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<東京怪談ノベル(シングル)>


花達の隣で

□prologue
 ひゅうと頬で感じる風が冷たい。
 スポーツの秋も終わり、そろそろ冬の到来だろうか。
 黒・冥月は抱えた土産の袋を確認し『Flower shop K』のドアに手をかけた。
 何と言うか、勿論、彼女に変な気遣いもぎこちない空気も無い事は分かっているのだが、果たして笑顔で迎え入れてくれるのだろうか。
 少しだけ逡巡し、腕に力を込める。
『くすくす』
『来た来た、来たよー』
『いらっしゃいませー!』
 聞きなれた、花達の囁き。そして、ドアの開閉に気がついたのか、店の奥から、たたたと走り寄る足音が響く。
「いらっしゃいませー」
 花屋の店員、鈴木エアが笑顔と共に現われた。
 今日は、いつも通り彼女が店番をして居るようだ。
 変わらない彼女の表情を見て、冥月は心の中でほっと一息、肩の力が抜けた。

□01
「たまたま近くまで来たからな。食虫植物を見に来たんだ」
 冥月は、言いながらぐるりと店内を見回した。前回この店を訪ねた時に一つ二つ小さな鉢を見たのだが、その時とは配置が変わって入るようだ。
「有難うございます。この間の事、おぼえて居てくださったんですね! いやー、あの時の冥月さんは凄かったですよぉ。審査員は皆……、いえ、えっとぉ、女性はみーんな冥月さんを推薦しましたからねぇ」
 えっへんと、何故か胸を張るエア。
 極めて怪しいスポーツ大会の会場帰りで、食虫植物の事をエアの口から聞いた。彼女は、その時の事を言っているのだろう。
「……、そう、だったかな」
 そんな風に褒められても、何となく複雑な思いがする。けれど、あの競技場に招かれたからこそ、エアと落ち着いて話ができたのだと考えると、まぁ、それも良しとしようか。
 冥月は目を瞑り口元で笑って見せた。
 持っていた雑誌をレジ台に置き、エアがエプロンの紐を結びなおす。
「そうですよ。あ、コレコレ、これです、食虫植物! ね? 葉っぱがギザギザで噛み合うようになってるんですよ」
「ほぉ」
 エアの手のひらに乗っていたのは、小さな小さな植物だった。
 確かに葉の部分はギザギザとして噛み合わせのようになっているが、人差し指の爪の大きさほどしか無い。こんなミニチュア植物では、虫を喰らうイメージとは程遠いなと感じる。
 それでも、冥月が覗き込むと、
『こんにちは』
 と、礼儀正しい言葉が帰ってきた。

□02
 エアが、木製の丸テーブルを出してきた。折りたたみ式のモノをレジ台奥にしまっているらしい。手際良く、テーブルとお揃いの折りたたみ椅子が並べられる。白いテーブルクロスが当然のように敷かれたところを見ると、どうやらこの店のお茶セットのようだ。客がいない時には、休憩するのだろう。
 テーブルには、先ほどエアが取り出した食虫植物がちょこんと置かれた。
 他にも種類があったようだが、買い手がついてお嫁に行ったと言うことだ。
「絵本やアニメだと、人間を飲み込んだりする悪役が多いじゃないですか。でも、実際はこんなに小さくて可愛い物もあるなんて素敵ですよね。店長が仕入れてきたときにはどうなることかと思ったんですけど、意外に人気でした」
 差し出された湯飲みを受け取り、椅子に腰掛ける。
 確かに、大胆なデザインが小さく縮小されたような食虫植物は印象的だ。
 これを可愛いと手放しで喜んで良いのかどうかは分からないが、観葉植物に飽きた上級者ならば欲しいと思わせる何かが在る、と思う。
「でも、まだ一度も虫を捕まえているところを見た事が無いんですよ」
 エアは、冥月の正面に座った。はぁとため息をつきながら、ずずと茶を啜る。
「虫は……いるようだが」
「そうです。花屋ですからねー。小さな虫は仕入れた花についてきます。でも、一度も見た事が無いんですよ。何でだろう? 夜にこっそり捕まえているんですかね?」
 エアの話を聞きながら、静かに気配を探る。
 店のあちこちで小さな気配を感じた。神経を極限まで集中させてみると、かすかに羽音も聞こえてくる。
「時々、店内にハエが飛んで来るんですが、お客様に印象が悪いですよね。だから、そう言う時こそ、ぱくっと食べてくれると嬉しいんです」
 この小さな食虫植物にどれほど期待をしているのか、エアは目を細め植物を眺めた。冗談なのか半分くらいは本気なのか判断がつきかねる。
『食べる事はできません』
 その時、礼儀正しい声が聞こえた。
 控え目だけれど、断固とした口調だ。
『私の身体の大きさでは、そのような大きな虫は不可能です。茎が重さに耐えられませんし、そもそも消化液も間に合いません。万が一、虫が落ちてきても逃げられてしまうでしょう』
「……」
 まぁ、植物の言う事ももっともだと、冥月は心の中で唸った。
 とは言え、食虫植物が虫を捕まえるところを見てみたい、と言う気持ちも分からなくは無い。それに、エアがとっても見たそうなのだ。
 冥月は持っていた湯飲みをテーブルに置き、エアに向かって提案した。
「何か……、そうだな、箸は無いか?」
「お箸、ですか?」
 首を傾げたエアだったが、レジ台の後ろ側から菜箸を差し出す。
 菜箸を受け取った冥月は立ち上がり、店の中の気配を探る。狙いを定めて、滑らすように腕を一振りした。
 器用に指の先を動作させ、小さな羽虫を捕らえたのだ。
「これくらい小さければ大丈夫だろう」
『ええ。はい。大丈夫だと思います』
「何の話です?」
 冥月の独り言とも問いかけともつかない言葉に、それぞれが反応する。エアに箸の先を見せ、食虫植物の負担になら無いよう、小さな虫を消化液の部分に置いてやった。

□03
 ひとしきり食虫植物を堪能すると、エアが二杯目のお茶を淹れ直した。
 冥月は礼を言って湯飲みを持ち上げたが、思い出したと土産の林檎を取り出す。
「仕事で貰ったんだが、青森の林檎、ふじだ」
 お茶請けにと、一つ持ち上げた。
 エアが覗き込むのを確認し、パチンと指を鳴らす。
 すると、林檎がするすると皮が剥け落ち、食べ良い大きさにさっくりと割れた。へぇぇぇーと、エアは目を丸くした。これも簡単な影の応用なのだが、実際目の前で食べやすいカットされた林檎が出来上がるのを見ると感動する。
 そんなエアの反応を楽しみながら、冥月はふと食虫植物を見た。
「仕事でオーストラリアに行った時だったかな、世界最大の食虫植物を見た事がある。確かウツボカズラの『ネペンティス・ラジャ』といったか。これは鼠さえ溶かすそうだ」
「ウツボカズラって言うと、虫を捕まえる部分が袋になっているアレですよね? 鼠って、虫じゃないですよぉ? これくらいはあります。そんな、植物に無理じゃないですか?」
 冥月の言葉に、エアは笑う。両手で人の足ほどの輪を作り、鼠は無理だと首を振った。
「だいたい、鼠を溶かそうと思ったら、それ以上の袋がいるじゃないですかぁ」
「……それ以上の袋だった」
「……」
 まぁ、動物を溶かす植物が実在すると、当たり前のように思うほうが難しいのかもしれないけれど。
 真顔でそれが存在するのだと言う冥月に、エアは笑顔で固まった。
「あるんですか、ほんとうに」
「ある」
 冗談だと、思っていたようだ。
 エアは、その植物を想像するように上を向き、何秒か考えた後……、テーブルに乗った小さくて可愛い食虫植物に話しかけた。
「貴方はね、そんなに大きくならなくて、良いんだよ? ね? 小さいままでも良いじゃない。今が一番可愛いよ」
『安心してください。私は元々あまり成長せぬよう品種改良されています』
 食虫植物の返事は、エアには聞こえていない。
 植物に話しかけるだけで満足している様子のエアを見て、ふと、冥月は問う。
「もしもの話だが、もし花と話す事が出来たりしたら、どうする?」
『無理では無いでしょうか。彼女には、私の言葉が全く聞こえていませんが』
『聞こえないよねー』
『エアは何にも力がないもんねー』
 すぐに、花達の囁きが重なった。
 それに反応し無いよう、冥月はエアを見る。
「花達って、この店の、でしょうか? どうしたんです? 急にって、あ、私が今この子に話かけていたの、変でしたか? ほら、花って人間の言葉を聞いているって、時々聞くじゃないですか」
 つまり、せっかくなので、店にいる間だけでも花には楽しい事を聞かせてあげたいのだと、エアは言う。自己満足なのかもしれませんけれどと、照れたように笑うので、いつも花に話しかけているらしい。
「いや、昔そういう力の持主がいてな」
「え?! 本当に、会話するって事ですか? そ、それは、凄いですね」
 凄いと言うか、この店の花は皆会話するのだが、黙ってエアの反応を待った。
「そう、ですね。そう……寂しくは、ないでしょうか」
「寂しい?」
「ええ。産地から離れて、卸売市場に連れてこられて、花屋に運ばれて、お客様の所に嫁ぐ。ずっと、居場所が留まらないですよね。それって、寂しいのかな、なんて思ったりします」
『あっはっは。そんなわけ無い無い。だって、あたし達、ずっと意識が繋がってるもんっ』
『考えすぎ考えすぎ。くすくす』
 しんみりとするエアに対して、花達の声は明るい。そのギャップを伝える事は無いけれど、冥月は口元に笑いを浮かべた。
「エアはこれだけ花が好きなんだ、きっと気持ちは通じてるさ」
「そうでしょうか。そうだと、良いですね」
 冥月の言葉にエアが笑うと、花達も一斉に笑う。
 こんな光景を見ていると、温かい店だなと思った。

□epilogue
 ひとしきり話しこみ、お茶を堪能した。
 そろそろお暇しようと席を立つ。その時、ふと、レジ台に置かれた雑誌が目に入った。
 それは、冥月が来店した際にエアがレジ台に置いた雑誌だった。園芸関係の月刊誌なのか、カラーの表紙には色鮮やかな花の写真が使われている。
「おほほ。ちょっとお店が暇でしたので、時間つぶしに」
 サボっていたわけではありませんよ? と、エアが笑った。
 園芸関係の雑誌とは、どのようなものなのか。ぱらぱらと雑誌を捲って見せるエアの手元を覗き込んだ。しかし、記事の内容よりも、記事の下の広告に目が行く。
「修行キット『チビモモン(LV1)』? 何だこれは」
「……、ああ、この広告時々見ますよ。缶詰……みたいですけど……。モモンガを倒すゲームじゃないでしょうか?」
 よくよく広告を読んで見るが、どうもイマイチ要領を得ない。修行キット? 何かのゲームの付属品ではなかろうかとエアは言う。
「でも、缶詰のモモンガのイラストは可愛いですよね! もしこんな可愛いモモンガが飛び出て来るなら見てみたいな」
「……可愛い」
 ふむ。確かに、缶詰に描かれているイラストは可愛い、のかも。
 けれど、修行キットと言う名づけがそもそも怪しい。まぁ、自分とはあまり関係ない事だけど。
 冥月は、茶の礼を言い店を出た。
 やはり、風は冷たい。
 ふと後ろを振り向くと、エアが大きく手を振っているのが見えた。
<End>