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即席サンタの受難録
◇ はじまり、はじまり ◇
アンソニアは、手渡された服をまじまじと見つめて呆然と窓の外を見た。
彼が握っているのは、赤を基調としたフリース生地のツーピースだ。白い生地で縁取られ、裾の余るズボンには太い黒のベルトが通されている。
夜眠ろうかと窓を閉めようとした時に、突然降って湧いたように現れた男が、とうとうと「クリスマス」についての弁論を並べ立てた後で、彼にそれを手渡したのだ。
『……というわけで、君達に私の手伝いをして欲しいんだよ』
たった今そう言って、少年の返事を聞くこともなく開けっ放しの窓から出て行った男。
自称をサンタクロースと名乗った彼が、本当は何者だったのかなどは、少年には知る由もない。だが、トナカイの繋がれた空飛ぶソリに乗って、この場から消えたのは紛れもない事実だ。
それは少年の背後で、ことの展開を見守っていた老執事が保証してくれるだろう。
否。問題はそのようなことではない。
サンタクロースの手伝いとは、つまり。
「坊ちゃまが子供達へ、クリスマスプレゼントを配るということでございますか」
少年の考えを先読みしたように、老執事がこともなげにそう告げた。
錆び付いた音でも立てそうな具合に首を巡らせた少年は、えも言えぬ表情で老執事をじっと見つめる。
「ちょっ……と、待て」
わなわなと震える唇は、それ以上の言葉を上手く言葉にしてくれない。
それでも何とか深呼吸をして頭の中を軽く整理した少年は、今度はその声に渾身の力を込めて――
「僕はプレゼントを貰う方じゃないのか!?」
人員手配の為に踵を返した老執事の背中へ、ありったけの絶叫を投げ付けた。
◇ であい ◇
少女は、屈託のない笑顔で笑っていた。隣にはぬいぐるみのペンギンが一つ――否、今目元が動いた気がするのだが気のせいだろうか――と、少女の手にはチラシが一枚握られて。
「瑞花ね、サンタさんのお手伝いにきたの」
幼い子供特有の、少々舌っ足らずな声で告げられた言葉は、彼女が老執事の募集に引っかかった《助っ人》の一人であることを決定付けた。
開いた扉の先での光景に一度パタリと執事は戸を閉めて、偶然通りかかったアンソニアに珍しく呆けた顔で目を配せる。
「何、その顔。じいらしくないんじゃないの?」
「はぁ、非常にお可愛らしい助っ人がいらっしゃいまして」
「は?」
クレスフォード邸内でそんな珍妙な会話が重ねられていると、再び大きな扉を叩く小さな音が聞こえた。
突然閉じられた門扉に、扉の前で小首を傾げる少女の姿が目に浮かんで、老執事は腹を決めて再び扉を開く。
そこには案の定、先程見たままの少女とぬいぐるみがあった。
再度開かれた扉の向こうには、幼い少女のキラキラと輝く赤い瞳が覗く。
「おじいさんがサンタさんなの?」
期待を込めて少女の尋ねた言葉には、老執事は完璧なまでの笑顔を浮かべて首を振った。
「いいえ、残念ながらわたくしめは、しがない執事の一人にございます。本日瑞花様と行動を共にするサンタクロースは、こちらのアンソニア様でございますよ」
「え? でも、お兄ちゃんは白いおひげ、はえてないよー? サンタさんは、白いおひげのおじいさんなんだって、本で読んだもん」
「サンタクロースにも様々な方がいらっしゃるのです」
「待て、じい。まさかそこに居る少女が……」
「はぁ、クリスマスプレゼント配送の助っ人でございますが、如何いたしましたか?」
つらつらと連なる会話の応酬に、玄関の先に目を配せた少年がひくりと顔をひきつらせた。
彼の言わんとする所をいち早く察した老執事が、弁明を口上に乗せようとした時だ。
「ちょいと待ちな、アタイのことを忘れるんじゃないよ!」
何やら瑞花とはまた違った、可愛らしい声が朗々と響き渡った。少々荒い口調で告げた人物は、しかし辺りに見当たらない。少年と老執事が玄関の先を背伸びして見渡していると、足下から少女が「あ」と呟いた。
「ペン子ちゃん、大きい声をだすと、みんなびっくりしちゃうよ?」
「そう言ったってお嬢、あの二人、アタイのことに気付いちゃいないんだもんさ」
「は……いや、え? ぬいぐるみが、喋って……?」
「こら、そこの坊ちゃん。人を指差しちゃダメだって、小さい頃に習わなかったのかい?」
アンソニアが呆気にとられて、ぽかんと口を開いた。少女の隣に立つペンギンのぬいぐるみは、両手を腰に当てたまま何やら常識的なことを述べている。……サングラスを掛けた、ペンギンのぬいぐるみが喋っているという時点で、常識も何もあったものではないのかもしれないが。
ぬいぐるみの隣に立つ少女が驚かない所を見ると、どうもこのぬいぐるみ――いや、「アタイ」と言って喋っている以上、彼女と呼んでおいた方が良さそうだ――は少女の同行者らしい。
案の定、瑞花は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「ペン子ちゃんはね、瑞花のおともだちなんだよー!」
「だからお嬢、アタイの名前はフォルトゥーナ・ペンギィーノだって……も、いいや」
子供特有の元気良さでもって告げられた言葉に、少年と老執事は互いに顔を見合わせる。すぐに来客へにこりと微笑んだ執事とは対照的に、アンソニアはがくりと項垂れて自らのこめかみを揉んだ。
◇ もりのなきごえ ◇
どうやら自称サンタの男の置いていった品は、アンソニアへのサンタ服だけではなかったらしい。
部屋へ戻ってみると、何故か増えていた小さなワンピースタイプのサンタ服。三つに増殖したサンタ帽、それから空っぽの白い袋と、小さな紙切れ一枚が、ベッドの枕元に畳んで置かれていた。
袋を手にした瞬間に、僅かな重みが増して中を見ると、そこには綺麗に包装されたプレゼントらしき箱が一つ。これはいよいよ常識の二文字とは無縁の珍道中になりそうだと、少年はここでも項垂れて見せた。
包みの中から、時折がさごそと聞こえる気がするのは、気のせいだと思いたい。
それとはお構いなしに、広げたサンタ服に目を輝かせる少女が一人。ペンギンのぬいぐるみと連れ立って、分厚い衝立の向こうへ駆け込んで行く。
いそいそと着替えて現れた少女の服が、まるであつらえられたようにぴったりだったのは言うまでもないことだ。
「それでは瑞花様、フォルトゥーナ様、坊ちゃまをよろしくお願いします」
「はーい!」
「任せときな、執事さん。お嬢も坊ちゃんも、二人まとめて面倒見てやるよ」
きゃらきゃらと笑う瑞花が手を挙げ、ペン子ちゃんことフォルトゥーナは、とん、と胸を叩いて見せる。
「ねぇちょっと待ってそれ逆じゃないの? ねぇ」
一息に言い切った少年も、無理矢理着せられたサンタの服を纏っていた。時間はもうじき夜になろうかという頃。用意された馬車に乗り込みながらの出来事だ。半ば尻を叩かれるように急かされて馬車に乗り込んだ三人は、動き出した馬車の中で揃って一枚の紙を覗き込んだ。
「森にすむ妖精さん? この子にプレゼントをあげに行くの?」
「そうみたいだね。森と子供の名前以外には何も書いてないみたいだけど……」
尋ねる瑞花に、アンソニアが返す。紙の上には、《夢見の森に棲む、ショコラという名の妖精へプレゼントを届けること》と綴られている。けれどフォルトゥーナが、ちちち、と手を振って二人の会話を遮った。
「この紙、普通の紙じゃないみたいだよ。もしかすると、後からまた文字が浮き上がってくるかもねぇ。所で、この夢見の森って近くなのかい?」
ぬいぐるみであるが故、彼女の表情は読み取れなかったが、どうやら楽しんでいるようだ。顎をさする真似事をしてみても、滲み出る乗り気なオーラは隠せない。
「まぁね。二十分くらいじゃない? 森自体もそんなに広くない筈だよ」
アンソニアの告げた言葉は、果たして事実だった。クレスフォード邸を出てから、二十分強。フォルトゥーナが、はしゃぐ瑞花を窘めたり一緒になってはしゃいでいる内に、馬車は高い馬の嘶きと共に動きを止める。
開かれた扉からは、瑞花が転がるように飛び出した。
「迷うと大変だから、はぐれないようについて来……っておい、こら、ちょっと待て!」
一番最後に馬車から降りた少年が、振り返ってギョッとする。突然上がった大声は、短い足で驚くべき早さをもって駆けて行く瑞花へ投げつけられたものだ。
「あ、お嬢! 一人は危険だって! ちょっと、待っとくれよー!」
掴んだ袋と、二人の陰が、日の落ちていく森の中へと駆けて行く。流石に、子供の足だ。前を走って行った瑞花へは、すぐに追い付けた。
しかし、何やら少女の様子がおかしい。二人の方へ背を向けて、彼女は地面にしゃがみ込んでいた。
フォルトゥーナが、そっと近寄って声をかける。
「お嬢? 一体、何をして……」
彼女がひょこりと覗き込んだ瑞花の足下には、小さな小さな、茶色い生き物が蹲っていた。大人の人間の両手に乗るほどしかない背中は、ふるふると震えているようだ。
時折えぐえぐと鼻を啜る声が聞こえて、フォルトゥーナは瑞花を見上げた。
「この子は?」
「泣いてるのがきこえたから、走ってきたんだよ。瑞花もかなしいのはいやだから、どうしたの? ってきいたんだけど、ずっと泣いてるの」
困ったように眉尻を下げた瑞花は、後からやってきたアンソニアを振り仰いでぱっと表情を明るくした。
「あ、そうだ。プレゼント! アンソニアちゃん、プレゼント、貸してほしいの!」
「は!? アンソニアちゃんって何だ! いや、駄目だね。プレゼントはこの森の妖精の子供に……」
「でも、この子も妖精さんのこどもだもん」
おねがぁい! と言わんばかりに、両手を上げてプレゼントをねだる瑞花は、まるで自分がプレゼントを貰うかのように必死だ。ちら、とフォルトゥーナを横目に見遣った少年だが、彼女はない肩を竦めてお手上げを示す。
やがてはぁ、とため息を吐いたアンソニアが、袋の中に入っていたプレゼントを少女へ渡した。
それを見て、花のように微笑んだ瑞花はプレゼントを受け取る。
小さな箱をふるふると泣いている妖精の子供へ差し出して、少女は驚かせないように囁いた。
「メリークリスマス、妖精さん。サンタさんからのプレゼントだよ。泣かないで」
『ひっく……だ、だけど、妹がどこにもいないんだ。……こ、こんなんじゃ、笑えない、よ……ふぇ』
「妖精さん、家族がいなくなっちゃったの?」
『二日まえから、すがたが、見えなく、て……』
えっくえっくとしゃくり上げる妖精の子供だが、瑞花が足下に置いた箱から突然、ガサガサガサ……と何やら物音が聞こえた。
驚いた瑞花と妖精の子供が互いに顔を見合わせると、同時に首を捻って箱の包みに手を掛ける。
恐る恐るリボンを外してから、箱の蓋を開けた時だった。
『もーう、あんちゃん! めそめそ泣いてんじゃないわよ! ちょーっとあたしが迷子になったくらいでみっともない!』
プレゼントと称された箱の中から、茶色く丸っこいフォルムの妖精が飛び出して来たのだ。それは丸まって泣いている足下の妖精と瓜二つで、ただ吊り上がった瞳だけが、「あんちゃん」と呼ばれた妖精との違いを物語っている。
フォルトゥーナに似て、小さいながらに姉御肌と言った感じだ。
「えっと……だぁれ?」
瑞花が疑問符を浮かべて目をまん丸と見開けば、少女を見上げた威勢の良い方の妖精がニッ、と笑った。
『あたしはあんちゃんの妹だよ! ちっちゃなサンタさん、届けてくれてありがとね。一昨日から知らないりょういきで迷ってたんだけど、昨日しらないおっちゃんにつかまって、もとの家までとどけてやるからって、あのはこの中に入れられてたんだ。心配だったけど、信じてまっててよかったよ』
そう告げてから、妹妖精は兄妖精の背中を押して帰っていく。
途中幾度か振り向いて、『じゃーねー!』と手を振った妹妖精へ、瑞花は嬉しそうに大きく手を振り返した。
「結果オーライ、って言うの? これも」
「さぁてねぇ。まぁ、お嬢には幸福が味方してるからさ。アタイもいい仕事したもんだ」
「は? 何が」
「いいや何も」
とてとてと小さな足音を立てて戻ってくる瑞花を迎えながら、アンソニアとフォルトゥーナはそんな会話を交わしていた。
◇ まちのいたずら ◇
再び馬車に乗り込んで、例の紙切れを覗き込むと、先程まで書かれていた筈の森の名前と妖精の名前は、跡形もなく消えていた。代わりに紙面に浮かんでいたのは、とある町の名前と別の子供の名前だ。
三人は紙に書かれた町まで、急ぎやって来たのだが、馬車を降りて徒歩で探そうと試みた所で早くも手詰まりとなった。
「この近くだよねぇ?」
瑞花が紙切れを握ったまま尋ねる。
「その筈だけど……おかしいな。肝心の家の住所が書かれてないんだよね」
「この紙に掛かってる魔法、どこか間違ってんじゃないのかい?」
「僕が知るわけないでしょ」
ためつすがめつ紙を覗き込むフォルトゥーナに、少年はそう返して首を振った。
「取り敢えず、この周辺で聞いて回るしか……」
彼がそう言って人を探し始めると、唐突に瑞花が歓声を上げる。
何事かと、ぬいぐるみと少年が二人して少女を見たところ、彼女は輝く瞳で指差した。
「みてみて、キラキラしてるよー!」
いつもと違う町の様子に、どうやらこの景観へ見入っていたらしい。
フォルトゥーナとアンソニアが少女の指の先を追いかけると、なるほど。確かに色とりどりのイルミネーションがあちこちで点滅を繰り返していた。
さながら宝石のようだとでも言おうか。
「……子供って、光るものが好きだよね」
「子供が何言ってンだい」
「いってんだーい!」
「ほら、坊ちゃんのせいでお嬢が真似しちゃったじゃないか」
「え、それ僕のせいじゃないよね!?」
やんやと騒ぎ立てるぬいぐるみと少年の姿に、瑞花は笑い声を上げて駆け出した。後ろを向きながら走っていく姿に、フォルトゥーナが「前! お嬢、前を見なって!」と、たまらず注意する。
――しかし、時既に遅し。
瑞花が漸く前を向いたかと思えば、突然曲がり角から出てきた人影と盛大に激突した。鈍い衝突音が二人の元まで届いて、少年達は思わず身を竦める。
彼らが反射的に瞑った目を開いたのは、瑞花の涙混じりの声が聞こえてからだった。
「やぁあー! 瑞花のぼうし、返してー!」
ハッと顔を上げると、瑞花のすぐ側に見知らぬ少年が立っている。よく見れば、少女と変わらないほどのその少年は、手に瑞花の帽子を握って頭上高くへ上げていた。
それを必死に取り戻そうと、少女は手を伸ばす。しかし、あと少しで届くという所で、少年は帽子を宙高く投げたのだ。
帽子は上手い具合に家の塀の上へと落ちて、瑞花の身長ではもう少し届かない所に落ち着いてしまった。それを、いい気味だとばかりに笑う幼い子供が一人。
「へんっ。サンタのかっこーなんかして歩いてるからだ! 取れるもんなら取ってみな」
いかにもやんちゃなガキ大将といった少年は、仁王立ちになりながら瑞花へ舌を出してみせた。
どこの世にも、このような子供は居るものだ。
今にも泣きそうな瑞花を見かねて、アンソニアが塀の上の帽子を取る。少女へ乱暴に被せたその手で、自分よりも小さな少年の首根っこを掴んだ。
「きみ。悪い子供の所には、サンタは来ないって知ってる?」
「なんだよ、あんた。来ないのはあたりまえだろ! サンタなんかどこにも居るもんか!」
「居るもん! 瑞花たちはサンタさんのお手伝いをしてるんだもん!」
「居ないんだったら居ないんだー!」
爪先立ちになりながら、アンソニアに首根っこを掴まれた少年が喚く。彼の言葉に腹を立てたらしい瑞花も、必死になって応戦するから手が付けられない。
どうしたものかと二人の子供達を眺めていた所へ、喝を入れたのはそれまで額を押さえて傍観していたフォルトゥーナだった。
「こら、そこの少年! 何でもかんでも喚けば良いってモンじゃないだろ! お嬢も、ムキになって応戦するから、少年が突っかかってくるんだよ」
両人の額を軽く叩いてから、腕を組んで二人を見る。
ぺし、と響く軽い音が何とも微笑ましいが、子供達の方は途端にしおしおと気を落とした。
「で、そっちの少年は、一体どうしたのさ? やけにサンタさんを否定してたじゃないか」
漸く静かになった少年へ尋ねると、少年はぽかんと口を開けたまま、フォルトゥーナを指差した。
「ぬいぐるみが……しゃべってる」
「何だい何だい、みんなして! 人を化け物でも見るような言い草じゃないか!」
「いや、あれが普通の人間の反応だと思うけど」
ぷんすかと一人で怒るフォルトゥーナに、アンソニアはポソリと突っ込む。
けれど彼女は、アンソニアの足を思いっきり引っぱたいて黙らせると、「で?」ともう一度少年へ問いかけた。
暫く口を物言いたげに動かしていた少年だったが、やがて思い出したようにアンソニアの手から逃れて頬を膨らませた。
「だってサンタは、おれがおねがいしたプレゼント、くれなかったんだ」
「お願いしたプレゼントって?」
「おれの父ちゃんと母ちゃん、よくケンカすんだけどさ、まえのクリスマスの時もそうだったんだ。だから父ちゃんと母ちゃんがまたなかよくなるように、おれ、父ちゃんと母ちゃんの思いでの花をくださいってお願いしたんだ」
「それで、花が貰えなくてサンタなんて居ない、と自暴自棄になったワケね」
「う……」
「坊ちゃんはちょいとお黙り。その花ってのは、どんな花なんだい?」
「バラだよ。父ちゃんが、母ちゃんにケッコンしてくださいってお願いした時にあげたんだって」
水を差すアンソニアを叱咤したフォルトゥーナは、子供がぽつぽつとこぼした言葉に相槌を打つ。その一方で、サンタが置いて行った袋を漁っていた彼女は、ふと手に当たった感触に目を見開いた。
「なるほど。それで、こんなものが入ってるワケだ」
「ペン子ちゃん?」
納得がいったようなフォルトゥーナの台詞に、アンソニアの背に隠れていた瑞花が不思議そうにぬいぐるみを見つめる。彼女はやけに悪戯っぽい笑みを浮かべて、袋の中身を少年の前に突き付けた。
それはバサリと音を立てて、彼女の手には重そうに掲げられる。赤いベルベットのようなつややかな色を持つのは、大輪の薔薇の花束だった。
まるで手品師のように小さな袋から大きな花束を出したフォルトゥーナは、いつの間にか手にしていた紙切れをひらひらとはためかせている。
「あんた、ユウジって名前だね? サンタさんからのプレゼントだよ」
彼女の手に握られた紙には、確かに《兼田勇二》と書かれていた。
「ここにバラがあるってことは、今も親御さんが喧嘩してるんだろ? これ持って、早く家にお帰りよ」
押し付けるように、フォルトゥーナは少年へと花束を渡す。一体何が起こったのか理解できていない様子の少年だったが、僅かにずれたサングラスの位置を戻してからニッと笑ったフォルトゥーナへ、勇二という名の少年も嬉しそうに笑って返した。
「あ、ありがとな! ペンギンのねーちゃん! それと、その……」
ちら、と少年が物言いたげに瑞花を一瞥すると、瑞花はきょとんと少年を見つめ返して――にっこりと笑った。
「瑞花だよ」
「そっか。さっきはごめんな、ずいか」
「うん!」
少女は数分前の出来事をすっかり水に流した様子で、花束を両手に駆け出した少年を笑顔で見送った。
◇ みずのせんりつ ◇
「で、だ」
フォルトゥーナが、妙に神妙な顔つきでそう口にした。
やっとのことで紡がれたその言葉に、瑞花もアンソニアも黙り込んでいる。
もっとも、瑞花の方は故意に黙り込んだわけではなく、夜も更けた現在、眠気からくる思考能力の低下が原因だろうが。
二つめのプレゼントの配達を終えた三人は、それからまた数時間、馬車に揺られて平原のど真ん中までやって来ていた。その平原の中央にある、木々が乱立する辺り。
そこが、三つ目のプレゼントの配達場所なのだが……。
「この中に入るってのは、何かの間違いじゃあないんだよねェ?」
「泉の中、って。紙には書いてあるね。間違いなく」
「……冗談きついよ」
心なしか、顔が引きつった様子のフォルトゥーナが呟いた。アンソニアも流石にこれは好ましくない事態のようで、苦々しげに足下の泉を覗き込んでいる。
澄んだ水は透明であるにも関わらず、夜闇にまぎれて底が見えない。
ぬいぐるみと少年の二人は、互いに顔を見合わせて、ごくりと一つ固唾を呑んだ。
それから腹を括った様子で、フォルトゥーナがサングラスを外した。
「ぬいぐるみ隊、プレゼントを泉の中へ!」
しんと静まり返った平原に、彼女の声が朗々と響く。途端に、幾つもの小さな足音が折り重なって、馬車の中から大きな包みを抱えたぬいぐるみ達が姿を現した。
ぬいぐるみを操る力を持つフォルトゥーナが、今回の配達物はアンソニアの細腕では運べないだろうと判断した結果だ。
丁度アンソニアの身長ほどもあるプレゼントが、今回の配達物らしい。えいほえいほとかけ声高らかに泉の側までやってきたぬいぐるみ達が、勢いを付けてプレゼントを投げ入れる。当然、巨大なプレゼントは飛沫を上げてゆっくりと水底に沈んで行った。
「きゃうっ」
飛び散った水が頬にかかった冷たさで、船を漕いでいた瑞花が目を覚ましたらしい。
ここはどこかと辺りを見回してから、目をこすりながら泉に沈んで行くプレゼントへ目をやった。
「たいへん! 瑞花もいかなくちゃ」
「まぁ待ちなって、お嬢。その前にきちんと救命具をさ」
「て言うか、どこから出したのさ、その浮き輪」
慌てて泉へ飛び込もうとする瑞花を引き留めて、フォルトゥーナが浮き輪に息を吹き込む。まったくいつの間に用意していたのだろうそれは、仮にもペンギンの姿であるフォルトゥーナに似つかわしくないと言えよう。
必死になって膨らませた浮き輪を装着したぬいぐるみは、浮き輪に結びつけられた紐をしっかりと握って言った。
「べ、別にカナヅチってワケじゃあないよ!? ただ、何というか、その」
「ペン子ちゃんはね、水の中にはいったら、うきあがれないんだよー。だからうきわがいるの!」
「わぁあー!! お嬢! 堪忍しとくれよ!」
幼い子供の純真な心は、時として残酷なものである。
ふぅん、と面白そうに目を細めて笑った少年は、「じゃあお先に」と言い置いてさっさと泉の中へ飛び込んだ。それに続いて、瑞花も見た目に反し、嬉々とした様子で泉の中に飛び込んで行く。
取り残されたフォルトゥーナは、「アタイを置いて行かないでくれないかねェ」と独りごちてから、意を決して泉の中へ身を沈めた。
水中は意に反して、息を止める必要がなかった。
重力は確かに感じるのに、地上と同じく呼吸をすれば、水がその邪魔をすることはない。
試しに口を開けてみても、中に水が侵入してくることはなかった。
「別の空間と混じっているのかな」
そう結論付けたアンソニアが、やがて頭上から沈んでくる瑞花とフォルトゥーナを待って尋ねる。
「さてねェ。ま、何はさておき、この泉に住む水妖の子供を探すよ」
光りすら届かない、暗い水中で、フォルトゥーナが浮き輪にしがみつきながら泳ぐ。その前を懸命に手足をばたつかせて泳いでいた瑞花が、ふと水草の群生している場所を見付けた。
淡水に生える水草が、互いに絡み付くようにして広がっている。ちょうど二メートル四方の水草群の上には、大きな靴下を抱きしめて眠る一人の少女が居た。
暗くてよくは窺えないが、単色の髪に同じような色合いのワンピースを着た、瑞花より二つ三つ年かさの少女。
よく眠っている少女の元へ、起こすのも忍びないかと三人は静かに近付いた。しかし、水の揺らぎを肌で感じたのか、少女の瞼が小さく震える。
ゆっくりと開かれた瞳に映ったのは、小さな少女と、年頃の少年と、ペンギンのぬいぐるみで――。
「きゃあああ! だ……だれだれだれ!? わたしに何の用ですかぁ!?」
「あー、起こしちゃったみたいで、わる……」
「ぺ……ペンギンさんっ!? ここは北の海でも南の海でもありませんよぉ〜!」
きんきんと甲高い悲鳴を上げた少女へ、フォルトゥーナが申し訳なさそうにこうべを垂れる。
謝罪を述べようとした彼女の言葉を遮った少女は、しかし急いで水草の陰に隠れると、今にも泣き出しそうな様子で面々を見た。
「ちょっと落ち着きなって、アタイ達は別に怪しい者じゃ――」
「わ、わ、わたしを食べてもおいしくないですから、どうぞお帰りください〜!」
バタバタと足の代わりに存在する尾鰭を動かしながら、少女は必死に叫ぶ。
フォルトゥーナは落ち着かせようと一歩前に進み出るが、返って一層水草の陰に身を寄せ、怯えてしまった。
まるで手が付けられないとはこういう状況だろうか。
ほとほと困り果てた様子で頭を抱えたぬいぐるみだったが、その隣を瑞花が躊躇いなく通り過ぎた。
あっと言う間に水草の陰まで寄っていった瑞花は、隠れる少女へ手を差し出す。
「はじめまして、人魚のお姉ちゃん。瑞花は、氷女杜瑞花っていうの。お姉ちゃんのおなまえは?」
「あ……アクア」
「アクアちゃんね。あのね、瑞花たち、サンタさんのお手伝いしてるの! アクアちゃんに、サンタさんからプレゼントだよ!」
無垢な笑顔がアクアの警戒心を少しだけ解いたようで、水妖の少女は首を傾げて瑞花を見下ろした。
「サンタ、さん?」
「うん。こっちにね、プレゼントを持ってきたの。きて!」
ぐいぐいと手を引っぱられて、アクアは思わず少女に導かれるまま、水草の外へと出て行った。さほど泳ぐ間もなく、少女の目の前には自分よりも大きな包みが一つ現れる。縦に長い箱のリボンを恐る恐る引っぱると、その箱は箍が外れた扉のように力なく開いた。
白い包みから姿を見せたのは、深い水底でもわかるほどに、キラキラと輝くクリスマスツリーだ。
天上から差す僅かな光すら反射させて、グラスボールは赤、青、緑と色とりどりに輝く。緑のモミの木に巻かれた、ベルを象ったビーズガーランドは、銀色の煌めきでツリーを包み込んでいた。
「きれい……」
「アクアちゃんのほしいものって、クリスマスツリーだったんだね」
「だって、水の中には、クリスマスツリーはないんですよ。地上の人は、こんなにキラキラしたものを毎年見てるんだなって思ったら、私も見たくなったんです」
「そっか、お願いがかなってよかったね。メリークリスマス、アクアちゃん!」
「うん。メリークリスマス、小さなサンタさん」
瑞花の小さな手が、アクアの手を握って握手を交わす。先程まで怯えていたのが嘘のように、水妖の少女は嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と付け足した。
良いクリスマスを、と一言告げて、三人はいつまでもクリスマスツリーに見入る少女へ手を振った。
地上へ戻った三人が次の配達場所を確認すると、不思議な紙切れには「お疲れ様、サンタクロースの使者達へ」と短く綴られ、それが仕事の終わりであることを示していた。
◇ めでたし、めでたし ◇
氷女杜の実家へ帰り着いた頃には、すっかり深夜となっていた。
いつの間にどこから持ってきたのか、両手にグラスボールを抱え込んで眠っていた瑞花を、御者におぶってもらって馬車を降りる。
老執事の配慮で、家まで送り届けてもらったのだ。
瑞花がずり落ちないかと、はらはらしながら頭上を見上げていたフォルトゥーナは、しかし空高くから落ちてきたものに目を瞠った。
ふうわり、ふわり。
軽やかに降り始めたものは、星の煌めきを灯しながらフォルトゥーナの手の中へと落ちていく。
それは瑞花の髪の色と相まって、白銀に輝く粉雪だった。
けれどどこか、ここ数十年で見る雪と違って見えたのは――。
「青い、雪?」
僅かな淀みの混じり始めた、近年降る灰色の雪ではなくて。
青空の薄い水色が反射したかのような、いつか見た澄んだ新雪。
淡い光のようにたゆたう雪は、まるでフォルトゥーナの為に降っているかのように、彼女の周りを取り囲む。
そんなわけはないだろうに。
非現実的な考えを振り払ってはみるものの、そう結論付けるには、この日の出来事はあまりに非現実的すぎた。
次から次へと、プレゼントの出る袋に、一つ仕事をこなした分だけ、次の仕事が浮かび上がる紙切れ。
偶然が重なったかのような子供達との出会いと、プレゼントの中身。
それから、じんわりと胸へ染み込んでいく、「ありがとう」の言葉達。
フォルトゥーナは、目元に浮かんだ笑みをサングラスで隠しながら、目一杯に深呼吸をした。雪の日特有の、冷たく冷えた、形容しがたい香りが身体を満たす。
まるで清水のような香り。無味無臭のようなふりをして、それでも確実に心を洗っていくような、そんな匂い。
「最高のプレゼントじゃないか。ありがと、サンタさん」
前を行く御者にすら聞こえないほどの声音で、フォルトゥーナはきっと届いているだろう言葉を口にした。
◇ おしまい ◇
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2514 / 氷女杜・瑞花 / 女性 / 2歳 / 氷女杜家令嬢?】
【2752 / フォルトゥーナ・ペンギィーノ / 女性 / 150歳 / ガーディアンフェアリー・渡世人】
【NPC / アンソニア・クレスフォード / 男性 / 15歳 / 貴族】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
氷女杜・瑞花様、フォルトゥーナ・ペンギィーノ様。
こんにちは。この度は「即席サンタの受難録」への参加依頼ありがとうございます。
PCクリスマスノベルということで、今回は目一杯クリスマス!という雰囲気を盛り込ませて頂……こうと奮闘したのですが、如何でしたでしょうか。
可愛らしい瑞花様に振り回される、フォルトゥーナ様と坊ちゃん、という作品が書いてみたくて、こういった内容となりました。
ご参加両キャラクターのPL様には、以前制作させて頂いたリプレイを気に入って頂けたようで、今回もより一層の力を込めて書かせて頂きました。
納品日が〆切数日前というギリギリな事態ですが、お話を練って練って、最終的に今の形に落ち着けたことに悔いなく書けました。
今回の作品もまた、お二方のお気に召す作品であれば幸いです。
以下は個別コメントとなります。
フォルトゥーナ・ペンギィーノ様。
氷女杜瑞花様と二人一組、を意識して書かせて頂きました。
姉御肌な人物とのことで、今回の作品では時に叱咤し、時に養護し、瑞花や出会う人々を引っぱって行くような役回りとなりました。
個人的には「まちのいたずら」での一件が、フォルトゥーナ様の見せ所かな、と思います。
こんな姉御が、一家に一人は欲しいものですよね!……などと考えつつ…(笑
執筆最中に、よく「姉御の口調はこれで大丈夫なのだろうか…」とビクビクしながら書いてましたが、ご期待に添えていない部分等ありましたら申し訳ございません;
エピローグ部分のプレゼントは、瑞花様の方でも語らせて頂いたのですが、瑞花様が「形ある物」、フォルトゥーナ様が「形のなくなる物」という区切りを付けて書いてみました。
姓が「ペンギィーノ」なので、最初はペンギングッズでも……などと思いましたが、フォルトゥーナ様は大人、瑞花様は子供、という差を付けたかった結果でこうなりました。
折角のクリスマスなので、雪です。長く生きている彼女には、その一瞬一瞬で生まれる物、消えていく物が色濃く記憶に残ればなぁ、という願いも込められていたりします。
それでは、再びのご縁に感謝し、またのご縁があることを願って。
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