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<東京怪談ノベル(シングル)>


     クヌムの工房(アトリエ)

 そこは乾いた土の壁に囲まれた、四角い部屋だった。
 椅子に腰かけたみなもの前では、男が熱心に粘土をこねていた。
 静かな中、ろくろを足で蹴る音が妙に響いている。
 四方の壁にはレリーフが施されていて、足元には沢山の置物のようなものが並んでいる。
猫や、犬や、鳥……ありとあらゆる動物たちだ。
 小さいけれど、今にも動き出しそうなほどリアルものだった。
 ――ここは、どこなんだろう。
 みなもはぼんやりと考えた。
 記憶が曖昧で、さっきまで何をしていたのか、どうやってここに来たのか、覚えてはいなかった。
 部屋の中には、時計も窓もなかった。
 電灯もないのに、何故かぼんやりと明るくなっている。
「――ああ、また失敗だ。どうもうまくいかない」
 男は不意に、ため息をついた。
「……一体、何をつくっているんですか?」
 みなもはためらいがちに、男に声をかけた。
 ぼさぼさの髪にもじゃもじゃの髭を生やした、浅黒い肌の男だった。
「何をつくっているか? そんなもの、見てわからないのかね」
 男はみなもの方をちらりとも見ずに、ボリボリと頭をかいた。
 ろくろの上に乗っているのは、皿や茶碗などではなかった。
 もっと大きくて、変わった形のもの。
 それが人間……子供の姿だと気づくのに、何故かしばらくの時間を要した。
「駄目だな、これは。素材は同じはずなのに、何がいけないのだろう」
 ブツブツと文句を言いながら、男は粘土を練り直してゆく。
 粘土の塊とはいえ、人の形が消えていく様を見るのは奇妙なものだった。
「形がよくないのかもしれない。もっと、本質を表現しないと。――コレも……」
 自分の方に手が伸びてきたかと思うと、みなもはいつのまにか、ろくろ台の上に立っていた。
 先の粘土のように、くるくるとまわっている。
 驚いて足を降ろそうとするが、しっかりと固定されていて、動かせなかった。
「あの、すみません。降ろしてもらえませんか」
 不安に駆られて声をかけるが、男はじっと考え込むばかりで、目線を合わせようともしなかった。 
「まずは、耳だな。臆病な動物だから、大きく、上向きにつくり変えた方がいい」
 ひとり言のようにつぶやき、手が耳に伸びてくる。
 不思議と、痛みなどはなかった。
 ただ自身の体が、形を変えていく感覚だけはあった。
「やめてください。あたし、動物じゃありません」
 動くこともできない恐怖の中、みなもは声を震わせた。
「動物じゃない? おかしなことを言うな。……人間というのは、不思議なものだ。動物や、他のものに『人間らしさ』を見出そうとして。自分が獣の一種だと忘れているんじゃないのか? それはいかん。ちゃんと、思い出させてやらないと」
 他のものに人間らしさを見出す――擬人化の、逆の試みとでもいうのだろうか。
 男はどうやら、みなもの姿を何らかの獣に近づけようとしていっているらしい。
「目はもう少し離すべきだろうか。視界は広い方がいいが……通常よりも大きな瞳をしているようだから大丈夫かな。それから、上唇に切れ目を入れて……犬歯なんかもいらないな。元々、草食の動物なんだ。腸の長さもそれに適しているし、獲物を襲えるような性格でもない」
 みなもの顎に手をかけ、まるで化粧でもするように口元にヘラやコテなどを持ってこられ、細工を施されていく。
 自分が今、『作品』として扱われているのだと、はっきりと感じとれた。
 なのに……何故だろうか。
 作業が進めば進むほど、それが当たり前のことように思えてきた。
 運命として受け入れられるような気がしたのだ。
「――そういうものなんだ」
 その心を見透かしたように、男が言った。
「家畜として飼いならされているからというわけではなく、そうした性質が家畜にされやすかったのかもしれない。それに……生贄としても。死を前にしてさえ、それを享受する従順さは、神聖視されることも多かったようだな」
 一瞬何のことだかわからなかったが、自分が変えられようとしている動物のことなのだ、と思った。
 ――いや、もしかしたら……自分自身のことを言っているのかもしれない。
 違う。あたしは、死にたくなんてない。そんなの、受け入れたりはしてない。
 そう思いながらも、口にすることはなかった。
 おとなしく、されるがままになるばかりだ。
「群れの中にいないと、落ち着かないだろう。誰かが動き出すと、それに従う。逆うこともなく、どこまでも。どうだ、違うか。君は『そっち』の方が合っているんじゃないのか」
 そっち……そっちというのは、何のことだろう。
 わかるようで、わからない。
「……獣としての自覚を持つには、やはり体毛が肝心だろうか。そうだな、自身に毛が少ない分、他の動物の毛皮を欲するようになったのがそもそもの間違いかもしれない。ああ、だが肌が白くて毛並みがいいというのは、『アレ』と同じだな。といっても、肉用は肌が黒い、なんてのも全て人間が勝手に決めたものではあるが……」
 ブツブツ言いながらみなもの髪をなで、それから身体全体に、粘土らしきものを塗りたくられる。
 体毛というのを、これからつくり出すつもりだろうか。
 全身毛むくじゃらになる姿を想像すると、嫌悪を覚えた。
 なのに抵抗も反論もできないのは、男の言うとおり、従順すぎる性質のせいなのだろうか。
 身体が変化していくうちに、より臆病に、よりおとなしくなっていっている気もした。
 そうして少しずつ近づいていく、それが自分の本当の姿のようにも思えてくる。
 粘土が身体をおおうにつれ、その感覚はより顕著になった。
 恐怖も嫌悪も、段々と薄れてゆく。
 むしろ、悦びさえ感じるようになってきた。
 耳がよくなって、鼻もきくようになって。身体は温かな毛に包まれて。
 何だか、安心する。
 そうでないといけなかったんだ。
 今まで不安だったのは、どこか居心地が悪かったのは、それが本当の自分じゃなかったからなんだ。
 そんな風にさえ、思った。
 ようやくその姿が完成したとき。
 みなもの身体――顔と手足を除く場所をおおっていたのは、白いもこもこの羊毛だった。
 そう。彼女は、羊に近づいていっていたのだ。
「――君だけじゃなく、人間は元々、それに近い。迷える子羊と自分たちを喩えることもあるし、胎児に関わるものには羊膜や羊水などと言うだろう。その中でも君は、より羊に近かったというわけだ。これは、尊いことだよ。『人間』であることにこだわりすぎて『獣』から離れていった人間は……もう、救いようがない」
 みなもの頭を、壊れていった粘土の子供がよぎった。
 もう、姿かたちもうろ覚えだった。
 ――そうだ。人という形に、人間というものにこだわる必要なんてない。
 それを失うことに怯えていた自分が馬鹿らしく思えた。
 ろくろ台を降りる頃には、その運命をすっかり受け入れることができていた。
 ただ仲間の群れがないことが、少しだけ寂しかった。


 男を振り返ったとき。
 そういえばエジプトに、クヌムという人間を創造した神様がいたな、とぼんやり思った。
 ろくろ台の前に座る、羊の神様が。