に入ったわ、よろしくね。
 そう言う灯の人形の顔は無表情だったが、悪戯っぽい笑みが見えるような、そんな風に見えた。
 近くにいた別の人形が、灯の手を取り、持ち上げる。
 差し出されたその手は、こちらに向けられる。
 その意図を察して、鞘子はその掌をしっかりと掴む。
 少しだけ、腹が立たないでもなかったなかったが、まあ許せる悪戯とは言えるだろう。

■終宴

「やられたわねー灯。ま、そんな悪戯を仕掛ける貴方が悪いんだけどね」
 背後からのそんな声に弾かれるように振り向くと。
 そこには、今度こそ人間の女性が立っていた。
 金髪碧眼で、肩を少し越えるくらいの髪を軽くウェーブさせている。ゆったりとした服装の中にも、女性らしい体つきがうかがい知れた。
 にこやかに微笑するその姿を見て、本当に、久しぶりに人間を見た気がした。そして、その容姿、様子は師匠から聞いていた人物と一致する。
「はじめまして。レティシアさんですか? 師匠の紹介を受けてきたのですが」
 その問いに、彼女はゆっくりと、穏やかに頷いた。
「炬からも話は聞いています。ごめんね、こんなところで。でも灯には気に入られたみたいね」
 微笑が、少しだけ苦笑に変わる。
「お詫びも兼ねて、お茶でもどう? 何なら――お酒もあるけど。人形の話でもしながら」
 酒、と言う単語に思わずぴくりと反応してしまう。
「お酒のが良さそうね」
 さらに笑みの質が変わる。にやり、と笑うその様も、嫌味など全く感じない。むしろ、艶然とした、という表現がぴったりくる。
 こんな笑みを使い分けられたら、そこらの男どもはイチコロだろう。
 人形の扱い方だけじゃなくて、こういうところも学びたいくらいだ。
 と、それはともかく、まずは。
「遅刻してしまってごめんなさい! で……申し出、有難く受けさせていただきます!」
 と、軽く頭を下げて、元気よく答える。
 今日の不運は、これからの時間で全部お釣りがきそうだった。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【2005/牧・鞘子(まき・さやこ)/女性/19歳/人形師見習い兼拝み屋】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/灯(あかり)/女性/60歳/無職?】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
初めまして。伊吹護と申します。発注ありがとうございました。
最初ということもあり、キャラクターの表現など手探りでしたが、いかがでしょうか?
鞘子らしいところが出てるな、と思っていただければ良いのですが……。
マイペースでやっておりますが、またのご依頼、お待ち申し上げております。