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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


     魅惑のメロウ

高い天井と石床の廊下は、歩くものたちの足音を遠く響かせた。
天井や壁に吊るされた電燈は灯されることなく、闇の中、館長の持つ燭台の火が揺れる。
シリューナは迷いのない足取りで進み、ティレイラがキョロキョロと周囲を眺め回しながら後を追う。
閉館した美術館に、他に人はいなかった。
いや、開いていたとしても同じだろう。三人の歩く廊下は、関係者以外の立ち入りが禁止された最深部なのだから。
「あ、よく見ると天井に絵が描いてある!」
 身をそらすように上を仰いで目を凝らすと、感激の声をあげる。それは館内中に聞こえたのではないかというくらいに反響した。
 慌てて口をふさぐティレイラを、シリューナは軽く振り返った。
「ティレ。遊びで来たわけじゃないのだから、わきまえなさい」
 師匠にピシリと言い放たれ、弟子はしゅん、と肩をおろす。
 その後はさすがに声をあげなくなったものの、辺りを興味津々に眺めることだけは変わらず、何度か置いていかれそうになっていた。


「――こちらなどはいかがですかな」
 とある部屋に案内し、椅子と紅茶を勧めた後、館長はおもむろに尋ねかけた。
 何の用事で何を所望しているかなど、口には出さない間に、である。
 やはり蝋燭のみの暗がりから、大きな箱が差し出される。
 手は館長の後ろから伸びていたのだが、頼りない明かりの中ではその人物の姿までは窺い知れなかった。
 箱から現れたのは、美しい装飾品たちだった。
 館内のガラスケースに展示されるどんな美術品よりも、それらは輝いて見えた。
「私の込める魔力に耐え得るものはあるかしら」
 シリューナはうっとりと目を細め、指先を彷徨わせた。
「わぁ、キレイですね〜お姉さま」
 師匠の横から覗き込み、ティレイラが大きな瞳を輝かせる。
「どれも一級品です。美術品としても……魔道具としても」
 老紳士は自信を持って微笑んで見せる。
「そうでなくては困るわ。……そうね。これなんて良いかしら」
 薄いハンカチを手に、中の一つをつまみあげる。
 細かな細工を施された白銀色の指輪に、海の底よりも深い青い宝石が澄んだ光を放っている。
 指輪やそれを彩る模様の曲線と、カットされた宝石の直線とが見事に調和した、実に素晴らしい一品だった。
「さすがシリューナ・リュクティア様! お目が高いですな」
 館長は恐れ入った、という様子で声をあげた。
 金儲けに従事する輩は見る目のない金持ちに粗悪品を高値で売るが、ここの館長は本当に価値のわかるもの相手にしか取引しかしない。
 特に力のある宝石はその効果さえ完全に扱える相手にしか渡したくない、という徹底ぶりなのだ。
 この喜びようからして、用意されたものの中でも特にお勧めの品だったらしい。
「では、これをいただくわ。お代はどうしたらいいかしら?」
「それなんですが……実は、鑑定をお願いしたいものがありましてな」
 館長がそういうと、暗がりからまた別の箱が差し出される。
 今度は先ほどよりもずっと可愛らしい小箱だった。
「正体不明の品でして、取り扱いに困っておるのです。あぁ、勿論、箱を開ける分には問題はございませんよ」
 じっと検分しているシリューナに、館長自ら箱を開けて中を二人に見せた。
「ガラスのお花……ですか?」
 それを見た瞬間、声をあげたのはティレイラだった。
 乳白色の光沢を放つ、透明な薄い花びら。それが幾枚も重なり、美しい花のつぼみをつくっている。
 触れれば一瞬にして散ってしまいそうなほどに儚げな、それでいて威厳に満ちたものだった。
 先の装飾品に、勝るとも劣らぬ魅力がある。
「そうでもなさそうだけど」
「ええ、ガラスのように見えますが、どうも違うようなのです。人工物でもなければ、自然物の中にも思い至らない。いや、問題は材質よりもその効能ですな。下手に触れることもできませんし、かといってそれがわかるまでは人の手に渡すわけにもいきません」
 館長は真剣な表情で訴えた。平素からの真面目な仕事ぶりが窺い知れるようだった。
「わかったわ。鑑定を引き受けさせてもらうわね。お代については、鑑定後にまた話し合いましょう」
「どうもありがとうございます、助かります」
深く頭を下げる館長に、シリューナも静かにうなずいて見せた。


「お姉さま、大丈夫なんですか? 正体不明だなんて……もしもすごい呪いとかかけられていたらどうするんです!? 私、私、お姉さまがいなくなるなんて嫌ですよぅ!」
 ティレイラは家に着くなり、両の拳を握りしめて必死に叫ぶ。
 涙を滲ませる彼女の頭にそっと手を乗せ、シリューナは言った。
「大丈夫よ。危険はないわ」
「本当ですか?」
 すがるように師匠の服を握りしめ、じっと見上げるティレイラ。
「そのくらい、一目でわかるわ。効果も……おおよそは見当がついているの。後は、調べ直して確認してみるくらいかしら」
「なんだ、そうだったんですね。よかったぁ」
 ティレイラは師の言葉を聞き、ほっとしたように胸を撫でおろす。
「確認するときには、あなたも協力してちょうだいね、ティレ」
「はい、もちろんです!」
 元気よく返事をする弟子に、シリューナはにっこりと微笑んでみせた。


 調べ直すのに、大した手間と時間は要しなかった。
 その翌日にはその『ガラスの花』をティレイラに差出し、シリューナは言った。
「ティレ。これをね、お風呂に入るときに湯船に入れてごらんなさい。お風呂といっても、お水でなくては駄目よ」
「お姉さま、もうわかったんですか。すごーい。でもお風呂って、一体どういう効果があるんですか?」
 無邪気に尋ねるティレイラに、シリューナはまたしても柔らかく微笑む。
「そうね、綺麗になれるわよ」
「本当ですか!? やったぁ、嬉しい!」
 両手で包み込んだまま、飛び跳ねんばかりに喜ぶ。
 上機嫌にバスルームへ向かっていくティレイラを、シリューナは黙って見送った。
 

 ジョボジョボと浴槽に水をためながら、ティレイラはまとっていた服を1枚1枚脱いでいった。
 一糸纏わぬ姿になってから、バスタオルでそれをおおう。
「ひゃ、冷たい」
 パシャッと触れてから、蛇口をひねって水を止める。
「でも、綺麗になれるんだもんね。我慢、我慢」
 自分に言い聞かせるようにしてから、湯船に足をつけ、身を沈める。
 急激に身体が冷えて身震いした。
 すぐ傍に置いておいた『ガラスの花』をそっと手に取り、両手の上に乗せたまま、ゆっくりと沈めていった。
 すると、つぼみだったその花は、ゆっくりと花開き始める。
 そのとき、何らかの魔力が発せられているのをティレイラは感じた。
 身を浸していた水の冷たさが、やわらいでいく。
 それは慣れたからだけではないのだと、ティレイラはやがて知ることになる。

「きゃあぁっ」
 バスルームから、可愛らしい悲鳴があがった。
 それを耳にしたシリューナは、特に慌てる様子もなく立ち上がり、歩き出す。
 辿り着くと、ドアを軽くノックして声をかける。
「……ティレ、入るわよ?」
 開けると、そこには半泣きになったティレイラがいた。
「お、お姉さまぁ……」
 浴槽に両手ですがるようにして、水につかっている少女。
 だがその両足は魚の尾に変化していて、パシャンと水を跳ねさせた。
 長い髪の間から覗く耳も、長いヒレのようなものに変わっている。細い首筋にはエラらしき線がすっと入っている。
「き、綺麗になれるって言ったじゃないですかぁ」
「あら、とっても綺麗よ?」
 シリューナはふふ、と恐ろしいほどに美しい笑みを浮かべる。
 実際、ティレイラはいつも以上に愛らしく見えた。
 濡れた黒髪が露出された肌にはりつき、柔らかな身体にそって丸みを描く。
 細くしなやかな曲線から続くおヘソの下を、青い尾びれを乳白色の光沢を放つ鱗がおおっていた。
「あれは、人魚の鱗でつくられた、変身作用のあるものだったのよ。効力の発動条件も、これではっきりしたわね」
 シリューナはまじまじとその姿を眺めながら言った。
ティレイラは尾に変わった足と、あらわになっている胸元を隠す。
「隠さないで。どこがどう変化したのか確認しないと、実験にならないわ」
 その手をとって、そっと移動させるシリューナ。
「は、はい……」
「上半身……特に胴体部分にはあまり変化はないのね。皮膚の感触も、それほど変わらないかしら」
 じっくりと検分され、ティレイラの頬が真っ赤に染まる。
 今更恥ずかしがらなくても、と思うものの、長く伸びたヒレのような耳を垂れ下がらせ、照れる姿はまた愛らしいものだった。
「感触はどう? いつもと違う?」
「え、えっと……ちょっと手があったかいです」
「ああ、身体が冷えているからかしらね。水はどう? 寒い?」
「いえ。ちょうどいいです」
「尾の方も確かめたいから、水から出してもらえるかしら」
 言われて、ティレイラは尾を持ち上げ、浴槽の縁にもたれさせた。
 水を滴らせ、鱗が輝きを見せる。
「綺麗ね……」
 鱗の1枚1枚を撫でるようにして、シリューナがうっとりとつぶやいた。
「浴槽よりも、大きな水槽を用意した方がよかったかしら?」
「い、いりませんよぉ。それより、早く元に戻してください」
 ティレイラは火照る顔を水の中に沈める。
「――そう焦ることないじゃない。せっかくなのだから、堪能なさい。ジュースでも持ってきてあげるわ」 
「ジュースですかっ!?」
 その言葉に、ティレイラは瞳を輝かせた。
 同時に耳がパタパタと動く。尾も跳ねさせるものだから、水しぶきがあがる。
「ええ。とびきりおいしいものを用意してあげるわ」
 シリューナの微笑みに、ティレイラは現在の状況も忘れ、無邪気に喜んだ。
 

 少しすると、シリューナはグラスを片手に戻ってきた。
「わぁ、キレイ」
 黄金色に輝く液体を目にして、ティレイラは笑顔になる。
「ありがとうございます、お姉さま」
 それを受け取って、早速口に含んだ。
 ――何の疑いもなく。
「おいしい?」
「はい、とって……も?」
 ほとんど飲み干したところで、妙な違和感に気がつく。
 先ほどまで思いのままに動かせた足……人魚の尾が、急に固く感じたのだ。
 目を向けると、揺らぐ水の中で、青い尾びれの先が灰色に変化していた。
 それを見るなり、さーっとティレイラの血の気が引いていく。
「お、お姉さま……あの、あの、まさか……」
 怯えた表情を浮かべる弟子に、師匠のシリューナはにっこりと微笑んだ。
「――異果の実にはね、中国に伝わる黄金色の果物で……食べると石化する効能があるんですって」
 悪びれもしない返答に、ティレイラはやっぱり、と心の中でつぶやいてしまう。
 いつものことで予想はできていたはずなのに、今となってはどうしようもない。
 パキパキと、固い音と共に身体が石化してゆく。
「お姉さま、助けてくださいぃ」
 無駄だとわかっていながらも懇願するティレイラ。
「大丈夫よ、いずれ戻してあげるわ」
 そんなやりとりをしているうちにも石化は進み、やがて全身をおおってしまう。
 しなやかな肉体を包んだ石は、肌のなめらかさや柔らかさを見事なまでに表現していた。
 頬を伝う涙や一瞬の表情さえを、そのままにとどめている。
 等身大の、人魚の石像。普段も十分に愛らしいけれど、この瞬間だけ見せる姿もまた、愛らしい。
 シリューナは細い指で、つぅっと石の肌をなぞった。
 感触は随分違うが、曲線の美しさはいつもと変わらない。
 浴槽の中から石像を引きずり出して、再度その全身を眺め回す。
 完成された美が、そこにあった。
 シリューナは暫くそれに見惚れ、時折愛撫しつつ堪能し尽くした。


 その後、鑑定代だけでは足りない装飾品代金の支払い分、ティレイラの石像は一時的に美術館に安置された。
 大層な客寄せとなり、館長はとても喜び、シリューナにとっても大満足ではあったが、当のティレイラには災難でしかなかったというお話……。