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聖なる夜のコンサート
【オープニング】
十二月に入ると、商店街はどこもクリスマスムード一色に包まれる。
有線ではクリスマスソングが流れ、各店舗の軒先や街灯などには、サンタやトナカイ、柊や星を模した飾りがつけられ、金と銀、赤と緑の吹流しやリボンが飾られる。店内や店先に小さなツリーを飾っている店もちらほら見えるし、ケーキやお菓子を扱う店では、クリスマスケーキの予約受付のポスターが貼られていた。
そんな中、あやかし町商店街のあちこちに、今年は一際目を引く大きなポスターが貼られている。
「クリスマスコンサート……?」
買い物の帰り道、草間零はそのポスターの一つに目を止め、小首をかしげて呟いた。
そう。それは、十二月二十五日の夕方から行われる、コンサートの告知ポスターだった。同時に、出場者も募集中とある。場所は、あやかし町のはずれにある、小さなコンサートホールだ。伴奏は、どこからかバンドを呼んで行うらしい。
「なんだか楽しそうな催しですね。……そうだ。一度、お兄さんに話してみましょう」
ポスターをじっくり眺めた後、零は小さく呟く。再び歩き出しながら、草間だけではなく、他にも誰か誘えば楽しいだろうと彼女はふと思いつくのだった。
【1】
十二月二十五日の夕方。
草間や零と共に、あやかし町のはずれにある小さなコンサートホールで行われるクリスマスコンサートを見に行くことになったシュライン・エマは、草間興信所の奥の台所で、せっせとクラブハウスサンドイッチを作成中だった。
コンサートの開演時間まではまだ一時間近くあるが、草間と零はすでにコンサートホールへと向かっていた。席は先着順のため、どうせ見るならいい場所を取りたいとの思いからだ。対してシュラインは、帰宅後に軽く食べられるものを用意してから行くと言って、ここに残った。
「できたっと」
皿にきれいに盛り付けたクラブハウスサンドイッチにラップをかけ、冷蔵庫の中に収めてしまうとシュラインは小さく吐息をついた。もっとも、彼女の目的はこれだけではない。
台所の床に作られた野菜などを収納するためのストッカーのフタを開けると、彼女はそこから大きな紙バッグを二つ取り出した。それぞれ草間と零へのクリスマスプレゼントだった。気づかれないように、二人がでかけるまでこんな場所に隠してあったのだ。
一つの紙バッグから出て来たのは、きれいにラッピングされてリボンをかけられたかなり大きな箱だった。中身は掃除機である。これは零へのプレゼントだ。
シュラインはそれを、同じ紙バッグに入れてあった自分で編んだ巨大な靴下に入れると、零の部屋のテーブルの上に置いた。
もう一つの紙バッグの中身はブランケットとカバーつきの湯たんぽである。ブランケットは全体がモカベージュで、端の方にコーヒー豆の写真がプリントされている。湯たんぽは昔ながらのアルミ製で、カバーはブランケットと同じモカベージュだった。
こちらはもちろん、草間の部屋に置く。
それらを終えるとシュラインは、出かける支度を整えて、事務所を後にしたのだった。
【2】
件のコンサートホールは本当にこじんまりしたもので、百人も入れば一杯になりそうな規模だった。だが、かえってアットホームな感じのコンサートになりそうで、悪くないとシュラインは感じる。
彼女が着いた時にはすでに入場が始まっており、零がロビーで待っていてくれていた。草間は中で、席を確保してくれているという。が、シュラインは客席へ行く前に、喫煙所や開演後の出入りの有無などを近くにいたスタッフをつかまえて、尋ねることも忘れなかった。もちろん、ヘビースモーカーの草間を心配したのと、化粧室への出入りのことなどを考えてのことだ。
喫煙所はこのロビーの隅にあり、また化粧室は一旦ロビーに出なくても客席から行ける位置にあるらしい。開演後の出入りは、原則的には避けてほしいところだが、喫煙や電話、飲み物を買うためのものは黙認ということのようだった。ちなみに、携帯電話は「マナーモードでお願いします」とスタッフからは言われた。どうやら、赤ん坊や子供の声よりも、携帯電話の着信音やコンサート中に平気で電話で会話する人間の方が、彼らとしてはより迷惑なようだ。
もちろんシュラインはその程度のマナーはわきまえているので、スタッフに笑顔でうなずき礼を言ってから、零と共に草間のいる客席へと向かう。
席は中程のそこそこいい場所だった。零を先に座らせて、彼女の隣に腰を下ろし、入り口でもらったパンフレットを開く。案外、商店街の人たちや知人が出ているかもしれないと、わくわくしていたのだ。そこには案の定、知っている名前がいくつかあった。中でも目についたのは、花屋のおばあさんの名だ。
「最近、足を悪くして外に出られないってご主人が言ってたけど……お元気になられたのかしら」
「かもな。……まあ、歌うだけだから、車椅子とか誰か一緒なら杖でっていうのもありだろうけど」
思わず呟くシュラインに、草間がうなずいて言った。それへシュラインは、ふと思いついて笑う。
「武彦さんもいるから、変わった飛び入りさんがいたりしてね」
「なんだ、そりゃ?」
聞くなり顔をしかめる草間に、シュラインはまた笑う。
「冗談よ」
「言ってろ。こんな日まで、そんな妙なことが起こってたまるか」
草間は肩をすくめてぼやいたが、零までが笑い出したので、更に苦い顔だ。
そうこうするうちに、コンサートが始まった。
どの出場者もなかなか上手で、中には本当に素人とは思えないような歌い手もいる。シュラインはもちろん、草間や零も彼らの歌声に、思わず聞き惚れた。
【3】
そうして、次々と出場者が歌い進むうちに、時間はあっという間に過ぎた。
トリを飾るのは、件の花屋のおばあさん――田添咲子だった。いや、そのはずだった。
しかし。
ステージに立ったのは、十七、八歳とおぼしい少女である。長く伸ばした髪の両サイドを一房ずつ取って頭頂で束ね、そこに大きなリボンを飾っていた。身に着けているのは古風な柄の振袖で、なんとなく昭和初期の風情だった。
パンフレットの内容と違うためだろう。客席には小さなざわめきが起こった。
だがそれも、少女が歌い始めた途端に、水を打ったように静まり返る。
その歌声はまさに、天使のそれだった。歌われているのは、『アメージング・グレイス』。それもまた、最後に歌われるはずだったのとは違う曲目だ。それもあってか、伴奏を受け持つバンドも演奏しあぐねているふうで、少女はただアカペラでその曲を歌っていた。
にしてもそれは、なんという歌声だったことだろうか。
まるで水が砂にしみ込むように、歌が心にしみ込んで来るのだ。
(すごい……。まるで、歌そのもが力を持ってでもいるかのようだわ……)
シュラインは、その歌に圧倒されながら、思わず胸に呟いた。そして、いつしか頬に一筋の涙が伝っていることに気づく。
(いやだ、歌で泣いてしまうなんて……)
慌てて涙を拭ったものの、ふとあたりを見回せば、客たちの多くは泣いていた。盛大に鼻をすすり上げている者もいれば、ハンカチで涙を抑えている者もいる。隣では、零も涙を流していた。草間も小さく目をしばたたかせている。
それだけではない。ステージ上のバンドマンたちも、どこか呆然とした顔つきで、目をしばたたかせたり鼻をすすったりしている。結局、少女は最後までアカペラで歌いきったのだ。
シュラインは、歌の余韻に酔いながらも、拍手を送ろうとようやく手を動かしかけ、そして再び止める。
ステージ上に、あの少女の姿はなかった。
かわりに、見覚えのある姿を見出し、彼女は呆然とする。
そこには、田添咲子がいたのだ。白いものの混じる髪を結い、年齢に見合う柄の着物に身を包んだ老婦人は杖で身を支えながら、そこにどこかぼんやりとした風情で立ち尽くしていた。
(え? いったい、どういうこと?)
その驚きは、他の客たちにしても同じだったようだ。みな、拍手しようとして上げた手が、空中で止まっている。
客たちの驚きは、次第にざわめきとなって小さなコンサートホールを満たして行った。
その時になって、ようやく司会を務めていた男が姿を現し、人々をなだめ始めたものの、ざわめきは大きくなって行くばかりだった。
【エンディング】
ようやくコンサートが終了し、客たちがロビーに出て来たのは、それから十五分近くが過ぎてからのことだった。
誰もが、いったい何が起こったのか理解できないという顔つきだ。
そんな中、シュラインは草間や零と共に花屋の主に呼ばれて、ステージの裏にある楽屋を訪れていた。
もっとも、花屋が用があるのは実際は草間だけだったのだが。
花屋いわく、母の話を聞いてくれという。そこで草間は、田添咲子の話を聞いた。
彼女が言うには、自分はステージにいた間、天使に抱きしめられた夢を見て、ただ幸せな心地で歌っていただけなのだそうだ。息子の言うような少女のことなどもちろん知らないし、英語の歌などうたえないという。
花屋はいったいどういうことかと草間に説明を求めるが、さすがの彼も首をひねるばかりだった。
だが、話を聞いていてシュラインは、なんとなく思うことがあったので、口を開いた。
「あの……これは、私の思いつきですけど。もしかしたら、この聖なる日に天使がおばあさんの体を借りて、飛び入り参加しにやって来たのかもしれませんよ」
「天使……ですか」
目をぱちくりさせて問い返す花屋に、シュラインはうなずく。
「ええ。だって、あの歌声、まるで天使のようじゃなかったですか? それに、あんな力のある歌をただの人間がうたえるとも思えませんし」
「うう……。たしかに……」
花屋はうなずいたものの、思考が追いつかなくなったのか、頭を抱えてしまっている。
草間は、そんな彼を同情的な目で見やって、肩を叩いた。
「あんまり難しく考え込むなよ。……シュラインの言うとおり、ちょいと変わった飛び入りがあった、ぐらいに思っておくのが一番だ」
そうして、まだ頭を抱えている花屋を置いて、楽屋を後にした。シュラインと零も後に続く。
「シュラインさんは、あれが本当に天使だったって信じているんですか?」
ロビーに戻って来たところで、零が尋ねた。
「ええ。本当は何者かわからないけれど、そう思っておく方が素敵じゃない? それと、あの少女の姿だけど……あれは案外、おばあさんの若いころの姿かも」
うなずいてシュラインは、歩いているうちに思いついたことを付け加える。
「ああ……そうかもしれませんね」
零は軽く目を見張ったものの、すぐにうなずいて微笑んだ。
やがてホールの外に出た三人は、家路をたどり始める。
シュラインは二人と並んで歩きながら、事務所に戻ってプレゼントを見た彼らがどんな反応を示すのか想像して、口元がゆるむのを覚えた。が、二人にそれを悟られてはいけないと、ごまかすように空をふり仰ぐ。
冷たく冴えた空には満天の星が輝き、まるで宝石箱をひっくり返したかのようだ。東京でこんなに星が見えるのは珍しい。これもまた、クリスマスの奇跡だろうかなどと考えながら、シュラインは白い息を吐いた。
(明日も明後日も、ううん、この先もずっと、こんな感動をこの二人と共にわかちあえますように)
なぜとなく、そんな祈りを胸に呟きながら――。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございました。
今回はこんな感じにしてみましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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