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『紅月ノ夜』 其ノ肆
猫の長老。鴉。蝙蝠。など、など。
(ふぅ……雲母ちゃんのこと、っていうか、吸血鬼のこと見かけたっていう情報はないなぁ)
雲母は元々は人間だった。ということは、彼女を「ああいう風にした」原因が……吸血鬼がいるはず。
半年ほど前に奇妙な人物を見たが、それ以降は見かけていないということだ。
その奇妙な人物というのは、黒装束の者だというが、まるで影のようで印象に残っていないらしい。
腕組みして夜の道を歩いていた樋口真帆は、うーんと唸った。
(雲母ちゃんも、あれからあんまり見かけないしなぁ)
おかしい。先月はわりと好感触だったというのに。
バイト先であるコンビニも一週間で一日ほど出ているだけで、真帆が来ても会えないのだ。
他の店員に話を聞いても、体調が悪いらしいとだけ、教えられた。
生憎と、雲母の連絡先は知らないし、携帯電話の番号もメルアドも知らない。
(また血が足りなくなっていたらどうしましょう……)
心配だ。
(雲母ちゃんて、どう見ても無理をするというか……我慢しちゃうタイプですもんね……)
肩の力を抜くのが下手そうだ。
真帆の血をちょっと飲んだだけで大泣きして走り去ってしまうほどに、精神面も弱い。
足元を走り去る猫を見遣り、嘆息した。
猫の去った方向を見て、真帆は軽く目を見開く。
びっくりした。
それはもう、とっても、びっくりした。
街灯がやけに暗く感じる。それは単に真帆の印象なのだろうが、それでも今までの明るさが半減した。
その薄暗い闇の中から現れたのは、長い黒髪を腰まで伸ばした美人さん。
退治屋。雲母を脅かす存在だ。
彼女はこちらに気づいただろうに、関係ないように、いや、まるで視界にすら入らないとでも言うように真帆の横を通ろうとする。
「こ、」
振り向いて。
「こんばんわ」
声をかけてしまっていた。
真帆の声に、通り過ぎようとした彼女は足を止め、少しだけこちらを振り向いた。肩越しに見えるチョコレート色の瞳は、闇を通すと真っ暗だ。
「た、退治屋さん、ですよね?」
「…………」
「樋口真帆っていいます。良かったら、名前を教えてくださいますか?」
「……?」
どこか怪訝そうに眉をひそめた彼女は、くるりとこちらを向いた。
真正面から見ると、ますます美人さんだ。雲母とそう年齢は変わらないだろうに、彼女のほうがかなり大人に見える。
「名前? なぜ」
「え。えと、呼ぶ時に困るから……」
「困らない。退治屋でいいわ」
冷ややかに言う彼女は目を細める。
「でも退治屋さん、じゃ……変じゃないですか?」
「どこが?」
……不思議な人だろうなとは予想はしていたが、ここまでとは。
「私は正真正銘の退治屋。学校の先生に『先生』と呼ぶのと一緒よ」
「そ、そうですか?」
「ええ」
淡々と話す声は綺麗で澄んでいるのに、変だ。雲母のような、あたたかみが感じられない。
「私を呼び止めた理由を述べなさい、樋口真帆」
「え? あ、あの」
思わずおののく。
理由? それは、その。
「えーっと……吸血鬼退治の、依頼というか……。その依頼主に関してなんですけど」
「教えるわけないでしょう?」
(ですよね)
心の中で頷く。
仕事をしている退治屋が、あっさりと依頼主を明かすとは真帆も思っていない。
まあ一応、訊くだけきいた。それだけだ。
上目遣いに女を見る。女の自分からしても魅力的だが、なんだろう……そりゃ、スタイルで勝てるなんてさらさら思ってないけれど、まるで人形のようだ、彼女は。
「どうして、あなたは退治屋をしているんですか?」
「愚問」
さらりと言われて、最初は何を言われたのか理解できなかった。
「ぐもん?」
言い返し、頭の中で漢字に変換する。ぐもん。あ、もしかして「愚問」?
「私はそういう一族に生まれただけ。あなただって、生まれが関係しているのではなくて?」
「っ」
ぎく、として頬が引きつる。
咄嗟に顔をそむけてしまう。やましいことなんてないけれど、それでも、言い当てられて困惑したのだ。
「さ、さすが退治屋さんですね。私のこと、ご存知ですか」
「…………」
彼女は少し沈黙し、それからなにやらごそごそと衣服の中を探って名刺を出してきた。
「ん」
と、差し出してくる。
よくわからないが受け取った真帆は名刺に視線を落とす。名刺というには、名前の部分が空白だが。
「……ようげき、しゃ?」
って読むのだろうか? 戸惑う真帆に彼女は無表情のままで言う。
「臨時的だけど、そこでも働いてるの。…………」
ちょっとだけ視線をあさってのほうへ向け、すぐに真帆に戻す。
「奇妙で奇怪な事件に巻き込まれている、人外の存在に脅かされている、そんな方、ようこそ妖撃社へ。
我が社は誠心誠意・真心を込めてあなた様のお悩みにお応えいたします。
どんな小さなことでも気軽にご相談ください。専門家たちがあなたの助けになること、間違いありません」
「……………………………………………………………………………………」
唖然、とするしかない。ぽかんとして見上げている真帆の前には、無表情、さらには無機質な声で言ってのけた退治屋の娘が居る。
なにいまの。
宣伝文句? にしては、もう少しくらい感情を込めてもいいと思うんですけどなんなのほんと。
「ま、あなたには関係のない話だとは思うけど、一応宣伝はしておけって言われてるから」
いや、平然と言ってますけどおかしいよね、言ってること。というか、この場面でこれ? 宣伝?
(……やっぱりこの人、変わってる……)
つかめない。雲、とまではいかないけれど、目の前のこの娘は、どこか人間とは一線を画しているようにすら思えた。
「困った人とかいたら、ここを紹介してあげてもいいし。値段は依頼に見合ってるし、悪い連中じゃないわ。お手軽よ、うちに頼むより」
「???」
「まぁ、庶民の味方ってことね」
「はぁ……」
微妙な顔をする真帆などどうでもいいらしく、一仕事を終えたように娘は少し胸を張った。
名刺と娘を見比べ、真帆はしばらくしてから……肩にかけているバッグに入れた。
「あのぉ、もしここに行ったら、あなたも居るんですか?」
「…………そうね。居るわ」
「お名前がわからないと、指名、できませんよね」
ちょっと上目遣いに見ると、彼女は沈黙してしまう。10秒以上経ってから、ああ、と洩らした。
(この人ほんとに表情変わらない……)
凝視していても、眉一つ動かないのだ。
「それとも、指名とかできないんですか、ここ」
「いや、できる」
口調が男のものになった。先ほどまでの、どこかのらりくらりとしたものが消えうせたのだ。
真っ直ぐに真帆を見返してくる女の瞳は、見れば見るほど深く、まるで井戸の底のようだった。
「遠逆未星。それが私の名前」
「とーさか、みほしさん?」
返事はない。
「遠逆家ではなく、妖撃社経由ならば安い依頼料で済む」
彼女は身を翻して歩き出そうとした。
「未星さん!」
再び呼び止めた真帆を、彼女が振り返って見る。
「あ、いえ……あの、やっぱり雲母ちゃんを見逃しては、くれませんよね……?」
「………………」
冷たく睨まれて真帆は口を閉じる。怖い。
当然だろう。未星は仕事で雲母を退治しようとしているのだ。見逃す、というのは契約違反になる。
簡単に見逃せるのなら、彼女のような退治屋に頼みはしない。
絶対に仕事を遂行するという信頼があるからこそ、選ばれているのだ。
ではなぜ、雲母が狙われているのか。
理由は簡単だろう。退治屋は、吸血鬼退治を依頼されているはずだ。
現在未星の標的は、雲母、もしくはそれに関わる吸血鬼に限定されている。吸血鬼を人間と同じような種族名とするならば、雲母の他にも存在はしているはずだからだ。
「いいんです。失礼しました」
ぺこりと頭をさげた真帆は、刺すような殺意を帯びた視線を感じた。そっと顔をあげると、未星はすでに背を向けており、そこらに転がっている石ころのような気配の希薄さで佇んでいた。
彼女は何も言わずにそのまま歩き出す。足音もたてず、闇の中へと消えていった。
安堵の息を吐いた真帆は、疲れたように呟く。
「殺されるかと思った…………」
それに。
「……やっぱり雲母ちゃんを見逃す気はないみたいですね」
*
布団をかぶって、雲母は震えていた。
いつにも増して青ざめ、白い肌で。
こわい。
怖い。
瞼を閉じるのも、こわい。
瞼を閉じると、みえる。あの赤い眼が。
退治屋は本能的に怖い。でもあの赤い眼のほうが、怖い。雲母の人間としての意識が拒否をしているのだ。
こわい。
「………………」
さらに奥深く布団の中に潜り込み、謝罪した。
「ごめん……真帆さん」
せっかく誘ってくれたのに。バイト先にも来てくれているのに。
だって。
「会えない……」
こわい。
ゾッとしてしまうのだ。若い娘の血液があんなに甘いと思わなかったこともある。それに。
欲しがっている自分を、軽蔑してしまうのだ。
「ひっ……うぐ……」
涙がこみ上げてきた。吸血鬼になっても、涙が流れるのだから不思議だ。
いっそあの退治屋に殺してもらおうか。そうすれば誰にも迷惑をかけずに済む。
でもそれは嫌だ。自分になんの落ち度があるのだ? 巻き込まれただけだ。なぜ自分が死ななければならない?
「メロム……」
憎しみを込めて小さく呟き、雲母は唸った。
もうそろそろ夜明けだ。眠りに入ろうと体が訴えている。
睡魔に襲われながら、雲母はあの退治屋を思い浮かべた。あの退治屋は何を考えているのだろう? さっさと殺してくれればいいのに……。
*
数日後。
「樋口、真帆」
名乗られた名前から、調査をした結果の書類に未星は目を通す。
ビルの屋上のフェンスに腰掛けた彼女は、抜群のバランス感覚で転落もせずに座り続けている。
「高校二年生。成績も悪くはない」
もちろん、表向きのことだけではなく、一般人にはうかがい知ることのできない情報もそこには載っていた。
組んでいた足を組み替え、未星は「ふむ」と呟く。
「使えそうか、この娘は」
その表情からは、何を考えているかは一切読み取れない――――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【6458/樋口・真帆(ひぐち・まほ)/女/17/高校生・見習い魔女】
NPC
【藍靄・雲母(あいもや・きらら)/女/18/大学生+吸血鬼】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、樋口様。ライターのともやいずみです。
今回は退治屋、遠逆未星との物語でした。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
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